リ・エスティーゼ王国の国王ランポッサⅢ世の第一王子であるバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフは第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフとヴァランシア宮殿の通路ですれ違いざま立ち止まり、軽く会釈だけをして足早に通り過ぎようという小太りの弟に声を掛けた。
「弟よ、面白い話があるのだが……知っているか?」
立派な体躯に精悍かつ清潔に手入れされた髭……見栄えは10対0のコールドゲームで勝利しているが、バルブロはザナックの頭脳には遠く及ばないことを自覚していた。
短躯で小太りの弟は長身で威風堂々たる兄を訝しげに見上げてくる。
あくまで継承順位が上位なだけで、短慮浅慮な兄は能力だけならば政敵として同じ土俵にいるはずもない男だが、やはり継承順位の問題は果てしなく高い壁であり、娘婿である兄を担ぐボウロロープ侯も決して侮れない。
ザナック自身も能力の話をすれば自身も政敵になることすらないラナーに王座を譲らねばならなくなるので、積極的に触れたいわけでもない。
だから、というわけではないないだろうが、ザナックは普段は反目し合っている兄弟の話に食い付いてみることにした。
「面白い話であれば是非ご教授いただきたいですね、兄上」
バルブロは満足げに笑い、太い両腕を組みながら、話し始める。
「なに……近頃、お前が親しくしていると噂の蝙蝠に関する話だ」
「レエブン侯の噂ですか、兄上?」
ザナックが白々しく首を捻るのがたまらなく面白い……バルブロの目の奥に浮かぶ愉悦にザナックは内心舌を出す。
「……蝙蝠が良からぬ組織に接近しているらしいぞ。どちらの意図でどう動いているかまでは知らぬが……お前も注意せねば、腹心の躓きで思わぬ痛手を被るぞ……」
バルブロとしては本来貴族派閥のレエブン侯が、正統性で言えば誰もが推すべきバルブロ・ボウロロープ侯の連合を離れ、ザナックなどに接近するのが面白くないのだ。だから楔の一つでも打ち込んでやろうと思っただけで、さして深い読みがあったわけではない。
対してザナックは兄に頭を下げた……漏れる笑いを噛み殺すまでの間、深々と頭を下げ続ける……そして考えをまとめ上げると頭を上げた。
「貴重な忠告をありがとうございます、兄上……ですが、ご存知ですか?……私が聞いたところではレエブン侯の本命はその組織と協調する有力若手貴族にあるらしいとのことです。なんでもこの空前の好景気に乗って、莫大な財を得て、恵まれない他の若手貴族や宮廷官僚を糾合し、それなりの派閥を形成しつつあるらしいとのこと……今はの彼等は大した力も持っていませんが、レエブン侯は彼等の財力と将来性に着目しているような話を以前していたような気がします……帝国との開戦直前のこの時期に六大貴族の中でも切れ者として名を馳せるレエブン侯がわざわざ訪ねたのです……何かあるのでは?」
それまで余裕綽々だったバルブロの表情が僅かに歪んだ……と本人は思っているかも知れないが、感情を隠すことに慣れていないバルブロの表情は盛大に悔しがり、焦りを見せていた。
ザナックは脳内のみで満足し、再度会釈をする。
「兄上、レエブン侯が蝙蝠と揶揄される意味を良く考えられることです。単にふらふらと飛び回っているだけならば、誰も一目置くわけがないでしょう?」
ザナックは兄に顔を見せぬようニヤニヤと笑いながら、足早に去った。
……さて兄上が勘違いで動いても良いし、自身の情報を信じてレエブン侯を放置しても良いわけだ……もう少し補足情報を流してやれば、面白い方向に暴走するかもしれんな……妹に相談してみるか……
ザナックは最近なにかと接点のできた自分とは似ても似つかない妹の顔を思い浮かべた。バルブロの思惑が妹の歪な愛と決定的に乖離している為、妹は理解を示したザナック寄りの態度を見せるようになったのだ。それすら妹の思惑の一端に過ぎないことは理解していたが、バーターとして有望な現実的政策案を提示してくることから、気にせずに良好な関係を築きつつあった。
ザナックの不恰好な後姿を見つめながら、バルブロは歯噛みしていた。政敵である弟に対して優位に立つつもりだったが、思わぬ逆撃を喰らってしまったのだ……何事にも勝気であるが故に、激動する情勢に対して出遅れを指摘されたのが悔しかった……しかし同時に弟も存外に甘いと思う。
……アレは第一王子であること自体の力を知らんからな……まあ、それを知っているのは私だけだ……
即座に精神的再建を果たし、バルブロは笑った。
レエブン侯のように若手や下級貴族相手に自身で動く気は無いが、最高権威に最も近い王族の中の王族として、命ずれば下賤に毛の生えたような連中は簡単に平伏すことを良く知っていた。
問題は誰を介して呼び出すか、である。
こちらが出向くなど話にならない。
王族の威厳は保たねばならない。
あくまで呼び付けるのであって、僅かな阿りも感じさせてはならない。
目的はザナックとレエブン侯の蠢動に楔を打ち込むのであって、若手貴族の派閥など実のところどうでもよいのだ。
