実はこれがやりたかっただけ。
覆水盆に返らず Painful_Relief.
一
一〇月九日。
その日は、学園都市中の幸福が押し寄せているのではないかというくらい、上条当麻にとって幸福な一日だった。
学園都市の独立記念日のため学校が休みだったり、朝食に食べた目玉焼きの黄身が二つだったり。
今日はいいことあるかもなーっ!! と上機嫌で外に出れば、自販機で買ったジュースでオマケが当たり、アイスの棒はアタリの連鎖となる。インデックスの機嫌は過去イチではないかというくらいよかった。
そんな至福の朝が終わり、そろそろお昼以降のスケジュールを考え始める朝一〇時ごろ。
この異常事態を前に、ツンツン頭のミスター不幸は逆に戦慄していた。
「どうしよう……。この幸せさはいったいなんだ!? まさか新手の魔術師が俺の人生の幸運全てをこの日に集中させてるんじゃないだろうな!?」
「このくらいで大げさすぎると思うけど……とうまの
幸福の連続に有頂天になるどころか、逆に警戒し始める上条に、純白のシスターは苦笑して、
「でも、心配要らないよ。あたりに魔力は感じられないから。魔術師のせいとかじゃなくて、とうまの
「……本当か? 俺に魔力とかなんとか分からないからって適当言ってない?」
「むっ! 失敬な! こと魔術に関して私が適当なことを言うことはないんだよ! 私は魔力を一切持たないから、魔力の感知はとっても正確にできるかも! とうまだってそれは知ってるでしょ?」
「それはまあ」
うっかり地雷を踏んでしまった上条に、インデックスは心外そうに唇を尖らせながら言い募る。とはいえ上条は魔術に限らず専門知識を聞くと心と耳にフタをしてしまう系の馬鹿なので、実のところインデックスの言っていることは半分も分からないのだった。
そしてそんな上条に腹を立てたインデックスはさらなる魔術講義を行う──というのが、いつもの上条なのだが。
しかし、今日の上条は一味違った。
「独立記念日限定オープンキャンパスですよー!」
インデックスの講義が途切れた、ちょうどその時。
木の棒にベニヤ板を取り付けた形の、簡素な案内板を手に持ったスク水ジャージの少女が通りすがった。
ピクリ、とインデックスの注意がそちらに逸れる。
「第九学区、『世界地図』! 各国の都市計画を模倣した学校の集合体の一角──『ヴェネツィア相当』の水随方円学園が無料で開放中! 今なら限定で無料直通バスも運行中! ご希望の方は私までお声掛けをー!」
流れるような宣伝文句を耳にして、上条とインデックスは互いに顔を見合わせる。
それから、あたりを見回す。
上条とインデックスが奔放に会話のやりとりをしているところからも分かるように、周辺は別に混み合っていたりはしない。むしろ、人は疎らな方だ。
前提として、今は朝一〇時。これから今日一日のスケジュールを立てようという時間帯だった。
そして今日は祝日。学園都市はどこも混み合っているだろう。たまの休日だしどこか外で遊びたいが、人数を絞るなどで混雑対策をしている場所の方が望ましい。
ついでに、なんか異国情緒あふれる楽し気なアトラクションならなおいい。
「…………インデックス」
「大丈夫だよ、とうま。これは魔術じゃない。…………完全に、何の含みもない幸運なんだよ!!!!」
当然、二人の決断は一つだった。
「お姉さん! スク水ジャージのお姉さん!! 学生二人でお願いしますっっっ!!」
この時、上条は忘れていた。
その事実を説明するには、少しだけ時計の針を巻き戻す必要がある──。
二
「…………ふぅ。学園都市も意外とザル警備なんだな。昔は気付かなかったが」
──早朝。
まだ学生たちが起きだしてもいない時間帯に、
左手には、何やら電子回路のような文様が刻まれた円盤が携えられており、その刻まれた文様の上を水が独りでに滑っていた。
「『世界地図』、ね……。歴オタが随分遠いところまで来たもんだ」
右手に持ったパンフレットを一瞥すると、少女はジャージのポケットにそれを乱雑に仕舞い、前を向く。
彼女の眼前には、歴史的な風格を感じさせる校門が聳え立っていた。
蛇腹状の格子の向こうから見える石造りの学園風景は──『学園』風景というには少し異質だ。
様々な学校の集合体である学園都市において、石造りであることは実はそこまで珍しくない。格式を重んじる常盤台中学などは、最新の建築技術を踏まえた上であえて煉瓦造りで建築されているくらいである。
ゆえに異質な風景を形作っている要因は、石造りの学園風景にではなく──
『世界地図』、ヴェネツィア相当の水随方円学園。
ヴェネツィアをはじめとした世界各地の水上都市に使われている建築技術を解析・再構築することにより、水上建築技術のさらなる向上を目的とした学園である。
工芸関連の学校が集まる第九学区らしく、全体的な雰囲気は職人寄りではあるものの、そういった関係から流体力学にも特化しており、
とはいえ、円盤の上で水を操る彼女は、
もっと別の枠組み──魔術師と呼ばれるカテゴリの存在だった。
円盤を手に持った少女は、学園都市の警備を当たり前のように素通りし、目的である水随方円学園へと移動しながらも、新たなる魔術を起動させる。
「水は」
円盤の上を走る水が、まるで生き物のように動いていく。まるで電光掲示板のように、無数に入り組んだ回路のうち一部分だけを水で埋めて、望んだ文字を描き出しているのだ。
そしてやがて、水は幾つかの文字となった。
「視線を歪め、そこにあるものを隠す」
瞬時、蠢いていた水の文字が蒸発する。
しかし少女はそれを全く気にせず、開放されている校門を通り抜け、中庭へと入っていく。
