善とも悪とも判然としない。
魔導国とは実に厄介な国家であった。
今回も一方的な宣言が各国に布告された。
曰く「アベリオン丘陵を魔導国の領土とする」と。
魔導国の宣言に続き、各国が承認する。
隣接する王国と聖王国はもちろん、魔導国と同盟を形成する帝国、竜王国、ビーストマン国家にドワーフ王国と、ここまでは順当だったが、さらにカルサナス都市国家連合までもが魔導国の同盟国として承認した。
その直後に聖王国からも魔導国の同盟に加わるとの発表があり、魔導国周辺で同盟に加わっていないのは実質的属国である王国を除けば法国、評議国、エルフの王国のみという情勢に激変していた。
唯我独尊の大国であるアーグランド評議国は宣言を無視した。
同じくエルフの王国も無視を貫いた。彼等としては緩衝地帯を失うのは痛いはずだが取り囲まれるわけでもなく、敵対する法国の出方を待つという意味もあるのかもしれない。
だが周辺全てが戦争中のエルフの王国と魔導国の同盟に取り囲まれる法国は選択を迫られていた。いかに軍事大国とはいえ、周辺を閉鎖され、経済的に孤立化させられれば、干上がらないまでもダメージは計り知れない。これまでも密かに経済的な影響は大きくなりつつあったのだ。それに追い討ちを掛けるような布告を正式に表明されては、国民に対してもなんらかの対策を打ち出さねばならなくなっていた。
最高執行機関の会議は日々紛糾に紛糾を重ねている。
信仰的にはアンデッドが率いる国家など認められない。
彼等の主張する「多種族共生」など以ての外だ。
国是である「人間至上主義」とは完全に水と油。
しかし疑いつつも、その実上層部は魔導王を称するアンデッドがプレイヤーでないかと期待もしている。古に彼等を導いた闇の神『スルシャーナ』に近い存在の再臨ではないか、と……少なくとも魔導王のアプローチは邪悪な『八欲王』などとは全く違う。自身に味方する者を豊かにするという彼等のやり方は単なる「悪」と断罪することを躊躇わせた。
これまでのところ、魔導国に対しては対策どころか方針すら固まっていない。
かと言って、先延ばしは悪影響しか生まない。
既に他国との貿易を生業とする者達には最高執行機関に対する不信感が醸成されつつある。魔導国の形成する巨大な経済圏の爆発的発展を目の当たりにすれば、これまでは軍事的優位に立っていた法国の相対的地位低下は否めなかった。
それに対して無策の最高執行機関は「無能」の謗りを免れない。
信仰的に他国よりも強固な政治的基盤を持つとはいえ、経済的発展からの脱落は国民に不安と不満を抱かせつつある。
既に同盟域内と王国の貨幣鋳造権を掌握した魔導国の発行する新貨幣は、法国や評議国の使用する旧貨幣の2倍以上の価値と見做され、法国は貿易的にも苦境に立たされていた。同盟域内は安定した物価に比して国策として賃金を大幅に上昇させた為、急遽魔導国が主導した通貨の切り上げ措置である。もちろん魔導国の真の目的は鋳造権の掌握にこそあるのだろうが、結果として生産力の劣る同盟域外の物価は爆発的に急上昇した。その副産物としてカルサナス都市国家連合が戦わずに魔導国に膝を屈した大きな要因ともなった。
軍事力で侵攻されるのならば信仰心の強い法国国民は戦時増税にも耐えられようが、経済的な孤立もしくは脱落は簡単に全ての国民の心を追い詰めてしまうのだ。
このままでは1500万国民の流出が始まってしまうかもしれない。
何より魔導国は移民を希望する者のほぼ全てを受け入れているのだ。
魔導王アインズ・ウール・ゴウン……仮面のアンデッド王の仕掛けた静かな戦は法国の軍事的な強大さを無視し、国民を直接迷いの中に誘っていた。
邪悪な『八欲王』のように実力に訴えるわけでもないが、支配欲がないとも思えない。とは言っても、膝を屈した国家が搾取されるわけでもなく、むしろ経済的な恩恵は凄まじいものがある。欲に目が眩んだ周辺国はあらかた籠絡され、王国内の一部に反感の芽は残されているものの、現在でも魔導国と距離を置いているような国家は法国の関係も総じて良くなかった。
反魔導国の兆しを感じさせる王国の一部は、かつて『陽光聖典』を派遣して密かに屠ろうとしたガゼフ・ストロノーフを中心とした一派である。
隣国であるエルフの王国とは戦争中。
『白金の竜王』が率いるアーグランド評議国とも交戦こそしないが実質的に冷戦と呼べるような状況であった。
つまりスレイン法国としては事実上八方塞がりの状況に追い込まれつつあった。
この議題についてはどれだけ回を重ねても、会議は一向に進展しない。同じ議題のみが繰り返される為に会議には定められた進行役もいない。
よって恒例の会議前の清掃が完了すると、最高神官長が口を開いた。
「最初の議題……いや、主たる議題についてだが……」
もはや対魔導国問題が会議の議題の全てと言っても過言ではない。最高神官長の言葉を受けて、土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンが立ち上がり、円卓に着座する面々を見回した。
「つい先程、新たに裏の取れた情報がございます。文書としてまとめる時間が無かった故、口頭での報告をお許しいただきたい」
一同が頷く。
確定情報はいくらあっても困らない。このジリジリと追い詰められつつある状況をどうにかして打破しなければならない。その為には軽々しく方針を決められないのだ。間違えることもできない。最高執行機関はなんとしても国家の内部崩壊を防がねばならないからだ。
レイモンが大きく息を吸う。
そして喋り始めた。
「……元『漆黒聖典』第九席次『疾風走破』の所在が確認されました」
