土の神殿内は大混乱に陥っていた。
まずレイモンとジネディーヌが今後の方針を固める為に意思確認をしているところに、ベレニスが身体を揺らして駆け込んできた。
普段は落ち着いている彼女が興奮し、捲し立てる。
拙い事態に直面しているのだけは理解できるが、詳細は理解し難い。
とにかく番外席次絡みでろくでもない動きがあったのだけは間違いない。
レイモンは興奮状態のベレニスをジネディーヌに任せ、自身は部下を呼び付けて、ゼブルが逗留する宿へと使者として送った。仮に面会できなくとも、番外席次絡みの異変があったか確認すべきと判断したのだ。この際は周囲を固め続ける『漆黒聖典』の様子は関係無い。どのみち彼等はゼブルに忠誠を示しているのだ。むしろ不穏な情報は無視できまい、と踏んだ。
追加で元帥府にも使者を送り、神都を守護する衛兵団から地区封鎖に投入している兵員の大量増員を促す。番外席次が暴走しようとも一般の国民や兵士の存在を無視できるものではない。巻き込んで殺すことはできないし、目撃されるようなことも避けるはず、との読みだ。
もちろん既に実力行使まで及んでいた場合は話にならないが、そうであればベレニスに限らず他の者も駆け込んで来るだろう。この期に及んでは番外席次の弱者に興味を持てない心の闇がどうにか心の平静を保たせている。
とにかく事態が今以上に悪化する前に打てるだけの手を打つ。
そう固く決心し、レイモンは最高神官長にも使者を送り、現在神都に残留している六色聖典の全人員を投入すると報告した。
本来は静謐な土の神殿の広大な空間が目に見えてバタバタとしていた。
奉仕者達には作業を中断させ、帰宅を促した結果、事情を知らない部下や神官達も何某かの異変を察知していた。素直に従う者だけであれば良いが、厳格な宗教国家といえど、そんな事態は恐怖政治下でもなければ望めない。決して少数と言えない数の野次馬や無闇に不安に駆られた者達がいつまでも帰らずに、神殿内のあちこちで屯っていた。
本心では彼等を力尽くで追い返したかったレイモンだが、この際は混乱を力尽くで収束させることよりも、処理速度を重視した。
即座に神官長室に戻り、そろそろ落ち着いてくれているだろうベレニスに詳しい事情を聞くべきと決断した。
神官長室に足を向けた途端、無数の足音が響いた。
「神官長様!……ローランサン神官長様!」
振り向くと追い返したはずの奉仕者の集団に混ざり、部下の神官数名も走り寄ってくる。
「どうしたのですか?……皆さん、落ち着いて下さい」
「大変です!」
集まった中でも年嵩の高位神官が進み出て、レイモンに耳打ちした。
「それが奉仕者方の退出手続きを進めていたのですが……アポイント無く……突然番外席次様が来訪されたので、我々は神官長様との面会の手続きをしておったのですが……」
「それは良い!……そのまま通して下さい」
むしろ好都合である。どのようにして捕まえようと考えていたところだ。番外席次に本気になって逃げられては、レイモンではどうにもならない。『占星千里』が敵の手に落ちたと考えられる現在、番外席次の逃げた先を捕捉して、尚且つ拘束できる者など法国内にはいないのだ。かと言って、ローラー作戦などで過度に追い詰めた結果、国外などに逃亡されては目も当てられない。
しかし高位神官はさらにレイモンに何か告げるべく、目の前から立ち去ることはなかった。
「まだ何かあるのですか?」
「いや、問題は……」
高位神官がさらに声を顰めた。
「番外席次様の手続き中に外交使節証を持たれた方が参られまして……」
「……魔導国の副王ですか?」
であれば、最悪の相手ではあるが、最悪の状況は回避できる。むしろありがたいぐらいだ。
「いいえ……魔導国の副王様ご自身か御一行であれば私も遠目ながらお姿を拝見したことがございます故、詰所に留め置くなどあり得ません……それがリ・エスティーゼ王国の発行した外交使節証なのは間違いと思うのですが……」
「王国……ですか?」
現状王国と進めている交渉は無い。
他の神殿にはレイモンの把握していない些細な案件があるのかもしれないが、少なくとも国家レベルや六色聖典を動かすレベルのものは無いはずだ。
それ以前にザナックとレエブンが実権を掌握して以来、王国は魔導国の実質的属国と考えていた。六大貴族がそれぞれに暗躍していた当時と違い、情報操作も難しく、簡単に籠絡されてもくれない。なにしろ権力が一極集中し、大きな権力闘争が無いのだ。
その上、実質的な国力は帝国に対する多額の賠償金を支払ったにもかかわらず、現在のスレイン法国を超えていると分析する経済専門官もいるぐらいだ。
軍事的にも帝国を模した専業兵士制を取り入れた以外、全くと言って良いほど評価すべきものは無い。
つまり政治的にも経済的にも安定し、軍事的にも手を結ぶ価値が無いのだ。
だから法国側は放置していたし、王国側も神殿を除いて接点を持っていることを忘れているようだった。
それが突然、このタイミングで……キナ臭いですね……
「王国の誰からの使者か名乗っていますか?」
「……アインドラ法務尚書です。署名も印章も問題はないのですが……」
高位神官はなんとも微妙な顔付きを見せた。
「他に何か?」
「使者ご本人がなんとも……その……奇妙な風体でして、はたして信用して良いのか、我々では判断がつきかねます」
懸命に忠勤することだけで出世した、冴えない中年男が消え入るような声で恥じるように言った。
対するレイモンは王国の使者のタイミングの悪さを心中で嘆きつつも、現実的な対応を考えるべく押し黙った。
まず番外席次の身柄を確保することが最優先である。その役目はジネディーヌかベレニスに任せることも可能だが……はたして番外席次が彼等の言う事に従うかといえば、甚だ心許ないのも拭い難い本音だ。
であれば、番外席次の身柄をレイモンが確保し、その間にジネディーヌかベレニスに王国からの使者の相手をしてもらうのはどうだろうか?
