死の王と蠅の王   作:マイクロブタ

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まだまだ先は長いですが、読んでいただける方には感謝しています。


30話 戦争の裏側

 

 空は低い雲が目立つあいにくの曇天だったが、普段は濃霧に覆われているカッツェ平野の霧は綺麗に晴れていた。世の中に戦争日和というものがあるかどうかは不明だが、ここカッツェ平野はまるで王国と帝国の戦いを待ち望んでいたかのような見事なタイミングで濃霧を晴らすのだ。

 2つの人間国家はカッツェ平野の大いなる思惑に乗せられたのか?

 深刻な疑問ではあるが、答える者はいない。

 ただカッツェ平野が戦争を望んでいるように感じる。

 この地に殺し合いに集った者の全てがそう思っていた。

 

 霧の代わりに方々で土煙が上がっている。

 怒声が響く中、銅鑼が鳴り響き、揉み合っていた両軍が退却を始めた。

 王国軍の2回目の突撃をいなし、帝国軍の3回目の突撃準備が始まる。それまで最前線に立っていた第二軍が後方に下がり、第三軍が前線に上がり、体勢を整え始めたのだ。

 王国軍30万弱対帝国軍6万余。

 史上空前の兵員数は、好景気が王国軍の諸侯に余裕をもたらし、穀物相場の暴騰が平民を飢えさせた結果だった。例年では考えられないような人数の志願兵が混ざっている。

 これまでのところ中軍前衛のリットン伯の軍と、その正面に対峙する帝国軍の第二、第三軍のみが交戦していた。左翼軍と右翼軍はそれぞれ第四軍と第六軍と睨み合い、延々と中傷合戦を続けている。

 戦闘が始まってからおよそ1時間が経過していたが、王国軍は激突直後こそ数の圧力で押し込むものの、突撃の勢いが続くことはなく、帝国軍が押し返す際に傷が広がるという展開が続いていた。

 帝国軍も無傷というわけにはいかないが、王国軍の失血は馬鹿にできないレベルになりつつあった。かと言って、決して消耗戦というわけではない。

 王国軍にすれば現在は本陣の周りを固めている主力の中軍のボウロロープ侯の軍が前線に進出するタイミングこそが全てであり、帝国軍にとってはフールーダ率いる魔法詠唱者兵団をどう活躍させるかが全てなのだ。両軍とも主力投入の効果的なタイミングを待ちながら、淡々と突撃を繰り返しているのだった。

 

 第二軍が完全に後退し、砦の前に陣を再構築した。

 砦の中に戻った総司令官カーベイン将軍が帝国四騎士の一人ニンブルと何某かの会話をした。

 ちょうどその瞬間、帝国軍の第三軍は方陣のまま駆け上がった。

 連れて突撃の銅鑼が響く。

 つまりカーベイン将軍の指示でなく、第三軍はリットン伯の軍の前後入れ替わった瞬間を狙ったのだ。

 王国軍の陣形が大きく崩れる。

 第三軍が中央に食い込んだ分だけ左右に大きな塊ができてしまった。同じ騎兵同士ならば挟撃のチャンスだが、王国軍は徴兵された歩兵が中心だった。だから陣形を立て直すのに時間を要する。

 その歩兵の塊の中心に人の頭ほどの石が突然落着した。直撃を受けた兵は頭部が陥没し、即死……悲鳴が上がり、戦場が大きく混乱する。そこに同じような大きさの石が雲の中から無数に落下してきた。少しでも触れれば戦闘不能……悪くすれば死。王国軍の恐慌はさらに広がる。まるで蜘蛛の子を散らしたかのように逃げ惑う王国軍……反撃を加えようにも敵は空の上……事態の収拾は困難……無秩序に逃げ惑う兵達の姿をを見て、リットン伯は一時後退の号令を発した。

 眼前の第三軍は囮。

 帝国の主力攻撃陣は雲の上。

 はたして後退して陣形を立て直す為に集合させて良いものか?……後退を指示したリットン伯にとっては難解かつ深刻な疑問だった。

 

 タイミングは探っていたのは第三軍だけだなく、第四軍と第六軍もそれぞれ左翼軍と右翼軍に睨み合っていた方陣のまま突撃を開始していた。右翼も左翼も不意を突かれ、甚大な被害を被る。加えて雲中から石の絨毯爆撃も同じタイミングで食らった。右翼軍は散り散りになり、左翼軍は前後不覚の大混乱に陥った。

 この会戦に参加した帝国全軍の半数を投入した大攻勢。

 交戦のタイミングは第三軍任せとはいえ、全軍の総司令官である第二軍のカーベイン将軍が後方に下がる時間まで待って開始することが予め定められた計画通りの大攻勢だった。

 開戦当初はカーベインの第二軍すら一兵卒と同じ扱いであることに漠とした不満はあったが、王国軍のバカバカしいまでの大量動員を考慮すれば致し方無しと納得もする。歩兵中心とはいえ30万を超える大動員の圧力に対抗するには一兵たりとも無駄にはできない。こうして初戦を凌ぎ、作戦準備完了の一報に伴い砦に帰還してみれば冷静に判断する余裕もできた。

 後は本来の職務に徹するのみ。

 控えの第五軍と第七軍はカーベイン将軍による突撃の指示を待っていた。

 そのタイミングも予め石の質量絨毯爆撃が終わった時と定まっている。

 その時を待つ。

 

 帝国の魔法詠唱者が大量に『浮遊板』の魔法を使い、魔導国によって運び込まれた新都市カルネ建設の余剰石材を正立方体状に加工された石が積み上げられた。

 さらに魔導国側の魔法詠唱者の魔法によって操作された雲の中に隠れた魔法詠唱者集団と、集団化した『飛行』の魔法で同行している魔導国の作業員が石の質量絨毯爆撃を実行したのだ。

 カーベイン将軍は第一作戦がほぼ想定通りの成果を残しつつあることに満足しながらも、作戦の為に天候まで操作する魔導国の恐ろしさを実感していた。事前に雲中の彼等は絶対に表に出ないとも知らされていた……つくづく敵でなくて良かったと思う。

 

