死の王と蠅の王   作:マイクロブタ

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自分の筆の遅さが恨めしいです。
時間の無さだけでなく、単純に遅い。
もう少しだけでもペースアップしたいところ……



15話 どうやら追い込まれているみたいです!

 

 『水晶の画面』にその姿が浮かび上がっていた。

 

 一見すると真っ黒な天使……というか堕天使のように見えるが、かなり奇妙な姿をしていた。6枚の翼と肩まである髪は黄金であり、深紅の目に浮かぶ瞳も黄金だった。皮膚は黒なのだろうが、赤黒い脈の紋様が激しく脈打っている。手にしている暗黒の槍も同じく脈打っていた。何よりも魔法文字のエフェクトするローブから外れた身体の部位では赤と緑の2匹の蛇が激しい闘争を繰り返していた……なんとも不穏な姿が唐突に帝城の上に現れたのである。

 

「ニグレド、あれはゼブルですか?」

 

 丸メガネの最上位悪魔が顔面の皮膚を失った女に問う。

 面倒な手順を踏んでまで情報魔法特化のアルベドの姉に会いに来たのだ。

 彼女の特別な能力を無駄なく使い切る。

 だから予断は挟まない。

 視覚から得た情報も鵜呑みにせず、逐一ニグレドに確認する。

 

「左様です。直前まで確かに監視していた人間でした」

「あれがゼブルですか……ふむ、面白いですね。『人化』のスキルですか?」

「……おそらくは……詳細な情報を探るとなると、対象の攻性防壁への対処も必要になります。その対処で監視そのものを気付かれる可能性もあり、このレベルの相手には仕掛けない方がよろしいでしょう」

「このレベル?」

「はい、アインズ様のものと同等の攻性防壁を展開しています。非常に恐ろしい相手です。私でも気を抜けば強か逆撃を受けるでしょう」

 

 ニグレドは深々と一礼した。

 デミウルゴスは額に手を当て、大きく嘆息した……が、その口角は吊り上がっている。

 

 ……さすがは比類なき知謀の主、アインズ様のいと深きお考えは私などの及ぶところではありませんね。ナザリックの最終目的にとって有用と、セバスの報告書を読んだだけで看破されるとは……「アインズ様と同等」は言い過ぎなのでしょうが……我々と同等の存在ですか……たしかに最高の礼節をもってナザリックに招くべきですね。既に能力の一端は確認しました。人間共への尖兵として、これ以上の存在は考えらません。

 

「……と、なると……」

「と、なると?」

 

 デミウルゴスと話すのは最高レベルに近いニグレドをもってしても難しい。アインズ様や可愛い方の妹などはいちいち確認などせずにデミウルゴスと会話を続けているのを見たことがあるが、ニグレドだけでは唐突に話が飛んでしまったように感じてしまう。だから確認しながらでなければ「何故この段階に事態が至ったのか」が全く見えなくなってしまうのだ。

 ニグレドの問いに第七階層を守護する大悪魔は優しく微笑み、アインズ様の偉大さと神々を軽く凌駕する知謀を語ったが、ニグレドには何故その回答を得たのかも理解できなかった。言っている内容は理解できるし、納得もする。しかしそこに至る過程が全くもって見えないのだ……やはり難しい。

 

「……とにかくプレアデスでは3人でも手に余ると言うことです。アウラとマーレに連絡を……即時撤退です。捕獲した人間の女も治療し、本来劣等種たる人間には与えられないような礼節をもって、最上級の歓待で迎えるように厳命を……アインズ様の御意であると……その女は本命を釣る為の餌です。シャルティアには予定地点Bの方に『転移門』を開くように言ってください」

 

 臨時指揮所となっていた『氷結牢獄』の中が一瞬騒めいた。

 やはり人間などに「最上級の歓待を」と言うと、どうしても反発してしまうらしい。それを無理矢理抑え込む為の「アインズ様の御意」発言ではあるが、デミウルゴスは正確に至高の主の意図を見抜いている……つもりだった。

 

「ゼブルを配下に加え、世界征服の尖兵とする」

 

 その為にはゼブルの配下を厚遇するのは悪い手ではない。心情は別にして、実質的なコストは極めて軽微だ。さらに単に人質としても有効だが、一時的な敵対関係も歓待の実績を持って解消できる可能性がある。加えて為人を知ることもできる。ゼブルの対応によって人質が効果的であると知れれば、彼の配下をさらに拉致して、歓待すれば良いのだ。

 

「脅迫……いや、本人の御招待の手筈も整えなければなりませんね」

 

 絶対者アインズ様の全権委任たるデミウルゴスの号令をもって、彼の指揮下にあるナザリック全勢力は、全能力を「即時撤退」に振り向けた。

 

 

 

 

 

 

 帝都でも最高級とされる宿屋の最上階の特別室のドアの横で、二人組のアダマンタイト級冒険者『漆黒』の一人、『美姫』ナーベことナーベラル・ガンマは控えていた。二本の大剣を抱えたまま、微動だにしない。

 豪華な……いや、ナーベラルからしてみれば粗末なことこの上ない寝台に腰掛けるのは冒険者としての相棒である『漆黒』のモモンこと、絶対支配者アインズ・ウール・ゴウン様である。

 異名通りの漆黒のフルプレートに身を包んだまま寝台に腰掛けている姿は何もしていないように見えるが、フルフェイスの下の頭脳はナーベラルでは想像もできないような速度でフル稼働しているに違いない。

 なにしろ先程から繰り返し「終わった」と呟き続けているのだ。

 きっとナーベラルでは想像もできない速度で物事が処理され続けているに違いない。ナーベラルは無表情ながらも、心情的にはうっとりと至高の支配者たるアインズ様の至高の処理能力に感心していた。

 

「……せっかく……せっかく、ここまで来たのに……」

 

 終わった、と呟き続けて1時間も経過した頃、信じ難いことにアインズ様は嘆かれるような口調で、確かにそう言った……考えるのも不敬なことだが、どうやら何かを失敗したのかもしれない。常日頃、アインズ様から「指示に従うだけでなく、ほんの少しでも良いから考えよ」と言われ続けた成果だが、ナーベラルは「不敬な考えだ」と自省し、大きく頭を振った。

 

「ここまで来て、どうしてこうなった……」

 

 ここまで……とは帝都なのだろうか?

