ボロボロだった娼婦をとりあえず見れる格好にしてラキュースさんの所に届けた翌日……ツアレニーニャ・ベイロンと言う名だった彼女を身柄をセバスさんから預かって2日目の午後……身なりの良いデブと痩せこけたゴロツキが宿屋の部屋に乗り込んできた。
その時、俺はちょうど屋台で買った豚肉の串焼きを頬張っていた。同室のジットはズーラーノーン絡みで出掛けていて、たまたま日課の稽古から帰って来ていたブレインは部屋の片隅で刀の手入れをしていた。元々別室のティーヌは彼女の部屋にいないらしい。近くにいるならばまだしも肉腫の情報からは現在位置までは把握出来ない。
廊下から馬鹿みたいな大声が聞こえたかと思った瞬間、ドアが乱暴に押し開けられた。入ってくるなり連中はブレインの持つ刀の輝き目を奪われたようだが、それも一瞬……俺を睨み付け、こう言った。
「貴様が匿った女を出せ!」
デブが真っ赤になっていた。とにかくキレて、勢いでなんとかするつもりなのか……まあ、ツアレの事で間違いないだろうが……俺は匿っているわけではない。
確かに外傷の治療はした……あの後『大治癒』を使ったのは秘密だ。
その対価はセバスと言う名の老紳士が支払った。
悲惨な娼婦ツアレは王国貴族であるラキュースが一時的に保護した。
その全ての過程でツアレを運んでいたのは、あの鉄の扉の建物も従業員である大男だ。俺に完全支配された大男は今もアインドラ邸か『青の薔薇』の定宿の周辺でツアレの護衛をしている。ツアレに害が及ぶ何かが迫った場合、ヤツは身を挺してツアレを守る。逃げようとしたり、制約を破ろうとしたり、命令に背こうとしたら……ヤツの脳内から第二世代が生まれる。
この世界で生まれた第二世代は親の召喚主である俺の支配下にはあるが、第一世代と違って役目を終えても消えない。現存する成虫の第二世代は『死を撒く剣団』から生まれた1匹だけだ。この王国のどこかにいる。
「隠しても無駄だ! 貴様らの行動はすぐに判明する!」
デブはとにかく怒鳴り続けていた。
隣に控える痩せこけた傷面の男は抜け目なく室内をチェックしていたが、そもそもこの安宿の客室にはチェックする場所自体が少ない。女性とはいえ大人が身を隠せる家具は寝台しかなかった。設えの寝台が2つと運び込んだ簡易ベッドが1つ……その影響で小振りなテーブルセットは撤去されていたのだ。
傷面の男の視線は天井を走り、床板を舐め、部屋の隅にある荷袋を確認してから、再び俺に戻った。
コイツらがどこまで把握しているのか……最低限それは確認する必要があった。実力に訴えるのはその後で良い。
傷面と俺の視線が絡み合う。その静かな激闘を阻むように刀を鞘に収めたブレインが俺の前に立った。俺が命じたわけではないが、いちおう主人の俺を守るつもりなの……それともブレインなりの思惑があるのか?
「お前達は何者だ……まず名乗ったらどうだ?」
ブレインの鋭い視線に気圧される形で、デブは「王都の治安を守る」巡回使のスタッファン・へーウィッシュ、痩せこけた唇に傷のあるゴロツキは「俺の愚かな行動の被害者」であるサキュロントと名乗った。
「……誰?」
俺の問いにブレインは首を振った。どうやら王都を離れていたブレインでも知っているような有名人というわけではないらしい。
「貴様が拐った女だ。女は彼の店の従業員だ!」
状況に苛立ったスタッファンが怒鳴り付けた。その内、本当に血管が切れるのではないか……どんなに血色が良くてもデブはデブ。不摂生の塊なのだから過度のストレスは良くない。
対して俺はほぼノーストレスだった。普通ならば官憲に踏み込まれた厄介な状況だが、スタッファンがそれほど有名でもないのならば対処は簡単だ。むしろ状況としては願ったり叶ったりだ。「彼の店」と間違いなくスタッファンは言ったのだ。サキュロントはあの鉄の扉の建物と関係があるらしい……つまり見た目と違わず裏社会の人間だ。俺としては希望通りである。
完全に鴨ネギな状況だった。
思わずニヤついてしまう。ニヤつきついでに口の中の串焼きを嚥下する。見ようによってはナメた仕草に見えるだろう……挑発に乗ってくれれば良し。とりあえず黙っているサキュロントに喋らせたい。
「貴様ぁあああ! 何を笑っておるのだ!」
「まあまあ、落ち着いて下さい……へーウィッシュ様。このような卑しい冒険者ごとき、それも最底辺の銅級なんぞに天下の巡回使様が熱くなる必要はございません」
まるで芝居だな……と言うか完全に芝居だ。
サキュロントが身を乗り出し、俺に向けていた推し量るような視線を、見下して睨み付けるものへと変化させた。恫喝か挑発のつもりなのか?
