死の王と蠅の王   作:マイクロブタ

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53話 勝ち確?

 

 経済的には完敗。

 どうやら軍事力も……刻一刻と格差は広がっている。

 そして他を含めての状況も悪化の一途。

 魔導国副王の極秘招聘を決めてから、全てが悪い方へと転がっているように思えた。だからと言って、いまさら取り止めることも、引き返すこともできない上に、留まることすら困難だった。時間を司る神は平等でなく、圧倒的に魔導国の味方なのだ。

 

 交渉を任された土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンは何もかも上手くいかない現状を噛み締めながら、眼前の扉を見詰めていた。

 それも数秒……振り返り、本来の補佐役であるジネディーヌと何故か巻き込まれたベレニスに頷く。2人ともにレイモンを見て、頷き返した。

 

「んじゃ、準備万端ねー」

 

 元『漆黒聖典』第九席次『疾風走破』クレマンティーヌこと、魔導国副王側近のティーヌが扉を押し開けた。

 廊下の奥の広いリビングの応接セットの奥の一人掛けソファに交渉相手が座っていた。先行して状況を作り、スレイン法国の選択肢を奪い続けた元凶と言っても過言ではない男だ。2つの神器と行方不明の『神人』の最も近くにいる男と言い換えても良い。

 

 ティーヌは単に扉を開けただけで3人を案内するわけでもなく、そのまま魔導国副王の右後ろに立つ。そしてそれまでの人を食ったような笑顔を引っ込めると、口角だけを上げた作り笑顔で3人を迎えた。

 

「神官長3人を連行しました、ゼブルさん」

「お疲れ様、ティーヌさん」

 

 主従とは思えない奇妙なやり取りの後、ゼブルは3人に向き直り、ソファに腰掛けるように促した。その直後に宙に浮かんだ暗黒洞に手を突っ込み、茶器と魔道具のポットを取り出すと、3人に茶を注いだ。

 

 奇妙な技だ……疑惑濃厚な魔導王などでなく、この男がぷれいやーなのではないか?

 

 レイモンが思う間も無く、唐突に奥の部屋から無表情の男が姿を見せた。

 ジットと名乗るゼブルの秘書役だ。手配されていた時はズーラーノーン所属と目されていた元法国人の元犯罪者だ。

 彼は黙礼し、ゼブルの左後方に立った。

 直後、ゼブルが口を開く。

 

「生憎と今回の下交渉はとにかく邪魔が入りがちです。だから単刀直入にお尋ねします……法国のご希望はどうなりましたか?」

「我々は魔導国の援助を最大限受け入れることを決定しました、ゼブル様」

 

 レイモンの即答にゼブルが目を細める。

 

「となると、スレイン法国も我々の同盟に参入……それは即ち他種族共生を受け入れることと同義となりますが?……教育制度についても魔導国を基準にされるということでよろしいか?」

「……待っていただきたい。教育についてはあまりにドラスティックに改革すると世代による認識の乖離が問題になるかと……」

 

 レイモンの回答にゼブルの目付きがさらに険しくなる。

 

「国家の軸を成す主義主張を改革する上でドラスティックでない改革など改革と呼べますか?……それは改革の冠した単なる遅延行為でしかない、と私は感じますが……指導層にちょうど良い感じの国民の認識変化を目指すなど、スレイン法国は何年後の同盟加入を目指されるおつもりか?」

「ゼブル様は誤解しておられます。我がスレイン法国の人間至上主義はそもそもが他種族に比して劣等種である人間の地位向上を目指したもの。つまり貴国のように公平な扱いであれば、国民にもいずれ許容されるかと……」

「なるほど、なるほど……ものは言いようですね。では法国民にとって最も受け入れ難いと予想されるアンデッドが受け入れらる、スレイン法国なりの目算を教えていただけるとありがたい。まさか自然に受け入れられるのを待つなどと言う期待外れは申されますまいな」

「それは……」

「我々魔導国は資金も物資も生産力も提供し、その上で国家間の貿易障壁も極力無くそうと尽力するつもりです。同盟国でなく、経済的困窮に陥っている貴国に手を差し伸べ、共存共栄の道を模索する……つまり現時点では魔導国単独で貴国を援助することと同義です。当然、発展する為に貴国が援助を最大限受け入れることとは魔導国と魔導王陛下に相応の負担を強いるわけですが、貴国は都合良く同盟加入を先延ばしし、負担無く良い所取りをしたい、と」

「決してそのようなことは……」

「であれば、魔導王陛下が納得される代償を提示していただきたい。少なくとも私は法国の行いを3度許している。私の護衛と秘書の罪を赦免されたことには感謝するが、それを差し引いても余りある……そうではありませんか?」

 

 これまでの対応と一変し、当初の予測よりもはるかに苛烈なゼブルの態度に戸惑いつつ、レイモンは深く頭を下げるしかなかった。『漆黒聖典』による襲撃すら手玉に取り、逆手に取って法国を追い込んでいたゼブルだったが、今回は容赦無い言葉を並べていた。

 

 我慢の限界を超えた……否、そんなタマであるまい。

 そもそも援助を決定し、その内容にまで相当な裁量を有しているように思えるゼブルは立場的には我慢する必要が全く無い。

 それなのに余裕の姿勢を崩さず、我慢なり忍耐なりを重ねている。

 理由は法国に反目させず、優位を築くことに違いないのだ。偶発的なものまで含めて、これまでのところ法国は失敗を積み重ねている。つまり手札が減り続けているのだ。しかも相対するゼブルの手札は見えない。

