死の王と蠅の王   作:マイクロブタ

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感想を頂いた方、本当にありがとうございます。
もっと早いペースで書ければと思いますが、中々スケジュールが厳しいです。


3話 逃げるって、基本だと思うんです。

 暗い森を男が走っていた。足場が悪い為か躓いては地面に転がり、慌てて立ち上がりを繰り返している。

 全身泥だらけ。

 中でも掌は傷だらけ。

 でも男は止まらない。息が上がり、意識は朦朧としているようだが、絶対に止まらなかった。それは命懸けと言うよりも緩慢な自殺のような行為だった。

 自身の武力は最底辺……男にはその自覚があった。だから取るものもとりあえず逃げた。逃げる以外の選択肢など無かった。

 本来ならば街道を進みたかった。己の武力を考えれば夕暮れの森を抜けるなど考えられない。しかし状況が許してくれなかった。街道を進めば必ず追い付かれる……それは確信だった。

 

 最強の男が寝返った。

 最強の男を従えた最凶の存在を目にした。

 最凶に付き従う最狂の女が笑っていた。

 最恐の者に表情は無かった。奴は淡々と不死の軍団を生み出していた。

 戦争でも経験したことの無い恐怖が男の脚を突き動かしていた。

 自らの死への恐怖では無かった。

 頭の奥底にある芯から感じる……この恐怖の正体はいったい何なのか……

 とにかく逃げなければならなかったのだ。

 

 この国で生まれた。

 恵まれない村だ……ろくでもない人生だった。

 極貧の生活……どんなに懸命に働いてもまともに食えなかった。

 妹は売られたのだろう……本当にどうしようもない現実だ。両親を罵りながらも食い扶持の減った現実は受け入れた。

 3度徴兵され、運良く生き残った。3度目に生き残った時、決して改善しない現状から逃げた……死の逃避行……3度の戦を生き抜いたとはいえ、国家というシステムから逃げるのは単なる農民の男には至難の業だった。後盾も無ければ土地勘すら無かった。

 だが3度の戦争でも男を生き残らせた幸運の女神は再度微笑んでくれた。

 傭兵団の手引きで男は辛うじて安住の場を得た……助けてくれた傭兵団にそのまま所属したのだ。

 

 傭兵団『死を撒く剣団』に所属したからといって男自身の武力が上がるわけではない。人生の辛酸を舐め尽くした男はよく自覚していた。だから傭兵団でも下働きを受け入れていた。戦時こそ傭兵団だが男が所属したのは平時は野盗集団に豹変する組織だった……結局、ろくでもない人生に変化は無かった。

 変化と言えば奪われる側から奪う側に回ったこと……泣かされる側から泣かす側に堕ちたこと。

 

 そんなろくでもない集団の中で男は最強の男を知った。

 少しづつ馴染む内に彼も自分と同じ元農夫だと知った。

 御前試合で王国戦士長と戦ったことがある、と聞いた。

 王都には女だけで構成された凄腕冒険者チームがいる、とも聞いた。

 世の中知らない事だらけだ、と気付かされた。

 最強の男が語る世界は男にとってとても新鮮だった。

 ろくでもない男達の中で最強の男は孤高を保っていた。

 奪わず、犯さず……ただ淡々と剣を振っていた。

 その在り方に憧れを感じた。

 男は彼から自分の知らない世界の話を聞くのが好きだった。

 ろくでもない集団の下働きと、ろくでもない集団から一目置かれる男。

 自分が男の眼中に無いことは知っていた。

 でも届かない世界の話はろくでもない生活に潤いを与えてくれたのだ。

 

 孤高が籠絡され、仲間を裏切った

 仲間は蹂躙された。

 自分にも死が迫っていた。

 幹部の幾人かは拘束されていたが、自分は拘束される側でなく、死ぬ側に立っているのを理解させられた。

 

 もう奪われるのは御免だった……塵芥のような命だが彼奴等に差し出すわけにはいかない。

 

