励みになります。
最前線の基地となる城塞都市エ・ランテルに国王ランポッサⅢ世と王国戦士長ガセフ・ストロノーフ率いる戦士団が入城した。
その時には既に多くの諸侯が大軍を率いてエ・ランテルに入城しており、ランポッサⅢ世の一団は最上の儀礼と喝采をもって迎えられた。
王の軍団が進む沿道に佇む3人の男達。
切れ長の目が涼しげなホーステールの青年は王国戦士長というよりも、周辺国最強の戦士としてのガセフ・ストロノーフの実物をまじまじと眺めていた。
オカッパ頭に絢爛豪華な法服姿の眉無し男は感慨深げにエ・ランテルの街並みを眺めている。
青髪に無精髭の男はかつてのライバルであり生涯を賭した打倒対象であった男の勇姿を見て、寂しげに笑った。
「ストロノーフ……もはや五宝物で武装しても俺には届かないか……いよいよ試す価値も無くなったな……俺は行くぞ」
ブレイン・アングラウスは歩き始めた。ジットは直ぐに続いたが、エルヤーは「少し遅れる」と言い残し、王の一団を追った。
ブレインとジットはそのままエ・ランテルに用意された拠点に向かう。
表向きはヒルマ・シュグネウスの個人所有の物件だった。その実、ズーラーノーン時代からのジットの弟子達が住み込んでいる。秘密結社臭を消す為に彼等は旧『八本指』からの援助は貯め込んで地道な日雇い労働等で糊口を凌ぎ共同生活を送っていた。しかし穀物相場の暴騰に伴ってエ・ランテルでのシュグネウス商会の窓口となり、ほんの僅かな期間で一端どころかエ・ランテルでも豪商と呼ばれるまでにのし上がっていた。地道な労を厭わず、真面目で目的の為に手段を選ばず、決して諦めない彼等の性格がこの上昇局面で最大限に活きたのだった。不得手な社会との接触に関しても旧『八本指』から人員を回してもらい、彼等の飛ぶ鳥を落とす勢いはエ・ランテルの食料取引の多くを担っていたバルド・ロフーレ等も一目置いている。
だから元ズーラーノーン構成員が集団で住む屋敷と言っても陰惨な雰囲気は微塵もなく、むしろ常に人の出入りする活気溢れる場所であった。広大な敷地に店舗と巨大な穀物倉庫がいくつも並び、それらの裏に邸宅と呼んで差し支えない広さの家屋が建っていた。物理的な面に限らず、社会的な意味においても表も裏も人間の出入りが激しい。それ故に事情を知らぬ者がいかにも怪しいブレイン達が出入りする様を確認しても咎めようとしない。
「さて暫く暇だ……俺は鍛錬するが、ジットはどうする?」
「儂はゼブルさんからの連絡を待つ間、エ・ランテルの組織でも把握するとしようかの……かつての弟子達とはいえ、とりあえずは一端の商人だからのう。いまさら儂が師匠面してのこのこ出て行っても、内心で邪魔にされるだけ……であれば、ここに限らず儂等の傘下組織やその動向を把握しておくのも無駄ではなかろう」
「ふん……気苦労の多いことだ」
「儂が把握しておけばそれだけゼブルさんのお役に立てる。儂は評価され、更なる高みに導いていただける……そういう理屈だのう」
「はっ!……ゼブルが評価するのは強さだ。その証拠にティーヌは単独行動が許され、俺達はまとめてナンボ……そういうもんだと俺は考えていたがな」
竜王国滞在中に再びひょっこり現れたティーヌはほんの僅かな期間でブレインが対抗を諦めざる得ないような武の境地に到達していた。剣に生涯を捧げた身としては認め難い現実だった……いずれ追い付くと確信していた僅かな差が決して手の届かない距離を開きへと変貌していたのだ。
模擬戦で無手のティーヌに手も足も出なかった。
武技『領域』で感知しても笑顔ですり抜けられ、『神閃』で迎撃しても刀身そのものを片手で掴まれた……そしてびくともしない。
あえて解放される屈辱に耐え、薄々通用しないことを悟らされていた切り札である秘剣『虎落笛』を使用するも、揶揄われるように避けられた。
ならばと更なる切り札『縮地改』からのガセフに敗れた『四光連斬』を繰り出すも、ティーヌは武技すら使わず完全に回避した。
そう……ティーヌは武器はおろか武技すら使わないのだ。ただニコニコ笑いながら避けるのみ。そしてたまに揶揄うように『斬魂刀』を素手で掴む。
速度では敵わない。
迎撃も回避される。
純粋に身体能力が隔絶していることを悟らされた。
ならばと密かに鍛え込んだ手数と踏み込みを駆使するも、単純なスピードの絶対値が隔絶し過ぎていてまるで通用しない。
とうとうティーヌには見せた事のない奥の手……初見であれば通用するかもしれないと『四光連斬』と『空斬』から発想したオリジナル武技『後光』を発動するも……「面白いねー」の一言があっただけで、痛痒を感じさせるどころか慌てさせることも叶わなかった。
模擬戦一戦のみで「時間が無い」とティーヌは去った……王都へ行く、と言い残して……
いずれ秘密があるのだろうが……そうであっても言い訳の余地すら無い完全敗北した事実がブレインを歯噛みさせるのだ。
「……そんなにアレに負けたのが悔しいかのう?……ではヒルマの重用は何と考える……ヒルマなんぞはそれこそ殺すのは簡単……そうではないか?」
ジットの問いにブレインは黙り込んだ。