「法的に不味いことになる……その認識はあるのか? 冒険者ごときが触れて良い問題じゃないんだがな」
「何が、どう問題なんだ?」
「お前が拐ったのだろう……立派な犯罪だ」
「拐ってはいないが……俺は彼女の傷の治療しただけだ。彼女を運んだのはお前のところのデカい男の従業員だろう? 俺に噛み付くのは完全にお門違いってヤツだ」
サキュロントはグッと息を飲んだ。
あの従業員の大男は俺の完全に掌中にある。どんなに証言者をでっち上げようと、運んだ本人の自白以上の効果は望めない。奴の自白には俺の思惑を自由自在に反映させることが可能だ。今すぐに出頭させることも出来る……完全に証拠を隠滅させるのならば、出頭させて自白させた後、脳内の肉腫を眷属にすれば良い。死人に口無し、だ。
それを匂わせたのは伝わったようだ。
「……奴をどこにやった?」
「さあ、知らないねぇ……その内、ひょっこり現れるんじゃないか?」
「貴様……」
サキュロントも一筋縄ではいかない輩であることは間違いない。俺が期待したような言葉の読み合いで尻尾をだすような低能ではないようだ。せめて『八本指』と関わりが有るのか無いのか程度は知りたかったが……どのみちゴロツキだろう……このまま支配してしまうか?
「……俺達が法に則って動いている内に……」
「サキュロント………思い出した……確か『六腕』の『幻魔』か?」
もう一押し……そう思った時、それまで俺の指示通りに黙っていたブレインが呟いた。ろくうでのげんま……ブレインは確かにそう言った。
ろくうで……『青の薔薇』の連中が言っていたような……アダマンタイト級の力を持った『八本指』の最大戦力だったか……? だとしたら……鴨ネギどころじゃなく、完全無欠の大当り……ビンゴだっ!
『六腕』の1人と、犯罪組織と繋がりのある汚職官吏……この世から消え失せてもほぼ問題は生じない。
もはや様子見の必要は無い。むしろ即決速攻だ。
俺が決断すると同時に、ブレインの鞘に収めたままの刀が一閃した。
鳩尾を打たれたスタッファンの巨体が崩れ落ちる。口から泡を吹いて、完全に気絶していた。
「……お前達は何をしたのか、理解しているのか?」
「お前こそ誰を相手にしているのか、理解した方がいいな」
ブレインの警告にサキュロントは警戒したのか、完全に体勢をブレインに向け、そちらに気を取られていた。
そうですか……俺を無視とは都合が良い。
「眷属召喚……肉腫蠅」
青白く輝く、直径30センチ程の魔法陣が2つ……俺の左右に浮かび上がった。その中心の小さな歪みから蠅が生み出される。
サキュロントは腰の剣を抜いた。直後「マルチプルビジョン」と呟く。
陰気なゴロツキ顔が5つに増えた。突如出現した魔法陣を警戒したのか、全方位を向いている。
低位の幻術だ……残念ながら地獄の蠅である眷属の複眼にも嗅覚にも通用しない。あっさりと不可視の本体に取り付き、警戒心全開のサキュロントの頸から蛆虫が入り込み、脳内で肉腫となった……そして即支配を完了させる。スタッファンも同様に支配を完成させ、2匹の眷属は消え去った。
サキュロントが跪いた。剣を床に落とし、呻きながら頭を抱えている。
肉腫が脳内で強烈な死のイメージを展開し、抵抗する気力を奪う。
泣き喚き、頭を抱える悪漢の姿を眺めながら、さらに念入りに頭の中から破壊されるイメージを刷り込むと決断した。サキュロントは掟の厳しいだろう犯罪組織に属しているのだ。このまま再起不能になっても構わないぐらいの勢いで念入りに恐怖を刷り込む。
気絶しているスタッファンは後回しで問題無い。
「さあ、サキュロントさん……お前の主人は誰かな?」
明確な恐れを感じさせながらもサキュロントは頑張っていた。まだ一歩だけ『六腕』側に踏み止まり続けていた。冷や汗を滲ませ、呻きながらも、笑顔で歩み寄る俺から、跪いたまま少しづつ遠ざかろうと足掻いていた。
さらに強烈なイメージをサキュロントの脳にブチ込む……イメージは悪夢だが悪夢ではない。俺が肉腫に命じた瞬間、現実になる未来図だ。サキュロントよりも高レベルの快楽殺人鬼も死霊術師も剣鬼も屈服させたものだ。