 石の質量絨毯爆撃か止むまでのおよそ30分間、逃げ惑う王国軍は帝国軍の三万の騎兵に徹底的に蹂躙された。

 その直後、第五軍と第七軍が王国軍の中核である中軍のボウロロープ侯の軍を挟撃すべく突撃を開始した。

 さらに必勝を期して帝国の誇るフールーダ・パラダイン率いる魔法詠唱者兵団が出撃した。後方の砦から『飛行』で飛び立つと、それまでほとんど被害無かった為に、ボロボロにされたリットン伯の軍と入れ替わる為に出撃したボウロロープ侯の旗印を掲げる精兵団を徹底的に上空から『火球』の連射で焼き尽くす。完全に狙い撃ちだった。

 さらに左右から第五軍と第七軍の突撃に晒され、ボウロロープ侯の軍は精兵団はおろか一般の徴兵された歩兵まで徹底的に蹂躙されたのだ。

 

 王国軍の中軍は完全に崩壊した。

 バルブロの在る本陣すら後退を始める。

 後方に陣取っていたペスペア侯の軍が本陣を守ろうと慌てて前進したのが、さらに混乱の輪を拡大させてしまった。

 その最中に六大貴族である「ブルムラシュー侯、戦死」の未確認情報が戦場に広がり、王国軍はさらに動揺し、大混乱に陥った。

 徴兵された歩兵は持ち場を放棄し、身勝手に帝国へと投降し始めた。

 下級貴族の軍は軍の体裁を保てず、次々と壊走していた。

 いかなる名将でも立て直すのは不可能だ。

 次々と高位貴族戦死の報告が本陣にもたらされ、それが確実なものか確認も取れぬまま、本陣からの指示も場当たりかつ無秩序になっていった。

 

「リットン伯、消息不明!」

「ウロヴァーナ辺境伯、重傷……意識不明!」

「リットン軍損耗率7割超……生存者もほとんどは帝国に投降している模様」

「ボウロロープ侯の精兵団は全滅……生存者は20名以下……正確な数は火傷が酷く、確認できません!」

「中軍は壊滅です!」

「右翼軍はエ・ランテルへ敗走を始めています!」

「左翼軍は帝国軍に完全に包囲されています……救出も困難かと……」

 

 どれだけ神に祈っても止まない凶報の雨霰にバルブロは頭を抱えた。

 義父であり、実質的に総指揮官であるボウロロープ侯は呆然と中空を眺めていた。あまりに軍の崩壊が早過ぎて、指示を下しようがなかったのだ。帝国軍は効果的に王国軍の恐怖を煽り続け、無理矢理徴兵された歩兵で構成される王国軍の弱点を露呈させたのである。中核の六大貴族の軍こそ徹底的に叩かれているが、他の諸侯軍は旗本以外はすんなり見逃されているような印象すらあった。だから高位貴族の戦死の報告だけが突出して多いのだ。どれだけ多数の兵員を揃えようとも指揮官である貴族が潰されれば、徴兵された歩兵が持ち場を死守するはずもない……下級貴族の軍も同様。

 帝国軍の戦術は終始そこに徹底していた。

 もはや軍として機能しているのはペスペア侯の軍のみ。彼等すら自軍の陣形を維持して、右翼軍が崩壊した為に突撃してきた帝国軍の第六軍の圧力に抵抗するだけで手一杯であり、友軍の救出まで手が回らない。王国軍は総崩れで、数多の戦傷者も戦場に放置して無秩序に後退を繰り返している。

 本陣を固めるボウロロープ侯の親衛隊も動揺を隠せない。後退に後退を重ねてはいるが、いつまで経っても立て直せる気配もなく、悪戯に傷口を広げているような有様だった。全員の共通認識を言えば「エ・ランテルまで可及的速やかに撤退して、王の下で全軍を立て直せ」なのだが、主君がせっかく奪った政治的主導権を握り返されるのことを極端に嫌っているのも、ボウロロープ侯の親衛隊としては理解していた。だからダラダラと後退を繰り返すことに納得はしないまでも許容していたのだが……事態は悪化する一方だった。

 

 既に天幕も旗印も放棄し、単に親衛隊で周囲を固めただけの本陣のど真ん中に、唐突に人影が二つ現れた。親衛隊に動揺が走るが、そこは腐っても親衛隊であり、即座に抜剣し、人影を包囲した。

 隊長が叫ぶ。

 

「何者だ!」

「どうもー、我々は魔導国です!」

 

 黒いコートの男が妙なハイテンションで答えた。

 隣の仮面の魔法詠唱者は沈黙を貫いている。

 

「ふざけているのか!」

「いんや……王子と侯爵を捕らえにやって来たんだけど、素直に引き渡してくれれば、お前らは見逃してやる……で、どうする?」

「ナメるな!」

 

 激昂した隊長が斬り掛かった。

 

「グラスプ・ハート」

 

 仮面の魔法詠唱者が呪文を唱えると、隊長はそのままの勢いで倒れ伏した。

 ピクリとも動かない。

 

「……まだやるかね?」

 

 魔法詠唱者が一歩前に踏み出すと全員が後退った。

 

「全員殺るのも面倒……こうしましょう《平伏せ!》」

 

 発せられた黒コートの男の声は奇妙な響きを含んでいた。

 親衛隊だけでなく、バルブロもボウロロープ侯も平伏す。

 魔法詠唱者はゆっくりと歩を進め、恐ろしいまでの怪力を発揮して、平伏したままのバルブロとボウロロープ侯を抱えた。

 

「それじゃあ、ゼブルさん……後は打ち合わせ通りに……ゲート!」

 

 『転移門』のエフェクトが出現すると魔法詠唱者は2人を抱えたまま、そのまま中へと消えた。

 

 黒コートの男だけがその場に残り、平伏する親衛隊を眺める。

 

「さて、どうするか?……アインズさんの手前、極力穏便な手段を選択したけど、目撃者は邪魔なだけだろ、どう考えても……殺すか?」

 

 親衛隊が身動きできずに恐怖に震える中、男は暢気に考えていた。

 

「まっ、残しておけば第二作戦で役立つかも知れないか?」

 

 黒コートの言葉に親衛隊の誰もが内心ホッと息を吐いた。

 

「眷属召喚……肉腫蠅!」

 

 黒コートの姿が消えた。

 

