死の王と蠅の王   作:マイクロブタ

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44話 受難

 

 急ぎ私室に戻り、聖剣サファルリシアを掴み上げると、レメディオス・カストディオは走りに走った。

 階段などは踊り場毎にジャンプで移動していた。

 

 もはや一刻の猶予も無い!

 

 高楼から見た眼下の光景……魔導国副王による猿の亜人に対する死者復活の魔法は二重の意味においてレメディオスの我慢の限界を突破した。

 衆人環視の中で妹が秘匿する『死者復活』の魔法を使用したこと。

 対象が聖王国の不倶戴天の敵である亜人であること。

 結果として悪が神としての地位を確立しかねなかった。

 亜人の命を復活させたのに、である。

 城壁上の人垣が徐々に跪いていく光景は、元々決壊寸前だったレメディオスの精神の防波堤を決壊させるに十二分な効果を発揮した。

 

 薄暗い石壁に囲まれた通路を駆け抜ける。

 少し前まで人類最高峰と信じて疑わなかった脚力を存分に発揮し、レメディオスは門を抜け、光の中に飛び込んだ。

 そこにあったのは暢気な光景だった。

 復活した大猿の向こうで、ゼブルと従者ネイア・バラハが凱旋するオルランドに向けて手を振っていた。

 場の暢気さをぶち壊して乱入した聖騎士団団長という構図だった。

 

 血走った目付きでレメディオスが抜剣する。

 聖剣サファルリシアが陽光を反射し、神々しい光を放つ。

 

 これこそが神の御業だ!

 

 レメディオスの脳裏を場違いな想いが駆け巡った。

 

 やけに遠くで悲鳴が聞こえた。

 城壁上を振り返れば悲鳴を上げる兵達の姿が見えた。

 慌てふためく上席者の顔もチラホラ。

 だが確信を得たレメディオスは揺るがない。

 

「もはや見過ごすわけにはいかん!……やはり貴様は死ぬべきだ!」

 

 遠目で確認していたよりもはるかに巨大なストーンイーターの向こう側に標的の男が立っていた。従者ネイア・バラハが間に両腕を広げて立ちはだかる向こうで、例によって薄い笑いが顔に張り付いている。

 目だけが冷然とレメディオスを見返していた。

 息を飲み込まされた。

 改めて綱渡りの最悪手と認識させられたのだ。

 しかし抜剣し、1日一回しか使用できないサファルリシアの力を解放させなければ、ゼブルの悪を証明不可能なのだ。

 だから抜剣せねばならなかった。

 衆人環視下で悪を証明する手段は一つだけ。

 もう後戻りはできない。

 

 サファルリシアの眩い輝きが過去に見たことがないほど尋常でないものに変貌していた。

 

 やはりコイツは悪なのだ!

 

 確信をもって周囲を見たが、あまりの反応の鈍さに愕然とさせられる。

 

「……お前達、聖剣サファルリシアが此奴を悪と認定したのだぞ!」

 

 レメディオスがどれだけ叫んでも、城壁上の誰もが聖王国の至宝である神剣の裁きに、やけに懐疑的な視線を向けていた。

 レメディオスは気付かない。聖剣が向けられた先にいかにも凶悪に見える亜人の中でも異形と呼ぶのが相応しい存在があることに。

 直前に狼藉に及んだとの噂も印象が悪い。

 一軍をもってしても不可能な戦果を見せつけた神の御使の配下に従え、現実に神の御業を見せつけた事実の前には、神剣の裁きすらも霞んで見えた。

 そうでなくともレメディオスが悪の亜人と凶眼を持つ娘を使って、神を陥れようとしているのではないか?……つい先日の狼藉がなければ、見る者達の目も曇らなかったかもしれない。

 

「抜剣し、実際に俺に剣を向けた以上、こちらとしてもこの前のように見過ごしてやるわけにはいかないな」

 

 ゼブルはネイアを退かせ、自ら前に立った。

 サファルリシアの輝きがさらに増した。

 レメディオスの確信が強まる一方、他者は自国の愚か者に対してバツの悪さを増すだけだった。凶相とはいえ娘を守る神に対し、聖騎士団最強の愚者が剣を向けている構図は覆せなかったのだ。

 

「……私は確信を得た。貴様は悪だ。やはり死ね!」

 

 聖剣サファルリシアの力は聖騎士のスキルである『聖撃』を強化し、いかなる防御も無視する一撃を生み出す。攻撃対象が悪であればあるほど威力は増大するのだ。カルマ値-500であるゼブルでは、レベル差では埋められないダメージを受ける。しかも『人化』したままでは洒落にならない事態まで想定された。

 

 ……ただし攻撃が当たれば、であるが……

 

 力量を比べてみれば純粋な前衛職としての技能は純戦士でないとはいえ、『人化』したままのゼブルよりレメディオスの方が優っている。

 だが構わずゼブルは前進した。

 それは無造作ともとれる雑な動きだった。

 レベル差で強引に埋められる差があればそれでも問題なかっただろうが、レメディオスは聖王国最強の聖騎士なのだ。

 

 つまり戦士としては攻撃を当てられないまでの差はないのだ。

 

 レメディオスも前進で応じた。

 油断なく摺足で距離を詰める。

 どう贔屓目に見ても雑な動きのゼブルなど簡単に仕留められる……距離が詰まるに比例して確信が強まった。

 

 お互いに半歩……そこで踏み込めば勝利は決する。

 

 レメディオスは勝利の確信していた。

 

 その後は自身で自分の首を刎ねて責任を取る……賢明なケラルトであれば魔導国と交渉して、なんとかしてくれるだろう、と。

 

 覚悟は決まっていた。

 

 集中は極限まで高まっていた。

 もっとジリジリとするかと思っていたが、その瞬間はあっさり訪れた。

 足の親指の付け根に力を込める。

 引き絞っていた力を一気に解放した。

 上段からサファルリシアを振り下ろす。

 

 死ね!