再びサキュロントは頭を抱えた。
「……ヤダ……やっ、止めてくれ……助け……ヒッ!」
一切の容赦無く、精神を揺さぶる。
時間にして約30秒、俺はサキュロントに微笑み続けた。そして女性に接する時のように優しく耳元で囁く。
「受け入れれば……楽になれますよ。素直になるだけ……簡単なことです」
痩せこけた凶悪な傷面のおっさんが俺を見上げた。涙目の上目遣いで……かなり不気味で気持ち悪い。
「……ゼブル様……どうか助けて下さい。あんな死に方は嫌です……どうか助けて下さい。何でもします…………貴方様の忠実な下僕である、この『幻魔』のサキュロントに御慈悲を……」
「慈悲ね……まずは『様』を止めて、『さん』付けにしましょうか……そしてお前の知る情報を全て吐け……話はそれからです」
サキュロントは野太い声で訥々と語り始めた。
『六腕』のこと。
『八本指』最強戦力である『六腕』最強の男にして警備部門の長である『闘鬼』ゼロについて。
『踊る三日月刀』ことエドストレームについて。
正体はアンデッドの魔法詠唱者である『不死王』デイバーノックについて。
『空間斬』ペシュリアンについて。
『千殺』マルムヴィストについて。
それぞれの使う技の詳細。
鉄の扉の建物のこと……奴隷売買部門の王都最後の裏の娼館である、と。
奴隷売買部門の長コッコドールの依頼でサキュロントが派遣されたこと。
巡回使スタッファンは常連客であり、性交する前に女を殴るのが趣味であること。
あの強奪された処分予定の女(=ツアレ)はスタッファンの歪んだ性癖の犠牲者であること。
それ以外にも知りうる限りの『八本指』の情報……それなりに高位に位置しているとはいえ、所詮は有能な尖兵という扱いでしかないサキュロントの持つ情報は断片的であり、まとまりがなかった。
全てを語り終えたサキュロントは床に額を擦り付け、ひたすら命乞いを繰り返している。手持ちの情報の全てを語らなければ無残な死……話さないという選択肢は存在しない。しかし知りうる限りの情報を引き出されたら、用済みと判断されるのではないか……頭の内側を蛆虫に食われ、徐々に自分を失いながら死ぬ未来……幾重にも入念に刷り込まれた死の恐怖がサキュロントを襲うのだ。
いつでも身体の自由は奪える。
いつでも肉壁に出来る。
既に眷属の苗床である。
すぐに殺す必要性がない。他のメンバーと同じく利用価値は有る……サキュロントは『八本指』に入り込むにはちょうど良い駒なのだ。
「とりあえずは殺しませんが……俺は貴方をいつでも殺せます。俺の命令に従うのか、従わされるのか、はお任せしますよ……殺すのも殺されるように仕向けるのも脳ミソの中の肉腫に命じるだけだ。俺はどちらでも構わない……が、どちらにチャンスが残されているのか、良く考える事です……さて、まずはサキュロントさんの忠誠心を試しましょうか?」
僅かな沈黙。
サキュロントは自分の意志で部屋を出た。彼の悲壮な表情には壮絶な決意が宿っている。これから行わなくてはならない命令……命の代価……サキュロントが二度と『八本指』には戻らない程度では済まない。
気絶したままのスタッファンがよろよろと後に続く。
「ブレイン、一緒に見物に行くか?」
ブレインは何かを諦めたような口振りで言った。
「ああ……ゼブルだけに任せるわけにはいかないだろうな。あの力を見た後でお前を放置できる奴は、ある意味人間辞めてるな……ティーヌやジットならばそうするのか?」
「信用無いのか、俺?」
「俺は結構お前を信用してるんだぜ……間違いなく酷いことになるってな」
「それは……信用していないって言うんだ、世間じゃ」
「そうなのか……それは知らなかった」
減らず口を……俺は少し楽しい気分を噛みしめながら、ブレインを伴って安宿を後にした。
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ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラは悩んでいた。こんな非常時になんて非常識な……彼女を良く知らない者であればそう断ずるに違いない。
