筆が早い方の凄さを改めて実感しています。
目的の為には仕方ないこととはいえ、少々やりすぎたのは自覚していた。
日を追う毎に賞賛は恐怖と入れ替わり、いまや完全に恐れられている。
気軽に声を掛けられることはほぼ無くなり、少し困ったような笑顔を向けられる毎日。
ジットやブレインはどこ吹く風でいつも通り過ごしているが、さすがにエルヤーは面白くないようで仏頂面を見せることも多々あった。
しかしそんな状況下でも日増しに笑顔と賞賛が増す者が一人だけいた。
ドラウディロン・オーリウクルス……竜王国の女王である少女だ。
お陰様で王城に日参し、会談を繰り返す羽目に……なので、それまで女王に格別に重用されていた『クリスタル・ティア』のセラブレイトとか言うアダマンタイト級冒険者からはリアルの頃だったらドン引きするようなヘイトを集めているらしい……と、女王から密かに警告されていた。
竜王国に来てから7日目……到着した当日以外は日々2〜3回は対ビーストマン戦に参戦している為、勝利を重ねること14回……そこで女王はかなり無理やりな理由で宰相を応接室から追い出した隙に、電撃的に俺と正式な契約を交わした……対価は白金貨30万枚……必要経費のつもりで準備してあった額の半分以下で満足しているようだが、少し遠慮もあるのかもしれない。俺達に逃げられるのを心配した節も感じられた。こちらとしても白金貨30万枚程度で広大な領土を得られるのであればかなり得な取引だ。なにしろ竜王国と違ってビーストマン共は俺の脅威となりえないのだから。
竜王国にとっても実質的に死んでいる土地を白金貨30万枚で売り渡したのも同然なのだから、お互いにWin-Winな取引だろう……ここまでは。
……これで竜王国は半ば俺の支配下に入った同然……残りは恐怖による支配の実験をしている隣のビーストマンの国で支配を確立すれば、最終的な両国の支配が確立できる……そして真の目的である実験が人目を気にせず行えるようになる。その後の利用法も考えてあるので、上手くいけば相当な儲けを生み出す土地になる。
その為に日々食べ歩きしたい欲求を抑えて、こうして女王と会談を重ね、ある種の信頼を勝ち取ろうとしているわけですよ。
「では、ゼブル殿……頑張ってくれ!」
女王陛下直々に部屋から送り出されたので、最敬礼(正式な作法は知らないけどね)らしき礼を返し、そのまま階下の待合で待つ3人のところへ向かおうとした。
視線を感じた。
恐ろしく強い嫉妬だった。
俺は嫉妬することも、されることにも慣れていない。
そんな俺でも瞬時に理解した。
異様な視線……その先にいかにもな聖騎士の姿があった。
行く手を塞ぐように廊下の中央に立っている。
まあ、どんなに頑張ったところで『人化』したままの俺にすら届くことがない程度のレベルだが、柔らかな表情に似つかわしくない激しい視線にはちょっと驚かされた。
……噂のセラブレイトとか言うロリコンか……
なるほど、中々に気持ち悪い。
良い歳した大人の男が自分の子供ぐらいの年嵩の少女に御執心というだけでも相当に気持ち悪いが、そいつは個人の趣味なんで俺が口出しするようなモノじゃない。しかし嫉妬丸出しで全く関係無い俺を憎めるのが……もう理解の範疇の外側……無理ですわ。
そんな気持ち悪い聖騎士だったが、力量の差は把握しているのか、俺の進路を邪魔するようなことはなかった。
真っ直ぐ進む俺に道を譲る。
ただ嫉妬の込められた視線は俺を向けたままだが。
「セラブレイト……『閃烈』と呼ばれている」
「あっ、そうですか……俺はゼブル……ふたつ名は有りません」
「御活躍のようだな、ゼブル殿」
「それほどでも……2回に1回は歩いているだけですし」
「なるほど……しかしビーストマン共は駆逐されているな」
「勝手に死んでますね」
「……勝手に、か?」
「ええ、勝手に、です」
すれ違い様に始まった、全く弾まない会話はそこで止まった。
手の内は教えられないし、教えたとしてもプレイヤー以外は理解できないだろう。現地勢にユグドラシルのスキルが使えるとは思えないし、たとえ使えたとしても正確に理解しているとは思えない。テキストを読み込まねば、自分が何をしているのか、理解できるはずもないのだ。なにしろ、そうでなければプレイヤーである俺ですら「なんじゃ、こりゃ?」なのだろうから。
「ゼブル殿は女王陛下をどう思われるか?」
セラブレイトが唐突に切り出した。
流れぶった斬りもいいところ……本命はこちらですよ、と宣言しているようなものだ。
「どうもこうも……女王陛下は頑張ってらっしゃる、って感じですかね」
「頑張っている姿を見て、どう思われるのか、と聞いているのだが」
「頑張ってください……ですかね」
セラブレイトの表情が一層穏やかなものに変わり、同時に視線に込められた嫉妬は憎悪と言っても良いような激しさが加わった。すげー器用!
