死の王と蠅の王   作:マイクロブタ

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1週間って早いですね。


18話 救う者と救われる者

 

「どう思う?」

 

 あまりに美味しい話だった。

 『黒鱗の竜王』もしくは「真にして偽りの竜王」と呼ばれる少女は隣に控える宰相に意見を求めた。

 濃密な会談だったが、いつものような疲れはない。むしろ高揚している。セラブレイトと面談するときのような嫌気も感じなかった。

 そして、この上なく酒が旨い。

 少女は品無く並々と酒が注がれたグラスを一気に飲み干した。

 

「戦費の借款……戦力の提供……条件によっては返済も不要……まあ、美味しすぎる話ではございますが、彼等の背後に控えていた『青の薔薇』は高名な王国のアダマンタイト級冒険者チームなのは確かでございます」

「……その『青の薔薇』が自分達よりも戦力的に上回ると紹介する銅級冒険者チーム……チーム名は無いらしいが確かに装備は凄まじかったな……お試し期間有りで、持参金付き、かつ場合によっては無報酬……そしてビックリするような美男子で、何よりもロリコンじゃないのが素晴らしい」

 

 機嫌良く少女が2杯目の酒杯を満たそうとするのを宰相は酒瓶をがっちり掴むことで諫めた。法国基準では竜王であるが、その血は8分の1しか持ち合わせていなかった。故に少女は一般人と同等の力しか持ち合わせていない。

 グッと宰相を睨み、その鉄面皮が崩れないのを確認するとフーッと息を吐いた。不思議と怒りは湧き上がらず、どうしてもニヤついてしまう。

 少女の視線の先……ローテーブルには積み上げられた100個の皮袋……白金貨で1万枚が眼前に転がっていた。しかも必要であればこれの10倍までは即日で用意すると言う。時間の猶予をもらえれば100倍まで……それ以上の話は一度持ち帰ると言っていたが、それでも断るわけではなさそうだった。

 

「……決めるのは、彼等の言う、お試し期間後でよろしいでしょう」

「そうは言うが、正式契約してしまった方が逃げられる心配はないと思うぞ。戦力は戦果を見るまで当てにならんが、この金は本物だ。真っ暗すぎたお先に白金貨の輝きが見えた!」

「しかし、これだけの好条件……裏は当然有ると思った方が良いでしょう」

「裏とは言うが、条件は提示されておるではないか?」

「そのさらに裏です」

「何だと言うのだ?」

「領土を売り渡すようなものです……少しは警戒してください」

「だがビーストマンの国と接しなくなるのだ。反対する要素など無いぞ」

「ですが、広大過ぎます……領土の南半分です。それに先方が防衛を担当するとは一言もありません」

 

 宰相は一枚の羊皮紙を突き付けた。

 やたらと目立つ法服を着たオカッパ頭が、話し合いの中で提示された様々な条件を書き付け、一枚にまとめたものだ。

 

「もはや死の荒野だろう……何を躊躇する?」

「では、連中はなんでそんな場所の権利を欲しがるのですか?」

「…………わからん」

「それにこの金も、仮に連中がビーストマン共を国内から本当に駆逐してしまった場合、我が国はこの内容と同条件では一銭も手に入れることは出来ないのです。戦後から融資開始の場合は条件再設定としっかりと記入されています。しかし設定された領土の恒久的最優先使用権については修正しない旨も記入されてございますな」

「それでもビーストマン共がいなくなれば、我が国は……国民は救われるぞ」

「その代価として、国土の南半分に実質的な治外法権を認めるのですか?」

「最も優先されるべきは国民の命だ……領土についても連中に最優先の使用権を認めるのみ。後はせいぜい竜王国内での恒久的な無税通行権と商業権の恒久的な保証程度だろう。どちらも現状では無きに等しいのだ。くれてやればよかろう……国家としては致命傷となる自治権を与える必要も無ければ、様子がおかしければ取り締まれる警察権も我が国が保有したままだ」

「その最優先使用権が曲者なのです。警察権にしてもビーストマンを追い払える者達相手では失ったも同然です……だから彼等の実力がこちらの想定以上だった場合、普通に雇うのがよろしいと申し上げているのです」

「肝心の金が無いではないか?……宰相が自腹を切ってくれるのか?」

「切れる自腹がございません……ビーストマンの侵攻が始まってから歳費が8割カット……この3ヶ月程は一銭もいただいておりませんが?」

 

 辛過ぎる事実を容赦なく開示する宰相に、少女は返す言葉を吐き出せなかった……宰相の冷え切った笑顔を見詰める。

 

「首都に国民を集め、防衛に徹し、敵の兵糧が尽きるのを待つ……作戦としては正しいのでしょうが、こちらの財政問題や食料問題がもはや耐えきれないところまで来ております。経済が止まり、税率を戦時税率からどんなに引き上げても税収は加速度を増して減る一方。だからこの融資の話そのものは即受けるべきですが……返済免除の条件はどうにも胡散臭いと思われます」

「しかしなぁ……実際問題、遥々王国の王都くんだりからやって来たあの連中の歓迎すらできんのだぞ……では、この話は無かったことに……などと言われたら、それこそ泣いてしまうわ!」

「年利15%で返済開始はビーストマンを撤退もしくは殲滅させた翌月まで据え置き……我が国の窮状及び財政状況を考慮すれば、これだけでも十二分に好条件でしょう。普通に考えて、今の竜王国に金を貸すのは、金を溝に投げ捨てるのに等しい行為ですからな。しかも仮に我が国から本当にビーストマン共の駆逐させることが達成された場合、法国への寄進を3分の1以下に減額と、軍事費の大幅削減と、徹底した財政的緊縮で捻出可能と思われる金額です。10年もあれば完済可能……欲張らず最低限の額ならば、計算上ギリギリですが、現時点でも現実的ラインは保たれてございます。現状以上に増税する必要もございません。まあ、国民には完済まで戦時税率で我慢してもらう必要がございますが……経済が動き出せば痛みも多少は和らぐかと。痛みはかなり厳しいものですが、それでも彼等を単なる金貸し兼冒険者と考えた方が無難と申し上げます。あくまで担保として領土内で好き勝手やられる期間は期限があった方が望ましく、そしてそれは短ければ短い方が無難でございましょう」