様々な意味で非常時なのは間違いない……ティアからの報告では『八本指』の裏の娼館で惨事が起きたらしい。『六腕』の1人である『幻魔』のサキュロントが娼館内で乱心(と言うより、突如として正義に目覚めたと言った方が正しいのか?)し、娼館の従業員を鏖殺したらしい。その際に奴隷売買部門の長コッコドールを拘束し、解放した娼婦達と共に評判のすこぶる良くない巡回使のスタッファン・へーウィッシュに引き渡したと言うのだ。
これだけでも衝撃的な大問題なのだが、さらに問題なのは「何故、ティアが現場に居合わせたのか?」である……答えはティナとイビルアイと手分けしてゼブル達を見張っていたからであり、ティアが娼館の向かいの建物の屋根の上からことの経緯を眺めていたゼブルとブレイン・アングラウスを監視していたからである。
偶然……なはずはない。
王都中、上も下も表も裏も蜂の巣を突いたような騒ぎになる大事件だ。たまたま一番良く事態の推移を確認できる場所に居合わせたのがあのイビルアイが交戦もせずに自分よりも強いと認めた男と周辺国最強の戦士と紙一重の男なんて都合の良い偶然を信じられるわけがない。しかもブレイン・アングラウスはともかく、どうにもゼブルという男は信用出来ない。
見目は麗しく、身なりも良い。
武装は目を奪われるレベル。
実力もイビルアイの御墨付き。
あの4人の中では人柄も特に気にならないが、他の3人が飛び抜けて癖が強い、とも言える。何と言うか……軽い、というのも違う……飄々とした雰囲気だが、表面に現れるものとは違う何かを心の奥底に抱えている……上手く表現出来ないが、そんな感じがしていた。
そんなゼブルが女を連れて現れたのは昨日のこと……元娼婦……それは悲惨を絵に描いたような境遇の女だった。
領主に強制的に召し上げられ、性的玩具にされた。
飽きれたら売られて娼婦へと転落した。
堕ちた先は『八本指』の裏の娼館……死ぬ寸前まで殴られて、犯された。
そしてゴミ同然に廃棄処分にされるところを運良く拾われた。
拾い主は治癒魔法を使ってくれた為に外傷こそ快癒したが、彼の魔法では心に刻まれた恐怖を克服出来なかった。
何の因果か、何一つ関わりの無い女性……ラキュースに引き渡された。
そして彼女の体調を気遣う内にラキュースは知ってしまったのだ。外傷が治癒したツアレの内側の変化を……
ラキュースは困惑していた。
確かに水神の神官ではある。アダマンタイト級冒険者として他者よりは遥かに波乱万丈な人生を送ってきたとの自負もある。正義を志し、国を愛し、弱者の味方たらんとしてきた。
「だからって……私にどうしろって言うのよっ!」
思わず1人で叫んでしまったが、それは仕方のないことだった。他者から見れば考えられないようなラキュースの刺激的な人生でも、ほぼ初めてと言っていいレベルの孤独感を味わっているのだ。『青の薔薇』の仲間達にはこの問題についてだけはそっぽを向かれている。戦闘では遥かに強く、人生経験豊富なイビルアイも全く役に立たない。特殊な環境で過酷な訓練を積んだティアとティナも役に立たない。処女であるラキュースよりは人生経験も性的経験も豊富なガガーランが唯一の希望であったが、彼女も今回ばかりは女の境遇の悲惨さに優しく勇気付ける以上のことは出来なかった。
要するに仲間達はラキュース1人に全てを押し付けて、本来の仕事に専念してしまったのである。
結果としてラキュースはツアレニーニャと単独で向き合わねばならなくなってしまったのだ。現状はガガーランに見張りを頼み、ラキュースは生家の邸宅に戻っているのだが……
一時的な逃避こそしているものの、ゼブルからの依頼を安請け合いしたラキュースには逃げ道が無かった。彼女なりに思惑があった。強大な力を持つゼブル達を対『八本指』に協力してもらいたい……そう思っての行動だ。間違いなく……決して……そう決して買収されたわけではない……ただゼブルからの条件提示を聞いて、快諾しただけの話だ。
……これは協力関係を作り上げる為の作戦なのよ!