「では!……では、何故、謁見の間でなく、応接室でもなく、百歩譲って執務室でもなく、陛下の私室に毎日のように通われるのか?」
「陛下の御召しです。それ以上でもそれ以下でもありませんよ」
「陛下の御召しです、と」
「その通りです」
セラブレイトの表情が激変した。まるで「憤怒」と絵に描いたような顔が突然この世に現出した。
「私は!……私は呼ばれたことなど無い!」
「知りませんよ、そんな事情まで」
……アダマンタイト級のヤバいヤツ確定だ、コイツ……
会話は終了……一刻も早くこの場から去る為に歩き始める。
「待て!……待て、待て!……まだ話は終わっていない!」
「挨拶はしゅーりょーです。二度と会話することもないでしょう」
後ろ手に手を振る俺の背中に、王城を出るまでの間、ロリコン聖騎士の罵詈雑言が浴びせられ続けた。
*************************
「どうだい、落ち着いたか?」
テーブルの上にはホットミルクの入っていた空のカップ。
その向こうに仮面の魔法詠唱者。
声を掛けたのは部屋のど真ん中に立つ女戦士。
双子の忍者は建物の周囲で警戒中……アダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』の投宿先と知って、仕掛けてくるような阿呆ではないだろうが、どこの世界にも、どんな組織にも跳ねっ返りはいる。だから警戒を怠るわけにはいかなかった。
そしてリーダーである神官は王城へと出向いている。
「ええ……ありがとうございます」
カドランは深く息を吐き、正面の仮面を見詰めた。
異変を察知してくれた命の恩人だ。
「本当にありがとうございます」
「そんなにかしこまらなくてもいい、カドラン」
イビルアイは重い雰囲気のまま仮面越しにカドランを見た。
「……つまりお前の仲間が消えた……おそらく拉致された。拉致した連中に指示したのはゼブルではないか、と疑っているわけだな?」
「大筋は仰る通りです」
「お前達は何故ここに来た?」
もはや隠す必要もない……カドランは淡々と事実を並べた。
エ・ランテルで『クラルグラ』が突然引退を申し出たこと。
リーダーのイグヴァルジに『豪剣』は散々世話になっていたこと。
思い当たる異変は一つだけ……『3人組』との遭遇。
イグヴァルジを救おうとしたこと。
その為に『3人組』と敵対していると感じられた『青の薔薇』のネームヴァリューを利用しようとしたこと。
竜王国まで後を追った。
そして2人は行方不明……今の状況に至った。
イビルアイは頷き、深くため息を吐いた。
ガガーランは大きく笑い、カドランの左肩に右手を置いた。
「……状況は理解した。だがお前達は大きな勘違いをしている」
「そうだな……俺もそう思うぜ」
カドランも頷いた。
思い当たる……集めた情報からおおよそ推測できた。
「敵対はしていない、と言うことですよね……?」
「正確には違うな……過去にいろいろあり過ぎてメンバーそれぞれが連中に抱く感情が違い過ぎる。そして私はあの連中に……ムカついている。だからと言って連中を……ゼブルを全否定するものではない。しかしお前達の勘違いはそんなことじゃあ、ない……連中は私達『青の薔薇』と敵対することをそもそも恐れていない。連中と言うよりもゼブルだが……」
「まあ、そうだな……概ね俺も同意見だ」
イビルアイの意見表明にガガーランも大きく頷いた。
「本来ならば知らなくていいことだが、お前達は既に危険な領域まで踏み込んでしまった。実際に仲間は拉致されたか……既に殺されたまである。だから警告として言っておく……連中は強い……それに『八本指』を実質的に支配している以上、ゼブルの闇は恐ろしく深い。加えてお前達が思っているよりも『青の薔薇』と連中では大きな戦力差がある。そして私達はそれを自覚しているし、連中も理解しているのは間違いない。つまり『青の薔薇』が全面的に連中と敵対したところで、痛痒すら感じさせることはできない」
カドランは息を飲んだ。
ホットミルクを飲んだばかりの喉がカラカラだった。
掌に汗が浮いていた。
背中を冷たいものが伝う。
脳裏にディンゴとシトリの顔が浮かび……消えた。
「2人は……絶望的なんですか?」
左肩のガガーランの右手にグッと力が込められた。
「そうとも言い切れねえんだ、これが……どういうわけか、ゼブルってぇヤツは邪魔者だからって、あっさり殺すような真似はしねぇことが多い。俺達の知る限りじゃ、どちらかってぇ言えば殺さずに利用するってえケースが多い気がするぜ……必ず生かすってわけじゃねえから、なんとも言えねぇが……諦めるのはまだまだ先の話だ」
「現在、私達は連中に雇われているが、契約した参戦回数は7回……今日で6回参戦した。つまり残り1回だ。その後は竜王国と契約する可能性が高いが、基本的には連中が雇用主ではなくなるだろう……つまり自由だ……カドラン達をバックアップしても、契約上雇用主との利益相反には当たらなくなる、ということだ」
カドランはイビルアイの淡々とした言葉を飲み込み、その裏側の暖かさに思わず涙した。スマートを信条としていたが、もはやそんなことはどうでもよかった。仲間を救いたい……イグヴァルジの引退など頭から消えていた。とにかく仲間の命だけは……生きていてくれさえすれば充分だった。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げた。
「良いってことよ……ただ問題がまだ残っているぜ、イビルアイ」
「ああ、かなりの難題だな」
「……ラキュースはなんとか説得できると思うぜ。問題は……」
「残り1回の参戦の間……カドランにどこに隠れてもらうか、か?」
「そういうこった……今、手を出してこない理由は、俺らがいるから、で間違いねえと思うぜ。所在も状況も把握されてるだろうよ。この状況からゼブルを出し抜くのは容易じゃねえ」
「だが、それだけに……痛快だな」