 

 悲鳴も制止の声も消えた。

 視界の中に副王ゼブルを完全に捉えている。

 後は斬るだけ……それでコイツは死ぬ。

 私も死ぬ。

 それだけのことだ。

 

 サファルリシアの軌道上でゼブルは笑っていた……薄く、冷たく……

 

 正面から見据えてくる。

 まるで作り物のよう見えた。

 奇妙な目だった。

 異様に整っているが、位置どころか大きさや形まで完全に左右対称なのが異質な気持ち悪さを感じさせる。まるで精巧な作り物だ。知る限り最上の美貌を誇る聖王女カルカでもここまでは整ってはいない。

 口元もそうだ。

 左右対称の唇が開いた。

 

「やれ」

 

 ゆっくり、静かに、ゼブルはたしかにそう言った。

 

 潔く、死の覚悟か?

 

 思った瞬間、動けなくなった。

 急激に身体を引っ張られ、右手首を何かが掴んだ。

 そのまま手首が骨ごと掴み砕かれた。

 帷子など紙切れよりも柔だった。

 千切れた右手首ごとサファルリシアが地に落ち、輝きが失せるのが見えた。

 極限の集中の中、どこか他人事のように認識した。

 脇腹を何かが突き抜ける。

 甲冑がひしゃげ、身体に食い込む。

 意識した後に衝撃が全身を襲い、自身が城壁に激突した事実を知った。

 激突の衝撃を受け止めた石壁が崩壊し、瓦礫が頭上から落ちて来るのが見えた。半ば身体が埋もれている。

 絶妙に打ちどころが良かったのか、死んではいない。

 だが動けない。

 動けないのに意識は明瞭だった。

 妙なスローモーションで世界が見え続ける。

 飛ばない意識の中、影を確認して眼球を動かせば、そこに神の御使と呼ばれるバケモノが立っていた。

 

 あの距離を一瞬で詰めたのか……?

 

 決行に至ったのは……今なら殺れると確信したのは、この女がまだ200メートル以上先にいたからだ。

 

 どこか他人事のような考えだけが浮かんでは消えた。

 

 笑っていない……初めて見る表情だった。

 この女の表情は全て笑いだと思い込んでいた。

 その女が笑っていなかった。

 楽しさはもとより、怒りも悲しみも笑いで表現すると思っていたのに……

 亜人の軍勢を蹂躙した時すらもバケモノの笑いを浮かべていたのに……

 

 ただただ冷たいと感じる顔があった。

 表面の氷塊の奥に蠢くマグマの奔流を感じた。

 三日月のような目が大きく見開かれていた。

 

 左手で胸ぐらを掴まれ、そのまま吊り上げられた。

 抵抗はできない。

 意識を保っているのが不思議なぐらいだ。

 全身でまともに動く部位は目と脳だけだ。

 絶え間なく襲う痛みまで他人事なのはありがたいが、意識が飛ばないのは厄介だった。選択した自死でなく、無様に行動を阻止された上で殺されるなら楽な方が良かった。

 それにしても見た目からは信じられない膂力だった。

 上腕も前腕も明らかにレメディオスの方が鍛え上げられているのに……

 

「……何してくれてんだ、テメー!」

 

 激情を圧し殺し切れず、僅かに声が震えていた。

 

「こ……殺せ……」

 

 動かない口と喉に精一杯の意識を乗せ、なんとか意志を声に乗せる。

 

「はぁ?……テメーを殺したぐらいでこの怒りは治んねえんだよ!」

 

 溢れ出す怒りが抑えられなくなったのか、バケモノ女の纏う気配が明確に変化していた。そして周囲を見回し、これまでに見たことないほど嫌な笑いを見せつけた。

 

 残っている左手を右手で握られた。

 手だけをみればちょうど恋人同士のような握り方だった。

 そのままバケモノが力を込める。

 ボタボタと指が地に落ちた。

 力が弱まることはなく、そのまま左手を握り潰された。

 他人事のような激痛が突き抜けるが、レメディオスは呆然と嫌な笑いを浮かべるバケモノを見つめ続けた。

 バケモノは舌打ちし、スッと冷めた表情に戻った。

 

「やっぱ、痛みじゃねーんだよ……どうもしっくりこねー」

 

 何かを考えていた……そして実に楽しそうに笑った。

 楽しさで怒りを塗り潰すような笑いだった。

 街の日常に潜む狂人の笑いだった。

 サディストの笑いだ。

 

 レメディオスは初めて背筋の冷たさを意識させられた……そして気付いた。

 

 ……怖い……

 

 緊張と興奮と痛みを引き剥がした奥に恐怖があった。

 レメディオスは人生で初めての恐怖を感じた。

 絶望的な戦況の中でも感じなかった恐怖。

 小さな子供の頃に暗がりに感じた怖さなど比べ物にならない恐怖。

 

「決めた……テメーはこのまま生かす。そして聖王国を滅ぼしてやる。完全に根絶やしにする。血の一滴の存続すら許さない。その光景を何もできないままのお前に漏れなく見学させてやる。残りの人生、嘆き悲しめ!……テメーの報いはそれぐらいでちょうど良い」

 

 戯言……亜人の軍勢に対するあの戦果を実際に見ていなければ、鼻で笑う程度の話か、虚言の類に感じたに違いない。しかしレメディオスは見ていたのだ。この女が亜人の軍勢を一方的に蹂躙する様を。

 

「や……や、やめて……」

 

 右腕からの失血でレメディオスはそのまま意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと心配そうに覗き込むカルカ・ベサーレスの美貌が目に飛び込んできた。

 

 死んでいない?

 いや、カルカもあのバケモノに殺されたのか?