逆よりはかなりマシに思える。
番外席次さえ押さえてしまえば、ゼブルに謝罪に出向くことも可能になる。
既に譲れる部分は全部譲歩する心算なのだ。
いまさら謝罪の一つや二つ増えたところで問題はない。
半ば開き直って、レイモンは高位神官に使者を神官長室に通すように命じ、自身は詰所に出向くことにした。
詰所に向かう途中、高位神官の後に続く派手な服装の男とすれ違う。
アレが王国の……使者殿か?
王国の名門ではありながら、良識派である故に出世とは縁遠かったアインドラが新体制になった途端に閣僚に抜擢された。六大貴族の権勢争いが盛んな頃は周囲から煙たがられても正論を貫いていたと評判だった。
何故か弟も愛娘もアダマンタイト級冒険者という奇妙な巡り合わせに付き纏われているが、本人は正道を歩み続ける王国貴族の中でも極めて珍しい男だ。
……それが何故、このタイミングで……
レイモンは詰所に急いだ。
胸騒ぎが抑えられない。
あの王国の使者が魔導国に対する何かの切っ掛けになるような気がしてならなかったのだ。
駄々を捏ねる番外席次を言い含め、強引に指揮権を発動して、自宅で謹慎するように厳命した。
番外席次の居宅周辺は神官と奉仕者達が固める。
兵士は配置するだけ無駄だ。
数で押し切る為に出入口となる扉や窓の前に3人づつ立たせる。
番外席次の動きは一般人どころか『漆黒聖典』でも『占星千里』ぐらいしか把握できない。その『占星千里』すら目視では追えない。誰も目で追えないのだから、単純に人海戦術での封鎖だ。
それでも強引に突破されれば誰も番外席次を止められないのだが……彼女も短絡的ではあるが愚か者ではない。
普段は柔和を貫いているレイモンが見せた憤怒の形相に、自身のやらかしがやらかしで済まないレベルであるのは理解したようで、少なくとも現時点でのこれ以上の命令無視が拙い事態を招くことを理解したようだ。
それでも未練タラタラの様子を見せつつも、神官と奉仕者の集団に囲まれて自宅へと連行された。
ふぅ……とりあえずこれ以上の暴走は阻止できるか……?
レイモンとしても一度火の着いた番外席次を事態の終結までコントロールできるとは思っていない。とりあえず時間が稼げれば良いのだ。少なくともゼブルと交渉を始めるまで大人しくしてくれれば成果と言える。
番外席次が土の神殿の敷地から出たの確認すると、レイモンは即座に踵を返した。足早に神官長室に向かう。
年齢的に衰えたとはいえ、元『漆黒聖典』である。
レイモンが本気で走ればかなりの速度となる。
あっと言う間に神官長室の扉の前に到達した。
呼吸を整え、涼しい顔を作る。
ドアを押し開ける。
平常運転で畏まるジネディーヌとベレニスの向かいに王国の使者がふんぞり返っていた。
ローテーブルには茶の満たされたティーカップが3つ……まだ湯気を立てている。
空気は和やか。
まだ本題に突入しているとは思えない。
思いの外、番外席次があっさりと引き下がったお陰で、時間のロスはかなり軽減できたようだ。
ジネディーヌがチラリと視線を送ってくる。
ベレニスがほんの僅か頷いた。
お互いに視線を交差だけで、ある程度の理解は進んだ。
使者の前に立ち、深々と一礼する。
「お初に御目に掛かります、使者殿……私は土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンと申します」
金色の長髪の一部を赤く染め上げているのか、使者というよりも芸人のような格好の男は妙に芝居掛かった仕草で颯爽と立ち上がり、手足を交差させながら舞台挨拶のような礼をした。
「俺はアズス・アインドラ……今回は兄上殿の使者として参上したが、本来は王国のアダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』のリーダーなんて柄にもない稼業を生業としている者だ。王国でなく兄上殿からの密使……と思ってもらって構わない」
どう見ても格好は冒険者というよりも芸人だ。
それにしても娘の方は活動拠点を魔導国に移したと報告があったが、騎士爵を持つ出奔した弟は王国に留まっているわけか……それが六大貴族が幅を利かせ、形骸化していた頃と違い、本当に国家を動かす閣僚となった兄の密使として法国にやって来た、と。
「貴方の兄上は王国の法務尚書……最高権力の一端ではありませんか?」
レイモンのもっともな疑問にアズスは鼻先で笑った。
レイモンはさらにアズスに喋るように促すと、自身は簡素な作りの執務机用の椅子をテーブルセットのソファの横に移動させ、それに座った。
同時にベレニスが茶を用意しようとしたが、手で制した。
「あんなものはレエブンとその取り巻きって言うんだ。今の王国はレエブンの独裁体制……まあ、多少はザナックの意見も反映されているだろうが、レエブンとザナックの背後には魔導国がいる。実質的には属国だ。兄上殿はそれが許せないのさ。義憤ってヤツだ。俺も許したくはない。そして俺達以外にも魔導国が気に入らねえ奴もいるってこった」
アダマンタイト級とはいえ、冒険者などが使者の任が務まるかと不安させるいきなりのぶっちゃけぶりである。しかし相手にする法国としては極めて楽な交渉だ。腹の探り合いなど無く、あっさりと本音が漏れてくる。
あるいはあえて漏らしているのか?