「ゼブルさんの深淵よりも更に深きお考えは、儂等などには計り知れんものよのう……もちろんおぬしを配下とされた理由は強さで間違いない。故に強さを磨き抜くことはおぬしの責務……だから儂と同じように動く必要はない。儂はそう考えておる」
そう言い残すとジットは立ち去った。
暫く立ち尽くしていたブレインも鍛錬の気分ではなくなったのか、やがて屋敷の敷地外に歩み去った。
黄金の姫ラナーより下賜されたミスリル製の派手な鎧姿がエ・ランテルの街を歩いていた。何者かを追うように物陰に隠れながら、抜かりなく周囲を確認しているものの、いかんせん鎧が派手過ぎた。充分に距離をとっている為、追跡対象からは気付かれていないようだが、本人は周囲から妙な視線を向けられているか、単純に避けられていた。いかに戦争直前で鎧を着ている者が多いとはいえ、やはり目立つものは目立つのだ。
ミスリル鎧姿のクライムの視線の先……つまり追跡対象は青髪に無精髭の厳つい男だった。
見覚えがあった……あれは頻繁に世話になっているアダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』の中でも、チームの誰もが最強と言う魔法詠唱者イビルアイが自分よりも強いと言った男……同時にクライムの人生観に大きな影響を与えた1人でもあるゼブルの側で見掛けたことがあったのだ。
その男の特徴を戦士長ガセフ・ストロノーフに伝えた際、戦士長と互角の力量を持つ剣士ブレイン・アングラウスに違いない、と聞いた。過去には王国と帝国の戦争にも傭兵団の一員として参戦していたと言う。
その凄まじい力量の傭兵剣士がこの時期にエ・ランテルにいるのだ。クライムでなくとも期待してしまうのが普通だろう……王国軍中にガセフ・ストロノーフが2人もいたら……いかに専業兵士のみで構成られた帝国軍相手でも王国軍の勝利は揺るがないように感じたのだ。そうでなくとも今回の戦争は最大戦力である戦士団が後詰と決定しているので、開戦時の戦場にブレイン・アングラウスがいれば……そう思わざる得ない。
クライムの視線の先でブレインはふらりと酒場に立ち寄った。
このタイミングを待っていたのだ。
慌てて酒場の前まで走り寄り、静かで落ち着いた店構えを見た。
どう見ても富裕層向け……顔が引き攣る。
急いで懐中を探るが……ラナーより下賜される給金だけでは……厳しい。
王都と同程度の価格であればギリギリ一杯いけるか、どうか……とてもブレイン・アングラウスに奢ってお近づきになるという目的は果たせそうになかった。エ・ランテルにいる知り合いでは最も金銭的に余裕のありそうな戦士長から借りようとも考えたが、本陣まで戻っている間にブレインが移動してしまえば、完全に無駄足だ。
周囲を見回す。
おあつらえ向きに通りの向かいはテラス席のある料理店だが、やはり酒場と同じく高級店の店構えだった。屋台や安酒場の看板などは周囲に無く、行き交う人々も余裕のありそうな格好をした者ばかり……先程から奇異の視線を感じていた理由を今更ながら理解した。
……どうする、クライム?
自問すること数秒、クライムは向かいの料理店のテラス席の囲い前にしゃがみ込み、ブレイン・アングラウスが酒場から出て来るのを待つことにした。
衛兵の尋問程度であれば、ラナーの身分保証のある自分は問題ない。
国家の為であるのだから、この際はラナーの名を出すことも厭わない。
店の者に「邪魔だ」と指摘されたら、横の店の前に移るだけだ。
多少の恥や迷惑には目を瞑る。
クライムは少年のような面立ちに強い意志を宿らせた。
それから1時間が経過するもブレイン・アングラウスは店から出て来ない。
クライムは店の者から注意され、2度も監視場所を変えたが、折れることなく監視を続ける意志を保ち続けていた。
だが腹も減るし、喉も渇く……それに加えて尿意も高まっていた。
……まだ大丈夫……でも30分後は……
クライムはそれまでにブレイン・アングラウスが店から出てくることを祈った。他はともかく、さすがに小便の排泄だけはそこらで処理するわけにはいかない。それこそラナー様への背信行為だと固く自分を戒めた。
しかし意識し始めると我慢は一層辛くなり、時間の経過も遅くなる。
更に15分が経過した。
意外に我慢の限界は近いかも……そう思い始めていた。
まだブレイン・アングラウスの姿は見えない。
王国の為……であっても辛いものは辛い。
路地裏が誘惑してくる……ように感じた。
更に5分後……尿意による震えが止まらない。
酒場の向かい料理店で事情を話して、トイレを借り、その間だけでも青髪の厳つい男の去った方向の確認を頼めないものか……妙案に思えた……というよりも確信に近い……というか限界……
クライムは立ち上がり、料理店の扉を開けて、店内を見回す。
出迎えた黒服の中年男性給仕が先程追い払ったクライムの姿を確認すると嫌な顔を見せたが、強引に押し通した。
……およそ2分……至福の時間が経過し、クライムは手を洗って、トイレの扉を開けた。
厳つい人影が通路を塞ぐ。
まさか!