「いつもいつもやられっぱなしじゃ、カッコつかねえだろ?」
2人は考え込んだ。
力技では質も量も負ける。
魔法的な手段はゼブルが一枚どころか二枚も三枚も上だ。
小賢しいと思えるような策謀でも敵う気がしない。
先読みを含めた情報戦もヤツは強い……竜王国に何人の配下が潜り込んでいるか、その情報すらこちらは持ち合わせていない。
もっと大局的にものを見なければ、出し抜けない。
「……連中が表立って手出しできないところと言えば王城だが、そこにも配下が潜り込んでいるような状況だ……」
実際にカドランが襲撃されたのは王城だった。
しかもカドランの話からはわざわざ王城で仕掛けたように思える。
既に勢力下の可能性もなくはない……どころか、高い。
焦れる沈黙が続いた。
時間があるわけではない。
今、この瞬間にも強襲されるかもしれないのだ。
「……女王陛下に保護を頼むってえのはどうだ?」
指を鳴らしてガガーランが言った。
悪くはない。王城の中が信用できないと言っても、さすがに女王周辺で拉致騒ぎなど起こせるはずもない。王城内を掌握しているつもりならば、ゼブルにとっても盲点だろう。
「……だが、女王が最終的にどちらに味方するかは明白だぞ。資金の貸主と雇われ者では比較するのもバカバカしい」
イビルアイの言葉に理解し難い単語が混ざっていた。
思わずカドランも口を挟んでしまう。
「貸主……ですか?」
「おう、アイツらはビーストマンに襲われて財政的に困っている竜王国に金を貸しにやって来た、ってえのが真相だ。やってるこたぁ滅茶苦茶に見えるが、それなりに真っ当な正義だから困る連中なんだよ。王都でもそうだった。結果だけ切り取れば冒険者と最底辺のチンピラ以外は万々歳だぜ。力や学が無くたって真っ当に働いてりゃあ、安心してそれなりに食っていける。今の王都は治安が過去になく良好で、次第に景気が良くなってやがるからよぉ……」
複雑な心情が伝わる言葉だった。
認めつつも認めきれない……そういうことだろう、とカドランは納得した。
「弱者を助けたり、助けなかったり、切り捨てたり……悪党でも殺したり、利用したり、配下に加えたり……これは私の想像に過ぎないが、ゼブルの中では最終目的が明確なのだろうな。それはゼブル以外には誰も知らないし、目的に対しての取捨選択がドライすぎて、他者には全く理解できない……しかし、だからといって私は認めんぞ!……散々コケにしてくれた報いはどこかで必ずくれてやる!」
イビルアイの拳がギリギリと音を立てて真っ白になった。
荒い息が仮面の奥から漏れ聞こえるように感じた。
「熱くなりすぎだぜ、イビルアイ」
「……ああ、すまない」
「それよりも、だ……話はラキュースに通してもらうにしても、実際に少女である女王陛下に、男で……まあ、見映えの良い男であるカドランをどれだけお側に置いてもらえるかが全てだな。宰相閣下にも協力を仰ぐか?」
「それが今やれる最善か……脳筋にしては考えたな。女王に保護してもらうのであればゼブルとの契約も関係無い」
「いちおう、俺達だって竜王国の味方だぜ。しかも兵士達の士気高揚にゃ最も貢献しているんだ。それぐらいの小さな無理は通せるだろ」
ラキュースの帰還を待つ。
とりあえずの方針は決まった。
室内の空気が弛緩する。
そして、それは長く続かなかった。
ドアがノックされた。
符丁は無い。
だからティアでもティナでもラキュースでもないのは明白だった。
イビルアイが無言でハンドサインを出す。
ガガーランが無言で頷き、『鉄砕き』を後ろ手に構えながら、素早くドアに向かった。
「誰だ?」
「ゼブルです」
なっ……ガガーランの表情が大きく歪んだ。
よりによって、な来訪者だ。
イビルアイは新たに「引き伸ばせ」とハンドサインを送りながら、急いで窓の外を確認する。
外には見慣れた3人の姿があった。
ティアとティナはなんとか侵入を阻止しようと入口前で奮戦していた。
……では、ゼブルはどこから?
疑問が脳裏を過ったが、考えている暇はない。
部屋の出入口は抑えられ、窓の外には手練れが3人……内1人はイビルアイに届き得る剣士ブレイン・アングラウスだ。単独ならばともかく、全員での突破は厳しい。
状況は極まった。
カドランを見る……意外に落ち着いた表情で、イビルアイの指示を待っていた。その信頼が痛い……しかし切羽詰まった中でも信頼されるとはこういうことだ。
「どうかしましたか?……契約延長のお願いと交渉に来ました。どうかドアを開けて下さい」
「……おう、すまねえな。今着替え中なんだよ。もう少し待ってくれや」
ガガーランが苦しい言い訳を捻り出したが、稼いだ時間は僅かなものだ。
その間にカドランを安全圏に移さねばならない。
が、何も思い浮かばない。
カドランを見る。
この窮状にも落ち着いたまま、彼は上を指差した。
屋根……はダメだ。外にいる3人はそんな小細工に気付かないような手合いではない。むしろその為にいる、と考えるべきだ。当然、警戒されているに違いない。
続けてカドランは「天井裏」と小声で言った。
パニックですっかり忘れていたが、カドランはシーフだった。
イビルアイは即座に頷き、カドランを促す。
カドランは見事な動きで天板を外し、音も立たず天井裏の闇の中に消えた。痕跡も一切遺していない。
彼の身なりや見た目からは想像するのも難しかった。革鎧を脱いでいると、どう見てもどこぞの良家の出来の良い息子にしか見えないのだ。
イビルアイは頷き、ガガーランがドアを開けた。
「よぉ、契約更新してくれるってか?」
ゼブルは室内に入ると「座っても?」と直前までカドランが座っていた席を指差した。
イビルアイは内心の動揺隠す仮面に感謝しつつ、大きく頷いた。
ゼブルは当然のように椅子に座り、室内を見回す。
「ラキュースさんは?……リーダー不在だと決められないのでは?」
2人とも反応に困った。
ゼブルがどこまで知った上で話しているのか……?