 そういえば根絶やしにすると言っていた……

 

「……目を覚ましたみたいよ、ケラルト」

 

 カルカが振り向いた先に妹の姿が見えた。

 沈鬱そうな表情でレメディオスを一瞥し、即座に視線を逸らす。

 

「……目を覚さなければ、まだ……」

「そんなこと……」

「でも……」

「……私からゼブル様に嘆願してみます……」

「それでは……それではますますカルカ様のお立場が!」

「でも、親友であるレメディオスの為です!」

「これ以上……姉様の為にカルカ様の御厚情に甘えるわけには……」

「いいえ、私はこれまでレメディオスにもケラルトにもカストディオ家にも助けられて、今があるのです……」

「ですが、この件に関してはただただ姉様が愚かなだけでした……これ以上ご迷惑を掛けるわけにはまいりません。ただでさえ、あのように屈辱的な……」

 

 レメディオスを差し置いて、2人の意味の解らない会話が続いていた。

 

 いったい何があったのか?

 問おうとして、声が出ないことに気付く。

 ならばと寝台から上半身を起こそうとして、身体の異変にも気付いた。

 

 ……右の前腕が無い!?

 

 妹もカルカも目の前にいるのに治癒魔法を使ってくれなかったのか?

 愕然として2人を見るも、全く気付いてくれない。

 呻き声すら発せなかった。

 左手も失ったままだ。

 より深く探れば左腕も一切動かない。

 下半身も麻痺していた。

 腰の感覚も失っている。

 つまりレメディオスは寝台に横たわるだけの存在だった。

 

「……カルカ様があのような申し出をされて、なんとか姉様と国民の助命だけは約束されましたが……果たしてそれで良かったのか?……同じ血を引く者としては嬉しくもあり、臣下としては複雑でもあります……むしろ姉様を恨んでしまいそうです」

「……そうね……でも私は後悔はしていないわ」

「カルカ様……本当にありがとうございます。でも……」

「私の希望でもあります……レメディオスだけでなく、国民の助命もゼブル様もティーヌ様も約束してくださいました。荒れ狂うティーヌ様を鎮める為に、我が未来を差し出しただけのこと……聖王女の地位を失うわけではありません。むしろ魔導国の後援を得るわけですから現状よりも地位ははるかに強固になるはずです。戦に出たことない南部諸侯が煩いでしょうが、軍部は私を支持しています。彼等こそがゼブル様を神と信じているのですから……政務や祭祀のほとんどはカスポンド兄様にお願いすることになるのは本当に心苦しいですが、私は魔導国へと向かいます。それだけのことです」

 

 ……なんだと!?……やめろ、カルカ!……やめてくれ!

 

 声が出ない。

 どうしても呻くことすらできない。

 身体が動かない。

 どうやっても意志が伝えられない。

 

「では、姉様の魔法的な治癒をお願いする為にこれ以上何を差し出せば……私達の力では無理でした。ゼブル様であればより高位の魔法が行使可能と聞き及んでおりますが、姉様が断罪するつもりで剣を向けたわけですから……果たしてご協力いただけるのか……」

「では未来だけでなく、この身をゼブル様に差し上げます」

「……それはカルカ様のご希望かと」

 

 チクリと刺し、ケラルトは力なく笑った。

 カルカはケラルトが少し笑ったのを見て、嬉しそうに微笑んだ。

 

「冗談はさておき……そうですね……ゼブル様もティーヌ様もジット様もホバンスの地酒を好んでおられるとのこと……それに海の幸もお好みのようです。であれば、ホバンスの酒に関する全ての権利と聖王家が聖王国内に有する全ての漁業権とかで手を打っていただけないものかしら?」

「大盤振舞い過ぎて、聖王家の屋台骨が傾きます!」

「でも冗談抜きで全国民の助命を約束して頂いた御礼も兼ねれば、ちょうど良いバランスのような気もするけど……」

「たしかにそうなんですが……全国民の助命に関してはカルカ様が賓客扱いとはいえ実質的に人質になられることが代償ですので……つまり既に支払い済みと思われます」

「それもそうね……でもバランスが取れているとなると、新たにお話を聞いて頂くには、やはりこちらが過大と感じるぐらいの手土産が必要になるわ。先程の案で良ければ、この後ゼブル様にお時間を作って頂かないと……」

「本当に申し訳ありません、カルカ様……姉様が愚かなばかりに……」

 

 ケラルトが平伏した。

 カルカがケラルトの肩を抱き締めた。

 

 どうやらカルカはレメディオスを助命する為に実質的な人質となるだけでなく、ゼブルの魔法的な治癒を得る為に聖王家の大きな収入源を差し出すつもりらしい。

 

 なんで……どうして、こうなった……

 

 後先の考えられない自身を悔いた。

 思考を放り出していた自身を呪った。

 弱い自分を殺したかった……

 

 そう思うことすら、看破されているのだろう。

 だから連中は何もできない状態を是としたのだ。

 

 そう伝えたかった。

 

 でも声が出ない。

 そしてレメディオスは涙も出ない事実に気付いた。

 泣きたいのに……嗚咽は心の中に止まる。

 

「レメディオス、待っていて……もう少しで動けるようにしてあげる」

 

 明るい微笑みを残し、カルカ・ベサーレスは部屋から出て行った。

 妹も後を追う。

 

 そして部屋には誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 罪人。

 恩知らず。

 聖王国の恥部。

 カストディオの負債。

 

 カストディオの天才姉妹の姉にして聖王国最強の聖騎士という天井から転落し、地の底に堕ちてもレメディオス株の暴落は地盤沈下させる勢いで続いた。

 

 命を狙った魔導国副王から助命されたのもいただけない。

 レメディオスの言うところの悪は怒りこそたしかに凄まじかったものの、極めて寛大であり、聖王女の助命嘆願に鷹揚に頷いた。

 どちらが悪なのか?

