死の王と蠅の王   作:マイクロブタ

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42話 聖王国最強

 

 聖騎士団団長レメディオス・カストディオ率いる聖騎士団の突撃はこの激戦区において数的劣勢をひっくり返し続けていたが、それでも人間と馬という生物の集団である以上、どうしても疲労という限界点があった。しかも基準は体力的に最低の者にある。だからレメディオス自身は相当に余裕があったが、そろそろ頃合いであることも熟知していた。

 

「一度、退くぞ……全隊、後退時も秩序を保ったまま大砦に帰還する。良いな!」

 

 号令が響き、既にレメディオスの指揮に慣れている2人の副団長が具体的な撤退指示を出す。

 すぐさま全員が撤退準備を整え始めた。

 普段は何も考えていない故に大らかなレメディオスだが、作戦行動中はかなり神経質な一面も見せる。だから作戦行動中の団長は油断ならない……現在の聖騎士団に入団すると真っ先に叩き込まれる教訓だ。

 神経質ということは細かいということだ。

 細かい以上、周囲に目が行き届く。

 

 はるか遠方かつ後方の光景が目に入ったのも、そのせいかもしれない。

 

「あれは何だ?」

 

 もう条件反射なのだろう……レメディオスの言葉にイサンドロは「団長の疑問解答マシーン」として即座に適切な回答を与えるべく、自身は下馬して部下達に雑多な指示している最中にもかかわらず、馬上のレメディオスが見る方向を目で追った。

 

 赤黒い塊が雷のような輝きを帯びながら大地と水平に高速飛翔していた。しかも連発で。

 この距離だから全体像が問題なく把握できるが、近場では何が何やらだ。

 そして連射される塊は的確に遠方に陣取る亜人部隊を突き崩していた。

 

 初めて見る技だ……魔法か?……魔法にしては相当な距離だが……

 

 イサンドロの暢気な感想とは別に、現在攻撃を受けている亜人の陣地は地獄絵図に違いない。

 魔法だが新兵器だか知らないが、まったく便利な世の中になったものだ、なとと思ってみたが、脳の奥底で何かが疼いた……そして何かと目の前の光景が合致した。

 

「おそらく魔導国でしょう、団長!」

「魔導国?……ああ、援軍とか言っていた……?」

「我々の知らない魔法かと思われます!」

「なるほど……アンデッドを王に戴くなど、どれだけトチ狂った集団かと思っていたが、それなりに力は持っているようだな?」

 

 アレを「それなり」と表現して良いのかは別にして、イサンドロは魔導国副王ゼブルの率いる援軍が本当に戦場に出たことに憤慨し、同時に本当にかなりの実力者であったことに安堵した……あれだけ強力な遠距離攻撃方法を持っているのならば、少なくとも要塞線を構成する城壁沿いで戦闘している限りには死者を出すような事態にはなるまい。上からの丸投げの終着点であるイサンドロとしては、心中でホッと胸を撫で下せる上々の状況だ。

 

「……何にしても少しは肩の荷が下りましたね、団長」

「何故だ?」

 

 即答され、レメディオスの皺の少ない脳を少しでも期待した自分を悔いた。

 

「魔導国の副王などという厄介な存在に戦場に立たれ、怪我でもされ、責任問題になったら我々が厳しい立場に立たされますので……」

「だから何故だ……アンデッドの手下など、少しでも役に立つのなら使い潰せば良いではないか?……魔導国などこの世界に亜人以上に必要のない邪悪な存在だ。自ら戦場に出て、勝手に死んだのなら、責任など感じる必要もないだろう。責任問題など聖王国にあるはずがない」

 

 公然と言い放つレメディオスに頼もしさと恐怖を同時に感じる。

 政治的な裏を読まない権力者とは、ある意味において最強の存在だった。

 この団長を支える自分を顧みればどうだ?

 団長は生まれも育ちも実力も聖王女陛下を除けば聖王国最高にして最強だ。

 対して自分は辛うじて九色ではあるものの、剣の腕を評価されただけの存在であり、一片のミスも犯せない。

 聖騎士団に政治的には問題が生じた場合、切り捨てられるのは常に自分かグスターボの二択なのだ。まして今回の魔導国副王率いる援軍関連は明確に自分に丸投げされた問題である……聖王家が切り捨てるのはどちらか?

 

 考えるだけバカバカしい。

 

 馬上のレメディオスを見上げると魔導国のものと思われる魔法攻撃(?)を眺め続けていた。

 

「水平に射出して、あれだけの遠距離を攻撃できるのならば使えるな……大砦に帰還後、連中と会うぞ。連絡役は……誰だ?」

 

 どうやら連絡役を派遣したのは覚えていても、誰かまでは覚えなかったらしい……いや、忘れたのかもしれない。

 

「従者ネイア・バラハです、団長」

「ではネイア・バラハが早急に出頭できるように手配しろ。最優先だ!」

 

 レメディオスが馬の腹を蹴った。

 既に魔導国との会談……いや、その後の作戦のことで頭が一杯なのだろう。

 イサンドロは慌ててレメディオスの供回りに出発を命じ、自身は立て続けに引き当てた貧乏くじに頭を抱えたい気持ちになるも、なんとかグスターボの向けた哀れみの視線で立ち直った。彼は声に出さず「協力するから」と情けない顔付きで言ったのだ。

 

 聖王国聖騎士団の2人の副団長は他者から理解できない絆で強固に結ばれている。お互いに協力を惜しまず、お互いに深く理解しあう。そうでなければレメディオスの下になど1週間も耐えられないだろう。

 

 前途洋々だった平団員だった頃が懐かしい。

 

 イサンドロは茫と遠くを見詰め、深く溜息を吐いた。

 戦場ではない場所が彼の本当の戦場だった。

 

 

 

 

 

 

 

 連絡役を命じた時のネイア・バラハはこんな気配を放っていただろうか?