クライムは顔を上げた。
「……よお、童貞!……奇遇だな」
「ガ、ガガーラン様!?」
想定外の顔……顔見知りの女傑がそこにいた。
「黒服の野郎がミスリル鎧の小柄な兵士に妙な頼み事をされたって話をしてやがったからよぉ……ピンっときたぜ……予想通りだな」
「他の『青の薔薇』の皆様は?」
「俺とリーダー以外はクライムと同じ目的で動いているぜ。まっ、俺達はブレイン・アングラウス以外も見張っているがな……ここで会ったのも何かの縁だろ。奢ってやるよ……俺達と一緒に待っていればその内にイビルアイがブレイン・アングラウスの動向を伝えに戻るぜ」
クライムはガガーランに促されるまま、ラキュースの待つフロア最奥のテーブルに向かった。
「やっぱりクライムじゃない……ラナーの警護は?」
「王国存亡の危機ですので……陛下の警護の手伝いにと、ラナー様より送り出されました」
クライムが席に着き、ガガーランが追加の料理を注文すると情報交換が始まった……と言っても素直に知ることを喋ったのはクライムだけであり、『青の薔薇』は情報を選択して渡した。クライムは素直過ぎるのだ。顔見知りである以上ゼブル達に情報が漏れる可能性は排除できない。漏れても問題の無い情報だけを選択し、クライムから全情報を引き出すつもりなのだ。
よってクライムが得たのは有り体に言えば『青の薔薇』の冒険譚……面白おかしく脚色されたそれは話としては面白いのだが、情報としての価値は吟遊詩人か記録作家でもない限り、ほぼ価値は無い。
逆にクライムが話したのは国家の中枢に近くなければ得られない機密情報に近いものばかり……話としては退屈そのものだが、裏の事情を類推することが可能であれば値千金であった。
数々の重要情報の中でも特筆すべきは「アインズ・ウール・ゴウン魔導国」に関するものだった。突如としてエ・ランテル北方に出現して、その背後には帝国のみならず竜王国の影までチラついていると言う。
そこで問題になるのは竜王国だった。
竜王国と言えば形式上はともかく実質的には南方侯ゼブルの支配下といっても過言ではない。
ラキュースが目配せし、ガガーランが頷く。
「で、クライムよぉ……その魔導国ってえのは今回の戦じゃどんな扱いになるんだ?」
「ザナック殿下がレエブン侯の兵を率いて、叛乱鎮圧に向かうそうです。戦力分散は愚策だそうですが、後方を脅かされるよりは、はるかにマシだろうとのご判断のようですね」
魔導国に竜王国……それに加えてザナック王子にレエブン侯……随分とキナ臭い面子が揃ったものだ。
今度はガガーランがラキュースに合図を送る。
「ねぇ、クライム……ラナーはクライムを送り出す前になんて言っていたのかしら?」
「ラナー様からの御命令は、今回の戦では陛下はエ・ランテルからお離れになられないとは言え、近衛は王国戦士団のみ……不安で夜も眠れないので、お父上を守る手助けを、とのことでした」
例年の戦争の臨戦体制と比べるとあまりに不自然……王は戦場であるカッツェ平野最後方の本陣に在り、全軍の士気を高める役割を負うはずだが……
「どうしてそんな事態になったのかしら?」
「なんでも宮廷会議が大揉めに揉めたらしいのです……陛下の右腕で在られるストロノーフ様が、陛下の仲裁でも収まらないリットン伯一派の猛烈な追及に晒され、事態の収拾の為に立ち回ったレエブン侯の案を陛下が採用されたと、ザナック殿下から聞き及んでおります」
「また……レエブン侯ね」
ここでもレエブン侯の影がチラつく。
その結果としてランポッサⅢ世はエ・ランテルに引き篭もる羽目に陥り、王を守護する王国戦士団もエ・ランテルに残留となった。
戦争の主導権はバルブロとボウロロープ侯が握り、その手先となったリットン伯は最も戦功に近い立場を得た。
内乱鎮圧と戦勝貢献ではあまりに落差が激し過ぎる。
そもそも自国民に弓を引く行為など恥以外の何物でもないのだ。
貧乏くじを引いたのはザナックとレエブン侯……魔皇ヤルダバオトとの噂のあったキナ臭い2人があえて誘導したようにしか思えない。
「なんでストロノーフ様が追及されたのかしら?」
「以前ストロノーフ様がエ・ランテル近郊の村々を何者かの襲撃からお救いに回られた際、スレイン法国の刺客集団に襲撃され、命の危機に陥ったことがあります」
「知っているわ」
「ああっ、俺でも知っているぜ……なんでも隠棲していたマジック・キャスターに助けられた、とか……結構、有名な話だろ」
「そのマジック・キャスターの名はアインズ・ウール・ゴウン……帝国と竜王国に推されて魔導国を建国した魔導王を僭称する輩の名と合致します。ストロノーフ様は村々を襲撃していたのは帝国兵に偽装したスレイン法国の手の者と報告されていました……にもかかわらず、魔導王を援助するのは帝国と竜王国です。この食い違いが大きな問題となったようです……ストロノーフ様の報告はそもそも正しいのか?……ストロノーフ様自身が身の潔白を証明すべきではないか、と」
「たしかにややこしいわね」
「位置的なものも含めて法国の仕業って報告はたしかに怪しくなるな……それで身の潔白まで疑われるのはさすがに厳しいけどよ」
「ただでさえ平民出身のストロノーフ様は宮廷会議のような貴族のみが集まる場では発言し難くなります……それ故に事態が拗れたのかと……」
「なるほどね」
「たしかよぉ……死体も無かったんだよなぁ、あの事件」
「ですが、ストロノーフ様の証言では敵は天使を使役するとありました」
「いかにも陽光聖典ってやり口だなぁ」
