死の王と蠅の王   作:マイクロブタ

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余裕があると気持ちに余裕もできます。
常にこう在りたいものです。


26話 見込まれた者達

 

 その女が現れてから、屋敷内の秩序は一変していた。

 女の印象は「とにかく笑っている」だった。

 目にする限り……何があろうと……果たして怒ることなどあるのだろうか?

 しかし誰もが腫れ物に触るよう接していた。

 家人によれば「とにかく怖い」と言う。

 大袈裟な……当初はそうは感じていなかったイーグもやがて理解に至った。

 漠とした印象に過ぎなかったものが徐々に積み重なり……所作や視線や足の運び等々……やがて自分とは存在する次元が違うとの結論に至った。

 彼女は戦士だ……ほんの僅かであっても武人としての訓練を積んだ経験がイーグに気付かせた。即ちエドストレームを筆頭にこの屋敷に家人は全て戦闘訓練を積んでいるのだ。

 唯一、仮の主人を除いては。

 世間的なお約束など無視して構わないレベルの圧倒的な強者……それこそがこの屋敷の新たな頂点ことティーヌだ。

 それまでの実質的な頂点であったエドストレームは使い走りと化し、屋敷の所有者であるヒルマ・シュグネウスにしても遠慮がちに苦言を呈する以上のことはできなかった。

 真実を知らないのはフィリップのみ。

 イーグは強引に手を引かれ、中庭に連行されるフィリップの哀れな姿を眺めていた。

 

 憤慨するフィリップが立たされていた。

 笑うティーヌが中庭の中央に立っていた。

 見た目だけならば多少個性的であるものの十二分に美女だ。

 ニコニコと満面を笑みを浮かべ……右手に棒切れを2本握っている。

 

「えーっと、オモシロ貴族……名前、何だっけ?」

 

 半ば強引に中庭まで連れ込まれたのに、そう真正面から問われ、フィリップは内心さらに憤慨したものの、エドストレームと同じく下賤の愚かな女だろうから、いちいち無礼を指摘するのも大人気ないと自分に言い訳しつつ、素直に答えた。

 

「フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスだ……モチャラス男爵、もしくはモチャラス卿と呼ぶことを許してやろう」

「ふーん……んじゃ、フィリちゃん……なんか呼びにくいなー……モッちゃんで良いかな?」

「貴様!……話を聞いていたのか?」

「じゃ、モッちゃん……これ持って」

 

 ティーヌはニコニコ笑いながら棒切れを突き出した。

 反射的に受け取ってしまい、フィリップは棒切れを手にして、何度もティーヌと棒切れを交互に見やった。

 

「じゃあ、準備はOK?」

「……何をするのだ?」

「何って、訓練だけど」

「何の訓練だ!」

「剣の訓練に決まってるでしょ……今度の戦争でモッちゃんを英雄にするんだから……短期間で単騎で大活躍できる程度にはするつもりだかねー……ちょこっと厳しいよ」

「待て!……待て待て、どういうことだ?……私は今回の戦争に関しては参戦義務が免除されたはずだ!」

「うーん、それ取り消しね……昨日、ヒルマに言っておいたから……モッちゃんがどうしても参戦して活躍したいから、って」

「はぁ?……何なのだ、それは!……聞いていないぞ!」

 

 フィリップは慌ててエドストレームを見た。

 屋敷のテラスで2人の様子を確認していたエドストレームが首を左右に振っていた……その行動では肯定の意味か否定の意味かは理解できなかったが、彼女の表情で嫌でも理解させられた。エドストレームの横でイーグまでもが絶望的な表情で顔を背けている。

 

「はい、状況は理解したかなー?……このままだと、モッちゃんはほぼ確実に戦死しちゃうんだよねー……だから訓練させるって決めたの」

「待て!……待って下さい!」

 

 フィリップは馬車で圧死寸前になっていた時の微かな記憶を呼び起こした。

 実力に訴えられては抵抗する術もないエドストレームが一方的にやり込められていたような……あの時、エドストレームの脚が僅かに震えていたような気がする……その時、この女は小窓から覗いていただけだ……

 

「……ちなみに質問があるんですが、よろしいでしょうか?」

「んじゃ、一つだけ質問に答えたら訓練開始ねー」

 

 ティーヌはケラケラと笑っていた……つい先程まで単なる陽気な女だと思っていたものが完全に異質なものへと変化していた。その瞳の奥に浮かんでいるのは愉悦……弱者を痛ぶることを楽しみにしている者の目だ。

 

「早く質問してくんないかなー……とりあえず今日中にそこらの衛兵程度なら互角に戦えるようにするつもりだからねー」

 

 ティーヌに気圧され、フィリップは2歩後退する。

 しかし距離は開かない。

 そのまま後退を続けたが、どうしても距離は開いてくれない。

 いかなる技なのか……ティーヌはただ立っているように見えるのに、フィリップが後退した距離を詰めるのだ。

 

「はーやーくー、質問しよーよー」

 

 逃げられない……早くも理解させられた。

 フィリップは立ち止まる。

 

「私は既に英雄だ。1000の兵を率い、王国秩序に対する叛徒を全滅させたのだ!……その英雄である私がいまさら訓練などできるか!」

「あー、それが質問でいいのかなー?」

「違う!」

「んじゃ、私の見解ね…………ゼロの鍛えた金級冒険者と同等以上の連中を引き連れて、道案内しただけだろ?……英雄ナメてんのか、テメー」

 

 笑顔そのものが異形だった……恐ろしく……震えが止まらない。

 

「……解った……理解した……お前の言う通り……私は英雄じゃない!……訓練も必要だ!……だから……だから!」

 

