かなりあやふやな知識なのでご不快な点もありますでしょうが、とりあえずはご容赦ください。遅筆かつ仕事のスケジュールが厳しい瞬間がまたいつ来てもおかしくないので、とりあえず進めることを優先しています。
帝城の皇帝の私的執務室に逆戻り。そこに多忙を極める主人の姿は無く、即座に歌う林檎亭に『転移門』を開く。
歌う林檎亭に戻ると同時に、ワーカー達を緊急招集した。
気づいた時には想定を遥かに超えた窮地……だがそれがイイ。
それは俺の偽らざる気持ちだが、現実の問題として、俺の気持ち程度のことで無駄に配下を失うわけにはいかない。ヘッケランにエルヤーにグリンガムに老公……墳墓侵入の依頼を受けようとしていたワーカーグループのリーダー達が眼前に跪いている。
肉腫入りの連中が支配者モード全開の俺の指示に逆らえるわけもなく、彼らは不平の一言も発せぬまま、ただ首を垂れるだけだ。
あまり好みじゃないが「有無言わさず」ってヤツです。
最悪の想定では魔皇(という噂を流した)サイドも墳墓サイドもプレイヤーなんですから、もう現地調達の配下達に入り込む余地なんざありません。今回の敵は漏れなく100レベル……最低でもそこまでは想定すべきでしょう。100レベルプレイヤーが全身神器級装備かつ課金でアクセサリー装備全開でざっくり115レベルぐらいまでは考えに含まなきゃなりません。しかも複数名なのは確実。双方共に十三英雄並みの大所帯だった場合は即決で撤退です。仮に2〜3名でも厳しいけど、状況によっては殺って殺れないことは……ないかなぁ……否、その人数ならば経験が有ると言った方が良いかな。
あれは通称『ギルドクラッシャー』の活動を始めた当初、過疎化したギルドの巨大なホームに潜入した時……まだ俺達も少数でガチビルドの戦闘系メンバーは『バンバン』さんと『えんじょい子』さん程度で、残りは生産や鑑定や探査に極振りしたメンバーと俺のような中途半端色物系ネタビルドのメンバーが5〜6名だったかなぁ?
まだまだ情報収集も甘く、そのホームは想定を超えて巨大だったんですよ。
現役ギルメンは3名……連中はホームの維持費捻出に追われ、狩三昧という情報でした。そして現役連中は社会人だけなので、特に火曜の0時以降は空き家も同然だ、と。
役8年前のギルド最盛期は100人超えの純人間種のギルド……中堅とはいえ老舗中の老舗ギルドです。だからこそ「いろいろ溜め込んでいるんじゃねーの?」となったわけですが……野良ソロプレイヤーである俺達からしたら、そりゃー見た目以上にデカい城タイプのホームでしたね。
当然、探索に手間が掛かり、手分けしようという話になりました。引退したギルメンの遺した物質を溜め込んだ倉庫の特定とギルド武器の破壊が急務でしたから……運転資金に余裕は無いことは現役ギルメンが狩三昧であることから明白です。当然、資金捻出の方策として物資を売り払っている可能性もあります。しかし仮に売り払うにしても価値のないものからでしょう。俺達の標的である神器級のアイテムや素材は最後まで残すはず……たとえ倉庫が空に近くてもやる価値はあるのです。
現役ギルメンの手持ち分については戦闘しなきゃならないので放置です。運悪く遭遇したら殲滅すればいいや程度の考えでした。
で、とりあえず目立つ拠点防衛用NPC4体は殲滅しました、と……防衛用NPCの復活に関しては、連中の資金繰りの厳しさを考慮すれば、ほぼ有り得ません。
しかし時間は残されていないと考えた方がベターです。ギルメン共が気付いてログインしてきたら非常に面倒ですからね。
そこで俺の悪い癖が出ちゃったんです。
俺のビルドは他のメンバーと比較して、それなりにどんな分野でも処理できちゃうわけですよ……だから何にも極めちゃいないわけですけど……戦闘に関しても他のオーソドックスなビルドのメンバーと比較して、先手さえ取れればそれなりの勝率はあるわけです。その上、敵の探知やダンジョン探索もそれなりにこなします。
まあ「ソロプレイこそ至高」と考えていたわけですからね。
俺は「一人でやる」と言い張りました。
他のチーム……殲滅力の高い『バンバン』さんチームとPVPならば無敵の『えんじょい子』さんチームはそれぞれ盾職と回復役が必要で、鑑定と探索に優れた者も必要でした。その点、俺は全て自前で賄えます。
だからそっちはそっちでやってくれ……その方が楽しめる。
今考えれば「そりゃ、自前でフラグ立ててるわ」と思いますよ。
結果、ピンチは戦力的に劣る俺だけに訪れるものです。
探索した末にギルド武器破壊の為に侵入した部屋に彼等はいました。防衛行動として当然といえば当然ですが、火曜の0時以降は空き家も同然じゃなかったのか、と……そこで初めて敵も欺瞞情報を使うと実感したわけですよ。
人数はプレイヤーが3人+100レベルの防衛用NPCが3体に加えて高レベルの熾天使傭兵NPCが1体……よりによって全員以上かい!
……絶対絶命ですやん、こんなん……
しかし俺の心のツッコミとは裏腹にそいつらは妙に動きが緩慢でした。
ギルドホールらしいその部屋の入口を閉鎖し、俺は増援を絶たれた形です。
俺は死を覚悟し、どれだけ道連れにできるかだけを算段していました。
でも楽勝だと思ったのか、そいつらは俺に寄って集って詰問し、罵倒し始めたんですよ……全く理解できない行動ですが……余裕がそうさせるのか、アバターの向こう側に連中のゲス顔が見えました。もちろん連中のリアルの顔面なんざ知りませんが。
暢気にも程がある……バカなの?