 イサンドロは魔導国の一党が帰還した夕暮れまで延々と待たされた後にネイアを呼び止め、振り向いた彼女の面相を見た瞬間、嘘偽りなく死を覚悟した。そしてチビり、股間の嫌な感触に後悔を深めた。それまでは認識なく闇夜に出会したら思わず逃げ出す程度の目付きだったものが、いまや白昼に存在を事前に認識した上でも、視線を向けられたら脱兎のごとく逃げ出す凶相だった。

 何が彼女をそうさせたのか?

 答えはおそらく魔導国であり、突き詰めれば連絡役を命じた自分だ。

 

「従者ネイア・バラハ……団長が魔導国副王殿との会談を希望されている。団長の下に出頭後、先方に話を通してくれないか?」

「はいっ!」

 

 声音は元気そのものの年頃の少女のものだが……立ち去る身のこなしは九色の1人であるイサンドロを軽く凌駕していた。素早く、静かで、力強い……見習いやら訓練生でなく、猛者やら達人やらの方が彼女の肩書きとして正しい気にさせられる。

 

 どっ、どうして、こうなった!?

 

 あくまで受ける印象だが、彼女の父親であり、九色のパベル・バラハをも凌駕するように思える。下手をすれば、聖王国最強のレメディオス・カストディオすら凌ぐのではないだろうか?

 

「他に無ければ、私は魔導国副王ゼブル様の下に戻り、団長のところに出頭する旨を報告してまいりますが、よろしいでしょうか?」

 

 気付けば、考えに没頭していたイサンドロをネイアが覗き込んでいた。まだ華奢で身長も低い彼女だが、イサンドロは反射的に目を背けようとした……が、なんとかギリギリのところで踏み止まった。

 

「行って、良し……しかしその前に教えて欲しいのだが」

「何でしょうか?」

「君は……その……自覚はあるのか?」

「はい?」

「いや、そのー……強くなったの、か?」

 

 ネイアの表情がパッと明るくなった。

 対照的に視線は険しくなったようにしか見えないが……

 

「ゼブル様のお陰で……よく解らないのですが、10れべる以下だったものが一気にざっくり30れべるぐらいにはなったか、とゼブル様が仰っておられました。冒険者達の使う難度という数値に換算すると確実に30以下だったものが90ぐらいにはなったのではないか、ということらしいです……逆にお尋ねして申し訳ないのですが、サンチェス副団長……これって凄いことなのでしょうか?」

「そ、それは……凄いな」

 

 自覚無しに聞かされた内容に思わず目を見張ったイサンドロの言葉に、ネイアは年頃の娘らしく素直な喜びを見せた。話の中身は年頃の娘に相応しいものかと問われれば、全力で否定できるようなものであったが……難度ではもはやイサンドロを超えたということだ。経験による状況判断や相性を無視した指標でしかなく、実際の戦場で役立つような数値ではないが、それでも剣の腕に自信を持つイサンドロにとっては衝撃の一言だった。

 今朝まで実父の存在と目付き以外に目立つことない、どちらかと言えば将来性を感じない従者に過ぎなかったネイア・バラハが、たった1日の実戦経験で九色に一人である自分を超えたと言うのだ。さらに言うだけだなく、実際に自分よりも強いと感じさせられた。

 

「何をした?……いや、奴らに何をされた?」

 

 ネイアの凶眼がイサンドロを射抜く。

 先程まではビビったかもしれない。

 しかしそんなことはどうでもよくなっていた。

 イサンドロとて団長と接するまでは最強を目指したこともある。

 だが遠く高い壁を知り、現実に妥協したのだ。

 それを才能を感じなかったネイアが1日で剣の腕で九色となった自分を優に超えたのだ……明日には団長すら超えるかもしれない。

 だから問わずにいられなかった。

 

「ゼブル様に弓を貸与されました。それを使って亜人を倒しました」

 

 眼光はヤバいが、ネイアは素直に答えてくれた。隠す価値もない情報とでも言うように……と言うよりも、それがいかに価値ある情報かの自覚が全くと言って良いほど無いのだ。

 ネイアの言うことを素直に信じれば、秘密は貸与された弓にあるはず。

 成長を促進する魔法でも付与されているのか?

 もしそのような魔法や技術が実在するのならば、それは空前絶後と言っても間違いない世界の至宝だ。

 

「君は亜人を討伐しただけなのか?」

「はい……でも討伐数は千は下らないと思います」

「……は?」

「ですから、少なくとも1000体は倒したと思います」

 

 ……いやいやいや……いや、あり得ないだろ……従者が単独で聖騎士団全体よりも同等か、ひょっとするとより多い数を屠っただと……?

 

「信じられないのも無理はありません。自分でも信じられません。でもゼブル様の配下であられるジット様が大まかにカウントされていました。想像を絶する威力を誇る弓だったので、当たれば亜人程度であれば必ず死ぬそうです。そして必ず当たるそうです。私もなんとなく強くなったのかなと思っていたのですが、凄く自信になりました。今回のお役目を与えていただき、カストディオ団長には感謝の言葉もありません」

 

 ネイアはペコリと一礼し、そそくさと魔導国の控室に向かった。

 

 イサンドロもしばらく立ち尽くしていたが、やがてネイアの後を追った。

 団長が話をややこしくする前に顔だけでも自身を魔導国に売り込んでおくべきだと考えたのだ。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 テーブルを挟んで真向かい座る優男が魔導国の副王ゼブルだと言う。

 ゼブルは副王とかいうよく解らない地位に就いているが他国の王侯なのは間違いない。だからレメディオスに合わせて立礼しろとは言わないが、飲食したままはあまりに礼を失してないか?

