死の王と蠅の王   作:マイクロブタ

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41話 視線の先

 

 メッセージを入れると即座に反応があった。

 丸メガネの最上位悪魔……デミウルゴスだ。

 

「これはゼブル様、どうされました?」

「えーっと、忙しいところ悪いんだけど、アベリオン丘陵の牧場の周辺情報を教えてくれないか?」

 

 メッセージの向こうでニヤリと笑う悪魔の姿が浮かぶ。

 

「至高の御方がシモベに対して忙しさなど気にされる必要はございません。ただ命じられればよいのです……ところで質問を返す無礼を許していただけるのであれば……」

「質問は全て許可する。率直に行こう」

「ありがたき幸せ……では率直に……聖王国案件の関連ですか、ゼブル様?」

「そうだ。以前デミウルゴス……魔皇ヤルダバオトはアベリオン丘陵の亜人達で軍勢を構成していたよな?……そいつらは現在どうしているんだ?」

「亜人ではございませんがダークドワーフのように一部の特殊な技能を持つ者は優先的にカルネで働かせております。アベリオン丘陵に戻した者の中でもごく一部はアベリオン丘陵の牧場の警備や労役に雇用を継続しているような状況でございます。残りは放逐しました……魔導国の方針として、使役する場合は雇用して月々の給金を支払うことを求められましたので、経費的に無駄としか思えないような者は配下から外し、その中でも魔導国の国民であることを選択した一部はそれぞれに役割を与え、既に魔導国内に移住させております」

「では、現状でアベリオン丘陵に残留している魔導国の国民は牧場関係者のみってわけか?」

「私の把握する限り、仰る通りでございます」

「聖王国に攻勢が仕掛けている亜人共に魔導国国民は紛れ込んでいないわけだ。少なくとも表面上は……」

「しかしながら、ゼブル様!」

「なんだ?」

「魔導国国民の配下は無数に存在しております」

「ん?……理解できるように言ってくれ」

「いつでも軍勢を再構築できるよう、亜人の中でも特に強い力を持つ者は強制的に魔導国の国民としましたので……影響力行使と経費削減を同時に成立させる為の方策です」

「なるほど……理解した。つまり国民登録されてる本人は戦場にいなくとも、そいつらの手下が攻め込んでいる可能性があるわけか?」

「そういうことでござます……むしろ軍として機能している以上、彼らが背後に潜んでいる可能性は大かと……以前、ヤルダバオトの軍勢とする際、軍組織、戦略、戦術について教育したことがございます。もしゼブル様の目的にお邪魔なようでしたら、即刻退かせますが?」

「いや、構わないさ……聖王国に楽をさせるつもりはない。もちろん亜人共にも楽などさせない……両方の勢力に確実に生き残ってもらうが、ある程度疲弊はしてもらった方が魔導国の影響力は増す。こちらとしては楽に影響力を行使可能になる。それに両勢力が魔導国に対して未来永劫の機嫌を伺いながら、平身低頭する状況を作るには、むしろ都合が良いかも、だ」

 

 デミウルゴスが僅かに沈黙した。

 

「……率直ついでに、この際ですからゼブル様にもう一つ質問してよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「以前アインズ様もゼブル様に近い方針を私に仰っられたことがあります。しかしながら何故いつも直接侵攻という方法を採られないのですか?……私などが愚考するに、経費的にも期間的にもはるかに安上がりかつ短期間で目的を達成可能な上に、確実に支配という成果を得られるように思われるのですが?……被支配民など生殺与奪権さえ握ればどうとでもなると思われるのですが……」

 

 どれだけ頭脳が優秀でもデミウルゴスの思考はどこまで行ってもナザリック基準だ……アインズさんに支配されるのであれば、どんな状況でもどんな経緯でも幸せだろう程度にしか想像が及ばないのだ。ナザリック最高の頭脳を持つデミウルゴスですらコレなのだ……他の有象無象は推して知るべし、としか言いようがない……はぁ……前途多難だな。

 

「それだと短期的には憎まれるだろ……しかも永遠に消えない反抗心も確実に芽生える。長期的には必ず造反もされる。それはアインズさんを頂点とする支配体制にとって、非常に拙い。どれだけ圧倒的な軍事力で恐怖支配の体制を構築しても造反可能なことが知れ渡れば、確実に次の造反者が生まれる。恐怖支配を続ければ国民の心情は造反者に寄り添ってしまう。現状の戦力ではナザリックが世界とやり合っても負けないかもしれない。だが単に戦闘で負けないだけで、国民を味方につけた造反者が生まれた時点で実質的に俺たちの負けなんだ。アインズさんには寿命がない。だから死なない。つまり代替わりしない永遠の支配者ってことだ。こうして魔導国を立ち上げ、世界に名乗りを上げた以上、少なくとも支配の象徴で在り続ける必要がある。国民なんぞに阿る必要はないが、憎まれる可能性は可能な限り潰しておいた方が後々楽なんだよ、絶対に……他国には魔導国に殴られたら死ぬ程痛いことは理解させる必要があるけど、同時に魔導国に尽くせば周囲に羨まれるぐらいに良い思いができることも理解させる必要がある。どうせ良い思いもさせるなら直接統治なんて経費も手間も掛かることは各国の王にやってもらえば良い。民族自決させれば満足度も上がる。そして俺達が掌握する人数は少なければ少ない程楽なんだよ。その上で美味しいところだけは魔導国が抑える。魔導国が儲かれば、周辺国の王は魔導国に揉み手で擦り寄る。周辺国の王の悪政が一定レベルを超えたら、俺達が王をすげ替える役目を負えば良い。他の国の綱紀粛正は勝手になされるし、対象国の国民からは感謝される。次代の王も善政に腐心するはずだ」

「素晴らしいお考えです!……正直、震えました。アインズ様の未来の為の深謀遠慮……さすがはゼブル様!……私などの愚考とは比較にもなりません!」

 

