スネイプ(♀)の一人称はなぜ我輩なのか? 作:ようぐそうとほうとふ
バレンタイン前は全校が浮足立つのが常だった。秘密の部屋事件が起きたとはいえ、今年も惚れ薬の持ち込みやらでフィルチが大忙しだ。
スネイプもちょうど夜間のパトロール中に密会しているカップルを(減点の後)寮に送り届けたところだった。
スネイプは深々と刻まれた眉間のシワを揉みながら地下へ続く階段を降りた。一体どうして自分とは無縁なイベントでここまでストレスを溜めなければならないのだろう。このそわそわした空気はいつも自分を苛立たせる。全く楽しく恋愛している奴らなんてろくなもんじゃない!
なんて日陰者根性丸出しなことを考えながら歩いていると、研究室前の廊下をウロチョロしている生徒を発見した。
スリザリンのローブを着ているが、この危険な時期に一人で廊下をうろつくなんて愚かにもほどがある。
確かにスリザリン生ならば秘密の部屋の化物に襲われることもないだろう。理屈の上では。だが純血主義を謳うスリザリンの生徒の半数が純血ではないのはもはや暗黙の了解だ。
近づいていくと覚えのある背格好だった。小さい背中に丹念に撫で付けられたプラチナブロンド。ドラコ・マルフォイだ。
「ドラコ、我輩に何か用かね?」
ドラコは飛び上がった。彼らしくないとも思ったが、もしかしたら怪物を本当は恐怖しているのかもしれない。
「す、スネイプ先生!…あのっ…僕、聞きたいことが…あって。ここで待っていたんです」
「ふむ。とりあえず中には入り給え。万が一にも襲われてはたまらんからな」
「あっ、はい…」
扉を開けるとドラコはおずおずと中へ入っていった。教室は最後の授業がバタついていたせいで机の上には乱雑に鍋が積んである。だがスネイプ個人の部屋はあいにく散らかっているため、仕方なく教卓の前に椅子をおいてやった。
「そういえば君の父上から以前コーヒーを頂いたな。淹れるから待っていたまえ」
「えっ…そんな。いいです!」
やはりいつものドラコらしくない。なぜかやたら焦っている。なんにせよ断るのを無理にもてなす必要もあるまい。スネイプはドラコと向き合って座った。
「それで…聞きたいこととはなんだね」
「えっと…その…秘密の部屋のことなんです」
「なるほど…君のお父上からなにか聞きはしなかったのか?」
「いえ。父上は話してくれなくて」
「ならば我輩からも話すことはない。…そもそも我輩も校内で噂されているようなことくらいしか知らんのでな」
もちろんかつて部屋が開けられ、死人が出たことは知っていた。だが言っても余計混乱と恐怖が伝染するだけだ。
スネイプのつれない返事にドラコはしばし沈黙した。
「…ポッター…が、」
このまま黙っているつもりなのかと不安になったとき、重ねた鍋が音を立てた。それに促されるようにしてドラコはようやく本当に聞きたいことを喋りだした。
「ポッターが継承者だって噂…どう思いますか?」
「馬鹿げている」
スネイプはばっさりと切り捨てた。何を言い出すかと思えば…。あの狡猾な男の息子の癖に、どうやらまだ可愛げがある。
決闘で多くの人間が目にしたあの光景。蛇と話すハリー・ポッターは、あまりにも劇的だった。
しかしながらポッターの蛇舌がある種の不吉さを感じさせるのはー生徒だけでなく、自分にとってもー確かなことだった。
「確かにパーセルマウスは非常に稀な特性だ。だがあのポッターが生徒を襲う?…ありえん。いや、生徒の誰かが犯人なんて…ポッターでなくともありえないことだ」
「じゃあ犯人は先生の誰かでしょうか」
「それも考えにくい。今年から新しく働いているのはロックハートのみで、やつは筋金入りの無能だ」
「じゃあ…侵入者?」
「消去法で行くならそうだろう。考えたくはないがな。しかしホグワーツの警戒を突破できる魔法使いが、生徒の石化しかしていないというのもおかしな話だ。犯人が“人”ではない可能性もある」
「ダンブルドアでさえ、まだ捕まえられないなにかがいる…」
「そうだ。だから君が生粋の純血であっても、夜間にうろつくことは感心できん。次見つけたら減点だ」
「…はい。すみません」
話はすんだろう。
スネイプはそういう視線を送るが、ドラコは椅子から動かなかった。
「僕はてっきり、先生はポッターを疑っているものだとばかり。…だって先生は…ポッターがお嫌いでしょう?」
スネイプはふん、と鼻で笑った。
「我輩は生徒を特別扱いしたりはしない」
スネイプはてっきりこれを聞いてドラコも笑うだろうと思っていた。スリザリン生鉄板ジョークだ。なのにドラコはくすりともせず、真剣にこちらを見つめている。
「どうしてそんなに嫌うんですか?」
「…ドラコ…いささか私情に踏み込み過ぎではないかね?」
「私情なんですか?」