「……やっぱり女性のことは女性の方が理解できると思うんですよ。その上ラキュースさんは神官でもあるわけですし、是非協力をお願いしたい。もちろん……無料で、とは言いません……」
今思い返しても悔まれるわ……
あっさりと頷いてしまった自分。
ラキュースがそうすることをまるで予測していたようなゼブル。
今が非常時と認識していた。でもラキュースは頬を緩ませながら自分専用のクローゼットの扉を開けた。とても宿屋には置けない。だからアインドラ邸の自室のクローゼットに保管している。そして視界に入れるとどうしても触れずにはいられなかった。
指先で触れる……衝撃が身体を貫き、頭の芯まで痺れたような気がする。
うっとりとそれらを眺めてしまう……白銀の輝きを放射する甲冑には胸部中央に拳大の緑玉がはめ込まれている。深い紅玉と淡い緑玉の配置が美しい白銀の額冠。裏地が赤い薔薇の花弁を敷き詰めたような色合いの黄金のマント。白銀の地に黄金の獅子をレリーフが施された丸盾。黄金の翼を持つ白銀の具足。そして一際凄まじい光を放つ、刀身が透明な細身の片手剣……魔剣キリネイラムはと対極に位置する神々の剣だ。
まるで神話の英雄が持つべき武具だった……ラキュースの理解を遥かに超越したそれらが手元にある。幼少期からの自分が詰め込まれたクローゼットにある。どうしても見てしまうのを止められない。
もう駄目……終わりにしなきゃ……
無理矢理頭を振って、ラキュースはクローゼットから飛び出し、息も絶え絶えになってクローゼットのドアに背を押し付けた。
……借り物だし……1秒でも長く眺めていたい。触りたい……身につけて、姿見を見たい……ああ、どうして……
様々な設定が頭の中を駆け巡る。
魔剣の力を抑える神官設定も絶妙だったが……今回は間違いなく神々の作りし神器だ。神話の英雄の血脈なんて、どうだろう? 細々と続く忘れられた血脈に生まれた乙女が秘密裏に受け継がれた神器を発見し、数々の困難を克服しながら神器に秘められた真の力を解放していくストーリー……一度思い付いたら恐ろしい勢いで物語が肉付けされていった……
ドアのノック音。
超特急で意識が現実に戻ってきた。
頰が紅潮していた。
「……誰、どうしたの?」
「大丈夫か、ラキュース?」
「……ガガーラン?」
「入って良いか?」
「どっ……どーにょ!」
声が裏返っていた。ついでに噛んだ。
ドアに開き、見慣れた巨体が心配そうに覗き込んでくる。
そのままガガーランが入室し、空気は一気に現実に変化した。
「……また魔剣キリネイラムの力を抑えているのかと思ったけどよ……どうにもラキュースの喋っている内容が妙でな……」
「えっ……えっーと、声が出てた?」
ガガーランが大きく頷いた。
「割とハッキリな……大丈夫か?」
「だっ、大丈夫よ……心配なんて必要ないから……」
「その、まあ、なんだ……辛かったら……イビルアイなり、俺なりにいつでも相談してくれよ……国が滅ぶような力なんだろ? 間違っても力を解放させようなんて思わねえでくれよ」
「力の……解放?」
思い当たる節が多過ぎた。なんせ秘められた真の力を解放するストーリーなのだ。キリネイラムとは真逆だった。
「……そうだぜ。思わず、ラキュースが魔剣キリネイラムに乗っ取られちまったのかと思ったぜ。慌ててノックしたらよ……いつものラキュースの声がしたから、そりゃー安心したぜ」
「だっ、大丈夫だから、本当に……」
「……そうか……ラキュースがそう言うなら、信用するけどよ……とにかく助けが必要だったら、いつでも頼ってくれよ」
ガガーランの真摯な視線が痛かった。話題を……
「で、どうしたの?」
「おう、そうだった……大変な事が判明したんで、ティアもティナもイビルアイもアイツらを張ってるからよ。俺が連絡しに来たんだ。ツアレも宿屋に1人にするのは心配だったから、この屋敷に移ってもらったからよ……その辺の手配は頼む……」
「了解したわ……で、大変な事って?」
ガガーランが言う「アイツら」とはゼブル一党だ。エ・ランテルの冒険者達が言うところの『3人組』+ブレイン・アングラウスで間違いないだろう。今更、連中が何かをしでかしたところで何だと言うのか……ラキュースにとってはゼブルに借り受けた武具一式の方が余程一大事だ。
「……それがよぉ……実は……」
と思ってはいたが、ガガーランの語る内容があまりに突拍子も無いので、ラキュースは天井を見上げた。いったい何なのだ、あの連中は!
