男の声が上がると、裕介は、すかさず立ち上がる勢いを利用して、膝のバネを使い車の助手席へ飛び込む。事態の好転を望むあまり、込み上げた怒りに意識を向けてしまい、咄嗟の反応が遅れた男は、くそっ、と短く悪態をつき、警戒もせずに車内を覗く。
眼界を占めたのは、靴の底だった。
「ぶっ!」
鼻頭に強烈な痛みが走り、無意識に男は鼻から口にかけて左手で覆う。だが、倒れることができなかった。右手が伸びたままになっており、男は車内に引き込まれ、シートに顔をぶつける。何が起きているのか、把握するよりも早く、自身が右手に持っていたはずの物が無くなっていることに気付く。
男が慌てて顔をあげるのと、額に銃口が突き付けられるのは、ほとんど同時だった。
「形勢逆転だ」
破顔した裕介とは対照的に、男は眉をあげて睨みつけた。
「なんだ、俺よりも、だいぶ若造じゃないか。それで、坊っちゃん、どうするつもりだ?それで俺を撃つのなら、撃ち方でも教えてやろうか?」
男の皮肉に、裕介は一転して沈痛な面持ちを作る。
「必要ない。それは、アンタが一番わかってるはずだ……怪しいとは思ってたけど、これ、モデルガンだろ」
目元の剣を強めはしたものの、男は諦念の息をつき、首だけで項垂れた。右手は、相手の左手と左足に押さえ付けられ、左手と両足は車外に出てしまっている。対して、青年の右手にモデルガン、右足は自由、そのうえ、運転席側のドアは開いたまま、態勢の不利は明らかだ。
「御名答だ……どうする?俺を殺すか?いくらモデルガンといえども、ソイツで頭でも殴られたら、息絶えるだろう」
「そんなこと……しない。ただ、何事もなく終わりたいだけだ。少しだけど物資も分けるよ」
提案に緘黙を続けていた男は、やがて、吐息をつき、顔をあげて訊いた。
「さっき、銃が怪しいと言っていたが、どこに違和感を覚えた?」
「突き付けられた瞬間から、かな。あれだけ近付けたのなら、背後から撃てば良いのに、そうしなかった。それに、元々のことを言えば、その、ここ、日本だし……」
後半を濁しながら返した裕介に、男は吹き出し、困惑の色を浮かべた青年に、一度、謝罪を挟んで言った。
「こんな人間が、まだ残っているなんてな……分かった、こちらの負けだ。なにもしないから放してくれないか?」
裕介は、念のために、男のズボンと腰回りに視線を送り、大声で達也を呼んだ。
一台分の幅を確保して肩で息をしていた達也は、走って戻ってくるや、車内の光景に瞠目するも、両者の状況と、裕介の笑みを見て息を吐き、不満を言う。