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転移トラップにより跳ばされたからには、先ず行うのは現状の認識である。
突然の転移に浮遊感を覚えたハジメは、尻餅を突いてしまい尻の痛みに呻き声を上げながら、どうなったのか周囲を見渡す。
クラスメイトの殆んどはハジメと同じ様だったが、メルド団長や光輝達などの前衛職の生徒は、既に立ち上がって周囲の警戒をしているし、ユートはそもそも転移に全く慌てず怯まず、転移後も普通に立っているみたいだった。
まるで転移になれているかの如く振る舞いである。
転移系の魔法陣、それは現代の魔法使いには不可能な事で、それを平然とやってのける辺り神代の魔法とは既知外だと云えた。
ユート達が転移した場所とは、一〇〇mはありそうな巨大な石造りの橋の上。
見上げれば天井も高く、二〇mはあるのだろう。
石橋の下は全く何も見えない、深き闇の淵が奈落の如く広がっていた。
石橋の横幅は一〇m程度だし、手摺も縁石も無くて足を滑らせれば掴む所なんて無いから真っ逆さまに落ちるのみ。
今現在、ユートやメルド団長やクラスメイト達は、その巨大な石橋の中間に集められていた。
橋の前後の先に奥へ続く通路と階段が見える。
非常に拙い状況なのは、メルド団長にも理解が出来たらしく、生徒達に向けて厳つい顔を険しくしながら指示を飛ばす。
「お前達! 今直ぐに立ち上がってあの階段の場所まで走るぞ……急げぇっ!」
激しい雷鳴の如く指示をされ、生徒達はあたふたとしながらも指示に従う。
ユートも異論など無く、指示の通りに走った。
ふと視れば騎士団員に護られた愛子先生も、手を引かれながら走っている。
生徒達がしている事を、せめて一度だけでも目に刻まねば……と、この大迷宮に同道した愛子先生だが、正しく足手纏いでしかない状態だった。
オルクス大迷宮と御大層な名前の迷宮トラップが、まさかこの程度で済む筈もなくて、ユート達が急いでも撤退は出来ず仕舞いに終わってしまう。
橋の入口に赤黒い魔法陣が顕れ、其処から行き成り剣や盾を持ってる骸骨――トラウムソルジャーと呼ばれる魔物が出現して行き先を塞いでしまったからだ。
ならば逆方向に撤退を、だけどそれも叶わない。
反対側の通路にも魔法陣は顕れて、赤黒い光を放って一体の巨大な魔物が顕現をしてきたのだ。
顕れた巨大なる魔物を、メルド団長は呆然となりながら見つめ、呻く様な呟きでそれの名前を呼ぶ。
「まさか……ベヒモス……だというのか……?」
大量の魔物と究極の一、正しく前門の虎に後門の狼という、危機的な状況へと放り込まれたのだった。
「悪辣な罠だな。危機を乗り越えなければ死ねとか、そう言いたいのかね?」
ユートは呟きながらも、戦闘準備を始める。
とはいっても、飽く迄も人形操者という
その技能は、五〇cm弱のゴーレムを造って操るというのと、人形という形を取らず武装を人間用に喚び出すというもの。
そういう事にしてある。
ゲシュペンストMKーⅢを喚び、ペチペチと叩かせる戦法は何だかほんわかとさせてくれて、女子からの受けも良かったのだけれど、流石にこんな状況下に於いては単なるKYだろう。
右腕にリボルビング・ブレイカーを装着、左腕にはシールドクレイモア付きの五連装チェーンガンを装着して、両肩にはレイヤードクレイモア、頭にダレイズホーンを装着して戦う。
当たり前だけどユートが装着していてもおかしく無い、そんなレベルにダウンジングサイズされていた。
脳内に流すBGMは勿論【鋼鉄の孤狼】である。
「全弾、持っていけっ! レイヤードクレイモア!」