 ヘラヘラと笑い、ホバンス近郊では密かに兵士達の間で人気のある薄甘い酒を飲み、ベタベタと銀髪女と戯れあい、聖王国を裏切ったオルランドとゲラゲラ笑い合いながら、時折油断なくレメディオスの方を窺い見ていた。

 少し離れて無表情のオカッパ頭が座り、イサンドロが見違えたと評価した従者ネイア・バラハは後方の壁際で控えていた。

 

 会談を持ち掛けたのは良いが、魔導国の連中は聖王国聖騎士団団長であるレメディオス・カストディオに魔導国の控室に出頭するように命じた。

 

 たしかに魔導国は聖王国を援助する立場であり、僅か4人の援軍とはいえ、援軍を指揮するゼブルは魔導国の副王だった。冷静に考えれば天地がひっくり返っても魔導国側がレメディオスの前に来ることはない。

 しかしレメディオスはイラ立っていた。

 法国、評議国と並び強国の一角と評価される魔導国なにするものぞ、との気持ちもあるが、その類の感情が主たる原因でない。

 アンデッドの手下をやっている人間などという理解の外側の存在に「話し合ってやっても良いから、お前が来い」と言われたことが腹立たしいのだ。もちろんそんな言い方をされたわけではなく、極めて丁重に時間は作るから、そちらの都合で来てくれ、と遠回しに示唆されただけなのだが、レメディオスの心中では見下されているのに等しかった。とにかく魔導王というアンデッドを担ぐなどいう邪悪な人間が許し難いのだ。

 そのような存在に目下に扱われるのがどうしても我慢ならないのだ。

 

「……そこで立っていても話が進まないだろう、カストディオ団長?」

 

 ゼブルの言葉と振る舞いに険しくなりつつあると自覚している視線を無理矢理穏やかなものに切り替えて、レメディオスは改めて着席の許可を得て、席に着いた。その途端、ゼブル達が自身でホバンスから持ち込んだという酒を勧められたが、一口だけ啜り、グラスをテーブルに置く。

 

「ちなみに俺は下賤の出身だから言葉に気遣う必要はない。なので俺も言葉は率直になるので、お互い様ということでよろしく」

「それでしたら私も気楽にさせていただきます」

「そうしてくれ……料理もテキトーに摘んでくれ」

 

 言いつつゼブル自身が先程から遠慮の片鱗も見せずに食い続けている。

 それもレメディオスがナメられていると感じる原因なのだが、レメディオス自身は気にしないように心掛けていた。それよりも一つ思い付いた主たる原因を許し難いと思い込んでいる。

 

「……で、話って、何?」

 

 いくらなんでも砕け過ぎだろと思ったが、上位者が相手であり、当人に全く改める気がない以上、いちいち指摘するのも無駄……だがレメディオスは肩を震わせていた。

 ネイアと同様に後方に控えているイサンドロとグスターボの副団長2人組の内、イサンドロが慌てて一歩進み出てレメディオスの肩を抑えた。振り向いたレメディオスに睨まれるも、彼女は何かをグッと飲み込み、軽く頷いた。

 

 イサンドロからすると立場の問題ではないのだ。

 イサンドロ自身が盛大に顔を見せをした直後でタイミングも最悪であるが、それ以前に相手が悪い。

 レメディオスは薄々気付いているかもしれないが、魔導国から来た3人は想像を絶する強者なのだ。聖剣サファルリシア装備のレメディオスでも届きようがない。特にゼブルの横に座り、ニィと笑っている銀髪の女戦士はヤバい。無礼さも人知を超えているが、時折滲ませる雰囲気はネイアやパベルの目付きから感じるものを軽く超えている。

 

 レメディオスは数秒で落ち着きを取り戻した……ように見えた。

 

「では本題から始めさせていただく……将軍閣下から聖王女陛下の御意は伝え聞いた上で、曲げてお願いしたいのだ。魔導国の皆様には我々聖騎士団と共闘していただきたい。私は見たのだ。アレは魔導国の新兵器なのか?……それとも我々の知らない魔法なのか?……1キロ近く離れた長距離から亜人共の陣を突き崩していた赤黒い塊……アレが我々の突撃を援護してくれれば大砦周辺の形勢逆転は容易に可能と思うのだが……」

 

 ゼブルがレメディオスを遠慮なく覗き込む。

 何を見ているのか?

 何を読み取られているのか?

 作り物のように異様に整った顔から笑顔が消えると不気味とも感じられる不穏さが垣間見えた。

 嫌な気持ちを抑え込み、なんとか誠意を伝えようと目を合わせる。

 その目から不躾な何かが入り込み、頭の中に入り込まれたような気にさせられた。

 その間数秒……

 

「せっかくの申し出だ……が、断る」

「なっ……何故だ!」

「我々にメリットが無い。加えて突撃前に長距離から『堕天弓』で掃討された陣中に聖騎士団が突撃する意味がない。別個に行動した方がどう考えても効率的だ。聖王国の主たる目的は亜人の根絶やしなのか、それとも戦意を挫いて侵攻を押し返すことにあるのか……それを考えれば殲滅に意味はないだろ。仮に殲滅が目的であっても我々だけで可能だ」

「違う!……そうではないのだ!」

 

 反射的に反論したが、レメディオスはゼブルを説き伏せるシナリオなど持ち合わせていない。そんなものを考えるのはイサンドロかグスターボの仕事だ。頭の中にモヤモヤと言葉にならない何かはあるが、生まれてこのかた言葉にする訓練をしてこなかった。聖騎士団に入団する前は妹が考えてくれた。その後はトントン拍子に出世したので言葉が必要な地位に登った時にはイサンドロもグスターボもいた。

 レメディオスは押し黙り、ゼブルを睨み付けた。

 一刻も早く頭の中のモヤモヤを言葉にしなければ……その焦りが礼儀などキレイに吹き飛ばしていた。

 