 その先がどうしても言葉にできない……この笑う女の意志に反した発言だった場合、自分がどうなってしまうのか……漠とした恐怖が言葉を飲み込ませてしまう。

 フィリップが人生で経験したことのない大量の発汗……最高級の仕立ての服であっても肌に張り付いて煩わしい。こんなことは借金に追われ、取り立てが嫌になり逃亡した際に、シュグネウス商会の差し向けた荒くれ者達に囲まれた時にもなかった。多少は小突かれたが、大人しく従えば連中は言葉や態度で脅すだけだった……本音を言えば、自分を放逐した父や家族に縋ればなんとかなると思っていたのだ……結果的にはどうにもならず、全ての血族が死んでしまったが……まあ、そのお陰で本来貴族に相応しい自分が男爵位を得たのだから、問題はない。

 しかし目の前の笑う女……ティーヌは違う。

 従うまで殴られるだろう。

 従うまで自己を否定されるだろう。

 従うまで尊厳をズタズタに引き裂かれるだろう。

 三日月のような目の奥に浮かぶ光で理解させられるのだ。

 

 立ち尽くすフィリップの心情に一切の躊躇いなくティーヌは続けた。

 

「んじゃ、早く質問して」

 

 フィリップには質問を無理矢理吐き出すしか選択肢が無かった。

 

「……お前は何者だ?……いかなる権限があって、王国貴族である私に訓練を施すのだ?」

「質問、2つになってるけど……まっ、いっか……まずひとつ目、私はティーヌ。んで、ふたつ目は私の役目……回答しゅーりょー……ちなみにサービスで言うと、私は貴族なんて言う馬鹿げた存在は否定されるところで育ったから、モッちゃんを持ち上げてやる気はさらさら無いからねー」

 

 その回答がもたらしたの絶望……気付けば、ティーヌがさらに距離を詰めていた。

 

「ほいっ、打ち込んでくる!」

 

 動きが見えない……が、何をされたかは理解させられた。

 棒切れで強か肩を打たれ、フィリップはよろめいた。

 打たれた肩を庇い、あまりの痛みに苦悶の声を上げるが、今度は首筋を打たれて転げ回る。どれだけ逃げても次に左腕……そして右腿と千切れるような痛みに逃げることも叶わず、ひたすら絶叫するだけだった。

 

「痛い!……痛い!」

「この程度で痛いとか……切られるか、刺されるかすりゃ、痛いどころじゃ済まないよー……後でポーションぶっかけてやるから、心配ごむよー」

 

 あまりに連続する痛みに気絶も許されない。

 

「痛みに耐えるのも訓練……隙を突いて、反撃する!」

 

 フィリップはそれどころでなく、意識が飛ぶように祈るほどだったが、酷使した喉の焼けるような痛みに悲鳴も出なくなりつつあった。

 

「私に反撃するまで打ち込むからねー」

 

 ティーヌの言葉に僅かにやる気が生まれるが、それもあっさりとかき消された。目に付く限り、全身が真っ赤に腫れ上がっている。服の下も酷い有様なのだろう……人生で最悪の瞬間が次々と更新されていく。

 

 目が開けられない。

 前に向かって棒を振れば終わるのに……どうしても痛みに耐えられない。

 もう声も出ない。

 そもそも立ち上がれない。

 怖い……怖い……怖い……訓練なのに……戦場に連れ出されたら……

 

「反撃できないねー……んじゃ、とりあえず骨の一本も逝っときますか!」

 

 右腕にこれまでにない激痛……文字通り血を吐く絶叫。

 

 フィリップの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 何でこんなことになったのか……?

 

 焚火を囲みながら、周囲の鬱蒼とした巨木群を見上げる。

 右手では完全武装のイーグがスープを啜っている。

 左手ではエドストレームが干し肉を噛み千切っていた。イーグよりは軽装であるものの、剣帯の6本の三日月刀が物騒な輝きを見せている。

 そして正面……今や真っ直ぐに見るのも辛い存在が街中と同じような格好でニコニコと笑いながら、恐怖の対象でしかない棒切れを振っていた。その度に近寄ってくる羽虫を打ち落としているらしく、もはや理解不能なレベルで恐怖が増幅してくる。

 

 最初に意識が飛んでから、都合24回……骨を折られ、その度に意識が飛んでいた。ポーションで治療され、頬を張られ、棒を握って立ち上がるように命じられる。貴族であるフィリップがどんなに頼んでも、銀髪の下賤の女はケラケラと笑い続けるのだ。

 開き直り、痛みに耐えてティーヌ相手に、ふらふらと棒を振るまで午前中の全てを費やした。そして全身漏れなく骨折を経験した。

 痛みに耐える……これができなければ、専業兵士のみで構成される帝国軍の真っ只中に切り込むなど不可能……英雄の領域とやらは理解できないが、少なくとも民衆に英雄と認識させるには必要不可欠……それ以外の思考は全てティーヌの棒切れに否定されるのだった。

 本音を言えば、王都の邸宅で酒を飲みつつ、理想的な未来を語ることによって愚かな民衆を領導したいのだ。それこそが将来のフィリップの姿だ。剣の研鑽など貴族てある自分がやるべきことではない。戦場で死ぬのはマヌケな貴族か、徴兵された兵士であるべきだ。少なくとも自分はそのどちらでもない……のに……

 

 野蛮な戦闘訓練など、誰が好んでやるものかっ!