そう思いつつも全く余裕の無い俺は密かにキャストタイムスキップの課金アイテムを端折りました。当然、目の前のピンチに見合った最大火力です……俺の場合、眷属召喚スキルの最大威力のものになります。5レベル分の経験値を消費し、それはタイムロス無く発動しました。
「眷属召喚……蠅騎士団!」
切札の中の奥の手……『蝿の王』の眷属召喚スキルの中でも奥の手は3段階に分かれています。それぞれ100レベルの経験値が1レベル分、3レベル分、5レベル分と消費され、当然のように5レベル分を消費するスキルが最大最強にして最凶です……召喚可能時間いっぱいの30分間、連中にとって理不尽な地獄は続きました。リスポーン地点がギルドホールだったのも連中にとっては不運でしたね。
容赦無く先制攻撃をされたら、俺はあそこで敗退し、死んでいたでしょう。
ユグドラシルはリアルじゃないんです。ゲームに没頭しているとよく逆の表現は聞きますが「逆も真なり」なんですよ。相手が数的有利と地の利を得た程度で油断するマヌケ揃いでつくづく良かった……そう思います。
まあ、思い出語りはここまでにして……
あの程度のプレイヤーが2〜3人程度で一ヶ所で動かないのならば、敵の耐性の設定によっては俺のMP消費だけ済む眷属召喚スキルでも奇襲によって殲滅することも可能ですが……いくらなんでも揃いも揃ってそこまでマヌケってことはないでしょう。さすがに経験値消費のスキルは本当の生死の境まで使う覚悟を決められませんし……スキルの情報は漏れていないと思いますが、魔皇サイドのプレイヤーには見事に先手を取られ続けています。少なくともマヌケじゃないのは確定です。ユグドラシル時代の俺を知っている可能性まで考えるべきでしょうか……?
そうでなくとも敵総数が不明なのがひじょーに辛いわけです。
……なので、とりあえず「王都に魔皇ヤルダバオト現る」という情報戦を仕掛けてきた連中……こいつらぐらいは詳細情報を得たいわけですよ。最低でも構成員数ぐらいは知りたい。そして肝心の取っ掛かりは、今夜、帝城の後宮に現れるのまでは判明しているんです。
当然、罠の可能性はあります。
ありますが帝城には転移阻害は施されていなかったわけですから、最悪でも逃げ切ることは可能なんです。だから逃げ切る能力を持つ俺が踏み込まねばならないわけで……そこまで含めて罠という可能性すらあるわけですけど。
……墳墓サイドについてはまた後日ということで……しょーじき、単独で二正面作戦なんて無理ですから!
まあ、いずれにせよ、2つのプレイヤー勢力が争っている可能性が高く、その一方は明確に俺を敵視というか邪魔者扱いしている以上、嫌でも紛争に巻き込まれる可能性は高くなります。
当然どちらも調査する必要はあるんですが……
で、可能であれば両方と戦闘を回避し、それが無理ならば弱い方に加勢したい。圧倒的な戦力的格差が存在するならばまだしも、そこそこの戦力差の場合は単純に勝ちそうな方に乗るのは愚策でしょう……俺としては最終的に弱い方に生き残って欲しいわけですから。どちらか一方に潜り込めば、正確な情報が手に入ります。その時点で勝馬に乗るのは簡単です。しかし勝馬に襲われる可能性も考慮しないわけにはいかないわけで……弱い方が生き残れば、勝利の時点で弱っている可能性も高いのです。少なくとも逃げ切る可能性は格段に高まります。
仮に単純に加勢したとして、それによって勝利した連中がユグドラシルの感覚を残していた場合、俺は勝利を迎える前に(後ではないのがミソです)PKされる可能性が消せない、どころか高いわけです。そして独自の拠点を持たないソロプレイヤーである俺はリスポーンできずにそのまま死滅する可能性が高いのです。なんとか生き返る伝手として、青薔薇のラキュースさんに神器級装備一式を彼女の存命期間分前払いの形で預けてはありますが、めちゃくちゃ運良く復活できたとしても、彼女の『死者復活』では当然レベルダウンは免れないわけでして……ジットに預けてある『蘇生の短杖』でなんとかなってもレベルダウンは免れないわけですけど……まあ、ジットの場合は俺と一緒に殲滅される可能性が高いので保険と言うよりも気休め程度ですけどね。
いや、もしかしたら課金で奥の手用に貯めてある5レベル分の経験値でなんとかなるのかも知れませんが……実験なんざとても怖くてできません。死んだら自分に『真なる蘇生』が行使できないのが、なんと恨めしいことか……よく考えたら『真なる蘇生』も実験していないんですけど……
この世界の歴史がプレイヤーの思考を証明していると思っています。
『八欲王』が『六大神』と共生できなかったのが良い例です。『六大神』の200年後に転移してきた『八欲王』は人間種のメンバーを失って既に弱体化していた『六大神』を滅ぼす決断をしたわけですが、それは単に『八欲王』がヒャッハー集団だったからでしょうか?