 事情を知る者でゼブルを悪と断ずる者などいない。

 負い目はどちらにあるのかと言えば、レメディオス・カストディオと答える者がほとんどだ。少なくともゼブルでないのは衆目の一致するところだ。

 結果として聖王女カルカは賓客という名の人質として、戦乱終了後に魔導国首都カルネに長期滞在することとなった。おそらくは残りの在位期間の全てを魔導国内で過ごすことになるだろう。

 民の憎悪を一身に集めていたカルカ・ベサーレスの評判は一転臣下と国民想いの慈悲深い聖王女との高評価に変換された。

 レメディオスの評価と正逆の関係であるかのように……

 

 視覚と聴覚と栄養摂取の為の吸入口としての口しか機能していないレメディオス・カストディオの寝台に多くの者が訪れる。

 そしてほぼ全ての者が神に仇為す愚か者として、レメディオスに蔑みの視線を向けた。

 例外はカルカとケラルトのみ。

 イサンドロやグスターボですらレメディオスに完璧に儀礼に則っただけの冷めた視線しか向けなかった。従者ネイア・バラハだけは視線で意図は測れなかったが……

 

 後任の聖騎士団団長にはグスターボ・モンタニェスが昇格した。

 本来ならば九色であるイサンドロ・サンチェスの方が武力集団の長としては適任なのだろうが、彼にはより重要な役目が与えられた。カルネの駐在武官の筆頭として、カルカ・ベサーレスの護衛役となったのである。

 つまりレメディオス・カストディオは聖騎士団団長の地位を失ったのだ。

 それだけでなく聖騎士の地位も剥奪された。

 刃傷沙汰に及ぶ前までの功績までは抹消されなかった為に軍籍こそ残されたが単なる軍士扱いである。要するに一兵卒だった。

 

 全ての聖王国人は当然のように屈辱を感じていた。現国王を実質的に人質として差し出すのだから当然だ。しかしその原因は聖王国側にあり、魔導国側の怒りが凄まじいものであることも周知の事実だった。

 中でも「神の御使」こと女戦士ティーヌの怒りは限界を突破しており、命を狙われた副王自らがその場で制止したほどである。彼女は聖王国の全国民を根絶やしにすると宣言し、その通り実行しようとしたほどだ。手始めに最も近くにいた聖騎士団従者のネイア・バラハに襲い掛かり、本当に首を刎ねた。

 副王ゼブルが制止し、神の領域の魔法で即座に蘇生させた。

 もしそれが少しでも遅れれば高楼から兵士長パベル・バラハの矢が放たれ、今以上の混乱に陥っただろう。

 

 そして今、レメディオス・カストディオの寝台の横に、少し前では考えられない顔があった。もはや常連と言っても過言ではない。

 つぶらな瞳に憐憫の情が見え隠れしているのも珍しい。

 この部屋を訪れる者はほぼ全て蔑みの視線を向けてくるのだ。

 魔導国の一党が聖王国に現れるまで、対立していた2人の目が合う。

 オルランドが訪問する度に目を合わせる……挨拶みたいなものだ。

 

「……俺もバカだけどよぉ……お前も相当な阿呆だな……聖王国の至宝まで連中っていうか、俺らに献上するハメになるなんてなぁ……」

 

 オルランド・カンパーノの言葉にレメディオスは愕然とした。

 もう今以上の悪い知らせはないだろうと思い続け、新たな知らせを聞く度に思いを踏み躙られ続けられていたが、これ以上の悪い知らせはないだろうと確信させられるぐらいの内容だった。

 

「まあ、あんな剣、貰っても魔導国にゃ聖騎士がほとんどいねえらしいぜ。最初は同盟国の竜王国にいる聖騎士として有名な冒険者に下賜したらどうだ、となったんだがなぁ……旦那がアイツはガチロリで気持ち悪いから、絶対に嫌だって言い出してよぉ……会うのも嫌らしいぜ。で、結局宝物殿に安置って成り行きに落ち着きそうなんだわ……ところで、ガチロリってなんだよ?」

 

 ……知らん!……しかしサファルリシアの保管場所が判ったのは、この上なくありがたい。

 

 瞬きで何かが伝われば良いのに……試みても、やはりオルランドにもレメディオスの思いは伝わらなかった。元々気が合わない相手なのだが、今となっては蔑みの視線以外を向けてくれる僅かに残された人物の1人だ。

 カルカや妹は政務や事後処理に忙殺され、日中にこの部屋を訪れることは少ない。妹に関しては神官団団長としての職務もある。

 カルカに命じられた世話係も憐れみの視線こそ見せるが、基本的に軽蔑されているのは理解していた。

 

 だからこそオルランド・カンパーノのような聖王国を捨てた存在は貴重なのだ。全ての事情を知った上で、レメディオスのやらかしを単なるやらかしとしか感じないのだから。

 

「まっ、俺もティーヌ大先生に4回殺されたんだぜ……信じられるか?……カウンターで綺麗に決まったとはいえ、この俺が蹴り一発で半身を吹き飛ばされて、絶命したんだぜ……まっ、これ以上は語ることが許されねえ秘密のあるんで語らねえがよ……それが俺が旦那達に弟子入りしようと考えた切っ掛けだ」

 

 訪問する度にオルランドがガラじゃない自分語りを始めたのは、それこそレメディオスが退屈じゃないのか、と考えたからだろう。

 大して話が上手いわけでもないが、レメディオスはオルランドの気持ちをありがたく受け取った。

 実際に退屈で仕方ないのだ。

 何もできない。

 そして何も感じない。

 漏れた糞尿も世話係任せの状態なのだ。

 食べるのも主にスープ……歯応えのあるのもが欲しいが、咀嚼可能か不明であり、嚥下さえ間違えなければ命に影響のない冷めたスープ類になってしまうのは仕方のないことと諦めていた。