 だから手強く感じる。

 流されてしまった結果とはいえ、既に実力行使に及んでいるのだ。しかもおそらく密かに退けられた上に、退けた事実を匂わす程度で伝えてくる。

 当然、国境沿いに魔導国の誇るアンデッド兵団を集結させても良いぐらいの事態に思える……が、ゼブルはそうしなかった。

 レイモン個人としても……いや、あくまで憶測だが、襲撃を決定した時点での最高執行機関としてもそうなることは許容していたはずなのだ。法国として二正面作戦となる全面戦争だけは避けたいが、国境沿いの小競り合い程度の被害であれば、国民に魔導国の潜在的危険性を周知する機会程度に捉えていたはず……あの時点では『神人』である第一席次も神器『ケイ・セケ・コゥク』も健在だったのだから。

 結果として、その選択肢まで奪われてしまった。

 現実の戦力比として魔導国が圧倒的とはいえ、武力で圧を掛けてくる程度であればここまで窮することはなかったはずだ。ゼブル及び魔導国は武力の圧倒的な差を感じさせつつ、他の凡ゆる手段で圧を加えてくるのだ。

 

 レイモンは数少ない手持ちの武器の中で効果的なものを探すべく、頭を下げつつも脳味噌をフル回転させていた。

 アンデッドの労働力を受け入れる……そこまでは既定路線だ。

 もはや周辺地域でスレイン法国の主張に同調してくれそうな国家が戦争中のエルフの王国だけという皮肉な状況なのだ。だから最高執行機関の総意としてもそこまでは譲るつもりだった。

 だが着地点を後退させられない以上、初手から全面降伏というわけにはいかない。魔導国に譲った結果として、そこに到達させたいのだ。着地点を容易に知られては副王ゼブルは間違いなくそこを無視して限界まで押し込んでくるだろう。

 法国としては乾坤一擲の種は残したい。

 それこそが教育だ。

 不死者である魔導王にとって、時間は常に味方なのだ。

 法国の現世代は魔導国の教育に抗っても、魔導王の半永久的な治世の間に絶対に世代を重ねてしまう。定命である人間の決定的な弱点だった。

 そこを魔導国に掌握されては、最後の希望である将来の巻き返しが不可能になってしまう……だからこそゼブルの態度は強硬なのだ。逆に考えれば教育さえ掌握すれば良いと考えているようにも見える。

 

 レイモンはジネディーヌをチラリと見た。

 既に一昼夜近く休みもせず、過酷な状況に頭を巡らせているジネディーヌの眼窩は平素よりも落ち窪んで見えるし、顔色も優れない。ただし眼光から鋭さは失われていない。

 視線が交差した瞬間、ジネディーヌは軽く瞬きをした。

 意思疎通は成った。

 

「待たれよ、ゼブル殿……我が国に貴殿に対する数々の無礼と不手際があったことは認める。それは素直に謝罪させていただきたい。そして寛大な赦しに対して謝意を述べさせていただきたい……」

 

 ジネディーヌは深く頭を下げて「誠に申し訳なかった」と言い、頭を下げたまま「ご寛容の数々に感謝いたします」と言うとさらに深く頭を下げた。

 見た目にも疲れ果てた高齢者が頭を下げること自体に意味があった。

 

 フッと薄く笑うゼブルに効果が及ぼしたか?……とりあえずレイモンに向かられていた舌鋒は鉾を収めたが、冷たい目付きはそのままの光を湛えていた。ジネディーヌの時間稼ぎは効果を示しているようにも思えるし、攻勢を控えたことで新たに手札を与えたように思える。本当にやり難い相手だ。

 

 ジネディーヌは頭を上げると、さらに問い掛けた。

 

「では、この老身にゼブル殿の考える良き落とし所をご教授願いたい。いかんせんわしらは魔導王陛下の為人を知らぬ。偉大なる不死者の王であり、種を問わず御自身の国民の幸せを願い、その為にあらゆる国策を惜しみなく実施されておられる……非才のわしなどが想像するに、お優しく、同時にご自身に厳しい方であられるのではないか……それ以上は想像が及びませぬ」

 

 副王とはいえ臣下である以上、「今、話題にすべきことではない」と単純に突っぱねない限り、主君に好意的な話題を無視できない。しかも交渉上必要と言われれば、下交渉に招かれた手前、対応せざる得ない。そしてゼブルの為人はそういう相手の思惑を知っても無視しない。

 僅かだが時間を稼げる。

 ゼブルはジネディーヌの思惑に乗り、魔導王アインズ・ウール・ゴウンの為人や美徳を語り出した。その行為自体の真偽は不明だが、それは法国側にとってどうでも良いのだ。単純に時間が稼げれば良い。

 そしてゼブルもジネディーヌの誘導にあえて乗っているに違いない。ゼブルはゼブルで時間を与えることで、さらに法国を追い込んでくる。手札の枚数の差が圧倒的過ぎるのだ。その上、時間の経過が常に魔導国優位に働くことがこの場の全員の共通認識であることを熟知している故である。実際に経過した時間よりもジリジリと事態の進展が遅れることそのものが武器なのだ。

 

 ジネディーヌが時間を稼ぐ中、レイモンは所在無さ気なベレニスを見た。彼女は元々魔導王や魔導国よりもアンデッド労働力の導入を危険視し、それを阻止する為には開戦もやむなし、と言う主張だった。本来は同行すべき人物でもない。

 しかし何の因果か、同行してしまった。

 懐疑的であった以上、様々な不安を抱えているはず。

 

(疑問をぶつけてくれ!)