ユグドラシルプレイヤーならば他ギルド殲滅の選択は常識外れとは言えません。ギルメン以外は信用できない……ユグドラシル内では常識です。ユグドラシルではPKが放置というか、半ば推奨されていたような環境でしたから、下手をすればギルメン同士ですら完全には信用できないわけです。
当然『八欲王』としてはこの世界の覇権を完全に握る為という理由が大きいのでしょうけど……死亡によるレベルダウンがユグドラシルよりもかなり深刻な事態であるのは彼等も認識していたと思うのですよ。だからわざわざ自陣営の損耗を覚悟してまで潰すのであれば、法国一国で人間種を擁護して満足している『六大神』をあえて潰した理由が別にあるのかなぁ、なんて邪推してしまいます。略奪目的ならば、他のアイテムはまだしも『ケイ・セケ・コゥク』だけは確実に法国から無くなっていたでしょうし……
通称『ギルドクラッシャー』が頻繁にオフ会を開催していたのは単なる飲み会好きの集団ってわけじゃありません。ただでさえ繋がりの弱いソロプレイヤー集団なんですから、放置すれば裏切り者だらけですわ。俺達の襲撃予定を売るだけで、低リスクでそれなりの収入になるんですから……だから襲撃メンバーはリアルの知り合いである必要があったんです。理屈は別にして、全メンバーが肌感覚で理解していたからこそ、俺達のオフ会の出席率は異様に高かったのでしょう。
まっ、それはそれとして……今回、リスクに踏み込めるのは俺だけ……鮮血帝との約束の時間までは歌う林檎亭でB級グルメを満喫したわけです。自力で大金を得る当てを失ったヘッケランなんぞは恨みたらたらでしたけど……結婚を考えているのならば、この案件にはノータッチが正解ですわ。
そして他の面々は俺のお達しを大人しく聞いていたわけですよ。
それは肉腫が正しく機能している証でした。
しかし俺のゲーム脳はこの世界でのリアルを見誤っていたわけです。言い換えれば、俺がこの世界を生き抜く為の主武器である肉腫の突き詰めた実験を怠っていたってことでしょう。
よく考えれば当たり前なんですが「忠誠=絶対服従」ではないのです……この世界はユグドラシルじゃないんですから……
肉腫を埋め込んだ相手のほとんどは人間種でした。
もちろん肉腫はゲームのテキストに則り、常に正しく機能しています。
俺が求めたのは支配……命令に対して忠実な下僕。
肉腫の機能は叛逆可能域に達するまでの絶対的な忠誠の強制。そして叛逆が発生した際の眷属の孵化……つまり宿主の死です。
よくよく考えれば、俺の指示を受けて単に頷くだけでないヒルマやブレインの例やらあったんですがね……「そんなこともありますよね」ぐらいで済ましていた俺がマヌケなんでしょう。つまり俺にとって、どこまでもユグドラシルの延長線上にこの世界はあると思っていたんですね。疑いすらしていなかったわけです。
はぁ……煩わしいような……楽しいような……
純粋な忠誠心は命令を無視する形で発露することもあるんです。
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後宮でも最奥の寝室……皇帝の血筋を繋げる為の豪奢な部屋の片隅で、俺はボケーっと突っ立っていました。男子禁制の部屋……それだけ聞くとなかなか興味深い部屋なんですけど……現在の俺は既に緊張感の欠片すら維持するのが難しいのです。
ザ・拍子抜け……そんな感じでした。
そりゃー、たしかに皇帝陛下にとっては脅威でしょうよ……でもなぁ……いいところ青薔薇のイビルアイさんと同等程度の雑魚に対して、最低でも伝説級装備の100レベルプレイヤーを想定していた俺からすると、まあ緊張感を保つのが難しい。しかも見た目が愛らしいというか、アホっぽいというか……何にせよ、人化したままの俺でも優位を保ったまま戦えるのは確実です。人化を解除すれば瞬時に無力化できる程度のヤツに対して、なりふり構わず逃げ切るつもりでやってきた俺の覚悟は……
まあ、確かに魔皇の使者とやらが傭兵NPCってことはないので、低レベルのプレイヤーか、それなりに強い現地勢力ってところでしょう。和服をアレンジしたようなメイドの衣装は完璧にプレイヤーの証拠なんですけどね。
そうは言っても連中は情報戦を仕掛けてくるぐらいなので、脳筋集団ってことはないでしょうから、相当な警戒は必要なんです……なんですけれども、よりもよってユグドラシルで選択できる種族の中で、最も俺と相性の悪い(俺にとっては良い)蟲系の種族なのは間違いありません。細かい種族までは人面を模した仮面で不明ですが、伊達に『蠅の王』なんていう超激レア種族のレベルを極めているわけでないのです。ハッキリ言って、魔皇の使者程度の低レベル蟲系種族であれば、人化を解除するだけで何もしなくても無力化可能です。これで蟲使いだったりしたら、むしろ魔皇の使者が哀れ過ぎて、泣けるぐらいです。その場合は人化したままでも蟲使いの技は完全に無効化されてしまうのですから……この状況下で緊張感を維持するのは至難の業ですわ。
そんな心境の俺を尻目に皇帝と魔皇の使者の会話は続いていました。
たしかに『魔皇ヤルダバオト』はやたらと緻密な計画を好むようです。この低レベルな蟲系種族の魔皇の使者改蟲メイドは見た目からしてどうしても緻密とは思えないので、裏で糸を引いている奴が緻密なのでしょう。つまり蟲メイドが通信している先にいる奴ですが……部下を通した会話だけで、周到なジルクニフの言い訳を簡単に突き崩し、それだけでなく瞬時に修正案を突き付けてきます。俺の目からは明らかにメッセージの符術は使用しているけど、どうもそれだけじゃ足りないような気がします。それぐらい蟲メイドの向こう側から漏れ伝わる魔皇ヤルダバオトの能力の一端は凄まじいものがありました。
……もしかして、蟲メイド以外に諜報系プレイヤーが侵入しているのか?
そう思い当たり、改めて気を引き締めました。
たしかにあまりにも蟲メイドは低レベル過ぎます。
知力が高いようにも感じない。
隠蔽しているようにも思えない。
単なる使いっ走り……少なくとも俺の中では確定事項になっています。
蟲メイド……俺というか、カンストプレイヤーを相手にするには肉の壁レベルです。俺がこの世界で拾い集めた配下達に感じるような不安をこの魔皇ヤルダバオトが感じないわけない。
もちろんジルクニフに対する脅しであれば充分に役目を果たします。
つまり俺の関与を想定していなのか?
そんなわけがない。
俺を邪魔と判断したとしか思えないやり口で連中は仕掛けてきたんです。
今の状況が仕掛けでなく、単なる偶然なんてことがあるわけがない!