 

 だが、現実にここにいた。

 ここはトブの大森林の中らしい……モンスターが跋扈する恐ろしい場所と聞いていたが……ここで自身の手で命を奪う訓練をすると言う。

 ティーヌに先行して屋敷に常駐していた、とても魔法詠唱者には見えないバティンと名乗る大男が『転移門』という魔法を行使した結果、ティーヌに追い立てられるようにここにやって来たのだ。理解不能な技であり、やたらと愛想の良い巨体の魔法詠唱者という存在も恐ろしいが……やはり全ての元凶はあの女の意向に沿って周囲が動いているという事実だった。屋敷の所有者であり、フィリップのパトロンでもあるヒルマ・シュグネウスまでティーヌに逆らえない、となると現在のフィリップでは対抗策が無いに等しい。

 

 持ち慣れない剣を握る手が汗ばんでいた。

 辛うじて水は喉を通るものの、それ以外は胃が受け付けてくれなかった。

 背中を冷や汗が流れ続けている。

 妙に客観的な自分が煩わしい。

 そして周囲の誰もが……

 

「モッちゃんさー、顔色悪いけど大丈夫?」

 

 元凶が暢気に言った。

 

「だっ、大丈夫です!……元気いっぱい!……訓練はまだですか?」

 

 心の中でどれだけティーヌを罵っても、口から吐き出される言葉は卑屈さに満ち満ちていた。

 

「んー、みんな食べ終わったら開始ねー……だからモッちゃんも早いところ食べようねー」

 

 言われるがまま、無理矢理口の中に干し肉とパンを突っ込んだ。

 この屈辱は忘れない……そう思っても身体はティーヌの言葉に逆らうことなどできなかった。もうフィリップの意思など関係ない。ティーヌの言葉に従うことが全てに優先される。

 水で強引に嚥下しつつ、割り当てられた分のスープを飲み込む。

 

 ティーヌはフィリップの食器が完全に空いたのを確認した。

 するとニコニコ笑い始めた。

 そのまま訓練手順の説明が開始される。

 まずティーヌが森に入り、中のモンスターをここに追い立てる。

 エドストレームはモンスターの命を削る役……完全までは望まないが、可能な限り瀕死のモンスターをフィリップに回すこと。

 イーグはフィリップは撃ち漏らしたモンスターを殲滅する。

 基本的にトドメを刺すのはフィリップ。

 とにかくこの順序を守れ、と言う。

 

「んじゃ、いっきますよー」

 

 焚火に土を掛け、火種を落とすとティーヌは森の中へと消えた。

 疾風走破。

 その姿は手練れの戦士であり、異能とも呼べる空間把握能力を持つエドストレームにも視認できなかった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 酒とバンザイ三唱の嵐が吹き荒れた祝賀会が終了し、世間的には時刻は早朝を迎えたようです。

 とりあえず『守護者』とか言う拠点防衛用NPC代表を交えたナザリック地下大墳墓見学ツアーに参加して、なんちゃってギルメンですが、可能な限り内部の構造を頭に叩き込みます。ナザリック内部での移動は『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』頼みらしいですが、外からの転移は一度偽ナザリックに転移してからの再転移となるようです。

 ……面倒臭っ!

 先導するアインズさんの第一妃候補筆頭のアルベドと対抗馬として野心を燃やすシャルティア・ブラッドフォールンの美女2人による掛け合い漫才を眺めながら、俺の横で熱心に施設を説明するアインズさんのモノを失った事実に少し同情していた。

 あの非公式ラスボスと呼ばれたアインズさんが、説明を終える度にいちいち褒めて欲しそうに反応を探ってくるのが面白い上に凄くカワイイ……期待に応えて絶賛すると、そりゃー、もうウキウキなのが丸分かりなんですよ。

 

 第一階層から徐々に下る。

 最初に出会ったのはハムスケ&リザードマンズwithデスナイト。

 次に巨大ゴキさんの恐怖公に恭しく挨拶されて、大笑いした。なにしろリアルの俺はアーコロジーの極めて清潔に保たれた範囲でしか生活していなかった為、ゴキさん自体が初見だった……だから恐怖公ぐらい巨大であれば特に嫌悪感もない。ユグドラシルの蟲系種族であればもっと見た目がグロいのは沢山いたしね。さすがに彼の眷属がウジャウジャしている中は遠慮するけど……

 その後はシャルティアの棲家というか、住居でヴァンパイア・ブライド軍団に挨拶された。

 第四階層で攻城用ゴーレム『ガルガンチュア』を見学する。

 第五階層はコキュートスという武人蟲王に案内され、アルベドの姉ニグレドがいるという氷結牢獄の凝ったギミックを楽しんだ。他にも拷問官のブレインイーターがいるらしいけど……アルベド&シャルティアとソリが合わないらしいので後日再訪予定だそうです。

 第六階層では闘技場にマーレきゅんの双子の姉であるアウラちゃんの使役する魔獣軍団の挨拶を受ける……アウラちゃんが言うには密林の奥にも恐怖公と同じ領域守護者なる存在がいるらしいけど、かなりエグい上に気軽に動けないので、また改めて、だそうです。

 第七階層は炎熱地獄であり、逆に挨拶の為に移動可能な者は闘技場まで出張してくれました。デミウルゴスは残念がっていましたけど……まあ、魔神とはいえ、元人間なので、ノーダメなのは解っていても灼熱レベルで熱いのは得意ではありません。

 第八階層は例のアソコなので、階層守護者のヴィクティムだけがデミウルゴスに抱えられて、闘技場にやってきました。

 第六階層から第九階層へ。

 セバスさんと再会し、お互いにちょっと照れ臭くなりました。彼の横にはツアレニーニャ・ベイロン嬢がメイド姿で立っています。軽く会釈すると満面の笑顔で返され……元気になって良かった、としみじみと感じ入るものがありました……そう言えば子供はどうしたのか?……セバスさんに寄り添う健気な姿を見ると余計な事は言うべきではないと悟り、沈黙することに決めました。

