「そうやって慌てて否定しちゃうと、亜里沙ちゃんにも悪いわよ。それに、お互い、良い年齢なんだから、先も考えておいたほうが……」
「だから、違いますから……もう行きますよ俺」
邦子の微笑を受け、これだけは流せない、と裕介は溜め息をついた。
街は、元々、企業に向けて会議場などを貸し出すビルだった名残から、二階から五階まで、無機質な廊下に、等間隔で四部屋ずつ並んでいる。
全六階建て、三階から五階は一部屋に一家族か、三人から四人、六階は裕介や浩太を初めとしたオリジナルメンバーの居住スペースとなっている。
裕介が、二階の右最奥の食料庫の扉を指で軽く六回ノックすると、すぐにドアノブが中から捻られ、中年男性が顔を出す。
「お疲れ様です、田辺さん」
田辺将太は、九州地方感染事件の様々な裏側を世間に公表した東京の記者だった男で、オリジナルメンバーの一人だ。苦労から、年齢の割りには多い白髪と細い身体が印象に残る。
メガネを指の腹で押し上げて、裕介に身振りだけで中に入るよう促す。
「亜里沙ちゃんなら、奥にいるよ。それと、僕も同席して良いかい?」
田辺の申し出に、裕介の両目が深くなる。間違いなく、邦子が言っていたような浮わついた会話にならないと理解したからだ。
「大丈夫です、行きましょう」
食料庫内の照明は切られており、採光の窓も無く、縦に並んだ棚に肩をぶつけながら進んでいく。節約の為に、昼と夜以外は電気を点けないことになっているのと、ここに三人がいることを極力、悟られないようにしているのだろう。ますますもって、不穏な空気だ。
そんな倉庫内の奥に、清潔感のある白いワイシャツから覗くうなじの位置で、長い黒髪をポニーテールに纏めた女性、加藤亜里沙の背中があった。
「お帰り。裕介君、早速でごめんね?」
「大丈夫だよ。なにか問題でもあった?」
顎を下げた亜里沙は、段ボールに野菜を入れたままになっている四段目の棚を示してから、裕介にノートが挟まれたバインダーを渡す。
「ここ数日で、野菜を中心に食べ物が無くなってる。本当は、もっと早く知らせるべきだったんだろうけど、確認してる内に裕介君が調達に出掛けちゃったから……」
さっ、と青ざめた裕介が尋ねる。
「正確に、いつからか分かる?」
裕介にバインダーを渡すよう促した田辺が言った。
「僕も調べてみたけど、約四日前からだね。昼食、夜食、朝食は摂らない人もいるけれど、毎回、前日のデータを残しているから、間違いないよ」