数が多い上に止めど無く溢れる様に、赤黒い魔法陣から次々と顕れて向かってくるトラウムソルジャー、それに対して放たれるのは積層指向性地雷弾。
アルトアイゼンと違うのは開いたハッチ部分にも、弾丸が積み込まれているという点だ。
ゲームでは一機にしか使えないが、バラ撒くという特性上から割かし近くからぶっ放して弾筋に拡がりを持たせ、近場のトラウムソルジャー数十匹を砕く。
「今だ、進め!」
橋の上に展開していたのは全滅、ユートの戦い方に驚くクラスメイトや騎士団の騎士達だったが、今この時は前に進むのが正解だと理解しており、取り敢えず武器で戦い魔法を放って、顕れるトラウムソルジャーを屠っていった。
「せやぁぁっ!」
白金色に真ん中は翠の石を填め、周囲に赤と青と暗い赤の小さな石が填まったバレッタで長めの茶髪を纏めた優花が、腰に着けているホルダーから投擲用短剣を抜き出しては投げる。
普通なら小さなホルダーに入った短剣、すぐに弾切れとなる筈だが無くなるという気配も無く、二〇本、三〇本と次から次へと投擲を続けていた。
威力も素晴らしいもの、トラウムソルジャーの頭を貫き、首の部位を貫いて、剥き出しな背骨を貫いて斃してしまっている。
「そこっ! 其処よ!」
投げる事に対して補正が付く天職、投術師の優花は当然ながらこの武器に対して相性が凄まじく良い。
勿論、投げるという意味なら普通の剣をぶん投げるというのも手だし、カードでも投げる事によりきっと壁に刺さるなんて真似も。
とはいえ、ユートから贈られた武器という想い補正が付いたこれなら、余程の格上でも無い限り敗けはしいかも知れない。
「優花っち、すごっ!」
「水を得た魚?」
宮崎奈々と菅原妙子……親友の二人が驚く。
「ナナ、タエ! アンタ達も底上げされてんだから、さっさと前に出なさい!」
「「了解!」」
優花はまだ魔物と戦うのは恐いが、それでもユートがくれた護符と武器が有るのだからと奮戦した。
武器は持っていないが、ペンダントで能力の底上げが成されている宮崎奈々と菅原妙子も前に出るけど、そもそも鞭術師な菅原妙子は兎も角、氷術師を天職とする宮崎奈々は近接戦に向いてはいない。
根は真面目だが見た目におっとりしたギャルという感じな菅原妙子、鞭の扱いに慣れたらしく今は長くしなるロープ状の物ならば、大概は上手く扱えるが故に手にした長い皮の鞭を巧みに操り、トラウムソルジャーの両肩を粉砕していく。
「喰らえ、りゅうが!」
誰かから教わったのか、技名まで口にしていた。
スレンダーな体格をしたノリの軽い宮崎奈々だが、性格に反した氷系の魔法に強い適性を持つ。
「凍り付いて!」
それ故にか氷結関連なら殆んど無詠唱で放てた。
斯く云う優花も投術師、中距離が本領であるからか近接は余りせず、ユートからキスを代価に貰った短剣で上手く距離を空ける。
「むう、三五階層に現れるトラウムソルジャーを翻弄するとは……」
三人の強さは底上げされたものだが、それを知らないメルド団長は唸った。
だけど湧いて出る数が余りにも多く、火力という点でどうしても不足する。
そしてこの三人がユートの薫陶を受けて、上手く戦えていた事が本来の世界線での出来事に亀裂を生む。
未だに大多数が橋からの離脱を出来ず、天之河光輝が率いるパーティのメンバーは元より、メルド団長を含む騎士団員や天之河光輝パーティのメンバーと親しい谷口 鈴、中村恵里も未だに居た上に愛子先生と、それを護る騎士達も残された状況であった。
ユートもトラウムソルジャーよりベヒモスが危険と判断しており、橋の方へと戻って五連チェーンガンで牽制を始めている。