 ……愚考、愚考言うけど、デミウルゴス、俺よりも確実に優秀だから……単純に人間って存在を見下しているのが欠点なだけで……まっ、ナザリック全般、ほとんどのNPCがそうだけど。

 

「いや、単なる視点の違いだから……最も効率的に支配体制を確立するだけなら、単純に敵性国家や種族は攻め滅ぼした方がはるかに楽だし、後顧の憂も無くなるけど、その代償として周囲は常に敵だらけだ。仮に武力による世界征服を果たしても被支配者は潜在的な敵だらけ……たしかに決着そのものは早いだろうな。でもそれで作り上げた支配体制には最終的にナザリックと潜在的な敵の2種類しか存在しなくなる。本当に楽しいか、それ?……少なくとも俺もアインズさんもそんな状況は望んでいないぞ」

「つまりナザリックによる世界支配を確立する段階では、少なからず私の考えも認めていただける、と……」

「まっ、そうだな……視線が世界征服までとその後に向いているかの違いでしかないと思うよ。優秀なデミウルゴスが支配体制確立後に視点を移して、俺以上の外交上の大戦略を考え付くなら、それに乗っても構わないけど……」

「おおっ!……ナザリックの叡智の結晶であられるアインズ様が全幅の信頼を寄せるゼブル様からの課題……このデミウルゴス、しかと受け止めました。必ずやゼブル様を唸らせる大戦略を立案してみせます!」

 

 メッセージが切れた。

 

 いや、そーじゃねーし……まっ、いっか……考えるだけ無駄だ。

 

 

 

 

 

 

 

「……誰?」

 

 大砦と呼ばれる城塞に到着し、与えられた控室に入室すると目の前に目付きが悪いというか、異様に鋭い少女が立っていた。目付き以外の態度は非常に畏まっているように感じるが、とにかく目付きがヤバい。

 

「おっ、嬢ちゃんはパベル・バラハ兵士長の娘だろ……一目で判ったぜ」

 

 背後から対照的に目だけが可愛いオルランドが声を掛けるも、少女は異様に鋭い目付きをさらに鋭くさせた。女性には失礼な表現だが、ハッキリ言って脳内イメージの殺し屋そのものだ。

 

「……カストディオ団長より連絡役の任を拝命しました、ネイア・バラハと申します。聖騎士団の従者です。よろしくお願いします」

 

 ネイア・バラハは目付き以外の見た目に違わず、まだ年若い少女だった。聖騎士団の従者ってシステムがよく解らないが、見習いや訓練生みたいなものなんだろうと勝手に脳内落着させた。パッと見て確実に10レベル以下……つまり俺達はこの子を守りながら戦わなきゃならなくなったわけだ。

 

「俺はアインズ・ウール・ゴウン魔導国副王のゼブルだ。そっちの女戦士がティーヌという。で、背後の2人のオカッパ頭がジット……残りオルランドはお父さんと知り合いらしいぞ」

「俺は残りですかい、旦那?」

「いや、だって、オルランドさんって目以外にほとんど特徴が無いっちゃ無いでしょ?……あっ、筋肉ダルマでも良いのか?」

「筋肉ダルマって……それに旦那が俺なんぞにさん付けすんなって……いい加減に呼び捨てにしてくれよ」

「それは俺の主義だから、オルランドさんが慣れてくれよ。だから君もネイアさんで良いかな?」

 

 ほとんどそれだけで対象を射殺せるような視線が俺に向けられ、口元だけがニッコリと笑った……マジで解り難いぞ、その表情!

 

「……もし可能であれば、バラハだと父と同じ戦場では判別し難いのでネイアでお願いします。他国の副王様にさん付けで呼ばれるのはちょっと……仮に団長に見咎められたら、どうなることか……」

「そうだぜ、旦那……ついでに俺も元の所属に近いんだからよぉ……俺が明確に旦那の下位者と知らしめる為にも呼び捨てにしてくれよ」

 

 可愛い目のおっさんと殺し屋の目の少女に同時に見つめられ、俺は折れる以外の選択肢を失った。

 

「……了解したよ……じゃ、ネイアにオルランドな……仕方ない」

 

 お辞儀をして上目遣いになったネイアから殺意を感じる。

 対してオルランド目だけが可笑しい。

 

「んで、団長さんは何だって?」

「特に何も……団長というか、聖騎士団は現在交戦中ですので……連絡役として割ける人員は私だけでした。本当に申し訳ありません」

「なるほど……オルランドはどう思う?」

「まっ、嬢ちゃんにゃ悪いが、聖騎士団に他の従者がいないわけじゃねえでしょうから、単純に厄介払いぐらいのつもりでしょうよ……同じ戦場に自身と同じ九色のお父上がいるんじゃ、色々とやり難いぐらいの考えでしょう。その上、他国の王族の連絡役なら役目的にも決して不名誉な扱いじゃねえって考える奴も多いと思いますぜ……まっ、悪意は無いが善意も無い。いや、俺達に勝手に動き回られるのもやり難いから、足枷になりゃ良いかなぐらいは考えているかもしれねえですぜ」

 

 さすが本当に厄介払いされた奴の言うことはスッと腑に落ちた。

 見ればネイアがギュッと両の拳を握り締めている……なるほど、本人も密かに忸怩たる思いは抱えているわけだ。それなりに事情も理解していた、と。

 

「連中の思惑通りってーのも癪だなぁ……んじゃ、ネイアも立派な戦力としよう……ティーヌさん!」

「はい、はーい……ネイアちゃんを立派な戦士に育てれば良いんですか?」

 

 命じる前にティーヌは俺の意図を見抜いていた。

 おそらく何故そうなのかも理解しているだろう。

 

「まっ、口だけ小賢しくて、人ひとりまともに殺ったことのないモッちゃんの時よりは数段楽ですから……で、聖騎士ネイアちゃんの得意の得物は剣で良いのかな?」

「お父さんによれば私は剣の才能はあまり無いようです。それよりも弓が得意です。感覚的に気配を読んだりするのも得意です」

 

 ネイアの説明にティーヌが意外そうな顔を見せた。

 俺だってそうだ。聖騎士で想像するのは剣か、もしくは長得物でも槍や斧槍や馬上槍みたいなもんだ。で、申告によれば弓使いというか、本人の適性は明らかにレンジャーみたいな職業じゃないのか?