法国を裏切り、国宝を持ち出し、国外逃走した重大犯罪者ではあるが、今回の議題に直接関係するものとは思えない。
かと言って、レイモンが無関係な話題を最初に持ち出すはずがない。
一同の戸惑いが視線となって、レイモンに集中した。
「確認されたのはローブル聖王国首都ホバンスにて……聖王国軍の対亜人戦勝式典の最中です」
一同の困惑がさらに強まる中、水の神官長ジネディーヌ・デラン・グェルフェが枯れ枝のような顔を向け、厳しい視線で応じた。
「レイモンよ、お前のこと故、それが無関係な情報でないことは信じている。だが少々回りくどいな」
「これは失礼しました、ジネディーヌ老……しかしことは極めて重要であるが故に、最初に皆様にお知らせしようと考えました……」
レイモンは一呼吸置き、言葉を続けた。
「……『疾風走破』は髪色と装備を変え、式典の壇上にいました」
静かな騒めきが静謐な空気を駆逐した。
単なる傭兵などでは考えられない。
傭兵は戦果を栄誉でなく金銭として受けるはずなのだ。
それはつまり『疾風走破』クレマンティーヌがローブル聖王国の上層部に食い込んでいることを示していた。
レイモンは一同の反応を確認するとさらに言葉を続けた。
「……『疾風走破』は式典の主賓であるアインズ・ウール・ゴウン魔導国副王ゼブルの護衛として、彼の右手に控えていたのです」
一同の内の誰かの唾を飲み込む音がやけに煩かった。
「それが確定情報ということであれば、つまり叛逆者『疾風走破』は魔導国副王の側近ということか?」
一同を代表した闇の神官長マクシミリアン・オレイオ・ラギエの言葉に絶望的な空気が神聖不可侵であるはずの部屋を満たす。
つまりスレイン法国は全くの八方塞がりに追い込まれた可能性がある、ということだった。周辺は敵だらけ……しかも以前と違い、軍事的に圧倒的優位とはとても言い切れない。
エルフの王国との戦争は長引いている。
強国アーグランド評議国とは根本的に相容れない。
それ以外は魔導国の同盟国か実質的属国であった。
その魔導国の最高意思決定の序列2位の最側近として、スレイン法国に叛逆し、法国としても追っていた者がいるということだ。
どう考えてもスレイン法国は孤立無援であり、追い詰められていた。
「その通りです。ティーヌと名を変えた『疾風走破』は魔導国副王の最側近であり、ローブル聖王国の軍部からは『神の御使』と呼ばれています。確報ではありませんが、対亜人の戦闘で、単騎で亜人10000以上を屠ったとの情報もございます。もし本当であればもはや戦闘能力も我々の知る『疾風走破』クレマンティーヌではありません……ですが、私はこれを魔導国に対する糸口と捉えても良いのではないか、と考えました。少なくとも魔導国副王への窓口に繋げられるのではないでしょうか?……幸にして副王ゼブルは人間と聞き及んでおります。今後『六色聖典』を動かす上でも皆様のご意見を頂戴したい」
レイモンが問い掛けに、口火を切ったのは光の神官長イヴォン・ジャスナ・ドラクロワ。痩せこけた顔に不快感を露にしていた。
「……それは巫女姫と護衛を殺し、国宝を持ち出した『疾風走破』を赦免するということか?」
「と言うよりも、それは大前提となります。『疾風走破』クレマンティーヌを赦免しない限り、交渉の糸口すら掴めません。我々が決断しなければならないのは時間との戦いです。このまま経済的に追い詰められれば、近々にも国民の離脱が始まるのは間違いないでしょう。上昇に歯止めの掛からない物価に、下落する一方の我が国の貨幣価値では……たとえ国境を封鎖しても焼け石に水です。自国だけでは経済的に立ち遅れるのは間違いなく、最後まで残るのは信仰と一蓮托生と考えるごく一部の国民と神官のみと予想されます。それほどまでに魔導国の経済的侵攻は悪辣なのです」
レイモンの回答にイヴォンは元々陰湿に見える顔付きを歪めた。
反論しようにも、今こうして最高執行機関が日々会議に明け暮れる現実こそが現状を現しているのだ。レイモンの言う通り「時間との戦い」なのは疑いようのない事実だった。
2人に割って入ったのは風の神官長ドミニク・イーレ・バルトゥーシュ。表面こそ温厚そうに見えるが、元来歴戦の聖騎士であり、その視線は極めて険しく冷酷だった。
「仮に……あくまで仮にだが、エルフの王国と一時的に停戦し、戦線を一つに集約した上で総戦力をもって魔導国と開戦したとして、我々に勝算はあるのか?」
最も関心の高い話題だが、誰も躊躇していた話題をあえて口に出した。
この際に心の奥底にしまっていた情報を開示し、皆の意見を統一しようと言う試みであり、むしろレイモンの意見に与するものであった。
「あくまで『風花聖典』と『占星千里』からの情報が全て正しいと仮定した上での、私見ですが……魔導国の軍事同盟が一切機能しなくても厳しいとしか申し上げられません。まず魔導王自身が帝国のパラダインが公然と師事を願う程の魔法詠唱者であります。さらに『陽光聖典』の失踪もしくは壊滅に関与しているのも間違いありますまい。つまり最高位天使を退けた可能性すら捨て切れません。次いで確定情報によれば魔導国内を巡回する衛兵団でデス・ナイト及びソウルイーターの姿が複数確認されております。加えて、そのような高位アンデッド達が生者を襲うといった報告もなく、むしろ魔導国国民にはアンデッドの有用性が認知されつつあるとのこと。戦力としてだけでなく、労働力として、極めて公正な公僕として、魔導国内では欠かせない存在となっているようです。つまり魔導国は高位アンデッドを完全に統制し得ると考えて間違いないでしょう。さらに魔導王に次ぐ単独戦力としては冒険者モモンの存在もどう動くのか、全く予想ができません。