 ゼブルの碧眼が嫌と言うほど不躾にレメディオスの全身を舐める。

 人物評価……品定め……と言うよりも観察と言った方がしっくりくる。

 何もかも丸裸にされているような気にさせられる。

 気持ち悪い……とにかく不快だ。

 逃れたい一心で言葉を捻り出した。

 

「……誰も!」

「誰も……?」

「誰一人として犠牲者を出したくないのだ!……それ以上の正義などこの世界に存在しない!」

 

 ようやく言葉になった……同胞の盾となり、部下を守る決意。

 だがゼブルは鼻で笑った。

 

「ならば戦争などやめてしまえ……亜人に媚び諂って、なんとか全国民を生かしてもらう術でも考えろ。戦えば必ず犠牲者は出る……戦わなければもっと犠牲者が出る。俺はそう思っているし、実際にそーゆーもんだ」

 

 ゼブルはすっかり興味を失ったかのようにレメディオスから視線を外し、再び酒を飲み、料理を摘み始めた。

 

「亜人に与するのか!」

 

 レメディオスが立ち上がる。

 ゼブルがチラリと視線を向け直した。

 また悍ましく遠慮の無い視線がレメディオスを蹂躙する。

 言葉に詰まってしまった。

 聖王国最強のレメディオスから見てもバケモノとしか思えない女戦士がニヤニヤと楽しそうに笑顔を見せている。とても真っ当な護衛役の行動とは思えない。トラブルを楽しんでいるのだ。

 唖然と立つレメディオスにゼブルの言葉が浴びせられた。

 

「俺達は聖王国にいる……それが、今回の、方針だ」

「貴様!」

 

 何かが切れた。

 その瞬間、異様な緊張感でギリギリ均衡を保っていた空気が激変した。

 椅子が蹴り倒される。

 さすがに抜剣までには至らなかったが、強引に前に進もうとしたレメディオスの背後からイサンドロとグスターボがそれぞれ両腕を抱え込み、強引に後退させようと全力で引き摺る。だが最初こそ想定外の出来事にレメディオスの身体は一気に後退したが、状況を把握した瞬間からジリジリと前進を始めた。

 

「団長!」

「団長、やめなさい!」

 

 イサンドロとグスターボの制止の声が虚しく響く。

 許せない……その一心で前進した。

 この状況で飲酒を止めないことでもなく、視線が不躾だったことでもない。

 アンデッドの配下がしれっと言ってのけたのだ……今回の方針、と。

 ならば次回はどうなのだ?……所詮は邪悪なアンデッドを戴くような国家の指導者なのだ。聖王国の、人間の側に立つのは一時的な利害関係の一環でしかなく、亜人が助けを求めればあちら側に立って聖王国と戦うつもりなのだ。

 少なくともレメディオスはそう受け取った。

 

 待っていましたとばかりにティーヌが立ち上がろうとするのをゼブルが視線で制する。

 

 それよりも早くレメディオスとテーブルの間に出来上がった空間にネイアが立ちはだかっていた。凶眼がレメディオスを真っ直ぐ見ている。

 

「団長!……下がってください」

「従者ネイア・バラハ!……貴様も裏切り者のカンパーノと同じくアンデッドの手下共に籠絡されたか!」

 

 本音……それだけは絶対に言うなとイサンドロが事前に固く戒めた言葉が、レメディオスの口から漏れる程度では済まないレベルで室内に響き渡った。

 現実のイサンドロはレメディオスの右腕を必死に抱え込んでいたが、心中では盛大に自身の頭を抱えて蹲っていた。裏切り者も何も自身で会談を持ち掛けておいて、率先したらぶち壊しているのはレメディオスであり、ネイア・バラハはこれ以上の事態の悪化を阻止しようとしているだけだ。

 

「カストディオ団長、失礼します!」

 

 体格的にはレメディオスどころか2人の副団長にも全く及ばないネイアがレメディオスの胴体を抱え込むとそれまでの前進が止まり、すんなりとレメディオスは魔導国の控室から退場させられた。

 

 遠くからレメディオスの怒号が響いているが、控室内は元の静けさを取り戻した。

 

「しかし相変わらず救いようのないバカな姉ちゃんだな、アレは……」

 

 残った面子の中ではレメディオスに恨みひとしおのオルランドだが、さすがに今回の狼藉の事後処理まで考えると副団長達に同情していた。

 

「放置でよろしいのですか、ゼブルさん?……手討ちにしても問題になるどころか、2国間の魔導国の立場は相対的に強化されたと思いますよぉ」

 

 ティーヌの笑いがニヤニヤから種類の違う笑いに変わっている。

 

「それでは聖王国を無駄に追い込んでしまうからのう……対魔導国強硬派の出現なんぞ、むしろ目的から遠退くと、わしは理解しておりますぞ。わしらは聖王国内を二分しに来たわけではないからのう……目的は聖王国内で統一された意志に永久に下手に出ても魔導国と組んだ方が得と思わせることにある……その理解でよろしいですかな、ゼブルさん?」

 

 ジットが元々悪い人相をさらに悪くさせた。

 

「まっ、ざっくりそーゆーこと……あの程度でも聖王国最強なんだろ、オルランド?」

「旦那達は別にしてもメチャクチャ強いですぜ、頭以外は」

「聖王女に近しい有力者で最強なんてヤツを密室で手討ちしたら、例えばアレの妹や聖王女が心情的には反魔導国になってしまうのは避けられない。最高意思決定者とその最側近を潜在的な敵にするのはバカバカしい。俺達が人間の戦力としてここにいる意味を自分達で崩すようなもんだ。人間、状況や損得をどれだけ頭で理解しても、身内に対して厳しい裁定なんざ、そうそうできるもんじゃない。仮にやり遂げても強い恨みが誰に向くと思う?……むしろ助命してやれば連中は感謝しつつも頭が上がらなくなるだろ?」