 しばらくして全親衛隊員が起き上がる。

 彼等はバルブロとボウロロープ侯の姿が忽然と消えたことに気付き、帝国軍の大攻勢の中を大声を出して、主君を探し回った。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 好き勝手に蹂躙する帝国軍の第三軍を相手に王国軍は総崩れ。

 かなりの長時間、新たな指示はなく、所属していた中軍前衛の指揮官であるリットン伯はとっくに逃げたのかもしれない。

 仲間と言うか、同じく前線に立っていた周囲の歩兵達が帝国軍に投降する姿までチラホラ見掛けるようなっていた。

 そんな中で孤軍奮闘、獅子奮迅の活躍を見せていたフィリップ率いる一団も手持ちのポーションの8割以上を使い果たし、さすがに敵陣内に取り残されている感を切実に感じるようになっていた。

 人間の頭部程度の大きさの石の絨毯爆撃こそ、信じられないことに被害は0だったが、周囲は惨憺たる地獄絵図。その後の帝国軍の突撃は周囲に味方がいなくなったこともあり、それまでの対処と別次元の厳しさに変わっていた。

 トドメは上空からの『火球』の連発……イグヴァルジが同行していなかったら、あそこで終わっていたかもしれない。彼の指示に従ってポーションをお互いにぶっかけ合い、なんとか危機を脱したのだった。

 そして気が付けば周囲に人の姿は無く、敵である帝国軍すら後方にいた。

 

 フィリップは迷っていた……前進か、それとも後退か?

 イーグは前進を主張している……この戦争で王国の英雄となる……それこそが真の主人の意志なのだ。自主判断を禁じられているわけではないが他に選択などあるわけがない。もちろん死ねばそれまでだが……

 馬廻はゼロに絶対忠誠を誓う集団だが、さすがに自分達が置かれた状況の厳しさは理解している。

 そしてイグヴァルジは叫んでいた。

 

「いいからもう逃げろって、旦那!……いまさら戦線の再構築は無理だ。俺達だけが頑張ってもどうにもならねえよ。イーグ殿もいい加減諦めろ!」

「しかしだな!」

「しかしも案山子もねえよ!……石塊の直撃は無くなったかも知れねえけど、帝国のマジック・キャスター共はいまだ健在だぜ……俺達だけ前線に取り残されちまってんだろ!……狙い撃ちされんぞ。次に魔法で爆撃されたら残りのポーションじゃ保たねえ……周りの焼死体の山を見てみろ。ここで死にてえのか!」

 

 危機に対してイグヴァルジは素直だった。そうでなければ長年冒険者稼業で食うことなどできない。それどころかイグヴァルジは順調に昇級し、一財産築いたほどだ。当然、生き残る術には長けている。

 とはいえこの場の決定権者はフィリップ……この集団の生殺与奪はフィリップが握っているのだ。フィリップが健在である限り、その言葉は絶対だった……それ故に彼は慎重になってしまう。

 前を見る……帝国の本陣である砦があった。その前に陣取るのは帝国軍の第二軍だ。11対1万……考えるまでもなく無理だ。

 背後を振り返る……大乱戦と言うか、帝国軍による一方的な蹂躙。王国軍にとっては地獄。生き地獄でなく純然たる地獄の光景だった。逃げ惑う兵士と殺される兵士と兵士の死体しか見えない。

 むしろ後退する方が厳しく感じる。

 だがこれ以上の前進に待ち受けるのは死もしくは虜囚の2択だ。

 さすがにその程度ならば判断できる。

 

「……そうだな……イグヴァルジの言う通り後退するしかないな……だが即座に理解できるように、後退するにもあの地獄を踏破せねばならない。どのようにすれば良いか?」

 

 問われたイグヴァルジは軽く周囲を見回し、瞬時に判断を下す。

 

「所属する中軍は壊滅な上にエ・ランテルへの最短ルートは帝国軍の集中攻撃に晒されますわ……比較的手薄とはいえ左翼は帝国による包囲戦の最中……味方もいますが、俺達程度の数で加勢したところで助けられるはずもねえ。残るは右翼方面に迂回するルート……残敵掃討の部隊に鉢合わせするかもしれねえが、少なくとも厄介なマジック・キャスター共に狙われる心配は一番少ないルートでしょうよ。右翼の戦場を突っ切って、とにかくカッツェ平野を抜けて、その後大きく迂回してエ・ランテルに帰還するのが一番安全でしょう。何度でも言うが、マジック・キャスター共を相手にするにはポーションの残量が心許ねえ……次に魔法の爆撃を受けたら確実に全滅しますぜ、旦那」

 

 フィリップは大きく頷き、イーグを見た。

 イーグも渋々頷く……たしかに死ねばそこまでなのだ。英雄への次善の策である左翼の味方を救出するにもさすがに11人ではどうにもならない。

 

「では、まず右翼軍が潰走した後を注意深く抜ける。残敵掃討と遭遇しても相手にするな。我々ならば勝てるだろうが、無駄な交戦は帝国のマジック・キャスター共を呼び寄せてしまう可能性もある。先導はイグヴァルジに任せる。それで良いな?」

 

 全員が頷いた後、イグヴァルジが前に立った。

 

「焦る気持ちは理解するが、全員で交戦を避けながらゆっくり進む……俺達が五体満足な集団と知れれば、今は中軍と左翼に気が向いているマジック・キャスター共の気を引いちまうかも知れねえ……連中は空から見下ろしてやがるんだ。俺達よりもはるかに遠くから視認可能な上に移動まで空中を飛行してきやがる。つまり見つかったらあっと言う間に追い付かれる。そしてさっき経験した通り反撃不能な位置から一方的に攻撃される。だから旦那達は不本意かも知れねえが負傷した敗残兵を装って移動する。決して急ぐな……遠目から見て、それらしく見えりゃ良いんだ!」

 