 どうしても、こうなったも、全く理解ができないが……アインズ様の御言葉に従い、よく考えるべきなのだろう。

 

 ここに至る過程……反芻する。

 

 ナーベラルがナーベとして、アインズ様のアンダーカバーである「モモンさーーーん」と明日の訪問先の打ち合わせしていた時である。

 切っ掛けはデミウルゴス様から直接アインズ様に届いた報告だった。

 その直後からアインズ様は繰り返し緑に発光されていた。

 少し遅れてナーベラルにもアルベド様からメッセージが入る。

 曰く、帝都での作戦に従事していたデミウルゴス指揮下のナザリック全勢力は即時撤退に移行した、と。アインズ様とナーベラルの冒険者チーム『漆黒』についてはアインズ様の御判断で独自に動くことは変わりないが、現時点での状況を説明する。

 以下はナザリック総員に向けたものと同内容である。

 帝国を圧迫し、関係者をナザリックに侵入させる侵攻一次作戦Aプランについては順調。

 一次作戦Bプラン(亜人軍による即時帝都侵攻)については明示するに留めたが、その効果は極めて大……皇帝はAプランに否が応でも誘導されることが予測される。

 皇帝との会談の際、アインズ様が招待の意を示された人間の冒険者ゼブルの介入を確認した……『完全不可知化』の使用は確実であり、セバスの報告に記載されていた通り、能力の隠蔽も確実であることが確認された。

 皇帝との会談終了と同時刻、ゼブル配下のティーヌという人間の女戦士とエントマのバックアップで城外に待機していたプレアデスのルプスレギナ及びソリュシャンが交戦状態に突入……人間種としてはかなりの手練れだったがルプスレギナが勝利し、負傷を負わせるに留めたことにも成功する……現在は武装解除し、ソリュシャンが飲み込み、ナザリックへ移送中……移送完了後、完璧な治療を施し、本来ならば人間種などに与えるのが躊躇われるような歓待で迎える予定。

 その後、エントマを追って帝城上空に現れた強大な力を持つ異形種をニグレドによる超長距離監視で確認。ニグレドによればアインズ様と同等の攻性防壁が周辺に探知された。それ以上の接近も探査も極めて危険であるとのこと。

 おそらく異形種によって召喚された複数の羽虫に追い詰められエントマはかなり危険な状態に陥っていたが、アウラと魔獣軍団により救出され、撤退に成功。

 同様にルプスレギナとソリュシャンもかなりの近距離まで異形種に接近されたが、帝都外周に展開されたマーレの魔法により、追跡を振り切ることに成功した。その際、当該異形種の能力の一端としてマーレの魔法により成長速度を加速させた植物を、遥かに凌駕するスピードで腐食、枯死させることも確認。

 最後に異形種はゼブルと推定される。対象は『人化』スキルを習得していることも確認……超望遠ながら真の姿を確認したので映像を送る……各自クリスタル・モニターで確認願う。

 なお、ゼブルはナザリックに誘導し、アインズ様の御意に従い配下に加える予定である。

 ナザリックの絶対支配者たるアインズ様の厳命である故、総員は名と姿を確実に記憶するよう、守護者統括として注意喚起する。

 

 アルベド様の通信から察するに、この内容はアインズ様以外に向けられたものなのは間違いないだろう。守護者統括が至高の御方に注意喚起などするわけがないのだ。つまりアインズ様の御意の徹底といったところが狙いであるに違いあるまい。特に人間の名を覚えるのが苦手であると自覚しているナーベラルにとっては実にありがたい配慮だ。ゼブルがどのような地位や立場でナザリックに迎えられるかは判らないが、本来の職務であるメイドとして失礼があってはならない。

 

 早速、アルベド様に命じられた通り、『水晶の画面』のスクロールを使用し、アインズ様が「ナザリックに招く」と決した者の姿を見た。

 

 人間の冒険者と聞いていたが、たしかに『人化』スキル持ちの異形種で間違いないようだった。それまでナーベラルの心中で騒ついて治らなかった波が引き、穏やかなものに変わる。人間と思っていると覚え難かった「ゼブル」という名もすんなりと脳裏に刻まれた。お姿も麗しいと思う。

 

 それからアインズ様のご様子が……

 

 しかし、それにしても何よりもプレアデスの姉妹全員が無事であったのは実に喜ばしいことだ。

 

 少し微笑みながら、改めてアインズ様を見ると、茫として宙空を眺めていらっしゃるような雰囲気を醸していた……フルプレート着用のままなので御尊顔を拝見できない故に、その真意の所在は判断できなかったが……

 

「……終わった……終わったよな、これは……」

 

 アインズ様は呟き続けた。

 

 この状況をさらに深く考えるべきなのだろうか……アインズ様のお考えを分析するなど不敬にあたるのではないか?

 しかしアインズ様御自身が仰っている以上、状況を考えるのは御意に従うことではないのか?

