スネイプ(♀)の一人称はなぜ我輩なのか? 作:ようぐそうとほうとふ
でも、あなたはもう居ない
「スネイプ先生はどうして自分のことを我輩っていうんですか?」
空気の読めないシェーマスが、ピクシーみたいないたずらっぽい声で言った。
もくもく煙る地下牢の湿っぽい空気が一瞬でしんと静まり返った。大鍋の煮立つ音さえ聞こえないような気がするくらいに、しんと。
ハリーは息を呑んで、その質問を浴びせかけられた魔法薬学の教授、セブルス・スネイプを見た。
「我輩の一人称にそんなにご不満がお有りかね?シェーマス・フィネガン。気になって、まともに水薬さえ作れないと言いたいのかね?」
スネイプの纏うオーラはなんだかどす黒く、それでいて攻撃的でギラギラしていた。
シェーマスはそのべったりとした猫なで声を聞いてようやく自分がどでかいドラゴンの尻尾を踏んだことに気づいたらしい。パクパク口を開け、言い訳を絞り出そうとしている。
「罰則だ。一週間、地下牢のカビ退治」
スネイプはピシャリとそう告げると、ローブを翻して教卓に戻った。
「……他に質問は?」
生徒全員、教科書に視線を落として答えなかった。それを見てスネイプはよろしい、とつぶやき、脂っこい髪をうっとおしそうにかきあげた。
「では、作り給え」
「毎年一人はいるんだよな!スネイプの“我輩”にツッコむやつ」
夕食の時間、魔法薬学での出来事を話すと、フレッドが楽しそうに言った。
「そーそー。オレたちのときはリーで、そのときは書き取りだったな」
フレッドの双子、ジョージが言う。どうやらスネイプにつっかかってバツを食らうのは伝統的儀式らしい。
「もしかして二人が唆したんじゃないの?」
ハリーの隣に座って夢中でパイを食べていたロンが言うと、双子はいたずらっぽく肩をすくめた。
「まあそうでなくとも気になるよな?女の人なのに、セブルスなんて男みたいな名前だし、3日は寝てないってくらいいっつも不機嫌だし」
「ああ。気をつけろよ…あれが機嫌のどん底じゃないんだぜ。もっと陰険なときがある。いや、むしろいつもかなり陰険だ」
はじめての授業で嫌味を言われたとき、よっぽど不機嫌なんだろうと解釈していたハリーだが、どうやらあれが普段通りだったらしい。今日はシェーマスに矛先が向いたが、もしかしてまた嫌味を言われてしまうんだろうか?
「スネイプ先生ってみんなに嫌われてるの?」
とハリーが尋ねると、ジョージはうーんと唸った。
「意外なことに、そこまででもない。ほら…スネイプは…わかるだろ?」
「何?」
ハリーはちんぷんかんぷんで聞き返すと、フレッドがしきりに胸の部分で手を振り回すジェスチャーをした。
「どゆこと?」
ロンもわからなくて首を傾げた。もどかしさでフレッドがあー!と唸ると、後ろから双子の同級生、リー・ジョーダンが囁いた。
「おっぱい、ドーンだからさ!」
「わ!」
驚いたハリーが声を上げると、周りにいた女子から冷ややかな目線が投げつけられた。逃げてくリーにフレッドが怒る。
「おいバカ、そんな言葉は一年には刺激が強いだろ」
「僕にはまだわかんないなあ…」
「巨乳ってだけでそんな、許されるもんなの?」
「少年たちよ、大きくなればわかるさ…」
双子は皿をきれいにすると、さっさと立ち上がって去っていった。残されたハリーとロンは顔を見合わせて苦笑いした。果たしておっぱいの大きさなんかで意地悪を許せるのだろうか?大人になればわかるのだろうか?
