死の王と蠅の王   作:マイクロブタ

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とうとうあの人を登場させることができました。
オーバーロードに登場する数多くの噛ませキャラの中で一番好きかもしれません。



24話 相場にまつわるエトセトラ

 

 事の発端は穀物相場の上昇だった。

 穀物相場が急騰したのを良い事に、領主であるモチャラス男爵が相場が落ち着いた後に穀物を買い戻すことを見越して、ギリギリ最低限の備蓄を残し、ほぼ全ての穀物を売り払ってしまったのである。

 最初は正解に思えた。

 嫡男と共に領内の村々を巡り、村の代表団を説き伏せて回った。

 

「相場はいずれ落ち着く……その時に買い戻せば、我々は食料を確保した上でより良い暮らしが出来るのだ。だから今は耐えてくれ」

 

 モチャラス男爵は嫡男と手分けして、なんとか領内の不安や不満を抑える事に成功した。

 後は待つだけ……しばらくすれば我々の生活は向上するのだ。領主であるモチャラス男爵はもとより、嫡男や領民達までそう信じて疑わなかった……否、疑うわけにはいかなかった。疑念を抱けば不安で圧し潰される……残された僅かな備蓄量を考えれば信じるしかなかったのだ。

 しかし、いつまで経っても穀物相場の上昇は止まらない。

 男爵だけでなく、全領民が祈っていた。

 明日には下落が始まる……どんなに祈っても相場は上昇し続けた。

 1週間後には落ち着くだろう……泣き喚いても天を呪っても、もはや暴騰とも呼ぶのが相応しい穀物市況は日々右肩上がりに上昇を続けた。

 1週間が経過した頃には、モチャラス男爵領が手に入れた金額では売り払った量の5分の1も買い戻せなくなっていた。

 穀物の買い戻しを想定した期間を自己都合だけで考えた為、あまりに短過ぎたのだ……帝国との開戦までに買い戻せば問題ない……モチャラス男爵の皮算用は無茶が過ぎた。

 領民達は絶望した。

 男爵は酒に逃避し、気がつけば村の代表団との接渉は嫡男と老執事が全面に立っていた……が、それも僅かな期間で終わりを告げた。さして広くもない領主の館の周囲を男爵の僅かな手勢が警備するようになったのである。

 領民達の怨嗟の声に囲まれた男爵の居館もやがて静かになった。

 領民達が諦めたのではなく、それほど食料不足が深刻な状態に陥ったのである。なにしろ不足どころか何も無いのだ。領民達もモチャラス男爵に説明された期間までに上乗せされた穀物が戻ってくると信じていたのだ。

 約束の時期はとっくに過ぎ去っていた。

 元から豊かどころか、都市部では想像もできないほど貧困なところにこの事態だった。領民達は木の実だけでなく、木の葉を喰らい、皮や根を喰らい、そこらに生えている雑草や地を這う昆虫で飢えを凌いだ。その頃には村内の家畜の類は家畜の餌に至るまで全て食い尽くされていた。やがては安全な村落周辺では低木どころか雑草すら無くなり、それまで少しは捕獲できていた小動物やトカゲやヘビや蛙や昆虫も近寄らなくなっていた。

 少しでも力の残っている領民は森に入り、運が良ければ動物を狩り、持ち帰ることができたが、運が悪ければモンスターの餌食になっていた。

 やがてはモンスターの食い残しまで目敏く持ち帰る者が現れた。

 もはやそれが何の肉や骨なのか、考える余裕も失せていた。

 言うまでもなく、傷病人、乳児、老人、子供の順で次々と死んでいく。

 それらは決して飢えだけが原因でなかった。

 口減らしだけでなく、乳児や子供が貴重な食料と化した例も少なくない。

 親が子を食い、子が死に争うために兄弟同士で殺し合う。

 少ないながらも先手を打ち、親を食った子まで現れ始めた。

 

 正にこの世の地獄だった。

 

 やがて生き残った全領民の肌がどす黒く変色し、眼窩が落ち窪み、眼光だけが異様な光を帯びた頃、モチャラス男爵領に更なる凶報がもたらされた。

 

 バハルス帝国皇帝からの宣戦布告である。

 

 そこの頃にはモチャラス男爵が手にした端金では10分の1も買い戻せなくなっていた。

 薄闇に隠れていた狂気と絶望が堂々と姿を現した瞬間だった。

 それまで酒浸りの廃人に過ぎなかったモチャラス男爵が、突如として貴族の義務に目覚め、モチャラス男爵領内で嫡男が中心となり無茶苦茶な収奪と無理矢理な徴兵が行われた結果、領民同士で殺し合い、食い合っていた領民達が一斉蜂起したのである。

 扇動の最初の一言は意外にも「男爵様の御一家は美味いんじゃねえか?」という、徴兵された農民の男の狂気に満ちたものだった。

 男爵から下賜された棒切れに紐で槍先を括り付けただけの粗末な槍……それが徴兵農民全員に行き渡った時が蜂起の始まりだった。

 限界を超えた空腹が昼日中にことを起こさせたのである。

 領主と領民による、食うか食われるかの凄惨な殺し合いが始まった。

 貧乏貴族である男爵に私兵は血縁の3人しかおらず、彼等もまた例外無く極限の飢餓状態にあった。蜂起か始まった当初、真っ先に逃げた1名以外は、押し寄せる領民達に抵抗すらできず、あっさりと殺され、食肉となった。

 領主の居館の庭先で彼等は処理され、焼かれ、その場で食われた。

 次いで軍馬も殺され、肉になった。

 男爵一家は屋敷に籠城するも、多勢に無勢は覆せず、近隣の縁者に救援を求めることもできなかった。

 扉を破壊される直前に説得に出た老執事は瞬時に殺され、鍋で煮込まれた。

 そのまま屋敷内に徴兵された領民達が突入する。

 嫡男は奮戦するも領民10人を返り討ちにしたところで力尽きた。

 嫡男を含む全ての遺骸は庭に運び出され、アンデッド化する前に食肉として処理された。

 残るは女子供と領主であるモチャラス男爵のみ……自害しても肉となる運命は避けられるはずもない絶望は男爵一家同士の罵り合いとなり、即座に自分だけは助かりたいという欲求から殴り合いと化した。やがて互いに殺し合うに至るまで、さして時間を必要としなかった。