 だから逃げた……脱兎の如く、なりふり構わず。

 死が怖いわけではない……幾度も死を覚悟し、死んだ方がマシな状況にも慣れていた。男の人生で生きていて良かったと感じた時期など無かったのだ。

 でも彼奴等に殺されるのだけは勘弁だ……そう感じた。

 いても立ってもいられなくなった。

 気付いたらアジトを飛び出し、森の中を走っていた。走って、走って、走り続けた。

 彼奴等に殺されるぐらいならばモンスターの餌になった方がマシだ。そう真剣に考えていた。息が上がり、喉はカラカラだ。傷だらけの身体が悲鳴を上げていた。でも走るのを止められなかった。このまま死んでもいい。立ち止まるぐらいならば死んだ方がマシだ。

 

 どれだけ走り続けたのか……半日は走ったような気がする。

 

 空は闇色に染まり、星々が足下を照らしていた。

 気付けば森を抜けていた。でも不思議なことに森でモンスターに出会うことは無かった。夜の森でモンスターに遭遇しないことなどあり得るだろうか?

 

 男は脚を止めた。

 水場を探し、辺りを見回す。小川のせせらぎが聞こえた。その音を頼りに男は歩き始めた。脚を上げるのも辛い。

 でも一息着いたら再度歩き始めるつもりだった。

 同じ場所には居られない。そう切実に感じていた。

 

 水は美味かった……生まれて初めて「生きていて良かった」と感じた。

 両手で顔を洗った。魂が浄化されたような気がした。

 男は自身を守護する幸運の女神に感謝した。ゴミ屑のような戦力しか持たない自分が3度の戦争を潜り抜け、歴戦の古兵が為す術無く滅んだ戦争以上の厄災をやり過ごした……全ては幸運の女神のお陰だ。超常的な何かの助力がなければ有り得ないだろう。

 

 街道をそのものを歩くことは出来ない。

 

 男は街道沿いをゆっくりと進むことに決めた。

 とりあえず逃げ切った……そう確信すると自然に鼻唄が漏れた。

 

 小さな蠅が男の前を横切る。

 

 男は気にもせず、所々音程の狂った鼻唄を口遊み続けた。

 

 北へ向かう……男はそう決めていた。最弱の剣と強大な幸運を頼りに。

 

 

 

**************************

 

 

 

 エ・ランテルの朝の喧騒の中を歩く。

 頭の中には後悔しかなかった。

 

 証言者である街道警備を請け負った冒険者達と共に冒険者組合に報告を済ませ、拘束した『死を撒く剣団』首領と幹部3名に加え、救出した女達を引き渡した。もちろんブレイン・アングラウスについて余計なことを喋らせないように処理はしてある……全員の脳内に眷属が寄生済みだ。ブレインは捕らえられていた女達には手を出したことはないと主張したが念の為に女達の脳内にも寄生させた。

 

 組合の建物内は大騒ぎになった。

 冒険者達の証言聴取は既に始まっていた。

 次いでティーヌとジットが討伐したモンスターの討伐証明部位の山を組合窓口に渡し、蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

 冒険者になった初日の成果がモンスター討伐数327……これだけでも大騒ぎになって然るべきなのに、加えて『死を撒く剣団』70名超の潰滅と首領を含む幹部の拘束。そして捕らえられていた女達の救出。

 

 要するにやり過ぎだったのだ。

 

 時間帯も拙かった。冒険者の人数が一番揃う朝一だったのだ。

 しかし報告してしまったものは撤回できない。

 とりあえず報酬を得るまでと我慢して待ち続けた。

 だが冒険者が増えるに連れ、組合内はカオスの大渦と化し、混乱はさらに拡散する一方だった。仕舞いには冒険者組合長のプルトン・アインザックまでが顔を出す面倒な事態にまで発展した。

 

「また報酬を受け取りに来ます!」

 

 俺達は報酬すら受け取れず組合から逃げるように立ち去ったのだ。

 面倒くさいのは御免だった。

 しかし手持ちの資金はほぼ増えていないのに、新たな仲間としてブレイン・アングラウスが増えていた。ブレインの所持金と言うか強制持参金は銀貨が2枚に銅貨が12枚……所持金総額は微増したものの、均等割で一人頭銀貨10枚が銀貨8枚と銅貨3枚となったのだ。本当はどうしても報酬が欲しかった……でも算定後に俺達に支給されるまでの間、あのバカ騒ぎに耐えるのは苦痛以外の何物でもなかった。