そして会談はあっさりと終了しました。
ジルクニフはぐったりと項垂れています。防戦一方の完全敗北じゃ、まあ仕方ない結果でしょう。プライドはズタズタにされ、どうにか期日こそ延長できたものの、今回約束された期日までにワーカーによる墳墓潜入が実行されなかった場合のペナルティーを通告され、もはや風前の灯火いったところです。
「亜人軍10万による帝国侵攻」
魔皇ヤルダバオトはそう宣言しました。
既に集結は完了し、進軍を待つ状態である、と。
つまり魔皇による帝国への処刑予告です。
そんな手があるのか……思わず感心してしまいました。自陣営の戦力を損耗せず、この世界においての人間種よりも強力な種族を取り込み、戦力化する。数から考えても単一の種族でなく種族連合軍なのでしょうから、プレイヤー自身が指揮官か軍監として力で管理すると思われます。ものの見事に恐怖政治ですが、元々好かれようなんて発想がないのでしょう。現地勢を利用するのであれば実に効率的です。たしかにカンストプレイヤーと比べれば現地産の亜人なんぞ塵芥でしょう。しかしこの世界の人間種に比べれば圧倒的な戦力なのも確実です。労せず、損耗も考慮せず、お手軽に戦争を仕掛けられます。
これは俺の発想と少し似ていますが、完全に非なるものです……規模も違えば方向性も違います。
俺のは苦肉の策とも言える防衛手段の育成であり、情報網の構築であり、資金源確保の方法でした……主たる目的は生き残りですからね。
対して魔皇サイドのものはシンプルに侵攻手段であり、その戦力も使い捨てでしょう。だから人間種国家に対して亜人種の軍勢……指揮系統さえ構築してしまえば、なるほど育成する手間が不要です。元から人間よりも強いのですから……よくよく考えたら竜王国の惨状を参考にすれば結構簡単に思いつきそうなものですが、俺からその発想は生まれませんでした。俺と同様に現地勢の育成に苦労した結果なのか……いずれにせよ、凄い割り切りと強靭なメンタルです。当然、連中の主目的は侵攻からの征服なんでしょう。
ハッキリ言って蟲メイドは有象無象以下の低レベルプレイヤーてした。
しかし姿を見なくても嫌って言うほど理解させられました。その背後にいる魔皇ヤルダバオトって奴は緻密で頭脳明晰かつ冷酷……敵に回すにはカンストプレイヤーである俺でもヤバい奴です。
要するにとんでもない連中に狙われちゃったんですね、バハルス帝国。
……ご愁傷様。
そんな状況で疲労困憊のジルクニフを放置するのは気が引けましたが、蟲メイドは既に寝室から退出してしまっていました。
慌てて追跡に入ります。しかし退出した瞬間に転移されるという最悪の想定からはほど遠く、蟲メイドは暢気に後宮の廊下を歩いていました。とても警戒心があるようにも見えず、本当にあの「魔皇ヤルダバオト」と同じチームに属しているのか疑ってしまうようなお気楽さです。
「お腹、減ったぁ」
蟲メイドがヒョイっと何かを掴み上げ、仮面の下に手を突っ込みました。それが何度も繰り返されます。
「お肉ぅ……お肉、食べたいぃ」
シニョンって言うんだっけか……お団子付けた髪型の向こうで、とにかく緊張感を感じさせない発言を連発する蟲メイド。
「人間のぉ、お肉ぅ、食べたいぃ」
途端に物騒なことを仰る!
そして違和感バリバリでした……プレイヤーが人肉を食いたいって……凝ったロールプレイにしても、その発想に至るか?それとも転移の影響か?
「でもぉ、摘み食いぃ……したら怒られるかなぁ?」
散々物騒な発言を大声で連発しながら……どんなカラクリなのか……警備が厳重なはずの後宮の廊下を誰一人遭遇せず、ついでに複雑な構造の廊下を迷いもせず、帝城の中庭に出てしまいました。
月明かりの中、蟲メイドは空に向かい何やら呼びかけています。
何度も見たことのある巨大な蟲が唐突に上空に現れました。
蟲使いが呼び出せる飛行用の蟲です。
変なところはユグドラシルに忠実だなぁ……しかし都合が良い。
蟲を使役して移動するなら、俺にとって追跡は容易極まります。
完全にマーキングした蟲メイドの飛行蟲を待ち受けるように、フライでさらに上空に飛び立った瞬間……激しい金属音と聞き覚えるのある声が耳に入ったんです。
*************************
理由は判らない。
何でこんなところにいるのか……こんなことをしているのか?
いわゆる「いてもたっても」ってヤツ?
城壁の向こうに、もう二度と覆らない忠誠を誓うゼブルがいる。
状況は極めて危険だ、と聞いた。
その危険を回避可能なのはゼブルだけだ、とも……
だから「来るな」と厳命された。
悔しい……とも違う。
護る……必要なはずがない。神の力を持つぷれいやーなのだ。
役に立ちたい……不要と言われた。その判断に間違いなどあるはずがない。
寂しい……というよりは……何だろう?
とにかく言葉で表現し難い何かに突き動かされ、ティーヌはフル装備の上に外套を羽織り、主催者不在の宴会の続く歌う林檎亭を飛び出していた。
目的地は帝城。
最短距離を進む。
真夜中だ。帝都アーウィンタールと言えど人影は少ない。
時々監視の帝国兵が振り返る……単純に走り抜けているだけになのに反応できない兵士も多数。能力全開のティーヌのスピードを視認できる帝国兵は少なかった。戦闘状態と等しいスピードでティーヌは夜中の帝都を走り抜けた。
そしてアッという間に到着した……が、どうしたら良いのだろう?