 ツギハギ犬の爆乳メイド長に率いられたメイド軍団。

 ペンギンと覆面男集団。

 料理長と副料理長。

 最後に戦闘メイド「プレアデス」と挨拶が続きます。その中に爆乳メガネメイドことユリ・アルファの姿を発見しましたが、彼女は極めて礼儀正しく挨拶してくれました。次いで蟲メイドことエントマ・ヴァシリッサ・ゼータの姿も見かけ、追い討ちをかけるように帝都で俺と追跡戦を繰り広げた2人組のルプスレギナ・ベータとソリュシャン・イプシロンも発見しました。ティーヌを拐った2人組ですが、まあ礼儀正しいので忘れてあげましょう。

 他の2人は初見です。

 無表情系美少女がシズ・デルタ。

 クール系美女がナーベラル・ガンマ。

 そうアインズさんが紹介してくれました。

 彼女達以外にもオーレオール・オメガという末妹がいるそうですが、その子は特殊な任務を負っている為、挨拶には来れないとのことでした。

 

「あー、そうだ……ゼブルさん達も冒険者登録されているですよね?……このナーベラル・ガンマこそがアダマンタイト級冒険者チーム『漆黒』のモモンの相方である『美姫』ナーベの正体なんですよ……今度、一緒に依頼を受けませんか?」

「えーっと、俺達は銅級な上に評判最悪だと思いますよ」

「……『3人組』でしたっけ?」

「そう呼ばれているみたいですね……王都でも決して評判が良いわけじゃないみたいです……冒険者の仕事を奪った黒幕、みたいな……?」

 

 正当な評価じゃない、とアインズさんは憤慨していましたが、『漆黒』と同じアダマンタイト級の青薔薇の評価ですからね……配下に加えたエ・ランテルの『豪剣』に告白させた評価も酷いものだったし……

 

「まあ、竜王国が落ち着いて、王国の事業計画が軌道に乗ったら……その後にでも考えましょうよ」

「……そうですね……残念ですけど、事業も大切ですよね」

「いや、事業についてはむしろアインズさんがノリノリだったでしょ?」

「だって、絶対に上手くいくと思うんですよ……竜王国での実験結果も申し分ないものでしたし……アンデッドのレンタル事業」

 

 そこでアインズさんに嬉しいニュースをひとつ。

 

「とりあえず竜王国は東方地域で試すみたいですよ……法国の存在が鬱陶しいけど、何もせずに捨てるにはあまりに魅力的なんで……法国から一番遠い東方で試験運用するみたいですね……あくまで徐々に、ですけど、アインズさんによろしく伝えてくれ、と女王陛下と宰相閣下から言伝を預かってますよ」

「ほっ、本当ですか?」

「ええ、勝手してすまないとは思いますけど、既に俺のところから監督用のエルダーリッチ込みで1ユニットだけ回してます」

「マジですか?……上手く行けば……夢が広がるなぁ……」

 

 アインズさんの眼窩の炎が燃え上がっていた。

 

 その様を見て、守護者達はとにかく絶賛しています。

 

 ……あー、これが例の……

 

 ナザリックの病巣をこの目で確認しました。

 こりゃー、たしかに重症だ。

 半分以上は理解すらしていないで、ひたすらアインズさんの計画した何かが上手く行ったとの情報だけで褒めちぎっている。

 

「さて、動ける者は一通り挨拶を終えたから……今度はナザリックで支援している村に行きませんか?」

 

 一定の成果に満足したのか、アインズさんが誘ってきました。

 

 ……おんやー、誰か忘れているような?

 

「えーっと、モモンガさんじゃなくてアインズさん……大切なNPCの紹介をお忘れのようですが?」

 

 アインズさんが一瞬固まり、緑に発光しました。

 

 ……精神沈静化のエフェクトね。つまり動揺したわけだ。

 

「アッ、アレは特殊な場所の領域守護者なんで……そうだ!……簡単には行けないんですよ。今度……次回は呼び出しておきますから……次回、次回にしましょう!……楽しみは次回で!……ねっ?」

 

 あまりにアインズさんが必死なので、素直に頷きました。

 気になるのは気になりますが、お楽しみはとっておきましょう。

 

「じゃ、また次回で」

「はい、次回で……とりあえずナザリックが支援する村……カルネ村って言うんですけど……そこに行きましょう!」

 

 そこで守護者達とは別れ、担当しているというルプスレギナ・ベータだけが同行することになった。

 

 アインズさんが『転移門』を開き、俺達はその中に進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 嫉妬マスク……何やら懐かしいアイテムです。

 そして、ごっついガントレットにいつもの格好。

 

 俺からするとアンバランスこの上ないこの装備こそがカルネ村におけるアインズさんのオーソドックスな姿だと聞きました。

 どうやらカルネ村ではアインズさんは正体を明かしていないらしく、俺も慌てて『人化』します。

 

「これはゴウン様」

 

 すれ違う村人達は丁寧に頭を下げてくれます。

 アインズさんはいちいち鷹揚に頷きながら、ここ最近で村長になったというエンリ・エモットなる人物を探し歩いていました。

 

 人々の雰囲気は長閑そのもの。

 皆素朴な人柄で、アインズさんに絶大な信頼を寄せているのが判ります。

 しかし村そのものは裕福でないのは明らかです。

 そしてかなり高い木製の城壁もどきに囲まれていました。

 見張り台も完備……外敵でもいるのか?