「ええい、くそったれ! もう保たんぞっ! 光輝、お前らも早く撤退しろ!」
「嫌です! メルドさん達を置いて行く訳にはいきませんよ! 絶対に皆で生き残るんです!」
「くっ、こんな時に我が侭な事を言う!」
引き際をまるで理解してない天之河光輝に対して、メルド団長は苦虫を幾匹も噛み潰した様な、渋い表情になってしまう。
この限定間ではベヒモスの突進を回避など難しく、逃げ切る為には障壁を展開してから、押し出される様に撤退するのが良い。
とはいえ、そんな微妙な匙加減というのは戦闘に於けるベテランだからこそ、若く経験の足りない天之河光輝達には難しいだろう。
だけど若さ故にかどうも自分なら、この状況をどうにか出来ると盲信しているみたいで、メルド団長からの撤退命令に対して一向に従おうとしない。
メルド団長は誉める事で伸ばそうとしたが、これは完全に裏目に出てしまったと云えるだろう。
「光輝! 団長さんの言う通り撤退しましょう!」
状況判断が出来たのか、八重樫 雫は天之河光輝を諌めるべく腕を掴む。
「へっ、光輝の無茶は今に始まった事じゃねぇだろ? 俺はお前に付き合うぜ、光輝!」
「龍太郎……ありがとな」
それなのに坂上龍太郎の言葉に、更なるやる気を漲切らせてくれた。
「チィッ! 状況に酔ってんじゃないわよっ! この莫迦ちんども!」
「雫ちゃん……」
舌打ちして苛立つ幼馴染みに、白崎香織は心配そうな声音で呟く。
その時、一人の白崎香織のよく知る者が天之河光輝の前に現れた。
「天之河くん!」
「は? 南雲!?」
「な、南雲くん!?」
ハジメはリーダー不在のクラスメイトが纏まらず、何とか園部パーティで保たせている状況を打破する為に戻って来たのだ。
「早く撤退をしてよっ! 皆の所に! 判らない? 君が居ないとクラスメイト達がバラバラだよ! 早く戻るんだ!」
「行き成り何なんだよ? それより、何故こんな所に来ているんだ! 此処は君が居て良い場所じゃない! 南雲はさっさと……」
「そんな事を言ってる場合なのかっ!」
確かに未だG3システムを完成させてはいないハジメ、純粋な戦闘力という意味では愛子先生くらいしか勝てる相手は居ない。
だけど今はいつもの様に苦笑いしながら、物事を軽く流す訳にはいかないと、怒鳴ったのが効を奏したのか思わず目を見開き硬直する天之河光輝。
「あれが見えないの!? 皆パニックになってる! 率いるリーダーが不在だからだよ!」
胸ぐらを掴みながら指を差すハジメ、天之河光輝はその差す先を見遣る。
トラウムソルジャーに囲まれ、右往左往をしているクラスメイト達。
何とか戦えている者も、何人かは居るみたいだけど状況は上手くない。
二週間にも及ぶ訓練の事など、丸っきり頭から抜け落ちたかの如く誰もが好き勝手に戦っていた。
効率的に戦えてない為、幾ら一部の者が奮戦しても敵の増援が続々と顕れて、未だ突破出来ずにいる。
トータスの人間族よりもハイスペック故に命を落とした生徒はまだ居ないが、それも時間の問題だろう。
「一撃で切り抜ける力が、今は必要なんだよ! 皆の恐怖を吹き飛ばす力が! 僕には出来ない、そんな事が可能なのは勇者の力を持つ天之河君だけなんだ! 前ばかり見てないで後ろもちゃんと見てよ!」
混乱し怒号が響き悲鳴を上げるクラスメイト、天之河光輝は頭を振ってハジメに頷いた。
「ああ、判った。確かに、南雲の言う通りみたいだ。直ぐに行く。メルド団長、すいま……」
「いかん、下がれぇっ!」
先に撤退する旨を伝えようとしたが、メルド団長を振り返った瞬間、彼の悲鳴と同時に障壁が砕ける。