 手足が動かせず、自力で寝返りもできない為、痛みも痒みも感じないのは非常にありがたいが、視覚と聴覚だけは健在なので、どうしても情報が欲しくなってしまう。

 だが訪問者のほとんどがレメディオスを一瞥しただけで去ってしまう。

 そうでないカルカと妹は仕事に忙殺されている。その忙しさの原因こそが自分自身なのだから文句を言える身分ではないし、そうでなくとも言葉は吐き出せない。

 なので、味方だった時は厄介者か狂犬としか思えなかったオルランドの存在は多少なりとも慰めというか、暇潰しにはなっていた。

 

「……聞こえてんのか?」

 

 オルランドがレメディオスを見詰めた。

 その瞬間を狙って瞬きをしてみる。

 普段ならば何も感じずに別の話を始めるオルランドだが、その時は何故かレメディオスを見ていた。そして小首を傾げる。

 

「もう一度聞くぞ。OKなら瞬きを2回繰り返せよ、アホ姉ちゃん」

 

 レメディオスは想いを込めて、ゆっくりと2回瞬きを繰り返した。

 この状態で初めての意思疎通が成立した。

 相手がオルランドとは情けないが、それでも数多の無関心な者達に比べれば100倍マシだ。

 オルランドも本来はお人好しなのかもしれない。

 意思疎通が確認した瞬間から妙にソワソワし始めた。

 

「おいっ、俺に何かやって欲しいことはあるか?……無ければ1回で、あるなら2回だ!」

 

 レメディオスは2回瞬きを繰り返した。

 涙は出ないが泣きたい気持ちが溢れていた。

 声が出ない。

 表情が作れない。

 感謝が伝えられない。

 この嬉しさだけでも伝えたいのに……

 

「何だよ、おい!……どうすりゃ良いんだ、おい!……チクショーが、何で俺は頭が悪いんだ!……えっ、どうすりゃ良いんだ?」

 

 オルランドが頭を抱えながら、部屋の中をグルグルと徘徊していた。

 そして突然立ち止まり、天を仰いで、手を打った。

 

「俺の手に余るなら相談すりゃ良いのか?……だったら、もっと頭の良い奴が必要だぜ。となりゃ誰だ?……旦那もジットの野郎も忙しいか?……いや、ダメ元で聞いてみる手はあるな………良し、待ってろよ、アホ姉ちゃん」

 

 オルランドは慌てて部屋から出て行った。

 

 なんでそうなる!

 

 レメディオスとしては聖王女カルカか妹に知らせて欲しかったが、オルランドの頭には浮かばなかったようだ。いや、聖王国を捨てた男だ。単純に苦手なのかもしれない。

 

 そんなことを考えた自分に驚き、同時に過去に向き合うべきだと考えた。

 イサンドロやグスターボにはさぞかし苦労を押し付けていたのだろう。

 カルカや妹にどれだけ甘えていたのだろう。

 父や母は言うに及ばずだ。

 周囲は自分という人格をどう捉えていたのだろう。

 

 視界がぼやけ、天井が歪んだ。

 この状態になって、初めて涙が溢れた。

 頬を伝っているかもしれない。

 でも、何も感じない。

 レメディオスには目を閉じることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、薄闇の中に整い過ぎて違和感を感じる顔があった。

 部屋の中が暗い……カーテンを閉め切っても日中にこうはならないだろう。

 おそらく夜中なのだ。

 音も無く、完全に近い静寂の中で、魔導国副王がこちらを覗き込んでいた。

 

「目が覚めたか、レメディオス・カストディオ?」

 

 オルランドが呼び寄せたのならば通じるはす、とレメディオスは瞬きを2回繰り返した。

 

「今のお前にいかなる魔法的な治癒も無駄なんだよ。それは一種の呪いのようなものだ。お前が強くならなければその呪いには抵抗できない。しかし動けないお前には強くなる術が無い。仮に抵抗可能なレベルまで強くなっても俺に対して敵対行動をとれば死ぬ。つまりお前は詰んでいるわけだ……状況を理解したならオルランドとの取り決め通りに瞬きしろ」

 

 淡々と説明された内容に驚愕しながらも、状況の変化を期待して、レメディオスは瞬きを2回繰り返した。

 

「お前の妹にも聖王女陛下にも解呪不可能な代物だ。そして俺ならば解呪可能だ……ソイツはお前が俺に刃を向けた代償だからな。つまり呪いの主が俺なんだ。正確にはお前には感知できなかった俺の護衛が施した呪いだ。オルランドを除く配下はお前をこのまま放置しろ、と言っている。お前をこのまま朽ち果てさせろ、とな……俺もオルランドが土下座までして頼み込まなければ、このまま放置するつもりだった……オルランドの顔を立てて、一度だけお前にチャンスをやろうと思う。ここで俺の気に入る回答が無ければ、お前は死ぬまでそのままだ。理解したか?」

 

 自身をこの状態にした相手が目の前にいた。

 あれほど憎み、殺した上で自身の命を絶とうとまで考えた相手だ。

 事情を知った今、レメディオスはゼブルを視線で呪い殺せるのならば殺したかった。だが自身の無力さを改めて確認しただけで終わった。

 

 ……瞬きを2回繰り返した。

 

「では、よく考えて回答しろ。一度の選択でお前に残された全てを失うぞ。俺はそれでも構わない。いずれにしてもお前が失うだけだからな……可能性やら未来やら……今のお前に残されているのはその程度のものだ。そこでそのまま朽ち果てたいのならば、瞬きは1回だ。そしてお前に残された可能性やら未来を俺に差し出すつもりならば、瞬きは2回だ……次に俺が回答を促すまでの僅かな時間が選択の為に残された時間だ。さあ、よく考えろ」

 

 ゼブルが寝台の横から姿を消した。

 静寂と闇にレメディオスは包まれた。

 思考を巡らせる。

 必死に必死に考える。

 そしてこれが持ち掛けられた取引だと理解した。

 どちらにしても負けは確定のギャンブルみたいなものかもしれない。

 つまり「少しでもマシな方を選べ」と選択権を与えられただけだ。

 