正門前……真夜中といえど、さすがに衛兵も多い。
後宮の位置さえ把握すれば、この程度の警備ならば、侵入など元漆黒聖典第九席次には児戯に等しい。
しかし正規兵が後宮の位置など上の許可無く部外者に教えるわけがない。
その程度はティーヌにも判る……が、試さずにはいられなかった。
正門の衛兵に声を掛け、追い払われた。
次に巡回の衛兵を捕まえてみたが、瞬時に取り囲まれ、逃げ出した。
ついには色仕掛けまで試すも、さすがに正規兵相手では……
「うーん……厳しいなぁ、もう」
捕まえての拷問は不可……この状況下ではさすがにゼブルの命令は必要無い。
法国では無法者扱いではあったが、無能者であったつもりはない。クレマンティーヌだった頃の実兄と比較して……という意味ではそうかもしれないが、真に無能者であれば漆黒聖典に在籍していた過去は無かっただろう。
でも、諦められなかった。
城外から判断できないか……一縷の望みをかけて、気配を消しながら城壁の周りを歩く。動きながらでは風花のレベルまでには至らないが、帝国の一般的な兵士相手であればティーヌの隠密でも通用するだろう。自身の行動によって警戒レベルを上げてしまった衛兵の目を誤魔化さなければならないのだ。
あの頃……力に奢っていた……否、悪酔していた頃であれば、今の状況にキレていたかもしれない。なんでも力でねじ伏せた。ついでに趣味も満足させていた。力に溺れ……その内により大きな力によって屠られただろう。道徳的な例えでなく、正に文字通りに。
今となってはなんとなく予想できる……思い上がりと悪逆の果てにいずれ殺された自身の骸。
吹っ掛けた殺し合いの末に斬殺なのか。
罠にハマり、拘束され、凌辱された末の撲殺なのか。
はたまた獄中で吊るされたのか、火刑にでも処されたか。
最悪、本国で凄まじくエグい実験の素材にでもなっていただろうか。
いずれにしても遠くない未来だっただろう。現実に神であるぷれいやーに挑んだのだ。死んで当然の行いだったし、今こうしてぷれいやーの側に立っているのは奇跡に違いないのだ。
あの時にゼブルに殺されなかったのは僥倖、というか単なる気まぐれなのだろう、とティーヌは考えていた……実際にこれまで目にしたゼブルによる生死の選別は気まぐれの要素が大きいとしか思えなかったのだ。
強さ……そう思える節がないこともない……が、だとすればティーヌの目から見て、最も重用されたお色気ババアは何なのだ、となる。あんな色気だけのババア……でもゼブルの御手付きというわけでもない。
というか、ゼブルは女に一切手を出さないのだ。まず間違いなく熟女趣味ではない。あのお色気全開ババアには手を出していないので……あのゼブルに媚びる感じがとにかくムカつくのだが……しかし求められれば「いつでもどこでも即OK」のティーヌも完全スルー。少し良い感じに見えた青薔薇で貴族のお嬢のラキュースも完全スルーだし、年下趣味や幼女趣味ならば大胸筋ガガーラン以外の青薔薇やアルシェでも良いはずだが……かと言って、元「天武」のエルフ三人娘もイミーナのような人間種以外もスルーだし、かといって男色とも思えない。本当にあの時の言葉通り「捨て駒」やら「肉の壁」としか思われていないのかもしれない……なんだろう、この気持ちは……?
軽く頭を振った。
今は……そんなことはどうでもいい……ゼブルの命の選定基準だ。
組織の運営力……だとすれば『八本指』の幹部を丸ごと残した方が無難ではないか、などと考えてしまう。ババアとオカマとゼロだけを残して、残りは首チョンパして晒し首……なんの力も無いジジイ共だ……ぷれいやーであるゼブルでも殺して復活なんて手の込んだ手段は使えない……と思う。つまりティーヌには理解できないなんらかの理由で選別したのだ。
学が無い風を好んで装っているが、こんなでも法国では最高レベルの教育を受けているのだ。現代だけでなく古文字の読み書きなんかは当然だし、初等の数学のような基本はもちろん、およそ『六大神』が持ち込んだ知識体系は修了していた。それ以外にも潜入工作も実行する特殊部隊員として必要な知識も最高レベルで習得している。でなければ漆黒聖典には推薦されない。だから出会ってから許す限りの時間を割いて、ゼブルを観察し続けていた。
ゼブルにとって強さはそれなりに重要な指標なのだろう。
しかしそれは以上ではない。
「なーんか、フワッとした……うーん、なんなんだろうねー?」
フードの中で染めた銀髪をクルクルと指に巻く。
何かが頭蓋の下で蹲っていた。
間違いなく正答ではない。
でも、何かに少しだけ近付いたような気がしていた。
とにかく見てしまう。
とにかく役に立ちたいのだ。
自身の持つ全てを捧げたいのだ。
なんでこんなに惹かれるのだろう?
ぷれいやーだから……違う気がする。もしゼブルよりも強大な力を持つぷれいやーが目の前に現れて、頭の中のアレを取り除いてくれる、と言われてもティーヌは拒絶するだろう。それで敵に殺されるならばそれまでだ。全てを捧げる前にゼブルの肉腫に脳を食われるよりははるかにマシだ。
恋……ではない……と思う。好きとか嫌いとか、そんな人間的な感情をぷれいやーであるゼブルに期待などしていない。全てを捧げた後、残りカスの自分を捨てられても構わないのだ。役に立たないのならば自身に価値など無い。だが全てを捧げ尽くすまでは絶対に離れない。
死んでも復活して……くれるのだろうか?
自信はある……あるけど少し不安になった……やっぱり命の選定基準が判らないのが原因だ。結局、頭に居座る答えのような何かに辿り着けない。
「どーどー巡りだね、こりゃ……やっぱお役に立つところを見せないと……」
月明かりを避けて、物陰が極端に少ない帝城の周りを見て歩く。かなりの難度だが、ティーヌにとってはやってやれないような技でなく、片手間でも可能な程度だった。現に考え事は続行中だし、緊張の欠片すら感じない。単純に自身の気配を絶ち、同時に他者の気配を探り、避け、視界に漠と捉えた全体像から茫とした違和感を探る……それだけのことだった。
脚が止まった。
集中しないからこそ全体像から捕捉できる僅かな違和感が視界のはるか先にあった。
なんだぁ……?
スーッと目が細まる。何かがおかしい。でも改めて意識して見ると、それが何だか判然としない。
視界に入るのは何の変哲もない、ただの城壁と街路樹と路面……時刻は深夜だが恥知らずなほど明るい。その奥に月明かりに照らされたアーウィンタールの整然とした建築群があった。
特別な気配は感じない。
だが直感は明確にアラートを発している。
近付くべきか……どうする?