かと言って、公的な使者を出すわけにはいかない。
義父であるボウロロープ侯の配下は使いたくない。この程度ことで借りを作って、いざ自分が王位に就いた時に発言権を制限されるのは御免だ。
自分に近く、ボウロロープ侯からは遠く、こちらの意志に従順であって、最悪の場合は切り捨てても良い程度の存在……バルブロは必死に考えた。条件のいずれかに当てはまる者は多いが、全てを満たす者となると中々に難しい人選だった。
通路のど真ん中で考え込むバルブロに、すれ違う誰もが奇異の眼差しを向ける。おおよそ武断的性格のバルブロに似つかわしくない行動だった。
しかし本人は至極真面目だった。
周囲の目など気にせず、考え込む。
思い浮かぶ顔を次々と消去しながら、遂に一人の痩せぎすで甲高い声が耳障りな男爵に思い至り、ニヤリと笑った。
アイツならば、いざとなったら切り捨てても惜しくない。ひたすら阿るだけで、大した実績もなく、将来性も皆無……戦力にもならなければ、資金力も発言力も知恵もない。僅かな懸念は義父に近い貴族の腰巾着的な存在であることだが、関連する誰もが切り捨て要員として飼っているのも事実だった。
であれば、私が有効利用しても問題あるまい。
早速バルブロはチエネイコ男爵に出頭するよう使者を送った。
フィリップと同じ男爵位ではあるが、今回の訪問におけるチエネイコ男爵の背後にはバルブロ第一王子がいると言う。それを隠すどころかむしろ前面に押し出しての強引なアポイントの差し込みであり、差配するエドストレームとしてはどういう扱いにすべきかが悩みどころであった。
レエブン侯のように本人であれば話は簡単なのだが、チエネイコ男爵は使い走りであるのは間違いないだろうし、背後のバルブロ第一王子にしてもどこまでフィリップごときに本気で会いたいのかが全く掴めない。ましてバルブロ第一王子は最高権力に最も近くはあるものの、評判としては武断的というか短慮というか脳筋であり、あまり深く物を考えるような性質ではないとの噂をよく聞く。つまりどう考えてもフィリップのように本人に抜きん出た能力も輝かしい実績もなく、シュグネウス商会の後押し(というかゼブルの理解できないゴリ押し)だけで成り上がったような者に興味を示すとは思えないのだ。
むしろ何かの罠ではないかと勘繰ってしまう。
そうでなくともゼブルに無茶振りされた結果、エドストレームは完全に貧乏くじを引いていた。フィリップがエドストレームの心労も知らず、ヒルマから依頼された領民の募集に各地を回るという予定を引き延ばしているのだ。ヒルマとフィリップの約束では、その時点で決まっていたスケジュールを消化したら、直ぐにでも領民の募集に出立するということだったのだが……これがまた一目で遅延工作と感じるような酒宴の予定をスケジュールを管理するエドストレームに断りもなく入れているのだ。それも3日連続なのだから……エドストレームとしては不信感を募らせざる得ないし、ヒルマがエドストレームに向ける眼光も日に日に厳しいものへとなりつつあった。正直なところヒルマの怒りなど怖くも何ともないのだが、ヒルマを重用するゼブルがヒルマからの報告を聞いてどう感じるか……それこそがエドストレームにとっての大問題だった。
そんなタイミングでのチエネイコ男爵の強引なアポイント差し込みの意図をどう受け取れば良いのか……
どうしてもフィリップの遅延工作を疑ってしまう。
しかし現実的に考えれば、チエネイコ男爵はともかく、フィリップごときにバルブロ第一王子を引っ張り出す力はない。
であれば、そもそも全てが嘘ではないのか?……繋がりのある貴族や高官に問い正すことも考えたが、当然そんな時間の猶予は無い。
まして、そんな嘘でバルブロ第一王子の名を用いるのはあまりにリスクが高すぎるし、フィリップにそんな度胸が無いことはよく知っていた。
では唐突であることを理由に断れるか、といえば、そこは腐っても継承順位第一位の第一王子であり、チエネイコ男爵の思惑に乗せられる形にはなるが簡単に断れるはずもなかった。
エドストレームは散々悩んだ結果、チエネイコ男爵を厚く持てなす決定を下し、その日のその後のフィリップの予定を全てキャンセルした。幸にしてフィリップの個人的関係の酒宴であったし、バルブロの名を出した途端、フィリップ自身が酒宴の予定などキャンセルすべきだと言い切った。そもそも即座にキャンセルを決めても問題が無いような予定で、エドストレームに対して強引な理屈を展開していたのだから「ざけんな!」と思ったが、そこはさすがに我慢した。早速フィリップが欠席する旨を伝えるよう同行する予定だったイーグに命じる……イーグは単独で酒宴に出席させられるのではないか、と心配していたが、そもそも飲食代の支払い主が欠席すれば会合そのものが無くなる程度の集まりなのだから無用な心配でしかなかった。
チエネイコ男爵の訪問時間までになんとか全ての手配を済ませたが、エドストレームは一息吐く暇もなく、出迎えに立っていた。