 手持ちの札を確認する。

 生殺与奪は現時点で奴のものだ……つまり自身の最強の持ち札は「命」ではないということになる。

 金も武力も話にならない差があり、手札にはならない。

 既に地位も名誉も失っている。

 レメディオスの人脈も血筋もゼブルにとって価値あるものと認められないだろう。現時点でアレは聖王女であるカルカにもケラルトにも圧倒的に優位な立場から直接交渉可能なのだから……

 

 絶望的な負け戦だ。

 確定している負け分を僅かに取り戻すだけの戦いなのだ。

 

 悔しいが、ゼブルの言葉通りレメディオスに残されているのは可能性やら未来と呼ばれるものだけなのを再確認させられた。

 その手札1枚のみで二択の勝負に挑まねばならない。

 手札を切るか切らないかだけの選択だ。

 手札を切れば……解呪だけは約束されるのは理解した。つまりその先が得られるのだ。だが未来を差し出すとは、それを奪われるということだ。屈辱的なのは間違いない。アレに「聖王国を裏切れ」と命じられれば、裏切らなければならないのだろう。そうしなければ再びこの状態に逆戻りさせられるのは目に見えている。

 

 絶対に嫌だ!

 もうこんな思いはしたくない……

 私は裏切ってしまうだろう……

 それが嫌ならば最初から緩慢で無意味な死を受け入れるのか?

 

 ……無理だ……

 

 仮に手札を切らなければ、この場の満足は得られるかもしれない。ほんの一瞬だけの自己満足だ。妹にはこの先どれだけの迷惑を掛けるのか?……父と母が老いていくのを眺めながら、自分が死ぬまで他人にシモの世話まで任せるつもりなのか?……意地を貫き通す為だけに、意地を張る相手が痛痒にも感じない自己満足を得て、自ら朽ち果てることを選択できるのか?

 

 絶対に無理だ……ゼブルにネタバラシをされなければ、どうにか耐えられたかもしれない。だが事情を知らされ、解呪の為の選択権を与えられた後では、もう無理だった。

 

 答えは決まった……いや、最初から決まっていた。

 悪との取引……心理的な抵抗は強い。

 だが視覚と聴覚以外の何もかも奪われた現状に死ぬまで耐えることなど不可能だった。

 

 レメディオスは自身の無力さに打ちのめされながら、ゆっくりと大きく息を吐いた。

 

 あの男が戻ってくるまでの残り僅かな時間だけが、レメディオスの自尊心に残された時間だった。

 

 

 

 

 

 

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 自ら臣従を申し出た。

 その場に居合わせた者達の中で、ケラルト・カストディオが最も驚いているのは間違いないだろう。普段は美しく気高い顔付きが、惚けたような表情を盛大に人前で晒していた。

 

 違うのだ、妹よ!……だがやらねばならないのだ!

 

 大砦に臨時で作られた聖王女の執務室の中央で、レメディオスは込み上げるものを飲み込み、正面に立つ怨敵に黙礼した。

 視線が絡み合う。

 脳の中に直接指示が送り込まれる。

 既に何度も経験していたが、どうしても馴染むことのできないそれが開始の合図だった。

 

「今、この瞬間より死ぬまで私はゼブル様の臣下だ!……家名こそ捨てる気はないが、カストディオの家はケラルトに継いで欲しい。カルカ様をよろしく頼む。たとえ断られても、私はゼブル様に着いて行く。魔導国ではそう言った者を全て受け入れるそうだ」

 

 聖剣サファルリシアが手元に無いのは寂しい限りだが、拝跪し、訓練用の予備剣をゼブルに捧げた。騎士が剣を捧げる先には主君が立っているものだ。その先には当然のようにゼブルの姿があった。

 

「仕方ないな……お前の剣を受け取ろう、レメディオス・カストディオ」

 

 無表情に嘆息する主君に、痩せ衰えて頬のこけた騎士が深く首を垂れた。

 台本通り……レメディオスは忸怩たる想いを胸にゼブルに降った。

 脳の中に爆弾を抱えている。

 ゼブルがソレに命じた瞬間、あの状態に逆戻り。

 最悪、そのまま脳を食い破られ、絶命する……それこそ無意味に。

 レメディオスの心は折れていた。

 もう以前には戻れない。

 ゼブルの笑いに全力で媚びてしまう。

 あの絶対的な無力感だけはもう味わいたくなかった。

 もう2度と……絶対に!……永遠に!

 

「では起立して良し……この時以降、俺と魔導国の為に尽くせ。良いな?」

「ハッ!……この命が尽きるまで、最後の血の一滴までゼブル様の為に使うことを誓わせていただきます。どうぞ、存分にお使い潰しください」

 

 可能ならば今でも殺したい。

 それがこの世の為だ。

 

 コイツは悪魔だ……いや、もっと悪質な異形だ。

 

 アンデッドの王を支える魔導国の一部となった今でも、この男だけは許せない。だが逆らえない。逆らうことが許されない。

 

 命を捨ててでも殺すべきなのだ……でも……できない。

 

 そう思いながらもレメディオスは起立して、再度ゼブルに誓いを立てた。

 

 あの夜、選択をした。

 未来を代償に五感を取り戻した。

 忠誠と引き換えに本来の身体に戻してもらった。

 配下となる為に自尊心を捨て去った。

 信用を得る為に何度も何度も死の体験を刷り込まれた。

 

「壊れても良いつもりでやるぞ」

 

 ゼブルの宣言でそれは始まった。

 