 

 とりあえずブレインにも『飲食不要』に加え『睡眠不要』と『全状態異常耐性向上』の効果を持つ腕輪やアンクレットを装備させた。ブレインは装備品の効果を説明されてビックリし、それは有難がっていたが、現実には単なる貧困対策だった。飲食と睡眠が不要であれば宿代と食費が浮くのだ。

 

「で、どうするんですか?」

 

 先頭を軽やかに歩いていたティーヌが振り返った。器用にも後ろ向きに歩きながら行き交う通行人をまるで見えているかのように的確に避けている。

 問われても当ても無ければ目的も無い。いや、金を稼ぐという大きな目的はあるし、その為の当てはバハルス帝国の帝都に在る。だがその前に今回の報酬が受け取りたかった。だから正確には「本日の」と言った方が良いだろう。

 考えながら歩いているとティーヌが顔を歪めた。

 

「どうかしたんですか?」

「……いえ、風花っぽいのが……連中、病的に気配を完全に断とうとするので逆に一般人の集団の中だとポッカリ穴が空いたように感じるんです。連中も頭で理解はしているでしょうが……幼少期からの厳しい訓練で深く身に染み付いたものは中々消せません」

「風花って……要は追手ですか?」

「……申し訳ございません」

 

 ティーヌは頭を下げた。そして前に向き直る。目立つことを避けたのかもしれない。しかし器用なものだ。一連の動作中でも歩く速度は一定に保っているのだ。喧騒の中でも会話可能なギリギリの声量も保っている。

 

「それにしても念入りに追われているんですね……?」

「……国から離反するだけじゃなく、行き掛けの駄賃に国宝、強奪してしまいました……テヘ」

 

 うん……そりゃーテヘペロじゃ済まないね。

 

「……捕縛されたら、極刑確実ですね」

「はい、単なる死刑で済めば御の字だと思います。国宝奪う際に巫女姫を発狂させてしまいましたし、護衛もかなりの数を殺しました……我ながらやり過ぎだったかなー、って思います。捕まったら、それはそれはエグーい実験の材料にされるんじゃないかなぁ……って……」

「……うん、救いようが無いね」

「そこを何とかゼブルさんに救っていただきたいなぁー、って思ってます」

 

 再び振り向いた上目遣いのティーヌに嘆息が漏れた。

 

「まあ、いちおう頑張りますけどね……でも捕まったら自己責任という事でお願いします」

「えーっ! ゼブルさん、酷い!冷たい! 私の大事な部分にあんなエグいモノを入れたクセに、ヒドイ!」

 

 ……あのなー、一気に馴染み過ぎだ……何、その下ネタ……

 

「……ご不満でしたら、離反して頂いても結構ですよ? それでしたら自動的に人体実験よりは真面な最期を迎えるんじゃないですかね」

「離反なんてするわけないじゃないですかー……私、ゼブルさんに全てを捧げるって決めたんですー」

 

 ティーヌはニヤニヤとした笑いを返してきた。懲りない女だ……まあ、でも暗いよりはマシだ。どうせひとでなしの団体なのだ。今更罪の一つや二つ、増えたところで何かが変わるものでもない。

 

 それにしても……ティーヌの追手は何故手を出してこない……髪を染めて衣装替えした程度で誤魔化せるものでもないだろう?

 

 当然と言えば当然な疑問が頭を過ぎった。

 

 風花聖典だっけか……諜報専門の特殊部隊だけでなく、中低位の悪魔であるシャドウ・デーモンまでそこら中に配置しているのに……俺は別にして、ティーヌやジットやブレインを相手にする程度ならば充分な戦力だろうに……俺にしてもシャドウ・デーモン程度の探知では能力看破は絶対に看破不能なはずだ。俺の能力が読めるまで手を出すことを我慢しているのならば随分と用心深い連中だ。

 

「……連中、なんで仕掛けて来ないんでしょうかね?」

「風花だけじゃ戦力不足って考えているんじゃないですかねー?」

「戦力不足……? 充分だろ」

「えーっと……自分で言うのも何ですけど、風花は諜報が専門分野ですから元漆黒聖典の戦士相手だと何人いても辛いと思いますよ」

「……んんっ?」

 

 じゃあ、あのシャドウ・デーモンさん達は……?