 

 レイモンの視線の意図を理解し、ベレニスはゼブルの言葉が途切れるのを待って、会議のように挙手した。

 

「私も発言してよろしいかしら、ゼブル様」

「どうぞ……えーっと、ベレニス・ナグア・サンティニ神官長殿だったか?」

「どうぞベレニスとお呼びください、ゼブル様……では、私からも……と言うよりもアンデッド労働力導入について抵抗感を持つ者達の疑問です。まず最初に疑問を感じる部分としては、魔導国ではアンデッド労働力に職を奪われた人々の最低限の生活を補償しているそうですが、それは我々スレイン法国の疲弊した経済力でも可能な施策なのでしょうか?」

「現状では無理でしょう……魔導国の食料生産力……アンデッド労働力と高位ドルイドの能力の併用によって、極限まで向上させた食料生産力で食料の現物支給が可能な状況です。現時点での貴国にそれは無理だと思われます」

「では、アンデッドによって単純労働市場から駆逐された国民についてはどう考えておられるのでしょうか?……放置すれば治安が急激に悪化します。我々神殿としても急激に上納の減少が続いており、このままでは彼らの為に炊き出し等を施すのは不可能になる情勢です……良いお知恵があるのであれば、是非お聞きしたいものですわ」

 

 ゼブルは脚を組み替え、魔道具のポットから自身のカップに茶を注いだ。そのまま一口飲み込む。

 

「まあ、どう考えるかは貴国の問題なのですが……単純に治安を問題になさるのでしたら、帝国のように国内治安維持については半分程度をアンデッドに置き換えて、都市や人口移動の多い部分の警備に人間を重点投入し、警察力を強化するのも一案です。貴国の場合、戦災を被った竜王国のように人口が激減したわけでもないので、単純に労働力不足というわけでもない……ですが、ベレニス殿の聞きたいことはそのような話ではないのでしょう?」

「もちろんですわ……少なくとも現時点で人間至上主義を標榜する我が国が国民を棄民するわけにはまいりません」

「ですが、現時点でも食えなくなる国民が存在しないわけでもありますまい。彼等の一人一人に至るまで国家や神殿で世話を焼いておられるのですか?」

 

 ベレニスが押し黙る……そうではない。原則を些末に当て嵌める話をしてるわけではない。その量が問題なのだ、と視線でゼブルに訴えた。

 ゼブルが薄く笑う。

 

「別に意地悪を言うつもりはありませんので、解決の一案を提示させていただくと……放置すれば良いのです」

「なっ!……それはあまりに無責任ではありませんか!?」

「いいえ……現在進行形で起こっている事象の延長線上にある話です。貴国と我が国のエ・ランテルを繋ぐ街道沿いで起こっていることですよ。貴国の隣には労働力不足に困窮する竜王国と、簡単な手続きで全ての移民を受け入れる我が国が存在しています。幸にして二国とも現時点での経済環境は貴国よりも優れています。現時点でも目端の効く者や商魂逞しい者から国外逃避が始まっているのです。彼等は貴国の経済状況が回復すれば帰ってくるかもしれません。そしてそこまでの才覚の無い者達も困窮が厳しくなれば、食う為に逃避せざる得ない。こちらに対しても移民にも手厚く消費する分の食料だけは支給してくれる我が国が存在しています。そして竜王国では商売人よりも単純労働力を欲している……」

 

 ……そして魔導国の教育を受け、それなりに生活も潤った国民の大多数は二度と帰ってこない。

 

 ゼブルはそう言っているのだ。

 どこで増加の一途である魔導国への移民希望者達が街道沿いの安全地帯で吹き溜まり、スラム街化していることまで聞き付けたのか?……薄い笑いの向こうでどこまで見通しているのか?

 ベレニスは真意の見通せない整い過ぎた美貌を見詰めていた。

 しかし同時に理解した。

 一見強硬に見える教育制度導入だが、実のところゼブルにとってそれすらも主要な課題ではないのだろう。魔導国が好条件で移民を受け入れ続けているのが証拠のように思える。

 魔導国の移民の多くが元王国民なのは間違いない。

 彼等は諸侯に所有物として扱われ、全てを奪われてきた。

 法国における貧民とは隔絶した差がある。

 貴族階級の力が脆弱な帝国とも違う。

 この地域おける圧倒的な弱者だ。

 彼等の食い扶持は最後の最後に考慮される程度。それも良心的な領主に限られている。帝国戦での見るも無残な敗戦で多数の王国貴族が没落し、財産を没収されたとはいえ、貴族位そのものは健在であり、その多くは首がすげ替えられただけ……国家に対しての発言力は壊滅的に低下したが、王国民全体の扱いが良くなったとは言い難い。その結果として急激に増加した王国直轄地の領民も急増したが故に配慮が行き届くわけがないのだ。

 彼等には魔導国の食料支給制度は魅力的に見えるに違いない。

 なるほど王国から逃亡し、魔導国に流入する貧民の群れが減らないわけだ。

 富を奪い、人を奪う……法国にとって魔導国は極めて危ないと同時に、魔導国自身が危うい綱渡りをしているように思える。

 世界の認識を変え、アンデッドが忌避されない社会を構築しようというのだから、たしかに危なく見える橋も渡らねばならないだろう……しかし建国して間も無く、あまりに強引で性急過ぎるのではないか?……ベレニスなどにはそう見えて仕方ない。

 

 それを牽引する目の前の人間の青年は何を見据えているのか?