凄まじい衝撃波はまるで暴風の如く荒れ、ハジメは吹き飛ばされそうになったのを……
「くっ、錬成!」
何とか錬成で防ぐ。
舞い上がる粉塵、それがベヒモスの咆哮一つで吹き払われた。
倒れ伏し呻き声を上げるメルド団長と騎士達。
どうやら衝撃波の影響で身動きが取れないらしく、中々起き上がろうとしない中で、天之河光輝達はすぐに起き上がった。
メルド団長達の背後に居た事、ハジメの造る石壁が衝撃波を防いだ事で受けたダメージは小さかった。
「うぐっ……龍太郎、雫、時間を稼げるか?」
「やるしかねぇだろよ!」
「……そうね、何とかしてみるわ!」
天之河光輝からの必死の問い掛けに、起き上がった二人がベヒモスに向かって突進をする。
「香織、君はメルドさん達の治癒をしてくれ!」
「うん、判ったよ!」
香織が走り出す頃には、ハジメは団長達の所に駆け付けていた。
石壁を作り出しており、気休め程度でも無いよりはマシであろうと、CADの操作を必死にしている。
天之河光輝は分が出せる最大の技を放つ為、聖剣を構えると詠唱を始めた。
「神意よ! 全ての邪悪を滅ぼし光をもたらし給え! 神の息吹よっ! 全ての暗雲を吹き払い、この世を聖浄で満たし給え! 神の慈悲よ! この一撃を以て全ての罪科を許し給え――【神威】っっ!」
詠唱の終了と共に突き出した聖剣から、激しい極光がこれでもかと迸る。
天翔閃と呼ばれてる技と同系統だが、その出せている出力は段違いだった。
橋を震動させながら石畳を抉り飛ばし、ベヒモスへと極光が直進している。
八重樫 雫と坂上龍太郎は詠唱の終わりと同時に、さっさと離脱しているのだがギリギリの戦いだったらしく、二人はもうボロボロになっていた。
結構なダメージだ。
放たれた光属性の砲撃は轟音と共に、そのベヒモスの硬い身体に直撃をする。
「これなら、どうだ?」
天之河光輝が前を見た。
「流石にやったよな?」
「だと良いんだけど……」
坂上龍太郎の言葉だが、八重樫 雫は難しい表情で返すしかない。
莫大な精神力を消費する必殺技故に、天之河光輝の疲労は可成りのものだ。
切札を切った天之河光輝は肩で息を吐く。
終わって欲しいとは思っていたが、埃が落ち着いた先に無傷のベヒモスの姿。
「ば、莫迦な……」
「光輝のアレで無傷?」
愕然となる勇者(笑)様、雫も驚くしかない。
ベヒモスは低く重たい唸り声を上げ、天之河光輝達を殺意と共に睨んでいる。
頭を掲げて頭の角が甲高い音を立て、赤く熱っせられていき遂に頭部の黒い兜全体が燃え滾った。
「退けっ!」
声を上げたのはユート、五連チェーンガンで牽制をしながら突っ込む。
「全弾、持っていけ!」
レイヤードクレイモア、その指向性地雷弾が激しく連射され、ベヒモスの頭部に突き刺さり破裂する。
「伊達にこんな頭をしている訳じゃない!」
ダレイズホーンで斬り裂いてやり、更に右腕に装着されたパイルを突き刺す。
「どんな装甲だろうと……撃ち貫くのみっっ!」
ガンッガンッガンッガンッガンッガンッッ!
弾装からの六連発。
「リボルビング・ブレイカァァァァァァッ!」
順番は滅茶苦茶だけど、『切り札』のレベルで武装を使うユート、ベヒモスはそれにより満身創痍となっているらしい。
トドメにアルトアイゼンやゲシュペンストMKーⅢには無い、【究極ゲシュペンストキック】でも喰らわせてやろうかとモーションに入るが、火事場の馬鹿力というべきかベヒモスによる突撃が来た。
「チィッ!」
舌打ちするユートは取り敢えず下がってみたけど、未だに離脱していなかった面々に、悪態を吐きたくなるのを堪える。
(何を惚けてるんだ?)