「で、『幻魔』のサキュロントは何なのよ?」
「完全に降ったんだろうな、ゼブルに……汚職官吏のスタッファン・へーウィッシュも右に同じくだと思うぜ……あのイビルアイもビックリだったぜ。2人共にゼブルに跪いてやがったらしい。『八本指』奴隷売買部門の長のコッコドールを官憲に突き出す前に、ゼブルの前に引っ立ててやがった。そしたら今度はコッコドールの野郎までがゼブルに跪いてやがった……そのまま大人しく連行されたらしいが……いったいどんなカラクリがあるんだ?」
「……イビルアイは何て?」
「おそらくは強力なマジックアイテムを使って『魅了』を仕掛けたんじゃないか、って……アイツらの意味不明に強力な装備品を考えたら、俺もそれが妥当な考えじゃねぇかって気はするが……」
「何にしても……」
ラキュースとガガーランの視線が絡み合った。
「……そうだ。アイツらが勝手に『八本指』とおっ始めたってことだ」
「どうしてなのよ、いったい!」
「理由までは……いや……サキュロントが『八本指』を裏切る直前、スタッファンを伴ってアイツらの宿に乗り込んだようだ……理由があるとすればツアレ絡みじゃねえか?」
ガガーランの考えが正しいとするならば、ゼブル達というか、ゼブルは悲惨な娼婦1人を救う為に巨大犯罪結社である『八本指』と戦うことを決めた、ということになる。そんなタイプにはとても見えないが義侠心溢れる行動だ。
彼等の戦法もラキュース好みとは言えないが、敵の情報を取りながら、極力味方のリスクを抑えた方法だとは思う。特に首領の1人であるコッコドールを抑えたのは大きい。
「……私達も動くべきね」
「いや、まだだ、ラキュース。いつでも動けるようにするべきだが、アイツらに前の遠征で得た『八本指』の拠点の情報を上手く流して……後はお姫様を使って『八本指』に繋がる貴族の蠢動を抑えるべきだろうな……そっちは完全にラキュースしか出来ねえ事だ」
「そうね……了解したわ。ラナーと会って、可能な限りの協力を取り付けてくるわ」
王城の前で待ち合わせ、ラキュースは急いで礼装な着替え、ガガーランはイビルアイ達に激変した状況を伝えに行った。
ラキュースは家令に屋敷の警備を強化するように伝えつつ、心の中でほんのちょっとだけゼブル達を見直していた。
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いかにも洒落者といった格好の優男……『千殺』マルムヴィストは呼び出された拠点へ向かう途中、その気配に気付いた。付かず離れず淡々と追ってくる影のような気配。目の端で姿を確認しようにも、どうにも姿を見せるような輩ではなかった。
このまま追いつ追われつをやっていても仕方ないので、マルムヴィストは歩みを止めた。月明かりが差し込む路地を探す……そしてベストのロケーションを見つけた。
愛用のレイピアである『薔薇の棘』の柄に手をかける。
油断はしない。背を取られぬように、あえて袋小路に陣取る。遅れを取る気など微塵も無いし、敵に追い込まれることなど想定もしていなかった。それは彼の自負では致し方のないことだろう……アダマンタイト級の実力を誇る『六腕』の一員なのだから。
「……お互い、名乗らないのも不健全だと思わないか?」
マルムヴィストは闇の奥に佇む気配に問い掛けた。
そして闇の奥から深くフードを被った厚手の外套姿が現れた。隙が無い立ち姿だ。そして女だ。
「どうしよっか? ゼブルさんには殺さないように、って言われちゃったんだよねー……あー、名乗りだっけ……ティーヌでーす! んで、お兄さんは?」
フードの奥で大きく口が裂けた……笑顔だ……が圧倒的な狂気を感じた。マルムヴィストは恐怖を感じてしまった。理屈でない恐怖……理屈を無視した単なる理不尽。慌てて打ち消し、余裕の笑顔を取り戻す。
「……『六腕』……『千殺』マルムヴィストだ。お前も知っているんじゃないか? 俺達はアダマンタイト級の戦力を持っている」
「だからー、なに? あと『千殺』って自分で言うの、どーなのかなー?」
やはり理屈は通じない。ティーヌのそれはアダマンタイト級の力を持つ者に対する態度ではなかった。マルムヴィストはこの世界の強者なのだ。確かに上には上がいる。例えばゼロの圧倒的なパワーとスピードであり、デイバーノックの『火球』連射である。剣の腕ということであればもっともっと上がいることを知っている。しかし相手を殺すという土俵では、マルムヴィストは確実に強者なのだ。
「アダマンタイトとかさー、正直言って弱いんだよねー……『青薔薇』とか大したことなかったしさー……まあ、1人はそれなりだったけど、ゼブルさんの力を見た後だと拍子抜けもいいとこだよ」
ティーヌという女の間延びした言葉はよく飲み込めなかった。「アダマンタイトは弱い」だとか「青薔薇は大したことがない」だとか……言葉の字面は解るが完全に世迷言だ。
「誇大妄想狂か、お前」