 空っぽの胃で何度も何度も嘔吐した。

 耐えきれずに小便を漏らした。

 その上にへたり込み、嗚咽を漏らし、すすり泣いた。

 絶叫し、号泣した。

 やめてもらう為に小便で濡れた床に額を擦り付けた。

 懇願し続け……目の前の靴を舐めた。

 そして許された。

 もはや粉々に砕かれた自尊心の残り滓すら持ち合わせていなかった。

 憎悪や殺意を向けるなどバカバカしい。

 考えることはできても、とても実行に移せない。

 目を覗き込まれただけで、身体が動かなくなる。

 

「まっ、思うのは自由だ。だが俺が命じればどうなるか、よく知ることだ」

 

 ゼブルの言葉を聞いた瞬間から、自力で身体が制御できなくなり、取り戻した膂力で自身の首を絞めたのだ。

 もはや反抗する気力など残されていないのに……

 脳の中に仕込まれた何かがレメディオスを全力で殺そうとしていた。

 顔がはち切れんばかりに膨張していた。

 痩せ衰えたはずの両腕の筋肉が容赦なく力を加える。

 意識が飛びそうになった瞬間、身体の制御が戻った。

 そのまま床に倒れ込み、自分の小便に再度顔を沈めた。

 ヒューヒューと喉が鳴っていた。

 どこか他人事のように、事態を飲み込んでいく。 

 

 せっかく以前の身体を取り戻したのに、依然として生死の自由すら奪われているのだ。ゼブルが思うだけで、あっさり死ぬような状態なのだ。ギリギリの綱渡りでなんとか命を繋いだだけだ。

 

 レメディオスは絶望と共にそう認識した。

 床に仰向けになり、見下ろす男の壮絶に美しい顔を見上げた。

 

「俺にとってお前の価値はゴミ屑以下だ、レメディオス……だがオルランドのお陰でこうして動ける身体を取り戻したことに感謝するが良い。それにお前は国政の中心に近過ぎる。だから国を捨てろ。良いな?」

 

 レメディオスは叱られた子供のように嗚咽しながら何度も何度も頷いた。

 

 そして衆目の中、聖王女カルカ・ベサーレスを捨てるこの茶番を演じさせられている。

 もう2度と戻れぬように……そう望まぬように……

 

 顔を上げるように命じられた。

 美しい顔を歪めたカルカが口元を隠していた。

 その大きな目には涙が……

 

「良かった、レメディオス……本当に良かった」

「カルカ・ベサーレス様には感謝しかございません。愚かな私をこれまで導いていただき、重用していただきました。恩知らずにも道を違えることをお許しください」

 

 心中で何度も「違うのだ!」と叫ぶも、レメディオスは表情で無念を伝えることすら許されていない。忠誠を誓う相手を捨て去り、厚顔にも先日殺そうとした男に仕えることを求められていた。

 それを表明するこの儀式はレメディオスの精神をガリガリと削っていたが、圧倒的な恐怖が止めることを許してくれない。

 

 友情と忠誠と信仰……レメディオスを作り上げていたものが目の前で刻一刻と瓦解していく。

 

 いや、自らの手で壊すことを求められているのだ。

 恥知らずにも生きることに執着し、信仰や正義など「クソ喰らえ」と思っている。

 それすら本心なのか、それともゼブルに埋め込まれた何かにそうも思わされているのか……もはやレメディオスには判らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 魔導国一党の末席に加わり、新たな剣と甲冑をゼブルより下賜された。

 純白に輝くフルプレートと丸盾に透明な刀身が際立って美しい片手剣だ。

 純白のマントに白銀と黒のサーコートも下賜された。

 両手には10個の指輪。

 アンクレットにブレスレットにネックレスと盛大に着飾ったお登りさんのような気分だ。

 全てがサファルリシアを軽く凌駕した神域のアイテムだった。

 身に纏っただけで強くなったような気にさせられる。

 

 少なくとも新しい主人は吝嗇ではないらしい。

 ひとでなしの悪党ではあるが、気前はすこぶる良かった。

 

「ありがとうございます、ゼブル様」

「あー、そうだな……お前は様付けのままでいーや……なんとなくお互いに仲良くなるのに時間が必要な気がするし」

 

 深く頭を下げたレメディオスにゼブルはそう言った。

 

 全くその通りだ。

 仲良くなる必要などない。

 その気もない。

 おそらく永遠にそんな瞬間は訪れない。

 

「まっ、気長にやろう……仲良くする必要はないが、お前は俺に従う必要がある。お前は魔導国の国民であり、俺の配下だ……で、ある以上、お前にはそれなり以上に強くなってもらう。とりあえず制限のない装備は見繕った。魔導国に戻ったら、魔導王陛下に頼んで育成するぞ。成長すれば刃向かうことは可能になるが、脳味噌の中は鍛えられないからな……支配は無理でも殺すことは可能だ」

「……よく理解しています、ゼブル様」

「ならば、よろしい」

 

 ゼブルは興味なさげに肉に食い付き、酒を飲み始めた。

 

「失礼します、ゼブル様……退出の許可を」

「ああ、退出して、良し」

 

 レメディオスは深く一礼し、そのまま魔導国の控室から退出した。

 ゼブルの側にいても針の筵であり、それ以外の大砦内部は生き地獄だ。

 だが、それでも自由に動ける分、ゼブルの側から離れたかった。

 脳内から監視されているが、余計な事を言わなければ問題はない。

 

 快適さよりも頑丈さだけを追求した石造の通路を進む。

 ごく稀にすれ違う兵士達の視線が痛い。

 最初は素晴らしい装備に目を奪われ、直後異常者を見る目に変わる。

 そうでない者も聖王女を売って、神の座す魔導国に取り入った不忠者と認識しているらしく、極めて不愉快な表情を向けた。

 彼等の立場からすると自分達も神の下で、神の御使と肩を並べて戦いたいのに、神に刃を向け、聖王女陛下を売ったレメディオスだけがゼブルの従うことが許された結果が承伏し難いらしい。彼等はオルランドを先見の明があると思っているが、レメディオスは犬の糞以下と思っているのだった。