まずは直感に従った……立ち止まり、完全に気配を断つ。街路樹の小さな木陰の中に同化した。こうなったら風花ですら探知は難しいはずだ。
目の前を巡回の衛兵の小隊が通り過ぎた……でも気付かれない。
彼等は躊躇なく違和感の中に突入して……行かなかった。
30メートル程前方で唐突に反転し、再度ティーヌの前を通り過ぎた。先頭の兵士も、最後尾の兵士も、隊長らしき大柄な兵士も極めて自然に反転……ティーヌの目からは違和感バリバリの動きだが……誰も違和感を感じていないようだった。別段指示も無く、まるでそこで引き返すのが予定通りの行動だったかのように。
はぁ?
異様な光景だった。
どんなに眺め続けていても違和感の正体は判らない。
だが明らかに異常なのだ。
ティーヌは進む決断を下した。
木陰から出て、ゆっくりと一歩目を踏み出す。
2歩、3歩とスピードを上げる。
ヤバさの濃度が跳ね上がる。
小隊が折り返した地点を過ぎる。
もう戻ることは出来ない。
戦士としての直感が囁いてくる……逃げろ、と。
こんな事はゼブルが真の姿で破滅の竜王と戦った時以来だった。あの時は破滅の竜王にビビり、味方であるゼブルから畏怖と安心感を感じたのだ。
そのゼブルは城壁の向こうのどこかにいる。
だから……腹を括った。
ゼブルの為に役に立つのだ。
今ではその為にこの世に在ると思っている。
クレマンティーヌを辞め、ティーヌと言う名を授かったのはその証だ。
それらはそこにいた。
最初からいたような……唐突に現れたような……?
「……誰だぁ、お前ら?」
ヤバいのは伝わる……伝わらない奴は既に死んでいるレベルのヤツが……しかしゼブルや破滅の竜王に感じたような畏怖や絶望感には程遠い。
届くか……否、厳しい。
一人でも辛いのに、そいつらは二人いた。
ニコニコと笑う赤髪で褐色肌の女が立っていた。
冷たい笑いの縦ロール巨乳が振り向いた。
「ちわーっす、ルプスレギナっす……こっちはソーちゃんっす」
赤髪のルプスレギナが商店の店頭に立つ看板娘の明るさで笑っていた。
二人ともに絶世の美女……しかしヤバい。
「……自己紹介はしてくれないのかしら?」
まるで避暑地で散策中に知り合いの連れにでも会ったかのような雰囲気で、縦ロール巨乳ことソーちゃんは優雅に、冷たく笑いかけてきた。
……こいつらどこにいた?
否応無く高まる緊張……心音が煩い……下がることもできず、前に出ることも躊躇われた。
「……ティーヌ」
腹の奥からなんとか呟きを捻り出した。
クレマンティーヌだった頃、他者は痛ぶるものだった。世の中に絶対の強者は神人とドラゴンロードとぷれいやーのみ……同格は漆黒の同僚であり、表で有名なガゼフ・ストロノーフやフールーダ・パラダインは絵空事だった。彼等とは生涯接点など無いと思い込んでいたのだ。
危険な者には近づかなければ良い。
手を出してもヤバければ逃げれば良い。
弱者からは命を含めて全てを奪って良い。
そして英雄の領域に立つクレマンティーヌにとって、世の中のほぼ全ては弱者だった。
実に単純な世界だった。
そしてゼブルと出会う。
あの夜……ティーヌとなった日……世界は果てしなく高く、とてつもなく広いものだと知った。
絶望的な差を知った。圧倒された。畏怖した。
時折、ゼブルが話してくれる強者だけの世界……そこではぷれいやーであるゼブルですら弱者だと言う。そして強さは定まったものでなく、状況で入れ替わるものだとも言った。
何度聞いても……どうしても理解できなかった。
強者は強者ではないか……これからティーヌの生涯を全て費やしても『番外席次』や『隊長』に勝てるとは思えない。
努力ではどうにもならない理不尽さ。
それこそが序列というものではないか?
しかしティーヌの心中でどう思おうが、絶対的強者の一角であるゼブルは逃げの決断が早かった。
ゼブルはその判断も含めて「強さ」だと言う。
言っていることの意味は理解できる。
……できるが釈然としない。
運良く同道を許され続けた。
だから常にゼブルを見続けているのだ。
その中でこの世界にティーヌと同格の者は無数に存在することも知った。
まだまだ他にもいるのだろう。
そして目の前にもいた……名も知らぬ魔人が2名。
「ティーヌ……?」
「なんか聞いたことあるっすねー……ソーちゃん、知ってるっすか?」
「デミウルゴス様が仰っていた中にいたと思うわ」
「あー、アレっすね……御招待リストっすか?」
ルプスレギナが巨大な聖印を象った聖杖を構えた。
一方、ソーちゃんは構すらしない。
でも同等に恐ろしい……ティーヌは外套の下で『戦闘妖精』の柄を握った。
さらに「デミウルゴス様」という上位者らしき名を深く記憶に刻み込む。きっと有用な情報に違いないのだ。
「つーわけで、一緒に来てくれると助かるっす、ティーちゃん」
天真爛漫な明るい笑顔と妖艶な冷たい笑顔……対象的な二つの笑顔がティーヌの一挙手一投足を凝視していた。
ジリっと半歩下がる。
いや下がらされたのだ。
隔絶したスピードで間合いを潰すのがティーヌの流儀……対してルプスレギナの主武器である聖杖は長得物だ。直感によれば力の総量はルプスレギナの方がやや上。意味無く下がってもティーヌに得は無い。さらに自然体で立つだけのソーちゃんとやらは何を仕掛けてくるのか……
状況が一触即発なのは確実。
ティーヌは視線だけを走らせ、逃走経路を探した。
捕まるわけにはいかない。それだけは拙い。
単純に後方……距離を広げるか?