 

「なあ、ティーヌさん……シャドウ・デーモンって知ってる?」

「……そりゃー、まあ、戦士職とは言っても元漆黒聖典第九席次ですから、危険な悪魔の基礎知識程度はありますよ」

「風花聖典ってシャドウ・デーモンを使役したりするのかな?」

「アハハッ! そんな超一流の腕があったら上が強制的に風花から漆黒に鞍替えさせますよー……やだなぁ、ゼブルさん」

 

 当然じゃないですかー、とティーヌは笑い……直後真顔になった。どうやら俺の言葉の意味を理解したようだ。

 

「……全員、振り向くな……このままエ・ランテルから脱出する」

 

 プレイヤー……もしくはそれに準ずる高レベルが背後にいるのは確実だ。シャドウ・デーモンごときなら何匹いようが俺だけならば無傷で逃げ切る自信はある。でもティーヌ以下を護りながらは流石にキツい。

 

「おぬしが何かやらかしたのか、ティーヌ?」

「信用ないなー、ジッちゃん……それより無茶苦茶ヤバい感じ?」

「なんだよ、それ?」

「あー、まー、俺達、基本的にひとでなしの臆病者なんですよ……シャドウ・デーモン程度なら何匹いようが俺だけならば殺り合ってから逃げてもいいんだけど……流石にお荷物抱えたままじゃ、無理ゲー過ぎる……敵の総数を把握出来ない以上、逃げの一手がベストだろ、と」

 

 ブレインは淡々と状況を把握したようだ。

 

「要するに……ここには俺ら程度じゃキツい相手が無数にいるのか?」

「……ご名答……能力比較でも確実に劣るけど、単純に相性が悪い。だから逃げます。無報酬はキツいけど、しばらくはエ・ランテルには戻りません。転移魔法も感知されるかもしれない。幸いにして冒険者稼業は移動が楽らしい……どこか別の街で軍資金を稼ぎましょう」

「……まっ、俺は構わない……冒険者になる気は無いが、強くなれるなら旅暮らしも悪くない」

 

 ブレインはそう言うが、無制限に旅暮らしを続けられる程の資金が無い。

 

「……どこが稼ぎ易い街かな?」

「可能ならば帝都アーウィンタールから遠い方がよろしいかと……」

 

 確かに帝国内で評判になったらオッズが低くなるな……それは避けたいところだ。

 

「ジットさん、どこか当てがある?」

 

 ジットはニヤリと笑った。

 

「儂ら……いや元所属していたズーラーノーンは方々に深く根を張っておりました。だからこそ断言します……三つの利点がある王都リ・エスティーゼがよろしいかと……都合の良い事に、この度配下に加えられたブレイン・アングラウスは王国では相当に名が通っております。だから通行税さえ用立てできれば移動に支障はございません。それに加えて王都は腐敗の温床……『八本指』とか言う地下組織が強大な力を有しております。故に儂らが潜む場所には困りますまい。さらに人口も多く、冒険者の仕事も豊富であり、資金を稼ぐ術も豊富かと……」

 

 流石、闇の住人ネットワーク……困った時は頼りになる(棒)

 

「まっ、資金は乏しいけど……通行税の心配は要らない。では、王都リ・エスティーゼに向けて出発しますか!」

 

 ブレインが少し遠い目をしていた。

 

「……ガゼフ・ストロノーフか……」

 

 そしてひっそりと呟いた。

 

「アハハ、ガゼフ・ストロノーフかー」

 

 ティーヌはアッケラカンと言った。

 

「王国戦士長ガゼフ・ストロノーフね……大人気だな」

 

 俺自身はガゼフ・ストロノーフに興味は無いが、この2人は勝手に殺りかねないので2人の脳内肉腫に命ずる。念の為だ。気付いたら窮地に立っていたって状況は避けたいのだ。

 

 ユグドラシルでは諜報用の使い魔的な立ち位置のシャドウ・デーモン達を都市のあちこちに配置できるぐらいの数を使役する者は誰か?