  

 ナーベラルは決断した。

 そして状況を反芻した結果、延々と続くこれは「何某かの業務終了を示す」御発言ではないと仮定すべきだ、と想定した。

 では何が終わったのか……ナーベラルには想像することも不可能だった。帝都侵攻作戦は始まったばかりである。まだ一次作戦も終わっていない。

 帝都侵攻作戦ではない……それは確実だろう。

 では何か……やはり判らない。

 慣れない思考という作業をさらに続ける。

 その結果として命令に忠実に従う方が遥かに楽だと知った。

 自然と表情が険しくなっていたらしい。

 戦闘メイドとしてはあってはならないことだが、照明から遮られていることにも気付かなかった。

 肩に異変を感じ、ふと前を見る。

 

「……アインズ様っ!……いえ、モモンさーーーーーん」

 

 漆黒のフルプレートが立ち塞がっていた。いつもと様子が違い、言い間違えも訂正されなかった。漆黒のフルプレートに包まれた両手がナーベラルの両肩をしっかりと掴んでいる。真正面に立たされ、ナーベラルはフェイスガードの奥の支配者の真意を推し量りかねた。

 

 重い……圧し潰されそうな沈黙が続く。

 

 気まずい沈黙を破ったのはアインズ様の方が早かった……何事かと問い返すのも不敬ではないか、と不安が募っていたところなのでホッとする。

 

「ナーベラル……いやナーベよ。アダマンタイト級冒険者『漆黒』の『美姫』ナーベに頼みがあるのだ……」

 

 いつになく深刻な声音であり……不敬かも知れぬが……常になく自信が無さそうに感じられる声音であった。

 

 悩み抜いた末……そんな感じではないだろうか?

 

 アインズ様に掴まれたままの肩が少し痛む。

 

「ナーベとして、私を助けてくれ……頼む」

 

 頭を下げるアインズ様。

 その間にも緑色の発光を繰り返していた。

 あまりと言えばあまりな状況にナーベラルは恐慌し、無礼やら不敬やらの考えなど放棄して叫び返す。

 

「頭をお上げください、アインズ様!」

「頼む!……ナーベよ、もはやお前だけが頼りなのだ!」

「おやめください、アインズ様! 命じていただければ……命じていただければ私は従います。いかなる命令……たとえ死を賜っても!」

 

 明滅していた緑色の光が失せた。

 漆黒のフルプレートが大きくのけ反っていた。

 超越者は呼吸などしないだろうが、一呼吸の間を置き、いつもとは程遠いものの辛うじて威厳らしき気配を取り戻している。

 アインズ様がナーベラルに向き直った。

 

「そっ、そうか……では、ナーベとしてのお前に命ずる。冒険者として、何も詮索せずに冒険者ゼブルをここに連れて来て欲しいのだ……理由は言えないが極めて重要な任務だ。他言は無用……誰にも……アルベドにもデミウルゴスにも他の姉妹達にも……他の誰にも絶対に喋ってはいけない。言わば密命だ」

 

 ナーベラルは恭しく一礼するしかなかった。

 他に選択肢などない。

 考えることも放棄した。

 同時にリラックスしていた。

 考えない方が楽なのだ、と痛感していた。

 

「モモンさーーーーーんの命ずるままに」

 

 ナーベラルはモモンの大剣を丁寧に壁に立て掛け、改めて深々と一礼した。

 

「一命に変えましても、必ずや命を果たしてみせます」

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 こいつが……?

 

 憮然とした表情で黒コートの男が皇帝陛下の私的執務室を忙しなく歩き回っていた。男に遠慮する気配は無く、臣民には見せられないような落胆ぶりを執務室の片隅で見せている皇帝ジルクニフよりも、よほど部屋の主人のように振る舞っている。

 秘書官に直接命じ、菓子と飲み物を持ってこさせるだけでなく、礼も無く、勝手に飲み食いしていた。

 臣下として許容できないだけでなく、人として許し難い……が、なんとなく荒れているのだけは理解できた。感情のやり場に困っているというか、イラ立ちを無理矢理捻じ伏せているというか……

 

 帝国四騎士筆頭である『雷光』バウジット・ペシュメルは同僚達から入手していた前評判とあまりに違うゼブルの様子に困惑しながらも、どう話し掛けるタイミングを見計らっていた。

 

 現在、真夜中にもかかわらず帝城内は蜂の巣を突いたような大騒ぎになっている……誰もが正確な状況を把握しないまま、全員が慌てふためき、焦りに焦っているのだ……そして全体を掌握する者はいないも同然だった。

 現在では秘書官達の中で筆頭と目されるロウネ・ヴァミリネンが辛うじて全体が崩壊しない程度に指示を飛ばしている。

 即応可能だった第一軍が総動員された。

 第二軍も臨戦状態を維持したまま総員待機。

 ニンブルとレイナースに加えナザミまで、突如として帝都アーウィンタールのすぐ西側で展開された大規模魔法戦の痕跡の偵察に駆り出されているのが現状だった。さらにフールーダ・パラダインを筆頭とする魔法省の連中まで調査の為の準備に全員が駆け回っているという中では、真夜中に4番目の妻と同衾していた最中に呼び出されたバウジットがジルクニフの護衛をやらねばならなかったのだ。

 

 陛下はフヌケて、何故かバケモノも一緒……さて、どうしたもんかね?

 

 ゼブルは食っては飲み、飲みは食ってを繰り返しながらも、ウロウロと歩き回るのをやめない。当然バウジットの姿を確認してはいるのだろうが、一切無視していた。

 対してジルクニフは呆然と宙を眺めている。

 こんな陛下を見るのは初めての経験だった。バウジットが入室した際に力無く笑い掛けられたのが最後に見せた反応であり、いつもの覇気の塊のような様子は消え失せていた。

 

 ……まあ、だからフォローはねーわな……

 

 改めてゼブルを観察する。

 不躾だが仕方ない。

 元々儀礼的なやりとりは苦手だ……やらなくて良いならば、やらない。

 騎士と名ばかり……ニンブルとは違う。

 路地裏上がりだしなぁ……まあ、こいつも気にするタマじゃねえだろ。

 

 武力では武王を赤子扱いし、魔法ではフールーダを軽く凌駕する、か……

 

 目の前の若僧……イラ立ち全開の優男はとてもバケモノには見えないが、武力に関しては闘技場の実績が示す通りであり、魔法に関しては本来バケモノとされていたフールーダの『生まれながらの異能』を疑う余地など無かった。

 

 文字通り不躾に眺め続けた結果、当然目が合った。

 碧い瞳がバウジットを射抜く……唐突に笑った。

 精緻な微笑みだが、何故か不穏に感じた。

 そしてバウジットは初めて気付いた。

 それまで観察を続けていたのに、だ。

 ゼブルはやたら整った面立ちなのに、美男と言って間違いないそれが全く印象に残らないのだ。ジルクニフを凌ぐような凄まじい美形なのに顔立ちが記憶に残らない。むしろ妙な違和感すら感じてしまう。

 気付けば、その違和感の主が前に立ち、右手を差し出していた。

 

「俺はゼブルと言います……貴方は?」

 

 バウジットは反射的にゼブルの右手を握り返した……渡りに船なのか?