 

 それが見えない……だから危うく感じると同時に恐ろしいのだ。

 

 ベレニスはジネディーヌを見て、ジネディーヌは視線が合うと即座にレイモンに移した。3人ともに僅かに頷く。

 

 共通認識……交渉の主題は教育ですらない。おそらく一度でも交われば魔導国が幾重にも張り巡らせた蜘蛛の巣から逃れるのは不可能。

 それを理解した上で魔導国の経済力を利用し、魔導王に代償を支払う。

 

 魔導国の作り上げた濁流の中で、法国はいかにして抗い、希望の種の将来に残すか。

 

 レイモンは自身の双肩にのし掛かる途轍もない重圧を改めて意識した。

 

 

 

 

 

 

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「拘束したのは良いが、どうする?」

 

 仮面の向こうから冷徹な女の声が響く。

 イビルアイが見守る中、双子忍者によって両手首を後ろ手に紐で拘束されたフィリップは同じ王国貴族であるラキュースに視線を向けた。帝国戦の敗戦前であれば、いかにアダマンタイト級であっても冒険者ごときに許されるような所業ではない。しかしながら現在の王国では貴族というだけでは保護はされず、何より相手が魔導国所属の冒険者では切り捨てられるのはフィリップの方だ。

 

 あの理解できない副王が表立ってフィリップを保護するはずがない。

 

 何かの目的によって殺されはしないかもしれないが、自国に招き入れたアダマンタイト級冒険者よりも優先するはずがないのだ。

 

「とにかくアイツの滞在先に急ごうぜ。そこにコイツも連行すりゃ良いんじゃねえか?」

 

 アイツ……法国の中で魔導国のアダマンタイト級冒険者が言う「アイツ」とは誰か?……聖王国での親し気なやり取りを知る身としては、おそらく最も考えたくない相手に違いないと予想できた。

 事情を知らないガガーランが提示した案はとても受け入れない。

 

「待ってくれ!……私は逃げて来たのだ。頼むから、あそこに連れて行くのだけは勘弁してくれ!……いや、お願いします……」

 

 拘束されたままフィリップは頭を下げた。

 

「逃げて来た、だぁ……どうしてなんでだよ。お前はアイツの子飼いみたいなもんだろ?」

「バカを言うな!……いいえ、言わないで下さい。私が魔導国副王の子飼いだなんてとんでもない誤解です」

 

 言い返されたガガーランだけだなく、ティアとティナも疑いの目を向ける。

 フィリップとゼブルとの繋がりを示す証拠は山程存在するのだ。王国におけるゼブルの伏魔殿と言っても過言ではないシュグネウス商会との関係性だけでも充分……それを調査していたのはティアとティナにイビルアイだ。

 そのイビルアイがフィリップの鎖着の首元を掴み上げた。

 小柄な体躯に相応しくない膂力だ。

 

「私達も魔導国に移籍した身だ。いまさらお前がゼブルの影響下にあろうとどうでも良い……それについて批判できる立場にもない。だが真っ黒なお前がそれを否定するのは聞き捨てならんぞ。お前は間違いなくゼブルの力によって大きくなった。それは否定できない事実だ。違うと言うのであれば、どうしようもないクズだったお前が王都軍の司令官候補などと言う大出世を遂げた経緯を話せ。話の内容によっては信じてやらんこともない」

 

 『青の薔薇』の5人の視線が集中する。個々でもフィリップをはるかに超える戦力を誇る5人だった。その圧力は想像を絶する。

 フィリップは比較的温厚に見えるラキュースに視線で懇願したが、一瞬で無駄だと諦めた。表情こそ柔和だが視線の奥底に冷たさを感じたのだ。

 

「信じられないかもしれないが、私は一切を知らなかったのだ……」

 

 訥々とフィリップは直前にゼブルの口から知らさせれた真実らしきものの中から、自身に都合の良い部分を切り取って語ったが、その行為は逆に取り囲む『青の薔薇』の面々の不信感を煽るだけの結果に終わる。

 それまで冷たいだけだったイビルアイの視線に明らかに怒りの成分が感じられるようになった。

 首元を掴む腕が僅かに震えている。

 

「そんな与太話を、この私に信じろと言うのか!」

「本当なのだ!……たしかに私はあの男の影響下にあった。それは認める」

「しかしお前にその自覚は無かった。朧気ながらそれを認識したのは聖王国以来であり、ゼブルの口から知らさせれたのは、ついさっきの出来事だ、と……それを知り、逃げる気になった……では聞こうじゃあないか?……なんでお前は逃げるのだ。単なるパトロンであれば逃げる必要性が無いではないか!」

「……」

 

 フィリップは無言で仮面を見詰めた。

 頭の位置を動かそうにも鎖着の首元からピクリとも動かせない。

 僅かに伝わる震えから怒りが感じられる。

 あの女程ではないが、絶望的な戦力差は明白だった。

 

「……あの男が私を拾う気になった切っ掛けまでは知らんのだ。奴が言うには私がゴミ屑の中のゴミ屑だったから……そういうことらしい。私には本当に理由は判らんのだ。そしてあの女が送り込まれて来た。私が変わったのはそれからなのだ……」

「……ティーヌに鍛え上げられ、英雄となったのか?」

「簡単に言えばそう言うことになる。あの訓練で自身の愚かさを知り、社会に対する責任を知った……何度も何度も死に掛けたが、それまでの自身の救いようのない愚かさを思い知らされたことだけは感謝している」

 

 首元のイビルアイの拘束が弛緩した。

 そのままフィリップはしゃがみ込む。

 だが解放されたわけでなく、一定の理解を得ただけなのだろう……5人の強者に取り囲まれている状況に変化はない。見回しても視線の厳しさに変化はなく、ただ怒りだけが失せたように感じられた。

 

「お前達は私をどうするつもりなのだ?」

「そうだなぁ……やっぱりゼブルの野郎のところに連れて行こうぜ。だってよぉ、コイツはアイツの宿を知ってるってこったろ?……そもそもアイツらが本気ならコイツ程度の力で逃げ切れるわけもねぇし、今だって泳がされているだけじゃねぇのか」

 