魔導王の冒険者の地位を向上させる政策を好意的に感じているのは確実でしょう。国家からの依頼を受ける存在としての冒険者モモンは魔導国の為に剣を取る可能性があります……しかし魔導国の真の恐ろしさはそう言った個々の大戦力でなく、経済的な侵略にあると考えています。指導層がどう考えようとも国民が受け入れてしまえば覆しようがありません。彼等の保有する莫大な資金と異常な生産力が周辺国家群に与える影響は計り知れません。仮に我が国が宣戦布告しても、我が国側に立つ国家は無いでしょう。魔導国は金貨の山を積み上げるだけで、我々を悪としてしまうのです。それだけに戦争に関してはあくまで最後の手段であり、その最後の手段でも勝利の確信までには程遠いのが現実でしょう……あえて問うことをお許しください。お集まりの皆様の中で魔導国に対して勝算をお待ちの方はいらっしゃいますか?」
誰も口を開けなかった。
魔導国に対して戦端を開くことに躊躇する者はいない。
だが「勝てるか?」と問われれば「勝てる」と答えられる者は皆無だ。
大元帥ですら、いや軍事を統括する彼だからこそ、強気の言葉は発せない。
防衛であればまだしも、時流に追い詰められたなどという理由ではこちらから開戦することはできない。
彼等は指導者なのだ。
民をより良き方向に導かねばならない。
全員が程度の差はあれ神官職だが、信仰だけを根拠に民を導くほど短絡的思考に陥る者はいないのだ。
「ではあくまで提案ですが、まず魔導国との交渉の窓口を作りたいと考えています。その対象は副王ゼブル……彼は魔導国における外交の責任者とも聞き及んでおります。その取っ掛かりとしての『疾風走破』クレマンティーヌの赦免……皆様が不本意なのは承知しております。しかし『六色聖典』を統括する私が、元『漆黒聖典』の罪人を赦免することに忸怩たる思いを抱かないわけがございません。その思いを噛み殺した上で積極的に皆様にお願いするのは、それが国家にとって最善と考えてのこと。日々会議で我々が方針が決められない以上、敵から直接情報を取る必要があると考えました」
レイモンが全会議参加者を見渡し、最後に最高神官長を見た。
最高神官長が決を取ろうと口を開きかけた瞬間、火の神官長ベレニス・ナグア・サンティニが口を開いた。ふくよかな女性である。
「それでは我々の一方的な譲歩という形になり、交渉開始前からナメられないかしら?……交渉の窓口を求めることに反対はしないわ。でも副王ゼブルに対して、交渉開始前からの大幅な譲歩は法国を風下に立たせないかしら?」
ベレニスの言葉にレイモンは真摯な眼差しを向けた。もちろんベレニスがあえて苦言を呈したのは理解している。その回答を共有するつもりなのだろう。
「最初に……これはあくまで私の現状認識です。スレイン法国は魔導国に対して既に下流にあると考えています。新興の大国である彼等は建国してからこれまでのところ軍事侵攻することなく、常に周辺国の承認によって領土、権益の拡張を進めてきました。事ある毎に我が法国にも布告は為されてきましたが、事後承認すら求められたことはございません。つまり法国が認めようと認めまいとどうでも良いのです。儀礼上知らせはするが、知らせた後にどのような反応があろうと知ったことではない、ということです。有り体に言えば、相手にされていないのです。これについては評議国も同様でしょう。既に成立してしまったものに反対を表明しても、言葉で覆すのは無理でしょうから……承認した周辺国は魔導国の資金融資、都市開発、土地開発、領土整備、流通整備、労働力提供、教育改革と既に取り込まれています。その結果として魔導国は周辺諸国に莫大な利益をもたらすのです。彼等のもたらす潤沢な利益を投げ捨てる国家などありません。カッツェ平野の戦いの手酷い敗戦で領土と権益と多くの命を奪われた王国ですら、エ・ランテルに近い地域では魔導国に隠れて移民する者が後を絶たず、エ・レエブルでは魔導国の都市開発によって空前の好景気を迎えているようです。よって実質的に王国最大の権力者となった宰相レエブンも魔導国には頭が上がらない……我々が戦う相手は魔導国の作り上げたこのシステムなのです。彼等は利益という名の巨大な棍棒で対象を殴り付けます。これに一度でも殴られると相手は彼等に逆らえなくなるのです。もちろん純軍事的にも彼等は強大です……我々は敵の情報を得なければなりません。相手にされていない現状を打破しなければ適切な対処は不可能……私はそう判断しております」
レイモンは『疾風走破』の赦免についてはもはや語らなかった。
そのような細かい事案で言い争っている場合ではない……彼の認識では経済的な窮地そのものが魔導国の侵略行為と捉えていた。目の前にある好環境を拒絶して、信仰に殉じ、清貧に我慢できる国民などごく少数しか存在しない。1500万に及ぶ国民の中でも、甘い見積もりで数パーセント存在しているかいないか程度に違いない。
魔導国をナメてはあっと言う間に蹂躙される。
彼等は一般国民に豊かさを与えることを武器としているのだ。
ほんの数ヶ月前まで荒廃し切っていた竜王国の現状はどうか?……法国の辺境部よりもはるかに豊かだ。南部の一部では怨敵ビーストマン国家との直接取引まで始まっていると聞く。ビーストマン達も魔導国に雇われ、同盟域内各地で人足として働いていると聞く。
手痛い敗戦で国力を大幅に毀損した王国は?……既に帝国に対する賠償金を払い終え、力強く復興している。その資金の出所は魔導国であるとの噂も絶えない。事実として魔導国による貨幣鋳造権の掌握は、王国の賠償金支払いが完了した後に行われたからだ。あまりにタイミングが良過ぎる。それは周辺国に対してのメッセージではないのか?