いずれにせよ、簡単に情報が取れるのはありがたい。
「……して、冒険者でなく使者としてアインドラ殿が我が国を訪れた理由は、貴方達が魔導国を許し難いと思っていることの表明ではございますまい?……我々も非常に取り込んでいる最中でして、用件を率直に語っていただけるとありがたいのですが」
フンッと鼻を鳴らした後、アズスは不敵な視線を向けて語り始めた。
「結論から言う……手を組まないか、というお誘いだ。俺達は魔導国を許しちゃいないが、あの強大な国家を侮るようなマヌケでもないんでね。十二分に下調べをした。それこそ兄上殿は法務尚書……王国の調査リソースを存分に使える立場に在る。そして愛娘もアダマンタイト級冒険者だ。さらに都合の良い事に魔導国に拠点を移した。俺達は調査可能な部分は全て丸裸にした。魔導国の戦力から市井の暮らしぶりに至るまで、何もかもだ。奴等のやり口も調査済み。その結果、魔導国に敵対的な勢力に声を掛け続ければ勝算が五分五分のところまでは戦力を集められるかも、ってところまでは目処がついた。抵抗勢力を意味のある形で成立させる為には法国の戦力も必要なんだ」
王国の調査と言われれば、不安しか残らない。
杜撰で、自己都合が優先され、簡単に騙される……そんな印象が拭えない。あくまで六大貴族が幅を利かせていた頃の無能ぶりが脳裏にこびり付いているだけなのだが、はたして脳がすげ替えられた程度で目と耳は信頼して良いと判断できるまでに改善するものなのか?
あるいは目も耳もすげ替えられたか?
レイモンは冷めた視線をジネディーヌとベレニスに向け、そのやりとりだけで「とりあえず話だけはさせる」との意志確認をした。
「……これはまた、突飛と言うか、剛毅と言うか……全ての調査結果でも見せていただかないと会議の俎上にも載せられないご提案ですね。ですが、あくまで聞くだけ……ならば都合の良いことに最高執行機関の構成員が3名もこの場におります。この中の1名でも会議の議題として取り上げる気にさせたら、そちらの要望は最高執行機関に持ち込まれると思います」
「あんたらも随分と聖職者離れした思考をするな……まっ、いいや……存分に踊らされてやるぜ。まず戦力だ。法国だってある程度は調べ上げてんだろうけどよ……魔導国の主戦力はもちろんアンデッドだ。デスナイトやらソウルイーターやらが多数を占めるが、より高位の名も知らねえアンデッドも多数抱えてやがる。信じられるか?……エルダーリッチが戦力じゃねえんだ。それに加えて都市内を守護するゴブリン兵団もとんでもない強さのヤツがチラホラ……なんて生易しいもんじゃねえな。かなりの数が混じっている。おたくの秘密部隊よりも強えぜ。これについてはあの『死者使い』リグリット・ベルスー・カウラウのお墨付きだ」
「待て!」
ジネディーヌが待ったを掛けた。
聞き流すつもりであったが、さすがに聞き捨てならない。
「なんだい、ジネディーヌさんよ?」
「魔導国はともかくお前達はどこまで知っているのだ。我が国の秘密部隊だと……」
「たしか『漆黒聖典』とか言うんだよな?……ラキュー……姪っ子のところのイビルアイぐらいしか素の能力じゃ勝てねえ、とよ……もちろんあのばーさんの受け売りだがよ」
「くっ……まあ、それは良いとしても、我が国の秘密部隊が勝てぬゴブリンというのも聞き捨てならぬぞ」
「んなこと言ったってよ……実際、いるんだから仕方ねえだろ。それも千や二千なんて数じゃねえ……あのばーさんは軽く5000以上はカウントしたらしいぜ。顔面が腐って見分けの付かねえアンデッドも正確に把握するばーさんだ。生きているゴブリンを数えるのはさぞかし簡単だろうな」
「なんと言うことだ……そんなバカな……」
ジネディーヌが愕然と頷いた。
それでもアズスは五分に持ち込めると言う。
その表情も不敵な自信に満ちていた。
「どうだい……少しは興味を持っていただけたかな?」
レイモンもベレニスも表情を失ったまま深く頷いた。
アズスは満足そうに笑った。
「……じゃ、遠慮なく続けさせてもらうぜ。要するに魔導国って国家は周辺国家じゃ、質量共に突き抜けて強力なの戦力を保有しているわけだ。しかも公然と周囲に見せつけているだけでも、この上さらに20を超えるドラゴンと100近いジャイアントがいる。そして俺の姪っ子の『青の薔薇』を凌駕するアダマンタイト級冒険者チーム『漆黒』と『3人組』にアベリオン丘陵の名持ちの亜人達……帝国のフールーダ・パラダインとその門弟達だって魔導国一党みてえなもんだ。そしてばーさんが言うには密かにアベリオン丘陵に拠点を構えている大悪魔『魔皇ヤルダバオト』も魔導国に加わっている可能性が高いらしいぜ……こいつはあの剛毅なばーさんがビビって接近できなかったような推定難度300のバケモノの中のバケモノだ。今のところ『白金の竜王』が警戒しているみてえだが、魔導国との接点は確認できねえ。しかし魔導国がアベリオン丘陵の領有宣言したのを平然と受け入れているのも間違いねえ。なんならヤルダバオトこそが魔導国の真の支配者の可能性だって捨て切れねえが、ばーさんが命懸けで入手した情報によれば、ヤルダバオトが会話の中で自身の上位者の存在を示唆したことがあるらしい。加えて魔導国中を闊歩するアンデッドの大軍団を考えれば魔導王が真の支配者なのは間違いねえと断言して良いだろう。噂じゃ、魔導王は第八位階以上の使い手って話だぜ。ビーストマン国家のビーストマン達も魔導国に飼い慣らされた忠実な手下……戦力って言うよりも労働力って感じだけどよ。有力な人間の強者を個々にカウントするまでもねえな。有名どころじゃ、ブレイン・アングラウスも副王の配下として魔導国に所属してるようだ。ヤルダバオト以外は魔導国が即座に動員可能な戦力なのは間違いねえ。評議国の『真なる竜王』達も頭を抱えるような大戦力だ……で、俺達はそれに対抗する戦力を保有する組織を構築したいわけだ」