 最も屈強に見えるガガーランが絶望的な提案をした。

 

「賛成……もし捕まえる気だったら、師匠候補に恩を売れるチャンス」

「ガガーランもたまには良いことを言う……ゼブルは今回の依頼主」

 

 即座に双子も同意した。

 

「ちょっと待って!……モチャラス卿は逃げて来たって言っているわ。たしかに冒険者としての立場上は引き渡すべきかもしれないけど、私達への依頼にモチャラス卿の拘束と連行は含まれていないのも事実よ」

「ラキュースの言う通りだ。話の真偽が不明な以上、この男に肩入れするわけにはいかんが、ゼブルが依頼主だからといって逃げて来たと主張する奴をホイホイ引き渡すわけにもいかんだろ。少なくとも納得できる説明が無い限り、逃すわけにもいかんがな」

 

 フィリップは肩を落とした。

 少なくとも神都から逃げ出すことはできないらしい。

 

「どうすれば信じてもらえる?……私はあの男が恐ろしい。知らぬ間に関わっていたのを心底後悔している。私には討たねばならない仇が在る。仇敵は強大な力を有している。討ち果たす為には強くならねばならなかった……私をここまで育てたのはあの女だ。あの女の飼い主はあの男だ。そしてあの男は奇妙な技を使う。奴なら成長の秘密を知っていると踏んだのだ。そして法国への旅の誘いに乗った……そして今、目的の為に安易に考えた自分を呪っている。とにかく1秒でも早くこの神都から去りたいのだ!」

 

 フィリップは真摯に深く頭を下げた。

 だが『青の薔薇』の反応は薄い。

 むしろ奇妙な盛り上がりを見せた。

 

「やっぱ、思った通りだぜ!」

「ガガーラン、偉い!」

「不思議……ガガーランが立派に見える!」

 

 思わず顔を上げると盛り上がるガガーランと双子を尻目にラキュースとイビルアイが3人を沈黙したまま見詰めているように感じた。

 

「おい、お前……えーっと、名前は、たしかフィリップだったよなぁ……んで、教えてくれよ。ティーヌに何をされたんだよぉ?」

 

 ガガーランがしゃがみ込み、まじまじとフィリップを覗き込んでくる。

 その向こうではクールに見える双子が僅かに表情を緩めていた。

 とても沈黙が許されるような雰囲気ではない。

 

「私は死に掛けた。何度も何度も、何度も何度も殺され掛けた。全身の骨は漏れなく一度は骨折した。眼球も潰された。それも一度や二度じゃない。耳を削がれ、鼻を潰され、歯を砕かれた……そして何度も睾丸を潰された。心臓が止まったことも一度や二度ではない。それこそあの女が納得するまで何回も何回も、だ。トブの大森林に連れ込まれ、何匹もゴブリンを殺した。オーガも殺した。あの女が拐ってきた帝国兵も何人か殺した。最後まで、どうしても人を殺すことには慣れなかったが、やがて精神が摩耗し、命を奪うことそのものには躊躇が無くなったのも事実だ。それでもあの女相手に剣に見立てた棒を一振りすることは最後まで叶わなかった。時間切れ……帝国との開戦前に達成したのは一歩足を踏み出すことだけだ。その程度でもカッツェ平野の会戦では生き残れた。仲間達の助けもあり、手柄も上げた……」

 

 ここから先は喋りたくはない。

 内情を教えることは恥だ。

 戦場がエ・ランテルに移動してからはガガーランも知っているはず。

 

「まっ、要は戦闘訓練を積んだわけだな。で、イビルアイよぉ……フィリップの旦那は才能的にはどんなもんなんだ?」

 

 あの悍ましい訓練をガガーランは軽く流した。

 

「……お前、ちょっとはデリカシーを見せないと……だから脳筋……まあ、いい……ちょっと待っていろ」

 

 仮面がグッと近寄る。

 前髪を掴み上げられ、ジッと目の奥を覗かれるような感覚を覚えた。

 

「……才能は皆無だ。冒険者で言えば普通に銅級止まり。死ぬ程の努力と訓練を経て、尚且つ最高の幸運に恵まれて生き残っても、鉄級は言わんが良いところ銀級程度が積の山だろう。それが何度も死に掛けるような訓練の結果とはいえ、ごく短期間でミスリル手前の白金級程度の力を得ているのだから、少なくともティーヌの手腕は大したものと断言して良いだろうな」

「てぇことは……ゼブルの野郎も本物だろうな」

「それも間違いないだろうな。才能溢れる者の才能や適性を見抜き、それこそ才能の無い者まで才能以上に育てる。いざ目の前に生きた証拠を見せられれば、ガガーランの気持ちが理解できなくもないな」

 

 イビルアイが断言し、何故かラキュースの表情が僅かに歪んだ。

 

「……そんなに才能が無いのかしら、モチャラス卿は?」

「皆無だ……むしろ現状が異常事態なのだ。本来、戦士になれる器じゃあないんだ。貧乏貴族の三男ならば文官としての出世を選択すべきだろう。それすら私達が集めた情報や評判では怪しいものだが、それでも武官を選択するよりははるかにマシに思えるぞ」

 

 散々な言われようであった。

 さすがにムッときたが、今のフィリップにとっては自身の才能の評価などどうでも良かった。

 とにかく逃げ出したい。

 その目的を達する為にどうするべきか?

 まずガガーランと双子を説得するのは難しいように感じた。理屈でなく、心の底からゼブル側に取り込まれているように感じるのだ。

 一見、穏やかそうに見えるラキュースはどうか?

 それとも感情の揺れ幅こそ激しいが、極めて冷徹な観察を続けているように思えるイビルアイはどうか?

 

 アインドラの娘は難しいか……?