先程からの行動も妙に思わせ振りに感じてしまう。
全てを知った上で、警告なりおちょくるなりしている可能性が排除しきれないのだ。
ゼブルの言葉を言った通りに受け取っても、たしかに契約となるとリーダー不在では決定できない。
だがラキュースが戻るまで待たれるのは困る。
かと言って、今日再訪問されても困る。
「明日じゃ、拙いのかよ?」
「いちおう『青の薔薇』の皆さんにはお世話になったので、乗り遅れないように配慮したのですが……」
「乗り遅れるだぁ?」
ゼブルの説明では「終局が見えた」と言う……それも残り1〜2戦で。
現状でもゼブルとの契約では竜王国と契約するよりもおよそ4倍の金額を得ているのだ。そしてゼブルの契約の特徴は勝敗を問わないのである。つまり単純に契約期間中規定回数参戦すること自体の報酬が白金貨100枚なのだ。敗退や撤退が依頼失敗と見做されず、それによる減額がない。
同じ命懸けの仕事であれば、減額規定が無いのはこの上なく美味しい。
「今夜……俺達は夜襲を仕掛けます。ビーストマン共の族長会議がある、との情報を得ました。それで大勢は決します。頭を失えば、後は残敵掃討だけ。大規模戦闘の機会は残されていても1回といったとこでしょう」
「それで、わざわざ俺達に高額報酬を恵んでくださるってか?」
「気に入りませんか……王都でご迷惑をかけているようなので、これでも償いのつもりなんですがね」
「随分と安く見られたもんだな」
安くはないな、決して……等分割りしてもアダマンタイト級冒険者の体裁を保ったまま1年以上、遊んで暮らせる……それが増えるのならば、かなり美味しい話だ。
いつもと違い先にガガーランかキレた為、イビルアイは妙な冷静さを保ったまま、心の中でツッコミを入れた。珍しくガガーランが熱くなっているのは果たして芝居なのか……イビルアイには判断がつきかねた……が、期待されている役割は明確に理解した。
キレて、とにかく一度追い出す。
その後、こちらの都合の良い時に謝罪でもなんでも出向く。
不思議と逆鱗に触れる気はしない……なんだかんだゼブルはアダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』のブランド価値を理解している。あくまで利用できる駒として、であるが重要な駒程度には考えているのだろう。決して扱いが良いわけではないが、積極的排除に動くとは思えない……まあ、だからこそここまでムカつくのではあるが……
重要なのは時間をコントロールする側に回ることだ。
その間にカドラン保護の約束を女王から取り付ける。
……そんなところだろう。
とにかくゼブルのペースに乗せられたら、居座られる可能性もあるし、なによりも保護すると約束したカドランを引きずり出されるかもしれない。
「落ち着け、ガガーランっ!」
イビルアイは怒りに任せて身を乗り出すガガーランとテーブルの間に割って入った。
「……済まないが、ゼブル……どの道、契約となったらリーダー不在では決められない。良い話を持ってきてくれたのは感謝するが、恥ずかしい話だが見ての通りだ……いま暫くすればガガーランも落ち着く。今度は私達から出向くので、ここは引き上げてくれないだろうか?」
深く頭を下げた……こんな役回りはもう二度とやらん、と心に刻む。
ガガーランの荒い鼻息が背に当たっていた。
ゼブルは薄く笑い、椅子から立ち上がった。
「……了解しました」
そのままドアに向かい、ドアノブを握る。
イビルアイがホッと胸を撫で下ろした瞬間、振り返った。
「では、1時間後に……宿で待っています」
動いていない心臓が止まりかけたが、大した内容ではなかった。
1時間であれば様々な問題が処理できる。
「ですが、それ以上は待てませんよ……さっき言いましたよね。俺達は夜襲を仕掛ける予定なんで……」
「ああ……必ず間に合わせる」
早く出て行け!……イライラしながら仮面に感謝した。
ゼブルがドアを開けた。
そして再度振り返った。
やっぱりコイツとは完全にウマが合わない……そう確信した。
「あー、そう言えば、廊下にネズミがいたので捕らえました……」
黒コートのポケットから小さなネズミを2匹取り出し、見せる。2匹共に眠っているのか、ゼブルの左手の人差し指と中指と薬指に首を挟まれ、だらんと弛緩した身体が垂れ下がっていた。
イビルアイの動きが完全停止した。
ガガーランは叫ぶのを必死に堪えているのか、左手で口元を覆った。眼球の毛細血管が破裂せんばかりに浮き立っている。『鉄砕き』を握り締める右手は壊れんばかりにギリギリと音を立てていた。
「……1匹だけ逃げられたんですよ。捕まえた2匹はまだ生きています。残る1匹も捕まえなきゃなりません。見付けたら……このまま仲間を置いて逃げるならば、仲間は処分すると教えてあげて下さい」
「ゼブル……てめえ!」
「待て、ガガーラン!……アイツはまだ雇用主だ!」
今にも振りかぶられようとしていた『鉄砕き』が止まった。
それを見たゼブルは再度ネズミをポケットにしまう。
「このタイミングで、わざわざ俺がここに来た意味を考えて下さい……余程のバカじゃなければ、どうすれば良いか判断できるはず……ですよね?」
ニコリと笑いを見せ、ゼブルは振り返った。
同時にガガーランの限界が訪れた。
威嚇もなく、警告もなかった。
室内なので全力でもない。
しかし最速の一撃がゼブルの後頭部を襲う。
「……がっ、ガガー!」
イビルアイの全力の制止を振り切り、『鉄砕き』が打ち据えられた。
ゼブルの後頭部は潰れ、崩れ落ちる……はずだった。
左手が後頭部に添えられている。
滴り落ちる赤黒い血……しかしゼブルは微動だにせず、何事も無かったかのように振り返った。
そのまま何が面白いのか、大声で笑い続けた。
ダメージで気でも狂ったのか……?