流れるようなアズスの説明にレイモンもベレニスも頭を抱えていたジネディーヌも息を飲み込んだ。特に一時期王国の王都で噂が流れた大悪魔『魔皇ヤルダバオト』の実在情報は衝撃的だった。法国の虎の子『漆黒聖典』を個々に上回る戦力と言うゴブリン兵の存在以上の衝撃をもたらした。推定難度300では互角に戦えるのは番外席次のみ。しかも間の悪いことに第一席次を含む『漆黒聖典』によるバックアップも神器『ケイ・セケ・コゥク』による精神攻撃も望めない可能性が極めて高い状況なのだ。
「お話は理解しました。しかしこれまでのところ魔導国は他国を侵略するような真似はしていませんが……」
レイモンの指摘をアズスは余裕の表情で受け止める。
「違うだろ……実力行使で蹂躙されていないだけで、あの国は思い切り他国を侵略しているぜ。あの圧倒的な資金力と桁外れの生産力で侵略できない国は無えだろ。他国の情報を売りたくはねえが、評議国だって青息吐息だ。なんせ魔導国に尻尾を振った方が評議国に義理立てして取引を続けるよりも圧倒的に得なんだからよ。それまでの取引相手が軒並み奪われ、どれだけ軍事的に強かろうが目に見えて孤立化する。評議員達が頑張ったところで一般国民は我慢できねえのさ。法国は違うのか?……一緒だよな。むしろ力を奉じる傾向が強い亜人国家よりも、利に敏感な人間種の宗教国家の方がはるかに辛い状況なんじゃねえか?……まあ、あんたらが素直に自国の窮状を素直に答えてくれるとは思わねえが、王国の惨状を見ていれば想像可能だ。王国はザナックやレエブンから市井の国民に至るまで心の底から魔導国の狗だ。敗戦の屈辱なんざ覚えているのはほんの一部……ガゼフの旦那達は反帝国、反皇帝の精神で懸命に頑張っているみてえだが、いかんせん正攻法じゃ何年経っても魔導国どころか帝国にも追いつかねえよ。むしろ引き離される一方だ。帝国は魔導国との一体化が確実に進む。情報によれば、専業兵士制は最低限まで削減して、予算を魔法詠唱者の育成に集中投入すべきって議論まで行われてやがるようだ。魔導国との分担を考えて『同盟内で確固たる地位を確立すべし』って主張する魔法学院出身者の派閥が幅を利かせているらしいぜ。竜王国とビーストマン国家は完全に魔導国副王の言いなり。聖王国も似たような道を進むしかねえ。都市国家連合も市井から突き上げにいつまで耐えられるか?……明日にでも貿易だけじゃなくアンデッド労働力の受け入れを始めるだろうな……その結果として国民教育が魔導国に奪われるわけだ。そうなりゃ数年先には帝国……労働力だけでなく国防もアンデッド任せになるんだぜ。そこまで浸透されたら国名が違うだけで魔導国の一地域だ……違うか?」
成立して間も無い魔導国がどのようにして人々のアンデッドに対する根深い忌避を払拭しているのか?
深刻な疑問だ……ゼブルの軍門に降っても、待ち受けるのは苦難の道。それは覚悟していたが、アズスから他国の状況を聞くに及び今後の舵取りの難しさを痛感した。
レイモンは率直にアズスに疑問をぶつけた。
「魔導国はどのようにして人々のアンデッドに対する根深い忌避を払拭しているのですか?……もしアインドラ殿がご存知でしたらご教授願いたい」
アズスが突然立ち上がる。
「胸糞悪い!……と言いたいところだが、連中はとにかく地道なんだ」
そして注目を集めた後、笑いながら座った。
いちいち芝居掛かっているが、冒険者なりの話術は心得ているようだ。あくまで冒険者として、だが。
「アンデッドも人も大量動員してやがるんだ。まず労働力を必要とするところに片っ端から安価な労働力の提供を持ち掛ける。嫌がっても支配者からの得になる話を断れる金持ちなんざいない。いざって時に国家の庇護を失うわけにはいかねえからな。で、導入と同時に税率の引き下げを約束する。雇用主はそれだけでも軒並み満足するが、連中は手厚い。経理や法律の専門家と称してエルダーリッチも派遣する。当初は恐ろしいし、戸惑うが、エルダーリッチの経営アドバイスは極めて的確なんだ。即座に潤沢な利益が得られるか、少なくともそれが予測される経営状況を見せつける。これだけで富裕層はイチコロだ。次いで手の空いたそれまでの労働力の担い手である貧困層の労働者に教育義務を定めた。15歳以下の子供は6歳から15歳までの10年間……それ以上の年齢は週に一度、適性検査と職業訓練を兼ねてアンデッドと過ごさせる。生活困窮期間に国から支援金受け取る条件なんだ。同時に教育も施す。その中にアンデッドと親しげに接する人間のサクラも混ぜてな。さらに市井にアンデッドをばら撒いて、人々の嫌がる作業を率先してやらせる。汚物やゴミの処理や清掃作業が主だ。ついでに身体の弱い病人や老人を助けさせたりする。気楽にアンデッドを呼びつける人間のサクラも多数紛れ込ませてやがる。まあ、万事抜かりなくアンデッドを活用する様子を一般国民に見せてやがるんだ。恐怖も忌避も1ヶ月もあれば相当に薄れる。中には本当に助けられた人間なんてのも出てくる。そいつらのアンデッドに対する感謝は本物だ。