 何故か嫌な感じが消えない……理由は判然としない。

 しかしもう後戻りはできなかった。

 

 ……ままよっ!

 

 本来の目的はゼブルと友誼を結ぶことにあった……そう自分に言い聞かせ、バウジットは会話を始めた。

 

「バウジット・ペシュメル……ガラじゃねえが、帝国四騎士筆頭のらしいぜ」

「そうですか……では、宮廷内で発言権はある方なのかな?」

「発言権はそれなりにはあるだろうよ……でも帝国は皇帝陛下があって、初めて帝国だと思うぜ。陛下に影響を与えられる……かも知れねえ程度……そう思ってもらえば間違いねえかな」

 

 ゼブルの視線が値踏みするように、バウジットを頭頂から爪先まできっちりと舐め回す。

 

「……まあ、いいか……現在、ジルクニフ陛下が追い込まれている状況はご存知ですか?」

 

 追い込まれているのは様子を見れば直ぐに判るが、さすがに手が足りない結果、護衛として深夜に駆り出されたばかりで、前後の事情までは聞いていなかかった。大規模魔法戦……絡んでいるのだろうが、それだけで鮮血帝と呼ばれるジルクニフが茫然自失となるわけがない。だから……判らない。

 要するに過程の情報がキレイにすっ飛んでいるわけだ。

 流されたままの結果として私的執務室を徘徊しているゼブルを発見したわけで、どんな理由で真夜中に陛下とゼブルが一緒に在室しているのかも不明だった。加えてゼブルが我が物顔で皇帝秘書官達を使っている理由に至っては、おそらく生涯理解できないに違いない。

 

 ……ろくでもない理由なのは間違いねぇだろうけど、よ。

 

 バウジットは素直に「知らねえ」と言った。

 

「……知りたいですか? おそらく正確な状況を知るのは、敵以外では俺だけです」

「……敵?」

 

 騎士として「敵」と聞いては黙っていられない。

 しかしゼブルを信頼して良いものか?

 そもそも味方なのか?

 誘うよな物言いも気に入らないが、とにかくゼブルから漠然と感じる違和感が警戒心を呼び起こすのだ。

 

「……何故、秘書官達に告げねえ」

「問われないので……としか答えられません。ここに戻って、初めて正気を保っていそうなバウジットさんが現れたから、確認しています」

 

 ……胡散臭い。

 

 胡散臭いが、ゼブルの言葉には納得せざるえない。

 なにしろ居宅から呼び出されてから皇帝の私的執務室までの道中、すれ違った数々の宮廷関係者や軍関係者の中で真面な精神状態の者を見た記憶がない。全員漏れなく恐慌状態であり、怒鳴り散らしていない者の方が遥かに少なかったのだ。

 

 やはり陛下が陣頭に立てないのが大きいか……

 

 比較的真面な精神状態の者は馬車馬のように仕事や差配に追われ、そうでない者は辛うじて邪魔にならないように精神状態を抑え込み、上の指示を待っているのが現状だろう。

 

 ちくしょうが……こいつが語る内容の虚実を俺が見極めなきゃならねえってことか……どうすりゃ?

 

 陛下の精神防御のマジックアイテム……ネックレスは?

 

 思い当たり、見ればジルクニフはそれを手で弄んでいた。つまり精神防御が正常に働いている状態でアレなのだ……と、なると精神的な再建はまだまだ先と予測された。

 ゼブルがいつまでここにいるか判らない。最悪、バウジットが責務を放棄した瞬間に出て行ってしまうかもしれないのだ。とてもそうは思えないが、好意的に考えれば情報伝達の為に待っていてくれた可能性すらある。そうでなくともフールーダよりも上位の魔法詠唱者とされるヤツの追跡は一介の武辺者でしかないバウジットにはどう考えても不可能だった。

 つまりゼブルの思惑がどの辺りにあろうと、選択肢が無いのだ。

 

「わかった、ゼブル殿……帝国の置かれた状況を教えてくれや」

 

 ゼブルがバウジットに何を期待しているのか?

 陛下に対しての影響力なのは間違いない。

 問題は……それの中身が見えないことだ。

 

 ゼブルは大袈裟な仕草で頷き、歩き去ると、ジルクニフの背後に立った。そして小声で何事かを問い掛ける。

 ジルクニフはバウジットを見て、小さく頷いた。

 

 ……何のつもりだ?

 

「陛下の了解を得ないと拙い内容も含んでいるんでね……」

 

 ゼブルは語った。

 内容が真実かは判断できなかった。

 だが筋は通っていた。

 

 王国の王都リ・エスティーゼでの情報。

 魔皇ヤルダバオト。

 その敵対勢力であろう未踏墳墓。

 魔皇の使者である蟲メイド。

 帝国への要求……フェメール伯爵を使った偽装工作……犠牲の羊であるワーカー達……ワーカー達の背後にゼブル。

 真偽定かなる亜人軍10万による侵攻作戦。

 そして各陣営の利害が衝突した結果……ゼブルの配下の一人が拉致された。

 魔皇陣営と思しき二人のダークエルフ。

 ゼブルの配下を拉致した2人のメイド。

 

 つまり帝国を舞台に超級のバケモノ同士が三つ巴で対立したってことか?