 その辺りの疑問をアインズさんにぶつけると、アインズさんが支援する切っ掛け自体が法国による襲撃だったと答えてくれました。

 さらに村の近く広がるトブの大森林で、結果的にモンスターを排除していた『森の賢王』ことハムスケをアインズさんが使役した為、危険に晒される可能性が高まったらしい……

 

 うーん……なんか中途半端じゃネ?

 

「アインズさん……ここも強靭化しませんか?」

 

 単なる思い付きですけど、フィリップの領地なんぞを徹底強化したんですから……アインズさんが自ら庇護するカルネ村を強靭化するのは不自然どころか至極当然だと思うんですが……

 

「彼等には対価を支払う余裕がありませんよ、ゼブルさん」

「対価って必要ですかね?……もし必要ならば俺が支払っても良いですけど……そーゆーことじゃないんですよね?」

「ナザリックの財を使うのならば……いや、そんなことは理解した上での提案ですよね?」

「今後もカルネ村をアインズさんが庇護するつもりなら、多少強引にでも発展させた方が今以上に役立つと思うんですけど……違いますか?」

 

 アインズさんは立ち止まり、仮面の顎部分にガントレットを当てた。そのまま考え込むように首を傾げる。

 

「ふむ……そういう考えもありますね……さすがはゼブルさんだ」

「自分の……アインズ・ウール・ゴウンの勢力圏下は発展させましょうよ。豊かな土地に裕福な人々……それらに加えて、厳格かつ公平な裁判と税制だったかな……全部『バンバン』さんの受け売りですけど……その方針であれば、たとえアインズさんが世界を支配せざる得なくなったとしても平和なもんだと思いますよ。人間、豊かさを与え、公正を担保してくれる存在に対しては従順なもんです……まあ、俺が実証実験しているのは力の信奉者である亜人のビーストマンですから、それに強さと恐怖ってものが加わりますけど」

「……多少散財しても、後々の収入増を狙え、と」

「モチャラス男爵領のような大袈裟なものじゃなくても良いと思うんですよ。ただアンデッドの屋外耕作作業の実験場としても有効です。なにしろアインズさんが村の恩人かつ偉大な魔法詠唱者なんて立場でものが言える場所って、カルネ村だけなんじゃないんですか?」

「たしかに……その通りです」

「だったら、アインズさんの立場を最大限に利用してしまえば良いんです。偉大な魔法詠唱者といえどアンデッドの実験場を提供してくれる可能性がある村なんて、他には絶対にありませんから……」

「……なるほど」

「カルネ村も安全を確保した上に潤って、win-winだと思うんですよね……結果的にアインズさんの発言力も強化されるでしょ?……どの道、ここを庇護し続けるつもりなら、発言力は重要なファクターですよ」

「そうですよね!……いやー、さすがゼブルさんだ!……でもカルネ村って直轄領の中らしいんですよ。王国の連中に狙われたりしないですかね?」

「辺境の村ひとつに、いきなり攻城兵器持ち出すようなバカが相手じゃない限り、俺のところの王都の政治工作でなんとでもなるような気はしますが、確証はありませんね……国王もしくは直系の王族が怒り狂って出張ってくると、村の戦力だけじゃ遅滞戦闘による戦線維持も厳しいと思います。そうでなくとも経済封鎖されると村だけじゃ厳しいかなぁ……まあ、そうならないようにするのが俺達の腕の見せ所ですけどね……とにかく村を経済的に発展させるのはアインズ・ウール・ゴウンにとっても基本的にメリットしかありません。特に帝国との戦争で特需が見込めるんですから……穀物以外でも軍需関連はマーレきゅんを使ってなんでもやってみることです。大量生産すれば、収穫作業の為にアンデッド導入の機運も高まりますよ」

「……つまり王国に攻め込まれても当面戦線を維持することが可能であれば、何の問題も生じないわけですね?」

「王都の貴族達にカルネ村侵攻反対の機運を高める工作程度であれば、既に浸透している俺の配下だけでも十二分に可能でしょう。国王に対する影響力工作となるとそれなりに時間は必要になるでしょうけど……もちろん決めるのはアインズさんなんで、無理にとは言いませんけど」

 

 アインズさんは考え込んだ……が、それも一瞬……俺を見た時には眼窩の炎が赤く燃え上がっていた。

 

「……やりましょう!……まず、どうすれば?」

「村の責任者もしくはご意見番の長老格みたいな人物に話を通して、村内の有力者だけが集まるように仕向けて下さい」

「有力者だけ?……全員、でなく」

「全員の意見をまとめている時間も惜しいんです……平時に話し合いなんてさせると意見が割れますから……それに8割以上の人間は多数派の意見に流されます。一見、その方が無難に思えますからね……つまり多数派を形成する為には影響力や発言力のある者達の中で過半数を確保すれば問題が生じ難いし、簡単です。ほとんどの一般人はリスクを負ってまで成功なんて望んでません。失敗して脱落するのを恐れるんです……リアルで習いませんでしか?」

「……どこかで聞いたような、聞いたことがないような?」

「んじゃ、とりあえずカルネ村で実験して見ましょうよ……まあ、俺達とすれ違う村人達の反応から推察すると、ここではアインズさんの発言力は俺の想定以上の可能性もかなり高いと思います。だから鶴の一声的に即決する可能性もありますよ」

 

 アインズさんは力強く頷き、新村長エンリ・エモットがいるという村外れの倉庫兼作業場に急いだ。

 

「あちらです、アインズ様」

 

 先導するルプスレギナが目的の小屋を指し示す。

 見れば小屋の前にはそれなりの人数がいた。

 人間の大人に子供……とゴブリンが多数……ゴブリン?