不愉快な甲高い声の背の低い痩せぎすな男爵は、出迎えたエドストレームに全身を舐め回すような視線を向けると、無理矢理自分よりも背の高いエドストレームを見下すようにふんぞり返って、訪問の口上を述べた。短い口上を聞いているだけでバルブロの名が8回も出てくる徹底ぶりである。チエネイコ男爵自身はフィリップなどに一切興味がなく、真の意味で使い走りであるのは明らかだった。
「……というわけで、本来ならばバルブロ殿下とお会いになる機会など無いであろうモチャラス男爵に対し、バルブロ殿下のご厚情により機会が与えられたのだ。直ちに出頭し、バルブロ殿下に感謝の言葉を申し上げるべきであろう」
理解できない理屈を並べた後、チエネイコ男爵はエドストレームに先導されるがまま応接室に赴いた。王都や帝都から集められるだけ集めた、少々趣味を疑われるが、確実に来訪者を威圧できる最高級の調度品に囲まれた応接室に、チエネイコ男爵は踏み込んだ瞬間に息を飲んだ。
「我が主人、フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスで御座います」
エドストレームに紹介され、フィリップはソファから立ち上がった。
馬子にも衣装……同じ男爵位であるのにフィリップの最高級の略礼服は中身を差し置いて、確実に年上のチエネイコ男爵を威圧していた。
「初めまして、チエネイコ卿……モチャラスに御座います。同じ男爵位にある者同士、以後よしなに願います」
いかに能力は劣ろうが、フィリップもこうした貴族同士の会談は数多くこなしている為、それなりの振る舞いは可能になっていた。今回、チエネイコはバルブロという権威を押し出して、フィリップを飲み込もうと目論んでいるのは明らかなのだから、フィリップとしてはシュグネウス商会の財力で対抗するのは至極真っ当な戦術選択だった……現にエドストレーム相手にあれだけ威勢の良かったチエネイコが自身のこれまでの態度が正解だったのか、不安になりかけているのが見ただけで伝わる。
「……わっ、私はバルブロ殿下の名代で参った……モチャラス卿はバルブロ殿下のご厚情により……面会の機会を賜った。早急に出頭するが良かろう……では、私は後がある故、これにて失礼する!」
チエネイコはエドストレームが引き止めるのも半ば強引に振り払い、モチャラス男爵邸から逃げ帰った。
「……何だったのだ、アレは?」
フィリップに言われてはチエネイコも浮かばれないが、それほどに超高級品による威圧の絨毯爆撃は飲んで掛かろうという意図を完全に爆砕したのだ。なにしろ壁の絵画一枚だけでチエネイコ男爵領の昨年一年分の収益を軽く超えるのだ。
「……いずれにせよ、バルブロ第一王子からの出頭要請です。急ぎましょう」
エドストレームに促され、既に身支度を澄ませていたフィリップはシュグネウス商会の用意したスレイプニルの馬車に乗り込んだ。
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生来落差の激しいフィリップの精神性だが、今この瞬間は間違いなく有頂天であり、絶頂の彼方に飛び去っていた。なにしろ王位継承順位第一位のバルブロ第一王子から直々に密命を受けたのである。
「蝙蝠の行方を探り、何でも良いから邪魔をしろ」
バルブロは念を押して2回も言った……加えて、結果を残せば私が王位を得た暁にはそれなりの地位とそれに見合った爵位をやろう、とも……これも2回約束した。さらに「誰にも漏らすな」とも……これについては都合3回も聞いた。
そうでなくともフィリップは初見の第一王子に絶対の忠誠を誓わんばかりの勢いで平伏していたのだ。
他は下賤なので王城ロ・レンテの内部まで同行したのはイーグのみだが、意気揚々と城内を歩くフィリップに従いながら、彼は大きな肩を竦めていた。
きっとイーグもフィリップの将来性に感服したに違いない……そう確信ながらフィリップは伸び切った鼻頭を掻いていた。
「いかがかな、イーグ殿……私は正道に出る導きを次代の王であるバルブロ殿下から直々に頂いたのだ。色々な噂もお持ちだが、やはりバルブロ殿下は王位に相応しい人を見る目をお持ちだな……私の将来性を見抜かれたのだから」
フィリップの舌は滑らかに回り続け、イーグの反応などお構い無いしに言葉を吐き出し続けた。正直なところ、聞いている方は溜まったものではないが、喋っている方に遠慮する気配など生まれようもなかった。フィリップの人生の絶頂期はバルブロと会ってから、馬車に乗り込むまで続いた。
フィリップのあまりに短くも儚い人生の絶頂期における演説をぶち壊したのは黒いスーツに身を包んだ褐色肌の美女である。
「……いつまでもバカを仰ってないで、少しはシュグネウスからの依頼を進める準備をしていただかないと……」
言葉こそ柔らかいが、エドストレームの視線は冷たく厳しかった。
「貴様っ!……バカとはなんだっ!……お前のような下賤には理解できぬだろうが、バルブロ殿下直々のご命令だぞ。領民集めなどとは重さがちが……」
「戯言は自立してから言えや、クソが!……と申し上げているのですが、ご理解いただけませんかね、モチャラス卿?」