肩で荒い息を続けるガガーランを抱きとめたまま、イビルアイはどう声を掛けるべきか考え続けた……が、的確な言葉が浮かばない。本来は怪我の具合を気遣い、とにかく謝罪するべきなのだろうが、あまりな急展開であり、どんな言葉もゼブルの左手を染め上げた血液を前にしては無意味に思えたのだ。
やがてゼブルは真顔に戻り、いつも通りの薄い笑いを浮かべる。
「だ、大丈夫なのか……?」
戸惑うイビルアイに、ゼブルは左手を差し出し、五指を広げた。
……圧し潰れ、真っ赤に染まったネズミの死骸が2つ。
「もう一度だけ言いますよ……感情に流された結果がこれです……ネズミの仲間は死にました。そして殺したのはネズミを匿おうとした貴女達です。俺は安全が確保されるならば別に殺すつもりはない。ネズミ共がどういうつもりで嗅ぎ回っていたのか……それが確認できればどうこうするつもりはありません」
ゼブルの表情が消えた……いかなる感情も感じ取れない。
「……思い上がるなよ、ニンゲン……」
一瞬にして空気が凍った……が、次の瞬間にはいつもの薄笑いが恐ろしく整った顔に浮いていた。
ゼブルが立ち去った。
廊下に打ち捨てられたネズミの死骸。
イビルアイはその場に呆然としゃがみ込んでいた。
ガガーランは『鉄砕き』を支えに辛うじて立ってはいたが、心は砕かれていた。
*************************
夜の闇よりもさらに深い闇色のドームが荒野に出現していた。
部外者の接近が想定外の被害を生む可能性があるので、ドームの外周からさらに500メートル離れた地点を囲むように王都から呼び寄せた肉腫持ちの配下達とが警戒線を作り上げていた。それをジット、ブレイン、エルヤーの3人が仕切っている。
この時点で夜襲は完了であり、竜王国の大局的勝利が確定していた。
夜襲とは言うものの、これは戦闘と呼んでよいものか?
むしろ現出した地獄と呼んだ方が良いのかもしれない……ビーストマンという種に限定されたものではあるが……真っ黒な霧の結界に包まれた阿鼻叫喚の地獄絵図の中、正体を晒した俺は逃げ惑うビーストマン共の中を悠々と進んでいた。
腐食の霧の結界に触れれば、死……そして無。
腐り落ち、朽ち果て、文字通り汚れた土に還っていく。
俺は奴らの知らない姿だ。歩くだけでビーストマンを死滅させた人間の姿でなく、本体である魔神だ。
力の差は歴然。
しかし確実に死滅する黒い霧よりはマシ……もしくは霧を発現させた張本人と理解したのかもしれない。
侵攻当初は俺に立ち向かう者もチラホラいた。
しかし一人また一人と死骸すら遺さずにあっと言う間に汚泥と化して崩れ落ちる光景が、同時に敵に抵抗する気力も崩壊させたのだろう。
逃げ惑うだけのビーストマンが勝手に混乱し、活路を求めて次々と腐食の霧に飛び込み、汚泥と化す。
それが知れ渡るとビーストマン共は死のドームの中心に殺到して行った。
悲鳴と絶叫と恐慌の中、魔神アバターの俺は無人の野を進むが如く、ただ真っ直ぐ進んだ。
目的地は族長会議が行われる予定だった大天幕。
俺の配下と成り果てた「東の獅子の部族」の次期族長以下32名が扇動工作した結果、総族長に加え50を超える部族の全族長と次期族長及び各部族の筆頭戦士が参集しているはずだった。
そいつらをまとめて服従させる……それが真の目的だ。
天幕の前に立つ。
特攻する白い虎のビーストマンが俺に触れることも叶わず崩れ落ちる。
そしてビーストマンの抵抗が止まった。
ビーストマンの群衆……と言っても、総族長の出身である「平原の白虎の部族」がほとんどであるが……各部族の有力者達が顔を揃えていた。
その雑多な顔ぶれを見ればすぐにでも理解できるが、ビーストマンは家格や知恵や年齢でなく、強者にしか従わない。
屈強な戦士や族長が俺の前に並びたち、逃げ場を失った恐慌状態の群衆がその背後から怯え切った視線を投げかけていた、もはや族長達や戦士達にも期待を抱くことはできないようだ。
一際巨大な白虎のビーストマンが、2人のビーストマン戦士に守られながら一歩進み出た。
「ぬしは何者だ?……この霧を仕掛けたのはぬしか、小さく黒き者?」