 

 これだけでも大問題なのだ……まだ敵対していないとは思いたいが、自覚が無くとも既に不利益を与えている可能性がある。そこまで神経質に考えず、俺達が中立的な立ち位置にいるにしても、何が切っ掛けで敵対するかを実際に敵対して反応を見るまで知る術は無いのだ。

 

 昔から「さわらぬ神に祟り無し」って言うしな……ここは逃げの一手だ。

 

 格好が目立つのは仕方ない。1秒でも早くエ・ランテルから脱出する……共同墓地の地下神殿居残り組に現時点から業務を完全休止し、徹底した隠密行動を命じた。要するに普通に食い扶持を稼いで普通に生活すれば良いのだ。彼奴らのレベルと装備で一市民に化けてしまえば、最初から俺達もしくはズーラーノーンが標的でない限り少なくともシャドウ・デーモン達の注意を引く事は無いだろう。

 

 風花聖典については別途処理せざるを得ない可能性もあるか……仮にエ・ランテルの外まで追ってくるようであれば始末する必要も生じるかもしれない。

 

 殺すか、支配するか……その場で決めれば良いか……

 

 足早に進み、普通に検問を受ける。ここで目立つ必要は無い。淡々と順番を待ち、正規の手続きを踏む。おそらく風花聖典とやらはティーヌを監視しているのだろう。

 複数の複雑な視線に見守られながら、俺達は堂々とエ・ランテルの城門を後にした。

 

 

 

**************************

 

 

 

 エ・ランテルの夜は長い。 

 陸路の要衝であるのだ。自然と人が集まる。

 戦時は戦時で兵士に加えて軍事物資を扱えるような大商人が集まるが、今は平時だ。有象無象の異国人だけでなく、王国の民も集まって来た。そして物も金も集まるのだ。

 

 凱旋する英雄がいた。

 威風堂々たる勇姿で大魔獣『森の賢王』に跨り、息を飲む群衆に雄々しく手を振っていた。

 絶世の美女を相方に連れ、本来ならば格上の冒険者集団を従者の如く従えている。英雄はそれを当然のものと受け入れていた。周囲もそれを自然に受け入れていた。圧倒的な自負と風格が漆黒の全身鎧から滲み出ている。ただ在るだけで周囲が跪かざる得ない……凄まじい存在感だった。

 その名も冒険者モモン……二本の大剣でオーガを次々と一刀両断する戦士だと言う。彼を知る者は近い将来アダマンタイト級を確実視していた。実力も人柄もそれに相応しい存在だ、と。

 衆目の中を堂々と進む彼を民衆は口々に讃えた……彼こそが「漆黒の英雄」である、と。

 歓声は彼らが冒険者組合に姿を消すまで続いた。

 

 荒れる男がいた。

 名をイグヴァルジと言う。

 酒場の奥のテーブルに陣取り、決して一緒になって騒いでいるように思えない取り巻きの冒険者達に同調を求めている……が、取り巻き達はイグヴァルジの方を向いている時こそ満面の笑みで彼好みの回答を口にするが、苛立ち、荒れる彼の視野から外れた瞬間、端的に迷惑そうな顔付きに変わった。器用と言うよりも慣れているのだろう。再びイグヴァルジの視野に入るタイミングを把握しているとしか思えない。

 

「……あー、胸糞悪いなぁ……おい、聞いてんのか、てめえら」

 

 虚勢……と言うのも違う。イグヴァルジには実力もあれば相応の地位もあった。『クラルグラ』という結成以来誰一人欠けたことの無い有能な冒険者仲間もいる。その上彼等はイグヴァルジをリーダーとして盛り立てていた。資金力もミスリル級冒険者なりにある……即ちエ・ランテルの冒険者の中では1・2を争う存在なのだ。客観的に見て恵まれている。それが証拠にここは中々の高級店だが、飲み代は彼持ちだ。大半の貧乏な冒険者にはとても真似出来ない。

 

 いったい何がそんなに不満なのか……今朝から冒険者組合でイグヴァルジに散々絡まれた格下冒険者達にはまるで理解できなかった。

 