 

 暗く重い現実が、白金色に輝いていた少女の頭脳を蹴り上げた……宰相は美味し過ぎる部分だけを捨てろ、と言っているのだ。普通に利用し、相応の対価を支払う。であれば冒険者ゼブルの話は尋常でない篤志家の話となんら変わらない……そんな存在がいれば、であるが……少しは相手の思惑に乗ってやらねば逃げられてしまうのではないか……そう滅亡寸前の国家の君主としては考えてしまうのだ。

 要するに冒険者ゼブルの立場としては、竜王国の南半分がどうしても欲しければ「竜王国が滅ぶに任せ、一切助力しない」という選択肢も間違いなくあるのだ。むしろビーストマン共を煽り、竜王国の滅亡を助長するという悪辣な手段さえ想像してしまう。彼等の保有する戦闘能力が口ほどのものであれば竜王国の滅亡を待って、ビーストマン共を駆逐すれば良いのである。

 宰相の言う「無難」は果たして「本当に無難」なのだろうか……どうしても不安を感じてしまう。

 

 少女は考え込み、そのまま酒杯に残っていた酒を飲み干した。

 軍事的な優勢がいかに大切か……実質的な集団自殺に等しい最終手段を想像し、顔を覆い……やがて顔を上げた。

 

 ……やはり、どうしても金が必要だ……

 

 その明快な結論に至る。

 金さえあれば……

 軍事費を増額して、長期的に国軍の増強も可能だ。

 オプティクスの『豪炎紅蓮』をフルで雇う事もできる。

 法国にもっと寄進できれば漆黒聖典の招聘すら可能かもしれない。

 何より、ねっとりとした視線が気持ち悪いことこの上無い『クリスタル・ティア』のセラブレイトをこれ以上重用しなくても済む……これまで以上に無理を要求して、金銭的な負担無しに期待できるのが彼のみという、少女にとってはこの上なく気が滅入る現実が重くのし掛かる……あのロリコン野郎の欲望を満たしてやるなど……想像するだけで鳥肌が立った。

 

 さて、少し話を逸らさないと……

 

「金と言えば……寄進……そう言えば法国は何故助けに来ない?」

「さて、とんと分かりかねますな」

「漆黒聖典とは言わんが陽光聖典ぐらいは派遣してくれても良さそうなものだが……例年通りの寄進はしたのだろう?……まさか切られたのか?」

「……それこそ自国防衛を他国に委ねていた罰ですな……非常に悲しいことですが、そうでないとは言い切れません」

 

 やはり金だ……目の前の白金貨の山こそが事態の打開を可能にする……

 

 女王とはいえ、帳簿上でしか見たこともないような金額が現金として目の前に積まれているのだ……事実上、ビーストマンの国が滅びない限り再利用できない土地の権利などで手に入れることが可能……長年補佐してもらった宰相には悪いが、将来よりも目の前……少女は密かに、そして強く決意を固めた。

 

「帝国に救援要請の使者を送るのはどうだ?……うちの後は帝国……現状はうちとカッツェ平野と防壁が2枚だが、1枚減るのは帝国としても痛いのではないか?」

「もう1枚が食人の亜人相手では強力過ぎるとは思いますが……それよりも例年通りでしたらそろそろ恒例の嫌がらせの時期でございますな……其方で忙しい状況でしょうが、全くの無駄にはなりますまい。法国に援軍要請すると同時に帝国にも使者を送ってみましょう。しかし王国も分かっていて対応できないのですから……まあ、分かっていて対応できないのは我が国も同じでございますが」

「対応できないと言うが、今回のビーストマン共の侵攻はいつもと違うぞ」

「我が国の財政では現状以上の軍事費増額は不可能……即効性のない軍事費の圧迫で財政破綻し、その為に国が滅びますな……であるがこその法国への寄進なのですから、念入りに援軍要請してみましょう」

「うむ、頼んだ!」

 

 少女の声音に宰相の冷ややかな視線が突き刺さる。

 

「激励の手紙……各所に50通はいけそうですね。その形態に相応しい筆跡と内容でお願いします」

「形態言うな!」

「これは失礼しました、陛下」

 

 お互いにやるべき事を定め、仕事に取り掛かる。

 普段は手紙を書く際には酒を所望するところだが、今日はしない。

 

 明日の為……国民の為……滅びぬ為……

 

 少女は女王として独断専行を決意していた。

 

 

 

 

 

 

**********************

 

 

 

 

 

 

 漆黒の剣が一振りされる度に理不尽としか思えない数のビーストマンが千切れ飛んだ。

 ブレイン・アングラウスの刃は一刀一殺を誇り、確実にビーストマンの首塚を築いていた。

 エルヤー・ウズルスは飛ぶ斬撃でビーストマンを断ち割り、魚の開きのような死骸がそこらじゅうに転がっていた。

 そしてジットが魔法を発動させる度に不死の兵士が立ち上がり、それまでの仲間に襲い掛かっていた。

 

 血と死が幾重にも大地を覆い尽くす。

 

 4対3000が100対2000ほどに……やがて150対1500ほどになった頃にはビーストマン達の認識に変化が生じていた。

 ポツリポツリと戦場……いや食堂から処刑場へと変化した荒野からビーストマン達が逃げ出し始めた。

 やがてそれは敗走となり、戦意の喪失が全体に伝播した。

 一度崩れ始めたら、秩序の維持は難しく、戦線は瞬く間に完全崩壊した。

 

 舐め切っていた人間……体躯も小さく、力も弱い。

 ごく稀に強い個体もいるが、圧倒的多数は単なる生き餌だ。

 しかし目の前のこいつらは……理不尽だった。

 人間の姿をした死神……死んだ仲間の骸すら許してはもらえないのだ。

 

 いったい何なのか?