 行くぞ、と号令を発してイグヴァルジはゆっくりと歩き始めた。

 フィリップとイーグも下馬して、代わりに馬の背には馬廻が運んでいた背負いの荷物を括り付けた。

 全員がイグヴァルジを習い、肩を落とし、背を丸めて歩く。

 地面に無数に転がる石と、まだアンデッド化していない無数の王国兵の死体が邪魔だった……皆、心の中で彼等の死後の安寧を祈りながら進んだ。

 先導するイグヴァルジは森の中でないがフォレストストーカーの能力を遺憾なく発揮して、遠方の敵を察知してはその度に馬を放置して全員で伏せるよう指示した。

 後退は遅々として進まなかったが、どうにか敵をやり過ごし、3時間程でカッツェ平野の危険と思しき戦域を脱した。

 

 戦場を振り返り、もはや遠方と感じる殺戮の平野を見て、全員で一息吐く。

 そこでフィリップとイーグは騎乗し、馬廻達は再び荷を背負った。

 

「このまますんなりとエ・ランテルに帰還できれば良いのだが……」

「後は急ぎますぜ、旦那……日暮れ前にはカッツェ平野から出てねえと……」

「アンデッドか?」

「スケルトンやらゾンビ程度ならば問題無えが、エルダー・リッチみてえのが出現したら、せっかくの苦労が水の泡……しかもカッツェ平野じゃ、それが一体とは限らねえ」

「なるほどな……休憩もままならぬか」

「現状、俺達はエ・ランテルへの最短ルートから大きく外れてますぜ……俺の感覚じゃ、かなりの強行軍で日暮れまでギリギリってところですわ。休憩はこれが最後……とにかくカッツェ平野を抜けるまでは全力で進みますわ」

「了解した……皆、すまぬが強行軍だ。5分したら出るぞ」

 

 これまで精神を削られていたものが、今度は強行軍で体力を削ると言う。

 幸い体力の無い方から一位と二位は馬上だった。

 休憩と言っても人馬共に水分を補給した程度。

 ほぼ走っているのと変わらないような歩速で進み始めた。

 これまでの石塊と死骸ばかりの悪路よりははるかにマシだが、道無き道であることには変わりない。

 遠目に帝国兵の小集団を発見しても無視して進む。

 速さこそが命。

 ここまで主戦場から外れると、敵も小集団過ぎてあまり必死に追ってくる気配は感じさせない。追跡を振り切り、とにかくイグヴァルジに従い、進んだ。

 エ・ランテルまではまだ遠いが、カッツェ平野を抜け切るのは問題なさそうだった。これまでは順調……だが全てが全てでなく、はるか遠くだが前方の気配が非常に怪しいものになりつつある。

 

 イグヴァルジの足が止まった。

 連れて全員が足を止める。

 イグヴァルジは目を閉じ、視覚以外の情報に全神経を振り向けた。

 再び目を開けるとフィリップを見た。

 

「後衛のペスペア侯の軍まで抜かれたか、王国全軍が殲滅されたか……そんな感じの雲行きらしいですぜ?」

 

 エ・ランテルへ向かう帝国兵が尋常でない数になっているようだった。

 馬の巻き上げる土煙なのだろうが、強風でもないのに砂塵ように見えた。

 歩兵中心の王国軍ではあり得ない光景だ。

 帝国軍がエ・ランテルへ向かって侵攻しているとしか考えられない。

 

「30万の軍勢が総崩れ……我々のエ・ランテル帰還も厳しいか?」

「まさかの……っヤツですが、このまま無邪気にエ・ランテル行き、ってわけにはいかねえでしょうよ。帝国軍はほぼ無傷……そいつらがそのままエ・ランテルの包囲戦に移行したら、俺らの入り込む見え見えの隙があったら罠を疑うのが正しいでしょう」

「つまり……我々はどう動くべきだ?」

「もう少し情報を集めねえとなんとも言えませんが、即座に思い付く選択肢としては、しばらく様子見は必須……このままエ・ランテルを大きく迂回して、一度王国内深くに退避して、新たに兵を募って立て直すか……負傷兵はともかく敗残兵を糾合して軍勢と呼べるレベルに立て直して、エ・ランテル内の王国戦士団と連携するか……同じく都市内外の連携を考えるのあれば叛徒鎮圧に向かったレエブン侯の軍と合流するか……その3択でしょうよ」

 

 フィリップは苦虫を噛み潰したような顔を見せた。

 

「どれも楽ではないな……まず王国内で新たに兵を募るのは厳しいだろう。敗残兵を糾合するのは帝国に動きが露見する可能性も高い上に、立て直す前に攻められれば全滅する。そして何よりも兵員に渡す物資が無い。レエブン侯の軍に合流するにはエ・ランテルを包囲する帝国軍の目を逃れる必要がある。どれも茨の道だな」

 

 少し前のフィリップであれば、単純に逃亡もしくはこの場に留まって兵を糾合する選択をしたに違いない。兵を集めるのも全て人任せだったろう。その上、平民達には理解できない理屈を捏ねくりまわし、自分の労力無しに突撃させようと考えたはず……物資も与える必要性など感じすらしなかったろう。どうせ死ぬのなら自分の為に役立て、である。

 今こうして考えてみれば、我ながら恐ろしいまでの愚か者だ。

 自分でもそこまで変わったとは思わないが、多少なりとも日銭を稼いで食う者の気持ちは理解したつもりだった。自分でも同じような生活を経験し、噛み合わないながらも彼等と会話をして、知ったことがある。全てはティーヌに強制された結果だが、責務でなく力で強いられる者の気持ちも朧げながら理解した。彼等は自力で世の中を変える術を持っていない。全て支配者任せ。世の中を変えようなどと考えることすらない。以前のフィリップはその事実を持って「だから下賤は衆愚なのだ」と軽々しく断じていた。

 だが違うのだ。

 術を持たぬ彼等は期待し続けて、裏切り続けられたに過ぎない。

 その結果として期待すらしなくなった。

 フィリップは違う……僅かな力だが、確実に力を持っている。

 そこに思い至った時、世の中の見方が大きく変わった。

 力には責任が伴う。

 それこそが貴族だ……そう思っていた。

 

 そして今現在の決定権者は爵位を持つ貴族であるフィリップである。

 戦闘中ではないといえ、考え込む時間はない……このまま夜間になればカッツェ平野近辺に留まるのは危険。

 エ・ランテルを大きく迂回して王国内に戻って兵を募っても、自領に人がいない上に、他領でも限界まで動員しているのだからそもそも兵がいない。

 敗残兵の糾合は、以前の自分が飛び付きそうな策である為に選択し難いのも事実だが、そうでなくとも30万人超の兵数で完敗した事実がある以上、より少ない敗残兵をまとめて意味があるとは思えない。