エドストレームの発する気配に殺気とは言わないまでも、明らかに暴力的なものが混ざり始めた。元々キツい目付きが細まり、鋭い光を帯びる。
この瞬間にフィリップの短い絶頂期は終わった。
明確な怯えが表情に浮き上がる。
「……しかしだな……」
「シュグネウスから依頼を受けた時、現在決まっているスケジュールを全て終えたら、と約束されましたよね?……全スケジュールを終えられた後も、どうしても出席せねばならない会合……とか言う、くだらない飲み会で、都合3日も浪費しているわけですよ。追加で派遣された人員も屋敷で時間を持て余している有様ですが……」
エドストレームの吐き出すような言葉にフィリップどころか、追加の人員が暇を持て余している様子を何回も屋敷で見かけたイーグまでも頷かざる得なかった。
全体の差配を任されている以上、遅れの原因はフィリップであっても、責任はエドストレームに帰すのだ……イーグは彼女の不憫な立場に同情していた。
「……これ以上の遅延は許容できない、と申し上げています!」
「バッ、バルブロ殿下の……」
「知るかっ、クソが!」
食い下がるフィリップに対し、エドストレームが立ち上がった。その右手にはどこから取り出したのか三日月刀が握られていた。言葉は汚くなったが、表情からは怒りすら抜け落ち、ただ「無」があった。
「テメーが遅らせた責任を誰が被ると思ってんだ!」
切先は正確にフィリップの左の眼球スレスレで止まっていた。
フィリップは瞬きすらできず、馬車の背もたれに身を押し付けながら、息が荒くなって首がブレないように注意しつつも顔を引き攣らせていた。
「もう一度言う……シュグネウス会頭からの依頼に取り掛かれ……くだらない言い訳には、もううんざりないんだよ……お分かりですか、モチャラス卿?」
フィリップは右目だけで瞬きし、言うべきことを言って怒りが落ち着いたエドストレームにどうにか左目を解放してもらうと、深く息を吐いた。
「…………お前は王継承権順位第一位の重さをまるで理解していないな……」
「モチャラス卿も我々が投資した莫大な金額をまるで理解されていません」
「だから感謝はしている……だが私がバルブロ殿下に気に入られ、さらに上に行けばお前達にも都合は良いのではないか?」
フィリップもエドストレームも互いに「お前は解っていない」という顔付きで睨み合っていた。
フィリップは下賤のエドストレームには、バルブロの密命の重さは到底理解できないと思い込んでいた。
エドストレームは今回の領民集めがゼブルの単なる思いつきに過ぎないことも知っていたが、同時に「それこそが絶対」なのは同じ立場にいないフィリップには未来永劫理解できないことも知っていた。しかし次代の王候補からの密命を簡単に無視して良いものではないことも常識に照らせば明らかだった。
かなり熱くはなっていたが、冷静に考えれば内容も含めてヒルマを通してゼブルに確認した方が良いような気がする……
「……では、こうしましょう……これから商会本店に向かい、モチャラス卿からシュグネウスにバルブロ殿下の密命とやらを内容込みで説明して下さい。シュグネウスの判断が覆るかもしれません。それに仮に密命の内容が周囲に漏れたとしても、話したのがシュグネウスのみということであれば、ご自身かシュグネウスかで責任の所在は直ぐに明らかになります……そういうことでよろしいでしょうか?」
下賤相手に妥協など貴族の矜持が許さないが、エドストレームがこれ以上譲らないことは明白だった。そうでなくとも直ぐに暴力に訴えるようなエドストレームよりは、貴族社会にも通じているヒルマ・シュグネウスの方がまだ理解してもらえるような気がしないでもない……密命を下賤などに漏らすのは気が引けるが……フィリップは大きく頷いた。
「では、そういうことで……」
エドストレームは抜き身の三日月刀をスーツの背に隠すと、小窓を開けて、御者に指示を出した。
馬車が動き始めた……瞬間、コンッと高い音がした。
エドストレームが再度三日月刀を抜く。
「伏せろ!……上だ!」
イーグが慌ててフィリップの上に覆い被さる。
馬車はスレイプニル二頭立てであり、発車直後であってもかなりの速度に達していたが、物音の主は軽やかに前方の御者台に移動していた。
足音だった……そして主は音を殺す気は無いようだ。
それは敵であれば自信の現れ。
かなりの手練れ……エドストレームは目を細め、いつの間にか2本に増えた三日月刀を構える。
……ヤバいな……
エドストレームはお荷物2人を見やった。
最悪でもゴミ屑だけは守り切らねばならない。
ドアを開けて、三日月刀を飛ばすか?……いや、相手が想定以上の手練れだった場合、対抗手段を全て失う可能性がある。そうでなくとも馬車の速度を考慮すれば賭けの要素が強い……エドストレームが無力化されれば、手練れ相手にイーグだけではフィリップを守るのは不可能だ。
足音が止まる。
御者台に通じる小窓がおもむろに開いた。
同時に三日月刀を突き刺す……が、手応えが無い。
そのまま手首を掴まれる。
細い指……女!?
