裕介にしか見えていないが、助けてくれ、そう懇願する黒目には、涙が溜まり始めていた。
それでも、浩太は容赦なく突き放す。
「そんな事はしないって?会話に於ける基本を教えてやるよ。伊藤、お前がどう思うかじゃない、お前が発した言葉を受けた相手が、どう思うか、そっちの方が大切なことだ」
溜め息を挟んだ直後、撃鉄とシリンダーが回る音が伊藤の鼓膜に届いた。
「なあ!おい!冗談だろ!俺はここに貢献してる!俺が居なくなったら、誰が電気系統の整備をするんだ!」
「残念だが、冗談を言ってる場合じゃないんだよ。それに、お前だって見てきたはずだぞ、俺が治安を守る為なら、なんだってするってことをな」
浩太が引鉄に掛かった指を動かすと同時に、裕介が駆け出しす。
「浩太さん、駄目だ!」
拳銃を掴もうと、右腕を伸ばすが、もう間に合わないことは明白だ。周辺の人々も、これからの惨劇から目を逸らしている。
「やめてくれぇぇぇぇぇ!」
裕介が歯を食い縛って、どうにか食い止めようとする中、伊藤の絶叫が響き渡り、遂に、引鉄の指が下がり切ろうとした瞬間、浩太の背後から現れた右手が、シリンダーを握り発砲を止めた。
怪訝そうに眉間を狭めた浩太の耳元で、女性の声がする。
「裕介君の言う通りよ。やめなさい、浩太君」
拳銃を覆うような右手の袖口が白衣だと気付き、浩太が億劫そうに呟く。
「邦子さんか」
渡部邦子が、腕に力を込めて拳銃を下げさせると、伊藤がその場にへたりこんだ。
「いつまで、こんな意味のない事を続けるつもりなの?今は、みんながイライラしている時なのよ。リーダーなら少しは余裕を持ってもらえないかしら」
白衣のポケットに手を入れた邦子は、中から煙草の箱を取り出し、飛び出た一本を振り向いた浩太に差し出す。
「達也と裕介は調達、亜里沙ちゃんと田辺さんは物資の管理、斎藤さんは哨戒、邦子さんは医療、俺の仕事は、統括と治安維持、俺は俺の仕事をしているだけで、余裕がないと仕事もできない」
「だから、落ち着いてるって?浩太君、自分が言ったことを忘れたの?」
とてもそうは見えない、と邦子は首を振る。
「治安維持も仕事の内なら、周りを見回してみなさい。みんながどんな目をしていると思う?」
下げた拳銃をホルスターに戻し、浩太は差し出されていた煙草を一本抜き、火を点けると、紫煙を漂わせながら歩き始め、邦子とすれ違いながら言った。
「邦子さん、俺の判断は間違っていると思うか?」
「さあ、どうかしらね」
その返答に、浩太は肩を軽くあげて大声を出す。
「裕介、あとで、責任者全員で俺と達也の部屋に来てくれ。今後の話しをする。勿論、邦子さんもな」