 ならば選択肢は一つだ。 

 

「……エ・ランテルを迂回して、レエブン侯の軍と合流しよう。危険は伴うがそれが最善に思える……これから敗残兵を募るにしてもレエブン侯の名が有るのと無いのでは大きく違うはずだ」

「たしかにそれが正解だと思いますぜ」

 

 イグヴァルジが同意すると、特に反対意見も無く、方針は定められた。

 後はエ・ランテルの状況をある程度把握してから、レエブン侯の軍が向かったカルネ村とか言う開拓村に向かうことも定められた。

 

 エ・ランテルに向かう帝国軍の濁流が途切れたら……

 

 とりあえずカッツェ平野を脱する。

 フィリップ達の向かう先は大きく移動した主戦場の見える位置を確保する為の高台だった。

 

 

 

 

 

 

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 人外の魔城……その巨大過ぎる宮殿の玉座には仮面の魔王が座していた。

 魔王の向かって右手に真紅の鎧で身を固めた人間の年若き女将軍。

 左手には丸メガネに掛けた蛙の異形。

 玉座に向かう赤絨毯の左右に整列するのは数多の亜人種に数多の異形種に加え、いくばくかの人間種。

 

「よくいらした、王国のザナック殿とレエブン殿……だったか?……魔法的な制約で仮面のままで失礼する。私がアインズ・ウール・ゴウンだ」

 

 予断は排除していたつもりだが……今こうして魔導王と対峙してみれば、改めて自分の甘さを認識させられた。

 

「お初にお目にかかります、魔導王陛下……こちらにおわすのが私が次代のリ・エスティーゼ国王へと推すザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ第二王子殿下。そして私がエリアス・ブラント・デイル・レエブンで御座います。以後、よしなに願います」

 

 レエブン侯に紹介される形でザナックは魔導王の前に進み出て、深々と頭を下げた。

 

「ザナックにございます、魔導王陛下……我が身に拝謁する機会を与えていただき、誠に感謝の極みで御座います」

 

 魔導王は鷹揚に頷く。

 

「さて、私も長らく隠遁していた身……儀礼も嫌いではないが、お互いにざっくばらんに話そうではないか?」

「魔導王陛下のお望みのままに……殿下もそれでよろしゅうございますな?」

「ああ、もちろんだ……むしろありがたい」

「では、奥の間に進まれよ……デミウルゴス、御二方を案内せよ」

 

 魔導王の姿が消えた……転移の魔法なのだろうが、驚かされる。

 

「御二方、こちらで御座います」

 

 人語が通じるか怪しいような蛙の異形がいつの間にか前に立ち、2人に対して恭しく一礼した。

 そのまま無言の蛙の異形に先導され、巨大かつ壮麗な宮殿内を歩かされた。

 魔導王の意図を類推すれば、国力の差を見せつけ、勝手に考えろ、と迫っているのだろう。

 癪だが、その思惑に従い、宮殿内を見て歩く。

 結果として思い知らされた……天地がひっくり返っても勝てない、と。

 つい先日までこの巨大都市は存在していなかった……事実として認識しているのに、この宮殿内にいるととてもそうは思えない。悠久の時の彼方から存在しているかのような重厚さを感じさせるのにとても新しい。つまり新造されたのは確かなのに急拵えではないのだ。

 贅を尽くした内装も、新しいのに歴史を感じさせる。

 少なくとも魔導国は技術力と資金力においてリ・エスティーゼ王国をはるかに凌ぐ存在なのは間違いない……同時にレエブン侯は王都のシュグネウス商会の背後にいるのは魔導国との確信も得た。このような馬鹿げた技術力を持つ存在が複数在るわけがないのだ。

 

 蛙の異形に先導されるまま到着した部屋の前に立った時には、ザナックは魔導国との共存共栄を考え、レエブン侯に至っては自領の安堵を約束してもらった上での恭順すらも頭脳の片隅で考慮していた。

 

 両開きの豪奢な扉が開け放たれる。

 

 そこにいたのは魔導王でなく、薄気味悪いほどに整い過ぎた容姿の人間の男だった。星空の奥行を感じさせる黒いコートを羽織っている以外は着衣で目立つものは無いが、どうにも芝居掛かった笑顔が胡散臭い。役者としては三流以下なのに、容姿が整い過ぎている結果、主演の迫真の演技を食ってしまうような……なんともチグハグは印象だった。

 

「初めまして、ザナック殿下にレエブン閣下……俺はゼブルと言います。アインズ・ウール・ゴウン魔導国において、副王の地位にある者です……まあ、魔導国において次席と考えていただいて間違いありません。と言っても魔導王陛下に引き立てられた成り上がりなので、儀礼には詳しくありませんので、無礼はご容赦を」

 

 ゼブルと名乗った副王の挨拶も早々にメイド達が部屋に雪崩れ込み、茶の準備と晩餐のセッティングを進めていく。

 ザナックとレエブン侯はゼブルに促されるまま着席した。

 流れるようにメイド達が動き始める。

 1セットで一財産は間違いなさそうな茶器に芳醇な香りを放つ琥珀色の茶が注がれた。ゼブルは毒見とばかりに自らが先に口を付け、笑って見せる。

 

「どうぞリラックスして下さい……これから少々重い話をしますので……本交渉は魔導王陛下自らが後程こちらに参ります」

「重い話ですか、副王……陛下?」

 

 レエブン侯が言葉を終えるのを待って、ゼブルが切り出した。

 事前の打ち合わせ通り、レエブン侯が話を振るまでザナックは聞き役に徹するつもりで、ゼブルの視線に対して黙礼する……それでお互いに暗黙の了解が成立していた。

 