 反応は常識的に見えるが、それだけだ。

 少なくとも説得する材料が見当たらない。

 むしろイビルアイの方が理屈に傾くように思える。

 アインドラの娘よりは取っ掛かりが多い。

 ……いや、むしろ他のメンバーも含めて全員が成長について興味を抱いているように感じる。

 

「待ってくれ……下さい……ひょっとして皆さんも成長の秘密を知りたいのではないのですか?」

 

 確信があったわけではない。

 だがその言葉で『青の薔薇』の注目を集めることに成功した。

 

「ならば、私の知る限りの情報を話す……だから……」

 

 交渉可能……そう感じた瞬間、その目論見は崩された。

 分厚い拳が突き出され、顎を両側から掴まれた。

 言葉を封じられ、半ば強引に持ち上げられた。

 かつて命を救われた恩人である女戦士の満面の笑顔が迫る。

 

「なんでぇ……面白い話が聞けそうじゃねぇか……」

 

 あの時に感じた逞しさが漠とした恐怖に変換されていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 思いの外ファンシーな雰囲気の自室のピンクの寝台に腰掛け、両の脚をぶらつかせる。

 高名な人形作家の作った少女人形がジーッとこちらを見つめていた。

 人形作家のファンでもなく、人形に興味すらない。

 ただ忌々しい。

 見詰め返しても人形が反応するわけもなく……フッと目を伏せ、負けたような気分にさせられる。しかし敗北を知らない以上、今感じている気持ちが本当に負けを認めたことになるのか、理解できない。

 捨てたいのに捨てられない。

 贈り物だった……誰からだったかは忘れたが……

 

 滅多に見せないレイモンの憤怒の表情に気圧され、あの場は思わず引いてしまったが、はたしてアレが正解だったか?

 

 あの宿の奥に感じた存在感……探知能力は一流と呼べる。

 声だけを知る男と過去に聞き覚えのある女の声。

 女の方は間違いなく法国の人間だ。

 それがあの男と一緒にいたのはどういうことか?

 法国の女で「いい雰囲気」になれるぐらいに接近している者がいるということだ……だからレイモンが激怒したのか?

 浸透工作が上手くいっている……普通に考えればその結論に落ち着く。

 だが神器『ケイ・セケ・コゥク』を持ち出したというより重大な事実と噛み合わなくなる。浸透工作が有効な敵に精神支配は意味が無い。

 ということは……あの場にいた声に聞き覚えのある女は番外席次である自分に接近できるような立場にありながら、スレイン法国を裏切った……そう結論付ける以外に腑に落ちない。

 

 ……誰?

 

 声の感じは極めて好戦的だった。

 侵入者の接近を知らされ、イラ立ちを隠さなかった。

 あの男と2人だけの部屋で剥き出しの感情を発露させた。

 つまり……そういう関係なのだろう。

 

 異国の要人と男女の関係になる女……?

 

 パッとは思い当たらない。

 自身の知る女性達は基本的に清貧を尊び、規律正しい善良な人種が多い。

 享楽的な人種となると『漆黒聖典』ばかりだ。だが現メンバーは全員、あの宿の周囲にいたことは確認している。顔も声も確認したわけではないが、気配を読めば男女の差程度は判断可能だ。人数は足りていた。

 完全な自分の乱入だ。

 そこまで想定してハメるのは不可能に近い上に全く意味も無い。

 

 では、誰か?

 

 確実に知った声だった。外壁を隔てていようと誤認はずもない。

 伊達に法国最強ではない。しかも突き抜けた最強なのだ。

 

 ……とすれば……

 

 記憶を辿る。

 そして正解に行き着いた。

 

「……『疾風走破』だったような?……巫女姫を殺害し、国宝を強奪し、国外に逃亡したと聞いていたような……?」

 

 当時の、と言っても一年と少し前だが、『漆黒聖典』メンバーの中でも正直なところ第五席次の実妹でなければ記憶に残りもしない程度の戦力しか保有しておらず、有象無象の中でも埋没してしまいそうな存在だった。二つ名の割に速いわけでもなく、かと言って強くもない。過去に数多存在していた良くも悪くも及第点程度の存在だった。

 

 でも……違和感が……………何故、大罪人が堂々と入国している?

 

 それは巫女姫殺害と国宝強奪を法国が赦免したことと同義だった。そして国家が『疾風走破』を赦免する正当な理由があるはずだった。

 

 理由?

 

 大罪人『疾風走破』本人が理由であるはずがない。

 となれば、あの男が理由だ。あの男をどうしても法国に招かねばならなかったのだろう。それほどの理由が隠されているに違いない。

 だからレイモンは自分の勝手な行いに激怒したのだ。

 

 でも、気になる……

 

 あの男の見せた探知能力。

 大罪人にすら赦免しなければならない事情……もしくは影響力。

 単身法国に乗り込み、第一席次と神器装備のカイレを退けた。

 いずれにしても只者ではない。

 ひょっとすると想像以上の強者という可能性も捨てきれない。

 

 番外席次は寝台から立ち上がり、そっと目を閉じた。

 自宅周辺の気配を探る。

 気配を安定させることもできない無数の素人が屋敷の周りに蠢いていた。

 あえて素人だけを配置したレイモンの意図は明白だ。どのみち番外席次がその気になれば行動阻止は不可能なのだ。番外席次が手を出せない無数の素人で取り囲んだ方が効果的と判断したのだろう。

 

 で、数は多いけど……それだけ。

 