「リットン伯じゃないけど、派遣されたのが陽光聖典っていうのはちょっと違和感を感じるかしら……戦士長を暗殺する目的ならば漆黒聖典の誰かを単独で送り込む方が向いている気がするけど……」
「まあな……陽光聖典は対多数の殲滅専門みたいな連中だからなぁ……ピンポイントで戦士長狙いってえのはそもそも向いてねえな。たしか……隊長のニグンだっけか……王国内で事を起こすならアイツを単独で送り込んで、不意打ちに徹した方がやり方としちゃあ、しっくりくるぜ」
「私達相手に撤退した程度の戦力しか持たない連中で『周辺国最強の戦士』を地の利の無い王国内で仕留めようっていうのはさすがに虫が良いわね」
「……『青の薔薇』の皆様は法国の陽光聖典と戦ったことがあるのですか?」
「以前な……だからやり口は理解しているつもりだぜ。連中は目的の為に容赦無えから……戦士長が引きずり出すのと同時に逃げられないように帝国騎士に偽装して開拓村を潰して回ったんだろ……そこまでは良いんだが、外敵排除目的となれば完全武装で戦士団は出動するだろ?……それを相手に陽光聖典じゃ良くて相討ち……普通に考えりゃ、まんまと戦士長を逃がしちまうぜ。わざわざ王国内で危険を犯してまで戦士長を狙ったにしちゃ、計画が杜撰過ぎんだろって思うわなぁ……実際マジック・キャスターの横槍で目的は果たせなかったわけだし……法国にしちゃ目算が甘過ぎるって言いたくもなるぜ……法国どころか人間種の精鋭である陽光聖典を捨て駒にするつもりでもなきゃ納得できねえんだよ……人間至上主義の法国がそんな真似するか?……つまり何かがおかしいって結論に至るんだよ」
クライムが擁護目的で話せば話すほど……ラキュースとガガーランの2人が経験を元に考えれば考えるほど、ガゼフ・ストロノーフ戦士長の証言の違和感は際立ってしまった。より深い裏の事情や思惑があるにせよ、ガゼフの口からは語られていない。真実はどうであれ、それまでガゼフに対する信頼感で無視されていた違和感をリットン伯一派が突いたのであれば、たしかに会議は紛糾もするだろう。
3人は押し黙り、考え込んだ……3人共に程度の差はあれガゼフ・ストロノーフには好感を抱いているのだ。
重苦しい空気が流れる……それを打ち破ったのは黒服の給仕だった。
「お連れ様がお見えです」
給仕の背後には小柄な仮面の魔法詠唱者が立っていた。
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銀色に輝く見事な甲冑姿の2人組がそれぞれの乗馬である白馬と漆黒の馬を厩に預け、宿舎としてシュグネウス商会に手配された「黄金の輝き亭」に入った。大柄なのはイーグであり、比較的小柄なのはフィリップである。
2人とも先陣のリットン伯麾下に配置され、全軍の斬り込み役であるのは決まっていた。彼等に続く馬廻はそれぞれ4人……全員が旧『八本指』の警備部門の長であるゼロに鍛え上げられた猛者である。各自冒険者であれば最低でもミスリル級の力は持っていた。彼等の抱える無数の武器は全て魔法の武器であり、装備する武具も全て魔法が付与されている。つまり王都で手に入れることが可能な最上級の武具で身を固めているのである。
フィリップもイーグもミスリル級とはいかないが、ミスリル級冒険者チームである『豪剣』の面々からは白金級程度の力は得たとお墨付きを得ていた。付け焼き刃だが武技も『斬撃』や『要塞』程度は修得している。
2人とも顔付きは精悍に変貌し、以前よりもはるかに女性の目を惹きつけるようになっていたが、それに反比例するように彼等自身は女性への関心を失っていた。なにしろ彼等の周囲にいたのが様々な意味においてあまりに危険で恐ろしい美女ばかりであり、フィリップなどは恐怖心が優ってしまうほどだった。
「では、イーグ殿……参ろうか」
宿に荷物を置いた直後、フィリップに促され、2人で街に出る。
平服に剣だけを下げたラフな格好だった。
礼装が必要なランポッサⅢ世やバルブロ王子への到着の挨拶に加え、ボウロロープ侯とリットン伯にも既に到着の挨拶は済ませていた。
2人が向かうのはシュグネウス商会の拠点である。そこで大量の治癒のポーションを受け取る手続きを済ませなくてはならなかった。受け取り自体は馬廻に任せるのだが、手続きは本人がやってくれてとの指示があったのだ。といっても書類2通にサインするだけのものだが、2人はポーションの重要性は嫌と言うほど知っていた。だから真っ先に済ませてしまうべきとエ・ランテル到着前に話し合っていたのだ。
指定された建物に到着し、無事手続きを済ませ、ホッと一息吐く。
以前よりもはるかに引き締まっているが、頬が緩んだ。
長旅……と言ってもエ・ランテル郊外までは『転移門』で移動したのだが、それでも気が抜けるものは抜ける。
フィリップは初めて訪れたエ・ランテルの街並みを眺めながら、宿への帰路を急いだ。久しぶりに生き地獄のごとき訓練から解放されたのだ……高揚感に包まれながら見る未知の街並みは明るく見えた。
「待ってくれ、貴族の旦那!」
唐突に聞き覚えのない声がした……最初は自分達に掛けられた言葉ではないだろうと思い、フィリップとイーグは無視して帰路を急いだ。
「待ってくれ!……話を聞いてくれ!」
目の前に立ち塞がるように現れたのは目付きの鋭い男だった。歳の頃はまだ中年になり掛かり程度……フィリップとイーグよりは確実に歳上だろう。見た目からして平民なのは間違いない。しかもかなり困窮しているように感じた。