 ユグドラシル時代でもなかなか見かけない異様な光景だが、皆和気藹々と作業に精を出しているようだ。

 

「……あのゴブリン達は?」

「ご説明いたします、ゼブル様」

 

 褐色メイドのルプスレギナが恭しく首部を垂れた。

 あの中の大多数はアインズさんが与えた『小鬼将軍の角笛』でエンリ・エモットが召喚したらしい……まあ、召喚ゴブリンならば人間の子供と一緒にいるのは理解できる……加えてアインズさんがハムスケを使役した結果、ハムスケのテリトリーが空白化したことにより、『東の巨人』と『西の魔蛇』と呼ばれる他の有力モンスターが勢力拡大を狙って動き始めた。彼等に追い立てられたトブの大森林産のホブゴブリンやゴブリンも少しいるらしい。さらに今は姿が見えないがオーガ5匹もカルネ村で労働に従事していると言う。

 

「……なるほどねぇ……エンリ・エモットはなかなかの人物らしい」

「そう思いますか?……俺としてはエ・ランテルの重要人物ンフィーレア・バレアレを繋ぎ止める為の駒として保護対象にしていたんですけど……」

「いや、低レベルばかりとはいえ、大して教育も受けていないように思える現地産の人間が多種族共生を実現しているのは凄いことじゃないですか?……しかも肉食で野蛮な亜人種相手に、ですよ……召喚ゴブリンの武力で統制しているようにも見えないし……」

「そういうものですか?……やっぱりナザリック外の感覚を持っている人と話すと新鮮な意見が聞けますね……本当にゼブルさんに加入してもらって良かったなぁ……」

 

 急に雰囲気を出し始めたアインズさん。

 遠くから「あっ、ゴウン様だ!」と声が掛かる。

 見ればまだ幼女と言っても良いような少女が走ってくる。

 エンリ・エモットの妹であるネム・エモットだと紹介された。

 

「えっと……エンリ・エモットって、まだ若いんですか?」

「まだ16〜17歳ぐらいじゃないかなかなぁ?」

「その年で村長で、その上異種族も率いているって凄いですよ、やっぱり!」

「前村長が一足飛びにエンリを説得して村長を任せたみたいなんで……やっぱり凄い人材なんですかね?」

「リアルでアインズさんが16〜17歳の頃、できるできないは別にして、他に大人がいるのに、村長やれ、と言われて、やろうと思えましたか?」

「……リアルどころか、今でも可能ならやりたくないですよ」

「俺も同じです……じゃ、エンリ・エモットは凄い、で間違いないですよ。ユグドラシル由来の能力を取り除けば、少なくとも俺達よりは優れた人物です」

「……なるほど」

「その凄い人物に、もっと凄くなってもらいましょう……とりあえず自前の戦力労働力強化で『小鬼将軍の角笛』をガンガン使わせましょうよ。召喚ゴブリンが消えないのも都合が良いし、俺も2個ぐらいは持ってますし……」

「それならナザリックに山のように余ってますから、こちらで供出しますよ」

 

 そう答えながら、アインズさんは飛び付いてきたネム・エモットを抱き止めた。幼い子供に絶対的に信頼され、慕われていた。アインズさんもネム・エモットを気に入っているようで、まるで親戚の叔父さんだった。

 ネム・エモットに遅れてゴブリン軍団を引き連れた、少女時代を卒業したてぐらいに見える女性が走り寄ってきていた。

 

 ……あれがエンリ・エモットか……?

 

 少し日に焼けた肌が健康的な可愛らしさを強調していた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 意識が朦朧とする中、重い肩と痛む腕を振り上げる。

 最初の1匹目であったゴブリンの首に剣を突き刺してから、通算何匹目なのか?……もはや背後に積み上げられ死骸の山を数えなければ、正確な数など判らない。内、半分以上はフィリップがトドメを刺したような気がする。

 恐ろしくて、恐ろしくて、どうしようもなく震えていた自分の心が嘘のように摩耗し、何も感じなくなっていた。

 吐き気もしなくなった。

 血の臭いにも慣れた。

 ひたすら疲労に耐えながら、地面に転がる瀕死のモンスターに剣を突き立て続けた。

 嫌気よりもティーヌに対する恐怖が身体を突き動かしたのだ。

 絶命を確認するとイーグが死骸を蹴り転がし、一ヶ所に集める。

 耳を切り取っているのは討伐証明の為らしい。

 これからしばらくの間……あの女が認めるまでは……この討伐証明を冒険者ギルドに提出することによって支給された金額で、イーグと2人で生活しろと言われているのだ。疲労困憊のフィリップにそんな余裕はなく、イーグが必死になるのも無理はなかった。

 

 また巨木の間の低木が音を立てた。

 いい加減にしてくれ!……そう思う間もなく、ゴブリンとオーガの集団が現れた。フィリップの手に余るオーガ3匹はエドストレームが飛ばす三日月刀によってあっという間に絶命した。そのまま三日月刀は宙を舞い、10匹を超えるゴブリンの脚の腱を次々に断ち切り、武器を持つ方の腕を斬り落とす。

 瞬時に無力化され、絶叫する12匹のゴブリンの首を狙って、フィリップは何度も何度も切先を突き刺した。これまでの経験によって、心臓や頭部よりも首を狙った方が楽だと学習していた。

 そして最後のゴブリンが絶命を確認した瞬間、フィリップはのし掛かる疲労感に耐え切れず、その場に座り込んでしまった。

 

「……今ので何匹だ、イーグ殿……」

 

 肩で荒い息をしながら、フィリップは死骸の山から耳を切り取るイーグに声を掛けた。

 