本物の感謝は説得力が段違いだ。感化される人間も増える。慣れってえのは恐ろしいぜ。3ヶ月も経過すると街にアンデッドが歩いているのを平然と受け入れているんだ。むしろそれまでのアンデッドに対する評価に自然と疑問まで抱くようになる……って寸法だ。広報活動にも力を入れてやがる。それに加えて良い実績が積み上がりゃ、鬼に金棒だな。街の無償奉仕者はスケルトン……行政機関の受付は軒並みスケルトンメイジ……法で定められた範囲の行政決定権者や裁判官はエルダーリッチ……国の安全を担うのはデスナイトにソウルイーター。どいつもこいつも厳格だが極めて公正であるのだけは間違いない。加えて二十四時間休み無く働き、経費どころか食費も要らねえ。どうあがいても人間国家にゃ絶対に真似はできねい。潜入してみれば一発で理解できる。一切無駄がなく、全てが機能的で効率的だぜ。行政に関しちゃ完璧だ。その上魔導国は人間も亜人も異形も区別なく扱うからな。移民にも援助は手厚いし、成功する為の機会もくれる。生活に困れば国が本当に最低限の食う分だけは支援してくれる。今じゃ自身でアンデッド宣言している魔導王がお忍びで街を歩けば一眼見ようと幾重にも人垣ができあがるような状況だぜ。魔導王陛下万歳!ってな」
一瞬感化されそうになり、レイモンはハッと我に返った。
アズスの言葉を聞けば聞くほど魔導国とは良い国だと思わされてしまった。
少なくとも一般国民に対しては極めて良い環境を作り上げている。
法国の理想とはかなりかけ離れたものではあるが……
人間を食料として扱うような大陸中央の六大国のような野蛮さは感じない。
人間至上主義とはいかないが、人間を国民として人間以外と同等に扱っているのは間違いないようだ。
レイモンが視線を移すとジネディーヌもベレニスも何かを深く感じ取っているようだった。
しかし忘れてはいけない。
魔導国は自国民には手厚いが、他国に対しては極めて厳しいのだ……それが自国に民を集める手段だとでも思っているかのように。
はたして現在の苦境を乗り越えた後も魔導国と共に歩むべきか……?
「……真っ先に魔導国の手を取った帝国の状況は?」
「……似たようなもんだ。帝国は元々官僚機構が強いから、その分の経費削減は難しいらしいが、軍部も辺境警備に都市外警備は既にアンデッドを導入済み。大規模農場もアンデッドの導入に積極的だ。浮いた国費で魔導国を倣って教育に力を入れているみてえだ。都市基盤の整備も魔導国の力を借りて着々と進行している。僅かだが税率も引き下げた。景気は上昇気流に乗ってやがる。金も物も潤沢に国内を巡っているわけだ。帝国の好景気の大波に飲み込まれたのがカルサナス都市国家連合だ。しかし帝国はどこまで行っても魔導国ありき……つまり浮いた国費を魔導国に吸い上げられているとも言える。さすがの切れ者皇帝ジルクニフも魔導国を凌駕することは諦めて、同盟内での地位向上を目指すようになったらしいぜ。将来を見据えて、少なくとも魔導国副王ぐらいの地位は確保しておこうって腹積りだ。まあ、同盟内は永世盟主の魔導王と腹心の副王に次いで魔導国の閣僚が実質的上位とされる下に名目上魔導国閣僚と同等とされるそれ以外の国家の君主って状況らしいぜ。今のところ帝国と竜王国が下々の覇を争っているって話だ……聖王国と都市国家連合も黙っちゃいねえだろうけどよ。本当にくだらねえ情報だ」
「……竜王国ですか?」
国力で言えば、経済力も軍事力も帝国とは比較にならないはずだが……国土のほとんどがボロボロの弱小国家が魔導国以下は似たようなものとはいえ精強な帝国と覇を争う?
「少し前には考えられなかったが、今の竜王国は下手すりゃ魔導国以上に他種族共生のアンデッド依存国家だぜ。閣僚を除き、官僚機構は全て魔導国のアンデッド。国軍も将帥を除いて全兵アンデッド。国土は壊滅的だった南部を中心に大規模再開発が進み、その労働力の9割以上を占めるはアンデッドかビーストマン。新たに人間の手でデザインされた美しい街並みと整備された農園に水路に道……機能を追求した国土のほとんどを支配しているのが、制度改正後の竜王国で唯一生き残った貴族の南方侯……そいつは魔導国副王と同一人物だ。形式上オーリウクルス女王の臣下だが、同盟盟主魔導国の副王でもあるって歪んだ関係だ。奴の個人的な属国と言っても過言じゃねえ。単なる噂だが、宰相を除く閣僚も軍の幹部も奴の配下で占められているって話だ。そいつらが切れ者揃いらしいぜ」
そこまで話し終えてアズスがニヤリと笑う。
「で、ここまでの情報を無償で提供したんだ。少なくともおたくらの最高意思決定会議には上程して欲しいな……少しでも俺達の誘いに乗るつもりがあるなら、さらに詳細な情報を開示するぜ」
「まだあるのか?」
ジネディーヌは年齢的にも疲労困憊……吐露するように呟いた。彼にとって今日一日は波乱に満ち過ぎていたのだ。
巻き込まれた形のベレニスも少し顔付きが薄くなったように見える。
3人の中では頑健なレイモンもにしても、この後の予定を考えると頭が痛くなるような気にさせられていた。
「こちとら……あんたらが魔導国に籠絡される前に、なんとか間に合うようにやって来たんだ。ガキの使いでもねえ……それに勘違いされても困るから、最初に言っとくが、手を組んだからといって一緒に魔導国と戦争しようって話じゃねえからな。もちろん個人的には魔導国のえげつないやり口は気に入らねえ。兄上殿に限らず仲間はみんなそうだろう。だからと言って魔導国が民衆にもたらす豊かさや公正さまでを否定するわけでもねえ。ガゼフの旦那達と一線を画しているのはその部分だ。最終的に戦争を目指しているあいつらとは手が組めねえ」