 窓の外にも4〜5人。おそらく全ての窓の外に同じような人数が配置されているに違いない。玄関ドアに至っては文字通り人海戦術で封鎖している。

 当然うざったい。

 だから都合の良いことに全ての窓が分厚いカーテンで遮られていた。

 脱ぎ捨てたままの外套を手に取り、再び着込む。

 照明は点けたままで良い。

 そこから完全に気配を断ち、完全に無音でドアを開けた。

 2階に上がり、さらに屋根裏の納戸へと向かう。

 そこに目的の天窓があった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 交渉は佳境というか、法国側にとっての正念場を迎えていた。

 魔導国側の3人は決定権者の副王を含めて余裕の表情であり、張り詰めて疲労困憊の顔付きなのは法国の3人だけだった。

 

 少しでも同盟加入を引き延ばし、援助は最大限引き出す。

 

 この相反する命題が法国の立ち位置を決められない原因なのだが、必ず両立させなくてはならない。国家も神殿も民も未来も守る為に退けないラインで綱渡りをしながら、彼等は差し伸べらる手にしがみ付こうとジャンプを繰り返しているのだ。危険は覚悟の上だが、どうしても止められない。潜在的な敵である魔導国副王の手を離せないのだ。

 交渉における魔導国副王ゼブルの表情は全てが偽りだ。怒りも笑いも饒舌な喋りも恐ろしい沈黙も全てが誘導なのは理解している。

 彼の望みは一点……法国が膝を屈することのみ。

 法国が未来と希望を魔導国に委ねることだ。

 彼が自分の裁量と一存で決めると言う援助の詳細を知るにつれ、レイモンもジネディーヌもベレニスも顔色を失うしかなかった。

 無利子で注入される資金量は貨幣の鋳造権を掌握している魔導国だけのものはあり、凄まじく莫大な金額という以上の感想が持てなかった。だが不安定な法国経済を十二分に安定化可能な金額であるのは間違いなく、完全に傾いていることが判明した各神殿の財政の健全化を視野に入れてもお釣りがくる。さらに危機感が広がる民政や困窮を極める地方財政も余裕で持ち直すだろう。

 そして商工業者に対するアンデッド労働力の導入。

 さらに地方の農業者に対するアンデッド労働力の導入。

 街道整備、治水、農地開拓に鉱山開発とスレイン法国の国力増強策。

 希望するのであれば官僚機構の整備。

 全ての産業に対する生産性の向上とコストの低減。

 借款に対する計画的返済の提案。

 最終的には税率低下まで面倒を見ると言う。

 そしてその代償として魔導国の同盟加入と教育制度改革の具体的提案がなされていた。

 

 たしかにこの内容で一度でも膝を屈した国家が未来永劫魔導国に逆らうのは難しい……とレイモンは額の汗を拭いながら考えていた。

 気付いた時にはアンデッド労働力が国家の屋台骨と化し、アンデッドに依存した社会が構築されてしまう。その膨大な数の従順なアンデッドを作り上げ、支配しているのが魔導王アインズ・ウール・ゴウンである以上、全ての国家が魔導王に逆らえば良い暮らしを失うのだ。魔導王はアンデッドを貸与することで収入源と共に支配地域を拡大させ、不死者であることで未来永劫同盟国を支配し続ける。

 

 誰も魔導王と魔導国に逆らえない。

 永遠に魔導王に支配される。

 ただし良い暮らしも続く。

 良い暮らしを得た民は魔導王を崇拝するだろう。

 良い暮らしを得る地域が広がれば大きな戦争も無くなるだろう。

 誰も日々の生活を失いたくはないのだ。

 現状でもその為に努力を続けていると言って良い。

 魔導国はこの地域に大きなうねりを作り上げてしまった。

 法国が対抗するには遅きに失した。

 人間に限らず、魔導王の支配民は適正に沿った職を得る。

 その為に魔導国の方針に従った教育を受ける。

 極めて悪辣であり、極めて正しい。

 永遠の頂点にアンデッドが立つという悪夢のような事実に我慢できれば、だが……

 

 副王ゼブルと続けた2時間に及ぶ下交渉だけで、レイモンもジネディーヌもベレニスに心を折られたに等しい。魔導国の作り上げたシステムに抗うのがいかに困難か思い知らされていた。なにしろ魔導王に支配されることさえ許容してしまえば確実に大多数が幸せになれるのだ。こうなっては民衆に期待などできないし、真実が広がれば民衆は現体制との闘争すら選択するだろう。そして魔導国は民衆を後押しすれば良く、さらに言えば真実を吹聴するだけで良い。なにしろ隣の国では暮らしぶりが良く、その事実から民衆が目を背けるはずがない。国境に高い壁が聳え立っているわけではないのだから、単純に見えるし、噂は広まる。

 

 つまり法国が情報統制を試みても無駄なのだ。

 故にゼブルは余裕の表情なのだろう。

 そして実力排除も不可能……もはや襲撃した事実は足枷どころか、底無し沼に引き摺り込む重石のようなものだった。

 

「……わしらの負けじゃな、レイモンよ」

 

 ボソリとジネディーヌが呟いた。

 

「どうやら私達は勘違いしていたようです。ゼブル様を我が国にお呼びする前から決着していた。ゼブル様は愚鈍な我々に気付きを与えにやって来たようですね……お前達は何時になったら敗北の事実に気づくのか、と」

 

 レイモンは俯きつつ、潰さんばかりに膝頭を握った。

 

「……本来、私に口を出す権限はありませんが、もはや具体的な交渉に移行した方が生産的と思えますわ。ゼブル様にも魔導国から各案件の専門官をお呼びいただく必要もございましょう?」

 

 全面降伏……詳細に話せば話すだけ法国の逆転の目が失われる自覚を持ってしまう。むしろ早期に決着させ、『神人』の安全を確保し、国家を没落させた現最高執行機関メンバーは一線から退くべき。