 

 無茶苦茶な敗走から秩序を保った撤退に……必死に努力する幾人かのビーストマンを狙い撃ちし、黒衣の人間が彼等の右脚を切断して回った。

 倒れ伏したビーストマン達をかつてのビーストマンの同胞が一ヶ所に引き摺っていく。

 

 絶叫と絶望が処刑場を覆い尽くす。

 

 集められたビーストマンの男も女も老も若きも冷たく睥睨する黒衣の人間を見て、震え、絶望した。

 

「……お前達に仕事を与える」

 

 青髪の人間が捕えたであろう五体満足なビーストマンの青年を、切れ長の目の人間の前に蹴り転がした。

 震え、土下座し、壮絶な命乞いするビーストマン青年の右耳を切れ長の目の人間が一刀で斬り飛ばす。返す刀で左耳も断切された。

 

「繰り返す……お前達に仕事を与える……代表者は前に出ろ」

 

 青年の絶叫を無視して、黒衣の人間が言った。

 その言葉を聞き終えると同時に、青年の絶叫も終わった。

 まだまだ将来があっただろう青年の首が転がっていた。

 

 普段ならば同胞の死には復讐を誓う。

 餌でしかない人間相手ならば確実に食ってやるだろう。

 しかし誰もがその餌に怯えていた。もう少しだけ命が長らえることになった自身の幸運に感謝しつつ、誰も言葉を吐けなかった。

 

 もしあの哀れな青年のように前に引き摺り出されたら……

 

 壊走を撤退に立て直そうと目立った結果、この濃密な地獄にいるのだ。

 誰もが目立つことを忌避していた。

 しかしそのことによって、ビーストマン達は刻一刻と血液を失っていた。

 沈黙が続く間に一人また一人と倒れ伏し、絶命していく。

 その度に派手な衣装を着た魔法詠唱者が呪文を唱え、絶命した仲間はアンデッドと化していった。

 

 圧倒的な恐怖……時間も無く、死後の尊厳すらない。

 

 ビーストマン達の視線が一際大きな体躯の、獅子のような立派な鬣を誇るビーストマンに集まった。彼等の部族長の息子……次期族長であった。狩場に同道していない子供や老人を含めれば総勢15000を誇る「東の獅子の部族」の現族長の長子であるが、失血で虫の息であり、普段の雄々しさは完全に失われていた。

 黒衣の人間は無造作に次期族長の鬣を掴み上げる。頭部だけで黒衣の人間の4分の1以上の大きさはある。しかし彼は自力で立ち上がることも難しいようで意志の光を失った眼球だけが、グルリと上に向くにとどまった。

 黒衣の人間はなにやら魔法を行使する。

 瞬く間に次期族長の右脚が生えた。

 次期族長の表情に生気が戻る。

 そして黒衣の人間は自身の倍近い身長はあろうかという次期族長の鬣をさらに掴み上げ、無理矢理立ち上がらせた。

 

「おい……仕事を与える、と言ったんだ」

 

 黒衣の人間は次期族長の右腕を斬り飛ばした。

 次期族長は呆然と失った腕を見て………絶叫した。

 そして明確な怯えが表情に浮かび、一歩後退する。

 

 黒衣の人間は全くの無表情だった。

 そこには殺意も愉悦も無い……単なる無。

 狩る者でも虐げる者でもなく、作業する者だった。

 

 弱っているとはいえ、周囲のビーストマンの誰も黒衣の人間の抜剣を視認できず、圧倒的な恐怖すら忘れ、息を飲んでいた。

 

「次は無いぞ」

 

 再度見えない抜剣で左腕が吹き飛んだ。

 

 一際大きな絶叫が響く。

 そして静寂……恐怖……やがて絶望……次期族長の心は完全に折れた。

 

 餌では無い人間。

 抗えない人間。

 恐ろしい人間。

 圧倒的な格差を自覚せざるえない能力……だが真に恐ろしいのは違う。

 何よりも人間の表情にいかなる感情も浮かばないことだ。

 自尊心などどうでもいい……黒衣の人間に感情の乗らない視線で見詰められるのがとにかく恐ろしいのだ。

 

 プライドの堤防は決壊した。

 涙が止まらない。

 吐き気も、行動も……もう自分ではどうにもできなかった。

 

 跪き、命乞いし、絶対の忠誠を誓う……最後に仰向けに寝転り、腹を見せ、首を捻ると、ありえないことに人間の靴の爪先を舐めた。

 

 次期族長は安らぎを得た。

 それは摂理と悟った。

 世界のピラミッドだ。

 黒衣の人間と自分……そこにはビーストマンと餌である人間以上の隔絶した差があった。世界の頂点と地を這うムシケラ……自身がムシケラと認めてしまえば、心は安寧に満たされた。

 

 「東の獅子の部族」の僅かな生き残りは、獅子にもかかわらず、獅子身中の虫となった。

 

 

 

 

 

 

 

 効率良く前衛の敵を排除し、あわよくば指揮系統を撃滅する。

 

 自分達『青の薔薇』より個々ははるかに弱いとはいえ、数の差はやはり脅威だったが、なんとか上手く状況は推移していた……が、隣の戦場で獅子のような鬣を持つ部族と対峙するゼブル一党の戦況を覗き見るまでの余裕はなく、自分達の持ち場である前線を死守する為に全力を投入せざるえなかった。