「…個人の好き嫌いは十分私情だ」
「……」
やはり普段のドラコじゃない。強情すぎる。
そこでようやくポリジュース薬の材料が盗まれていたことと、この妙な言動のドラコとが結びついた。
「ドラコ…やはりお茶を入れよう」
「えっ!い、いえ。もう寮に帰ります」
「いいから。出来のいい生徒がわざわざ訪ねてくれたのだ。もう少し秘密の部屋について話をしようではないか」
スネイプはにっこりと無理やり笑顔を作ってから研究室に引っ込んだ。
ポリジュース薬の効果時間はおおよそ一時間。やつがどれくらい廊下の前で待っていたのかは推測だが、10分程話せば変身の兆候がつかめるはずだ。
コーヒーを入れてもどると、青ざめた顔をしたドラコがいた。羽織っていたローブがさっき見たときと違うふうに尻に敷かれている。ドアから逃げようとして、思いとどまったらしい。
さて、中身がハリー・ポッターかハーマイオニー・グレンジャーか、はたまたロン・ウィーズリーかは知らないが、せいぜい縮み上がってもらうとしよう。
「それで、秘密の部屋についてだったな」
「はい…」
「どこにあるかはともかくとして、その中にある恐怖を君はどう見る?」
「僕は…その…」
「恐怖、とだけ言われるとひどく曖昧だが、別の文献にはしっかり怪物と記されているがね。怪物の種類については…被害者が治れば明らかになるやもしれん」
ドラコのオールバックから突如毛が数本逆だった。
「ドラコ、それは寝癖か?」
「うっ…いえ!えーっと…湿気?湿気です!」
ドラコは頭を抑えた。どうやらもう効力が切れる時間らしい。スネイプはより一層意地悪く笑った。
「随分ひどいくせ毛と見える。…おかわりは?」
「結構ですっ…」
もう手ではどうしょうもないほどに髪の毛は逆立ち、うずまき、プラチナブロンドもどんどん茶色に染まっていく。
「…で、秘密の部屋だが…見つけ出してどうするつもりだ?」
ドラコは顔を手で覆って背けた。もうすっかりもとのクシャクシャ髪に戻っている。スネイプはますます愉快になってきた。
「見、見つけ出すなんて…そんなつもりはありません」
「ほう?この部屋の存在を知った誰もが探そうと校内をうろつかずにいられなかったものだが」
泣き出しそうな声になってるが、もう正体が誰かははっきりわかった。
「僕はそんなことしません」
スネイプは顔を覆う手を掴み上げ、勝ち誇ったように言った。
「自分のこれまでの行いを振り返ってもそう言えるか?ポッター!」
「ッ…!」
ハリーの顔は恥辱で真っ赤に染まっていた。それを見てスネイプの優越感はいよいよ頂点に達した。
ついにポッターに一杯食わせてやった。なんやかんやで現場を押さえることを逃し続けてきたスネイプにとって、とびっきり意地悪な罰を与えるチャンスだった。
「これで言い逃れはできんな…」
だが返ってきたのは言い訳でも泣き言でも、ましてや反論ですらなかった。
「ちゃんと答えてください。先生はどうして僕を嫌うんですか」
ハリーの聞いたことがないくらい強い語調に、一瞬スネイプはたじろいだ。なぜそんな事を聞くのかも、そんな質問にこだわるのかもわからなかった。
「…ポッター、貴様自分の立場をわかっていないのか?」
ハリーの手首を握ったまま、スネイプはいつもよりも冷めた声で尋ねる。
「どうして答えられないんですか?」
しかしハリーも折れなかった。これは何かしらを言わなければ納得しなさそうだ。
「………言うまでもないからだ。ポッター。教師に対する不遜な態度。校則を軽んじる軽率さ。なんでもできるという傲慢な勘違い。そしてそれに無自覚なところ…」
ここまではっきり言えば嫌でもわかるだろう。
スネイプに近づいても不快な思いをするだけだと。
「…ほ、本当は…違うはずだ」
ハリーの腕に力がこもった。
「何?」
「先生が僕を嫌うのは…僕の父さんのことが嫌いだったからだ!」
ジェームズの話題が出て、スネイプの頭にかっと血がのぼった。
「ッ…この…」
思わずハリーの腕を強く握りしめてしまう。だがハリーはそれを思いっきり振りほどいて、叫んだ。
「僕は父さんじゃないッ…!」
薄暗い教室にハリーの大声が轟いた。ハリーはそのまま逃げるように扉を開け、出ていってしまった。
スネイプは何も言い返せず、開きっぱなしの扉から廊下へ広がる闇を呆然と見るしかなかった。
それはフクロウ試験が終わった日。
セブルス・スネイプの生涯の中で、最も屈辱的な最悪の日のことだった。
「ねえ…」
スネイプは湖畔で泣いていた。もう日は湖の中に沈んでいて、あたりになにがあるか目を凝らさないとわからない。
かろうじてわかる、校舎の明かり。その遠い光を遮って、誰かがスネイプを影で覆った。
「ねえ、泣かないで」