 

 ティーヌがポンと手を打った。

 

「あー、あの暢気な聖王女はともかく、妹は色々と手を回しそうですね……実際に今回魔導国に援助を要請したのも妹なんですよね?」

「そっ、あーゆー損得だけで動きそうなヤツは損得だけで動かしたいの。姉と違って頭は回るから、主義や信条よりも実益を選ぶ。つまり聖王国にとって他国よりも魔導国と組むのが相対的に有利な内は絶対に裏切らない。しかも聖王女に対する発言権は最も大きい。だから確実に取り込んでおきたい駒なんだよ。せっかくの貴重な駒に恨みを抱かせると誘導し難いだろ?……戦後はさらに色々と便利に使える気がするんだよ。王国の『黄金』ラナーと違って、俺でも思考が読み易いのは非常にありがたい」

「となると……ゼブルさん、仕掛けましたか?」

 

 ティーヌの笑いがニヤニヤに戻った。

 

「まっ、神経は逆撫でしたかな」

 

 ケラケラと笑う。

 不気味に笑う。

 呆れて笑う。

 薄く笑う。

 

 扉を隔てた向こう側では、いまだレメディオスの怒号が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 扉の向こうでバタバタと駆け回る足音が響いていた。

 それがピタリと静まり、ノックが響く。

 

「どちら様かな?」

 

 酒宴というか夕食の最中であり、扉から最も近くの席に座っていたジットが立ち上がって、扉を挟んで対応する。

 

「ネイアです、ジット様……将軍閣下が謝罪に参られたのですが、入室の許可をいただけますか?」

「謝罪?……わしらは将軍閣下から謝罪される覚えはないがのう」

「……先程のカストディオ団長の狼藉に対する監督不行届きに対し、是非ゼブル様に謝罪したいとのことです」

「ゼブルさんは自身が勧めた酒によるものだ、と判断されておられる。不問に伏す故、悪いことは言わぬから公的な立場で公式な謝罪はしない方が良い、と伝えてくだされ。もう少し日を置いて、将軍閣下が個人的に時間を作って下さるのならば、その時は是非お会いしたいと仰っておられる」

「本当に……それでよろしいのですか?」

「ゼブルさんの判断だからのう……おそらくそれがお互いに最善の解決策なのだろうな」

「では、その通り伝えます」

 

 今回の狼藉騒動で最も神経をすり減らしただろう将軍はとりあえず退散させた。

 で、お次は……

 

 10分も経たない内に再度バタバタと足音が響く。

 それが3人分、やはり扉の前でピタリと静まった。

 そしてノックが響く。

 

「どちら様かな?」

 

 先程と同様にジットが立ち上がり、扉を挟んで対応する。

 

「ネイアです、ジット様……サンチェス副団長とモンタニェス副団長がゼブル様に面会を求めております。入室の許可をいただけますか?」

「そうか……では入られるがよかろう」

 

 将軍の時とは一転、即座に入室は許可された。

 副団長2人はネイアに先導され、先程までレメディオスが座っていた椅子の背後に起立した。

 目の前でゼブルが微笑んでいる。

 どう判断すれば良いのか判らない。

 だがやることは一つだ。

 

「「カストディオ団長のゼブル様と魔導国に対する数々の無礼、狼藉、大変申し訳ありませんでした!……全て我々の不手際でございます!……またご不快に思われるだろう数々の発言の全てを撤回し、聖騎士団としてここに全てを謝罪させていただきます!」」

 

 直角に腰を折り、とにかく平身低頭を貫く。

 

「面を上げて良し」

 

 ゼブルの言葉に従い、2人は頭を上げた。

 

「君らも大変だなぁ?」

 

 ゼブルは和やか笑顔だった……とてもレメディオスと対面していた時と同一人物とは思えない。

 どう見ても20代前半以上には見えない。10代後半と言い張られれば、頷けないこともないぐらいだ。2人よりもかなり若く見えるが、その実老獪にも見えた。こうして真正面から向き合ってみると、なんとも不思議な気持ちにさせられる。自身は下賤の出身と称しているが、かなり高等な教育を受けたようにしか思えない。世の全てをバッサリ見切っているようで、面白がっているようにも感じる。一口にこういう人物だと言い切れない印象を受ける。

 

「座りたまえ」

 

 着席を促され、副団長2人は顔を見合わせると素直に席に着いた。

 

「さて、腹を割ろうじゃないか?……まだ勤務中とか言わないよな?」

 

 援助国の副王が自ら酒瓶を持ち、2人の前の酒杯に酒を注いだ。

 レメディオスの時のホバンスの安酒と違い、濃い赤色の酒だ。

 

「魔導国でも手に入れるのが難しい貴重な酒だ。是非味わってみてくれ」

 

 ここまで状況を作られると断れるわけがない。

 様々な疑問が思い浮かぶが、とりあえず口をつけないわけにはいかない。

 2人は酒杯を手に取った。

 

「これは……」

「凄い逸品ですね」

 

 鼻に抜ける芳醇な香りと濃厚な味わい。なのにスッキリとした爽やかな喉越し。

 これまでの生涯で飲んだ多種多様な酒の数々が泥水に感じるほどの衝撃が脳天を貫く。

 何よりも口に含んだ瞬間から頭がスッキリした。次いで力が漲り、今日1日で擦り切れようになっていた神経が修復されていくような気にさせられる。視界が明るくなり、全てが良い方向に変化する兆しを感じた。

 

「美味い、美味すぎる!」

「何ですか、これは!」

 

 気持ちの明るくなった2人を銀髪の女戦士がジト目で見詰めていた。

 

「魔導国でも生産量が極めて少なく、魔導国の市場にすら一切出回らない酒だ。秘密が多くて申し訳ないが、それ以上は言えないな……支配階層以外で、他国の人間が飲んだのは君らが初めてだ」