 

「弓の名手のお父上のお墨付きなら、嬢ちゃんには間違いなく弓の適性があるでしょうなぁ……親バカな一面は否めねえけど、そういったことで嘘を吐くような人じゃねえ」

 

 父親を知るオルランドも同意するなら、ほぼ間違いないってことか?

 だったら……アイテムボックスに手を突っ込み、中からズルリと漆黒の本体と弦に持ち手だけが暗紅色に蠢く神器級の弓『堕天弓』を取り出すと、それをネイアに差し出した。

 

「こっ……これは?」

 

 ネイアの視線がこれまでになく鋭くなり、解っていてもプレイヤーの俺ですらビックリするレベルの殺意のようなものを感じさせる。

 

「こいつは『堕天弓』と言う名の弓だ。ちなみに矢は無い。引けば闇と炎と雷の属性ダメージの塊がランダムで合成されて、矢の代わりに放たれるって代物だ。マジックアイテムとしての装備規制も特に無い。まっ、亜人程度が相手なら防御不能の貫通弾とでも思っていれば間違いない……弓そのものに付与された結構怖い技もあるけど、今回は必要ない」

「これを……私などが……」

「正真正銘の神器級なんで、俺の配下じゃないネイアにはやれないが、俺達と行動を共にする間だけ貸与する。こいつを使って、とにかく敵にトドメを刺すんだ。そうすれば君は必ず強くなる。強くなれば従者を卒業できるだろ?……この短期間で成長して、ネイアを厄介払いした団長さんを見返してやるんだ」

 

 ネイアは恐る恐る『堕天弓』を手に取り、その感触を確かめた。

 

「……凄い」

「早いところ従者を卒業して、お父さんを喜ばせてやれ」

「はっ、はい!」

 

 感動に浸っているネイアを差し置いて、オルランドが俺の前に進み出た。

 

「ちなみに俺は嬢ちゃんと違って、旦那に生涯忠誠を誓う配下ですぜ。あんな凄いヤツと言わねえから、何かください」

「無い」

 

 オルランドが大袈裟にずっこけた……お笑い芸人か、こいつ。

 

「何、冗談言ってんですか、旦那……何かあるでしょ!」

「いや、無い……だってお前って本領発揮するには武器壊すようだろ?……俺の手持ちは壊して良いような物は何一つ無いっつーの……低位の武具だって魔導王陛下から贈答品としての使用許可しか得ていない。まぁ、魔導国に戻ったら、魔導王陛下に頼んで何か適当なもんを見繕ってやるから、それまで我慢して、自前の武器で研鑽しろよ」

 

 オルランドは散々ごねたが、やはり現時点でやれるものはなかった。そうでなくとも耐性強化のアクセサリー類はいくつか下賜しているんだから、我慢しなさいって、いい大人なんだから……

 

「さて、とりあえず一戦……亜人共のお手並み拝見といきますか!」

 

 俺の宣言に従い、3人は俺について控室から出て行こうとするが、ネイアはキョロキョロと殺意のオーラを振り撒くように、自身の行動を決めかねているようだった。

 

「ネイアも戦力になるんだ……一緒に来い」

「はっ、はい!」

 

 たぶん微笑んでいる。

 きっと微笑んでいるんだ……メッチャ怖いけど……

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 聖王国聖騎士団の戦術はほぼ一択だ。

 団長の号令に従い、騎兵の圧倒的な突破力と打撃力を活かした突撃である。

 突撃のタイミングは団長レメディオス・カストディオが決する。乱戦に持ち込まれると不覚をとることもあるが、彼女の攻勢に出るタイミングを見計らう目はピカイチで、騎兵隊指揮官としては確実に天賦の才を授かっていた。

 しかし「聖騎士としての勘」と言えば聞こえは良いが、理屈が無いのが困りもので、2人の副団長は常にレメディオスに振り回されている。

 

 ゴブリンとオーガの連合部隊とアーマットの部隊を続け様に突破撃破し、勢いに乗る聖騎士団はスネークマンの部隊に狙いを付けていた。これまでの相手よりも鋭敏な感覚器官を持つ為、単純にタイミングを測って突撃といかないのがネックだが、団長に対する信頼は揺らぐことはない。

 

 聖騎士団の担当する戦場では全体的に戦局は優勢……これまでのところ順調そのものだ。

 しかし副団長イサンドロは妙な胸騒ぎというか嫌な予感のようなものを感じていた。順調過ぎるのだ。

 たしかに亜人達は完全に統制されている。初戦で不覚をとったのも、それまでの亜人達の行動とあまりに違い過ぎたせいだ。それまでの亜人は同種族同士でも部族ごとに対立するのが常であり、城壁には散発的に攻勢をかけてくるのがせいぜいで、まとまった作戦行動など見た記憶が無い。現状の亜人達は同種族どころか異種族間で連携している。しかもかなり綿密に計算された連携であり、聖騎士団こそレメディオスの「聖騎士としての勘」のお陰でかなりの戦果を上げているが、城壁から迎撃する部隊は別にして、打って出て直接打撃を加えようという部隊はかなりの痛手を被っている。

 巧妙過ぎるのだ。

 そして巧妙過ぎるのに指揮官が見当たらない。

 ゴブリンにもオーガにもアーマットの部隊にも指揮官らしき亜人は存在していなかった。どこかで軍事訓練を受けたかのように亜人達は個々に適切な行動をしているようにしか感じられない。