亜人との戦乱を乗り切った聖王国は?……即座に魔導国の同盟国と化し、聖王女カルカ・ベサーレスを魔導国首都カルネに送るとの発表があった。表向きこそ同盟国だが、実質的に属国ではないか?……しかし彼等は王を差し出すという屈辱を乗り越えて、積年の懸案事項であったアベリオン丘陵の亜人問題を解決した。法国と評議国という旧来の二強国では解決できないと踏み、魔導国を頼った結果だ。聖王国は魔導国のシステムを受け入れて、今後力強く発展するだろう。
レイモンが着席する。
同時に最高神官長が採決を促した。
ベレニスが頷く。
「……レイモンの提案に反対意見のある方は挙手後、反対意見を述べて下さるかしら?」
誰も手を挙げない。
停滞していた状況は一つの方向に転がり始めた。
それがスレイン法国の未来にとって、良いものなのか?
誰にも解らない。
*************************
「えーっ、まだ帰国しないんですか?」
メッセージの向こうでアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が地団駄を踏んでいた。
「いや、帰りたいのは山々なんですけど、とうとう俺にスレイン法国から接触があったんですよ。さすがにこれまで魔導国の数々の布告に対して無視を決め込んでいた連中も今回のアベリオン丘陵領有化は厳しかったんでしょうね。地理的に完全に四面楚歌となるわけですから……連中としては、俺の御招待に際して大盤振舞いの手土産を用意してくれたわけですよ。あくまで連中としてはなので、俺には対して響きませんでしたが、こちらとしては上層部との接点そのものが欲しかったのも事実ですからね」
「手土産って、何ですか?」
「俺の連れているテロリストの罪の赦免です。まっ、それがないとこちらも法国に入国できないわけですから、当然っちゃ当然ですけど」
「テロリスト?……ティーヌですか?……アイツ、元法国人なんですか?」
「その通りですよ。しかも元『漆黒聖典』とか言う厨二ネーム丸出しのエリート特殊部隊所属で、二つ名が『疾風走破』だったかな?……それはさておき、赦免のメインはティーヌでしたけど、ついでにジットに関する罪の全ての赦免を要求したら、二つ返事でした。まっ、ティーヌほど関心が無いのかもしれませんが回答の早さを考慮すれば、それだけ連中も追い込まれていると考えて良いと思います」
「へぇ、ジットも元法国人なんですか?」
「そうです。それが何故かエ・ランテルで住民を虐殺、大量にアンデッドを発生させる儀式で自身がアンデッド化しようとしていたっていう……」
「アンデッド化が希望だったら、その時一言でも言ってくれれば、いつでもアンデッドにしてやったのに……俺としても仲間ができて良かったのかも?」
「その時の俺達は冒険者に成り立てで、俺に至っちゃこの世界について右も左も判らない状態でしたからねぇ……何にせよ、スレイン法国の内偵を任せられない連中なんですよ。以前、俺が法国人を欲しがったのも2人が法国のお尋ね者であったから……ナザリックにも人材がいない。範囲を魔導国まで広げても上層部にまで顔が効くとすれば神殿勢力……それを向こうから接触を試みるところまで追い込めた。これは大きな成果です」
「大陸中央に進むにつれ、亜人の力が強くなり、隣国とは戦争中……で、それ以外に隣接する周辺国は全て魔導国の影響下……まっ、たしかに厳しい状況ではありますね。魔導国が経済的な豊かさを広める中では、暢気に人間至上主義を標榜しているわけにもいかない、と」
「まっ、そーゆーことだと思います。これまでこの地域を牽引してきた軍事大国であり、宗教国家なので主義主張を曲げるわけにはいかないでしょうけど、そろそろ魔導国と折り合いをつける為に擦り合わせを開始しないと、上層部はともかく一般国民の不満をコントロールし切れるか、不安にもなる頃合いでしょうね」
「なるほど……さすがはゼブルさんだ。で、今回は俺に出番とかありませんかね?」
「むしろ話がまとまる前にアインズさんが出張ってくるような事態は避けたいんですけど……下手すれば全面戦争一直線ですよ」
「んー、戦争は避けたいなぁ……でも、ゼブルさんがいないと暇なんでよ。街の散策しても、国民が気を遣ってしまうからむしろ労働の邪魔になる感じなんですよ。最近じゃ冒険者訓練所にモモンの姿で行っても、講師連中は訓練の邪魔になるからあまり良い顔しないし、訓練生は上へ下への大騒ぎになっちゃうし、で……組合長室でアインザック組合長と世間話して帰るなんてことの繰り返しです。まっ、視察そのものは面白いんですけどね」
「じゃ、エ・ランテルに行くついでに各神殿を回って法国の情勢でも探って下さいよ。魔導王の姿じゃ厳しいでしょうけど、モモンの格好ならば向こうから接触してくる可能性もありますから……仮に寝返りまででなくとも、あからさまな工作を仕掛けてきたら、法国がかなり追い詰められている証左ですからね。それだけでも事前に解っていると、交渉ではかなり優位に立てます。どうしても最初は腹の探り合いになるんで……ついでにアルベドとデートでもしてくれば良いじゃないですか?」
「えっ……アルベドですか?」