 最後まで生き残ったのは唯一の成人男性である男爵だったが、それは自らの手で妻と嫡男の嫁と孫と血縁者である老メイドを斬殺した結果だった。

 一門の遺体を差し出し、卑屈な笑みを浮かべ、それまで自分の道具としか思っていなかった領民達に命乞いをする男爵が、自身が下賜した粗末な槍でハリネズミへとクラスチェンジしたのは一瞬の出来事だった。怨嗟の言葉すら残せず、モチャラス男爵は王国貴族から食肉に成り下がった。

 

 モチャラス男爵の最期の言葉は嫡男の嫁を引きずりながら言った「皆さんとは違う貴族の婦女子です。どうぞ皆さんで食べて下さい……柔らかそうでしょう」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 決して高級とは言えない酒場の奥のテーブルで一人で酒を飲む男……フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスは優秀この上ない自身の不当な扱いに憤慨し、誰もいない虚空に悪態を吐いていた。罵詈雑言と一緒に安酒の酷い臭いも撒き散らしている。

 当然のように誰も近寄らない。

 店の女中達すら、この厄介な客に対して、貴族どころか客に向ける視線を失い、ひたすら蔑みの視線を向け、心中で自身が呼びつけられないことを祈っていた。

 

 その厄介な貴族に近付く人影が現れたのに、誰もその人影が入店したことに気付かなかった。

 人影がテーブルの前に立つ。

 季節外れの分厚い外套姿……フードを深く被っていた。

 誰がどう見ても不審者だった。

 

「貴方がモチャラス卿で良いのかしら?」

 

 意外にも声音は少々ドスが効いているものの、確実に女のものだった。

 フィリップが酒に塗れ、濁った視線を向ける。

 

「貴方はフィリップ・ディドン・リイル・モチャラスで良いのか、って聞いてんのよ……酒で脳みそまでやられてんのかしら?」

 

 三男といえど貴族であり、他の誰よりも優れている故に妬まれ、仕官すら妨害された自分に対して、外套の女はあまりに無礼だった。

 

「なんだと、貴様……私を誰だと思っている!」

 

 受け答えだけでも愚かさが滲む……外套の女は深く息を吐いた。

 だが、これは仕事だ。

 対象がいかに愚者であっても我慢せねばならない。

 

「モチャラス卿なんでしょ?」

「いかにもモチャラス男爵家の三男……フィリップだ」

「一緒に来てもらえないかしら……良い話よ」

 

 絵に描いたようなバカであっても、さすがに不審に思ったようで、フィリップはテーブルの端をがっしりと握った。

 

「だっ、誰に対してものを言っているのだ!」

 

 愚かなだけでなく、肝も細いようで、精一杯の虚勢を張りながらもフィリップの声音は僅かに震えていた。過去に夥しい数の命のやり取り経験してきた外套の女からすれば、この名ばかり貴族の心胆が透けた現在、既に貴族として扱う価値を失っていた。

 

「私はシュグネウス商会のエドストレーム……それとも『八本指』の、と言った方が理解しやすいかしら?」

 

 泥酔で赤黒かったフィリップの顔面が真っ白になるまでものの数秒……更に真っ赤に染まり返すまで数秒。

 フィリップは視線が泳ぎながらもテーブルを強く殴りつけた。

 

「貴様らの所為で!……私はっ、私はぁあああ!」

 

 エドストレームは目の前の愚か者の置かれた状況を反芻した。

 王国辺境の弱小貴族である父モチャラス男爵から「嫡男に跡取りの男子が誕生した故、お前は仕官せよ」と単身王都に放逐された後、父が用意した仕官の為の有力なコネである某伯爵から初対面の態度で忌み嫌われ、いきなりコネを失った。その後実力で登用試験を受け、挽回を期すものの、一切の努力をしていなかった為に圧倒的な落第点を叩き出す。そこで貴族としては完全にドロップアウトし、何もせずに王都で遊び歩く毎日……当然手持ちの金を失い、勝手に実父を保証人としてシュグネウス商会から借入した。その後も借金は膨らむ一方……返済を迫られ、逃げ出したところを警備部門に捕まった。

 そこで故郷であるモチャラス男爵領の主要産品である穀物買取に協力させられた。一見して、素人目にも素晴らしいプランだった。父も兄も簡単に信じ切った。口利き料として受け取った金で、シュグネウス商会からの借入を返済したのである。

 その後、フィリップは気になって穀物相場を確認する度に、恐ろしいまでの絶望を感じていたのである……もう二度と故郷の土は踏めない……再び借金の原因となった酒に逃避したのである。

 

「自分の命を繋げたでしょ?……お兄さんを捨てた男爵が助けてくれるとでも思ったのかしら?」

 

 捨てられた自覚も無い……救いようない愚か者……血筋を頼みにしながら、胡散臭い話を血の根拠である実家に持ち掛ける……エドストレームは目の前の不快な生き物と同じ空間にいるのが煩わしくなっていた。

 

「貴様らの持ち掛けた話はどうなった!……穀物相場が落ち着く気配などないではないか!」

「私共は期日を約束した覚えはございませんが……素人の私が普通に考えても帝国との戦争が終わるまでは上昇局面でしょ。そんなことよりも……」

「そんなこととは何だっ!」

 

 激昂したフィリップが立ち上がり、エドストレームに掴み掛かろうとした。

 が、動きが止まる。

 首筋にピタリと銀色の刃が当たっていた。後1ミリでも力が加われば刃があっさりと首に食い込むのは確実だった。

 

「いい加減、クソの世話はうんざりなんだよ……大人しく着いてこい、って言ってんだ……お分かり、貴族のお兄さん?」

 