初めて見る生き物……強いのか?……食えるのか?……そんな目だった。
「選べ……服従か、全滅か……どちらがいい?」
「言葉は通じる……しかし答えぬか」
「お前は俺の問いに答えるべきだ……お前に問答を許可した覚えはない」
「言うではないか、小さく黒き者」
巨大白虎の表情が明確に変わった……凶相……破壊衝動が伝わる。それはそのまま周囲のビーストマンに伝播したようだ。肉食獣の反応丸出しの顔が居並んだ。ただ一人、一番右端にいる獅子のビーストマンを除いて。
しかし、まあ、どいつもこいつも弱い。デカブツの総族長ですら40レベルにも達していないだろう。しかも亜人種の中では比較的伸びるビーストマンの種族ステータスとはいえ、本来の異形種ステータスを取り戻した俺とは比較にもならない。元々が爪や牙を重視して戦う連中だから、武器も大した物は持っていない。それ以前に上位物理無効化Ⅲで低レベル亜人種の攻撃なんぞ一切通るわけがない。
ビーストマンの最精鋭……数はおよそ200といったところか?
コイツらを肉腫蠅抜きで生かしたまま屈服させる。
生かしたまま、と言うのが難題だ。
精鋭中の精鋭なのだから当然プライドは高いだろう。
普通に考えれば「勝てない」と思わせる必要があるが、数が多過ぎる。つまり時間が掛かりすぎる。逃亡を許さない為には腐食蠅の召喚限界時間以内に終わらせる必要があった。
「東の獅子の部族」に使った方法は、心を折る役目は充分に果たすが死ぬ奴があまりに多過ぎた……可能であればレベルダウンはさせたくない。
腐食蝿は既に結界と護衛で使用しているが、そもそもオーバーキルだ。
魔法も魔神のステータスが反映されたら、第一位階の『魔法の矢』すら低レベル亜人種相手では必中必殺の性能に化けてしまう。
今の姿では単に殴るのも厳しいか……一撃死させるつもりがなくとも、連中の身体が耐えられるわけがない。
かと言って『人化』すると腐食蠅が制御から離れてしまう。
魔法やスキルで精神支配するのも違う……効果を維持できる時間が短過ぎる。
と、なれば……
よく考えてみれば、思っていたよりも面倒だな……
手にしたのはティーヌのスティレット。
他の武器では攻撃力が高すぎる。
それでも単なる拳の殴打よりはどうしても攻撃力は上がってしまうが、突きのみであれば攻撃面積は遥かに小さくなる。
俺はゆっくりと総族長に向かって進んだ。
俺の身長と比べて3倍……体積は10倍近いかもしれない筋肉ダルマ。
獰猛さの象徴である牙が剥き出しの凶悪な笑顔。
「ぬしは強いのだろうな……だがこの数を相手に勝てるものかよ!」
筋肉ダルマが号令した。
同時にビーストマン達も動く。
ただ一人、獅子のビーストマンは右端で目を閉じていた……それで良い。
乱戦が始まった。
と言っても一方的な蹂躙には変わらないが……上位物理無効化Ⅲが効果を発揮し、連中の攻撃は何一つ通らない。
一人づつ両腕の付け根と両の膝に正確にスティレットを通していく。
一人また一人と悲鳴上げながら倒れ伏し、俺の攻撃から逃れようと転がり、這い出していた。
「東の獅子の部族」はの次期族長指示の下に自分達がやられた通り、負傷者を一ヶ所に集めていった。当然治療はしない。
そして50名ほど仕留めた後、総族長は戦闘停止を命じた。
まあ、そりゃ、気付くわな……余程のアホじゃなきゃ。
誰も死んでいない。
そして攻撃は当たるのに俺には傷一つない。
戦力差は圧倒的……である以上、殺す以外の目的がある。
「ぬしは何者だ?……目的はなんだ?」
「まーた、最初から、かよ……服従しろ、って言ってるんだ」
「我らにどうしろと?」
「お前らの命と引き換えに、ビーストマンという種を存続させてやろう」
種の存続……ビーストマンは他にも大陸中央に大きな国家を築いていると聞いた。だからこの国……いや部族単位でもいい。俺と敵対すれば簡単に滅ぶのは理解できた……はず。
「……我らの命?」
「そうだ。族長会議に参集した者達全ての命と引き換えだ……まあ、足りなければ多少は他の者の命も頂戴するが」
「我らの命をぬしに捧げれば、この霧は無くなるのか?」