軽口のつもりだったが、返しにかなり違和感を感じた。
「……どうかしたんですか、アルベド?」
アインズさんが一拍間を取った。
「いや、あのー、ですね……最近アルベドが情緒不安定じゃないかって、盛んに一般メイド達が訴えてくるので……俺の前だとそんな素振り、欠片も見せないんですけど……それで少し話したんですよ。何かやりたいことがあるのに我慢を重ねてないか、って。そしたらアルベドがゼブルさんを至高の42人目として至高の御方と認めるのは構わないが、他の至高の御方々の捜索についてはどう考えているのかって質問が返ってきまして……」
んっ?……微妙に違和感を感じるなぁ……他の守護者ならまだしも。
「……で、なんて答えたんですか?」
「いちおう……最優先事項である、って……べっ、別に、ゼブルさんを蔑ろにしているわけじゃないんですよ!」
「いや、そこは蔑ろで構わないんですけど」
「えっ!……だって今やゼブルさんもギルメンじゃないですか!」
「そーゆー意味じゃなく、対アルベドって意味じゃ、ってことです。そんなことよりも……」
「そんなことって!」
「アインズさん!……落ち着きましょう。俺は逃げも隠れもしません」
むしろアインズさんの方が情緒不安定じゃないか?……そう疑いたくなるぐらいアインズさんは狼狽えていた。思い返せば、ユグドラシル時代からずーっと孤独に耐えていた人だった。これからは少し言い方を考えないと……きっと緑色に光っているんだろうなぁ……
「で、落ち着きましたか?」
「……はい、少し取り乱しました。すみません」
「少し事務的に話します。アルベドの反応は?」
「……アルベドの直属の至高の御方々の捜索専門部隊を作りたい、って提案されました」
「で、許可したんですか?」
「副官としてパンドラ……それに以外にとりあえず80レベルのシモベを15体……提案そのものは他の守護者の業務や創造主が発見された時の各自の反応まで勘案したものだったので、話の流れで許可しました……」
???……これまでのところ別にアインズさんがアルベドに対して「引く」ような内容は無い。むしろアルベドのギルメンに対する忠誠心の現れだ。俺的にはどうかと思うが、アインズさんの立場で考えれば、積極的に背中を後押しするような内容ではないか?
「……それだけですか?」
沈黙……つまり何かあるわけだ。
「話して下さい……全部話してくれないと、アドバイスも対応もできません」
「……ルベドの指揮権をくれ、と……」
「ルベド?……そんなヤツいましたっけ?」
名は何度か聞いたことがあるような、ないような……?
「ニグレド、アルベドの妹って設定の最強NPCです。フル装備の俺でも相手にならないし、額面通りのスペックが遺憾なく発揮されればワールドチャンピオンだった『たっち』さんでも勝てません」
レイドボスみたいなヤツか?……なんか話は聞いたことがあるな。
「第八階層のアレですか?」
「アレらとは違います。詳しく話すと長くなるので割愛しますけど、他のNPCとは全く違うモノで、ナザリック最強の存在です。こっちの世界に転移してからはとりあえず起動試験だけして、放置してあったんですけど……」
「なるほど、えらく物騒なヤツだ、と……で、指揮権を与えたんですか?」
まあ、俺に言い難かった以上、与えたんだろうなぁ……
「……そうです。でも、その時は最強チームを作りたいなんていう厨二的なノリで許可したんですけど、冷静になって考えたらギルメン捜索に戦闘能力って必要ありませんよね?」
「普通に不要ですよ。むしろ邪魔ですね……情報系探知系のプレイヤーならば確実に逃げますし、強いヤツを見たらとりあえず殴る系の脳筋プレイヤー以外は様子見で近づきませんよ。まっ、本当に捜索が目的であれば、ですけどね」
「ですよねぇ……となると問題は……」
「そうですね……アルベドの本当の狙い、ですよ。なんにせよ、ルベドの指揮権は早急に取り上げてください。そうしないと俺は魔導国に帰れません」
「えっ?」
「本当に転移しているか不明なギルメン殺害の為に、過大な戦力を必要とするかって話です。具体的に打倒すべき相手がいるからこそ、単独で制御可能なナザリック最強の戦力が必要だったと考えるべきです。アルベドは能力的にもナザリック内ならば引退したギルメンに至るまでほぼ全てを把握していると考えた方が無難です。そうなると狙いはアルベドが能力を把握していない存在と考えるべきでしょうよ。それで真っ先に思い当たるのは評議国のドラゴンロード達や法国の2人の『神人』……そして俺です」
「まっ、まさか……いや、いくらアルベドでも……殺害なんて」
「そのまさかですよ……仮に攻撃目標が俺でないとしても、念の為に必要な措置です。俺も自身の身を守る為でも総戦力でナザリック勢を攻めるなんて真似はしたくありません。やらなくて良い内部抗争なら、絶対にやらない方が良いでしょう。破局回避には衝突は避けないと……とりあえずルベドって最強NPCの指揮権さえ奪ってくれれば、帰ることは可能になります」