 フィリップがゆっくりと頷いた。

 エドストレームは刃を外套の中に戻した。

 

「さあ、そのまま前に進んで下さいね、モチャラス卿」

 

 フィリップが項垂れたまま店の外に出ると漆黒の馬車が停車していた。

 

 

 

 

 

 

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 望外の幸運とはこのことだった。

 父が死に兄が死に兄の長男も死んだ……より正確に言えば、フィリップ以外のモチャラス男爵家直系にあたる一族郎党が全て死に絶えたのである。

 強制かつ自動的にフィリップはモチャラス男爵家の当主となった。

 治めるの不吉な地であるが、基本的に帰らねば良いのだ……シュグネウス商会がフィリップに無償で貸し与えるという広大な敷地を誇る邸宅を、王都の高位貴族達の邸宅が集まる一角に得ていた。むしろ田舎臭い領地になどどうしても外せない公用でもなければ帰りたくもない。

 そのどうしても外せない公用である叛徒討伐も既に果たしていた。シュグネウス商会が手配した1000の精兵団をフィリップが率い、あっと言う間に鏖殺し、平定したのだ。

 領地の復興に関してもシュグネウス商会が労働力を手配し、農地に限らず恐ろしい勢いで再開発していると言う。基本的に帰りたくないので報告を聞くだけの知識だが、いずれ地域の要衝となるのは間違いなさそうだった。

 シュグネウス商会との連絡役は目の前の褐色肌の美女……エドストレームが秘書兼護衛として派遣されていた……から逐一詳細に報告がもたらされた。当初は彼女に怯えていたが、何事においても従順であり、何があっても気の強いところは見せるものの、反抗の気配すら見せたことがない。暫く同じ空間で過ごしていると、シュグネウス商会からの命令には絶対服従なのだろう、と予測はついた。いずれは「犯してやろう」などと脳内で妄想する程度には余裕も持てるようになった。むしろ性欲の処理まで命令されているのではないかと密かに期待するほどだ。

 シュグネウス商会との利益分配は1対99と今でも承服しかねる割合だが、フィリップが支払うコストは実質0である。自身は邸宅の高級ソファにふんぞり返って、美味い酒でも飲みながら王国の行く末などに想いを馳せているだけでそれなりの金額を得ていた。ほんの数日前まで金に困窮していたことなど都合良く忘れている。むしろ「金を稼ぐなどという行為は下賤の行いだ」ぐらいに考えが変わっていた。

 さらにどのような宮廷工作があったかは不明だが、モチャラス男爵家は目前に迫った帝国との開戦において、参戦義務が免除されていた。まあ、参戦しろと言われてもただ一人の領民すら持たぬ身であり、自身の保有する戦力を用いたものではないとはいえ、叛徒を滅殺した直後でもあった……だから免除されたのだろうなどとお気楽かつ簡単に考えている。

 借金に追われ、食いつめていたのが嘘のような現状に、フィリップは大いに満足し、自身の優秀さを国家に認められたような気になっていた。

 そう勘違いしても仕方ないと思える事情もあった。

 フィリップのあり得ないレベルの成り上がりに、目敏い貴族達は背後で働く力を感じ、必死に接近を試みていたのだ。いまや王都で逆らう者など存在しないシュグネウス商会と背後に隠れる武力集団としての旧『八本指』……そして少し前に噂となった魔皇ヤルダバオトに少しでも繋がりを作りたいという者達が連日フィリップの邸宅に日参していたのである。

 

 今日も朝からフィリップを訪ねて、貴族達が列を連ねている。

 エドストレームによれば、今からトップの中のトップの権力者が訪問してくると言う。その権力者が求めているのは実質的にはエドストレームとの対話なのだが、フィリップの秘書という表向きの立場上、形式的とはいえ主人を差し置いて会話するわけにもいかない……他の訪問してくる貴族達も多少でも頭の回る者達は全てエドストレームとの対話を求めているのだが、これまでのところ有頂天のフィリップが気付くことはなかった。

 

「モチャラス卿……エアリス・ブランド・デイル・レエブン侯爵閣下がいらっしゃいました」

「お通ししてくれ」

 

 レエブン侯……貴族の中の貴族である六大貴族の一員であり、その頭脳の冴えは抜きん出ていると聞く。貴族派閥と聞くが、第二王子であられるザナック王子の腹心……いや、盟友との噂もあった。そして子煩悩……若い頃は王権簒奪を志すような野心家だったが、嫡子を得た瞬間から、単なる有能な貴族に変わったらしい。

 

 エドストレームから教え込まれた前情報を反芻しながら、フィリップはソファから立ち上がり、レエブン侯を出迎える準備をした。

 

「これはお初にお目に掛かるモチャラス男爵」

 

 レエブン侯と目が合った瞬間、フィリップは息を飲んだ……印象を一言で言えば「老獪な蛇」だった。蛇に睨まれた蛙……フィリップの脳裏に浮かんだのはそんな言葉だった。もちろん蛙は自分だ。

 だが形の上だけとはいえ互角なのだ。この海千山千の老獪な蛇が、対話を求めて、わざわざ開戦直前の多忙な時期に蛙でしかないフィリップに会いに来た事実こそが重要なのだ。男爵でしかないフィリップの格が急上昇するのは間違いなかった。

 

「フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスに御座います、侯爵閣下……以後、お見知り置きを願います」

 

 馬子にも衣装……フィリップの着衣もレエブン侯に負けず劣らずの超高級品であった。人間としても経験で劣るとはいえ、いずれ同じ場所に立つのは間違いないのだから……

 

