ここから本編です。
少しの間、お付き合い下さいませ。
『そこ』はかつて、大都会と呼ばれる某国の主要都市だったらしい。
二日前までお世話になった世話好きの老人曰く、「ビルという高い建造物が何十棟も立ち並び、自動車が一日に何百台と駆け抜ける、国家にとって重要な場所の一つ」であったとか。また、大勢の人が行き交い、多くの店が並び、夜でも電気が辺りを照らし続ける、騒がしい場所でもあったらしい。さらに、そのような場所が国家ごとに一つではなく幾つも存在したという。
どこか嬉しそうに話す老人の実体験を聞いたとき、冷え切った気持ちとは裏腹に、心のどこかで「今もあるのだろうか」と期待していた自分がいた。
長い間旅をし続けてきたからこそ分かる、「ありえない」事実を、まだ受け入れていなかった自分がいたのか、どうかまだこの世界から希望は失われていないと、満ちているのは絶望だけではないと、そういう風に思い込んでいた自分がいたのか、はたまた、幼いころに見た古き書物に描かれた『エデン』なる世界が存在すると空想していたのだろうか。なんにせよ、少しだけ心浮いていたのは疑いもない事実だった。
実際に『そこ』へ向かう途中の足取りも今までとは少し違い、軽やかなものだった。
自身の装備品は、全身を特殊ボディーアーマとガスマスクで装着し、サバイバルナイフ、クライミングロープ数メートル分、簡易調理用具セット、折り畳み式のテント、武装の為の小銃や拳銃と弾薬セット、数日分の保存食などなどだ。それらを詰めたリュックサックを背負うので、総重量はかなりのものとなるのだが、『そこ』へ向かっているときは、ほんのわずかな誤差のようなものだが、背中の荷物が軽く感じた。
向かっている二日間には、様々な困難があった。
強烈な砂嵐に見舞われ、地盤沈下による流砂に巻き込まれかけ、挙句の果てに複数人の盗賊にも遭遇してしまった。
砂嵐には足を止められ、やり過ごすのに十時間も待たされた。
流砂は咄嗟に投げたロープが功をなし、近くの岩に引っかかったおかげで命拾いした。
盗賊たちは何とか立ち回り、気絶させることができた。食料は少しだけ貰っておいた。
短い期間ながらも色々な面倒ごとがあったが、『そこ』へ行くという目的を確認する度に、憂鬱な気分は少し軽減された気がした。
そして二日後『そこ』に辿り着き、当然のごとく、願いにも似た淡い期待は裏切られた。
確かに高い建物は何十棟もあった。だが、その全てはどこかが崩れ落ちているか、または風化しているかどちらかで、一つとしてまともに機能している建造物は存在しなかった。
確かに自動車はあった。ボロボロになってもう動きそうにない、ただの鉄の塊となったガラクタが、どこもかしこに転がっていた。
看板が落ちていた。『空猫珈琲店へようこそ』と書かれた看板は無残にも倒され、穏やかな空気が流れていたと思われる店内は、薄暗く埃っぽく、なにより冷たかった。
人の痕跡があった。すっかり粉々になってしまって、優しく触れてもさっと崩れる骨の数々とボロボロになった服の切れ端が、僅かながら見つかった。もうこの都市群には誰もいなかった。
前文明のラジオ受信機が見つかった。埃まみれ砂まみれで、いくら叩いても使えそうになかった。そもそも、もうこの世界にはラジオ局がないのだから、存在の意味がなかった。
『海理音高校』という高校を見つけた。窓は当然割れており、バレー部が使っていたと思われるネットやボールは、無慈悲に破れ、破裂していた。
劇場があった。砂まみれとなった舞台では、もう誰も演じることはなく、スポットライトが当たることもなく、ただただ劇場の空虚感を見せつけられるだけだった。
無音だった。聞こえるのは風の音くらいで、まるでこの世界にたったひとり残されたような寂しさを覚えるほどの静寂だった。
かつてあったであろう都市は、老人が思い描いた昔の風景は、もうここにはない。
高さを競うように建てられた建造物も、その間を縫うように走る自動車も、生き急ぐように歩く人々も、都市の一部となって賑わいを見せる店も、昼間のように周囲を明るくする電気も、何もかも。
都市文明を象徴するありとあらゆる存在は、ひとつ残らず幻想となった。
無情にも現実に広がるのは、わずかに残った前文明のなれの果てと砂のみ。
そんな歴史の残滓がちりばめられた都市群を一望して、ため息をつく。
期待した自分が馬鹿だった。ただそれだけだと、落ち込んだ気分を取り直して、都市群だった砂まみれの場所を再度探索する。
「ここにはいるだろうか⋯⋯、彼女は」
そういって、少女──ダスクはゆっくり歩み始める。
死んだ都市群に、希望のない世界に、潰されないように。