「この霧に限らず、竜王国から撤退すれば残りの者を助命するだけでなく、その後の存続にも手を貸してやろう」
「……ぬしは人間に見えぬ。人間よりも遥かに強い。我らよりもだ。それでも人間に味方するのか?」
「人間の味方ではないかな……俺は利用できるものは全て使う。だから人間も使うし、お前らも使う。そして降れば報いてやろう」
「儂を含め、族長達の命ならばくれてやらんこともない。たとえ国を挙げて、ぬしと戦っても勝てないことは理解した。だから潰しても構わんし、如何様にも使い倒しても構わん。しかし我らは大きな狩場を失う……それではぬしが約束するというビーストマンの存続も怪しかろう?」
「……つまりお前らが満足する量の食料を用意すれば、問題無いわけだ」
「可能なのか?」
「人間しか食えないというわけではないのだろう?」
「まあな……しかし人間の肉は美味い」
「滅ぶ瀬戸際で味の要求か?」
「……いや、失言だった……では、我らは降ろう。反対する者はあるか?」
ビーストマン最強である総族長の言葉に誰も逆らえない。
そして総族長がビーストマンが挙国体制で臨んでも勝てないと判断した俺に逆らう者など現れるはずもなかった。内心はともかく、少なくとも今は従うべきと判断したのだろう。
強い者に従うという性向は実に都合が良い。
なんとなく魔皇ヤルダバオトの気持ちが想像できた。
頭を制御すれば種族丸ごと配下となるのだ。
実に効率的で都合の良い駒だと確認できた。
「では、全軍撤退しろ……国境の向こうまでな」
腐食の結界が消えた。
同時に結界を維持していた腐食蠅が消えた。
ビーストマン達が総族長の号令で撤退を開始した。
精神的な敗者の群れがトボトボと南に向かって歩き始めている。
護衛の腐食蠅2匹も消えた。
汚泥に塗れた大地を見て、俺は笑顔を作った。
「どうか無事でいてくださいよ……『モモンガ』さん」
心の奥で僅かに灯っていた種火がほんの少しだけ大きくなっていた。
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結局、カドランを止めることはできなかった。
暗示的と言うよりも、ほぼ直球の脅しを聞かされていたのだ。言葉の裏読みが上手いカドランだけに「お前が出頭しなければ仲間を殺す」と面と向かって言われたに等しい効果があった。
ゼブルが帰った後、カドランは極度に思い詰めた表情で天井裏から降りてきた。普段は柔和なカドランの表情だが、まるで緊迫感を周囲にぶち撒けているようだった。頬から血の気が失せ、逆に白目は血走っていた。
「本当にありがとうございました……でも、行きます」
言葉が出なかった。
脳裏に「思い上がるなよ、ニンゲン」と言う冷たい響きが繰り返されていたのもあるが、それ以前にカドランの強烈な意志が伝わっていた。生存していると示唆された仲間を救う気持ちをどうしても否定できなかったのだ。
同じ状況であれば自分達も同じ道を歩むかもしれない……その思いが言葉を吐かせなかった。
呆然とカドランの背を見送ること5分……開け放たれたままのドアから飛び込んできたのはティナだった。
「カドランを鬼ボスとティアが追って行った……何があった?」
そこでようやくイビルアイもガガーランも気付いた。
顔を見合わせる。
「「行こう!」」
イビルアイ、ガガーラン、ティナの3人は走った。
簡単なことだった……何故、こんな単純な事に気付かなかったのか?
ゼブルは『青の薔薇』を排除するつもりがない。
だから何度も何度も警告したのだ。
その気ならば、とっくに殺られている……否、少なくともその兆候は伝わるし、時間の猶予など与えるはずがない……そういう奴だ。
脅しにも示威行動にも思えたが、最後の一言を除いて彼の言葉の本質は「匿うな」であった。一緒に出頭することは拒絶していない。
つまりカドランの身の安全を確保する為には立ち合えば良いのだ。
イビルアイとティナはガガーランを置き去りにして、竜王国の街路を疾走する。冒険者の慣習として大雑把な街路と建物は把握していた。ガガーランもいずれ追い付くだろう。だから置いて行く。
間に合え!……無事でいろ!