「では、モチャラス卿、時間も無いので率直に聞こうでないか……卿はどのようにしてシュグネウス商会と関係を築いたのだ?……旧『八本指』の流れを汲むとはいえ、シュグネウス商会は表立って貴族を籠絡するような行動は控えていたはずだ。私の集めた情報では、せいぜい商会としての要求を通す為に利権を握る官僚や貴族に賄賂を渡す程度だったはず……だが卿はシュグネウス商会丸抱えで自領を回復し、シュグネウス商会の宮廷工作で参戦義務を回避し、シュグネウス商会の資金援助によって自領の復興を進めている……言っては何だが、それまでの卿は……まあ、控えめに評価しても救いようのないクズだ。それが男爵となった瞬間からシュグネウス商会の力が背景に見えるものの、小さいながらも派閥すら形成しつつある。言わば若年貴族の輝ける星だ。どうやって、そのような力を得たのだ?……より簡単に言えば、シュグネウス商会との関係性を説明して欲しいのだ」

 

 単刀直入そのもの……レエブン侯の言葉は舞い上がっていたフィリップに冷水をぶっ掛けるがごとき威力を発揮した。

 フィリップは言葉を詰まらせる。

 レエブン侯は全てを調べ尽くした上で、フィリップに面会を求めたのだ。そしてレエブン侯の最終的な目的はシュグネウス商会にあるのも明白だった。もはやフィリップが取り繕える段階になく、それこそ正にレエブン侯の狙い通りなのだろう。別にフィリップを咎めているわけでもなく、レエブン侯は純粋にシュグネウス商会を前面に引きずり出し、その上で商会会頭との関係構築を狙っているのだ。それを明確に知らしめる為にエドストレームの前でフィリップを詰問している……フィリップの異様に高過ぎるプライドが自身を蔑ろにする意図を見抜く。このような意図に対してだけは凄まじく敏感だった。

 

「主人はこのところ会談が続いている為、かなり疲れているようです。我が主人に成り代わり、発言することを許していただけるでしょうか、侯爵閣下?」

 

 フィリップの沈黙が続いたからか、エドストレームが進み出た。フィリップの許可など求めない。南方由来の女性用スーツに身を包み、普段の肌の露出は抑えている。

 

「そうでしたか……それは失礼した、モチャラス卿……では、代わりに説明を願えますか、エドストレーム殿」

 

 レエブン侯も落ち着いた声音で対応した。既定路線……フィリップを除く2人の間で視線による意思疎通は既に成っているのだ。

 

 エドストレームは滑らかに言葉を紡ぎ、それを聞くレエブン侯は一々大きく頷いていた。

 

 フィリップは屈辱に塗れながら、流れから取り残され、大きく傷付けられた自身のプライドを取り戻すべく、脳内でレエブン侯を斬殺し、エドストレームを好き放題に犯した。

 

「……なるほど、都市開発の実験とデモンストレーションですか?」

「左様で御座います、侯爵閣下……モチャラス卿には我々の新規事業の実験にに多大な協力をいただいております。ちょうど全領民を失われたのも我々にとって非常に都合が良う御座いました。商会会頭であるシュグネウスもモチャラス卿に強く恩義を感じ、それに応えているだけのこと……」

「モチャラス男爵領の叛徒共……つまり全領民を殲滅したのは、モチャラス卿に率いられたシュグネウス商会の私兵と聞き及んでおりますが……偶然……と呼んでよろしいのでしょうか?」

「偶然以外に領民の全てが大罪人になることなどあり得ましょうか?」

「…………あり得ない、のでしょうな……」

 

 レエブン侯が言葉の抑揚だけで恫喝する……真偽を探らせるぞ、と。

 

「あり得ません……侯爵閣下ともあろう御方が……常識で考えて、子供でも理解できる真実ですわ」

 

 エドストレームは戦士の間合いで斬り返す。言葉の勝負ではレエブン侯に一日の長があるのは否めないが、勝負そのものの土俵ではエドストレームに負ける要素など皆無だ。なにしろフィリップの実父である故モチャラス男爵の愚策による偶然の産物なのは間違いない事実なのだ。どれだけ緻密な策を巡らそうと裁判無し即時極刑の大罪人を量産することなど不可能だ。そこに関しては事実という鉄壁の防御柵が存在していた。

 いずれにしてもレエブン侯はシュグネウス商会に浸透する取っ掛かりを欲しているのだ。簡単に譲歩などできないし、王国有数の権力者であるレエブン侯相手に与し易しと思われたら、それこそ押し留めるのが不可能なレベルで踏み込まれてしまうだろう。まさかこんな些事で竜王国にいるゼブルを頼るわけにはいかない……真の主人に「使えない」などと思われることを想像するだけで震えが止まらない。エドストレームに限らず、配下の誰もがその恐怖には耐えられないだろう。

 

「家族に親族に加えて全領民を失った結果……モチャラス卿は望外の幸運を得た……と言うことですかな?」

「その上で外聞を気にせず、我々に協力するご英断を下されたが故……そこを忘れてなりません」

「つまり恥知らず、と主人を評しているのですかな?」

「侯爵閣下といえど、少々口が過ぎるのでは御座いませんか?」

 

 蛇の視線は抜け目なくエドストレームを検分していた。

 エドストレームも油断なく言葉の斬り合いを進めている。

 そして単なる傍観者と化したフィリップは怒りと恥辱に塗れ、レエブン侯と言う冷徹ぶった尊大な男と、下僕であることを理解していないエドストレームにいずれ復讐することを誓った。

 

 睨み合いが続く……お互いに少しでも有利な落とし所を探っていた。

 

「……王家に対し、叛の兆し有り……私がそう報告した場合、シュグネウス商会の運命はどうなるでしょうな?」

 

 遂に……と言うべきか、権力者が権力者であるが故の最大の武器を抜いた。つまりエドストレームとしては、ここを凌げば実質的勝利を手中に得ることが確定する。その為の武器を躊躇いなく抜く時だった。

 

「我が商会には困窮する現在の王国を救済する準備が御座います。それでも叛意有りと断ずるのであれば、止めはしません。我々は実績を示せば良いだけで御座います……盛大に恥を晒されればよろしいかと……侯爵閣下が政治指導者としての体面を失うだけのこと」

 

 レエブン侯は暫く黙り、やがてフゥと息を吐いた。

 視線から蛇のごとき険は消え失せ、小さく笑っている。

 