「私のことはどうぞゼブルとお呼び下さい、レエブン閣下」

「ではゼブル殿と呼ばせていただきます」

「それで結構です……ところで御二方は王国と帝国の戦争について、現状をご存知ですか?」

「私の想像が正しければ、シュグネウス商会の背後に貴国が在り、ヒルマ・シュグネウスから私にもたらされた情報は、実質的に貴国からの情報と考えております……その前提で正しければ、この度の戦は既に魔導国と帝国及び竜王国の同盟対我が国の戦ということになります。もはや勝てるはずもなく、我々としては可能な限り傷を浅く落着させるにはどうするべきか……そういう認識で動いておりました。そのついでにザナック殿下の政敵を屠る……そのようにシュグネウスから示唆され、私は提案を是とし、その通りに動いた。そういう認識です」

「開戦前の状況については、概ねその通りですよ……ですが開戦後の状況はご存知か?」

「開戦後……ですか?」

 

 レエブン侯がチラリとザナックを見る。

 ザナックは首肯した……真偽はともかく聞くべき、という意味だろう。

 

「どうやらご存知ないようだ……一言で言えば、王国は既に完膚なきまでに敗北を喫した……既に戦場はエ・ランテル周辺に移り、帝国軍によるエ・ランテルの包囲が完成したところ……そんな感じです」

「なっ……何を馬鹿な……いや、失礼しましたゼブル殿……でも、まさか、たった1日でそんなことが……我が国の総動員数は兵数32万超という過去に類を見ない規模ですぞ……その内、カッツェ平野に出撃したのは305000人近い圧倒的な軍勢ですが……」

「……数は問題じゃありません。恐怖を刷り込まれ、頭を潰されれば、所詮は無理矢理動員された徴兵が大半……頭である貴族ですら逃げ出すのが戦場というものです……」

 

 ゼブルは見てきたかのように語った。

 おそらく見てきたのだろう……レエブン侯はそう感じていた。

 語られた王国軍は悲惨の一言だった。

 人間の頭大の石の雨に降られ、無意味な死の恐怖を刷り込まれた。

 抵抗しようにも敵は雲の中。

 続いて軍の中核である精兵が魔法の絨毯爆撃で焼き殺された。

 そうしている間にも各軍の指揮官である六大貴族も総大将であるバルブロも姿を消してしまった。

 バルブロを筆頭にボウロロープ侯、ペスペア侯、リットン伯は帝国軍の虜囚となり、ブルムラシュー侯に至っては自ら真っ先に投降した。残るウロヴァーナ辺境伯も生死の境を彷徨った後、帝国軍に捕縛された。

 本来精兵である彼等六大貴族の軍勢は殲滅された。

 六大貴族貴族に次ぐ高位貴族達の軍は徹底に蹂躙され、大半が戦死した。

 低位の貴族は逃げ出し、連れて民兵も逃げ出し、カッツェ平野の王国軍は完全に崩壊した。

 帝国軍はそのまま侵攻し、電撃的にエ・ランテルを包囲した。

 そこにはまだランポッサⅢ世と王国戦士団が在り、旗本以外にも都市の衛兵こそいるものの、もはや敗北は必至……30万対6万だった戦力比が6万対5千にひっくり返されたのだ。エ・ランテルの三重城壁を頼みにどこまで対抗できるのか……帝国軍が魔法詠唱者部隊を保有している以上、即陥落もあり得る逼迫した状況だった。

 

「そのような事態に……」

「ですから、おそらく貴軍に対してエ・ランテルより緊急の援軍要請があるでしょう。すぐにでも準備しておいた方がよろしいかと」

 

 単なる親切心のようにゼブルは忠告した……が、わざわざザナックとレエブン侯を陣中から呼び寄せた意図がそんなものであるはずもない。魔導王との交渉意図は2人共に理解しているつもりだが、その合間にこの副王が出てきた意味を理解せねばならない。何か意味があるはずなのだ。

 

 お茶を飲み終えると、まるでタイミングを測っていたかのようにテーブルに食前酒と前菜が運ばれてきた。

 レエブン侯はモチャラス領で経験があったが、ザナックは目を丸くした。

 想像通り畜肉と穀物と野菜果実については地産品……ここカルネで醸造された酒まで供されたの意外だが、海産品以外は全て地元の食材だという。説明によればムニエルの川魚もここで養殖されたものらしい。

 食前酒、前菜からデザートに至るまで、一部を除いて全てカルネ産品と言われれば、もはや空いた口が塞がらないレベルの驚きを感じさせられる。その上見た目も味も超一流なのだから……ザナックは王族の面子をかなぐり捨てて貪り食ったほどだ。

 

「ご満足いただき、なによりです」

 

 ゼブルは薄く笑った。

 それが合図だったのか、食後のコーヒーが運ばれてくる。

 コク深さと酸味が極上のハーモニーを生み出す素晴らしい味わいだが、レエブン侯の頭脳は良く味わう間も無くフル回転していた。

 

「して……ゼブル殿の意図をご教授願いたい。我々と会食する為……であるはずがないのです」

「俺の意図ですか?……簡単ですよ。我々魔導国は王国と仲良くしたい。今は不本意ながら敵対しておりますが……王国が魔導王陛下と配下である我々に居場所を与えるつもりがあるのならば、我々は王国に対して発展を提供しようと考えています」

「つまり……このトブの大森林周辺の王直轄地を明け渡せ、と」

「いいえ、エ・ランテルからトブの大森林……つまり帝国と王国の間に横たわる全ての土地を我が国の領土して認めよ、と申し上げております。我々としては王国と帝国にこれ以降の戦争を望みません。既に帝国と竜王国にはカッツェ平野の魔導国領有を内諾していただいております。その際に帝国と竜王国と竜王国南方のビーストマン国家には魔導王陛下を盟主とする同盟に参画していただきました。まあ、カルサナス都市国家連合のやっていることを緩やかにして拡大したようなものと考えていただければよろしいかと……それが現在の周辺情勢です……後程、魔導王陛下からお誘いがあるはずです。我々はランポッサⅢ世陛下にお二人から強く勧めることを期待しているのです」

 

 ここで嘘を吐くメリットがあるとは思えない以上、ゼブルが現れた理由は本交渉前に予備知識を与えることと、恫喝じみた念押しで間違いないだろう。だがレエブン侯にはそれ以上に気になるワードがあった。

 

「不倶戴天の敵である竜王国とビーストマン国家が同じ同盟機構に所属……ですか?」

「それこそが私が副王位に推挙された理由です。これまで敵対してきた2国間で貿易を開始し、大きな経済的発展が見込まれる……2国の間の緩衝地帯を手に入れた私はその全ての権益を所有している、ということです」