トラウムソルジャーに関しては未だに湧き続けて、彼方側の戦力では危険という状況に変わり無い。
ベヒモスの突撃に防御をするユート、其処へ援護の心算か魔法による攻撃が、ベヒモスへと突き刺さっていく中で、炎が二発と風が一発……ユートに向かう。
ベヒモスの攻撃を防御していたユートに躱しようは無くて、だけどその直前に白崎香織がフラリと立ちはだかる形に。
「香織、危ない!」
別に白崎香織がユートを守ろうとした訳ではなく、単にベヒモスの突撃による震動に足を取られ、ふらついてしまっただけだ。
「白崎さん、八重樫さん! 危ないです!」
結果として白崎香織が、炎の玉の直撃を喰らう羽目に陥り、吹き飛んでしまったのを八重樫 雫が助けようと手を伸ばして、それを助けるべく畑山愛子が手を伸ばた結果、更にベヒモスにより橋の一部が崩落という連鎖でユートにぶつかってしまい、ユートと一緒にこの階層より下に落ちてしまうのだった。
「「「キャァァァァァァァァァァァァッ!?」」」
誰もが言葉も無くなり、だけど悲劇は続く。
ユートのお陰で勢いが落ちたとはいえ、突撃を喰らって弾き飛ばされた少女、勢いは死なず突撃が端にまで到達して、魔法攻撃をしていた者や近場に居た者が突撃により壁やトラウムソルジャーに挟まれてしまった事などが重なる。
しかも生きているベヒモスが再び兜を赤熱化したから堪らない、何とか騎士達が押し返したものの生徒達は半壊、騎士も複数の死亡者が出る最悪の結末。
後に語られる。
園部優花が見ていた事故の全貌、氷術師の宮崎奈々が参加した魔法の一斉射、この時に檜山一派がユートに向け、悪意を持って魔法を放った事で護りが瓦解、あの悲劇に繋がったと。
最終的にユートを巻き添えとし、白崎香織と八重樫 雫と畑山愛子教諭は崩落した橋から墜落、犯人たる檜山一派と何人かの生徒がベヒモスに潰され、更には何人かが焼け死んでいる。
その責任の所在を追及しようにも、犯人は死んでしまってどうにもならない。
生徒達は意気消沈して、特に幼馴染み二人を失った天之河光輝は荒れており、坂上龍太郎が何とか抑えている状態。
優花もユートが崩落から落ちたのを直に見ていて、激しく落ち込んで暫く部屋から出て来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一人の少女が居る。
背は低めで胸も張れる程にはなく、容姿は不細工では決して無く可愛らしいという部類な感じだ。
五歳の頃に父親が自分を庇って事故死した。
割とありふれた出来事、本人からしたら冗談ではない出来事だが、万人からの視点では何処にでもありそうな悲劇に他ならない。
母親はちょっとしたお嬢だったらしく、父親と熱愛の結果として家族の反対を振り切って結婚した。
故に依存のレベルで父親とはベッタリである。
そんな母親は父親の死に耐えられず、だから“夫を殺した娘”に当たった。
仕方がないと思う。
自分が悪かったのだ。
だから耐えた、耐えるしかないと思っていた。
所詮は自分など母親にとって、父親の付属物に過ぎなかったのだから。
いつか終わる。
そう考えてもいたから、巧妙な虐待と本人の沈黙故に何年も、その虐待が知られる事は無かった。
そんな毎日だから彼女の表情は暗く、友達など出来る筈もなかっし、自分でも暗く沈んだ顔は端から見たら不気味に見えたかも知れないと思う。
そんな毎日に変化が訪れたのが九歳の時。
母親が見知らぬ男を家に連れてきた、横柄な態度でガラの悪いその男に猫なで声で科垂れ掛かる母親。
そんな男と暮らす毎日、それは三文小説にでも出てきそうなありふれたもの、男は幼い自分に気持ち悪い視線を向けてきた。
幼心に危機感を持って、髪の毛を短くカットしたし一人称をボクに変え、まるで少年の様な振る舞いにて自分を守る。
その所為で日常会話くらいはしていた者も離れて、いよいよ独りぼっちになってしまった。
だけど所詮は少年の真似は真似、本質的に少女であるからには縋った藁は紛う事なく藁に過ぎず、母親が仕事で居ない夜に男が襲い掛かってくる。
幸い備えをしていたから悲鳴を聞いて、近所の人が通報してくれたから貞操は無事に守られた。
だけど生活が戻る事など夢幻の彼方、迎えられたのは母親からの憎悪の視線と張り手である。