 今夜、イグヴァルジと同卓する被災メンバーは3人……いわゆるイグヴァルジ派の彼等は彼の性格も把握してるし、不満や不安の根源も頭では理解している……だからと言って心の底から同意出来るものでもなかったが。彼等は終始厄介な災難をやり過ごす為の最善手を探っているのだ。

 

「クソが! いったい何なんだ、今朝といい、今晩といい……」

 

 既に5回……否、6回目の同じ台詞だった。

 

「イグヴァルジさん……あんな連中じゃ、このエ・ランテル随一のミスリル級冒険者チーム、天下の『クラルグラ』のイグヴァルジさんの足元にも及びませんて。俺が思うに……そうだなぁ……イグヴァルジさんが負けるわけがねぇ。なにしろこれまでの実績が違いますわぁ」

 

 年の頃は20代半ばの厳ついスキンヘッドの冒険者が言った。名をディンゴと言う。彼は金のプレートを胸元に下げている。巨体と言って差し支えない体躯はイグヴァルジよりも一回り以上大きい。

 ディンゴは辟易していた。普段は面倒見の良い先輩冒険者のイグヴァルジだが、才能を感じさせる後輩が現れる度にこんな状態になるのだ。しかも彼もしくは彼等がイグヴァルジが築いた地位を脅かすような存在でないと確認できるまで延々と続くのである。

 ミスリル級冒険者を凌ぎかねないと危惧させるような新人や流れ者がそれほどいるわけではない。しかし今回ばかりは「ヤバいな」とディンゴ自身が思っていた。しかもそんな連中が立て続けに2組も……しばらくの間、『クラルグラ』派閥の冒険者チームが持ち回りでイグヴァルジの飲み相手という貧乏くじを引くしかない……今晩は彼等『豪剣』の番だった。彼等は特にイグヴァルジには世話になっているので一番最初に災難に遭って、情報を他のチームに渡す役割を期待されていた。

 モモンとナーベの2人組……既に『漆黒』やら『漆黒の英雄』とふたつ名が付けられているようだが……については伝聞しか知らないが、噂だけで十二分に超大物ルーキーと知れた。しかも新人御用達の親父さんの宿屋で大暴れしたとはいえ、モモンについては人格的にも素晴らしいと聞く。ナーベという名の非常に美しい黒髪美女は違う意味で話題になっていたが、モモンを尊敬……いや崇拝しているような雰囲気だった、と聞いている。怖いと言う者も少数存在していたが総じて評判は良かった。そして彼等自身が評判を高めようと行動しているように思えた。確かに「オーガを一刀で斬り伏せる」と評判の実力も凄まじいが、それをあのお人好し集団の『漆黒の剣』にわざわざ見せつけたという事実。それに加えて、あのトブの大森林の大魔獣『森の賢王』を討伐するのでなく、あえて使役したというのも、その証左ではないか?

 

 そして見るからに不穏な雰囲気を感じさせる、あの連中……彼奴等については自分もこの目で見ていた。異様に整った顔立ちだが酷く印象の薄い男(おそらく彼奴がリーダーだろう)こそ多少は真面な印象があるが正面から見るとどこか不安にさせられた。残りの2人については装備品こそ過去に見たことも無いような超級の逸品と嫌でも理解させられる代物だったが、その事は別にして身に付ける本人達は街ですれ違ったら視線を落とすような連中だった。金級冒険者の戦士職として一般人とは桁違いの戦力を保有する自分が、である。

 さらに連中が1日で作り上げた実績もヤバかった。

 連中はとにかく殺すのだ……人間にしろモンスターにしろ。人質となり悲惨な境遇にあった女達を救出したという事実を前に、誰もが忘れている……いや目を背けているが僅か1日で殺した数が尋常では無い。モンスターの殺害数は300を軽く超え、人間も60を超える。しかも対象は『死を撒く剣団』と言う傭兵団だ。つまり戦争屋……対人集団戦闘のプロだ。個々の能力は冒険者程高くないとはいえ、首領と幹部数名を捕らえたと言う情報からも連中の余裕を感じるし、おそらく連中が殺し過ぎた事が原因でアンデッド化が1日で進行していたとの情報もある。

 単純に自然災害ような連中だ、とディンゴは想像していた。人間にもモンスターにも平等に禍をもたらすという意味において……

 