 

 レエブン侯の脳裏にシュグネウスの言葉が浮かんだ。

 

「貴方が南方侯でしたか」

「竜王国で侯爵位をいただいたのは事実です。まあ、名誉爵位みたいなものですが……使えるものは使います」

「その上で魔導国副王位に就かれたのですか?」

「必要なことだったので……面倒なのは嫌いなんですが、魔導王陛下に大きな恩義もありましたから」

「大きな構想をお持ちのようだ」

「いいえ……先程も申し上げたように、私は使えるものは使います。構想したものが使えるのであれば使いますし、邪魔であれば破棄します……私は残された時間は有限であると強く信じる者です。だから最短距離を進むのです。私が選択した進む道を何者にも邪魔はさせません。可能な限り布石を打ち、一切の障害を排除します……リ・エスティーゼ王国が私の邪魔にならぬことを強く願っています」

 

 ゼブルは魔導王の到来を待つよう言い残し、部屋を出た。

 去り際、張り付いていたゼブルの笑顔が一瞬だけ消えたような気がした。

 これこそが本音なのだろう。

 利益も与える。

 安全も与える。

 安心も与える。

 発展もさせる。

 ただし邪魔ならば排除する。

 緩やかな同盟関係を標榜しているが、魔導国のそれは明確な支配だ。

 問題はメリットが非常に多いことだ……ハッキリ言って最高位の者以外はメリットしか無い。だからこそ帝国と竜王国は受け入れたのだろう。要所の権益こそ握られるかもしれないが、経済発展と軍事費の縮小は確実。魔導国の提示する食料生産技術など喉から手が出る程欲しいはずだ。

 

 ……ランポッサⅢ世は受け入れるだろうか?

 

 深刻な疑問だった。

 ザナックは矜持と利益の2択ならば利益に転ぶかもしれない。だからこそ交渉相手に選出されたのだろう。レエブン侯自身も若い時ならばともかく、息子を得た現在では明確に将来の利に転ぶ。魔導国には王国内の有力な手駒として見込まれているに違いない。

 だがランポッサⅢ世の人柄を鑑みれば……良くも悪くも良き人であり、良き父親だった。人格は尊敬に値するが、決して良き国王ではない。思慮深いというよりも優柔不断。民よりも近親者。結果として太子を定めらず、宮廷内の混乱を招いている。古きを踏襲するのは良いが、有効な新政策を自身の手で発議すらしたことがない。

 

「王陛下は拒まれるかもしれませんな」

「……だろうな……俺も父上は拒まれる気がする。だがそれを説得する為に俺達は呼ばれたのだから、期待に応えぬわけにはいくまい。ゼブル殿は言い切ったのだ……あの口振りでは父上が邪魔と判断した場合、あの男は確実に排除に動くだろうな。現在の情勢であれば魔導国自体が直接動かなくとも帝国軍を使っても良いわけだ。父上排除後に空位となった王位はバルブロでなく俺に与えるつもりだろうが、その場合は完全に傀儡だろうな……兄上の失脚が確実な情勢で、俺は傀儡の王になど就きたくはない」

 

 既にザナックは魔導国に降る気なのだろう。

 もちろん形式上は帝国や竜王国と同じく独立したままでの話だ。

 その上で利用できるものは利用し、発展を遂げる。

 リ・エスティーゼ王国の中興の祖となりたいのかもしれない。

 この技術力を手に入れられるのならば、その気にもなるのだろう。

 

「では、方針は定まった、と」

「方針も何も、レエブン侯は俺を説得するつもりだったのだろう?」

 

 この極めて見栄えの良くない王子は全てをお見通しだったようだ。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテルの城門前に5台の高楼車が迫っていた。

 内、4台は通常通り弓箭兵が乗っている。

 残る中央の1台……それこそが問題だった。

 虜囚となった男爵以上の爵位持ちの貴族が首に欄干に繋いだ縄を掛けられたまま、真っ青な顔色で助けを求めて叫んでいる。

 そして欄干から1人……既に吊るされた貴族の恨めしそうな表情があった。

 

「開門せよ!」

 

 6時間以内の開門……それが帝国軍の要求だった。

 6時間毎に貴族が1人づつ吊るされる。

 吊るすことが目的でなく、貴族達の恐怖や絶望の表情を見せるのが目的なのはかなり余裕を持った時間設定からも明白だった。

 もはや帝国の勝利は確実……糧食の消耗さえ気にしなければ、帝国兵に損耗を出すのはバカバカしいという判断なのだろう。たしかに帝国軍に一切の消耗は無いが、戦後誹られるのは確実な策。

 指示したカーベイン将軍にしても不本意極まりない策だったが、本営の天幕にあるジルクニフが決定したとなれば、反論も許されなかった。

 鮮血帝……そう呼ばれるだけのことはあり、ジルクニフは味方を過剰に損耗させるぐらいならば、大して価値を感じない捕虜の貴族を殺す選択をした。後世の悪評など意に介さない。自国の貴族を簡単に殺す以上、敵国の貴族に見返りのない温情を与えるわけがなかった。

 

「無能な敵は有能な味方に次ぐ戦勝功労者ではあるが……残念ながら無能である以上、相応に遇するわけにもいかぬ。だからせいぜい有効利用して祖国に殉じさせてやれ」

 

 決定を下したジルクニフの言葉は異様に冷たく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

「卑怯です!」

 

 都市外を望む高楼の上でクライムは何もできない自分に歯噛みした。

 側を見る……縋る子犬のような眼差し。

 そこには転移の魔法すら行使可能な仮面の魔法詠唱者がいた。

 

「正に鮮血帝の異名に相応しい所業だな……冒険者である私達は絶対に関われないが小僧の気持ちは察するぞ」

 

 イビルアイの言葉はクライムの微かな期待を踏み潰した。

 義侠心で動いて良い状況でなく、冷徹な状況判断が必要なのだ。この状況で甘さを見せると全ての冒険者に迷惑が掛かる。冒険者の模範であるべきアダマンタイトは一切の手出しをすべきでない。

 