「……想定の段階でほぼ負けは確定していましたが、私の全力でも覆すことは叶いませんでした……では、素直に腹を割ってお話したい……もちろんエドストレーム殿と……可能であればシュグネウス殿も交えて」

「会頭は多忙につき、別途面談のアポイントを取得していただく必要が御座いますが、私程度であればいつでも可能で御座います……幸にして、現在は大した仕事を担当しておりません」

 

 2人は固く握手した。

 

 フィリップだけは忌々しげにその様を眺めていた……が、2人共に眼中に無く、その事実に気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

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 2頭のスレイプニルに牽引された馬車を降りると、雨雲は失せ、初秋の穏やかな陽光が大地を照らしていた。

 青空の下にあったのは巨大な建築群だった。

 個々の建築がのっぺりと滑らかな石材に覆われ、いずれ漏れなく堅牢なのは一目で理解できた。

 建築群を囲う城壁は規模こそ小さいが王都のものよりもはるかに立派だ。余計な装飾は一切無いが、隙間なく、高く積まれた巨石が難攻不落であることを誇示している。

 城門を潜る。

 整然とした街並み……とても王国の片田舎の光景とは思えない。詳細は不明だが、極めて機能的なのは朧げながら理解できる。

 再び城門から外に出る。

 再整備され、美しく生まれ変わった街道を埋める石畳も全ての表面が滑らかに加工されていた。

 街道沿いの明らかに計画的に区画された麦畑も豊かな実りを誇っている。

 ほんの数日前、ここで起きた惨事が嘘のような光景だ……

 

「これは……いったい……」

 

 レエブン侯は自身に宿る既成の知識を捨てるのに四苦八苦していた。

 

「あくまで仮に、で御座いますがモチャラス男爵領の領都とでも申しましょうか……?」

 

 紫のドレスを着た女性がレエブン侯の前に立ち、案内していた。

 彼女の側にはいかにも腕の立ちそうな護衛が2名……優男と甲冑姿が抜け目なく周囲を警戒している。

 護衛達の主人である彼女こそシュグネウス商会会頭であるヒルマ・シュグネウスだった。一見して夜の歓楽街に立っていそうな雰囲気だが、集めた情報によればその通りの経歴だ。だが「元高級娼婦」やら「某伯爵の愛人」などという呼称で彼女を呼ぶ者は現在の王国には存在しない。その手腕によって王都のみならず王国全土の経済を回す立役者という呼称こそが相応しかった。

 

「これを1週間も経たずに作り上げたのか?」

「左様で御座います、侯爵閣下……我々はその技術を保有し、王国全土を帝国に負けぬ堅牢な都市群に生まれ変わらせようと模索しております」

 

 ヒルマは優雅に笑った。

 

 ……だが、あの麦畑の実りは……?

 

 あまりに異様な光景が脳裏に焼き付いて離れない。

 ここは食料が枯渇し、領主と領民が殺し合い、食人するに至った、忌まわしく呪われた土地ではないのか……?

 

「ドルイドの力で御座います、侯爵閣下……我々の意志に賛同し、協力していただける超高位ドルイド様のお力で、麦畑は即座に実りで満たされます」

「その者は?」

「隠遁され、修行を積まれる日々だとか……我々でも限られた特定の者しか面会の許可をいただけません」

 

 余裕溢れるヒルマに対し、レエブン侯は混乱する一方だった。

 

 都市の想定人口は2万人であるという。

 広大かつ機能的に整備された田畑から想定される収穫量はその倍に当たる4万人分を想定してあるという。

 野菜畑や果樹園もあるらしい。

 牛豚鶏をメインとした畜肉加工施設も完備……この一面の麦畑に匹敵する広さを誇る牧場も開設済み……販売先も販路も面倒を見ると言う。

 都市内の兵舎には1000の兵が収容可能……練兵場も含めて他の用途で使用しても全く問題ない。

 400を超える共同井戸に加え、都市の南側には用水路を兼ねた水路もあった。魔法的な水道もあるが、基本的に当てにはしていない。

 正に呆れんばかりの至れり尽くせりだ。

 

 だが現状では無人である、と言う。

 

 領民を集められなければ、ただの廃墟であり、巨大な浪費だ。

 

 そして辺境で領民を集めるのがいかに難しいか……愚かなモチャラス男爵などには想像もできないだろう。

 

「……ここは巨大なショールームで御座います、侯爵閣下……我々としては元より損失は覚悟の上……しかしながら、実際にご覧になられた侯爵閣下は考えられるのでは御座いませんか?」

 

 子煩悩であることを知られているが故のシュグネウスの言葉だろうが、たしかに「我が子の為に」と考えざる得ない。堅牢かつ衛生的で豊かさと繁栄を約束された領地……正に愛する我が子に受け渡すべき領地の理想形だった。

 

「……心の内を言い当てられるのは癪だが、これは素晴らしい、と断言せざる得ないな。費用の問題さえクリアできれば、我がエ・レエブルは我が子の代には王国随一の繁栄を約束されよう」

 

 ヒルマの優雅な笑いが、さらに蠱惑的な艶を帯びた。

 

「我が商会の本業は貸金業で御座います、侯爵閣下……閣下のように極めて信用の高い御方に資金面のご心配は不要で御座います。適切な金額で無理のない割賦返済をご提案可能で御座います。さらに都市全体として農作物で確実に稼ぐ為の販路も王国だけでなく、帝国と竜王国に確保しております。つまり我が商会は各国の各地域に相場に応じた適切な販売先をご紹介する事が可能なのです。閣下の御領地であられるエ・レエブルは王国有数の大都市……それだけ領民も多いということで御座います。ここのように領民を集める苦労……労働力確保は考慮する必要もありませんわ」

 

 そして紡がれた言葉も蠱惑的だった。

 

 帝国との開戦直前という情勢でなければ、王国全体のことなど放置して、この話に真剣にのめり込んでしまったかもしれない。

 