 それに戦力として傑出した亜人も見当たらない。

 アベリオン丘陵の亜人の中でも特に有名な亜人が、今回の侵攻が始まってからの2ヶ月間で報告に上がった全ての戦場で目撃されていないのだ。聖王国が挙国体制で応戦している規模の大侵攻であることを考慮すれば、どう考えても異常と言わざる得ない。推定ではあるが、亜人連合軍の規模は軽く10万を超えている。聖騎士団がどれだけ撃破しても後から後から湯水のように湧いてくる。まるで押し寄せる波のようにキリがない。しかもこれまでの城壁に頼った戦術に対応した戦術を適切に駆使して攻略してくるのだから、聖騎士団としては打って出るしかないのだ。

 ゴブリンやオーガやオークといった数の多い亜人が前面に大楯を展開して矢による遠距離攻撃を防ぎつつ、マーギロスを中心とした魔法攻撃部隊が城壁上を魔法で蹂躙する。下手に退避すれば即座に城壁間際まで侵攻される。高所の優位性を崩されればバフォルクのような城壁を苦にしない亜人が侵入を試み、その際にプテローポスのように飛行可能な亜人が援護までする。

 亜人達の城壁攻略戦術を恐れた聖王国側は城壁から打って出ざる得ない状況に追い込まれているのが現状だった。

 かと言って野戦に持ち込まれると基本的に力に優れる亜人優位は動かない。城壁上の弓箭兵による援護こそあれ、亜人連合軍の魔法や投石による遠距離攻撃で相当な痛手を被る。野戦で勝利を得たと思っても、勢いに乗ったままより敵の懐深く引き込まれ、結果として鏖殺された部隊も多い。

 聖騎士団こそ亜人部隊を凌駕する打撃力と団長の「聖騎士としての勘」で順調に勝利を積み重ねているが、他の部隊は少なからず痛手を負っていた。

 それだけにイサンドロは不安になるのだ。

 我々は敵に誘導されているのではないか?

 撃破撃破の快進撃を続けた先には温存されていた強力な亜人が待ち構えているのではないか? 

 

 出撃直前にこの戦区を統括する将軍から告げられた件もイサンドロの心労をさらに加速させていた。そのハイレベル過ぎる政治案件を団長は即座にその場にいた副団長であるイサンドロに丸投げしたのだ。頭痛がすると言い残して……

 これまでのレメディオスから丸投げするもの理解できてしまう。むしろ丸投げしてくれないと適切な対応ができないと言っても過言ではない。

 しかし丸投げしてもらった方がまだマシとはいえ、あまりと言えばあまりな案件であり、イサンドロもグスターボも対応に苦慮せざる得なかった。

 

「まさかとは思うが……」

 

 妙な不安に駆られてイサンドロは振り返り、城壁を見た。

 大砦からの出入口に当たる巨大で堅牢な門は固く閉ざされていた。

 

 この度の亜人大侵攻に対しての戦費や物資不足の援助を請け負ったという魔導国の副王がたった3人の手勢を連れて、援軍として駆け付けると言う。

 

 レメディオスと共に司令所に呼び出され、将軍からそう通達された時は大量の物資を持ってきた魔導国の副王に士気高揚の演説でも聞かせるのかと思い、「援助は有難いが勘弁してくれ」と思ったものだ。

 だが予想に反して将軍はいたく真面目な表情で「援軍だ」と強調した。

 しかも指揮下には入らない、と言う。

 さらにオルランド・カンパーノが魔導国に寝返った上に、その4人だけの援軍の中にいると言う。

 通達した将軍も、通達されたレメディオスもイサンドロも微妙な顔付きで沈黙してしまった。

 

 ……どうして、こうなった……

 

 レメディオスに限らず頭痛がするような内容だ。

 言いたいことは山程あるがオルランド・カンパーノについては、この際どうでもよかった。元々こちらの指示に従うことなど望めない男だ。その上戦場から追い出したのは聖騎士団だ。独立愚連隊が腕の立つ不良戦士になっただけのことである。彼の元部下以外に大して影響はない。

 もっと大きな問題が山積している。

 

「……閣下!」

 

 イサンドロの疑問は即座に将軍によって封じられた。

 

「聖王女カルカ・ベサーレス陛下直々の通達だ。我々軍部には異論も反論も許されない。そちらで上手く取り計らってくれ……私はこれから戦区全体の戦況報告を聞かねばならんのだ。頼んだぞ」

 

 将軍は退室するように促し、聖騎士団に全部丸投げした。

 レメディオスと親しい聖王女カルカ絡みの案件であるが故に「聖騎士団で責任をとってくれ」と言うことなのだろう。

 レメディオスは敬礼し、司令所から退出した瞬間にイサンドロに丸投げを決め込んだ。出撃間際に頭痛がするようなことを、と呟いて。

 だが出撃間際はイサンドロも同様だ。

 脳をフル回転させるも、そもそも状況が飲み込めない。

 

 魔導国の副王自ら戦場に立つなんてことが、はたしてあり得るのか……?

 

 無い、とは言い切れない。

 指揮下の外側で負傷されても困りものなのに、もし死なれでもしたら……責任の所在は問われるだろう。現時点で魔導国と聖王国の力関係は明白だ。それを恐れて、こんな無茶を捻じ込んだ聖王女に対する腹いせで将軍は即座に聖王女と親しいレメディオスに丸投げしたのだ。そしてレメディオスは背景について考えを巡らすこともなく、通常運転でその場にいた副団長であるイサンドロに丸投げしたわけだ。オルランド・カンパーノの時と違い、今回はイサンドロが貧乏くじを引き当てたわけだ。

 だが打つ手は時間的に限られている。

 イサンドロはさらに思考を加速させた。

 まず勝手に動かれては困る……だが勝手に動くだろう。

 腕に自信があるのは良いが、王侯が少数で戦地に立つなど狂気の沙汰だ。

 であれば、足枷が必要だ。

 名目は……聞こえが良いのは連絡役だ。

 これまでの経緯を考慮すれば、警護は嫌うだろうし、最悪睨まれる。

 自由に動けなくする為の足枷である以上、情に訴える方が良い。

 単純に子供……あるいは婦女子……その両方を満たす適任者……がいた。

 ちょっと……いや、かなり目付きに問題はあるが必要条件は満たす。

 戦力としても、こちらの痛手は無いに等しい。

 魔導国副王の連絡役だ……名誉的には問題なく、バカ親である彼女の父君にも上手く説明が可能……

 問題と言えば、真の役目を本人に言い含める時間が無いことだが……戦場に到着早々にたった4人の戦力で打って出る可能性は極めて低い……

 低いはずだ。

 低くあって欲しい!