「見ていたぜ、旦那達はシュグネウス商会から出て来たんだろ?……その身形を見ても、旦那達は経済的に余裕をお持ちなのは一目で判る」
少し薄汚れた印象の男だが、ただの物乞いにしては体格が立派な上に、鍛え上げれているのが判る。それでいて目付きは神経質そのものだった……なんともチグハグな印象を受ける。
「……物乞いでないならば話してみよ。ただしこの戦争直前の時期に全軍の先鋒を与るこの私に無駄な時間を過ごさせるなよ」
男に時間を与えたのは気紛れと言えば気紛れなのだが、どうにも何かがありそうな男だった……フィリップの言葉を受けて男は2度頭を下げた。その動作からも只者ではないのは確認できる。以前ならば無理な芸当だが、戦士として鍛え上げられた現在、特に他者の動作には敏感になっていた。なにしろ訓練を指導していたあの笑う女は最後まで動きが見えなかったのだ。その上で散々観察を強要されたのだから……強烈な恐怖を思い出して、猛烈な吐気と絶叫したい欲求を感じた……が、なんとか堪え切る。
「ありがとうございます、旦那……さすがは俺が観察してきた中で所作が際立って素晴らしかった貴族様だ……ところで旦那方はどちらに投宿されていますんで?」
「たしか『黄金の輝き亭』だったか?」
「そりゃー、素晴らしい宿ですぜ……ところで旦那方……俺は3日間も水だけで過ごしているんですわ……決して物乞いじゃございませんが、可能でしたら話の間だけでも一飯ご相伴に与れませんでしょうか?」
「つまらぬ話だったら、タダじゃ済まさんぞ」
つまり「是」であった。
フィリップとイーグは男を伴って宿へと向かった。
空いた皿が山積みになっていた。
フィリップはもちろん巨体のイーグまでが呆れるほどの食べっぷりだった。
余程の空腹だったのか、男は名乗りもせず、30分間ひたすら食べ続けた。
健啖家というより飢えていたのは明らか。
やがて大きなげっぷが男の食事の終了を知らせた。
2人の貴族の嫌な顔を前に男は深々と頭を下げた。
「俺の名前はイグヴァルジ……2月程前に引退した元ミスリル級冒険者なんですわ……引退して、空前の好景気の中、冒険者稼業で貯めた金を元手に商売を始めたんですが、順調だったのは最初だけ……昨今の穀物相場の暴騰ですっかりやられちまいまして……仕入れの為にシュグネウス商会から借りた金は膨らむ一方……販売先も最初は良かったんですが、やっぱり穀物相場の暴騰でやられて、俺への支払いは滞る一方ですわ。たった2ヶ月で全財産失って、今は無職の宿無しってところまで落ちぶれたんですよ……このままじゃ拙い……で、一念発起して、職探しをしているんですが……なんせ商才が無いのは実証済みなもんで、どこに頼み込んでも雇っちゃくれません。じゃあ、と冒険者に復職しようとも考えたんですが、組合にゃ散々世話になったのを無視して強引に引退したもんですから、なんとなくだがプライドが許さねえ……まぁ、本当にどうにもならねえ場合、最後の最後にゃ冒険者に戻ろうと思っているんですが、その前に全力で職探しをやるべきだろうと思っていたんですわ……で、俺の持つ技能を最も高く売れるのは何かって考えまして……帝国との戦争も近いんだから、傭兵だろうと……」
「つまりお前は私達に傭兵として雇って欲しいわけか?」
イグヴァルジは深く頷いた……その瞳には自信が漲っている。
「自分で言うのもなんですが、俺は非常に役に立ちますぜ、旦那……ここにお集まりの旦那方の馬廻もお強いんでしょうが、非常に残念ながら全員が戦士職なんでしょう……そして旦那方も戦士職だ。所作を見ていれば一目瞭然……つまりせっかくの少数精鋭集団が持ち前の強さを発揮する局面が極めて限定的なんですわ。遠距離から攻撃に対しては手も足も出ねえ。殴り合いには強力ですが、相手も殴ってくれなきゃ話にもならない。たしかに帝国軍は専業兵士で構成されてた強力な軍団ですが、かの有名なフールーダ・パラダイン率いるマジック・キャスター集団も忘れちゃならねえって思いませんか?……俺もマジック・キャスターじゃありませんが、対マジック・キャスター戦の経験値がありますぜ。冒険者は存在自体が強力な亜人種やモンスター相手に経験を磨くんですわ。その対応力は魔法が飛び交う戦場でも必ず活きますぜ」
「なるほどな……で、なんで私達なんだ?……もう冒険者でないのだから、志願すれば良かっただろうに」
フィリップはコースのオードブルをまだ食べていた。
食事も話もイグヴァルジの勢いに押されて、どうにも進まなかったのだ。
「いろいろと理由はございますが……まず第一に旦那方は自身が戦場で戦うつもりであること、ですかね」
「どうして判る?」
「旦那方が戦士職なのは見れば判ります。その上シュグネウス商会で大量のポーションを買い付けた。他の貴族様はせいぜい御守り代わりの自分用にに2〜3個ってところですわ。徴兵した自身の兵にはポーションなんて高額なものは与えないのが普通ですからね……さっきも話した通り、俺はシュグネウス商会と多少の繋がりがありました。その伝手でポーションを買い込む貴族様が現れたら教えてくれと頼んでおいたんですわ……歴戦のボウロロープ侯はバレアレから買い受けたみたいですが、旦那方は大軍団を擁するボウロロープ侯よりもさらに大量のポーションをたった10人の為に買ったわけですよ。そりゃ、もう、戦うつもりだと判断するのが普通でしょ」
それまで夕食を奢った手前、話半分に聞いていたフィリップの判断が初めてイグヴァルジの話で揺らいだ……本当に口ほどに役立つかも、と。
「それだけか?」