 

 2人は至福の面持ちで手に持った酒杯を見詰めた。

 感動で胸が満たされていた。奇妙な興奮状態と言っても間違いない。

 

「あっ、ありがたき幸せです、ゼブル様!」

「本当にありがとうございます!」

 

 ゼブルが鷹揚に頷く。多少芝居掛かって見えるが、男性としては考えられない程の美形なので絵になっている。

 

「……で、感謝ついでにお願いがあるのだが、聞いてもらえるかな?」

 

 そら来たぞ……イサンドロはチラリと肩を並べるグスターボを見たが、グスターボはうっとりとした表情でちびちびと酒杯を舐めていて、イサンドロの視線に全く気付かない。この状態で任せるわけにもいかず、仕方なくイサンドロが対応する。

 

「こちらで便宜を図れるものであれば……」

「なに、簡単なことだ……将軍閣下にはあのように言ったものの、また襲い掛からられては敵わんからな……レメディオス・カストディオ団長についての情報を聞かせてもらえればありがたい」

 

 ゼブルのお願いとはイサンドロが事前に警戒していたような類の話でなく、実に単純なものだった。穏便に済ませたとはいえ、次に襲われないとも限らない。撃退ならば魔導国の面々は問題ないだろうが、次の揉め事も穏便に済ませる必要があるとすれば、事前に情報を得て、なるべく衝突しないように心掛けるつもりなのかもしれない。そういうことであれば、自分達に対する歓待も理解の範疇に収まる。なにしろ連絡役であるネイアとは比較にならないほどレメディオスの世話を焼いているのだ。そうでなくとも断り難い立場である以上、精神的なハードルは低い方がありがたい。

 

 裏返せば飛びつき易い話だ。

 

 イサンドロに躊躇はなかった。

 同じくほろ酔いのグスターボは口を滑らかにさせた。

 

 緊張からの解放は警戒心を緩めた。

 何故、そんなことを知りたがるのか……その答えを自ら用意し、勝手に納得してしまったのだ。

 イサンドロもグスターボも出来る限り詳しく話した。

 密かな感想も日頃も苦労も事細かに……

 

 ゼブルは大いに笑い、大きく頷いた。

 イサンドロを労い、グスターボに深く同情した。

 知りたいことを教えてもらい、深く感謝した……ようにしか見えない。

 

 2人の副団長は1時間近く喋り続けた。

 極上の酒が口を滑らかに回転させ続けた。

 上位者の大きなリアクションが警戒の堤防を決壊させた。

 謝罪相手の楽しそうな笑い顔が、さらに笑わせようという欲求を誘った。

 自らの上司を讃え、同時に面白おかしく貶した。

 

 ゼブルが膝を打ち、その音が妙に響き、副団長達の口の回転が止まった。

 

「いや、堪能させてもらった。君らは話芸の才能もあるな」

「決して、そのようなことは……」

「我々の苦労を解っていただき、こちらとしてもすっきりしました」

「では、君達の日頃の苦労と、今回のこちらの要求に応えてくれたことに対して、返礼を授けよう」

 

 ゼブルが懐から2本の短剣を取り出した。

 ナイフに毛が生えたような代物だが、一目でとんでもない逸品と悟らさせる刀身の放つ青白い輝きがイサンドロとグスターボの視線を束縛するように捉えて離さない。

 

 過去にナザリックのギルメン達が放棄した品を貯め込んだスペースから拝借しただけのアイテムであり、アインズからは外交時の贈答品としての使用許可を得ていたので、気兼ねなく渡せる。現地ではユグドラシルの遺産級や最上級や上級アイテム程度でもその価値は計り知れないので、恩を売る意味でも非常に良い贈答品だった。神器級の装備品や素材しか集めていなかったゼブルとしても非常に使い勝手が良い。

 2人の前に差し出したのは上級アイテムの短剣だ。

 

「このような高価な品、受け取るわけにはまいりません!」

「たしかに我が魔導国においては大して価値のある品ではないが……」

 

 ゼブルは虚空にできた闇の穴に手を突っ込むとさらに10本の片手剣やら短剣を取り出し、テーブルに並べた。その全てが上級アイテムだ。

 

「……まっ、それが気に入らないのであれば、この中から選ぶと良い。これより上位のアイテムはさすがに楽しい話の返礼程度では渡せないからな」

 

 虚空からアイテムを取り出す技にも驚かさせた。

 イサンドロが唖然とする間に、大した価値が無いというゼブルの説明にも頷ける量の数々の刀剣類が並べられていた。元々外交使節として入国した以上、贈答品の類は持っていても不思議はない。

 その上、大国魔導国で魔導王に次ぐ権力者から贈答品を下賜されることそのものを拒否できるものではない。失礼になってしまう。

 本音を言えば欲しい。

 だが漠とした不安が残る。

 気前の良い上位者がくれると言うのであれば、儀礼的にももらうべきなのは理解している。

 しかし相手は魔導国だ……あくまで難度という数値上の問題だが、ネイア・バラハを1日でイサンドロ以上の強者に仕立て上げた得体の知れない技を使う。

 果たして……

 

 迷うイサンドロの腰をグスターボが指先で突いた。

 チラリと見るとグスターボは既に籠絡されたかのようにテーブルの上に並べられた刀剣類の品定めを始めていた。

 普段はどちらかと言えば慎重な男だが、初めて味わう最上級の酒と話術を褒められたことで完全に相手を信用してしまったようだ。

 

 イサンドロとしてもゼブルに取り入りたいのは山々だ。

 むしろ聖騎士団の副団長として、これ以上の団内での出世は団長のレメディオスをさらなる高みに押し上げなければ難しいのだ。普通に政治的判断のできる団長であればそれも望めようが、レメディオスは自身よりもかなり若く、かつ聖王女が団長に後押しした一面も否定できない。聖騎士団団長より上は単純に強いだけではトントン拍子と行かないもの間違いあるまい。