ハリーは正直、セブルス・スネイプのことが怖くてしょうがなかった。
入学初日から、スネイプは嫌でも目についた。
クシを入れてるのかさだかでない、ねっとりとした黒髪。華奢な肩に、緞帳なローブがぶら下がっていて、白すぎる顔色が暗闇に浮いているみたいだ。
下向きのまつ毛のせいで目にはいつも物憂げな影が落ちていて、くの字にひん曲がった口と相まってことさら不機嫌そうに見える。
晩餐のときにクィレルのターバン越しにじろりと睨まれたときはあまりの険しい視線に肌がぞくりと粟だったほどだ。
一方で生徒たちからの評判はそこまで悪くなかった。いや、もちろんその陰湿さたるや!プリベット通りの悪ガキを遥かに凌駕していた。ネビルなんて授業前に腹痛を訴えている。それを帳消しにする魔法が"巨乳"らしいが、ハリーにはまだその魔法は効かないらしい。
魔法薬学の授業は気を抜けないものだった。しかしハリーの絶対に目をつけられたくないという強い意志に反して、スネイプはいつもこっちを見てるんじゃないかというくらいに、ハリーの細やかなミスを発見し、せせら笑った。
「ポッター、教科書はきちんと読んだのか?」
例の猫なで声が耳元で囁かれ、ハリーは体を硬直させた。
「はい、先生」
「ポッター…では声に出して読んでくれ。この、3行目から」
「“催眠豆は縦にナイフを入れた後、横に三度刃を入れ、潰し、汁を採取する…”」
「切り込みを入れて潰すのだ、ポッター。この豆は刻まれているな?」
「はい、先生」
「せめて文字を読めるようになってから入学してほしいものだな。……諸君何をしている?あと15分だ」
ハリーはあまりに悔しくて、スネイプの背中を睨みつけた。となりのロンだって同じ間違いをしているのに、そっちはお咎めなし。クラッブに至っては鍋の中にタールのような何かがこびりついてるのにスルーだ。
何度思い返しても、ハリーはここまでスネイプに嫌われる理由が見つからなかった。
スネイプはハリーを嫌っている…いや、多分憎んでいる。その理由が知りたいと思いながらも、まずは難癖つけられないような魔法薬づくりを身につけるべきかもしれない。
「手順を一個一個確認してるから焦るのよ」
ある日、教科書を参照しながら必死に薬をかき混ぜていたハリーを見て、たまたま組んでいたハーマイオニー・グレンジャーが助言してくれた。
「暗記してから、確認がてら教科書をみるの。はじめに頭に入ってれば、ちらっと読んでるだけだから手元はお留守にならないわ」
「なるほど。…でも、残念ながら今日は予習できてなくって…」
「左回りに混ぜながら、火を強めていくの。オレンジ色になったらすぐ鍋を持ち上げてふきんで冷やすのよ。ほら、いま!」
その日の魔法薬はそこそこの出来で、スネイプはまともなオレンジ色をしたハリーの鍋の中身を見て、難癖をつけられずにスルーした。
「ありがとう。はじめて無視してもらえたよ」
ハリーはホッとしてハーマイオニーに礼を言った。
「あなた、最近すごく熱心に勉強しているから。わからないところがあったら言って。力になるわ」
ハリーははじめ、ハーマイオニーのことを頭でっかちの鼻持ちならない女子だと思っていたが、関心ごとが全部勉強というだけで、意地悪というわけでもないらしい。
ロンはまだハーマイオニーに対して反感があるらしく、その話を聞いてもいい顔はしなかった。ハーマイオニーもハーマイオニーで、ロンのことはじゃがいもと同じくらいにしか思ってないようだった。
ロンとハーマイオニー、お互いの認識が変わったのはハロウィンの夜のことだった。
「トロールが…地下室に!」
クィレルは叫んで大広間に飛び込んで来るやいなや、そのまま気絶してしまった。ハーマイオニーは地下の女子トイレで泣いていると気づき、ハリーとロンで助けに行ったのだ。
無事物体浮遊呪文でトロールをノックアウトさせ、三人の間には硬い絆が結ばれました…めでたしめでたし。で、済めばよかったのだが、その夜は新たな疑問が降って湧いた瞬間でもあった。
どうしてトロールが学内に?
ハリーがそのことについて中庭でぼうっと考え込んでいると、いつものように眉間にシワを寄せたスネイプが羊皮紙の束を抱えて渡り廊下を歩いていた。
スネイプはいつも大股で、誰も話しかけられないくらいにキビキビと歩く。だが今日はいつもと様子が違った。歩幅は小さく、片脚を引きずっていた。
ハリーは思わずスネイプを見つめてしまった。ああ、確かに自然と胸を見てしまう。なるほど、これが大人になる片鱗なのかな?なんて馬鹿なことを考えていると、急に木枯らしが吹いた。スネイプの持っていた丸められた羊皮紙がバラバラと風に飛ばされてくる。
一つがハリーのすぐ足元に転がってきた。
スネイプは苛立たしげに杖を振って、転がっていった羊皮紙に魔法をかけた。脚を怪我しているせいでちょっとしたトラブルで面倒なことになる。
足元のいくつかを拾い上げると、ちょうど頭の上辺りから怯えた声が聞こえてきた。
「あの…これ」