果たして俺の仕込んだ奥の手がルベドってヤツに通用するかは不明だが、とりあえずレイドボスクラスに不意打ちされるのだけは避けたい。80レベルとはいえ探索系NPC15体程度ならば、俺単独で完殺するのは無理にしても、それなりに時間を稼ぐ程度は可能だ。せめてその程度の猶予は欲しい……あくまでパンドラズ・アクターが手を出さない前提は必要となるが、それぐらいはアインズさんに期待しても良いだろう。
「パンドラズ・アクターにも……お願いしますよ、アインズさん」
「そっ、それもう……絶対確実に、言い聞かせますよ。アルベドに与えたルベドの指揮権は現時点で剥奪しますから……安心してください!」
「んじゃ、まっ、話も着地したところで、俺は牧場経由で法国に向かいますから……アインズさんは魔導国内の安全確保をお願いします。ついでにさっきの情報収集もしてくれるとありがたいですね」
「まっ、任せてください!……だから絶対に帰ってきてくださいよ!」
「定期的に連絡はします。もう少し安全を確認できたら、帰ります。それと聖王女と一緒にそっちに送る予定の2人とブレインとエルヤーは鍛えてやってください。いい暇潰しにはなると思います」
「それは了解しましたから、絶対ですよ!」
「ええ、帰りますよ」
……そのうちに、ね。
メッセージを切る。
帰れるのか、帰らされるのか、それとも逃げるのか……いずれにしても当面は法国に滞在して、遠方から様子見する必要はあるな。少なくとも誘き寄せられるのだけは勘弁だ。
この際、仮想敵国っていうのは潜伏先として理想的だ。
少なくともアルベドのタイミングで仕掛けられる危険性は低い。
にしても、殺しにくるか……アルベド単騎ならどれだけ頭脳が優秀でも戦力としては所詮はNPC……いかにワールドアイテム持ちでも問題なく処理できるが、問題は処理した後と、単騎で仕掛けてくるわけがないことだ。
アインズさんは掌握しておく必要があるなぁ……こまめに連絡を取る必要はある。
加えて、こちらのハンデは殺せないことだ。どれだけ殺してもNPCは資金の続く限り何度でもデスペナ無しで復活可能だ。ナザリックだけでも厳しいのに魔導国の資金力まで考えたら、破産まで追い込むのは事実上不可能。
さらに唯一の味方に等しいアインズさんの支援まで失う可能性がある。
ナザリックなんざどうでも良いが、アインズさんと決別はしたくないなぁ。
俺の知る限り、この世界で唯一の同じリアルを知る存在だし……
*************************
イライラする。
法国行きが決まって以来、イラ立ちが治らない。
クアイエッセ・ハイゼア・クインティア。
脳裏にあの男の笑い顔が浮かぶ……兄だ。
既に種としての人間を捨て去ったとはいえ、出生そのものまでは変えられない。
悪魔に転生しようと妹は妹なのだ。
急遽、予定が変更になった。
ゼブルは法国の出迎えを待つ、と言う。
本来はデミウルゴスの「牧場」まで『転移門』で移動する予定だったが、どうやら魔導王との通信後に方針が変わったようだ。接触してきた『風花聖典』の密偵を介して、法国の護衛を待つこととなった。
法国が余程の馬鹿でなければ兄を寄越すはずはないと思うが、それでも余程の馬鹿が仕切っている可能性も捨てきれない。クソの塊のようなレイモン・ザーグ・ローランサン辺りが仕切っているのであれば、あえて兄を寄越す可能性もあるようにも思えた。
いずれにせよ、自身に選択権は無く、なるようにしかならない。
あの主義に凝り固まった法国を自ら譲歩するまでに追い込んだゼブルの手腕には素直に感心する。経済封鎖程度であれば自分でも思い付く。要するに想像を絶する規模の兵糧攻めだ。だがゼブルは往来を制限することなく、格差を見せつけることに終始した。どこまで仕込んでいたかまでは判らないが、魔導国建国当初から最終的な標的は法国と評議国なのは間違いない。そして戦うことなく法国も籠絡するつもりなのだ。
ゼブルのやり口は理解している。
説明など必要ない。
だが法国相手となると、どうしてもティーヌ自身の気持ちが騒つくのだ。
殺したい……壊したい……滅ぼしたい。
単純な戦闘能力ではまだまだ番外席次には及ばないことは理解している。
ぷれいやーであるゼブルにしても……あの『破滅の竜王』を単独で完殺した力を見ても……優位とは言い切れない。番外席次は文字通り番外なのだ。優劣を付ける範疇から外れている。
どれだけゼブルとジットと共に飲み騒いでも、常に頭から離れない。
それはスレイン法国から護衛と案内を兼ねた『漆黒聖典』の3人が到着するまで続いた。
その面子を見て、改めて「レイモンはクソの塊」と理解した。
リーダーとして第八席次『巨盾万壁』……これはまだ理解出来る人選だ。護衛隊を率いる上で適任と言えばこれほど適任はいない。
攻撃的護衛として第十席次『人間最強』……役割的に人選については理解できるが、当人が人間的にクソ中のクソだ。
そして第九席次『神領縛鎖』……レイモンのクソ野郎はよりによって『疾風走破』の後任を寄越しやがった。
「……喧嘩、売ってんのか?」
思わず口を吐く。
「クククク……誰かと思えば『疾風走破』か……お前ごときがこの俺にデカい口を叩くとは、なぁ……髪色を変えたのは俺の強さに憧れたのか?」
半裸で全身の体毛が白髪の大男が薄い笑いを浮かべる。