「では何故魔導国と同等の戦力を確保したいのですか?」
「戦力が互角にならなきゃ、交渉のテーブルに着けないだろが……最終的にブン殴る力が互角……それが無理なら、俺達に殴られりゃ死ぬ程痛え、って思わせないとな。その為に魔導国の戦力以外も詳細に調べ上げたんだ。俺達は魔導国の経済侵攻から逃れたいのさ。魔導国っていう見た目は美しい底無し沼に肩までどっぷり浸かっている現在のレエブンとザナック……同じ穴の狢の帝国や竜王国にその自覚はねえだろうが、連中の本質は侵略者だ。しかも凶悪な『八欲王』なんぞと違い、連中の武器は経済と教育……様々な意味で民衆を豊かにする厄介な連中だ。大口で飲み込んだ民衆に担がれて飛躍的にデカくなりやがる」
「それの何が拙いのですか?」
「民衆にとっちゃ現状は何も拙くねえさ……ただ俺は連中のやり口が気に入らねえだけだ。そいつを自覚しているから今は戦いを避けたい」
「解りませんね……我々を誘う意味があるとは思えません。貴方達だけで抵抗すればよろしいのでは?」
レイモンには最後の最後が理解できなかった。
これではアズスは使者失格だ。
友人に頼み事をするのではないのだ。
国家……それも他国を動かすにはあまりに情緒的過ぎる。
個人的にはある程度までは賛同できる部分もあるが、国家を指導する者としては箸にも棒にも引っ掛からない意見だ。理由も条件もあやふやでは議題として上程するわけにもいかない。
それに本交渉前に態々自分達の弱点を提示するのは阿呆の行いだ。どこまでいっても所詮は冒険者……交渉前に事態の趨勢を決めてしまい、相手の選択肢を奪ってしまう魔導国と互角にやり合えるとは到底思えない。
「……残念ですが、これ以上は情報を得ても意味があるとは思えません。貴方達も貴重な情報を浪費したくはないでしょう。どうかお引き取りを……」
それまで余裕を見せていたアズスの顔色が一変した。
魔導国に潜入し、可能な限り調べ尽くしたことで情報の価値に一定の自信を得ていたのだろうが、彼等程度の調査であれば風花を総動員すれば法国単独でも可能……レイモンはそう結論付けた。
「待ってくれ!」
「何を待つのですか?……我々には時間が無い。本当に言葉遊びをやっている暇は無いのです」
「遊びじゃねえよ!」
「貴方のやっていることは時間の浪費です。我々を動かしたいのならば、理由と条件と、結果や成果とまでは言いませんが、その予測程度のものは提示していただかないと……」
「理由だと……おたくらは連中にやり込められたままで良いのか?」
「良くはありません。ですが、それは貴方達と手を組むことを是とする理由にはなりません」
レイモンが冷然と言い放つとアズスは立ち上がり唇を噛み締めた。
「……残念ですが、貴方達が戦力をまとめ上げても魔導国と互角にやり合えるとは思えないのです。仰る通り、彼等は労を惜しみません。今この時も我が国限らず経済による侵攻を続けているのです。時間は魔導国の味方……我々には本当に時間が無い。とはいえ、ある程度の情報をいただいたのも事実。ですからこちらからお誘いに乗れるか判断できる条件を提示しましょう」
我ながら甘いな、と思いつつレイモンは端的に言葉を並べた。
機会を与える必要があるとは思えないが、それでもアインドラ法務尚書の背後に誰がいるのかは知っておいた方が得策と考えたのだ。
現時点で確認できたのはアズス・アインドラ……おそらく彼の冒険者チームである『朱の雫』のメンバーも同一歩調なのは間違いないだろう。
さらに『死者使い』リグリット・ベルスー・カウラウ。
口振りではガゼフ・ストロノーフ一派とは袂を分かっているらしいが、リグリットは高名な剣豪ローファンの冒険者チームに所属していたこともある。ガゼフはローファンの弟子と言っても過言では無い。
リグリットの繋がりでかつての『十三英雄』の生き残りでも確認できれば儲けものだ。
さらに『青の薔薇』も血縁を考慮すれば一党と考えても良さそうだった。
ただこの面子だけでは戦力や市井の情報は取れても同盟内部の政治的な動きまでは把握できるとは思えない。
まだ誰かいるはず……その思いが半端に機会を与えるような言動となったのかもしれない。あるいはアズスの姿を見た時に受けた感覚に引っ張られたのかもしれない。
「……どうぞ、本拠地に戻るなり、メッセージで伝えるなりで、お仲間と相談してください。我々はこの地を離れることはありません。ただ状況は深刻な速度で推移しています。今日の条件が明日の条件と同じものとは考えない方がよろしいかと……」
一瞬で立場を失ったアズスが言葉も無く深く一礼し、神官長室から退出しようと扉の前に立った。
そして退室前に振り向くと3人の最高執行機関メンバーを見回した。
トスっと軽い音が響いた。
その瞬間、アズスが「グッ」と呻き、吐血した。
見れば彼の左胸から赤く染まった剣の切先が飛び出している。
致命傷……もう助からない……即座に理解させられた。
女性のベレニスも老体のジネディーヌも僅かに目を見開いただけで、大袈裟な反応は見せない。それだけでも彼等の潜り抜けてきた修羅場の数が窺い知れる。ただレイモンだけは立ち上がり、2人を庇うように前に進んだ。
「この神殿内で狼藉に及ぶとは……何者かっ!」