「これは直ぐにお判りでしょうが、経済的理由はポーションの買い付けだけで判断できます。まあ、余裕が無けりゃ個人的に傭兵なんざ雇うわけがない。売り込むどころか、話を持ち掛けるだけ無駄……もしくは雇った後に乱戦のどさくさで死んだことにされるかもしれねえ……その点でも旦那方はクリアです」
「なるほど……もっともな理由だな」
「で、ボウロロープ侯は自前の精兵団をお持ちなんで、傭兵なんざ不要でしょうよ。他の六大貴族貴族も一長一短……それ以下の貴族様は本当に戦う気があるのか不明。残った候補は旦那方と元冒険者も積極的に雇ってらっしゃるレエブン侯なんですが、今回レエブン侯の軍は別働隊だと聞き及びまして、最後の砦が旦那方……で、冒険者時代の情報網を駆使して、旦那方の到着をシュグネウス商会の前で待っていた次第ですわ……だもんで、こうして話を聞いていただき、本当にありがとうございます……で、いかがでしょう?……俺は口ほどに使えますぜ。ご不安でしたら腕を見せても良い……是非、お雇いいただけないでしょうか?」
フィリップはイーグを見た。
イーグは首を左右に振った。
それを見たイグヴァルジの頬がピクリと動く。
「勘違いしたのなら謝罪しよう……腕など見なくともお前が役立つは十二分に理解した。私達が未経験な実戦での立ち回りのアドバイスも期待して良いのだろう。ただし私達の一存と言うわけにもいかぬのだ……私達の戦費を供出してくれたパトロンの意見を聞かねばならないのだ」
「パトロン……ですか?」
「そうだな……明日、この時間にまた来い。それまでにはパトロンの意見を聞いておく。私としてはお前を雇うことにしたいのだ。なにしろ私達の知らないことを知っているのは心強い……それで良いな、イーグ殿」
「モチャラス卿がそう判断されるのであれば……ただし騙されたと思って、ご相談はティーヌ嬢にされるのがよろしいかと……絶対にシュグネウス様やエドストレーム嬢は避けて下さい……私に許されている発言はここまでですが、悪いことは言いません……ご相談はティーヌ嬢に」
ティーヌ……その名が出た瞬間、フィリップの表情が酷く歪んだ。
2人の会話から得た情報を元にイグヴァルジは素早く計算した……つまりこの2人の貴族の裏にいるのはヒルマ・シュグネウス……元『八本指』の悪評はあるものの豪商などというレベルをはるかに超越した王国経済を切り盛りするとんでもない大物だ。
……こりゃあ、上手くすると……
しかしイーグはシュグネウスに相談するなと言った。おそらくイグヴァルジを雇うことに反対するのだろう。エドストレームについては不明……おそらく名前の上がった3名の中ではシュグネウスに連なるのだろう。情報としての扱いに困るのはティーヌという存在だ。表情を見ただけでフィリップが苦手な相手であることは理解した。しかし真に問題なのはそこではない。イーグの口振りを信じればティーヌとやらが賛成すれば、あのヒルマ・シュグネウスすら反対できないと思われることだ……そこまでの大物なのにイグヴァルジは噂すら聞いたことがない。
イーグが嘘を吐く必要性がない。
なにしろ戦力が増えて困ることは無いし、金を出すわけでもない。
で、あれば……少なくともティーヌはパトロンの1人であり、シュグネウスの反対を押し切るだけの力を持つ……これだけは確実だろう。
……それにしてもティーヌ……どこかで聞いたことのあるような……?
脳内で何かが囁いていた。
それがなんであるのか、イグヴァルジは漠とした不安を感じたが、シュグネウスの名に嗅ぎ付けた大金の臭いが全てを掻き消していた。
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たしかに役立つ。
しかしどうにも不愉快な存在だった。
だが逆らえない……アレは既に至高の存在に仲間入りしてしまった。
至高の御方に逆らうことは自身の存在の否定と同義だ。
それに加えてアレは過去にもナザリックに多大な恩恵をもたらした、と言う。アインズ様から示されたユグドラシル時代のデータはその言葉を証明していた。
そうでなくとも他の守護者達がアレが上位者であることに馴染んだ後では、もう逆らう余地など無いのだ。
デミウルゴスなどは自身の立ち位置を既に修正し、アレと上手くやっているようだ。むしろ以前よりも生き生きしているように見えた。
アウラとマーレは単純に上位者として受け入れていた。特にマーレは一緒に任務を遂行することが多く、よく会話しているシーンを見掛ける。
コキュートスもリザードマンの集落の運営を新都市が引き継いだ影響で、アレと会話することが多いようだ。武人であるコキュートスにはアレの豊富な知識とデミウルゴスとは違う角度からの対外的なアプローチがとても新鮮に見えるらしく、自分から何かと相談に行くようにもなっていた。
セバスは王都以来の知り合い……ツアレニーニャ関連の話題で何かと揶揄われている。そうでなくともセバスはアレに好感を抱いているようで、自身の上位者となったことをあっさりと受け入れた内の1人だ。
シャルティアは何も考えていない……ように見える。アレを上位者としてごく普通に接して、実にシャルティアらしく過ごしていた。
プレアデス達もアレを評価しているようだ。特にアインズ様を魔導王として立たせた一件が大きい……それについてはプレアデスに限らず、だが。
そして何よりも重大な事実はアインズ様ご本人がアレにべったりなことだった。
他の全ては許容するが、それだけは……どうにも……極めて不愉快!