そう思った瞬間、視野を細長い何かが走る。
全力で跳躍し、思惑通り距離を作り……着地の瞬間、猛然と迫る赤髪を確認した。さらに飛び、もう一度飛ぶ。その度に破砕音が追ってきた。
ヤバいなぁ……こりゃ。
石畳の路面が大きく抉れていた……一ヶ所、いや二ヶ所。さらに何かが貫いたような穴も……やはり二つ。打撃がルプスレギナで穴がソーちゃんで間違いないだろう。だがソーちゃんが何を仕掛けているのか確認できていない。
「手荒な事は禁じられてるっす……でも逃げないようにしないと捕まえられないっすね」
相変わらず口調に緊張感は無いが、ルプスレギナの笑顔が明確に変わった。
「そうね、あまり手間をかけさせないでくれると助かるわ……御招待することはアインズ様の御意ですもの」
アインズ様……こいつらの上位者の名か……さらに記憶に刻み込む。
「脚一本ってとこっすね」
「まあ、それぐらいなら……問題ないと思うわ」
お気楽に恐ろしいことを言う……脚一本……大問題だ。
抗議する間も無く、ルプスレギナの姿が完全に消えた。
同時にソーちゃんの巨乳が迫る。彼女は単純に、そして優雅に迫っていた。
「ちっ!」
パニックで心が沸騰した……瞬時に戦闘モードに切り替え、半ば強引に不安を圧し殺す。同時に頭脳は冴え渡った。
闘争は不可避だ……戦え!
後ろに下がる……ダメだ。
ルプスレギナは捕まえると言った。前からソーちゃんが迫る以上、背後に罠がある可能性が高い。加えてルプスレギナは向かって右に立っていた……だから左に大きく飛ぶ。
念には念を入れて、同時に『戦闘妖精』で左の空間をなぎ払う……見た目はマヌケだが簡単な牽制だ。
ガキンッ!
姿を現したルプスレギナの聖杖に『戦闘妖精』に刃が食い込んでいた。
……ヤバいどころじゃなよ、ね。
ティーヌは自身の思考を全て読み切られたことを悟った。たまたま逃走を諦め、戦闘を決意し、念の為の牽制した……その結果、望外の幸運に恵まれ、どうにか捕捉を免れ、探知できないルプスレギナを炙り出したのだ。
ティーヌは囲まれないように注意しつつ、大きく後退しながら抜身の『戦闘妖精』を構えた。
虚空から現れたルプスレギナは笑顔だった。
だが明らかにこれまでと違う。
凶悪なのだ。
「ソーちゃん、ティーちゃんが悪いと思うっすよ」
「そうね、同意するわ」
「獣王メコン川様から頂いた聖杖を傷付けたっす……マジ頭きたっす!」
法服ベースのメイド服がゆらりと前に踏み込んだ。
「あまりやりすぎちゃダメよ……アインズ様の御意ですもの」
「りょーかいっす! でも許さないっす!」
怒涛の連撃が始まった。
一歩目で距離を潰されて、同時に聖杖が振り下ろされた。
初撃は受け流すのが精一杯。
ルプスレギナの攻撃は大雑把だった。
杖術は二流……下手すりゃ三流……少なくとも純戦士のティーヌならば捌くのに苦労はない。しかし回避だけでは難しい。だから受け流すのだが、その度にかなり精神を削られてしまう。明らかに身体能力のスペックが違うのだ。
眼前の笑顔魔人はとても同じ人間、同じ女とは思えない。
一撃一撃が凄まじく重かった。
さらに唐突に姿を消すことができる……さらに精神を削られてしまう。
加えて移動速度はスピード自慢のティーヌと互角……こちらは既に『能力向上』まで使用してだから、とても互角とは言えないかもしれない。
いつまでも終わらない連撃。
だから『能力超向上』まで使って良いのか……迷ってしまう。
今のところ、スタミナや集中力はゼブルに貰った指輪のお陰でなんとかなっているが、この先はどうなのか……
かつて愛用していたスティレットだったらとっくに終わっていただろう。
かつての冒険者プレートを貼り付けたビキニアーマーだったら既に死んでいただろう。
武器……いや武装全般のスペックは明らかにこちらが優位。ルプスレギナの聖杖は受け流す度に傷付いていった。
どうにか互角……ゼブル様様だった。
ウンザリするほど、絶え間無く続く連撃。
捌き自体は難しくない。怒りによるものなのか、それとも戦士職ではないからか……短調なフルスイングが多く、軌道の予測も極めて簡単だ。
しかし重い。流す為の軽い接触だけで骨まで響く。さらに精神力を大きく削られる。人間の姿のゼブルと剣の稽古をした時と同等の衝撃なのだ。
ここまでの攻防は互角と言えば互角……だがルプスレギナの向こうには全く疲労していないソーちゃんがいた。その事実がティーヌの精神をさらにジリジリと削る。たとえこの猛攻を切り抜けたとしても消耗0かつ攻撃方法すら不明の敵がいるのだ。しかもソーちゃんの動きはルプスレギナと違って目で追い切れていない。
そのまま撃ち合いが100合を超えた頃……
「魔法使ったら?……それとも手伝った方が良い?」
興味なさそうにソーちゃんが言った。
「これはお仕置きっす。ティーちゃんをブン殴らないとダメっすよ」
答える間に僅かにルプスレギナの動きが鈍る。
空かさずバックステップで後退した。
そこで大きく息を吐く。
信じられないことに、かなりの長時間無呼吸だったらしい。
生き返った……脳が冴える。
しかし隙が生じた。
ルプスレギナが鋭く踏み込んだ。
これまでと距離感が違う……そう思った時は遅かった。
聖杖が無造作に地に投げ捨てられているのが見えた。
右腕が掴まれた……『戦闘妖精』が振れない……絶望的だった。
同時にルプスレギナの右手が強引に外套の中に押し込まれる。
目の前に笑顔があった。
ニッと笑っていた。
犬歯が剥き出しの凶悪な笑顔……だが場違いに美しい。
強烈な衝撃が下半身を襲う。
痛ぅ……立て……ない……何っ?