完全に弱者を見る目だ。
第十席次『人間最強』……態度と同様に強い。
不格好な程の大斧を背負い、副王ゼブルの御前ですら傅く気配はない。
むしろ全身から放つオーラで圧し潰そうと試みているようだ。
「待て、国賓の前だ……我々の役目を心得よ」
全身黒の部分鎧に身を包み、鏡のような大盾と漆黒のタワーシールドを両手に持つ『人間最強』に勝るとも劣らない筋骨隆々の大男が割って入る。
護衛チームのリーダーである第八席次『巨盾万壁』だ。
見た目はともかく人格的には『人間最強』と違い、落ち着いている上に役目に対して真摯に向き合う男だ。
「まっ、壊れたガラクタはどこまで行ってもガラクタです。上が赦免したと言っても、俺達が許してやる筋合は無いと思いますがね……違いますか?」
左目の上から頬にかけて奇妙な刺青を入れた男がティーヌの後任の第九席次『神領縛鎖』だった。左腕にも鎖を巻き付けている。
「違わないな……俺もクアイエッセの心労の種を排除した方が良いと思うぜ」
『人間最強』が威圧的だったオーラを瞬時に殺気と呼べるレベルにまで引き上げた。
「待て!」
「このクソ共が……」
『巨盾万壁』とゼブルの声が重なった。
『巨盾万壁』は即座に跪いたが、他の2人はゼブルを睨め付ける。
ゼブルは椅子から立ち上がり、睨め付ける2人を見て、薄く笑った。
「どうも法国人ってヤツは自身の立場を見失うヤツが多いようだ。まるでティーヌさんと出会った時みたいだな……で、どっちを選ぶ?」
問い掛けはティーヌに向けられ、ティーヌは即座に『神領縛鎖』を見た。その直後『人間最強』も見る。
「なかなか欲張りだなぁ……でも理解した。俺も立場を理解する頭の無いヤツには調教が必要だと思う。二対一でも問題無いだろ?」
「もちろんです」
「じゃ、殺さない程度に痛め付けることを許可する……泣き喚いて、赦しを乞うまでやって構わない」
ゼブルが言葉を言い終えた瞬間、異様に巨大な戦斧が一閃した。風圧だけで普通の人間ならば死ねる。
ほぼ同時に白銀の鎖が迫り来る。こちらは人体に風穴を開けそうなほどに鋭い。まるで槍のようだ。
ティーヌは避けず、戦斧の刃を素手で掴んだ。
同時に鎖も掴み取る。
そしてニィと口角を上げた。
『人間最強』の目が大きく見開かれた。
『神領縛鎖』がバランスを崩す。
ティーヌの左脚が『神領縛鎖』の胴体を抉った。と同時に『神領縛鎖』が迎賓館の一室の扉を破壊し、そのまま吹き抜けを飛び越えて、ホールの石柱に激突した。石柱にめり込んだように見えたが、運悪くそこは吹き抜けの二階だった。そのまま一階へと自由落下する。
使用人達の悲鳴が響く。
天井が剥落し、『神領縛鎖』の上に降り注ぐ。
『人間最強』が目を見張ったまま全力で大斧をもぎ取ろうとするも、女の細い指で挟み込まれたそれはピクリとも動かない。
「おい、誰が、誰に憧れるだって?」
戦士として英雄の領域を逸脱する『人間最強』が顔を歪めた。
逆にティーヌに大斧をもぎ取られ、凄まじい重量のそれを片手で投げ捨てられた。聖王国首都ホバンスの迎賓館における国賓の中でも最高クラスの賓客のみが使用を許可される部屋の壁面が大きく損傷した。歴史的価値すら感じさせる装飾が大斧の自重で破壊される。
愕然とする『人間最強』の裸の上半身をティーヌの掌底が貫いた。
巨体が無様に屈折し、その勢いのまま破壊されたドア枠をさらに破壊して、吹き抜けに投げ出された。
ティーヌがゆっくりと後を追う。
その様を見て、ゼブルが笑う。
『巨盾万壁』は跪いたまま呆然と副王を見上げた。
冷たい視線が向けられた。
完璧だ……そんな言葉が場違いに頭に浮かぶ。
どこか自然の摂理が捻じ曲がったような整い方だった。
「お前は動くなよ……馬鹿共の躾は、連中が泣き喚いて、赦しを乞うまで終わらないからな。その中に加わりたいなら止めはしないが、その場合は俺が法国との話合いに応じる事は二度と無くなるぞ」
「はっ……私は責任者として任を果たすのみ。仲間のゼブル様の御身内への無礼に対し、深く謝罪いたします」
「了承した……では、お前はそこで控えていろ」
『巨盾万壁』の複雑な思いで見守る中、ゼブルはジットと言う名の魔法詠唱者を伴い、迎賓館の居室から出る。
破壊の痕跡を抜けると笑う女に顎を掴み上げられる『人間最強』の巨体が目に飛び込む。
『神領縛鎖』は左腕を砕かれたようで奇妙な方向にねじくれた。
苦悶の表情を浮かべながらも立ち上がり、懸命に前進している。
2人に比してティーヌの圧倒的に細い腕が見た目からは想像を絶する膂力を発揮し、反撃を試みんとする『人間最強』をぶん投げた。
迎賓館の大扉を巨体が突き抜ける。
爆砕された木片に、突発したこの闘争を固唾を飲んで見守っていた使用人達の我慢が限界突破し、悲鳴がホールに反響した。
「跪け、クソが!」
ティーヌの何気ない蹴りで『神領縛鎖』の左膝があってならない方向へと折れ曲がった。
絶叫と笑い声か交差する。
隔絶した戦力差が新旧第九席次の間にはあった。
反撃どころか防御も儘ならない。
『神領縛鎖』の個性的な編み込みの髪を掴み、ティーヌが「神の御使」の異名を踏みにじるような笑いを見せる。