 そしてこいつは配下を拉致され、出し抜かれたことにご立腹だ、と……

 

「中立はあり得ないし、放置もできません。そして……させません。俺が帝国側に立つことを決めた以上、帝国にはいかなる犠牲を払おうとやるべきはやってもらう」

「あんたが帝国側に……」

 

 少し前ならこの上なくありがたい話だったが、今は迷惑にしか感じない。

 

「そうです。帝国の窮状は理解しましたか?」

 

 帝国の窮状……そりゃ、今がそうだろう。

 

 咄嗟にそう思ったが、口に出すのは憚られた。この混乱の最中、無駄な対立や諍いは避けたい。内心はどうであれ、この奇妙にムカつく男は帝国に味方することを表明したのだ。

 

 ならば……この騒動の間だけでも頭痛の種は減らしたい。

 

 陛下なら、そう判断するはずだ。後々を考えても共闘するのは少なくとも悪い話ではないはず……どのみち、どちらに転んでもバケモノの中のバケモノみたいな連中が帝国にちょっかいを出してくるのだ。同等のバケモノの味方は多い方が良いに決まっている。だがどうしても胸を奥で何かが疼く。神の如き人間とはいえ、こいつはあまりに不遜じゃねーのか、と……吐き出すべき思いを飲み込み、バウジットはジルクニフを見た。そこに尊敬すべき皇帝陛下の姿はなく、呆けた美男子が宙空を眺めていた。

 

「あんたが亜人の軍勢を排除するのか?」

 

 国軍全軍を投入しても、野戦じゃ厳しいだろう。

 フールーダの弟子である魔法詠唱者達の次第のところもあるが、正規兵だけでは難しい。まず敵よりも兵数が少ない。そして亜人種と人間じゃ単純に個々のスペックが違う。仮に敵が統率されていなければ善戦も可能だし、地の利を得れば殲滅は無理にしても撃退することは可能かもしれない。

 しかし亜人「軍」なのだ。

 これが極めて厳しい。敵が軍であれば指揮官がいるし、兵であれば統率されている。極論すれば10万の武王ゴ・ギンの軍団に軍師がいるようなものだ。総数と個の能力に勝る軍勢であれば単純に力押しの正攻法で良い。むしろ下手な戦術など不要だ……そして何より敵の将帥は魔皇を名乗るバケモノなのだろう。

 対して帝国は魔法詠唱者ありきの戦術に頼らざる得ない。逆撃を加える為には相当な工夫が必要だ……しかしそれは亜人共に通用したところでバケモノに通用するとは到底考えられない。

 要は「お先真っ暗」と言うヤツである。

 しかしこのバケモノ(=ゼブル)が帝国の戦列に加わるならば……一筋の希望が見えなくもないのだ。

 

「……いや、まだその段階じゃないと思う。俺の配下を殺さずに捕縛した理由があるはずだ。まずは時間稼ぎに罠に嵌る……俺はワーカーとして未踏墳墓とやらに侵入する。魔皇ヤルダバオトの目的が本当に墳墓内のモノであるのならば、おそらく具体的な要求があるはずだ。配下……ティーヌを拐ったのは俺にやらせたいんじゃないないかと疑っているわけだが、真偽は不明だ。そして陛下には連中への対応をお願いしたい。連中が単に墳墓に敵対行動させたいだけならば、このまま突っ込めば解決だ。それで約束通りならば亜人軍の帝都侵攻は無くなるだろう……まあ、信用はできないがな。バウジットさんには陛下のゴ・エ・イを確実にやって欲しい。以上だ」

 

 勝手に方針を言い放つ……しかし帝国に選択肢が無いのも事実だった。

 

 ゼブルはなんらかの手段によってワーカー達の黒幕となっている。よってゼブルがワーカー達を差し出さなければ、フェメール伯爵を前面に押し出した偽装工作が使えなくなってしまう……少なくとも魔皇側と対立する未踏墳墓側に対しては、表面上突っ撥ねることが可能なのだ。明白に帝国の人間が潜り込むのに比べれば、その後の立ち回り方の幅に格段の差がある。加えて墳墓に魔皇側と対立するゼブルを潜り込ませるのは悪手かもしれないが、その責をゼブルは自ら担うと言っているのだろう。

 リスクは自ら背負う。

 そして皇帝への念押し。

 さらにバウジットへの妙な言い回し。

 つまり「ジルクニフの裏切りを監視せよ」と言っているのだ。

 

 ゼブルを墳墓に売る……確かにその選択肢もなくはない。しかし実態の知れない墳墓とゼブルを、冷静に天秤に掛ければ、ゼブルを選ぶしかないのだ。最悪の場合、全てのバケモノ達から帝国は睨まれてしまう。ならばゼブルだけでも味方とするのが、とりあえずは良策ではないか……中立はあり得ない……正しくゼブルの言う通りだった。

 

 バウジットはニヤリと笑った。

 己の肩にバハルス帝国の存亡がのし掛かっているのを、あえて無視した。

 全面的に信用はできないが現状については納得した……それで納得してくれや、という表情を作ったつもりだ。

 

「了解を得た、と考えて良いのかな?」

「まあ、なんだ……俺は俺のやるべきことは心得たぜ。あくまで陛下の判断だが、俺はそれが捻じ曲がらないようにする。これより陛下を全力で警護する。以上だ」

 

 ゼブルはジルクニフを見て、バウジットに向き直った。

 

「では、フェメール伯爵に手配を通達してくれ。集合場所と日時は明け前に帝都の北門で頼む。人選はこちらでやる」

 

 と言い残し、ゼブルは堂々とその場から消えた。

 

「ぐれーたーてれぽーてーしょん?」

 

 なるほど魔法詠唱者の追跡なんざ不可能だ、とバウジットは深く頷いた。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 覚えられていないのは、まあ仕方のないことだろう。

 