「まあ、こればっかりは冒険者じゃどうしても手助けしてやれねえ……鮮血帝の判断は残酷に見えるが、エ・ランテルの備蓄を考えりゃ、帝国軍に完全包囲されたまま兵糧攻めにされるよりは、エ・ランテルの民にとっちゃはるかに温情溢れるものかもしれねえぜ……好きにはなれねえが、よ」

 

 普段は何かと率先してクライムを手助けしてくれるガガーランもいつになく沈鬱な面持ちながら、イビルアイの言葉を補強した。

 しかし何を言われても、普段から貴族に良くされた記憶はなくとも、クライムは単純に目の前の光景が許せなかった。

 

「ですが!」

「今、リーダーが王と都市長に陳情に出向いている……それを待て……このまま抵抗を続けたところで、どの道王国の敗戦は決まっている。長引けば民が飢えるのも理解しているだろうが……王は決断できぬのだろうな」

「……冒険者の立場が許さないのですか?」

 

 イビルアイは頷いた。

 

「では、あの方を頼ってみます!」

「待て、無駄だ、小僧!」

 

 イビルアイの制止を聞かず、クライムは高楼から走り出した。

 頭の中にはつい先日出会った剣士……ブレイン・アングラウスの姿がある。

 その後も2回ほど言葉を交わし、一昨日は稽古までつけてもらった。その際の体感では敬愛するガセフ・ストロノーフ戦士長すら凌ぐ凄まじい剣の技量の持ち主だった。戦士長もブレインも本気ではなく、クライムとしては真の優劣の判断などできないが、剣を合わせた際に感じた単純な力量はブレインが上だった。残念ながら傭兵稼業からは卒業したとかで戦場に立ってもらうことは叶わなかったが、ある程度の友誼は結べた気がしていた。

 息を切らすことも忘れ、階段を駆け降りた先にイビルアイの姿があった。

 小柄な仮面の魔法詠唱者は両手を広げ、出口に立ち塞がっていた。

 背後からはガガーランの声が迫ってくる。

 クライムは立ち止まるしかなかった。

 

「落ち着け、小僧!」

「何故ですか!」

「たしかにブレイン・アングラウス程の技量があれば、単騎で帝国軍の守りを破って、囚われの貴族共の首の縄を切って回る程度であれば、やってやれないことはないだろう。だがあの男はお前の頼みなど引き受けない。お前はあの男を知らなさ過ぎる……そうでなくとも帝国に一矢報いた後、エ・ランテルはどうなるのだ。マジック・キャスター部隊に空から魔法爆撃されたら、囚われの貴族でなく、民衆が厄災に見舞われるのだ……お前はそれを許容する覚悟があるのか!……そうでないなら、妙な事は考えるな……とは言わんが、お前の心の中に留めておけ」

「くっ……」

「こうなっては援軍の当ての無い王国に勝利は無い……今考えるべきは民に被害を及ぼさないことだ」

「……頭では解っているんです……でも……」

「その気持ちは忘れるな……だが感情に流されたら負け……そういった状況も多々ある。そして今がその状況だ」

 

 背後からガガーランが近付いてくる。

 

「クライム!」

「大丈夫だ、脳筋……小僧も落ち着いた」

「ご心配をお掛けしました、ガガーラン様」

 

 深々と頭を下げるクライムは普段の堅苦しい調子に戻っていた。

 ガガーランもいつもと同じくニヤリと笑った。

 

「びっくりしたぜ。気持ちは俺達も一緒だけどよぉ……ところでイビルアイにクライム……今俺達にやれることをやらねえか?……ちょっとした思い付きなんだけどよ……冒険者にやれることで、クライムも上から許可を得たら同行できる上に、王国の役にも立つぜ」

「なんだ、それは?」

 

 イビルアイが訝しむようにガガーランを見上げる。

 仮面のままだがクライムにも理解できた。

 

「何をするつもりなのですか、ガガーラン様?」

 

 ガガーランが得意げに語り出す。

 

「あくまで形式上の問題なんだけどよぉ……今の王国にとってエ・ランテル外に在るまとまった戦力で期待できるのは叛乱鎮圧に向かったレエブン侯の軍だけだよなぁ?……で、クライムには伝令役としてレエブン侯の軍に向かう許可を得てもらう。クライムは軍の指揮系統から独立しているから、適任なのは間違いねえしよ……で、俺達はクライム個人から警護の依頼を受ける。たしかに政治的な依頼でもあるし、戦争とも関係するけどよぉ……そこまで厳密に規定に従うなら、モンスター討伐に国が報奨金を出すのもおかしいってことになんだろ?」

「脳筋……帝国兵と遭遇する可能性を忘れてるだろ?」

 

 もっとも指摘だったが、ガガーランは予測していたのか不敵な笑みを返した。

 

「だから同行するのは俺とイビルアイだな……ラキュースは立場も立場だから論外として、ティアとティナにもエ・ランテルで事態が動いた場合の連絡と情報収集で動いてもらう」

「それでは問題の解決にもならんではないか?」

「ここからだぜ……俺達も人を雇う……帝国兵と戦っても問題にならない凄腕がいるだろ?」

「まさか!?」

「俺達の仕掛けの答え合わせもできる。上手くすれば連中の情報も取れる。消息不明のゼブルの行方も判明するかもしれねえぜ……まあ、逆もあり得るけどよぉ……情報からはブレイン・アングラウスとエルヤー・ウズルスが暇を持て余しているのは間違いねえだろ……ジットの野郎は忙しく動き回っているみてえだけどよ。だからイビルアイには同行してもらう必要があるんだ。イビルアイ以外じゃ、連中と対立した時に太刀打ちできねえしな」

「……乗るとは思えんぞ」

「ダメ元で良いんだよ……クライムが冷静さを失うのは帝国軍の卑劣なやり口もあるけど、何もできない自分に忸怩たる思いがあるからだ。それは俺達も一緒だろ……冒険者の立場がなけりゃ、どんなに気に入らねえ貴族共でも助けてたよなぁ?」

「……まあな」

「だから、やるだけでもやってみようぜ」

 

 ガガーランは派手な音を立ててクライムの肩を叩いた。

 厳つい顔から想像もできない優しさに、クライムは深く頭を下げた。

 




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