と思った瞬間、異様な力で腕が引っ張られ、エドストレームは御者台と車内を隔てる壁に激突した。
意識が飛びそうになるが、かろうじて持ち堪える。
「だっ、誰だ!」
「おんやー、これはエドちゃんじゃない?……危ないなぁ、もう……もう少しで反射的に殺すところだったよ」
聞いたことのある声……記憶が呼び起こされる……まだ『六腕』と呼ばれていた頃、突然現れたゼブルの横にいた銀髪女……ティーヌだ。
「アハハッ、おひさ」
解放された腕を引き抜くと、小窓から銀髪女の顔が現れた。
以前と同じ見た目なのに、明確に何かが違った。
敵でなく、ホッとした反面、小窓から覗く女がとんでもないバケモノに感じる……背筋を冷たいものが伝う。
「テメー……何すんだよ」
「んーっと、お使い……なのかな?……王都の手伝いしろって言われちゃったからねー……『転移門』を抜けた先で、こっちに派遣された連中に聞いて回っても、ここはエドちゃんが仕切っているって言うし、でもエドちゃんは不在って言うからさー……つまんないから見に来たって感じ?」
やられた事にもムカつくが、お互いに顔を知っている程度なのに馴れ馴れしく「エドちゃん」呼ばわりするティーヌにも腹が立つ。しかしどうにも訂正する勇気が湧かなかった。ニコニコ笑っているように見えるが、この女の本質はバケモノだ。腕を伸ばせば掴める距離で接すると見られているだけでヤバいのを理解させられてしまう。この女と比較すれば自分が屈服したブレイン・アングラウスなどカワイイものだ。
「んで、どっちが噂のオモシロ貴族なのかなー?」
エドストレームが座席を見るとイーグの巨体に圧し潰されそうになっているフィリップが苦悶の表情を浮かべていた。
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初めて訪れたナザリック第九階層のアインズさんの私室……第九階層自体がバカバカしいぐらいに豪華な内装をしていたけど、アインズさんの私室も負けず劣らずの豪華さであり、俺としては気が引けるような居心地の悪さを感じてしまう。
キョロキョロと辺りを見回しながら、ユグドラシル時代はたった一人でコレの維持費に奔走していたアインズさんの苦労を思うと少し泣きたくなるような気持ちにもなった。たしかにギルメン達の思い入れの塊のようなモノを見せつけられる。この中で一人で過ごすのはどんな気持ちなのだろう……そう思うと目の前でいろいろと説明してくれる控え目で優しい先輩プレイヤーが内に抱える妄執がほんの少しだけ理解できるような気がした。
とはいえ、あくまで「理解できるような気がした」だけであり、実際に俺達と出会う前の孤独は想像を絶する。思い出の維持のためだけに、数年間も孤独に仕事と睡眠以外の余暇の時間のほぼ全て費やすのは、俺にとっては仲間がいても厳しい苦行なのは間違いなかった。
まあ、少しは助けになっていたのかもしれないなぁ……
そう思い、目の前の超越者に向き直る。
テーブルにはお茶が準備されていた。
ティーカップは一つだけ。
どうやらアインズさんは見た目通り飲めないらしい。
アインズさんを甲斐甲斐しく世話しているメイド達も俺の知らないギルメンの『ホワイトブリム』さんが中心となって作成したNPCとの説明だった。
アインズさんは自らの意思を持ったNPC達を「子供達」みたいなモノと言った……俺には理解できない境地だ。どうしてもNPCなんざ障害物にしか思えない。長年ギルドを必死に守ってきたアインズさんと、拠点を持たずに誰かが守っていたギルドホームを襲っていた俺達との決定的な差だろう。
そんなことを考えながら、馬鹿みたいに美味いお茶を飲んでいると、唐突にアインズさんは切り出した。
「……えーっと、ですね……あくまで『ばある・ぜぶる』さんが納得してくれれば……なんですが、俺から提案があるんですけど……」
いつになく持って回った言い回しだった……その時点である程度の予測可能だったが、話の腰を折っても悪いので黙って頷く。
「あくまで!……あくまで、形式だけで良いので!………そのー、ですね……ナザリックに所属してもらうわけにはいきませんか……?」
アインズさんがすごーく勇気を振り絞ったのだけは伝わりました。
まずは『ばある・ぜぶる』じゃなくて、「ゼブル」で良いですよ、と伝えます。もはや俺のことを『ばある・ぜぶる』って呼ぶのは、この世界にアインズさんだけだし……まあ、俺としても「ゼブル」の方がしっくりくるようになってますからね。
と、前置きした上で、とりあえず話を聞く気にはなりました。率直な気持ちとしては「即、お断り」なんですが……俺としては「友好関係の確認か、せいぜい同盟がお互いの為に良いんじゃねーの」と思っていたところでなんです。でも「あくまで形式的」が少し引っ掛かります。そうでなくともアインズさんは俺達とかなり接していたんですから、なんで俺達がギルドってモノを襲撃していたのか、は理解していそうなものです。その上で、あえて提案してくる以上、それなりに重い理由があるんでしょう。
「何か……事情があるですよね?」
「こっちの勝手な事情なんですけどね……」
事情を語り始めたアインズは苦しんでいました……このままじゃ、自分に絶対の忠誠を誓うNPC達に神以上の存在に仕立て上げられ、世界の絶対支配者にされかねない……その結果として、せっかく巡り会えた俺とも最終的には敵対するハメに陥りかねない。そもそも単なる一般的な小卒営業リーマンでしかないアインズさんに支配者なんて無理!……なのに、とんでもない知謀の持ち主であると設定されたNPC達がアインズさんが一般人であることを絶対に認めない。おそらくどんな告白をしても、無理くり理屈を捻り出して、絶対的に優れた支配者に仕立て上げられてしまう……だからナザリックの支配者であることまでは受け入れるが、世界の支配者なんていう重責は可能ならば担いたくない。最悪、それを受け入れるにしても「平和的に」とまでは言わないが、理不尽な虐殺みたいなことには加担したくない……どうしようもなく、そこに至るにしても俺とは絶対に敵対したくない、と……