 同じ王国の農夫の出自でありながら、片や闘技場で「天才」エルヤー・ウズルスを完封した剣鬼であり、片やチームのマネジメントや統率には自信が持てるようになったものの、武力そのものはあの頃から大して成長もしていない自覚があるのだ。

 

 ステージが違う……あの試合を観た時、そう実感させられた。しかし過去には同じ舞台に立ったこともあったのだ……立っただけではあったが。

 御前試合……ガゼフ・ストロノーフが周辺国に名を馳せた一方、ブレイン・アングラウスも確実に観衆の記憶に名を刻んだあの歴史的なトーナメント……そこでグリンガムは出会っていたのだ。

 準々決勝……対戦相手は若きブレイン・アングラウス。

 とにかく一方的であり、情けないほど手も足も出なかった。

 

 ワーカーチーム『ヘビーマッシャー』のリーダーであるグリンガムはあの頃を思い出しながら、ブレイン・アングラウスの背を見送った……といっても彼等は歌う林檎亭の2階に上がっただけなのだが……今は誰もいない。首領であるゼブルの理解し難い魔法によって、帝都の北門に移動したのだ。

 墳墓に同行したのはゼブルにジットにブレイン・アングラウスのエ・ランテル組に加え、『天武』でなく単身で「クソ野郎」ことエルヤー・ウズルス。バックアッパーとしてやる気満々だった『フォーサイト』の4人だけだった。

 『ヘビーマッシャー』も『竜狩り』も落選したのは悲しいが……ゼブルが武王を赤子扱いした闘技場の試合を観た後では納得はせざる得なかった。単純にあのレベルには程遠いのだ。ヘッケランはまだしもあのエルヤーが虫ケラのような領域では、さすがにグリンガムが踏み込めるものではない自覚はあった。

 しかし不思議なのはティーヌと言う名の女戦士が同行しないことだった。あのブレインが「アレは俺よりも強いぞ」と言う程の腕を持ち、実際に観戦した試合は「空いた口が塞がらない」としか表現しようのないモノだった。そして本人の態度や立ち振る舞いもあるが、どう見てもゼブルの配下の中では腹心と目されていたのに、である。

 

 目の前のテーブルでは『緑葉』パラパトラ・オグリオンが完全に酔い潰れていた。歴戦の勇士もよる年並みには勝てないのか……はたまた今回の仕事から外された憂さ晴らしでもあるのか、ジョッキを飲み干すピッチはかなりのハイペースだったように感じる。老公のチームメイトも同様であり、また全てタダ酒というのもあるのか、漏れなく前後不覚である。

 

 周囲を見れば我がチーム『ヘビーマッシャー』も同じ有様だ。他の有力チームも同じようなもの……やはりワーカーを生業としている者達の出自はほとんど下層であり、タダ酒には極めて弱い。グリンガムにしても妙に「他者にナメられてはいけない」と意識しなければ同じような状態になっていただろう。そういう意味では仕事中の悪癖が年々抜けなくなってきていた。

 

 汝やら我やら……時折、オフで仲間内だけの時にも自分が使っていることに気付くと、少しゾッとする。

 

 周囲のほぼ全てが酔い潰れている中、グリンガムはぼんやりと入口を眺めていた。なんとなく酩酊手前の意識がただそちらの方向に向いていただけと言えば良いのかもしれない。

 

 月明かりが薄れ、明けの気配が徐々に強まっていた。

 気付けば、その女が入口扉のこちら側に立っていた。

 酩酊寸前だった意識が現実に引き戻される。

 恐ろしい勢いで感覚が冷えていった。

 朧げだった視界が明確な輪郭を取り戻す。

 知らない女だ……美女……一度でも見掛ければ忘れることはないだろう。そういうレベルの美しさだった。顔立ちの整い方だけでなく、パーツの配置も個々のパーツそのものも完璧だ。情欲の対象でなく、鑑賞すべき美……そんな女が明け方の泥酔ワーカーの吹き溜りに何の用か?

 誰も気付かない。

 いびきや寝言だけが耳をつく。

 そもそもの疑問として……いつ入った?

 酔い覚ましにただ漠然と眺めていただけとは言え、それなりに腕利きのワーカーと自負するグリンガムの視線を掻い潜って、である。

 

 女がこちらを向く。

 美しい顔立ちに対して、やたらと地味な装束だった。

 冒険者…………アダマンタイト!?

 確かに女の胸元にはアダマンタイトのプレートがあった。

 

 漣八連……いや、見覚えがない。

 銀糸鳥……なわけがない。

 

 ワーカーという仕事柄、強者の情報には常時気を配っているつもりだが、ここまで顔立ちだけで印象に残る美女であれば、たとえアダマンタイト級でなくとも覚えているはずだが、少なくとも帝都のオリハルコン以下の冒険者でこんな美女は知らない。直近で昇格したということもないだろう。

 

 では、王国の冒険者か?

 

 王国のアダマンタイトと言えば『朱の雫』に『青の薔薇』だ……それに最近エ・ランテルでアダマンタイトに昇格した『漆黒』という男女2人組チームもいるが、漠然とした情報しか把握していなかった。

 青の薔薇……王国時代から、これまでのワーカーとしての活動を通して接点は無かったが、女性だけで構成された5人組チームだ。内、顔立ちの情報があるのは4人……さらに一般的に美女と言われているのが3人。

 漆黒の1人も相当な美女と評判だ……通り名もそのまま『美姫』と言った。

 

 可能性としては青薔薇の3人と漆黒の美姫が候補として濃厚……

 

 考察する間にも進み続けた女はテーブルを挟んで向かい側に立っていた。

 向かい合い、明確に視線が絡む。

 空気が急速に冷える。

 酒は抜けていないが、脳は完全に覚醒していた。

 女の視線は完全に蔑んでいるように感じる。

 

「話しなさい……冒険者ゼブルはどこですか?」

「汝は青の薔薇か?」

「なんじ? アオノバラ?……フンコロガシの考えることは全く理解できませんね……そんなことはどうでもいい。質問しているのはこちらです。直ぐに答えなさい」

 

 女の口振りから察すれば「漆黒の美姫」の線が濃厚と容易に判断できる。

 

 ……に、してもフンコロガシ?