血塗れの切先がアズスの身体の中に沈む。
ゆっくりと身体がその場で崩れ落ちた。
背後に現れたドアは作りこそ簡素だが、遮音性に優れた分厚いものだ。
それを隔てて正確にアズスの心臓を貫いたのを偶然と考えるには、あまりに見事な腕前だった。討たれたアズスとてアダマンタイト級冒険者である。幾多の修羅場を掻い潜って生き抜いてきた手練れ相手に一撃必殺は、賊が相当な腕の持ち主であることの証明だった。同時にスレイン法国の権威など無視して構わないと考えているのも間違いあるまい。
ドアノブが回る。
レイモンは唾を飲み込んだ。
ドアが引かれた。
レイモンは一歩踏み出し、現役時より衰えたとはいえ、いまだ常人相手であれば一撃で頭蓋を砕く程度の威力は保っているつもりの蹴りを繰り出そうと身構えてた。もちろん相手が常人でなく手練れであることは百も承知だ。
「ちわー……っと」
奇襲の蹴りが賊を襲う。
正確に左側頭部を狙っていた。
「アハハッ……話すのは随分と久しぶりなのに怖いなぁ、レイモン」
賊の笑顔と対照的にレイモンの顔が苦痛に歪む。
右脛を細い指に掴まれていた。
信じられない握力だった。
握り潰されないのが不思議な程の圧迫であり、ピクリとも動けない。これ以上の攻撃を繰り出せば即座に右脚を握り潰されるのを理解させられたのだ。
「貴様はクレマンティーヌ!」
「いまさら見間違いはないでしょ?」
クレマンティーヌが笑う……直後、表情を消す。
「でも今はティーヌって名前だから……次、間違えたら殺すぞ」
凄むわけでもなく淡々と宣言しながら、クレマンティーヌはレイモンの右脚を解放した。
以前とは全くの別人だった。
破綻していた人格はともかく、戦闘能力がレイモンが把握していたものとは隔絶している。
クレマンティーヌは足下に転がるアズスの死体を一瞥すると、まるで障害物を退かすような雰囲気で軽く蹴り避けた。
そのままドアを閉めると、唖然とするレイモンの傍をすり抜け、呆然と見上げる2人に笑い掛け、ソファに腰を下ろした。
「ちょっと空気が血生臭いけど、お茶くれないかな、ベレニス?」
ベレニスは言われるまま何度も頷き、即座に新しいティーカップに茶を注いだ。それをゆっくりと差し出す。
クレマンティーヌは笑いながら受け取り、茶を啜った。
「……もう何が起こっても驚かんつもりだったが、許されざる大罪を赦免した小娘に、こうして目の前で堂々と人殺しを見せつけられるとはな……しかも今では外交特権持ち……歳を重ねるもんじゃないわな」
皺枯れたジネディーヌがクレマンティーヌを鋭い視線で睨み付けながら呟いた。
「何言ってだ、クソジジイ……怒り心頭なのはこっちなんだけど」
言葉と裏腹にクレマンティーヌはジネディーヌに穏やかな笑顔を向ける。
「怒り心頭だと……?」
「とぼけんなよ、ジネディーヌ……神都に来てからだけでゼブルさんの命を狙うこと2回。んで、今度はコソコソと姑息に反魔導国の打ち合わせかよ。薄汚え死体が誰かは知らねーが、お前らは何度頭を下げてきても信用できねー……実際に来てみれば案の定だったわけ」
「それは全て偶然じゃ……信じろとは言わんがな」
「偶然だろうと何だろうと、死んだゴミの話は聞いてたんだよねー……ゼブルさんに襲撃掛けたのも事実。まっ、2回目のは未遂って考えやっても良いけどさぁ……お前らがグダグダなのか?……元々法国が腐ってるのか?……私はどっちもかなぁーって思ってるよ」
「して、ゼブル殿は?」
老獪そのもののジネディーヌはしれっと話題を逸らす。
クレマンティーヌもゼブルの話題となると付き合わざる得ないのを知っているのだ。見せかけであろうと本心であろうと魔導国副王に対する忠誠を見せ続けなくてはならない……とジネディーヌは思っている。そもそも逃亡中のクレマンティーヌが自身の安全確保の為にゼブルに腕を売り込んだ可能性が高いと予想しているのだ。
「もちろん無事だよ。私を使いに出すぐらいだからね……レイモンの使いが来たから、お前らを連れて来い、ってさ」
「で、貴様は使いのついでにわしらと話し合っていた王国の使者殿を不意打ちで殺害したわけか?……大した外交儀礼じゃな」
「アハハッ……お前が儀礼を語るなよ、ジジイ。まっ、お前らがクソなのは確定事項だし、どうでも良いけどさー……ゴミ屑の死骸は私が持って行くから」
「ふざけたことを抜かしよる」
「お前らが持っていても仕方ねーだろ?」
「その御仁はわしらが儀式魔法で復活させる!……貴様らの好きにはさせん」
「数に頼んで、ほとんど役に立たねー魔法なんざ、労力と時間の無駄なんだよ。それにこの私が持って帰るって言ってんだよ……お前らに止める術はねーだろ」
クレマンティーヌの浮かべる笑顔の奥に無視できない何かが生じた。
ジネディーヌは表情にこそ出さなかったが、冷たいものを感じていた。
役割を良く心得、肝っ玉の太いはずのベレニスも口を挟めずにいる。
膠着した空気を打ち壊したのはレイモンだった。
「……お前の言う通り、私達に止める術は無い。だがお前は宿まで死体を担いで帰るのか?」
「んじゃ、レイモンが持ってってくれる?」
「断る!」
「じぁー、黙ってろ、三下」
クレマンティーヌは頑として譲らない。
蔑みの視線をレイモンに向け、口元には笑いを浮かべている。
対するレイモンはクレマンティーヌの視線を受け止めつつも、本当に往来を死体を担いで歩かせるわけにはいかないと密かに対応策を巡らせていた……だが実力では圧倒的な差を示され、どれも選択肢としては弱い。