「アハハッ……お兄さんがそう思うのなら、そうなんじゃないかなー……てめえの中ではなっ!」
ティーヌが沈んだ。
そのまま外套が地に落ちる。白銀が煌めいた。
『薔薇の棘』が迎撃する。致死の猛毒が塗られ、2つの魔法が付与された剣自体が必殺の存在だった。少しでも擦れば確実に死に至る。
マルムヴィストも刺突技には自信があった。だから余裕でティーヌの動きを観察していた。
確かに速い……が、それだけだ。
「死ね!」
「残念でしたー!」
加速した銀髪が紙一重で『薔薇の棘』を避けた……と思った瞬間、右肩に凄まじい激痛が走り、マルムヴィストは『薔薇の棘』を落とした。反射的に左手に取ろうとしたが……ティーヌに蹴り飛ばされた。どちらにしても激痛で屈むことは出来なかったのだが……
「アハハッ……いい顔するねー、お兄さん」
「なんなんだ、お前はっ!」
ジンジンする右肩の激痛を堪え、マルムヴィストは抵抗を試みたが……鳩尾に鈍痛を感じた瞬間、意識が反転した。
同時刻。
無骨な全身鎧を中心に無数の屍が取り囲み、迫っていた。死を恐れぬ屍人の群れは中心の鎧に近付くと斬り飛ばされ、散乱していく。
月夜に煌く光の残像が美しい……ここが墓地でなければ、だが……そして墓地は屍人に満たされていた。
『八本指』最強の『六腕』の1人……『空間斬』ペシュリアンは絶望的なまでに孤独な戦いを強いられていた。淡々と忍び寄る無数の死……死を斬り刻んでも死が増えるだけ。屍人達は既に死んでいるのだから死を恐れない。生者を憎み続ける屍人の群れは唯一の生者であるペシュリアンに手を伸ばし続けていた。
屍人の群れの向こうの闇にソレがいるのは察知していた。だが無数の屍人に阻まれ、どうしても斬糸剣が届かない。敵はペシュリアンの攻撃方法を知っているとしか思えなかった。まんまと敵の思惑通りに誘導されたマヌケ……それが今のペシュリアンだった。
「ちっ!」
ゾンビ自体はペシュリアンの敵にもならない。スケルトンも同様だ。だがその異様な数自体が脅威だった。敵は防御壁であり、体力を奪うツールでもあった。状況は孤立無援だ……王都の古い墓地に屍がどれほど埋まっているかは想像も出来ない。少なくともこの墓地に埋葬された数を倒しきらなければ……さらに背後に佇む死霊術師を斬り伏せねば、ペシュリアンはいずれ力尽き、必ず倒れる。つまり体力が尽きる前にアレを斬ることのみが活路だった。
「……意外に頑張るではないか……儂の研究素材に欲しいところだが……ゼブルさんに殺すなと釘を刺されてしまったからのう……せめて新たに習得した魔法の実験台になってもらうとするか……」
敵の首領の名はゼブル……この情報だけでも持ち帰る。
壁に囲まれた中で魔法が飛んでくると甚だ拙い。ペシュリアンは残された体力を全て投入する決意をした。集中力を高め、斬糸剣を旋回性と軌道の精度を高める。一刀一殺どころではない。一刀十殺だ。
「サモン・アンデッド4th」
黒フードの奥から詠唱が聞こえた。
それまでのゾンビやスケルトンとは明らかに動きの違う武装したアンデッドが4体、現出した。
「やれ」
スケルトン・ウォリアーが前に進んだ。片手剣と丸盾の装備の2体は問題ないが、後衛の弓を装備している2体が問題だった。既に矢をつがえ、弓を引き絞っている。
極限まで高めたペシュリアンの集中はどうしても弓矢装備のスケルトン・ウォリアーに向いてしまう。迫り来る剣の攻撃を捌きつつ、なんとしてでも後衛2体を攻撃圏内に収めようと、どうしても動いてしまうのだ。それが罠だと解っていても……
スケルトン・ウォリアーの矢が放たれたの同時だった。
「デハイドレーション」
ペシュリアンの意識が飛びそうになった。スケルトン・ウォリアーの剣が斬糸剣を握る右手の甲を襲う。そして2本の矢が飛来した。さらにもう一体スケルトン・ウォリアーの剣が右手の指を直撃した。
……マズい……
斬糸剣が地に落ちた……それは敗北を意味していた。
気付けばフードが目の前にあった。
「チャームスピーシーズ」
薄れゆく意識の中で、ペシュリアンは懐かしいオカッパ頭の友人に会ったような気がしていた。
王都リ・エスティーゼではどうしても褐色の肌は目立ってしまう。褐色の肌の人種がいないわけではないが、どうしても無闇に注目を集めてしまうのだ。それに加えて異国風美女……さらに犯罪者……だからエドストレームは移動の際には気を使っていた。常に全身を隠すように外套で身を包み、フードも目深に被っていた。夏場はかなりキツいが、王都の裏社会で生き抜く為には我慢も必要だ、と無理くり納得していた。だからその反動と言うわけではないが、隠す必要の無い場ではほぼ露出狂のような、薄絹一枚の格好で過ごしていた。
とても屋敷と呼べるような物ではないが、警備部門から支給された戸建ての部屋の中でエドストレームはその知らせを聞いた。
「……何がどうなっているの?」
「さあ、俺もそう伝えるように命じられただけなので……」