 

 ティアとティナが全体を撹乱し、ガガーランとリーダーが前衛を撃滅する。

 イビルアイは継戦を考慮し、『飛行』で戦場を舞い飛びながら、『水晶の短刀』で効率良く指揮官らしき豹頭のビーストマンの急所を狙い撃ちしていた。

 指揮官の命だけは確実に奪う。

 地味で堅実な戦術だ。

 しかし確実に戦況を掌握しつつあった。

 徐々に敵の戦意は低下し、やがて敵の戦線は崩壊に至った。

 敗走するビーストマンがチラホラ見え始める。

 戦列は機能を失い、場当たり的な混乱が目立ち始めた。

 

 そして魔法の武具と派手な羽飾りを身につけた豹頭のビーストマンの頭部をイビルアイの放った『水晶騎士槍』が吹き飛ばす。

 

 決定打だった。

 

 全面的な敗走が始まった。

 追撃はチームメイトに任せれば良い。

 

 イビルアイは『飛行』を解除し、城壁の前に降り立ち、深呼吸した。

 

 開戦以来初めてできた余裕だった……もはや心配無用だろう。

 

 そしてゼブル達の戦場に目を向ける。

 静かなものだ……既に戦局は決していた。

 城壁の上を見れば竜王国軍の兵士達が歓喜の声を上げていた。

 『青の薔薇』の持ち場の勝利をもって、全面勝利が確定するようだ。

 既に優勢は覆せないところにある……時間の問題だろう。

 

 僅かに緊張が緩む。

 否応無しに思考が巡り始めた。

 

 何でこんな事態に陥ってしまったのか?

 

 正に「気付いたら」という状態だった。

 最初にガガーランとラキュースが陥落した。

 次いでティアとティナが……もう後戻りはできなくなっていた。

 

 食料……イビルアイが警戒できない類の罠だった。

 

 やはり行き当たりばったりで行動するものではない、と切実に思う。

 

 疲労と空腹ならば我慢もできよう。

 元々長期の遠征など考慮もしていなかった。

 ゴブリン部族連合の撃滅程度の依頼で、殲滅対象の位置情報があれば、単独でも往復の移動分+1週間程度の糧食しか用意しない。それでもかなり余裕があると感じるほどだ。

 今回はバックアップにミスリル級2チームに白金級2チームを組合が用意してくれた為、糧食そのものは大量に用意してあったのだが、運搬は白金級チームに任せていた為、自分達で携行している分は各自2日分程度だった。

 そこにゼブル一党が現れ、心情的に追跡する以外に選択肢の無い状況が生み出された……選択そのものは全くの感情任せではあったが、ある情報から辿り着いた推測から、発見した以上ゼブルについては無視できない状況でもあったことも大きい。

 

 それでも迂闊なのは間違いなかったが……

 

 エ・ランテルで思い知らされた『漆黒』との実力差。

 王都で見事に出し抜かれたゼブル一党への意趣返し。

 王都の冒険者達の窮状。

 収集した情報と、そこから導かれた推測。

 帝都でなく、王国の辺境にいたゼブル。

 様々な要素がラキュース以外の『青の薔薇』を突き動かしたのだ。

 だから残り少ない糧食を少しづつ分け合い、励まし合い、我慢を重ねた。

 

 追い討ちをかけたのは睡眠不足。

 

 これもイビルアイはとうに忘れてしまった感覚だが、他のメンバーには必須であることも理解していた。しかし追跡対象であるゼブル一党は休まず、眠らず、まるで嫌がらせのように移動を続けた。

 

 ……乗せられたのか……いや、少なくともあそこで出会ったのは純粋に偶然なのは間違いない。こちらの追跡を確認して、状況を作られたのではないか……?

 

 食料提供のタイミングから考えても、完全にこちらの動向及び内情は把握されていたように感じる。

 大昔から在る見えすいた手だが、その効果は抜群だった……自分以外のメンバーが食べ物を貪り食う様子を照らし出す焚火の向こうから、イビルアイに笑顔で手を振るゼブルを絞め殺してやりたくなった記憶は、まだ鮮明に脳裏に焼き付いている。

 

「……ところで、一つだけお願いがあるのですか……」

 

 そのゼブルの言葉を腹の満たされたラキュース達が拒否できるはずもなかった。

 

 その結果、アダマンタイト級であることそのものを利用された。

 竜王国の女王ドラウディロン・オーリウクルスとの面談は、会談の申し込みから1時間も待たずにセッティングされ、あっさりと実現したのだ。

 

 ……後はゼブルの独壇場だったな……

 

 いかに新『八本指』の実質的な支配者とはいえ、白金貨100枚を一単位とするような理解不能なレベルの圧倒的資金力を背景に、ゼブルは終始交渉を支配していた。

 『青の薔薇』は傍観者……いや保証人だった。彼等の面談を後押ししてしまった手前、本来銅級でしかないゼブル達の戦力を事実とはいえ「自分達以上」と説明せざるえなかったのである……危惧していたザナック王子やレエブン侯との繋がりをゼブルは否定していたが、それすらもラキュースとガガーランの会話を聞かれていたらしいので信じてよいものか……

 

 そして何の因果か、この戦場に立っていた。

 報酬は竜王国でなく、ゼブルが支払うと言う。

 白金貨100枚……悪くない……悔しいが、悪くないどころか、この上なく美味しい。しかも本来全冒険者の規範であるべきアダマンタイト級として許されることではないが、組合を通さない契約だったりする。つまり100%手取りだ。エ・ランテルで一息つけたとはいえ、『青の薔薇』の苦しい台所事情まで見透かされているのはないのか……?