低くて落ち着いた声。月明かりだけが頼りの夜道でも自分を見つけられる人物。
リーマス・ルーピンだった。
「帰って」
「落ち着いて、スネイプ…」
「お前の顔は、今三番目に見たくない顔だ」
スネイプの涙ぐんだ声にルーピンもたじろいだ。彼女が泣くのは3年ぶりがそれくらいで、その時はまだお互い子供だった。でも今は二人共16歳だ。
「わかってる。ジェームズがやりすぎたんだ。ごめん…」
「だ、誰が悪いかなんて……もう私にはどうでもいい!私は………ッ…リリーに……酷いことを……」
スネイプはもうそれ以上言えなかった。ただ苦しそうに胸を抑えてうずくまった。
「君は……そんなに、エバンズのことが…」
答えはなかった。それだけで十分だった。
「ポッターは、知ってたよ。……知っ、知ってて…あんな…あんなこと……い…う、ぅっ…」
「……ジェームズもそれほどリリーが好きなんだよ」
「ルーピン、お前はどっちの味方なんだ?!私をバカにするためにわざわざ来たのか?!」
「あ、ごめん。本当は君を心配して来たんだけど…」
スネイプは自分の座ってるとこのすぐそばにあった石を湖面に投げつけた。余計なお世話だったということは十分伝わった。
ルーピンは黙って泣きじゃくる小さい背中を見ていた。
たしかに、ジェームズのしたことは最低だった。だがムキになってことを取り返しのつかない状況にしたのは間違いなくスネイプだった。
セブルス・スネイプはリリー・エバンズを愛している。
ルーピンは自分の抱える問題を…つまり、人に言えない秘密を持つ仲間として、スネイプには密かに親しみを覚えていた。
だからあのとき止められなかった自分に後悔して夜まで帰ってこないスネイプをずっと探し回っていた。
三年生のとき、スネイプに秘密を知られたときからずっと自分と彼女はよく似ていると思っていた。
ほとんどこじつけだし、彼女はそんな親しみを嫌がるだろうと思っていた。
でも今こうして、自分の秘密を自分で否定し、貶し、それでもなお自分が傷つけた人の痛みを想って泣く彼女を見てその理由がわかった。
「……………スネイプ。マーピープルに襲われるよ」
「襲われていい。このまま死ぬ」
スネイプはジェームズとの魔法の掛け合いでも相当頑固だった。こんな時に頑固を出されても、いくら春とはいえ風邪をひいてしまうだろう。
「…馬鹿なことを言わないでくれよ。それに…君が戻らないと、君のついた嘘を疑われちゃうんじゃないかな」
ルーピンの言葉に、スネイプはしばし考えてから立ち上がった。そして振り返らずに、怒りを押し殺した声で言った。
「……なんなんだ、お前…。ジェームズ・ポッターのお仲間かと思えば、今度は私を探しに来る?何がしたいんだ」
ルーピンは黙った。まだどこか冷たい夜の空気が背筋をぞわぞわと粟立たせる。
「僕は…ただ…」
まごついた答えに、スネイプはすかさず畳み掛ける。
「お前は自分は当事者じゃないって顔をしてるな。でも私にとっては違う。お前は五年間、ずっとただ黙ってみてた」
「そんなつもりじゃ…」
「お前は私の気持ちにいつから気づいてたんだ?」
「……」
無言のルーピンにスネイプの怒りが爆発した。ルーピンとまっすぐ向き合い、睨みつける。その険しい視線。炎のような激情にルーピンは押し黙る他ない。
「私は…自分の恋が成就するなんて思っちゃいない!全部私が悪いなんてことはわかってる。それでもッ……」
スネイプは下を向いた。涙がポタポタと下草を濡らした。
「それでも私は、今日の私を…この気持ちを知っている誰かに止めてほしかった…」
そう言うと、スネイプは城に向かって歩きだした。すれ違うとき、さっきまでの熱がウソみたいに沈んだ声で呟いた。
「これは…逆恨みだな…。もう……疲れた」
スネイプが帰ったあとも、ルーピンはそこに立ち尽くしていた。自分よりも遥かに激しい、彼女自身にすら持て余す熱情。それを今肌で感じた。
そして自分と彼女が、実は本当は全然似ていないということがはっきりわかった。
自分はただの一度も、当事者になったことなんてない。ずっと息を殺して、黙って、自分が狼人間であるということに真正面から向き合ったことがない。
もちろんその事実に苦悩し、必死に工夫し、努力して今ここにいる。だがそれは"狼人間である自分"のためでなく、"普通の魔法使いである自分"を取り繕うためだった。
その事実をたまたま知り、受け入れてくれた友達がいるのはただの偶然に過ぎない。
スネイプは常にリリーと自分と、そこに渦巻く自分の感情と向き合っていた。自分の思いをぶつけるか、ぶつけないか。どうすれば受け入れてもらえるのか。
その苦しみを、ルーピンは知らない。
ハッピーバースデー滑り込みセーフ…!
お久しぶりです
頻度戻していきます