その声の主を見て、スネイプは顔をしかめた。ハリー・ポッターがおどおどしながら、羊皮紙を一枚持って立っていた。
スネイプはハリー・ポッターを見るたびに胸の奥底がグズグズになっていくのを感じていた。ハリーは彼女にとってこの世で最も忌まわしい生き物、ジェームズ・ポッターに生き写しだからだ。
やはり、どんなに近くで見ても、どんな場所で見ても、ジェームズ・ポッターにそっくりだ。くしゃくしゃの黒髪にバカみたいな丸眼鏡。
ああ、でもやっぱり瞳はリリー・エバンズのものだ。
それがなおさら、リリーがポッターに奪われた象徴であるかのようにも思えるし、リリーの忘れ形見であるという証明にも思えた。
なのに、スネイプはその瞳に見惚れてしまう。
アーモンド型の緑の瞳が自分を見つめている。リリーの瞳が、私を見つめている。
「えっと…手伝いましょうか?」
ハリーの声でスネイプは現実に引き戻された。
「結構」
あわてて羊皮紙を引ったくる。ハリーはまじまじ自分を見つめていたスネイプに戸惑っているかのように目を丸くしている。スネイプはそれを誤魔化すように、すべての羊皮紙を浮かべ、美しく巻き直した。
ハリーはそれを感心したように見ている。
「なんだね、ポッター。まだ何か用が?」
「あ、いえ。すごい、繊細な魔法だなって…見惚れてました」
それは素直な魔法への驚きだったのだろう。だがスネイプにとってはちがった、その純粋な言葉は、初めてリリーの前で浮遊術を見せたときと同じ感想だったのだ。
ずきりと胸がいたんだ。
彼の存在はどうしても、ここにリリーがいないと痛感させられる。
「用がないのならいきたまえ」
思わず語調が強くなる。ハリーは怯え、野うさぎのように中庭をかけていった。スネイプは大きなため息を吐き、眉間を押さえた。
「凡庸、父親と同じで、傲慢…規則破りも何のその。おまけに有名であることを鼻にかけてる」
ぶつくさいうスネイプを無視して、ダンブルドアは変身現代を読んでいた。校長室の大きな砂時計からさらさらと砂がこぼれている。
「目立ちたがり屋だ。その上生意気で…おまけに父親にそっくり!」
「君のジェームズ嫌いは筋金入りじゃのう」
「…私は…男はだいたい嫌いです。その代表格があいつです」
「他の先生からはハリーは君が思っているよりも控えめじゃと報告されておるのう。セブルス、そう思って見るからそう見えるのじゃよ」
「いいえ違います!…とにかく…私は好きませんね。せめて女の子だったら…」
そこまで言って、スネイプは口をつぐんだ。
女の子だったら?どっちにしろ“ハリー”はリリーじゃないのに。
「クィレルから目を離さないように。聞いておるかの、セブルス?」
「…かしこまりました。お任せください」
セブルス・スネイプはリリー・エバンズに恋をしていた。
セブルス・スネイプは女である。
「両親は男の子が欲しかったから、セブルスなんて名前をつけたんだ…」
ダボダボの、父のお古のチュニックを着たみすぼらしい子供。男の名前をつけられて、女の子が過ごす子供時代を全部灰色の袋小路の街に捨てられたセブルス・スネイプにとって、リリー・エバンズは初めて出会った自分の理想の女の子だった。
「あなた、スネイプでしょ!スピナーズエンドの“男女”」
ペチュニアはそう言ってスネイプを罵倒して、まともに話すらしなかった。
「私は全然、あなたは女の子っぽいと思うわ」
リリーはろくに洗っていないスネイプの髪を梳きながらいった。
「気休めだよ」
「ちがうわ!私に任せてちょうだい」
リリーは自分の髪をゆっていたリボンの片方を解いて、スネイプの髪を後ろで三つ編みに結い、結んだ。
そして自分の髪も一つにまとめ、「ほら!」と池の水面を指さした。
水面には同じ黄色のリボンをつけたリリーと自分が並んで映っていた。リリーは嬉しそうに目を細めて笑う。
「お揃いよ、私達」
その笑顔に、スネイプは生まれて初めて自分の心の奥に暖かな火が灯ったように思えた。
もし私が名前の通り男の子だったら、今ここにハリー・ポッターはいないのかな。
それとも、やっぱりリリーは私のことなんて好きにならないのかな。
臆病でバカな私は、コウモリみたいにフラフラと生き永らえている。
私、リリーに恋をしてからずっと男になりたかった。これまでずっと母親に「男の子だったら…」って言われるのが嫌だったのに。
今は虚勢を張って、男みたいに振る舞ってる。
私、やっぱりバカなのかな、リリー。
私、男の子なんて嫌い。
だって、男の子はあなたをとっちゃうから。
ジェームズ・ポッターなんて大嫌い。
リリー、どうして男の子なんて遺していったの?
ねえリリー、彼を見るたび、あなたに会いたいよ。
「でも、あなたはもう居ない」
小和オワリさんに1話のあのシーンを描いていただけました…!
オワリさんの激重感情の化身女スネイプを見て書き始めたといっても過言ではないので本当にうれしいです!ありがとうございます。
(4話にも掲載しています)
ドーンですね
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