 

 直近の財布の中身は改善されたものの、『青の薔薇』……いや王都の組合所属の冒険者達の将来の見通しは極めて厳しいのだ。

 

 現在の王都では治安が劇的に改善されただけでなく、新『八本指』の警備部門がかなり幅を利かせていた。なにしろ資金の貸主からの斡旋は極めて強力な効果を発揮するのだ。これまで冒険者組合に警護依頼を発注していた依頼主は依頼の発注先を軒並み警備部門に変更している。加えて将来の依頼主候補もほぼ奪われたに等しいだろう。

 その結果、王都の正規冒険者達はモンスター駆除のみで生計を立てているも同然の有様だった。トブの大森林に遠征可能な強者はまだ少し余裕があるものの、街道沿いでは仕事の激減に窮した冒険者達がゴブリン1匹を奪い合うような状況が続いている。

 その最後の砦であるモンスター駆除すらも本来は組合への依頼となるようなものは組合が介在しない為に安価に請負う新『八本指』に奪われつつあった。

 現時点では公的援助の窓口こそ冒険者組合が独占しているものの、それすらも近い将来に失わないまでも、組合による独占の維持は難しいことが予測されているのだ。既に実質的新『八本指』首領と目されるヒルマ・シュグネウスの周辺が王国上層部や有力貴族に働きかけているという噂もある。

 正真正銘の「お先真っ暗」だった。

 加えて「目敏い一部の冒険者達が他都市の組合ならばまだしも新『八本指』警備部門に移籍した」などという笑えない話まで、公然と酒場での話題に上がる始末……近い将来、酒の入らない場所で、深刻な表情の冒険者達が語り合う姿を散見するようになるのだろう……

 

 イビルアイは必要もないのに大きく息を吐き、状況を確定しつつある仲間達の様子を仮面越しに茫洋と眺めた。

 

 何もかも誘導されていく……ヤツの思い通りに……

 

 気に入らない……気に入らないが、状況は作られ、『青の薔薇』は絡め取られてしまった。もはや雁字搦めだ。しかし「竜王国の窮状を救う」という御題目には逆らい難いのも事実だった。そして現実に竜王国にやって来てしまった以上、ゼブルのやり口が気に入らないでは済まされなかった。

 食人の亜人から多くの人命を救う……この一言でラキュースなどは思考停止してしまう。ガガーランも内心はともかく表向反対はできまい。ティアもティナも組合を通さないまでも正式に依頼され、報酬も約束され、前金を受け取った以上、全力で任務に取り組むだろう。いや、こうして考えることさえなければ、イビルアイとしても久々に心の底から納得のいく仕事ではあるのだ。

 

 世の役に立ち、大きな報酬を得る……これこそ冒険者稼業の醍醐味。

 

 組合を通さない理由も竜王国の悲惨な状況を鑑みれば「これ以上の負担を避ける」と言うゼブルの理屈にも反論できなかった……

 

 しかしどうしても素直に充実感を噛み締めることはできない。

 

 あの時、イビルアイは終始無言を通した……納得などできるわけがない。

 

 追跡を始めたのは確かに自発的だったはずなのだ。

 その結果……

 自分以外は疲労させられ、絶妙に睡眠も奪われた。

 ついに食料も枯渇した。

 そこに古典的な救いの手が差し伸べられた。

 つまり大きな恩が生じた。

 その結果、アダマンタイト級冒険者『青の薔薇』として竜王国の女王ドラウディロン・オーリウクルスに面会を申し込まざるえない状況になった。

 半ば強制的に紹介させられた。

 会談の主役だったのは開始1分間も無かった。

 紹介が済むと全てをゼブルが主導した……話が大きすぎて口を挟めるような状況ではなかった、とはいえ……情けない。

 

「こいつは平気で他者を陥れ、自分がのし上がるヤツだ」

 

 どうしても言えなかった……何度もその言葉を飲み込んだ。

 

 毎度のことだが、ゼブルのやり方は気に入らない。他者を利用することを厭わない上に、敵対者には容赦しない……ように思えるが、その実態を理解しているわけではない。敵と思しき者がいつの間にか手下になっていたりもすることも多々ある。結果から逆算で考えれば必要なのかもしれないが、表層に浮かび上がるゼブルの行動や意思決定の断片に、いちいち神経を逆撫でされてるかのように感じてしまう。

 

 王都の例で言えば……

 あれほど蔓延していた黒粉は周辺からきれいに消えた。

 治安は劇的に改善した。

 景気は良くなったように思える……残念ながら冒険者以外だが。

 ラキュースによれば、国庫も右肩上がりと言う。

 その影響は周辺都市にも波及しつつあるらしい。

 

 ゼブルの新『八本指』掌握による結果が産み落とした事実だけを並べれば素晴らしいと言わざるえない……だが、どうしても素直に評価できない。

 

 たしかに目的には賛同させられてしまう。

 今回もそうだ。

 王都で得ただろう莫大な資金……何に使うのかと思えば、限りなく絶望的に見える竜王国を窮状から救うつもりらしい。そして今度は竜王国の領土の半分を獲得しようと言うのだ。しかも恒常的にビーストマンの脅威にさらされている南側だ。

 

 ……ヤツは何を考えている?

 

 問い詰めても無駄なのか……?