まあ、内容以前に声色を聞いているだけで凄まじくキツい状況なのは理解させられました……そして唯一の息抜きの相手として、素の『モモンガ』さんを知る俺が貴重なわけですか……俺も似たような状況だけど、たしかにアインズさんと敵対はしたくないなぁ……こんなバケモノアバターと関係ない本来の自分を知ってくれている相手はたしかに貴重なんだよなぁ……この世界じゃ。
「NPC……ですか?」
「ええ……もう設定された能力が具現化されているんで、とにかく忠誠は絶対な上に凄い知力の持ち主も多いんですよ。特にゼブルさんが直接会ったデミウルゴスとNPC達の統括をしているアルベドと……俺が作成したパンドラズ・アクターっていうのが凄いんです……その3人が俺を一般人なんて絶対に認めないんです」
「まあねぇ……絶対の忠誠が向かう以上、その対象が優れている存在でいて欲しい気持ちは理解できないわけじゃないんですけど……そんなんじゃ、アインズさんがひたすらキツいだけですよね」
「……それだけじゃないんですよ。絶世の美女として作成されたNPC達がみんな俺の妃の座を狙っているのに……男の夢……せっかくの人生初ハーレムなのに、モノを使わない内に無くなっちゃったんですよ……」
ネタだとしても……見た目通りだとしても……あまりと言えばあまりなアインズさんの告白に俺は俯いた……オトコとして、その状況でモノを失うのは悲劇以外に言葉にしようがなかった。
「……簡単に元気出して、とは言えませんけど……まあ、俺も似たようなもんですよ……おそらく強引に迫られたり、密かにアプローチはされているんでしょうけど……人間相手にはピクリとしませんから……全く欲情しません。かと言って、人間以外がそういった対象になるとも思えないんですよねぇ……やっぱ、頭の中身は人間のままなんでしょう」
「そうですか……お互いに上手くいかないものですね」
「全くですよ……こっちに飛ばされて良かったことって、とりあえず健康なことと、食い物が美味いことぐらいですよ」
「いや、いや、いや……俺なんて健康どころか死んでますし、食べ物も食べられないんですよ……それだけでも羨ましいなぁ……でも、ゼブルさんが健康になったのは凄く良いことじゃないですか?」
「お陰様で、病弱ではなくなりました……アーコロジーから一歩も出れない人生を思えば良かったのかなって……」
「まあ、それはそれでアーコロジーの外で生まれ育った身としては、上級にしか許されませんから羨ましいような……でも、健康に生んでくれた親に感謝なような」
「……リアルの話は暗くなるのでやめましょうか?」
「ですよね……まあ、でも、こうしてゼブルさんと出会ったってことは壮大な俺一人の夢オチって線は消えたんでしょうね」
アインズさんの言葉にハッとさせられた……これが現実かどうかなんて考えもしなかった……ユグドラシルでない。別のゲームでもない……だから別世界の現実なのだろう……何の確証もないのにそう思い込んでいた。
さすがアインズさんは夢の可能性まで考慮していたとは……あながちNPC達の思い込みでなく、アインズさんの自己評価が果てしなく低いだけなのではなかろうか?
チラリとアインズの頭蓋の奥の赤く燃える目を見た。
何故か、喜んでいるのが伝わる……俺のよく知るアインズさんだった。
ホッとして、話を元に戻す。
「それだけは無くなりましたねぇ……この世界が俺の夢なら『バンバン』さんか『えんじょい子』さんぐらいは一緒に来そうなものですし……」
「あー、やっぱりギルドクラッシャーの面々も誰も来ていないんですか?」
「世界中を見て回ったわけではないので確証はありませんが、他の面々も含めて、少なくともメッセージに反応はありませんね……俺の例があるんで断言もできませんけど」
俺はペロリと舌を出しながら頭を下げた。
「……詳しくは聞きませんけど、例の特殊なスキルの影響ですか?」
「影響って言えば影響なのかなぁ……とにかく配下に俺の意思を伝えるだけならば便利なんですよ。それに慣れきって、メッセージを使うことも無くなっていたもので……ホント、すみません」
「ちなみにユグドラシルと効果が変化していたものってありましたか?」
そこからしばらくはお互いの情報交換が始まった。
アインズさんからは主にNPCの自主性やギルドホームの機能と、アイテムや魔法関連の機能の微妙な差異について。
俺からはスキルの使用感や、テキストと実際の差異によって生じる結果がこちらの想定外を生み出しかねない危惧等。
そして2人の共通認識はカンストプレイヤーにはレベル的な成長は一切見込めないし、取得スキルから外れる行動は必ず失敗するが、それでもユグドラシルの設定の盲点のような成長は可能であるという事実だった。
だからアインズさんは冒険者モモンとして戦士を選択した。
俺は偵察系スキルを取得していないのに、君主系能力の一環として眷属の偵察系スキルを二次的であっても充分使用に耐えられるレベルで行使可能なのだろう。
「……君主系の職業って、全部が中途半端な感じが嫌で一切取得しなかったからなぁ……でも今だと、凄く小器用な感じがして羨ましいなぁ」
アインズさんのボヤキも理解できないわけじゃない。
たしかに特殊でなければ武装全般装備可能だし、簡単な格闘もこなせる。物理耐性も魔法耐性もそこそこ高い。魔法も魔力系と信仰系中心に一般的なモノは取得できる。ソロプレイ思考の俺にはほとんど関係なかったけど、最大の利点はバフがオートで味方全般に付与される点と指揮効果が広範囲かつそこそこ発揮される点でした……でも、その売りである2点も専門職ほどの効果は望めません。アインズさんの言う通り、全てが中途半端なんです。でも全部が極められない中途半端であるが故に、やれることも多いんです。個人的にはそこを気に入っていたわけですよ。
「こっちの連中相手だとたしかに便利ですけど、こっちでも『真なる竜王』や『神人』みたいなヤバいの相手だと通用しないかも、ですよ。」
そこで銀色甲冑の話になり、情報を共有します。
遭遇戦時の状況を説明し、俺の推測を披露しました。