 であれば、このまま若いレメディオスのお目付役を続けるのか?……それだけは勘弁して欲しい。イサンドロにしてもグスターボにしても軍内部でレメディオスを押し上げる正攻法よりは、自身が評価される他の方法を選択すべきなのは理解していた。ただし聖騎士団という軍部でも特殊かつ排他的な集団なのでなかなか切っ掛けが掴めないのだ。

 魔導国副王との個人的な繋がり……漠然とハイリスクにも感じるが、なかなか魅力的な響きを含んでいる。

 

「このまま順調に事態が推移すれば、いずれ魔導国と聖王国の間に国交は樹立するはずだ。今後ともよしなに……とは言わないが、なかなか話せる君達が我が国に赴任する駐在武官にでもなれば良いかとは思うぞ」

 

 まるで内心を見透かされたかのようなゼブルの言葉に、イサンドロは現実に引き戻された。グスターボは逆に平身低頭で「よろしくお願いします」などと言いながら、完全に媚びへつらっている。その手には見事な設の片手剣をしっかりと抱えていた。 

 イサンドロは決心し、一振りの短剣を拝領した。

 ゼブルが満足そうに笑う。

 イサンドロは深く頭を下げて、自身の選択が正解であることを祈った。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 剣を抜く。

 剣を振る。

 動作の隅々まで確認し、満足して鞘に戻す。

 その作業を延々と繰り返す。

 聖騎士団の団長に就任してからも戦地にでもいない限り、必ず毎晩この日課を繰り返していた。

 全身全霊で剣を振る。

 身体がじわりと熱くなり、汗が床に溜まるほどだ。

 フゥと大きく息を吐き、汗溜まりのできた床を布巾で丁寧に拭く。

 絞り上げれば手桶に溜まるぐらいだ。

 

 その手桶を持ってレメディオス・カストディオは浴室に向かった。

 着衣を脱ぎ捨て、脱衣籠に投げ入れる。

 明日には従卒が洗濯してくれるはずだ。

 一部の隙もなく引き締まった全身を鏡で眺め、ピカピカの肌を確認した。

 そのまま湯浴みに入る。

 戦地にない限り、常に自身の健康状態に細心の注意を振り向けていた。

 とにかく衛生的でなければ、健康など維持できるわけがなかった。

 全身を隈なく洗い、浴槽へと身を沈める。

 

 ……カルカも元々美しいのだから、鍛えれば美肌の研究など必要ないだろうに……

 

 親友にして主君が最近では病的に肌の手入れに勤しんでいると妹から聞き及んでいた。元々結婚願望が異様に強い親友だったが、20代に突入してからそれが妄執のようになり、さらに肌の美しさへの拘りへと変貌したらしい。

 何度か鍛錬に誘ったが体力も乏しい上に政務に忙しく、3日と続かない。

 

 茫と考えながら、将軍からの叱責を反芻した。

 

 何が悪かったのか?

 

 どう考えても悪は魔導国だ。アンデッドの王などという悍ましい存在を戴いているだけで、評価するに値しない。魔導国が聖王国を金銭や物資で援助しようが評価などできるわけがない。

 戦力としては評価できる。

 たしかにあの長距離攻撃は素晴らしい……だがそれだけなのだ。だからといって悪が善に変わるわけではない。

 政治的な交渉などに興味はない。

 カルカや妹が何を考えて、あの男の一党を援軍として認めたのか?

 考えても頭痛がするだけだ。

 だが悪なのは間違いないのだ。

 使える悪を使うと判断したのはカルカや妹だ。

 ならば使えば良い。

 そこまでは良い。

 指揮下に入らなくても良いと判断したのは何故か?

 理解に苦しむ。

 こちらの良いように使えなければ邪魔ではないのか?

 カルカや妹は邪魔にならないと判断したのだろう。

 おそらくそこがボタンの掛け違えの発端だ。

 大砦の責任者である将軍も黙認されたわけだ。

 であれば、放置が正しい。

 政治的な駆け引きは自分の領分を超えている。

 

 フゥと息を吐き、浴槽から上がった。

 窓を開放し、身体の熱を取る。

 軍幹部女性用の浴室は実質的にレメディオス専用だった。

 人目を気にせず、全身で涼風を受け止める。

 

 悪との連携など考えたのが失敗だったのだ。

 こちらで担当する区域を誘導すれば良いのだ。

 これならば将軍も反対するまい。

 指揮下に入れないでも各々の担当は決めれば、自ずとこちらの意思を反映させることが可能ではないか?……やがて区域に限らず徐々に担当の割り当てをこちらの都合の良いように押し広げれば良いのだ。あの男は軍議には参加しないのだろうから、それこそ決め放題だ。

 

 頭髪の水気を拭い取り、全身の水気を払う。

 爽やかな夜風を感じながら、レメディオスは全てが上手く転ぶと確信を得ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 レメディオス・カストディオがまるで苦虫を噛み潰したような顔で戦況を眺めていた。凛とした表情であるが、長年の付き合いでその裏にどのような感情が隠れているのか即座に理解してしまう。

 

 脳筋の考えた絵図などお見通しだとばかりに魔導国副王は司令部からの提案に修正を加えた。それも聖王国側に都合が良いのだから、提案を持ち込んだ手前、反対しようにもできなかった。

 結果的に出来上がった歪な区割りで今朝方から戦闘が開始され、魔導国副王の言った通りに戦況が進行していた。

 城塞の門から出て、400メートル続く平地を左右に分割したのだ。その左半分を魔導国の援軍4人にネイア・バラハを加えた5人が担当し、左半分を城塞上の後衛を含めて15000人が担当するという歪っぷりだ。

 

「それでも我々は大きな戦果を残すだろう」

 

 そう副王ゼブルは言い残し、僅か4人の手勢を率いて出陣した。

 

 純粋な数的防衛戦力が300分の1。

 当然と言えば当然だが、正確な数は知らずとも亜人の軍勢は魔導国の担当する区域に殺到した。罠を疑う一部の亜人部隊を除き、ほとんどがどう見ても突破が容易な方へと進軍を開始していた。

 しかも最前線で待ち受けるのはただ一人……銀髪の女戦士のみ。

 残りの4人は門から10メートル程離れた場所に陣取り、暢気に野営をしている。

 

 ……戦をナメ過ぎだ!