アルベドの形相を見て、メイド達が一人、また一人と立ち去る。
誰もいない執務室でギリギリと万力に何かを挟んで絞るような音が響いていた。
不躾にノックも確認も無くドアが開いた。
アルベドの表情は急転直下……ゴリゴリの力押しで笑顔を作る。
「あっ、アルベドよ……少し相談があるのだが……?」
どれだけ愛を注いでも注ぎ足りない姿が現れた。
アルベドは急いで立ち上がり、本当の笑顔に切り替え……られなかった。
アインズ様の背後から下品で落ち着きのない2匹の蛇がグルグル動き回る顔が現れたのだ。
雰囲気から察する……配下にも礼儀正しいアインズ様が入室許可を求めなかったのはアレとの会話が盛り上がっていたからに違いない。
「……なんか不機嫌じゃネ?……まあ、いいや……アインズさん、じゃ、また後で打ち合わせってことで」
「いや、ゼブルさん……アルベドは忙しいようだからカルネの新宮殿に行きましょうよ!……そこで打ち合わせってことで……ついでに構造を熟知しておかないと……アルベドには俺から後で聞いておきますから!」
「んじゃ、そーしますか」
「そうしましょう!」
アインズ・ウール・ゴウンの2人の至高の御方は守護者統括を見捨てるように消えてしまった。
「おのれ……」
ペンがグシャリと潰れた。
「……おのれ!」
デスクが拳型に凹んだ。
「おんどりゃややややー!」
執務机は被災した……そして崩壊した。
第九階層のその部屋にしばらく誰も近づかなかった。
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「っかしいなー……なーんっか、見たことある感じぃ?」
んー、と言いながら近付く顔を見て、イグヴァルジの背筋は攣らんばかりに緊張していた。
フィリップ達の部屋で待つイグヴァルジの前に最初に現れたのはよく見知った顔だった。竜王国とビーストマンの戦争の戦功で名を上げ、帰還後ミスリルへと昇給した3人組の後輩冒険者チーム『豪剣』だった。タイミング的にはちょうどイグヴァルジの『クラルグラ』が引退して、ポッカリと空いた穴にハマった感じ……よく面倒を見ていた身としては少し誇らしかった。他の者が後釜になるよりはかなりマシ……そう思って挨拶に来た際は喜んだものだった。
その『豪剣』の様子がよそよそしく、どうにも不愉快な思いを味わったのも一瞬……次に現れた顔というか、銀色の頭髪を見て、即座に理解した。
ティーヌ……どうしてあんなに気に入らなかった『3人組』の唯一の女の名を忘れていたのか……どれだけ後悔しても悔やみきれない。
「おっさんさぁー、どっかで会ったことあるよね?」
どう答えて良いのか判らない……今目の前にいるのは直接は関係ないとはいえ、『クラルグラ』が引退を決意した切っ掛けの『3人組』の1人。あの時は見かけなかったが、いずれにしてもバケモノ集団の一員だ。
「……そっ、そうかな……俺はつい最近まで冒険者だったからよ……組合とかで見掛けた程度じゃねーか?」
「おんやー、おっさん、私が冒険者って良く知ってるねぇー?」
「そっ……そりゃ、アンタの装備は一度見たら忘れないぜ」
「そっかー、そー言われりゃ、そーだよねー」
ティーヌの口角が僅かに上がった。
イグヴァルジは冷たいものを感じた。
身体の芯が冷える。
触れてはいけない何か……それに触った気がした。
「んじゃ、雇い入れに際してテストかなぁー……大丈夫かな、おっさん?」
部屋の奥でフィリップが小さく悲鳴を上げた。
隣に立つイーグは絶望的な表情を浮かべていた。
『豪剣』の3人は顔を背けている。
イグヴァルジの表情筋は固まっていた。どうしようもなく怖くて、否定や逃げの言葉は何も言えないのだ。
「テストに合格したら日当は……傭兵の相場っていくら?」
誰も答えない。
「まっ、いっか……相場の2倍ぐらいにしとしくかなー……んで、帝国兵一人当たり金貨5枚のボーナスぐらいでどうかなー?……足りないなら、もっと出しても良いよ」
どんどん好条件が積み上がるに連れて、イグヴァルジの後悔の念は凄まじい勢いで膨らんでいった。いったい何をやらされるのか?……バケモノの考えなど常人に理解できるはずもないのだ。
「じゃ、テストしよっか?」
イグヴァルジは右腕を掴まれた。
固まっていると、そのままひょいと持ち上げられた。
右肩が脱臼しかねない。
慌てて立ち上がる。
強引に宿の外まで連れ出されたが、イグヴァルジは悲鳴を発することすらできなかった。ただただ嗚咽を必死に飲み込むだけ……このバケモノの気に障ったら、どうなってしまうのか?……それだけが気掛かりだった。
「共同墓地でいっかな」
奇妙な集団がエ・ランテルの街を歩いていた。
先頭は細身の銀髪の女。女に引きずられているのはエ・ランテルではそれなりに有名な半泣きのイグヴァルジ。イグヴァルジを心配そうに見詰めるのは3人組の冒険者チームと明らかに富裕層の男が2人。
行き交う人々が注目するも誰も声を掛けない。皆が皆、通報して関わるのもゴメンだとばかりに奇妙な集団が近寄ってくると顔を背けるのだ。そして通り過ぎると誰もが再度注目する。
そのまま集団は共同墓地の門の前にやってきた。
門番の衛兵達がチラ見をするも、誰も役目に集中するように墓地の中を全力で警戒してるようだった。
「んじゃ、まず第一テストね……おっさん、準備はOK?」
「はひ……いったい何を……?」
「んー、私がおっさんを墓地の中に投げ込むから、上手いこと着地して」
「……えっ?」
「んじゃ、いっきまっすよー」
ティーヌがイグヴァルジを片手でひょいと投げ上げた。
……えっ?
一瞬にして、風景が変わっていた。城壁の高さと墓地を囲う壁の高さから逆算すれば高度は15メートルほどか?