母親の視点からは自分が男を誑らかしたらしくて、男が屑である事を知らしめるのではなく、自分が男を引き離したという事に変換されていたらしい。
醜い母親の本性を知り、自殺して終わらせようと家をフラリと出て、河川敷で少女は一人の少年と出逢うのだった。
しつこく事情を訊いてきた少年に、端折りに端折った事情説明をする。
少年は故に自己解釈にて理解した心算になった。
可哀想な少女に言う。
『もう一人じゃない。俺が恵里を守ってやる』
絶望して壊れ掛けていた少女に、そんな少年の言葉は強烈であったろう。
少年のお陰で少女が学校に行けば、沢山の誰かしらが話し掛けてくれた。
全てが少年のお陰で。
こうなれば少女の心は、少年に対して堕ちる。
児童相談所が少女の母親の素行から虐待を疑い調査を開始した際、場合によっては少年から引き離されるかもと、『母親大好きな娘』を反吐が出そうになりながらも演じた。
母親が引き攣り恐怖する表情を浮かべ、少女は知ってしまう……やり方一つで立場や感情など容易く反転するのだと。
だから耳許で囁いてやる――『次は、何を奪って欲しい?』……と。
母親は蒼白になり悲鳴を上げて逃げ出した。
少女にとって少年は正に王子様となる。
それが勘違いだったと、それを知るのは間も無くの事であった。
ヒーローがモブを救い、称賛されるというちょっとしたルーチンワーク。
自分が救われる“物語”は少年にとって、終わった出来事に過ぎない。
守ってくれると言った。
独りじゃないと言った。
だけどならどうして?
ヒーローにヒロインとは付き物だが、自分は少年のヒロインではなかったのだと気付いてしまう。
少年のヒロインはとっくに決まっていた。
まぁ、皮肉にもヒロインは少年をヒーローだと思っていなかったが……
ベヒモスにより弾き飛ばされた少女……中村恵里は走馬灯を視ながらヒーロー――天之河光輝を見つめながら思う。
(助けて光輝君)
手を伸ばしながら請う。
(死にたくないよ、怖い、助けてよ光輝君!)
だけれど、天之河光輝の視線は既に落ちた白崎香織に向けられており、自分にはチラリとも向けてない。
知られない侭に落ちて死ぬのが堪らなく怖かった。
特別にはなれなかった、ありふれたモブが命を落としただけ、そんなありふれた結末でしかない。
涙を零した中村恵里は、一言だけ呟いた。
「嘘……吐き……」
守ってくれなかったし、独りぼっちにしたじゃないか……と。
奈落に落ち逝く中村恵里は目を閉じて、現実の全てを拒絶するのであった。
ガシッ!
「……え?」
一瞬、天之河川光輝が助けてくれたのかと僅かな希望を懐き、ソッと閉じていた目を開くと……
「だ、大丈夫? 生きるのを諦めないで中村さん!」
其処には錬成した突起を掴み、奈落に落ちていくだけだった自分の手を掴んだ『ありふれた職業で世界最弱』と蔑まれた南雲ハジメが笑顔を浮かべて居た。
「な……ぐも……くん?」
一瞬にして突起と掴み所を錬成し、中村恵里を救い出したハジメはメルド団長の助けもあり、這い上がる事に成功したのだ。
ベヒモスも崩落に巻き込まれて落ちたらしい。
一〇人以上の死体を運び出し、落ちて遺体すら残らなかった四人も居たから、勇者はガタガタとなる。
だが、教会と王国にせっつかれて一〇日後には再びオルクス大迷宮へ。
世界はいつだってこんな筈じゃなかった事ばかり……とは誰の言葉だったか?
それが残された生徒達を苛んだのである。
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でも結果は同じです。
勇者(笑)な天之河の最後について
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原作通り全てが終わって覚醒
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ラストバトル前に覚醒
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いっそ死亡する
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取って付けた適当なヒロインと結ばれる
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性犯罪者となる