伝令役の男は首を振った。地味な外套姿でフードで顔を隠しているが、随分と体格の良い男だった。しかし警備部門ではそれほど珍しいわけではない。だから特に気にも掛けなかった。
「……サキュロントが裏切った……それだけじゃなくて、マルムヴィストとペシュリアンも行方不明に……」
「……のようですね。なんにせよ、警戒して下さい」
エドストレームは慌てて着替えようとして、ふと伝令役が出ていかないことが気になった。破廉恥な踊り子風の格好を好むとはいえ、女である。そして自他共に認める美女で、鍛え上げられたスタイルにも自信があった。
だから時折こんなこともある。
「貴方さぁ……いちおう確認するけど、私が誰だか知っているの?」
「もちろん……『踊る三日月刀』だろ?」
返答する男の声音は明確にに楽しんでいた……が、それは性的なものではなく、もっと硬質な何かだった。
「貴方……誰? 目的は何?」
男がフードを脱いだ。青い髪と無精髭が現れる。
「ブレイン・アングラウス。目的というか使命はお前の拉致だが……その前に是非お前の技を味わいたい」
「……ブレイン・アングラウス……あのブレイン・アングラウス」
「あのか、そのかは知らんが俺は間違いなくブレイン・アングラウスだ……話によれば、お前は6本の三日月刀を同時に操るのだろう? 室内が不利ならば屋外でも良いが……どうする?」
周辺国最強の戦士ガゼフ・ストロノーフと同格の剣士……明確に格上との対戦。相手にとって不足はない……戦士としての血が疼く。もし倒せばエドストレームの名は確実にゼロを凌ぐだろう。
しかし勝てない……否、負けると悟らされてしまった。近寄れないのだ。シミターを飛ばしたところで全て落されるだろう。誰よりも優れた空間認識能力を持つ故に、ブレイン・アングラウスの攻撃圏を把握できてしまうのだ。もし戦うのであれば至近距離で一対一の今ではない。さらに言えば戦士の矜恃としては不本意だが相手はブレイン・アングラウスである必要がない。口振りから上位者の存在は確認できる。しかしブレインクラスが末端なわけがない……敵は仮にも『八本指』にケンカを売っている連中だ……エドストレームでも確実に勝てる下位者もしくは弱兵がいるはずだ。ブレインが今後も直接監視するなどと言うバカバカしい事態があるわけがない……腹は決まった。
「……投降するわ」
「フンッ……つまらない女だな。だがゼブルの命令を無視するわけにもいかないか……良いだろう」
エドストレームは目隠しされ、ブレイン・アングラウスの指示するがままに歩かされた。目隠しそのものは人間を超越した空間認識能力を持つエドストレームにとって大した意味のある行為でない。歩数と方向で本拠を探り当てることなど朝飯前だ。
道中、ほんの一瞬だけ何かが頸に触れた。
直後、エドストレームは敵本拠を探るのを諦めてしまったのだが……当の本人はそのことに自覚がなかった。
エドストレームがブレインに投降したのとほぼ時を同じくして、隠れ拠点としている廃屋地下の隠し部屋で『不死王』デイバーノックは特異な存在と対峙していた。これまでの長いアンデッドとしての生……偽りの生命だが、デイバーノックはそう認識していた……その中でも見たことが無い存在が闇の中で佇んでいた。
「お前は自我を持つエルダーリッチか?」
その問いにどう答えるべきか……デイバーノックは迷ったていた。不死者として生者と比べれば様々なモノが麻痺しているが、今現在自身が窮地に立たされていることは理解できた。この問いに対する答えは重要だ。糸よりも細い生還への道が隠されているのだ。
「……その通りだ」
「なるほど……では低レベルプレイヤーか?」
どうやら1問目は通過したらしい。しかし2問目は難解を極めていた。なにしろ意味が解らない。低レベルは言葉通りだろう。問題は「プレイヤー」の意味だ……祈る者?……遊ぶ者?
嘘は通用しないだろう。あやふやな誤魔化しも下策だ。
実力行使は論外。
時間は……無い。
「……意味が解らない」
「そうか……それは残念だ。お前がロールプレイヤーならば最上級かと思ったのだが……雰囲気といい、声音といい」
なんとか2問目も通過したらしい。
「では最後の質問だ……降る気はあるか?」
「……新しい魔法知識は得られるのか?」
思わず漏れた言葉……それがデイバーノックが『八本指』に尽くす理由……裏切ることを許容する理由でもあった。
同時に自身への死刑宣告。
「そうか……では、教えてやろう」
「本当か!」
「喜べ……第十位階だ」
「なっ……」
闇の向こうに黄金の輝きが2つ現れた。
直後の巨大な青白い魔法陣が出現する。
「インプロージョン」
完全に未知の領域の魔法に歓喜しながら、デイバーノックは膨張し、粉微塵に吹き飛んだ。
しばらくして廃屋から悠々と立ち去る黒いコート姿を『青の薔薇』のティナは認識できなかった。
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