 あのイライラする笑顔が思い出された。

 

 残敵掃討を終えた仲間達のゆっくりと戻る姿が見えた。

 熱狂する城壁上からの歓声に、四人が手を振り応えている。

 仲間も、兵士も、民衆も、良い笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

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 3日前までは暗く沈んだ雰囲気に包まれ、なんとも耐えがたい空気に支配されていた安酒場に笑い声と張りのある笑顔が戻りつつあった。

 威勢の良い話と笑い声が響く店内は活況と言っても差し支えない。

 テーブルは埋まり、カウンター付近では立ち飲みする者もチラホラ見える。

 笑いと武勇伝……その向こう側には「希望」の2文字が見えていた。

 

 話題の中心は先陣に立つ冒険者やワーカーの活躍。

 以前は『閃烈』セラブレイトに加え、たまに参戦する『真紅』オプティクスの活躍に僅かな希望を無理くり乗せた話を語ることはあっても、一瞬で雰囲気は沈んでしまった。どんなに酒の勢いを借りても、戦力不足は誰の目にも明らかだったのだ。

 今は違う。

 王国からやってきた『青の薔薇』が話題の中心だ。

 『クリスタル・ティア』や『豪炎紅蓮』のように点が面を蹂躙する戦い方と違い、『青の薔薇』は線を押し上げて、面を制圧する。主戦力である魔法詠唱者が次々と指揮官クラスを潰していく為、敵は崩れ始めると反転攻勢が難しいらしい……などと兵士でもない者達が訳知り顔で熱弁を奮っていた。加えて女性だけのチーム……見目の麗しさも民衆の熱狂を煽っていた。

 

 そして誰も語らない……いや、語ろうとすると各々の視線の色が複雑に変化してしまい、早々に話を切り上げざるえない冒険者チームがあった。

 

 或る者は言った。

 黒コートの男が振るう黒い刀身が一閃する度に、無数のビーストマンが弾けん飛び、両断された死骸が転がる、と。

 或る者は見たと言う。

 黒コートの男が単騎でゆっくりと歩くと、ビーストマン達が一斉に平伏し、首を差し出した、と……後続の剣士2人が首を落として回った、と。

 また或る者は声を絞り出した。

 黒コートの男が歩みを進めただけで、ビーストマン達は恐慌状態に陥り、同士討ちを始めた、と。

 別の者は震えながら言った。

 黒コートの男が進んだだけでビーストマンの一軍はバタバタと倒れ伏し、二度と起き上がらなかった、と。

 

 いずれも信じられないような話だが、残された無数の死骸は嘘を吐かない。

 

 語る者全てが伏し目がちであること……彼等の声音に勇しさは感じず、僅かに震えが混ざっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 やたら騒がしい店内。

 次々と客が入れ替わり立ち替わりしていた。

 注文が飛び交い、笑い声が湧き上がる。

 連日の勝利に……今日の戦果に「乾杯!」の声が上がる。

 竜王国の首都中、1週間前のどんよりとした空気が嘘のように消えていた。

 ただ一ヶ所を除いて……そこは大柄な禿頭の青年と少女のように小柄な妙齢の女性が差し向かいで座るテーブルだった。

 

「いったい、どうなってやがるんだ?」

 

 酒場の最奥の角のテーブルに陣取った白金級冒険者チーム『豪剣』の禿頭戦士ディンゴが飲み干したジョッキを叩きつけるように置いた。

 

「……どうもこうも当てが外れた……それだけよ」

 

 シトリはグラスを手に取り、つまらなそうに口をつける。

 

 カドランの話術……そこに期待していたのだ。大抵の女であれば落としてしまう話術と立ち振る舞いと顔立ち。そして標的である青薔薇は全員女性の冒険者チームである。落とす落とさないはともかく、顔見知りである彼女達の輪の中に入り込むの程度の技は持ち合わせている……と信じていた。

 本音を聞き出し、共闘を持ち掛ける。

 現実の問題として『3人組』の完全排除は無理にしても、青薔薇との繋がりは示したい。王国有数のアダマンタイト級冒険者チームとの強固な関係はイグヴァルジ達の心にも大きな力を与えるに違いない、と考えていたのだ。最良は『3人組』が二度とエ・ランテルに近づかない状況を作り上げることだが、最低でも彼等と敵対する青薔薇との強固な繋がりを作りたかったのだ。

 しかし問題はそれ以前だった。

 『3人組』を竜王国の女王ドラウディロン・オーリウクルスに引き合わせたのが青薔薇だともっぱらの評判だった……つまり敵対などしていないのだ。むしろ強固な関係を築いているのは『3人組』なのである。

 

「……少なくとも青薔薇を味方に引き入れて、『3人組』をエ・ランテルから排除するっていう目論見はおじゃんね……だからイグヴァルジさんの冒険者人生もお終い。私達が手を出せる領域の話じゃないわ。あの黒コートが噂通りならバケモノなんてヌルい言葉じゃとても言い表せない……手を引くしかないでしょ、残念だけど……」

 

 カドランが方々の酒場でかき集めてきた情報を精査するまでもなく、『3人組』……特にリーダーの異常さは際立っていた。

 

「ただ歩くだけでビーストマンの軍勢がバタバタと死んでいく」

 

 こんな無茶苦茶なヤツにどう対応すれば良いのか、全く想像もできない。情報源は竜王国軍の物見の兵士だ……泥酔した一般人ではない。しかも一人ではなく、複数。

 話を聞く限り、神か魔か……そうとしか思えない。

 だが連中だって人間だ……人間にできることなのは間違いない。

 どんなトリックが隠されているのか?

 しかしトリックのタネを明かしたところで、黒コートがそれを使えることだけは間違いないし、『豪剣』が彼の技を破れる保証も無い。まして戦って勝てるようなレベルの相手ではない。

 噂は現実だ……信じたくはないが、信じるしかない。そう思って対処するしかないのに、対処法が無い。

 

「でもよぉ、なんか……なんとかならねえのかよ」

「あんたねぇ……無理なものは無理……近付いたら死ぬのよ。そんなの見せられたら、いくらイグヴァルジさんだって心を折られるわ。私達はイグヴァルジさんのレベルにないわけだし……たとえ青薔薇が協力してくれたって、どうにもならないわ」

 

 ディンゴに約束した手前、シトリも竜王国の首都くんだりまで付き合ってはいたが、もはや心は折れていた。残りの冒険者人生、あの『3人組』がエ・ランテルに戻ってこないように祈るのみ……そう思っていた。

 

「なぁ、シトリよぉ……おまえ、頭良いんだからさ……頼むぜ」

「あんた、最近そう言ってればなんとかなるって勘違いしてない?」

 

 ディンゴを罵りながら、シトリはちびちびと舐めていたグラスから顔を上げた。

 

 ……ん?