もはや街路は使っていない。
イビルアイは飛び、ティナは屋根の上を疾走している。
目的の建物……ゼブル一党の逗留する安宿が見えた。
理由は判らないが、ゼブルは安宿を好む。王都でも安宿に逗留していた。ここ竜王国の首都でも『青の薔薇』が定宿とした高級宿などには見向きもしなかった。竜王国の用意したかなりマシな宿舎も断っている。
結果、金満雇用主の方が安宿にいるという不自然な状況か生まれたのだ。
イビルアイとティナは宿の一階の飯屋兼酒場に飛び込み、カウンター奥の赤ら顔の店主にゼブルの部屋を確認した。
店主は部屋の位置については躊躇なく教えてくれた。
「すまんが、先を急ぐ」
一言礼を言い、イビルアイはティナを伴って二階へと続く階段へ向かう。
「あー、待ちな……旦那達はいないぜ。なんでも予定が早まったとかで、みんなで出て行ったぜ」
「なんだと!……ではカドランは……身なりの良い白金級冒険者の青年はどこに行った?」
「少し前に必死の形相で駆け込んで来た奴か?」
「ああ、多分そいつで間違いない」
「旦那達と一緒に出て行ったぜ」
「本当だろうな?」
「あんたに嘘言っても、俺に得は無えな……別に信じなくてもかまわねえよ」
自身の無礼を指摘され、イビルアイは素直に謝罪した。
たしかに店主の言う通りだった。
焦りで状況が見えなくなっている事実を反省する。
「ゼブル達は何処に向かった?」
「さあな……旦那の部屋を見てみりゃ、なんか手掛かりでもあるんじゃねえかな……もし『青の薔薇』が来たら、入室を許可してくれ、と……サイドテーブルに契約書を残しておくから、それを持ち帰って、同意するならサインして持って来てくれ、と……伝えてくれ、だとよ。ついでに誰もいねえから、勝手に探ってみりゃいいんじゃねえか?」
さすが安宿と言うか……高級宿ではとてもありえない案内を店主は他の客でそれなりに混雑する店内で堂々と言った。
だが、この際はありがたい……店主公認の家探しだ。
「了解した。すまないな……でも、私達が『青の薔薇』を騙る窃盗犯ならば責任問題になるんじゃないか?」
店主は初めてイビルアイの方を向き、一瞬意外そうな顔を見せた後、ゲラゲラと笑い始めた。
「んな、アホウがいるか!……あの旦那の荷物に手を出そうってだけで相当な馬鹿モンなのによぉ……よりによって最悪に目立つ『青の薔薇』を騙るとか、本当なら正気を疑うぜ。その上で俺に案内求めたんなら、逆に褒め称えなきゃならねえよ……コソ泥風情がアンタらの真似なんかするわけねえだろ」
言われてみれば「ごもっとも」だった。
「改めて、すまないな……では、部屋を見させてもらうぞ」
「おう、勝手にやってくんな」
「待って、イビルアイ……鬼ボスとティアが来たはず」
それまで黙っていたティナが口を挟む。
「綺麗なねーちゃんとアンタのそっくりさんなら、さっき旦那達を追って一緒に出て行ったぜ」
……そちらを追うべきか?
考えたのも一瞬、イビルアイはティナに追うように指示し、自身は二階へと向かった。ガガーランの到着までの間、店主の言葉に従うつもりだった。
ドアが開け放たれたままの角部屋に侵入し、サイドテーブルに契約書の束を発見した。店主の言う通り、この部屋がゼブルの投宿先で間違いない。
寝台が2つ……つまり2人部屋……しかし荷物は背負い袋が1つだけ。
背負い袋を手に取る。
荷はそれなりに詰まっているが、軽い。
分厚い布製の、よく旅人が持つタイプだ。
一瞬の躊躇の後、開口部の皮紐を解く。
下着、下着……これも下着、あれも下着、やっぱり下着……
荷を全部取り出しても全て下着だった。
再び丁寧に元に戻す。
何も無い部屋……で、済まして良いものか?
改めて見回しても何も無い。
諦めて、契約書の束を手に取る。
契約書……そう言えばゼブルの文字を見た記憶が無い。
女王との会談時も契約条件をメモしていたのはジットだった。宰相に手渡した最終的な書面もジットが仕上げたものだった。サインすらしていない。
……ひょっとしてヤツは文字が書けないのか?
いや、ありえないだろう……女王との会談内容から考えてもかなり高度な教育を受けているように感じられた。計算も早い……そこらの商人や役人では敵わないほどだ。
しかし……念の為、か……
部屋を出て、隣室を覗く。
同様に施錠されてはいなかった。
やはり寝台は2つ……2人部屋……窓の位置以外、全く同じ作りの部屋だ。
この部屋には同じような背負い袋が2つ転がっていた。
中身を探っても、やはり男物の下着だけ。
……無駄足か?
下着を元に戻す。
そして何気なく寝台の間のサイドテーブルを見る……こちらの部屋には何も無かった。
フンっ、無駄足か……宿の外でガガーランを待つ……急いで出なければ。
そのまま部屋を後にしようとした……その時、寝台とドアの間にあるソレを見つけた。あまりにそこにあるのが自然だった為に、隣室に無いソレをスルーしてしまったらしい。
屑カゴだった。
イビルアイは慌てて手に取り、中身を確認する。
香ばしい残り香のする串が数本……おそらく屋台で売られている何かの串焼きのものだろう。
汚れた布が数枚……身体を拭いたものか、非常に汗臭い。
そして丸めた羊皮紙……本命だ。
全部で2枚……内1枚はなぐり書きで内容は理解できなかった。そしてもう1枚はインクが大量に滲んで、それこそ読めたものではない。
イビルアイはなぐり書きの1枚を取り出し、上下左右にグルグルと方向を変えた……文字に見覚えがあった。ジットの文字なのは間違いない。しかしあくまでメモなのだろう。単語は理解できても意味を成していない。
「……これはビーストマン……眷属……か?……結界から、なのか?……後は支配……目的……秘匿……実験……成功……交渉……戦力……互角か……それに戦争……救出……いったいなんなのだ、これは?……裏でヤツは何を企んでいる?」
そこにはかなり物騒な単語が羅列されていた。
ゼブルが何をやろうとしているのか……いずれにせよ、良からぬ事には違いない。探らねば、追求せねばならないことが無数に思い浮かぶ。
しかし時間が無い……まずカドランの無事を確かめねばならない。
イビルアイは羊皮紙を元通り丸め、屑カゴに戻した。可能ならば持ち出したいが、あまりに危険過ぎる……知らぬ間に深入りし過ぎたカドラン達と同じ轍は踏めない。
メモの全単語を脳裏に焼き付け、部屋を立ち去った。
ただ一点……全く理解できない単語『モモンガ』の取扱をどうするべきか、ガガーランが到着しても決めかねていた。
お読みいただきありがとうございます。