 

 確かに仕事中は甲虫の王を意識した甲冑を着用しているが、あそこまで明確な主張を間違われるとは思わなかった。

 

「そこはカブトムシと言って欲しいところだが……」

「黙れ、マイマイカブリ……耳の穴の通りを、そこのアイスピックで良くしますよ。余計な発言をせずに素直に答えなさい。さあ、冒険者ゼブルはどこに行ったのですか?……ここで酒宴を開いているいう情報を得るまでにかなり無駄な時間を費やしてしまったのです。私は急いでいます。だから直ぐに答えなさい」

 

 美女は苦々しく吐き捨てながらも、口調そのものは明瞭かつ平坦だった。

 しかし……まあ、この調子で訪ね歩いたら揉めるかもしれない。

 そうでなくとも彼女の美しさに、ダメ元で言い寄る若い男達も多そうだ。

 グリンガムも男が枯れたわけではないが、ここまで美しい女性だと鑑賞専用だと割り切ってしまう。チャレンジするにはほろ苦い経験が多過ぎた。

 ……にしても口が悪い……しかし何故か憎めなかった。初対面と考えたら無礼千万な物言いだが、なんとなく許せてしまう。どうしても口ほどに性悪とは思えない……そう、自然なのだ……この女は罵倒するのが似合い過ぎる。

 

 話しても良いかもしない……そう思うが、どうしてもゼブルの情報管理に関する命令が邪魔をする。

 

 現時点で帝都のワーカーや裏稼業の連中や武の力で食い凌ぐ者達でゼブルの事を知らない者はいないだろう。なにしろ武王ゴ・ギンを赤子扱いで圧倒したのだ。これ以上ないような大胆なことをやらかしたのに、実際のゼブルは神経質に思えるぐらい些細な情報も隠蔽したがるのだ。あれだけの巨大な力の持ち主であれば、もっと力を誇示しても良いような気がするが……

 

 グリンガムはしばらく考え、折衷案を提示した。

 

「……所在というか、目的地は知っている。しかしゼブル殿の許可無く、明かすことは許されない。だから汝の名を伝えてみよう……伝のある『伝言』の魔法を使う魔法詠唱者に頼んでみてもいい……もちろん費用はそちらで持ってもらうが……いかがかな?」

 

 こちらの事情を踏まえ、女の要求を通す為の最大限の譲歩。

 依頼人と交渉する際の真剣な表情も加える。

 これで無理ならば決断せねばならない……

 

 スッと何かが煌く。

 喉元が冷えた。

 気付けば美女は抜剣し、その切先はグリンガムの喉元に当てられていた。

 いかにアダマンタイトとはいえ、グリンガムは全く反応できなかった。

 反射的に視線が上がる。

 女が見下ろしていた。

 冷たく笑っている。

 美しく、そして怖かった。

 この女と会話を始めてから初めて怖いと感じた。

 

 何の痛痒も感じず、この女は刺す……そう痛感させられた。

 

「このゴミムシダマシが……こちらが大人しくしている内に答えなさい。耳が不要であれば耳を、喉が不要であれば喉を抉りますよ」

 

 息を飲む。

 口の中がカラカラだった。

 目の前に酒のグラスはあるが、僅かな身動きすらできない。

 

 本気なのだ……これは拙いな……

 

 ゼブルからの2つの指示が脳内でグルグル回っていた。

 

「秘密を漏らすな」

「見知らぬ強そうなヤツと敵対するな」

 

 どうすれば良い……ジリジリと何かが蠢く。

 

 この場ではどちらか一方を守るともう片方が破綻する。

 女を見る。

 相変わらず涼しげな印象だが、どことなく焦れていた。

 グッと切先が喉に当たる。

 通っと何かが皮膚の上を滑り落ちた。

 

 グリンガムは決心した。

 

 死……後はゼブルと仲間が上手くやってくれる事を祈る。

 

「ゼブル殿はトブ……」

 

 実行は極めて簡単……事実を話せば良い。

 

 ぐらりと視界が揺れた。

 

 テーブルに血痕が見えた。

 

 刺されたのかも……?

 

 可能ならば五体は繋がってままが良い……特に理由は無いが。

 

 慌てて喉に手を当てる。同時に視野が赤黒く染まる。

 

 後は……頼む。

 

 派手な音が響く。

 陶器の砕ける音。

 何がが落下する音。

 そして悲鳴。

 

 テーブルの裏越しにチラリと見えた女の冷たい表情に初めて狼狽の色が浮いていた。

 自身の耳、目、鼻、口から溢れ出た血溜まりの中でグリンガムが見た、それが最期の光景だった……奇妙な満足感に満たされつつ、そのまま闇に意識が同化する。

 

 悲鳴と怒声が飛び交い、大混乱する店内から女は走り去った。

 

 後を追うように飛び去った蠅は、女と逆方向……北へ向かった。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 柔らかな覚醒だった。

 微睡んでいる、と自覚していた。

 心地の良い肌触りが全身を包み込んでいたる。

 ゆっくりと意識が這い上がってくる。表面に近づくにつれ、そのスピードが加速する。 

 2度、瞬きを繰り返す。

 

 ……眠い……

 

 戦士失格だ……と自省する。

 

 そもそもこんなに深い眠りはいつ以来だろう?

 

 自問しながら右手を胸に当てた……薄絹?……無い?

 

 喪失感が一気に覚醒を促し、ティーヌは飛び起きた。

 そのまま寝台の横に着地し、慌てて周囲を確認する。

 

 ……部屋? 