「……引退したらどうかなー?……いくらなんでも弱過ぎじゃないかなー」
「……裏切り者のゴミの分際で、人間様を評価してんじゃねぇぞ!」
『神領縛鎖』が唾を吐き掛けるも、ティーヌに当たらず、通過して剥落した天材塗れの床に落ちた。
目を見張る。
同時にブチブチと髪が……いや頭皮が嫌な音を立てた。
灼熱を感じると同時に視野が赤く染まる。
編み込み髪が頭皮ごと床に打ち捨てられた。
「……当然、拷問に耐える訓練はしてんだよねー?……楽には終わらせてやれないかなー」
サディスティックな笑いが覗き込む。
右頬の内側にティーヌの中指が突っ込まれ、そのまま頬肉ごと引き千切られる。ティーヌの指先から肉片が地に落ちた。剥き出しの歯茎が痛々しい。
絶叫。
と同時に返す刀の裏拳で頬を失った歯が砕かれた。
衝撃で首が捻じ曲がるも、日頃の訓練が幸いしたのか、反射的に身体の回転を合わせ、辛うじて絶命するのを避けた。
「ほい、時間やるから自力でポーションでも使いなよ……ゼブルさんの言葉通り、お前らが泣き喚いて、赦しを乞うまで終わらせてやらないからさー」
全く動けないボロボロの身体。
絶妙に届かない位置にポーションの瓶が置かれる。
その上右膝まで踏み抜かれた。
ティーヌが大扉に身体を向ける。
のそりと巨体がホールに現れた。
荒い息と爛々と輝く眼光は深く抉れた胴体の傷から想像もできないほどの闘気を感じさる。容量の限界まで怒りを溜め込み、爆発させる瞬間を待っているのだ。
「……出来損ないの片割れ風情が、いい気になるんじゃねえぞ!」
爆発と同時に物理的な風圧で粉塵が舞った。
大地が揺れ、一定方向に瓦礫が吹き飛ぶ。
まるで散弾のような瓦礫の弾幕の中、白い巨体が突進した。
迫り来る弾幕と巨体を眺めながら、ティーヌはニヤニヤと笑っている。
「遅いなー……もう欠伸が出ちゃうぐらいだよ」
『人間最強』が、何事かを呟く。
同時に急加速する。
「武技使って、その程度かなー……笑っちゃうね」
最も単純な質量攻撃……体当たりだ。
生半可な存在であれば衝突の衝撃で絶命する。
それなりでも圧死は確実。
相当な強者でも回避しなければダメージは深くなるはず。
白い巨体の猛烈な圧力をティーヌは欠伸しながら、左手だけ受け止めた。
磨き込まれたような丸く滑らかな分厚い右肩の筋肉塊に、極めて女性的な細い指が食い込んでいた。
全く動かない。
そして動けない。
驚愕が『人間最強』の表情から伝わる。
「……こんなのを強いと思っていたんだから、以前の私も相当に弱っちかったよねー?……ホント、ダサいわ……自己嫌悪」
剣すら弾くまでに鍛え上げられた上体の筋肉が痛みを感じていた。身体を旋回させることすら封じられている。押すことも退くこともできない。無理矢理動くならば、右腕一本捨てる必要がある。覚悟の問題でなく、実際にそうしなければ動けそうにないのだ。
「まっ、でも赦してやらないけどねー」
ギリギリと右肩が悲鳴を発していた。
サディストが笑う。
「加減するの止めるから……潰れろ!」
嫌な音と感触が同時に伝わり、その直後に激痛が右肩から突き抜けた。
いかに訓練していようが、自力でとっぱつてきな痛覚を封じることなどできない。
鋼の剣を弾くまでに鍛え上げた筋肉の鎧の下であれば尚更だ。
野太い絶叫が迎賓館ホールを覆い尽くす。
ニヤニヤと笑うティーヌの指先から抉り取られた肉塊が滑り落ちた。
「……このクソがっ!……絶対に殺してやるっ!」
「お好きにどーぞー……でも赦してやらないからねー」
右肩から大量の出血をものともせず、『人間最強』は左腕を振った。
太く分厚い肉の凶器が襲ったが、避けたようにも見えないのにティーヌは白い巨体の懐にいた。
「まっ、色々と壊してやるから、覚悟してねー」
宣言と同時に右膝が逆に曲がる。
巨体はバランスを崩し、無様に転がった。
慌てる間も無く、鼻が踵で削ぎ落とされる。
注意がどうしても頭部に向いた瞬間、これまでの戦意を維持できようなものとは隔絶した痛みを股間に感じ、文字踊り泡を吹いて悶絶した。
「へぇ……『人間最強』様って男の弱点は鍛えてないんだねー?」
陰茎の次に睾丸が踏み潰された。
嫌な臭いが周囲を満たす。
男の精の臭いと小便と脱糞と嘔吐がむせ返るような血臭と混ざり合い、とんでもない臭いとなっていた。
「なんなら……鍛えてあげよっか?」
ティーヌが取り出したポーションを『人間最強』の顔面に振り掛けた。
全身の傷は治ったのに壮絶な幻痛は止まず、『人間最強』は情けなく泣き叫びながら、床を這い逃げた。
もはや戦意は失っていた。
だがそれは最悪手だった……何故ならサディストは喜ぶのだ。
逃げ惑う『人間最強』の睾丸が再度踏み抜かれた。
戦意を失った野太い悲鳴が迎賓館のホールに響き渡る。
ポーションが振り掛けられる。
その都度睾丸と陰茎を踏み潰され、その度に心がへし折られる。
注意を向けるようにときおり耳を削がれ、鼻を削がれ、目を潰され、歯を折られる。
気が逸れた瞬間、再度睾丸を潰される。
延々と続く地獄のような痛みの中、人を食ったような笑い声が響き渡る。
『人間最強』の悲鳴が掻き消されるほどに……
お読みいただきありがとうございます。