視界が下がった。
見上げれば見下す笑顔があった。
鈍痛が響いてきた。
思わず痛みの発生源を見てしまう。
気付けば尻餅をついていた。
激痛が襲う。左大腿部だ。
剥き出しの腿を拳で殴打されたのだ……折れているかもしれない。
反射的に下賜されたポーションを探り……それが目の前の褐色の手の中に赤い小瓶が二本……つまり全て握られていることに気付いた。
「勝ちっすね」
お気楽な勝利宣言。
「ちくしょーがっ!」
そのまま路面に仰向けに寝転がり、叫んだ。それが最後の抵抗だった。城壁の向こうに届け、と思いを込めた。
「脚一本……これで勘弁してやるっす」
月明かりの中、満足気なルプスレギナの笑顔は元の天真爛漫なものに戻っていた。
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完全不可知化を維持したまま滞空し、どうするべきか考えました。
金属同士の激突音が続き、最後にティーヌの絶叫。
何かしらの異変があったのは間違いないでしょう。
一方、追跡中の蟲メイドは優雅に遊覧飛行を続けていやがります。
咄嗟に思い浮かんだ選択肢は二つ。
蟲メイドに眷属を付けるか?
近くに感知できるティーヌの肉腫の位置に眷属を飛ばすか?
俺から離れすぎると眷属は与えられた役目を果たそうと勝手に頑張り続けますが、正確な位置情報を見失ってしまいます。これまでの実験によればおよそざっくりと2〜3キロメートルぐらいまでが全てを有効に把握できる範囲でしょう。また距離はともかく、時間については第一世代のままでは規定時間を超えられず、そこで消滅してしまいます。
では、どこまで時間が経過しても把握できるように蟲メイドの脳で肉腫にしても、生死や個体情報は感知できても遠距離での位置情報はロストしてしまいます。何よりメッセージであの『魔皇ヤルダバオト』と意思疎通可能な状態の蟲メイドを肉腫で支配するのが得策か……どう考えても悪手。
魔皇ヤルダバオトが仕切るなり属するなりしているプレイヤー集団にあの蟲メイドが所属しているのは確実です。問題はあの冷徹な魔皇ヤルダバオトがどう見てもお気楽かつ低レベルの蟲メイドをそれなりに信頼し、重用していることです。お気に入りなのかもしれない……それこそリアルの知り合いの可能性まであります。で、あるとすれば肉腫で完全支配しないまでも言動に違和感を感じさせれば、状態異常を気付かれてしまう可能性が高い……つまり肉腫が解析される可能性が生じてしまうのです。
たとえ低レベルとはいえ、ジルクニフが直接プレイヤーをどうこうするは不可能です。つまり皇帝以外の関与は間違いない、となるのです。
誰でも辿り着く結論は、俺による敵対行動なんです。
いずれそうなるにせよ、現時点で旗色を鮮明にするのは最悪手に近いでしょう。
ではティーヌを見捨てるのか……少しもったいない気がします。
全ての配下はいざとなれば捨て駒とはいえ、彼女は1番の成長株であり、現状では最も強い駒なのも間違いのない事実なのです。
ティーヌが外傷を受けたと肉腫は報告してきます。
現在も外傷は治療されていないようです。
ポーションを使用できない状況が続いているのでしょう。
既に敗退して拘束されたか、防戦一方の最中か?
つまりティーヌをに与えた神器級の鎧の防御を抜くヤツが相手ということを示しています。単純に物理的な打撃や斬撃ならば、鎧で受ければ90レベルまでは対応できるはずなのです。高レベル、もしくはティーヌの動きを封じる手段を持つ輩なのは間違いありません。何が問題なのかと言えば、殺されていないことなのです。つまり拉致されれば肉腫の解析にまで到達してしまう可能性が消せないのです。
ティーヌの肉腫を眷属化するか……しょーじき、それが一番手っ取り早い解決法な気がしないでもないのですが、その後ティーヌの死体を拉致されると彼女の復活できなくなるのが問題でした。『真なる蘇生』であればデスペナであるレベルダウンは最小限にすることが可能ですが、それも死体が無いと不可能なのです。
そして現在の神器級フル装備のティーヌは第二世代眷属と強さにおいては大差がないのも事実でした。単純な肉弾戦においてはティーヌの方が強いと考えて間違いないでしょう。要するに敵が眷属を蠅でなく、眷属と正しく認識した場合、眷属が逃げ切れる可能性も大して高いものではないと予想できます。
加えてティーヌが対峙する敵は彼女よりも強いのに、現状は殺されもせず、手持ちのポーションによる治癒もできていないのですから、ティーヌを生かして捕らえることに意味があるのかもしれません。
魔皇ヤルダバオトとジルクニフの間接的なやりとりを確認しただけでも理解させられる冷徹さ……人質による脅迫が有効であれば、誘拐を躊躇無く実行するタイプであると確信させます。
そして敵がプレイヤー集団である可能性が極めて高いと半ば確信している以上、蘇生魔法を持っていないと考えるのは無理があります。つまり拉致が目的であっても死体は有用なのです。
死体を誘拐する……この世界において情報収集目的でも脅迫目的でも蘇生に伴うレベルダウンさえ考慮しなければ極めて有効な手段でしょう。
ティーヌを見捨てるのも悪手になるな、こりゃ……
で、あるならば召喚する眷属の数を一気に増やし、蟲メイドの追跡とティーヌの救出を同時にやるとして、どちらに比重を置くか……つまり俺がどちらに向かうかの選択でした。
蟲メイドか?
ティーヌか?
治癒魔法を持つのは俺だけ……だからティーヌに向かうべきか……
時間は無い。
決して最善ではない。
まだ情報も得ていない。
敵対の表明に等しい。
しかし決断せざるえなかった。
「眷属召喚……肉腫蠅!」
スキルの発動と同時に俺の周囲に現れた30の魔法陣から同時に30の蠅が生み出された。眷属達は20と10の群れに別れ、即座に蟲メイドとティーヌに向かう。
かなりの量のMPと課金アイテムを消費した。
これだけでは厳しいか……さらに念には念を、だ。
『人化』を解除する。
帝都の空に邪悪な神が降臨した。
お読みいただきありがとうございます。