案外、落ち着いていた。
投げ上げられた衝撃で右肩が脱臼していた。
とにかく足から着地しないと……落下の衝撃も殺せなければ、最悪ポーションでの回復も難しい。
落下地点を大きく変えることは不可能……よって着地が墓碑や石畳の上でないことを祈る。上手いこと土の地面上であれば、かなりダメージを殺せるはずだ。
妙に頭が冴えていた。
それ故に着地点が運悪く石畳の上であることが判ってしまった。
着地の瞬間、どうにか全身のバネを利用して威力を相殺しなければ……
グシャ……脚の骨が砕ける嫌な感覚が伝わる。
それでもなんとか意識を保ちつつ、冒険者時代の慣習で腰のポーションを探った……が、現在のイグヴァルジは無職の宿無しであることを急に思い出してしまった。当然、治癒のポーションなど携帯しているはずもないのだ。
同時に激痛が全身を駆け抜けた。
声にならない絶叫が共同墓地に響き渡った。
意識が飛びそうになるのを必死に食らいつく。
もし意識を失ったら、ティーヌにそこまでの人物と認識されてしまう……それこそがイグヴァルジにとって最大の恐怖だった。
激痛に耐えること10秒か、1分か……判然としない。
とにかく永遠に近い地獄だった。
それはニコニコと笑う女がポーションを振り掛けるまで続いた。
「そんじゃ、第二テストね」
笑うティーヌを見て、イグヴァルジは何かを諦めた、
もはやイグヴァルジに拒否権は無いのだ。
もう合格で良いから早く終われ、である。
心情的には不合格でこの場から解放されたいのだが……それはあまりにも欲張り過ぎだ。謙虚に考えて「合格で良いから」なのである。
「はい、これ持って」
イグヴァルジは素直に受け取った。
同時に「それはっ!」とフィリップが叫んだ。
イーグの瞳には憐憫としか表現しようのないものが揺蕩っていた。
ディンゴが顔を覆い、カドランとシトリは背中を見せた。
棒……だよな。
何がそんなに彼等を絶望させるのかイグヴァルジには理解できない。
「おっさん、元ミスリルなんだよねー?」
「……えっ、あー、はい」
「そんじゃ、その棒を私に向かって一度でも振れたら合格」
「はぁ?」
そんな簡単なことで良いのか……第一テストの無茶苦茶さに比べれば、こんなものは子供でも可能じゃないか……周囲の絶望が全く理解できないものへと変貌した。
「イーグちん、ポーションはあるかなー?」
「問題ありません」
「ほいっ、じゃあ、いっきまっすよー」
いきなり右手の甲を打たれ、イグヴァルジは棒を落とした。
遅れて激痛が走る。
慌てて棒を取ろうと屈むと、今度はティーヌに棒を蹴り飛ばされ、驚いて顔を上げた瞬間、鼻面を綺麗に打たれた。
悶絶して、鼻を押さえると大量の出血で呼吸が拙いことになるのを意識させられた。鼻骨が陥没している。長引くのは本当に拙い。
「まず手に取らないとねー」
言葉で誘導され、どうしても転がる棒を意識してしまう。
その瞬間、今度は左手の甲を激痛が走った。
そこで初めてティーヌの攻撃が全く視認できないことに気付く……軌道云々の話でなく、完全に動きそのものが見えないのだ……戦慄……圧倒的な恐怖。
「ミスリルの対応力見せなよ、おっさん」
予備動作すら見えない攻撃を裁く……不可能だ。
考える間にも左右の腿と打たれ、前進が厳しくなる。
痛みには耐えられるが、見えない攻撃の恐怖と呼吸への不安がイグヴァルジを追い詰める。
が、このテスト全般の目的は少し理解できた気がした。
対応力……第一テストも第二テストもこの女はそれを確認しているのだ。
で、あれば……イグヴァルジは対抗策を練った。
棒を当てられた瞬間を抑える……ダメだ……ティーヌの人智を超えた怪力は第一テストで示されていた。力で勝つのは不可能。当然スピードでも話にならない差がある上に、既に両脚は潰されたも同然。スタミナも鼻を潰され、呼吸が厳しい以上、時間は試験官であるティーヌの味方。
考えている間にも次々と打たれる。
しかし良い解決方は思い付かない。
全身腫れ上がっているが、集中で痛みを遮断し、思考に力を注ぐ。
打たれる順番を予測するしかなかった。
そして気付く……同時にティーヌの考えも理解した。
今、目と耳と口が潰されないのは目的があるからだ。
単に反撃を潰すつもりならば最初に目だ。鼻腔潰す程度に抑えて正確に打ち抜ける技量を持つのだから、そうでない理由があるはずだ。
ティーヌは追い詰めるだけ追い詰めて、イグヴァルジの行動を見ている。
だから最低限は残す。
目は最後……それは絶対だ。
耳の後が口か喉だろう……なんとなくその順番だけは守る気がした。
見るも無惨なイグヴァルジの様だったが、その眼差しだけは爛々と輝いていた。
ティーヌが笑っていた。
嗜虐的な笑みと思いきや満足げな笑顔だった。
考えを読み切られたの理解した上で、それに乗ろうというのだろう。
ほぼ同時に左右の耳を打たれ、おんせい情報による判断が封じられた。
次は口……もしくは喉だ。
イグヴァルジは眼球に全神経を注ぐつもりで集中した。
見えない……だが感じる。
腫れの上からでも感じる微妙な風向き。
喉でなく、口だ。
ガリガリと歯が砕けた。
喉の奥で灼熱を感じる。
全身で倒れ込み、全力で棒を抑える……が、ビクともしない。
ただ攻撃は止んだ。
「……まっ、合格でいっか」
その声を聞いた途端、イグヴァルジは全身を襲う激痛に意識を失った。
お読みいただきありがとうございます。