 

 すれ違った後、唾を吐き捨てられることもしばしば。

 

 気にし過ぎかもしれないが、どうしてもこれまでの自身の言動がブーメランとなって精神を抉る。これまで蔑み、毛嫌いしていたオルランドの仲間となったのだ。単純に目的の為に聖王国を裏切ったオルランドよりも、さらに下衆な選択をした結果である。しかもオルランドは恩人であり、頭が上がらない。

 

「違う……と言うだけ無駄か……」

 

 レメディオスは肩を落とし、高楼へと急いだ。

 一歩一歩階段を踏み締める。

 力が戻りつつある足取りは軽いが、気は晴れない。

 それは陽光の下に出でも変わらなかった。

 

 自由なのだ……全てを捨ててまで取り戻した自由だ。

 

 眼下に広がる空っぽの戦場……既に亜人の軍勢は戦場を移動し、大砦周辺には小集団による攻勢が散発的に見掛けられるだけになっていた。

 

 魔導国の援軍は自身を加えて総勢5名……それに戦闘訓練用の亜人が1名。

 

 明日の朝にはこちらも戦場を移動すると聞かされていた。

 既に大砦の聖王国軍の半数以上は南方に移動を開始している。大砦の残るのは元々常駐している守備隊のみで、自分達は北方に移動するらしい。

 帰還は集団転移魔法で一瞬……そう説明されていた。

 そんな安易な方法があるのならば、一刻も早く戦場を北に移すべきではないのか?……発言することを許可され、意見してみたが、オルランドを除く3人には沈黙と笑いで返された。

 

 嫌な沈黙を破ったのは主人であるゼブル。

 

「お前も魔導国の同胞となったのだから話しておこう。そうだな……魔導国は聖王国ではない……我々は聖王国の傭兵ではない。だから軍の指揮下には入っていないのだ。つまり聖王国に味方するが、それは良いように使われることを意味するものではない。我々には我々の目的があり、それを達成する為に動いている。その一環として聖王国を助けることを決めただけだ。そもそもこの程度の亜人の軍勢など一ヶ所に集めてしまえば我々だけで即座に殲滅可能だ。既にお前の妹とは落とし所は大筋合意済みだ。カルカ・ベサーレスの身柄まで手に入ったのは想定以上の成果だが……」

 

 理解の及ばない話になった。

 しかもケラルトと合意は成っていると言う。

 それでもカルカの動向は想定外だったらしいが……それについては全てレメディオスの責任なのだろう。

 それ以外については頭痛がする。

 理解以前の問題だ……何故、ケラルトが?

 そして……

 

「……魔導国の目的とは?」

 

 なんとか捻り出した最大の疑問に、僅かな沈黙の後、ゼブルは躊躇なく答えた。

 

「まっ、良いだろう……他者に漏らせばお前は話そうとした瞬間に死ぬよりも恐ろしい状況に逆戻りなのだから、話してやろう……魔導国によるアベリオン丘陵の領有だ。当然、亜人達は我が国民となる。その承認を聖王国と王国に依頼することになる。既に王国は籠絡済み……連中が魔導国の意向に反するようなことはない。そして聖王国とも大筋合意済みとなった。後は法国とエイヴァーシャー大森林のエルフの王国を黙らせる。2ヵ国間で戦争中であり中々工作は難しい状況だ。どちらか一方に肩入れすれば、もう一方は承認を拒むだろうからな。それでも周辺3ヶ国による合意は外交的なメッセージとして大きな効果を発揮するだろう。どちらか一方でもすり寄ってくれば、我々としては非常にやり易い状況が生まれるわけだ」

「何故、妹が……?」

 

 あまりにバカげた話だ。妹は魔導国にアベリオン丘陵をくれてやる為に多くの聖王国兵を死地に向かわせ、実際に死ぬことも黙認したということだ。

 

「……解らないのか?」

「解るはずもない!」

「お前の妹は聖王国の未来を買ったんだ。魔導国のアベリオン丘陵領有を承認する代償として、未来永劫管理させ、魔導国と不可侵条約を締結する。あるいは我々が主導する同盟に加わり、安心と安全を得るつもりなのだ。この亜人対策の要塞線を維持する費用と国民皆兵制のせいで聖王国が周辺国に比して発展しないのは明白だからな……まっ、偶然の産物かもしれないが、縋り付く相手として我々魔導国を選択したのは賢明だよ」

「そんなことの為に多くの兵が死んだのか……?」

「国家の存亡が、そんなこと?……お前はその国を守る為に命を賭して働いていたのだろう?」

 

 言いたいことは解るが、簡単に納得できるものではない。

 多くの戦友が死んだのだ。

 犠牲者を生む前に……どうにかできなかったのか?

 

「違う道は無かったのか?……犠牲者達に何と言えば……」

「ハッキリ言って……無い。聖王国単独ではアベリオン丘陵を統治できない。できない以上、亜人が組織化した軍勢に勝てるわけがない。お前は結果論で簡単に語るが、犠牲が出る前に魔導国が救援に来ることを望んだか?……そうではないだろう。現に俺を排除しようとしたからな」

「それは……そうかもしれない」

 

 嫌なことを言う……だが正論というやつなのだろう。反論ができなかった。

 

 ふぅ、と息を吐く。

 多くの戦友が散華したのっぺりとした地形を眺める。

 そのまま背を向けて、欄干を背もたれに座り込んだ。

 

 戦友達を裏切った自分が憂いを感じて良いのだろうか?

 妹は兵でも国民でも親友である君主でもなく、聖王国という国家の未来を選択した。

 親友は自身を未来を捨てることで、レメディオスの命を救った。

 自分は全てを捨てて、地獄から逃げた。

 悪と取引し、僅かばかりの身体の自由を手に入れた。

 

 涙が頬を伝う。

 

 吹き抜ける風が慟哭を掻き消した。

 




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