「モチャラス卿がトドメを刺したゴブリンは全部で52匹です……その他にエドストレーム殿がオーガ13匹とバーゲスト6匹です。私はゴブリンを18匹といったところですね……最初の頃と違って、後半はほとんど討ち漏らしが無くなっていましたよ」

 

 フィリップは大きく息を吐いた。

 

「2人でゴブリン70匹か……いくらぐらいになるのだろうな?」

「私も冒険者ギルドの仕組みはよくわかりませんが、食事をして宿で寝るぐらいはできるのではないですか?」

「だと、良いがな」

 

 達成感に浸りながらフィリップが剣を支えに立ち上がると、目の前に恐怖の笑顔があった。手の届く距離まで接近されたのに気配すら感じなかった……その事実に思わず立ち竦む。

 

「うーん、まだまだかなぁー?」

 

 耳を疑う言葉に絶望する。

 

「まあ、でも迎えの時間だからねー……後は屋敷に帰ってから、復習でもしよっか、モッちゃん?」

 

 ホッとした瞬間、更なる地獄に突き落とされた……あの絶望的な拷問を受けるぐらいならば、ここに居残る方がはるかにマシだ。

 

「……待って下さい……可能でしたら……」

「もしかして、ちょっと強くなった気になっちゃったかなー?……夜の大森林に1人で残るとか、死にたい?」

 

 夜のトブの大森林……モチャラス領の浅い雑木林とはわけが違うのは既に理解していた。レンジャーでないどころか、森の知識も無いのに居残るのはほとんど自殺に近い行為なのは子供でも知っている。

 それでもティーヌに立ち向かう訓練は嫌なのだ。

 少し思い返すだけでも震えが止まらない。

 

 唐突に『転移門』が開いた。

 

 逡巡する間も無く、フィリップはティーヌの棒に小突かれ、その中に吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 貴族位に在る者が冒険者ギルドに訪れるだけでも珍事なのに、大量の討伐証明部位を持ち込んだ事が冒険者達の安酒の肴になった翌日、早朝からフィリップはイーグを引き連れて自分の屋敷へ出頭した。

 もはやフィリップの屋敷でなく、ティーヌによる訓練場であり、足取りは鉛のように重かったが、逃げることはできなかった。逃亡して捕まったらどうなってしまうのか……骨の1〜2本で済まないことは確かだった。昨日、屋敷に戻った後の訓練を想像するだけでも嘔吐感が止まらない……あれこそ生き地獄だ、とフィリップは確信していた。

 瞬きを禁じられ、眼球を潰されこと12回。

 棒切れで耳を削ぎ落とされること4回。

 口腔内に棒を突き込まれ、前歯を全て失ったこともあった。

 心停止2回……ポーションをぶっかけられると同時に蹴り起こされたが。

 睾丸を潰されたこともあった。

 骨折は数知れず。

 トラウマで逃げ出したいのに、そうする勇気の欠片すら持ち得ない。

 なのに、痛みに対する耐性だけは確実に上昇している実感があった。

 ティーヌ曰く、気配を読むなんて技は付け焼き刃じゃ不可能なんだから「とにかく目で追え」と。

 

 フィリップ達は出迎えるつもりでかなり早く出発したつもりだったのだが、屋敷の中庭に到着した時には、既に笑う女の姿があった。

 

「んじゃ、始めよっか?」

 

 絶望の滲ませたフィリップとイーグが並び立つ前からティーヌが一歩引き、代わりに禿頭の巨漢が屋敷から現れた。イーグよりも縦横一回り大きいのに、ガチガチに引き締まった体躯だった。ティーヌのように得体の知れない恐ろしさは感じないものの、その見た目は十二分に恐ろしい。

 

「これはディンゴねー……こんなでもミスリル級冒険者らしいから、モッちゃんの目標にちょうど良いかなぁ、って、追加してもらったから」

「どうも、ミスリル級冒険者チーム『豪剣』で戦士やってます。ディンゴです」

 

 巨漢ディンゴは恐ろしく巨大な木剣を持っていた。小柄な女性ぐらいの大きさはあるだろう……あんなもので殴られたら、どうなってしまうのか?……フィリップは頭を抱えたくなったが、どうしても直立不動を崩せなかった。

 

「治癒のポーションは山程あるから、即死だけはさせないようにして、遠慮なくやっちゃってくれるかなぁー」

「うっす!」

 

 ディンゴが巨大な木剣を構える。

 

「ほいっ、イーグちんはさっさと下がる」

 

 イーグがテラスの前まで下がり、中庭の方に向き直った瞬間から、場の空気が一変する。

 

「はいっ、モッちゃんも構えないと死ぬよー」

 

 棒立ちしていたフィリップが剣に見立てた棒を構えた。

 震えが止まらない。

 

「んじゃ、やっちゃってくれるかなぁ」

 

 刹那、青眼に構えたディンゴの木剣がノーモーションで突き出された。

 フィリップは戸惑っていた……見える?……見えるな……案外、遅いぞ。

 不恰好ながらもバックステップでギリギリ木剣の軌道から逃げ切る。

 

「はっ、はは……見えるぞ、見える!」

 

 言った側から左の腿からとんでもない衝撃を受け、中庭の端まで吹っ飛ばされた。右肩が外れ、右腕は見たことのない方向に曲がり、左脚は激痛で全く動かない……だが激痛に耐えながらも冷静に自分の状態を分析できていた。

 

 ……やって、やれないことはない……気がするぞ……

 

 そう思った瞬間、フィリップの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 都合10回ぶっ飛ばされ、その度に意識を失った。