 

 何かがおかしい……直感が囁く。

 

 最奥の角のテーブルに陣取っている以上、店内の全てがほぼ一目で確認できた。

 雑多な客層の店だ……そして広い。

 冒険者にワーカーに行商人……不思議と兵士の姿を見ない。竜王国の首都に到着してからこれまで立ち寄った6軒の酒場では最も盛り上がっていた客層だが、この店にはいないようだ。

 

 だか、それだけ……いや、違う。

 

 店内の全て……客も店員もカウンター奥のマスターに至るまで、先程から誰一人視線をこちらに向けない。客だけならば……まあ、たまたまということもあるかもしれない。しかし給仕を担当する幾人かの女中達まで誰もこのテーブルを見ないのだ。あまりに不自然……ディンゴが空のジョッキを掲げると即座に反応するのに、である。

 

「……ねえ、出るよ」

 

 シトリは小声で囁いた。

 

「あんっ?」

 

 シトリの唐突な切り出しにディンゴは顔を顰めたが、彼女の仕事中のような真剣な眼差しに、いつもの直感の囁きと気付き、慌てて財布を取り出した。シトリの直感には従った方が無難……ディンゴもカドランも無理は承知が身に付いてしまっていた。疑問はこの場を切り抜けてから……だから異論を挟むどころか、説明すら求めない。

 

「勘定……置いとくぜ!」

 

 ディンゴの大声に店内が静まった。

 誰一人喋らない。

 だが店内に存在する数百の視線が向いた。

 ある程度予測していたシトリはともかく、ディンゴはギョッとした。

 

「………なっ、なんだよ……」

「いいから、早く行くよ!」

 

 小柄なシトリが大柄なディンゴの手を引く。

 その途端、客が一斉に立ち上がり、女中も一緒に2人を見詰めた。

 それまで一般的な酔客と思っていたが、彼等はそれまで隠していた暴の気配を発していた。冒険者というよりもワーカー……いや裏社会の住人達かもしれない。

 

 戦力は……?

 考えるまでもなく、数が厳しい。

 

 とにかく逃げなければ……

 

 無言の悪意が2人を包む。

 シトリも一瞬躊躇したが、必死に一歩踏み出した。

 出口までが果てしなく遠い。

 苦痛の行軍……勇気を振り縛って、テーブルの間を進む。

 残り2つのテーブルの間を抜ければ……

 

「……どこかで見た顔だな?」

 

 いつの間にか最後のテーブルの間に男が立っていた。

 青髪に無精髭……派手な鞘に収まった刀を腰から下げている。

 身体の大きさこそディンゴよりも一回り小さいが、醸し出される力に明確に二人掛かりでも軽く打ちのめされるのが理解させられた。

 

「相変わらず、おぬしは物覚えが良くないのう……ここに向かう途中、ゴブリン共を嬲った時に青薔薇と一緒にいた冒険者達の中の2人だ」

 

 禿頭に眉無し……恐ろしく悪い顔色。

 

 シトリは目を剥いた。

 何故、ここまで気付かなかった……オカッパ頭でなく、馬鹿みたいに派手な法服こそ脱いでいるが間違いなく『3人組』の一人だ。

 

 ヤバい……ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい………

 

 直感どころではない……脳内がパニックに陥っている。

 真面に思考できない。

 嫌気ではない。恐怖……圧倒的な恐怖が身体を竦ませた。

 それはシトリだけでなく、握っているディンゴの手も小刻みに震えている。

 

「そんなことまでいちいち覚えている貴方がおかしいのですよ」

 

 背後から声がした。

 慌てて振り向くと切れ長の目にホーステールの男が立っていた。

 

「はいはい、皆さん、楽にして下さい……ネズミ共は捕らえました。後はゼブルさんの指示通りに待機していて下さい」

 

 切れ長の目の男の指示に凍っていた店内が再び動き始めた。

 空々しい笑い声と虚な武勇伝が一斉に響き始める。

 

「さて、おまえらは俺達と一緒に来い」

 

 死刑宣告に等しい言葉が、青髪から2人に下された。

 

 

 

 

 

 

**********************

 

 

 

 

 

 

 知らない。

 見ていない。

 誰だ、それ?

 

 2人目が同じ答えを返した瞬間、カドランは異変に気付き、情報収集の方針を変えた。聴取は止め、監視に切り替える。

 連日の戦勝に沸騰する街中を歩き回り、ディンゴの巨体を探している。それ以外にパッと方法が思い付かなかったのが真実であるが……

 これ以上は危険……いや、既に危険地帯に踏み込んでしまったのだろう。

 シトリはともかく、ディンゴの禿頭と巨体を見て、見ていないと答える時点で異常事態なのだ。それが緊急性を伴うと示唆しているのも間違いない。

 2人の消息は不明……つい1時間前、この店の奥のテーブルに一緒にいたのだ。シトリがいる以上、勝手に店を変える可能性はなくはないが、その際だって店主や女中まで知らないなんてことがあるわけがない。

 

 ……拉致か?

 

 専業戦士であるディンゴがいる以上、相当な猛者でなければ戦闘の痕跡を残さず2人を拉致できるはずもない。つまりカドラン個人の戦力では抗えない敵なのは確定している……が、同時に容疑者も絞られる。

 

 ……『3人組』か?