銀色甲冑の正体は『真なる竜王』クラスの現地勢強者の遠隔操作ゴーレムであり、甲冑そのものは潰されても困らないし、最悪の場合はアレと同等クラスのゴーレムが同時多数で襲撃してくる。敵の優位性の根拠は所在を知られていない点。そうでなければ甲冑が『人化』状態であり、解除すればカンストプレイヤーを軽く凌駕するレイドボスクラスの戦闘能力を発揮する……この場合であれば、敵の優位性はとにかく強いということであり、比較的対処しやすい。
ここまではアインズさんも同意してくれた。
異様な立ち位置と発言……その裏のプレイヤーとは思えない精神性……かと言って、ユグドラシルのボスキャラのような取ってつけたような行動原理にも感じられない。
ロールプレイヤーとしてのアインズさんも、あの銀色甲冑を極端に没頭したロールプレイヤーと想定するにはかなり違和感を感じるようです。
となると、やはり現地勢の可能性は高まりますが、確証無く予測に予測を重ねる愚を繰り返しても仕方ないので、単なる情報として共有しました。
ここまで話したところでアインズさんの部屋のドアがノックされました。
「……あの、提案の件なんですが……」
アインズさんが不安そうに再度確認しました。
「別に役職に付けとか、何かやらせたいわけじゃないんでしょう?」
「いえいえ、むしろその状況を避ける為の提案です」
「じゃあ、構いませんよ……方便ってやつでしょ?」
「方便って言うよりも、むしろナザリックの恩人としての立場を確立させちゃえば良いのかなって」
「恩人……ですか?」
なんで?……全く身に覚えがない。
「恩人ですよ……ざっと計算して見ましたけど、ナザリックが『ギルドクラッシャー』から譲り受けたトータルの金額はユグドラシル金貨だけでも1000億枚以上です。ドロップアイテムも含めたら、それどころじゃありません」
あー、『モモンガ』さんを囲む狩猟会の話かな……ほとんど月一で開催していたような?……トータルだとそれぐらいにはなるかも。
「そりゃ、俺じゃなくて『ギルドクラッシャー』の話でしょ?……取り分を全部譲るって決めたのは『バンバン』さんで、俺じゃないから……そうでなくとも俺達は施設利用料ぐらいあれば充分だし……」
「でも『バンバン』さんはいないし……こちらの世界では今のところ他の『ギルドクラッシャー』の面々も確認できていませんよね……だからナザリックの恩返しの相手としてはゼブルさんしかいないわけですよ」
完全な詭弁だ……でもアインズさんは骨の指でサムズアップした。
「狩猟会に参加していたのは『ギルドクラッシャー』だけじゃありませんよ。他のソロプレイヤーも参加していました」
「他の参加プレイヤーを見つけたら、同じように遇します……たまたま最初がゼブルさんというだけの話ですよ」
仲間の施しで自分だけが得するように感じられた……ハッキリ言って、このアインズさんの理屈は了承し難いけど……まあ、必死なのは伝わりました。
「了解しました……それで良いですよ、もう……」
「ありがとうございます……では、今からゼブルさんのアインズ・ウール・ゴウンの加入について討議します。ギルド加入の条件は社会人であり、異形種であり、メンバーの過半数が承諾する、です。ゼブルさんは社会人であり、異形種なので問題ありません。現在ギルメンは事実上俺だけであり、この会議の参加メンバーは俺だけなので全会一致で承認されました……略称ゼブルこと『ばある・ぜぶる』さん……貴方は正式にアインズ・ウール・ゴウンの42人目のギルドメンバーと認められました。本来であればギルドメンバーとしての責務も負いますが、今回はギルド長権限における特例として、ギルド防衛と機密漏洩禁止以外の責務は免除されることを認めます。そしてナザリック地下大墳墓の全ての機能についてギルドメンバーとしての権限を有し、全ての財産を共有します。おめでとうございます……そして、改めてよろしくお願いします」
なんだかとても切ない儀式だった。
アインズさんは骨の右手を差し出し、俺は差し伸べられた手を握り返した。
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気が付けば式典が開催されていた。
どうやら俺のギルメンとしてのアインズ・ウール・ゴウン加入がアインズさんから発表されたらしい。巨大な謁見の間は上は下への大騒ぎ……とはなっていないが、明らかに凄まじい動揺が渦巻いていた。
居並ぶバケモノ、バケモノ、バケモノ……まあ、どこにいたのかってぐらい大量のバケモノが整然と並んでいる。
そうぞう以上に絶対服従だった。
アインズさんの熱い演説が続く。
ギルメンの証……『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』が俺に授与されるに至り、巨大な空間一面に堆積していた諦めとも嫉妬ともつかないような感情が圧倒的歓喜によってぶち壊された。
守護者統括といか言う役職の美女悪魔が一喝し、静寂が戻る。
アルベドと言う名の彼女に促され、心ここに在らずの俺は演台に立った。
自分でも何を喋ったのか、全く覚えていない。
ただ場内が沸き立ち、最後には爆発するような拍手喝采だった。
そのまま祝賀会になだれ込むも、俺は自分でも何をしているいるのか判然としないまま、流れに身を任せていた。
ショックでした……どう表現すれば良いのか……ユグドラシル風でなく、リアルに雷に身体を貫かれたような感覚です。そんな経験ありませんけど……
アインズさんの切な過ぎる一人ギルメン会議の後、入室を許され、扉の向こうに現れたのはティーヌでした……でも、おかしい……どこからどう見ても、肉腫を確認してもティーヌなのに、ティーヌにしては異様に強いように感じられました。
もはや『人化』したままでは俺でも敵わない。
レベルにして60前後はあるように感じます。
なのに、俺の与えた神器級装備は着用していない。
彼女には似合わない、というか見慣れないので違和感バリバリなゆったりとしたドレス風の服を着ています。
ティーヌはアインズさんに会釈すると、まるで飛ぶように俺の前まで移動しました。
これまでと身体能力が違いすぎる。
「えーっと、解りますか?」
呆然とした俺の顔を覗き込むように、この上なく楽しそうにティーヌはケラケラと笑っていました。
「……どうしたの、ティーヌさん?」
「どうもこうもありませんよー……私、人間辞めまちゃいましたー!」
えっ?……はぁ?