 

「全隊に通達!……右に迂回しながら出るぞ!……スネークマン共を横面を叩く!……一気に駆け抜けて、一撃加えることだけを考えろ!……とにかく絶対に止まるな!」

 

 レメディオスの指示が下った。

 騎馬の腹を蹴りながら、イサンドロは最後に門を振り返った。

 僅かに門が開いている。

 だが観察している暇など無い。

 

 ……どうか違ってくれ!

 

 神に精一杯祈るも、結果を見届ける時間は残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 晴れ、時々矢の雨霰……人間亜人問わず絶叫と怒号が交差していた。

 城壁前の人為的に見通しを良くされた平地に出た瞬間、はるか頭上を斉射された矢が通り抜ける。亜人達の構える大楯がハリネズミと化し、同時にいくつかの絶叫が響く。それを切り裂くように鬨の声が上がり、人間による突撃が数ヵ所同時に敢行されていた。

 さらに怒号が響き、後方にいた亜人達の部隊が反撃を開始する。

 

「どうだ?」

「問題になるようなのはいないですね……片っ端からネイアちゃんに狩らせましょう」

 

 俺の問いにティーヌが答える。

 

「んじゃ、最初にレベルアップさせよう。ティーヌさんはそこそこ強そうなのを何体か見繕って持ってきてくれ……そいつらを無力化したらネイアがトドメを刺す感じで」

「りょーかーい!」

 

 ティーヌの姿が消えた。

 ケラルト戦と違い、今回は俺でも目で追えない。

 

 もう『人化』したままじゃ、ティーヌには敵わないね、こりゃ……

 

 思う間も無く、黒い影がぶっ飛んできた。

 

 なんだ?

 

 避ける間もないので、3人の前に立つ。

 俺に当たっても60レベル以下の攻撃ならば問題ないが、はたして60レベル以下の攻撃と判定されるのか?

 大きな心配と少しの期待を通り抜け、黒い影は正確に目の前に落下した。

 

 あちこち駄目な方向に関節が曲り、グロく変形した山羊人間が断末魔のような悲鳴を上げている。

 

 さらに影がぶっ飛んでくる……おいっ、もう少し間隔空けてくれ!

 

 慌てて山羊人間を掴み、退避させる。 

 今度は蛇人間が……続いて翼人間が……と合計10体、次々に退避させる。

 同じ場所に落下し、同じように全身グチャグチャの状態ながらも、なんとか死なずにいた。

 瀕死の亜人達をドン引きのオルランドと無表情のジットと一緒に一列に並べ替えている間にティーヌが戻ってきた。

 

「んじゃ、ネイアちゃん、こいつらを射殺してみよう!」

 

 ティーヌは凍りつく場の空気をまるっと無視して、呆然と立ち尽くすネイアに『堕天弓』を使うように促す。

 笑う真性の殺人鬼に殺し屋の視線が向くも、身体はガチガチだ。

 直前まで、腕は立つかもしれないがよく喋りよく笑う女戦士程度だった認識がとんでもないバケモノに変わったのだから無理もない。ティーヌのバケモノっぷりを良く知っているはずのオルランドすらドン引きしているのだ。

 

「大丈夫!……大丈夫だから、サクッと殺ってみよ!」

 

 ニコニコ笑うバケモノにスナイパーが挑んでいるような見た目だが、ネイアは圧力に負ける形でおずおずと「堕天弓』を構えた。

 

 引き絞ると闇の中心で燃え上がる赤とバチバチと爆ぜる雷光のエフェクトがネイアの手元に生み出された。

 驚いたネイアが弓手を外すと必中効果でエネルギー弾が山羊人間を爆散させたが、そのまま減衰せずに次々と亜人を貫く。4体目まで爆散し、10体目の亜人まで胴体に大穴を空けている。エネルギー弾はそのまま直進し、はるか遠くの地面を抉った。

 

「ひぃっ!」

 

 矢というよりもビーム攻撃……いっそう殺意を増した視線はともかくネイアの身体はガクガクと震えていた。

 俺自身で集めた最高位のデータクリスタルを限界まで詰め込んだ神器級の出来に思わずうっとり眺めてしまった。ゲームから現実に飛び出してもゲーム時代と遜色ない攻撃力な気がする。まっ、正確なところはわからないけど。

 

「んじゃ、次行ってみよー!」

 

 やめられない止まらない……そんなこんなで10セット、合計100体の亜人をネイアは撃ち殺した。

 

 成果を確認するようにティーヌがネイアを覗き込む。

 

「んー、ネイアちゃん、強くなったかな?」

「少し強くなった気がします」

 

 あまり強化された自覚がないのか、ネイアはキョトンとしながら答えた。

 俺の感覚ではざっくり10レベル後半ぐらいには差し掛かっているように見える。少しどころか現地産人間としてはかなりの成長だ。父親の眼力も間違いないようで、彼女の適性は弓だ。その上で自分よりも高レベルの亜人を一気に100体も殺したのだから当然と言えば当然の結果だ。

 冒険者ならば白金級からミスリル級の間くらいになった気がする。

 もう聖騎士っていうよりは完全にアーチャーの方が正しいんじゃないかな……?