 ヒルマ・シュグネウスの言葉は絵空事ではなく、目の前で見せつけられている現実に裏打ちされた極めて具体的な提案だった。

 しかし、それを裏返せばヒルマ・シュグネウス率いるシュグネウス商会に未来永劫にわたって全てを握られることを意味していた。

 資金、産物、販路などという経済面だけではない。

 衛生や民生……領民の生活の全てを握られるということは最終的に軍事でもシュグネウス商会の意向は無視できなくなるだろう。

 他都市に対して自領の経済的優位が確保できたとしても、同時にシュグネウス商会も肥え太り、声の届く範囲も広がるだろう。

 つまり王国において比類なき大貴族であるレエブン侯爵家が今後どれだけ発展しようと、シュグネウス商会はそれ以上に大きくなり、巨大な影響力を行使しかねないということだ。

 

 が……それでも魅力的だった。

 

 愛する我が子の未来の笑顔の為に……旧『八本指』という武力集団を抱え、その背後には魔皇ヤルダバオトとやらがいるとの噂があっても、ヒルマ・シュグネウスの言葉は全てを打ち消す圧倒的な魅力を放っていた。

 

「……本日は我々の意図するところ、即ち王国に対して貢献できることを、侯爵閣下に確認していただくことが目的で御座います。もちろん侯爵閣下に今後のお引き立てをご考慮いただければ、この上ない話とは思いますが……王国の現状と侯爵閣下のお立場を考えれば、ご無理は申せません」

 

 ヒルマに促され、都市中央の一際大きな建築物に同行する。

 今は簡素ではあるが、質実剛健な屋内は少し装飾を加えれば重厚さを見せつける豪華さに変貌することが理解できた。

 そこでフルコースが振る舞われ、六大貴族の一員であるレエブン侯にとっても初めて味わう酒を飲む。酒こそ持ち込みだが、フルコースは全て現地の産品によるものだと言う。何処に持って行っても高値で取引されることが間違いない品質であることを嫌でも理解させられる。ここの土壌を改良し、産品毎に合わせた結果と説明された……言葉でなく現物による説明はレエブン侯の脳裏に深く刻み込まれた。

 

 早い者勝ち……言外に、そして明確にヒルマ・シュグネウスは言っているのだ。

 

「天候を操ることも不可能では御座いません、侯爵閣下……作物毎に最適な土壌を作り、天候を操作することも可能……つまり高品質は確約される上に、不作は考えられませんわ。他の有力貴族方と契約していない現在であればエ・レエブルの特産品として、侯爵閣下の思うように土壌を作り上げることも可能で御座いますが……」

「……高額で取引される作物を選び放題……そう言いたいのだな?」

「高級品でなくとも、比較的高値安定を選択することも可能で御座います。例えば竜王国はビーストマンとの戦争で勝利し、その代わりにビーストマン国家との商取引が開始されるとの情報を入手しております。ビーストマン相手であればとにかく畜肉が必要とされるでしょう……我々は竜王国で戦勝に最も貢献した南方侯爵とも強固な関係を築いております。つまり安全な販路は確保されております。今現在、最も有望な商品は畜肉と断言できますわ」

 

 竜王国がビーストマンに勝利した、との情報は得ていたが、南方侯爵という存在はレエブン侯にとっても初耳だった……流通を含めた都市の総合再開発などという、大規模事業を考えるだけのことはあり、その情報網は侮れないどころか、空恐ろしいものに感じられた。

 

「シュグネウス商会はそう言った情報にも通じているのか?」

「我々は情報も商品と考えおります、侯爵閣下」

 

 ヒルマ・シュグネウスの笑顔は終始一貫して優雅だった。

 それだけに侮れない。

 黄金の姫は別格にしても、レエブン侯が知る限り最上級の才覚の持ち主であった……つまり味方とするには他の六大貴族などは比較にならず、保有する権限を含めてもザナック王子などよりも上に感じられた。

 当初は王国の為に利用しようと考えていたのだが……

 

「……良く解りました、シュグネウス殿。帝国との戦争が落着したら、そちらの提案を前向きに考慮させていただく……それで良いのか?」

「ありがたき幸せで御座います、侯爵閣下……今後、我々は侯爵閣下に不利が及ばぬよう、他の契約の際にも細心の注意を払うことを確約させて頂きます」

 

 ヒルマ・シュグネウスは優雅に立ち上がり、優雅に礼をした。

 

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

 あの日以来……否、レエブン侯とエドストレームに屈辱を感じさせられた瞬間から、フィリップは考え続けていた。

 六大貴族であるレエブン侯相手に屈辱を与えるのは難しい……いかにフィリップといえど、さすがに思い上がりが過ぎるのは理解できる。それは将来果たすべき目標だった。

 だが高慢な褐色女はどうだ……所詮は下賤……シュグネウス商会などと看板は架け替えたが、根っこは後ろ暗い『八本指』ではないか?……ならば、いくらかやりようはある。

 目の前で申し訳なさそうに酒を満たしたグラスを口に運ぶ大男……ロキルレン男爵の息子であるイーグの間抜けそうな面を見て、フィリップはこの男を利用できないものかと考えた。オツムはアレだが、図体もデカイし、腕っ節もそれなりとの触れ込みだ……つまりおあつらえ向きなのだ。

 

 イーグの話によれば、現在ロキルレン男爵家も少し前のモチャラス男爵家と大差ない状況にあると言う。

 フィリップと同じように嫡男でないイーグも仕官の為に王都に上京し、登用試験に落ちた……それも2回。

 ただしフィリップと違い、イーグは2年前の上京時に領主でなく宮廷官僚として生きることを選んだ以上、実家に頼るのも情けないと思い、王都では質素倹約を旨として真面目に生活していた。

 しかし登用試験に合格したら返すつもりであった借金が一年伸びたことにより想像以上に嵩んでいた。加えてイーグは考えることが苦手であり、口も上手くなかった……方々から少しづつ借りていた借金が、2回目の不合格を知った時にはイーグの知らぬ間にシュグネウス商会に集約されていたのだ。分厚い証文の束を見せられては、考えるのも抗弁するのま面倒臭くなり、シュグネウス商会の者に促されるまま、実家に直近の穀物相場の現況と予測を伝え、商会の担当者を紹介した。そして紹介手数料として借金を棒引きされたのである。その金額はフィリップのものよりもはるかに少額であったが、そんなことはイーグ本人は知る由もない。