かと言って、このまま放置すればクレマンティーヌは本当に刺殺体を担いで宿に向かうかもしれない。
そして3人は宿まで同行しなければならない。
つまり形として殺人を黙認したことになってしまう。
せめて体裁だけでも整えなければ……
レイモンは考え込んでいた。
ジネディーヌとベレニスからはクレマンティーヌと睨み合っているようにしか見えない。
「まあ、待て……ここはひとまず……」
ジネディーヌが仲裁を提案した瞬間、ノックが響く。
視線は一つも向けられなかったが、全員の注意が扉に集中した。
「何用ですか?……今取り込み中なのですが……」
神官長室の主人であるレイモンが扉の隙間を作って対応した。
片隅に死体が転がっているのだ。無闇に扉を開けさせるわけにはいかない。
血の臭いはこの際無視した。
「神官長様……大変です!」
またか……思わず舌打ちしそうになり、レイモンは慌てて自分を戒めた。
「何事ですか?」
「それがその……」
「なんですか?……用件は簡潔にお願いします」
「……カイレ様がお一人でいらっしゃいました」
「なんだと!」
あまりの大声に「ヒィ……」と取次に訪れた女性神官の小さな悲鳴が響いた。
しかしレイモンに余裕はなかった。
行方不明になっていた神器『ケイ・セケ・コゥク』の所持者が現れたと言うのだ。しかも1人……第一席次はどこへ行ってしまったのか?……カイレが無事であれば第一席次も無事な可能性がある。
法国の責任者として後回しにできるような話題ではない。
「今、どこに!」
「アポイントは確認できませんでしたが、カイレ様ですので既に許可しました。直ぐそこまでお連れしています」
「こちらに!……いや、私が行きましょう。案内を」
ジネディーヌとベレニスに断り、レイモンは神官長室を後にした。
クレマンティーヌが見せたおちょくるような笑いが気になったが、今はそんな些細な事を気にしている場合ではなかった。
爆発的に巨大化したら期待は脆くも崩れた。
通路を曲がった先にカイレは立っていた。
悪びれもせず、じっとレイモンを見返している。
「カイレ様……ご無事で何よりですが、神器はどうされたのですか?」
「神器とな?」
すっかり惚けたかのようにカイレは皺だらけの顔を傾けた。
何の話か理解できない……そんな印象だった。
痴呆とは思えない……凛とした印象も薄れていたが、言葉があやふやなのでなく、記憶が曖昧と言った方が正しいように思える。
「ご一緒だった第一席次は?」
「第一席次とは誰じゃ?」
万事この調子だった。
だが他の質問に対する受け答えはしっかりしていた。
神器とは似ても似つかない地味な色合いの服に身を包んではいるが、レイモンについてもジネディーヌについてもベレニスについても良く覚えているようだった。
番外席次や他の『漆黒聖典』についても記憶におかしな点は無い。
しかし土の神殿を訪れた理由も判らないらしく、なんとなく神都を独りで歩いていたら辿り着いたらしい。
レイモンとの会話で肝心な部分だけがすっぽり抜け落ちているのだ。
「いずれにしても私を頼っていただけたのは何よりです」
「そうか……わしは何か非常に重要な任務……果たすべきことがあったように思うてな……それが何か教えてもらいたくて来たのだ。たしか……おぬしの使いの者が我が家にやって来たような気がしてな」
「その使いが第一席次です。黒い長髪の『神人』です」
「なんと!?……3人目の『神人』が発見されたとは聞いてはいたが……しかし……記憶に無いのう」
カイレは首を捻る。
まるで暖簾に腕押しだ。
やはり記憶の一部分が完全に欠落しているようだ。
症状の差はあれ、一部は真面……少し『漆黒聖典』と似たような……まさか!
「カイレ様……魔導国副王が神都に滞在しているのはご存知ですか?」
「魔導国副王……おおっ、ゼブル様のことか!……わしが神都を彷徨うているところを助けてもらったのう。年若いのに実に良い人柄の御方じゃ。布切れ一枚の半裸で歩いているところを哀れに思うたか、服を用意していただいたのじゃ……で、わしは何で布切れ一枚で街におったのかのう?」
なんとも判断に困る回答があった。
そのままの内容にも受け取れる。
ゼブルに対して感謝はしているが、過剰な忠誠心のようなものは感じない。
ただし確実に怪しい……より複雑な精神支配を受けているのか?
あるいは……この状況を作ることが狙いなのか?
『漆黒聖典』のように過剰な忠誠心を見せる者だけではないと、こちらに警告するのが目的なのか?
いずれにしても期待外れ……神器『ケイ・セケ・コゥク』も第一席次の所在も深い霧の中……このような状態で王国のアインドラと手を結ぶわけにはいかなかった。アインドラの背後にいるだろう勢力に法国の弱体化を態々暴露するようなものだ。
大人しくレイモンを見上げるカイレを見て、密かに溜息が漏れた。
最も優先順位の低いカイレ本人の存命だけが確認できた。
成果としては最低限だ。
明日以降、カイレに尋問しなくてはならない。
可能であれば『漆黒聖典』の様子を知る自身で行いたかったが、より優先される役割がある。イヴォンかドミニク辺りに使いを出す必要があった。
レイモンは近くにいた部下の神官にカイレを自宅まで送るように申し付け、その帰りにイヴォンに明日の朝一で土の神殿に来るよう言伝を頼んだ。
大きく息を吐く。
最悪に多忙な1日はまだまだ終わっていなかった。
お読みいただきありがとうございます。