 本人の希望は別にして、適性に素直な成長だ。膂力やスピードも成長しているだろうから、剣でもそれなりにやれるだろうけど、どうせならばレンジャー系統に育てたい。後でアインズさんから伝説級ぐらいの弓でも与えてもらおうかと考えてしまう。後は騎士剣よりも短剣二刀流ぐらいが格好良い気がする。

 

 粉微塵と化した亜人の死骸にネイアが鋭い視線を向ける。

 

「これ、みんな私が倒したんですよね?」

「そうだ……こいつらを殺してネイアは確実に強くなったはずだ。こいつらは聖王国の敵だが、敵の犠牲を無駄にしない為にも、ネイアはもっと強くなって聖王国に貢献しなければならない……まだ行けるかな?」

「はい!」

「ならば少しやり方を変えるぞ……まだ味方と当たっていない後方に待機している亜人部隊を強襲する。戦端を開くのはネイアの弓だ」

「はい!」

 

 鋭い眼差しが本来の役割を心得たかのようにスナイパーの輝きを見せた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 身を隠す岩山もなく、背の高い樹木も少ない。

 だが大地に道はなく、行けども行けども果てしない稜線が見えるだけ。

 精鋭部隊といえども疲労が蓄積し、同時に緊張が疲労を加速させる。

 大した戦果もない。

 何故ならどこまで進んでも敵が見当たらないのだ。

 だから進む。

 だから疲労が嵩む。

 

 フィリップははるか西方で聖王国と亜人の大戦が始まっていることなど知らなかった。そしてほんの僅かな本来敵となる亜人達を数キロメートル先で葬り続けている者達がいることも……

 

 今日、日没を迎えるまで進んだら野営して明日の朝には戻り始める……そう決意し続けて7日目も経過しようとしていた。そして朝を迎えると必ず決意が鈍るのだ。

 もう少し進んだら亜人を見掛けるのではないか?

 ボウロロープ伯に誇れる参加を得られるのはないか?

 そんな考えを捨てられずに歩き続けて8日目……とうとう明日の朝には進路を王国へと向けなければならなくなっていた。他の物資は山程残っているが、とうとう水と食料が半分近くになろうとしていた。少し余裕ある状態を維持しなければ、無事に帰国することはできないだろう。

 無理を押し通し、大言を吐き、コネを総動員した今回の遠征が巨大な浪費になってしまう。焦燥感はあるが、これまでの兵士育成の苦労を顧みればタイムアウト……どうしても引き返さねばならない。

 

 溜息を隠し、はるか前方を眺める。

 

 大きめの岩が点在するだけの荒野だ……亜人の気配すら感じない。

 

 こんな様では練兵場の建設など夢のまた夢だな……なにしろ、どこまで行っても討伐対象になる生きた亜人がいない。亜人の死骸なら結構な数があったのだが……ゴブリンすら見掛けない。

 

 もう一度、溜息が漏れるのを隠した。

 そして顔を上げ、再び前方を見た時、その微妙な異変を察知した。

 

 ……影?

 

 直上の空を見上げた。

 豆粒程の大きさだったそれが一気に加速して舞い降りてくるまで、フィリップは呆然と立ち尽くしていた。

 

 人間……ではないな。

 

 巨大な蝙蝠のような翼が消え失せ、南方由来のスーツを着た男には爬虫類を思わせる尻尾が生えていた。丸メガネの向こうの目に当たる部分には子供の拳大の金剛石のような宝石に見える。

 

 ……亜人?……にしては文明レベルが高いように思える。大陸中央の6大国の亜人だろうか?

 

「……貴様は誰だ?」

 

 男の口角が上がり、牙のような犬歯が顔を覗かせた。

 兵達が一斉に抜剣しようとするのをフィリップは抑えた。この人数で襲い掛かっても勝てない……男を見た瞬間に悟らされたのだ。

 

「これはこれは……お初にお目にかかります……私はヤルダバオトと申します」

「私はフィリップ・ディドン・リイル・モチャラス子爵だ。リ・エスティーゼ王国の王都防衛の責任者を任されている」

「おおっ……貴方が!……このような辺鄙な場所ですがお会いできて光栄です。以後、お見知り置きを……」

 

 まるでフィリップを知っているかのような物言いをするヤルダバオトが貴族の礼儀に則った礼をした。

 

「しかし困りました」

 

 ヤルダバオトが芝居掛かった仕草で大きな溜息を吐く。

 

「……貴方のことは放置するよう、さる御方から申しつかっているのですが、これから先は私のテリトリーになるのですよ……大変申し訳ないのですが、ここで踵を返していただくわけにはまいりませんか?」

 

 戦って勝てるような相手ではない……だが……

 

「迷っておられるようなので、ご判断の助けになれば……お聞きください。ちなみに放置されるように命じられているのは貴方だけです。他の方々はこれ以上進まれるのならば、排除いたします」

 

 ヤルダバオトは見下すように丸メガネのフレームを指先で押し上げた。

 もはや迷うこともない……フィリップは頷いた。

 

「……了解した。私達は戻ろう。帰りの道中に背後から襲われるようなことはあるまいな?」

「ご心配なく……お約束しましょう」

「では、先行している者が5人いる……彼等の戻りを待たせてもらう。それぐらいは許可してもらえるな?」

 

 ヤルダバオトは小首を傾げ、ニヤリと笑った。

 

「その者達が戻ることはございませんから、どうぞこのままお帰り下さい」

 

 猛烈な不安が脳裏を過ぎる。

 既に想像では……だが問わずにいられなかった。

 

「どういうことだ?」

「そのままの意味でございます……どうぞお帰りを」

 

 とうとう我慢の限界を超えた兵士達が爆発した。

 抜剣の音が響く。

 

「待て!……手を出すな!」

 

 フィリップの制止も効かず、1人の兵士がヤルダバオトに躍り掛かる。

 次の瞬間、その兵士の頭部が落ち、大量の血液が間欠泉のように噴出した。

 断切したのは黒い爪……知らぬ間にヤルダバオトの指先から伸びていた不自然に長い爪は全てが鋭利な刃物であった。

 

「これは失礼……私としては穏便に済ませたいのですが、さすがに剣を向けられて無抵抗というわけにまいりません」

「分かった!……分かったから、部下に手を出すな!」

「それは貴方達の出方次第でございます」

 