 

 それもとんでもなく豪華な部屋だった。有り体に言えば「これまで見たことがない」レベルの突き抜けた豪華さだった。

 質素と献身を至上とする法国では考えられない。

 王国ではヒルマの居館が最高レベルだと思っていたが、ここと比較すればバラックも同然だった。王城や帝城の内部までは知らないが、もしここと同等であれば、革命が必要だと感じる。国家の威信云々ではなく、単純に無駄と断罪されても文句は言えまい。ここまでの豪華さは王侯貴族にも不必要だ。

 

 ……どこ?

 

 部屋の奥にティーヌの武装一式が安置されていた。ゼブルから下賜された武器防具は一目でしょうしつと理解させられる黒い光沢を放つ布の上に丁寧に置かれ、多種多様なアクセサリーの類や消耗品の一つ一つに至るまで同じ布が敷かれた小振りのテーブルに綺麗に並べられていた。

 

 ひとまずホッと息を吐く……あれらを失くしたら、自死するしかない。

 

 部屋の中を改めて見回す。右手に姿見があり、自分が上等ではあるものの、身体の線がハッキリと透けるような薄絹の衣ひとつで寝かされていたことが確認できた。

 

 途端、記憶がフラッシュバックした。

 意識が飛ぶ前までが思い返される。

 敗北だった。

 そして捕縛された……苦い。

 立てなくなった切っ掛け。

 右脚……確実に骨折していたはず……だが綺麗に治療されていた。治癒のポーションなのか魔法なのかまでは不明だが、不都合は感じない。

 

 軽くジャンプし、さらに歩き、そのまま戦闘時のように踏み込んでみる……それ以外にも身体の具合を確認したが、全く問題は感じない……むしろ極めて調子が良い。絶好調と言っても過言ではない。

 

 ……どーゆーこと?

 

 あの赤髪……ルプスレギナに敗北し、拉致されたのは間違いない。

 そして武装解除されたが、装備一式は奪われなかった。

 折れた右大腿部も治療された。

 その上、監禁(?)された先が文字通り「想像を絶する」豪華な部屋。

 

 ……なんで?

 

 理由は想像もつかないが、とにかくティーヌ自身を生かしておくことに意味があるのは間違いなさそうだ。

 このままでは……魔皇とかいうヤツに利用され、ゼブルに不利益をもたらすわけにはいかない。

 

 とにかく、逃げないと……

 

 そう決心し、装備の元へと駆け寄ろうとした瞬間、

 

「お食事の準備ができたっすよ、ティーちゃん!」

 

 背後から底抜けに明るい声がした。

 慌てて振り返ると、ルプスレギナがそれは楽しそうに笑っている。

 

「なっ……なん……」

 

 問おうとして、ルプスレギナが気配ごと姿を消せる事実を思い出した。

 それにしても人懐こい……のか?

 

「いやー、良い顔するっすね……お気に入りランキング急上昇っす」

「……ルプスレギナ……」

「あの武装無しじゃ、私を出し抜くのは難しいっすね……諦めて、楽しく食事をするっすよ」

 

 ……楽しく……食事ぃ?

 

 どうにもしっくりこないティーヌの思いを無視して、ルプスレギナはさらに説明を続けた。

 

「基本的に許可を得ないとティーちゃんはこの部屋からは出られないっす。でも私とソーちゃんで完璧にお世話するっす……なので心配無用っすね。後でデミウルゴス様がいらっしゃるっす。詳しい説明があると思うっす」

「許可?」

「許可制っす……入浴、トイレなどなどっすね。それ以外はデミウルゴス様に確認してみる事をお勧めするっすよ」

 

 その際に逃げる隙は生じるか?……厳しいとは思うが、最低でもここの生活導線は確認できるかもしれない。脱出の際は極めて重要な情報になる。

 

「……ここは?」

「私達の拠点で、地下っす……それ以上の説明は許されてないっす」

「じゃあ、デミウルゴス様って?」

「それはご本人に聞けば良いと思うっすね」

 

 結局、ルプスレギナからの収穫は「ここが地下」というだけだった。それすら真実かは判断できなかったが、何もないよりは遥かマシだろう……脱出の際はひたすら上に進むだけだ。

 

 ドアが開き、食欲をそそる香りが室内に充満する。

 ソーちゃんがワゴンを運び込む。

 ドアの向こうに何人か存在しているのは気配で判るが、姿を確認することはかなわなかった。

 

 グゥと腹の虫が鳴く。

 

 まずは腹ごしらえ……そう割り切って、一つ一つが一財産に違いないような凄まじい食器の並べられたテーブルの席に向かい、ルプスレギナが引いた椅子に座る。

 

 それからは至福の時間だった。

 

 料理の一つ一つに様々な説明があったが、正直なところ何一つ記憶に無い。

 

 美味い……ただそれだけだった。堪能などいう生易しいものではない。食事に没入させられたことなど、人生において初めての経験だ。慣習として腹を満たすことなどあり得なかったのに……前菜からデザートに至るまで、無言で食べ続けた。ひたすら美味く、とにかく止められなかった。

 

 空になった皿が運び出され、食後のコーヒーが差し出される。

 それすらもほぼ二口で飲み干す。

 

「……私が言うのもおかしいけど……人を堕落させる味だわ、これ」

 

 空のカップを見つめ、感慨に浸るティーヌの前で気配が入れ替わる。

 

「ご満足していただき、何より……料理長も喜ぶでしょう」

 

 見上げるとソーちゃんの姿は無く、ルプスレギナの姿も消えていた。

 

 代わりに立っていたのは南方由来のスーツ姿に丸メガネの男……男?

 尻尾があった。

 人ではない。では……?

 視認した途端、爆発的に存在感が増す。

 圧倒された。

 普段のゼブル以上……『番外席次』並み……つまり破滅の竜王を滅ぼした時のゼブルと同等ぐらいか?

 

 おそらくデミウルゴス……こいつも「ぷれいやー」なのか?

 

 いずれにしても理解を超越した存在だった。

 

 コレから逃げ切る……果たして可能なのか?

 

 その穏やかな笑顔をティーヌは見上げ続けることしかできなかった。

 




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