 結果としてモチャラス男爵家のような一か八かの無謀な穀物売却はしなかったものの、ロキルレン男爵家も相当な痛手を被った。

 その結果イーグは勘当同然の身の上となり、王都の下宿先すら追い出され、底辺冒険者が利用するような安宿を点々としていたが、稼ぐ手段を持たない為にその宿賃すら滞るようなり、とうとう貧民街の路上で生活するまでに落ちぶれていた。

 そこで2年遅れて上京した、ほぼ同郷と言っても過言ではない隣接領のデルヴィ男爵家の息子ヴィアネに発見されたのだった。

 

 ヴィアネは脳筋と揶揄されることもあるイーグと正反対で頭も回るし、口も回る上に抜け目もないというタイプだった。ただし見栄えは悪く、運動神経はからっきしである。

 ついでに言えばデルヴィ男爵家も備蓄した穀物を暴騰し続ける相場に呼応するように売り払っていたが、潤沢な利益を生み出していた。元々デルヴィ男爵自身が倹約を旨とし、堅実な領地経営を心掛けているのだが、同じく懸命に働くのであれば少しでも儲けが多い方が良いと考えるタイプであった。当然穀物を売り払う時期によって儲けに大きな差が生じることを知っていた。さらに地道な研究の結果、必ず高騰する時期があることも知っていたのだ。例年帝国との戦争時期には穀物相場が必ず上がるのを知っていた為、どれだけ相場が高騰を続けようと帝国からの宣戦布告があるまで売却を待っていたのである。ただそれだけの情報の差でしかなかったが、モチャラス男爵家とロキルレン男爵家の二家と大きな差を生み出したのだ。しかも元々倹約家の為、デルヴィ男爵家の穀物備蓄はまだまだ余裕があった。

 その結果、デルヴィ男爵は辺境の貧乏男爵のありながら、嫡男でもないヴィアネに多額の持参金を手渡した上で上京させたのである。実力行使を伴う喧嘩には滅法弱く、見栄えもしない息子だが、宮廷官僚にしても上手くやれる程度の才覚は充分に持ち合わせていると知っていたのだ。自身の不甲斐無さ故に満足なコネも用意してやれなかったことへの自己満足的な贖罪でもあった。

 父の勧めに従い、ヴィアネはボロを纏いながらも皮袋一杯の金貨を抱えて上京した。

 

 上京早々、ヴィアネは下級貴族社会の話題の中心であり、惨事にに見舞われた結果、恐ろしいまでの幸運を手に入れたモチャラス男爵と知り合いになり、可能ならば自分もおこぼれに与ろうと面談を申し込んだ。

 

 尊大な無能。

 

 それがモチャラス男爵ことフィリップについての第一印象だった。だがそれだけに取り入り易く、誘導しやすいと踏んだ。そして狡猾さでは王国内で右に出る者がいないシュグネウス商会が、一見して将来的にも利益を見出せないフィリップに莫大な援助を施すのも「無能さ故」であるのではないか、と考えたのである。

 ヴィアネはことある毎にフィリップとの面会を繰り返し、面識の深かった数名の若手貴族を紹介した。その中にイーグを紛れ込ませたのである。

 

 ヴィアネの予測通り、フィリップは哀れなイーグに救いの手を差し伸べた。

 この愚者は上位者して振る舞うことに飢えているのではないか……ヴィアネはそう感じ取っていたのだ。費用はシュグネウス商会持ちなのだから、本来はフィリップには一定以上の感謝は不要なのだが、ヴィアネはイーグにとにかく徹底的に下手に出て、バカの自尊心を満足させてやれとアドバイスした。

 その結果、イーグは想像もできないような高級品の衣類で無理矢理着飾ることとなり、フィリップの哀れな比較対象として方々に連れ回されのである。ただバカに見下されることさえ我慢していれば、貧民街の路上で寝起きしていた身が美味い酒と美味い飯にそそる女には苦労しない身分を手に入れたのだ。最終的にはイーグ自身もそれなりにおべっかを覚え、そこそこの人脈を築くまでなったのだから、全くの無駄どころか、かなり有益だったと言える。

 

 イーグはフィリップに表面だけの感謝しか抱くことはなかったが、親友のヴィアネには更に深く感謝していた。

 

 

 

 

 

 

 

 その日は慌ただしい朝から始まった

 家人によれば屋敷の所有者であるヒルマ・シュグネウスが訪問するという。

 家人達はフィリップそっちのけでバタバタと走り回っていた。

 前回の訪問時になかったことだが、イーグはさして気にしなかった。

 

 イーグはフィリップの屋敷で居候生活を送る内に、この屋敷の真の主人が誰であるかをなんとなくだが感じ取っていた。

 表向きの最上位者はフィリップなのは確かだが、内向きにはエドストレームと言う名の秘書が全てを牛耳っていた。だが、そのエドストレームすらも使役される身分なのは明らかだった。

 前回の訪問時には、商会会頭であるヒルマ・シュグネウスが姿を現してもエドストレームに限らず家令から末端のメイドに至るまで、全員がフィリップを持ち上げることは忘れていなかった……たとえそれが見せかけだとしても。

 

 屋敷の所有者なのだから……

 

 イーグは前回と比較することなく簡単にそう思っていた。

 だからいつも通りの時間に起床し、身支度をすると、いつも通りの食堂のテーブルの席で、美味い朝食に舌鼓を打っていた。テーブルの奥から向けられるフィリップのイラ立ちを隠さない視線を無視しながら。