「人間辞めたら、これが凄いんですよ……能力がその場で自覚できるぐらいにガンガン伸びるんです」
「えーっと、飲み込めないので、最初からどうぞ」
ニッコニコのティーヌ……純真な子供と言うよりも、褒められるのを待っている芸を覚えたての子犬だ。
「うーん、っとですね……デミさんから報酬で『堕落の種子』ってやつを貰ったんですよー……一緒に貰った説明書通りに使用したら、なんだか悪魔になってたんですね。その後も効果的な実戦訓練ってやつを毎日毎日繰り返して……アインズさんからも褒美を頂いたんで、残り5個ぐらいは人間辞めるアイテムがあります。強くなりたい、って希望も叶えてもらう代わりに武技の研究にも協力しているんで、どんどん強い訓練用の敵を召喚してくれるですよー……今は『精霊髑髏』とか言うヤツに挑んでいるところなんです」
……『精霊髑髏』だぁ!?……たしか68レベルですやん!
「彼女は武技研究で非常に良くやってくれているんですよ……ゼブルさんからも是非褒めてやって下さい」
おーいっ!……お前が元凶かいっ!……暢気に褒めるアインズさんに心の中で強いツッコミを入れる。
ニッコニコの悪魔ティーヌと暢気な超越者骸骨……なんだかイラっとする光景が目の前で繰り広げられています。
まあ……本音の部分ではそんなことはどうでもいいんです……本当に問題なのは見た目なんですよ。
「ティーヌさん……そのガポッとした服脱いでくれる」
「やらしぃー、ゼブルさんのエッチ、スケベ」
言葉とは裏腹にティーヌはあっさり……ビタイチ躊躇いなく全裸になりました。そしてご機嫌でクルクル回りながら、出るところはちゃんと出ているわりに引き締まったプロポーションを見せつけてきます。
……で、まあ、そりゃそーなんですけどね……やっぱり、どう見ても黒い羽根が腰の辺りから生えちゃってるわけですよ。
「……ティーヌさんさぁ……その羽根どうすんの?」
「アインズさんが魔法の武具を装備するなら、見た目は問題ないって言ってましたけど……拙かったですか?」
いや、そーゆーことじゃなく……堕天使と悪魔の違いこそあるけど、お前に与えている武具ってさー、全部『えんじょい子』さんのなんだけど……キャラ被りまでしてるから……しょーじき、嫌でも彼女を思い出すわけですよ。アバターとは似ていなくてもリアルの彼女はティーヌと似たような髪型で、同じように人を食ったような笑顔を見せて……でも何故か異様に人懐こくて……
「そう言えば……ティーヌさんのキャラって、アレに似てるよね?」
アインズさんまで……せっかく完全に消え去っていた望郷の念が頭の中でむくむくと大きくなっていきました。
突き放さないと、少しヤバい気がしました。
ティーヌに服を着るように命じて、アインズさんに断りを入れます。
「アインズさん、武技の研究を中断してもらっても良いですかね?」
「えっ?……まあ、別に急ぎじゃないんで構わないですよ」
雇用主というかトレーナーの了解は頂きました。
「んじゃ、早速なんだけど、ティーヌさんにお仕事です」
「ええー、ゼブルさんのイケズぅ……せっかく順調に強くなってたのに……でも良いですよ。私が以前よりもお役に立てるようになったところをお見せするには良い機会です」
ティーヌには王都行きを命じました。
身支度を整えると即座に『転移門』の中に消えて行きます。
無邪気というよりも邪気たっぷりな笑顔で手を振って……
実のところ、今の俺は主に竜王国と帝都を行ったり来たりしているので、しばらく心を落ち着ける為の措置でした。
あー、魔神なのに人恋しくなるなんてなぁ……ショックです。
お読みいただきありがとうございます。