 一太刀も入れるどころか、返せなかったが、何故か自信に満ちていた。

 少なくともディンゴという巨漢からはティーヌほど絶望的な差を感じなかった。このまま訓練を続ければ、ミスリル級の戦士ぐらいであれば追いつけるのではないか……そう感じ、拳を握り締めた。

 しかしフィリップの自信は儚かった。

 相手がディンゴからティーヌに代わった瞬間、昨晩の生き地獄と大して変わらない状況に突き落とされた。

 捨てる直前のボロ雑巾の方がまだマシ……とは同じくディンゴにボロボロにされたイーグのフィリップに対する感想だった。

 なにしろ動きが見えないのだ。

 なのに、瞼を閉じようものなら、容赦なく眼球を潰される。

 気が逸れようもなら、睾丸を潰される。

 動きが止まれば、耳なり鼻なりを削ぎ落とされる。

 気に入らなければ、歯を砕かれる。

 休憩直前には必ずどこかの骨を砕かれる。

 あまりの悲惨さに気を逸らしたイーグがディンゴの木剣の直撃を喰らい、意識を飛ばされたこともあった。

 

 2人の生き地獄は午前中いっぱい続いた。

 

 午後は再びトブの大森林へ。

 

 今日は多忙なエドストレームに代わり、冒険者チーム『豪剣』がバックアップだった。ディンゴの他にカドランという優男とシトリという名の年齢不詳な女が加わる……彼等の役目は昨日のエドストレームと一緒……フィリップの手に余るようなモンスターを狩り、比較的難度の低いモンスターを動けないように処理する。可能であれば抵抗もできないようにする。

 トドメを刺す係はあくまでフィリップであり、イーグも昨日同様フィリップの討ち漏らしを駆除し、遺骸を集めて、討伐証明部位を切り取る係だった。

 

 食事が喉を通るとどころか、食欲があった。ふかふかのパンに具沢山のスープを2杯も食した。それでも足りないぐらいだったが、昨日と違い、ティーヌに満腹にしないよう注意される。

 ティーヌに対する恐怖心こそ抜けないが、体力も飛躍的に上昇したような気がする。気力もある。不思議なものだが、これまでの訓練が無駄でないような気がしていたのだ。昨日までは戦闘訓練など貴族がやるべきようなことではないと思っていたのに、である。

 

 命を奪う訓練が始まった。

 

 本能に従い、逃げ込んでくるゴブリンの群……最初に迎撃する『豪剣』は3人いてもエドストレームより実力が劣るようで、ちょくちょく五体満足なゴブリンがフィリップの前までたどり着く……最初はビックリしたが、ティーヌから散々敵を見ることを強制され続けた結果からか、ボロボロの短剣を持つゴブリンが怯えているのが理解できた。その上、動きまで大雑把に予測できる。

 所作も型も理解してないフィリップは、ただ観察しながら剣を振った。

 ゴブリンの首から真っ赤な血が噴き上がり、断末魔が聞こえた。

 初めて自力で仕留めた獲物……フィリップはそのゴブリンの死骸だけは死体の山と違う方向に蹴り飛ばした。

 そのまま自主的に次々に剣を振り、ゴブリンの死骸を量産した。

 

「イーグ殿……少しやれるようになった気がするぞ!」

「モチャラス卿は昨日とは別人です……私の仕事がほとんどありません。私も少し前に出て構いませんか?」

「いや……『豪剣』に命じて、もう少しこちらに回してもらおう」

 

 『豪剣』にゴブリン5匹までそのまま通すように依頼した。

 オーダーされたまま『豪剣』は逃げ込むゴブリンをスルーするように動き始めた。5匹と言ったがそれ以上が雪崩れ込んでくることもある……しかしイーグと連携しながら問題なく処理していった。疲労感はあるものの、高揚感が打ち消してしまう。こんな経験は生涯初だった。

 

 モンスターが途切れた。

 充実感に浸りながら、水を飲み、干し肉を齧る。

 

「おんやー、少しはマトモな顔付きになったかなー?」

 

 振り向きたくないが、振り向くとティーヌがいた。

 瞬時に顔が強張る。

 

「……剣の手入れ、やっとくよーに……後半はイーグちんと一緒にオーガの相手してもらうよー」

 

 ティーヌが『豪剣』に手早く指示する。

 今度はオーガを含めてを行動不能にしてこちらに回す。

 とにかく殺さないで回す。

 バックアップにはゴブリン達を追い立て終えたティーヌ自らが回る。

 フィリップはオーガにトドメを刺す。

 イーグはゴブリンの掃討と討伐証明の切り取り。

 指示を言い終えるとティーヌは消えた。

 

 目視している中で消えたのだ……少し強くなった気になっていたフィリップは愕然とした……漠とした恐怖がチラリと真っ赤な舌ベロを見せた。

 

 まだ遠く、はるかに高い……恐怖に突き動かされ、フィリップはひたすら剣を振った。バックアップという名目で背後に立つ、笑うティーヌの姿の想像すると、いい気になっていた自分が恐ろしくなる。

 ティーヌは別格にしても……例えばディンゴのような兵士が居並ぶ戦場に突入して、鮮烈な戦果を挙げて生還するなど夢のまた夢だ。このままでは戦場で朽ち果てるしかない。カッツェ平野のアンデッドとなる未来しか見えない。王国が戦争準備を終えるまで……残り僅かな期間で少なくともティーヌがちょうど良いと言ったディンゴよりは強くならなければ話にならない。

 

 怖い……とにかく怖い。

 

 少しだけ戦えるようになった結果、フィリップは初めて自分の置かれた状況を明確に理解した。

 

 戦場まではあと少し……もはや理想を語ることで愚民を領導するなどという戯言を言っている場合ではなかった。

 




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