 ヤルダバオトが両腕を振るとさらに四つの首が落ちた。頭部を失った胴体がドサリと音を立てて次々と崩れ落ちる。

 

 フィリップの怒号が響き渡り、なんとか恐慌状態の兵士達を制止しようとするも、狂乱状態に陥った兵達は次々とヤルダバオトに飛び掛かった。数の力で押し切ろうというつもりだろうが、これまでの強行軍による精神的疲労と目の前に顕現した死の恐怖から、パニックがパニックを呼ぶ連鎖を起こし、もはやフィリップが両腕を抱え込んで制止している1人と呆然と立ち尽くす魔法詠唱者達を除いて、次々と死の特攻を敢行していた。

 

「やめてくれ!……やめて下さい!」

 

 フィリップの慟哭が響く。

 だが剣を抜いた兵士達はフィリップが抑えつける1人を除き、全員が綺麗に頭部を胴体から分離させ、血溜まりの中に沈んだ。

 

「……何故だ!……私を放置するのではないのか!」

「その通り、貴方の放置は厳命されております。ですがさる御方がお望みなのは放置……まして他の有象無象については関心を持たれておりません。貴方については好きさせろと申され、他は好きにしろと申されました。貴方達以外にも私のテリトリーに侵入した者達はおりましたが、彼等はさる御方の真の配下であるが故にご意見を聞くまでもなく放置しております。ですが貴方はただの観察対象……貴方さえ生き残ればそれで良いのです。いえ、正確には貴方が自滅する分にはさる御方もそれはそれで良いとのこと……つまり私と私の配下が貴方に手を下さねば一切の問題は生じません」

「誰だ!……さる御方とは!」

「貴方ごとき下等で愚かな人間が知る必要はありません」

 

 血涙を流す……生まれて初めて、その感覚を知った。

 自領と家族の惨劇を聞いた時すら、ここまでの憎悪は感じなかった。

 なのに手も足も出ない。

 相手が手を出さないとの確信故に、滂沱の涙の奥から睨んではいるが、どうしても剣は抜けないし、足も前に出ない。もし前提が崩れれば視線を向けることすらできないだろう。

 バケモノ女と対峙した時よりも恐ろしかった。容赦無いのは一緒だが、目的はフィリップを鍛える為であり、今考えれば何をされるのも理由はあった。

 だが目の前のバケモノは違う。単に命じられただけでフィリップに1ミリも価値など感じていない。「処分せよ」と命じられれば即座に殺される。害虫どころか、たまたま目に入った羽虫を潰すような行為に近い。現実にフィリップ達が殺される理由などその程度だ……知らぬ内にヤルダバオトのテリトリーに侵入しようとしただけであり、その中で害を及ぼしたわけではない。

 

「……全員、帰るぞ……」

 

 渦巻く感情を全て飲み込み、フィリップは撤退命令を出した。

 魔法詠唱者達が我先にと逃げようとするも、恐ろしくて背後を見せられないのか後退ることしかできない。

 フィリップは抱えた兵が特攻を止めると確信できるまで、その場でヤルダバオトを睨み続けた。

 

 ヤルダバオトはその場でフィリップ達が立ち去るのを待ち続けている。

 

 目の前で死んだ34人と何処かで葬られた5人……彼等の無念を胸に刻み込み、フィリップ達は一歩づつ背後歩きで後退した。

 突如として空から現れたバケモノには無意味だが、どうしてもそれ以外の方法で後退ができなかった。そのまま20分ぐらいは進んだように思えたが、もっと長かったかもしれないし、短かったかもしれない。誰かが振り返って、全力で走り始めた。その瞬間から全員が抑えが効かなくなった。

 ひたすら走り続ける。

 疲れも休憩も水分補給も忘れ、何かに突き動かされるようにただ走った。

 走って、走って、走り続け、気付けば夕闇が周囲を覆い尽くそうとしていた。

 誰ともなく立ち止まり、全員がその場で肩を大きく上下させている。

 奇跡的に誰も欠けていない。

 それだけを確認するとフィリップはカラカラに乾き、埃まみれの口にと水だけを含み、盛大に吐き出す。そのまま倒れるように地面に寝転がった。

 命令でもされたかのように生き残り全員ほぼ同じ行動をした。倒れ込んだのが前向きか後向きかの差しかない。

 誰も野営の準備には取り掛かれなかった。凄まじい疲労と脳全体に広がる安堵がそれをさせてくれなかった。そんな中でフィリップだけは密かに決意を固めていた。

 

 ……殺してやる……絶対に殺してやる!……全員、必ず殺してやる!

 

 半分以上夜の帳が下りた空が果てしなく広がっている。

 

 ……皇帝ジルクニフも……ヤルダバオトも……さる御方とやらも……

 

 泣き腫らし、汗と埃でまだらに汚れた顔を手で拭い、フィリップは再び立ち上がると惨憺たる有様の部下達を見て、指示を出すのを諦め、黙々と1人で野営の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 全ての報告書をまとめ、組合に提出し、相場以上に高額な報酬をその場で貰い受け、そのまま移籍の話を切り出すと、ラキュースの予想通りに組合内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 旧『八本指』や国軍に人員を奪われ、所属冒険者の減少に歯止めがかからない状況下で、組合からすればトドメを刺されるような発言だったのだ。依頼の減少どころか、モンスターの討伐報酬査定支払いの独占権すら奪われ、もはや完全に死に体の王都リ・エスティーゼの冒険者組合であったが、それでも王国内に2チームしかいないアダマンタイト級冒険者チームの全チームが所属し、王国内最も権威ある組合なのは間違いなかった。それをチームリーダーが王国貴族の令嬢ということで最も信頼していた『青の薔薇』に裏切られたような気になったのも無理はない。

 しかし『青の薔薇』としてもリーダーであるラキュースの一存でなく、2ヶ月近くに及ぶチームメンバー全員による話し合いの結果なのだ。簡単に取り下げられるような決意ではなかった。