少女の姿とは裏腹に、その年齢は三〇。
得意とするのは水。今より一五年前、弱冠一五歳にして魔術の力のみで海を切り拓き世界を踏破した、『
そしてそんな
「これでよし」
オープンキャンパスの準備のため、朝早いうちから既に賑やかな学園には、当然ながら警備も存在するが、神祓は全く気にしなかった。
それどころか、
「警備お疲れ様ーっす!」
と、学園内詰め所で立つ無気力そうな警備の男に、気さく極まりない調子で声をかけた。
部外者のわりにあまりに不用心極まりない様子だったが、男の方はと言えば、
「……………………」
身分証明を確認するどころか、反応すらしない。
あろうことか魔術師である少女の侵入をあっさりと許してしまう。
彼女の着ているジャージやスクール水着が学園指定のものであるということを差し引いても、警備の人間としてはあり得ない暴挙だった。
──もっとも、今は彼女の魔術によって空気中の水分が操作され、彼女の周囲の光はもちろん音も遮断されているので、魔術を知らない人間にとっては気付けないのも仕方のないことだったが。
「……やーっぱザルだ。魔術の介在を考慮に入れてない。ま、それで当然なんだろうけどさ」
地蔵と化した警備の男を尻目に詰め所を当たり前のように潜り抜けた後、神祓は呆れたように呟いた。ともあれ、これで神祓は第一関門を突破したことになる。
神祓は頭の後ろで両手を組みながら、適当な調子で、
「さーって、こっからどーするかだなー。『
そして、神祓は学園内を見渡す。
蜘蛛の巣のように水路が張り巡らされた中庭には、オープンキャンパス直前の慌ただしさが反映されているかのように雑多な小道具が転がっていた。作りかけの屋台、学園公認ゆるキャラの着ぐるみ、集客用の案内板、水路用の小型カヌー。そして、それらを使って準備を行う学生たち。
オープンキャンパス直前の学園は誰も彼もが忙しなく、神祓のことなど誰も気に留めていないようだった。勝手に放置された道具を使って業務をやったところで、この分なら特に疑問を抱かれることもない。むしろラッキーとさえ思われかねない。
その事実を確認した神祓は、静かに決心する。
差し当たっては──
(案内板。……アレ使って客の誘導係をやるか。よーっし、客を呼び込みながらなら俺の動きも分かりづらくなるだろうし)
水路が張り巡らされた中庭の隅。そこに立てかけてあった案内板を抱え上、神祓は行動を開始する。
まずは、
三
そんなわけでスク水ジャージの少女こと神祓海繰に連れられて無料シャトルバスに乗り込んだ上条とインデックスは、己の隠された不幸には気付かずに上機嫌なのだった!!
車内には神祓と上条・インデックスの他にも、街中で案内人に誘導されたと思しき学生達とスク水ジャージの案内人が何人もいた。おそらく彼女と同じように各所で学生達の誘導を行っているのだろう。
……スク水ジャージに案内板という組み合わせはどことなくコンパニオンのようでもあるが、狙っているのだろうか? と神祓は思う。
「ねぇねぇみくり! 水随方円学園ってどんなところなの!?」
「あーっと、その説明をするには、まず『世界地図』の話からしないとだな」
ちなみに、見ての通り神祓は既にインデックスと打ち解けていた。初対面の人間とこうまで簡単に打ち解けられるのは、インデックスの才能である。
対する神祓は講釈をするように、
「学園都市の中でも、第九学区ってのは元々職人芸の色が濃いところでな。『分かる人に分かればいい』って考えが主流だったわけだ。いや、今でも主流だが」
「ふんふん。私もその考えは分かるかも」
「だがな、それじゃー予算ってのは下りないんだと」
神祓は何故か実感のこもった解説をする。
「それじゃー困るって思ったヤツがいるわけだ。お金がないとビジネスは成り立たないからな。だから、職人芸に分かりやすいブランドを付加することにしたのさ」
「それが『世界地図』か?」
「そのとーり」
確認した上条に、神祓は我が意を得たりとばかりに頷いた。
さらに続けて、
「参考にしたのは『学舎の園』。あそこは『お嬢様学校の集合体』だろ? 尖りすぎて単体じゃあ中堅どころがいいとこなコンセプトだが、複数集めることで共同経営の形をとることで全体の力を底上げしてる。それと同じように、『世界の都市計画を模倣した学園』って尖ったコンセプトの学園を複数集合させることで全体の力を底上げし、かつテーマパークのようにまとめ上げることでブランド化に成功したってわけだ」
「みくり、詳しいね」
「そりゃな。これでも一応通ってるわけだし」
実際には通ってなどいないのだが、神祓はしれっと言い、
「んーっで、水随方円学園はその中でも『ヴェネツィア相当』。簡単に言えば、『学園化したヴェネツィア』だな」
「……学園化したヴェネツィア?」
「そ。ヴェネツィアを象徴する都市構造を模倣し、それを使って一つの学園の形に再構築してるってわけだ。もちろん実験的な試みだから、簡単に学園を組み替えられるように建物自体を特殊なブロックで建築してるとか、色々オプションもあるにはあるんだが……」
「う、う~……?」
流石にそこまでいくと、科学に疎いインデックスには難しくなってくるらしい。
なんだかんだで話にはついていけている上条と対照的にだんだん顔色が悪くなってきたインデックスに、神祓は苦笑する。
「ま、そーんな感じだな。これからお前らはヴェネツィアに行く。……シンプルに説明するなら、こんなとこかな?」
「ヴェネツィアなら行ったことあるぞ」
「そういうことを言ってんじゃねーよ!!」