 ベレニスはその結論に至っていた。

 

「では、皆さんが一定の結論を得たそろそろ私も腹を割って話しましょう。私は……いや、俺は皆さんと魔導国が上手くやれると信じています。多少の行き違いはありましたが、皆さんは愚鈍でなく、臣民の生活の向上こそが国力の向上であるという魔導王陛下の思想と近しいものを感じさせてくれます。である以上、皆さんは魔導国と同盟を上手く利用すれば良い。我々は我々で皆さんとは良い緊張感を保ちたいと考えています。ここで話は落着……後は具体案の作成とまいりましょう!」

 

 ゼブルはソファから立ち上がり、レイモン、ジネディーヌ、ベレニスの順に握手をして回った。

 その笑顔に胡散臭いものを感じながらも「もはや後戻りはできない」とレイモンは固く決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 メッセージは即座に繋がった。

 

「ぜっ、ゼブルさん!」

 

 アインズさんの慌てふためく声が響く。

 

「あー、しばらくです」

「どうしたんですかっ!……本当に心配していたんですよ」

「……良い知らせと悪い知らせがあります。どっちから聞きたいですか?」

「はぁ!?……何を暢気なことを言っているんですか?……とにかく一度カルネに戻って来て下さい。心配し過ぎて、夜も眠れませんよ!」

「アインズさんは元々寝れないでしょ?」

「まぁ、そうなんですけど……」

「じゃあ、まぁ、悪い知らせから報告しますね」

 

 アインズさんは一瞬押し黙り、口を開いた。

 

「何ですか、もう……」

「えーっと、しばらく帰れません」

「えっ!」

「だから、しばらく帰れません……法国が同盟加入するにあたって、具体的な条件闘争に入りますから……そこでお願いなんですけど、とりあえず交渉の全権を俺に預けてくれませんか?」

「……それって悪い知らせなんですか?」

「だって、帰れませんよ」

「そりゃ、まあ、そうなんですけど……それに交渉の全権って、何時もゼブルさんが決めて、こっちは事後承認ですよ」

「いちおう用心の為に文書作成して下さいってことです」

「何の用心なんですか?」

「アルベド対策です……そっちに目が届かないんで」

「アルベド対策……ですか?」

「まっ、内政はアルベド主導ですから……越権行為と見做される危険は避けたいかなぁ、と」

「……拘束理由になる、ってことですか?」

「そうなります。魔導国の法的にはアインズさんの裁量は絶大ですけど、万能ではありませんからね……特に王権に関するものは厳しく取り締まれば、いくらでも厳しく取り締まれますから」

「ハァ……もう了解しましたよ。ちょっと神経質過ぎませんか?」

「戻って、法改正すれば心配する必要も無くなるんですけどね」

「じゃあ、戻って来て下さいよ」

「今が佳境なんですよ……やっと法国側の心を折ったところなんで、ここで空白を作るわけにはいきません」

「ったく……どこまで仕事熱心なんだか」

「法国を抑えれば、もう勝ち確なんですよ……法国と同盟する可能性が無くなれば、評議国が単独戦力でどれだけ強大だろうと、ここから逆転するには地域を滅ぼす覚悟が必要になります。国力的に中堅以下のエルフの王国と組まれたところで痛くも痒くもありません。むしろ法国を取り込めば、こちらでエルフの王国すらも抑え込めますから……評議国は完全に孤立するわけです。後はどこまで耐えられるのか?……高みの見物を決め込んで、評議国が折れるのを待てば戦争を避けて地域を統一できます。アインズさんはふんぞり返っていれば良いんです」

「……一定の安全が確保されるわけですか?」

「間違いなく!……竜王を監視するだけでOKです」

 

 勝利の道が見えたことで少し声が大きくなった。

 それでアインズさんも少しは納得したようだ。

 

「で、これが悪い知らせなら、良い知らせって……相当凄い内容ですよね?」

 

 アインズさんの声色が興奮していた。

 俺も鼻を鳴らす。

 

「知りたいですか?」

「あまり焦らさないで下さいよ!」

 

 ワクワクが伝わってくる。

 

「なんと!」

「なんと?」

「手に入れちゃいましたー!」

「……何をですか?」

 

 焦らすだけ焦らす。

 アインズさんがジタバタしているのが伝わる。

 

「……『傾城傾国』……ですっ!」

 

 ガタンっと音が響いた。

 アインズさんが何かを倒したらしい。

 

「けっ……けいせいけいこくって……あの?」

「あの『傾城傾国』ですよ!」

 

 ウォオオオオオーッ!っと声が響き、アンデッドの特有の沈静化あったような間が空いたが、再び大興奮の鼻息が響いた……アンデッドなのに。

 

「ワールドアイテムの……?」

「そう、ワールドアイテムの、です」

「すっ、凄いじゃないですか!!」

「そう、凄いんです!」

「……マジですか?」

「マジですっ!」

 

 バタバタ歩き回るっているような走り回っているような雰囲気が伝わる。

 

「どうしたんですか?」

「知りたいですか?」

「知りたくないわけがないでしょ!」

「そりゃ、そーですよねー?」

「当たり前じゃないですかっ!」

 

 詳しく経緯を話し始めると、アインズさんは襲撃された件で憤っていたが、それも長くは続かなかった。

 

「その槍も確保したんですか?」

「ええっ、さすがに敵地同然の場所で鑑定の為に大量にMP消費するわけにもいきませんからね……でもロンギヌスの可能性もあると思いますよ」

「ですよねー……俺、そっちに行っても良いですか?」

「ダメです……戻るまで、待って下さい」

 

 シュンとしたアインズさんは少し可愛かった。

 




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