 

 組合長及び幹部や事務方にあっと言う間に取り囲まれ、そのまま応接室へ。

 こうなることは高い確率で予想されていたので組合に同行したのはイビルアイ1人だけであり、そのイビルアイにしても既に仲間達の待つ定宿に連絡に向かっているはずだった。

 

 大人数による圧力で席に座らされ、最高級の魔道国産茶葉のお茶を目の前に出され、真向かいに座る少し前まで40歳ぐらいに見えていた女性の組合長を見詰める。この人もシュグネウス商会が幅を利かせる前までは信頼できる組合長だったが、あれ以降は泣かず飛ばずの有様だった。冒険者としては非常に市井の事情に通じた存在だったが、所詮は冒険者であり、王国有数の経済人であり、表も裏も政治力の高いヒルマ・シュグネウス相手に熾烈なシェア争いをするのは能力的に無理があったとしか思えない。

 やつれた顔に血走った目……少し前よりも白髪が増えていた……もはや老境に入るかのような風体でラキュースを見詰めてくる。

 

「アインドラ様……いいえ、ラキュースさんと呼ばせて下さい。ラキュースさんの『青の薔薇』まで組合を見捨てるのですか?」

 

 話し合いの初っ端から泣き落とし……まあ、いきなり大人数での圧力を選択するぐらいなのだから他に方策がないのだろう。

 

「見捨てると言われても……組合の立場で考えればそう受け取られても仕方ないのかもしれません。ですが、既にこの2ヶ月近く、皆で話し合って決めた結論です。私としては忸怩たる思いもありますが、私以外のメンバーが将来に不安を感じるような状況下では、これ以上冒険者チームを維持できないと判断しました」

「……『青の薔薇』までシュグネウス商会……あの元『八本指』に移籍されるのですか?……壊滅にあれだけの情熱を燃やされていたのに……」

「いいえ、私達は『八本指』には移籍しません。あくまで冒険者としてやっていくつもりです。報酬もそうですが、それには誇りが必要なんです。今の王都ではアダマンタイトの誇りが保てないのです……」

 

 そこまで言うと組合長が驚愕の眼差しでラキュースの言葉を遮った。

 

「まさか!……アインドラ家はいまや王国の権門ではありませんか!」

「実家の話は関係ありません。それに王国を捨てるわけでもありません」

「そうは仰いますが!」

「……組合長も誇りの話をされて、直ぐに思い当たった……組合長も現役冒険者であれば……そう考えたことがあるとお見受けします。正直なところ、依頼達成の式典をこの目で見るまでは、仲間達はともかく私は懐疑的でした。でもアレを見せられたら、私も羨ましく思いました」

 

 副王ゼブルに招かれた魔導国の冒険者依頼達成の式典は壮麗そのものだった。そして華やかであり、国民総出で祝われていた。

 魔導王の布告により成果の説明がなされ、国民の全てがゼブル達の成した偉業を知る……報酬は別にして、それだけでも同じ冒険者として誇らしかった。

 魔導王は言葉通り冒険者を子供達の憧れる職業に変えようとしていた……その方針にも心が躍った。

 ゼブル達3人は魔導国公認のアダマンタイト級に任じられた。その姿は昇級審査などという内輪のシステムがいかに矮小かと思い知らされた。

 副王という立場上、昇級以外の報酬は受け取らなかったゼブルを除き、壇上に立つ旧知のティーヌやジットに元々アダマンタイトの『漆黒』と協力者のゼンベル・ググーという名のリザードマン……『青の薔薇』もあのようになりたいと素直に思わされてしまった。

 

 魔導王は子供達だけでなく、大人も、既に冒険者である自分達も「魔導国の冒険者」に憧れさせたのである。

 

 『漆黒』の2人に下賜された、今回の冒険で得たあり得ないレベルの財宝の数々。

 ジットに下賜されたカルネの魔法研究施設と国費からの運営資金永久提供。

 ティーヌに下賜された生きたドラゴン一頭と餌代を含んだ維持費用の永久国費負担に加え、魔導王の召喚した強者と戦う権利。

 協力者ゼンベル・ググーには魔導国の国民であるリザードマン全員に行き渡る分の魔法の武器防具。

 成果以前に約束されたそれぞれの基礎的報酬が白金貨10000枚の上に、依頼達成による成果によってこれだけのものを得たのだ。

 これこそ破格の報酬と呼ぶのだろうと、心底思い知らされた。

 祝宴と呼ぶには盛大すぎるパーティーの中、それまでの葛藤が嘘のように消えていた。仲間達を見れば彼女達の目も同じ輝きを見せていた。目の見えないイビルアイは仮面ごと大きく頷いていた。

 

「私達は旧知の魔導国副王の紹介で魔導王陛下に謁見……いいえ、魔導王陛下を囲んでごく私的な会合を開いていただきました。そこで冒険者として移籍する際に王国国民のままであっても構わないとの確約をいただきました。もちろん全てが上手くいっているわけではありません。元々エ・ランテルに所属していた魔導国のミスリル級3チームはかなり厳しい状況です。彼等は訓練所の講師の仕事が大きな収入源になってしまい、ほとんど講師専業に近い状態だと聞き及んでいます。しかしそれでも王国時代のミスリル級冒険者の収入とは比較にならないと聞きました。まだ年若い『豪剣』は別にして『虹』と『天狼』の2チームはそれで構わないと考えいるようです。私達もそうなってしまうかもしれませんが、挑戦したいと思ったのは『青の薔薇』全員の意志です」

 

 ラキュースは組合長の目を真っ直ぐ見詰めた。

 血走っていた目が揺らいでいる。

 立場は彼女達の意志を許したくない。

 でも冒険者だった時の気持ちは……

 

「……もはや私達に『青の薔薇』を止めることはできないのですね……?」

「はい、残念ながら……」

 

 沈鬱な口調と対照的にラキュースの緑色の瞳は希望に満ちていた。

 




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