「そうですよ、イグヴァルジさん……せっかくの美味しいお店なんですから美味しいお酒を飲みましょうよ」

 

 次いでディンゴの横に座る切れ長の大きな目が特徴的な年齢不詳の女が続いた。非常に小柄な彼女の名はシトリ……立ち振る舞いや醸す雰囲気は老成しているようにも見えるが、顔立ちだけを切り取れば恐ろしく幼い。10代前半と言っても十分に通用するが、彼女は第二位階までマスターした信仰系魔法詠唱者であり、ちょっとした戦士職では相手にならない熟練した殴打武器の取り扱いを考えれば、絶対に顔立ち通りの年齢とは思えなかった。そして同性同士が推奨される冒険者チームの世界で、彼女の幼さだけが突出して女性を感じさせない雰囲気は、男女混合の『豪剣』が上手く機能する大きな要因だった。

 この飲みが始まった当初からシトリはイグヴァルジが気にする新人冒険者の話題に触れなかった。表情にこそ出さないが、昔から直感が鋭い彼女はディンゴが危惧するあの3人組はもちろんのこと、『漆黒』の2人組も触れてはいけない存在だと確信していた。可能ならば口の端にも載せたくない……彼女はその思いを実践していたのだ。

 シトリはモモンの凱旋の様子も見ていた為に2組とも目にしていた。

 これまでの人生で何度も危機を回避させてくれた直感が囁く。

 あの3人組の印象についてはディンゴの見解に異論は無い。単純にヤバい。そして怖い。近寄りたくない。視線が交差するのも嫌だった。だから話題としても絶対に触れない。イグヴァルジにどう思われようが、そこについては曲げられなかった。

 そして真に問題なのは『漆黒』だ。アレは非常に厄介な連中だ、と確信していた。彼等については周囲の同意を得ることも難しかった。お人好しの『漆黒の剣』のように半ば信者と化したマヌケもいる。エ・ランテルの名士であるバレアレの孫の信頼……結果的に市民だけでなく冒険者に絶大な影響力を誇るリイジー・バレアレの信頼を得たに等しい。

 だがシトリの直感が断言する……アレらは間違いなく邪な存在……

 何故、モモンは顔を隠す……実直な紳士であり、英雄級の力を持つ男が、である。誰も疑問に思わないのだろうか?

 ナーベという絶世の美女と軽薄なことこの上無いルクルットの組み合わせだから、誰も気にしないのだろうが……あの罵詈雑言は本当に単なる虫除けなのだろうか?

 皆がモモンを主一筋に、密かに慕うナーベを夢想しているが、あの関係性は明確に絶対的かつ単純な主従ではないのか? 

 『豪剣』のチームメイト2人からも全く同意されない。彼等の中では3人組は「悪」であり、『漆黒』は「善」なのだ。シトリからすれば3人組は「分かり易い悪」であり、『漆黒』は「巧妙な悪」にしか感じられない。

 疑えばキリがないのは理解している。しかし絶対的に信頼を寄せる直感の囁きを無視出来る程、シトリは『漆黒』に思い入れが無かった。

 だからこそイグヴァルジに思う……『漆黒』に執着すべきでない、と。

 

「どうですか、イグヴァルジさん……シトリもこう言ってるし、せっかく良い店に連れて来てもらっていることです。楽しく飲みましょう!」

 

 金級冒険者チーム『豪剣』のリーダーであるカドランはイグヴァルジの隣に座っていた。優男の彼はその容姿に似合わずシーフである。身なりも良く、身のこなしも上品かつ優雅、その上礼儀正しいので、一見して見破るのは相当に難しい。

 

「煩えな、カドラン! お前はあんなポッと出の連中に負けても悔しくねえのか! どうなんだ、言ってみろ!」

「やだなぁ、イグヴァルジさん……僕らは金級ですよ。新人に負ける負けないじゃなくて、むしろイグヴァルジさんに追い付けって、僕らの方こそ頑張るべきだと思いますけど……違いますか?」

 