 だが朝食を食べ終えてしまえばそうもいかなかった。

 イーグはフィリップに朝の挨拶を済ますと早速捕まったのである。

 最初の酒瓶が空くまで、チーズの盛られた皿から一切れたりともフィリップの口に運ばれることはなかった。

 仕方ないのでイーグも同じペースで付き合う。

 荒れている原因はイーグにとっては至極真っ当な理由にしか感じないものだったが、プライドの高さに比例して他者から侮られることに異様に敏感なフィリップには耐え難いものなのだろう。この屋敷にはイーグを除くと貴族階級の出身者が誰一人としていないのだから尚更だった。

 しかし荒れ続けるフィリップがどんな屁理屈を捏ねようとイーグとっては理解の外側だった。

 だから苦痛でしかない。

 全ての家人に蔑ろにされ、酷く荒れるフィリップの酒の相手もいい加減にうんざりしたので、トイレと偽って一息入れに廊下に出た。

 偽りではあるが本当にトイレにも行く。

 

 それは偶然だった。

 たまたま見掛けたドアの隙間から漏れ聞こえる声が気になったのだ。

 

「そろそろ処分されてはいかがですか?……参戦義務の免除を撤回させれば問題ないかと……このままではせっかく建設された都市が……」

 

 声の主はヒルマ・シュグネウス……それだけならば来訪していることは知っているのだから気にもならなかっただろうが、内容があまりに不穏すぎた。

 思わず聞き耳をたて、室内からの死角に巨体を隠した。

 

「……いや、まだ生かしますよ、ヒルマさん……報告だけじゃ満足できなくなって、こうしてわざわざ見学に来たぐらいだし……当面資金の心配はないでしょ?」

 

 答えたのは男であり、その声は聞いたことがなかった。

 護衛の2人の男……ではない。声質も違うし、彼等はこの屋敷の庭を歩き回って警戒しているはずだ。普通の護衛ならばヒルマ・シュグネウスに同行していても不思議はないように思えるが、彼等は屋敷内の警護はエドストレームに引き継ぐのだ。前回の訪問時もそうしていたし、今朝もそうしていた。

 つまりヒルマ・シュグネウスの護衛以外にも男の訪問者がいたのだ。

 男の口振りからヒルマ・シュグネウスの上位者であるのは間違いなさそうだった……なんとなくだが、フィリップに連れ回されている内に場の空気や隠された人間関係が理解できるようになっていた。これまでの侮辱に耐えた生活も無駄ではなかった、とほくそ笑む。そして今漏れ聞こえている話の内容はフィリップの運命を左右するものなのも理解できた。

 

 可能な限り覚えて、ヴィアネに伝えるべきだな。

 

 イーグは考えることを放棄してひたすら連絡役に徹することに決めた。

 

「資金は順調どころか、私でも恐ろしく感じるぐらい……それこそ倍々どころじゃない勢いで増えていますが……さすがのエドストレームも負担に感じているようです」

「担当……嫌だったかな、エドストレームさん?」

「とんでもございません!……誠心誠意務めさせていただきます!」

 

 同じ室内にエドストレームも控えているようだった。

 

「じゃ、そういうことで……ほら、本人がやる気ですよ?」

「またお戯れを……我々はやれと言えば、絶対服従です」

「ヒルマさんは何が気に入らないんだ?」

「これ以降の援助は無駄です……私は無駄を嫌います。ご存知でしょう?」

「でもフィリップはモチャラス男爵家最後の一人なんだし、後釜がいないと面倒だろう?」

「それはまあ……確かに、そうなんですが……」

「とにかく面白いんですよね……今時マンガやアニメやラノベでもなかなか見ないような創作上の敵役まんまなヤツでしょ?……ここまでの無能な小物ムーブをかますヤツを見るのはスタッファンさん以来なんですよ。アイツは勢いのままうっかり配下にしちゃったからなぁ……職務に忠実な今じゃ、単に面白味の無いヤツでしょ?」

「マンガやアニメやラノベが何かは存じませんが、アレはフィリップと違って役立ちます……ですが我々が裏の娼館などという高リスクな商売から手を引いた結果、性癖の抑制に苦しんでいるようですわ」

「……娼婦を殴るんだっけ?……制約を解除するつもりはないから、やったら苗床だけどな」

「それは嫌というほど理解しているか、と……」

「……まあ、何にしてもフィリップは生かすことは決定ね……レエブン侯みたいな絵に描いたような有能だけを相手にしていても面白くないんですよね……だ、か、ら……その上で役立てましょう……まだまだ使い道はあると思うんだよなぁ……例えば……暇にさせてもどうせしょーもないことしか考えないでしょうから、領民のぼしゅうでもさせたらどうです?」

「……決定的に人望も行動力も……いいえ、必要な能力全般が不足どころか欠如していると思われますが?」

「じゃあ、エドストレームさん以外にも補佐の人員をつけて、フィリップに行動を強制させましょう……王都の人員だけで厳しいなら手配するけど?」

「現在、エドストレームは見栄えも良いのでレエブン侯を通じて、私の名代として上級貴族達に浸透させています……ここがサロン代わりですわ……まあ、そういう意味においてはフィリップを処分しないのも無駄ではないのかもしれません」

「……でしょ?」

「ですが、フィリップが自主的に行動している若手貴族の結集……ほとんどが将来性も無く、水準の能力にも達しないゴミ屑の集まりですが……エドストレームだけではそちらまで手が回らなくなっているのも事実です。現に勝手にロキルレン男爵家の嫡男でもない息子を勝手に援助するだけでなく、居候までさせてしまいました。しかも経費は全てこちら持ちです!」

「追加の人員については俺に任せて下さい……しかし援助はともかく、居候はよろしくないな……敵の可能性も捨てられない」

 

 居候……つまり自分だ。

 上位者と思しき男の声音が冷たく変質した。

 無感情というか、無機質というか……とにかく恐ろしくてたまらない。

 一気に酔いは失せ、冷たい汗が止まらなくなった。

 イーグは慌てて息を殺し、足音をさせないように足早に部屋の前から歩み去ろうとした……が、そのまま立ち止まってしまった。

 

 小さな蠅が一匹……汗塗れのイーグの頸から飛び立った。

 




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