 

 わざわざ敵対する道を選択したのだ。

 そして探りを入れている。

 戦力的にも疑いは濃厚。

 

 ……で、あれば……

 

 カドランは方針を決めた。

 正面から当たってどうにかできるレベルの相手ではない。

 

 人波を抜け、王城へ。

 

 『青の薔薇』に助力を求めることも考えたが、まずやっておくべきは自身の安全の確保だ。敵は闇中を好む……裏の活動では一枚上。ならば表に名を連ねるべきだ。

 

 衛兵詰所で訪問理由を告げ、城門を潜り、王城の中へ。

 

 竜王国は広く傭兵や冒険者やワーカー……戦力となる者達を求めていた。

 だから常に門戸は開いている。

 女王に謁見できるような極一部の例外は別にしても、一般冒険者であれば王城で登録ができる。登録すれば期間中は情報や医療面のバックアップや消耗品の補充でも国軍兵士並みの優遇を受けられる。

 

 本宮殿でなく、登録所に向かう。

 さすがに夜も更けると衛兵以外の人影は疎らだった。

 しかし油断は禁物だ……敵は大盛況の酒場から誰にも気付かせず、白金級の冒険者2人を拉致できるのだ。あそこで可能ならば、衛兵に囲まれた王城の中でも可能かもしれない。

 

 カドランは淡々と歩くように見せながら、抜け目なく周囲を警戒する。隠密とは違い、ある程度は衛兵から注目を頭なければならない。注目の度合が違う奴を探すのだ。

 

「お疲れ様です」

 

 衛兵の横を通り過ぎる度に会釈する。

 不自然でないように少しでも印象を残す。

 登録所の手前にある物質補給所の前を通り過ぎる。ここはさすがに人影も多く、衛兵に加えて数名の冒険者らしき姿もあった。

 油断はしないが、少しホッとする。

 一番厳しいと想定していたエリアは無事抜けることができたのだ。

 

「おっ、おい、君……ちょっと待て!」

 

 物資補給所の前にいた衛兵の1人が慌てたような声を発した。

 

 敵……か?

 

 早計は拙い、と判断し、顔を作り上げた。

 

「どうかしましたか?」

 

 万人相手に通用する爽やかな笑顔と、ほんの少しだけ意外さを含ませた声音で対応する……振り向いた先には、取り立てて特徴のない壮年の衛兵が立っていた。その背後にも3人の衛兵が立っている。戦力的には「戦わず、逃げるだけならばなんとか……」と言ったところだ。

 

「どうもこもう……君、大丈夫か?」

「……はい?」

「背中……妙な書き付けが貼ってあるが……取っても?」

「いえ、自分で……」

 

 内心慌てたが、身に覚えはない。

 やり口は迂遠……だが警告ならば、有りだ……そして効果も絶大。

 しかし書き付けが本物ならば殺すつもりがないのだけは理解できる。

 貼る代わりに刺せば良いのだ。

 さすがにこうも身に覚えのない奇妙な状況で初見の他人に背中を触らせるわけにはいかない……カドランは油断なく背中に手を回した。

 

 ……無い……やられた!?

 

 ほんの一瞬視線を外した隙に、声を掛けた衛兵が抜剣していた。連れて背後の3人も……

 

「悪いな、君……付き合ってもらうで」

 

 彼等の纏う雰囲気が正規兵のものから僅かに変化した。ついでに戦力も偽装を解消したようだ……逃げるのも厳しいか?

 

 ……暗殺者?……何故、城内に……

 

 囲まれる前に大きく後方に飛ぶ。

 白金級のシーフに対して、手練れの暗殺者が4人……明確に過剰戦力だが、生かしたままの捕縛が目的ならばこの数はむしろ妥当と言える。

 

 考える間も無く、さらに飛ぶ。

 対して4人はフォーメーションを崩さず、包囲を完成させようと動く。

 想像以上の連携だ。プロの中でもかなりの手練れだろう。

 

 ……少し厳しいか?

 

「抵抗せんほうが楽やで、お互い」

「こう見えても苦労は買ってでもしろ、って考えるほうなんで、ね!」

 

 スマートを絵に描いたようなカドランが言い放つ。

 同時に敵に背を見せぬよう警戒しつつ、記憶に従って後方に飛び続ける。早く本物の衛兵に見つかるべきだが、それが本物なのかカドランには判断ができない。

 単なるスピード勝負であれば圧倒できるはずなのだが、状況に確信が持てぬ以上、防御と包囲阻止に徹する……が、もう少しでジリ貧なのが自覚できる程度には追い込まれていた。

 

 そろそろ……マジで……ヤバい、かな……

 

 そう思った瞬間……

 

「よぉ、何、追っかけっこしてんだ?」

 

 聞き覚えのある声がした。

 カドランは立ち止まり、暗殺者達は気配を戻した……そして消える。

 

「……助かった……ありがとうございます、ガガーランさん」

「なかなかハードな状況だな……えーっと……あんたは、カドラン?」

「覚えていただいていて、なによりです」

「こう見えても記憶力は良いんだ……には負けるけどよぉ」

 

 ガガーランが上を指差した。

 連れて見上げると、月明かりに小さな影が浮いている。

 

「……イビルアイさん?」

「おう、ウチのマジックキャスターさ……んで、どういうわけで、あんたがここにいて……どういうわけで、旧『八本指』の暗殺者チームなんぞとやり合っていたんたい?」

 

 ……『八本指』?……旧?

 

「……どうやらやり合っていた連中のことは知らねえ、って顔だな」

「……仰る通りです」

「んな、敬語じゃなくていいさ……それに連中を呼び寄せたに違いねぇヤツについては、むしろ俺達の方が因縁があるんだ」

 

 ガガーランはニヤリと笑った。

 

「まあ、お互いに状況報告会と洒落込もうじゃねぇか?」

 

 ドンっと叩かれた肩が痛んだが、とても温かい痛みだった。




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