 ニコリと笑うカドラン……他の者が口にすれば「そういうことじゃねー!」とイグヴァルジの激怒を買う正論がカドランにはさらりと言えてしまう。そして恨みも買わない。もちろん限界のラインも心得ているし、タイミングも測っている。こんなド正論を最初からブチかましたら、流石のカドランでもイグヴァルジを黙らせることは出来ても恨みを買う。むしろ完全に場がしらけてしまった結果、2、3の白金級チームを差し置いて『豪剣』がイグヴァルジ派の筆頭と考えられている地位を失うだろう……周囲が勝手に『豪剣』にイグヴァルジ派筆頭の地位を与える原因こそがカドランなのだ。

 単純な阿りがイグヴァルジのような無駄に思慮深く、かつ異様に嫉妬深い努力家タイプには通用しないことをカドランは熟知しているのだ。とにかく場を盛り上げようというお調子も厳禁……イグヴァルジの機嫌を宥めるには逆効果しか生まない。話の流れの的確なタイミングでイグヴァルジの毒を少しづつ抜く会話が必要なのだ。他のチームはこれで苦戦する。どうしてもディンゴのようにお調子を言ってしまう。場の空気を盛り上げようとしてしまう。

 イグヴァルジには面倒くさいことを言っている自覚があるのだ。だからお調子も盛り上げも最初からやると逆効果になる……コイツらは俺の話を聞きたくねーのか、となってしまう。毒に染まったイグヴァルジ対策という点で、空気は読まないが決して無礼ではないシトリの存在が大きかった。単に自分の信念に従っているだけのシトリに関しては流石のイグヴァルジも言葉の裏まで読まない。

 

「……まあ、お前らは頑張らないとな」

 

 イグヴァルジの毒気が僅かに抜ける。だが油断は出来ない。

 

「頑張って、いつかイグヴァルジさんと肩を並べられればいいなぁ、って思いますよ。なかなか険しい道のりですけどね」

「そうだな、まず白金級にならねえとな」

 

 上手くイグヴァルジの「良き先輩でいたい」部分が引き出せたようだ、とカドランは脳内だけでほくそ笑む。その点で昇級してもミスリル級には並ばない金級の地位は都合が良かった。白金級の連中にはこの手が使えないのだ。

 

「……昇級ですか……次は本当に頑張らないと」

 

 イグヴァルジに都合の良い存在とは自分が現役中に追いつかれない程度の実力を持ちながら、有能もしくは将来的に有望な冒険者なのだ。金級ぐらいまでは一気に駆け抜けて、白金級で足踏みする程度が丁度良い。まさに『豪剣』が可愛がられる理由そのものだ。

 今回の新人チーム2組はこの点がイグヴァルジの琴線に触れるのだろう。登録時から一目で素人にも理解出来る程の装備品を身に付け、嫌でも一目置かざる得ない突き抜けた実力を示した。ミスリルどころかアダマンタイトまで突き抜けてもおかしくない。その上『漆黒』のモモンに至っては人格的にも素晴らしいと評判なのだ。カドラン自身、噂話を聞いただけだが確実にアダマンタイト級の器に思っていた。

 

「……早くイグヴァルジさんのようになれるよう、頑張りますよ」

 

 謙るタイミングも上手く運んだ。話題の中心を確実に格下である『豪剣』に移すことに成功したのだ……後はイグヴァルジの気分が悪化しないように飲ませ続けて、飲みを打ち切るキリの良いタイミングだけを探せば良い。もちろん話題の方向性はコントロールしなくてはならないが……

 

「おう、精進しろや……まあ俺達のところに上がって来るまで、俺がお前らの面倒見てやるからよ」

 

 イグヴァルジがジョッキを持ち、グイッと一気に飲み干す。

 

「美味しく頂戴しますよ。僕らには敷居が高い店なんで楽しみにしていたんです」

 

 カドランは爽やかに微笑んだ。このままイグヴァルジの「格好を付けたい」部分に触れ続ければ、今夜は上手く乗り切れるだろう、と計算しながら。

 

 隠滅としたものは去り、酒場には明るさが戻る。

 笑いと喧騒が空気の支配を取り戻したのだ。

 

 エ・ランテルの夜は長い。

 冒険者達の話題の中心にいた超大物新人チームの一つが完全に姿を消してしまう程度には……

 

 




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