 

 激昂したらレメディオスは即座に聖騎士団に出撃を命じたが、狼藉から2日も経たずではさすがに拙いと2人の副団長以外にも反対意見が続出し、頑固なレメディオスも引き下がるしかなかった。

 そのイラ立ちが失せぬままのレメディオスの前で恐ろしいまでの光景が繰り広げられていた。

 

 ティーヌと言う名の女戦士は猛者揃い聖騎士団を唖然とさせた。

 細身の剣一本を携え、鼻唄まじりに亜人達の首を刎ねている……と思われる。

 腕を振っているのは間違いないが、抜剣しているのか判らない。

 殺到する亜人の軍勢などいないかのように……

 無人の野を進むが如く……

 

 やがて亜人達は気付いた……敵はこれまでの敵でなく、もっと恐ろしい何かだと……気付くのが遅すぎたと言っても良い。数に任せての圧殺が不可能と知った時には流血の荒野に魔人が立っていた。

 野に転がる無数の首の中、大きな口が裂け目のように広がっていた。

 何をされたのか、視認できないし、理解もできない。

 ただ結果として死が訪れた。

 白銀の髪を靡かせる魔人が一歩進めば、10、20と首が落ちる。

 淡々と歩いているようにしか見えない。

 酷く暢気に、軽い歩調で魔人は進む。

 笑いならがら死を振り撒く。

 

 すり抜けた幾人かの亜人は赤黒い塊に射殺された。

 地を這い、転がり抜けた亜人は魔法の炎に焼かれた。

 死んだふりで死を免れた亜人は友軍だった死人に食い殺された。

 最も城壁に接近した山羊の亜人は、亜人の中でも有名な無数の剣を腰に佩いた人間の剣で絶命した。

 

 荒野が死に満たされ、突撃した軍勢の半数を失った亜人達は壊走した。

 突撃隊に代わり猿の亜人部隊が進出し、白銀の魔人に数百に及ぶ拳大の石塊を吐き飛ばす。

 石塊同士の衝突が砂塵を作り上げ、自身の視界を奪った。

 巻き上がる砂塵の中を進む無傷の魔人を視認した時、彼等は恐慌し、再度石塊を斉射した……が、おかしくなことに50メートルは離れていた距離が瞬きする間に詰められていた。

 直ぐ目の前に笑う魔人がいた。

 口角がさらに上がる。

 その瞬間、ストーンイーターの首が落ち、30近い血柱が噴き上がった。

 ストーンイーター達は逃げた。

 本能が止まることを許さなかった。

 血の雨の中、白銀の魔人は一滴の血にも汚れず、笑いながら進む。

 

「真性のバケモノだ、アレは……」

 

 圧倒的な戦況でありながら悍ましく、頼もしい友軍である存在に僅かな安堵すら感じない。

 レメディオスはこの世に顕現した悪を垣間見た気がしていた。

 冷厳な死を告げる死神でなく、無差別な死を笑って散蒔く魔人。

 殺しているのは間違いないし、殺害方法も理解できる。

 しかし何をしているのか見えない。

 だから亜人達の反応が遅れ、被害が飛躍的に増えている、

 

 潰走に次ぐ潰走。

 前衛は総崩れ……恐怖は伝播を繰り返し、ひたすら逃げ続けている。

 援護のストーンイーター部隊は全滅に近い。逃げ延びたのはごく僅か。

 そして後衛のマーギロス達は必中の魔法を放った瞬間に何故か味方の首が落ち、血溜まりの中を這いずりながら四方八方に逃げ出していた。戦意など維持できるわけがない。味方のど真ん中で、何故かはるか前方にいたはずの魔人が笑っていたのだから……

 

 スパイダンの糸で作られた鋼鉄並みの高度を誇る衣類も紙切れのように切り裂かれた。

 オルトロウスの兵団は瞬時に上半身と下半身を分離させた。

 プテローポスは飛行しても首が落ち、持ち前の風による切り裂き攻撃を繰り出すも逆に切り裂かれた。

 スラーシュの痺れ毒の舌も首ごと地に落ちた。

 ケイブンも双巨眼族も例外なく首が落とされた。

 いかなる亜人にも平等に死が訪れる。

 魔人の歩いた軌跡が濃密な死の濁流だった。

 大地に染み込んだ亜人達の血液の痕跡が川の流れのように見えるのだ。

 

 レメディオスはイラ立つと同時に慣れない恐怖という感情ひ戸惑っていた。

 直前まで人類最高峰と信じていた自身の膂力も脚力もティーヌと言う名の魔導国の戦士の足下にも及ばない。

 あのバケモノははるかな高みを笑いながら闊歩している。

 あの女にとってレメディオスもゴブリンも等しく路傍の石だ。

 等しく価値が無い。

 

「バケモノめ……このまま終われるか!」

 

 聖王国最強である自身の敗北は、聖王国の敗北だ。

 アンデッドを戴く悪の魔導国に、聖王女カルカ・ベサーレスの聖王国が負けるわけにはいかない。

 

 レメディオスは歯噛みしながら見ていた。生きている亜人のいなくなった右半分の戦区が驚くほど静かな死の荒野と化す様を……

 




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