六
だが手を組むとして、目下例の機械魚が二人の行く手を阻む。
張り巡らされた水路から前触れもなく現れる機械魚は神祓にとっても厄介だし、右手の通じない当たり前の科学は上条にとっては天敵ですらあった。
「そういえばさっき例の機械魚を見たとき、何か知ってる風だったけどさ。アレっていったい何なんだ?」
敵の探査網に引っかからないよう、水路をなるべく避けながら進みつつ。
上条は、神祓にそんなことを問いかけていた。
科学サイドの上条が魔術師である神祓に科学の話を聞くなどおかしな話だが、神祓が何か知っているようなそぶりを見せるのだから仕方がない。
神祓の方も特に気にはせず、
「簡単に言えば、愛離のオモチャだな」
「オモチャ……」
「愛離自身の発明品じゃーない。アイツの専門は歴史だからな。アレはこの学園のコンセプトに合う防衛機構ってとこだ」
神祓は油断なく周囲を見渡しながら、上条を引き連れて進んでいく。
流石にいつまでも水路のない場所を通るということはできず、そのうちに何本かの水路のある場所に合流するが、これは仕方がない。躊躇していても仕方がないので、二人はそのまま先を急ぐ。
「サメやマグロが、泳ぎ続けないと死んじまうってーのは聞いたことあるよな?」
「あん? そりゃまあ。それがどうした?」
「あの機械は、その生態──ラムジュート換水呼吸法を参考にしてるってわけさ」
魔術師の口から、科学にあふれた言葉が飛び出した。
ラムジュート換水法とは、簡単に言えば『口に入れた水を使ってエラに酸素を送り込む』エラ呼吸である。
イメージとしては、移動式の水車だろうか。通常の水車は川の流れによって羽を回しているが、この場合は水車自身が移動することで『流れ』を作り出し羽を回しているというわけである。
卵が先か鶏が先かという不思議な逆転だが、確かに『小型である必要があり、発電機構を十分備えられない』という環境ではそうした奇妙な機構が必要になるのかもしれない。
「おーっと、俺もよくは理解してないから詳しい話はアイツに聞いてくれよ? だがな……泳ぐことで内部の発電機構を動かし、細い水路の中でも縦横無尽に動き回ることができる……らしーぜ」
「…………神祓、科学サイドの情報にも随分詳しいよな」
「当たり前だろ。文通してんだよ、未だに。じゃなきゃ魔術使おうとしてるなんて気付けるかよ」
怪訝な表情を浮かべる上条に、神祓は呆れたように肯定を返す。確かに、言われてみればその通りだった。
「ま、防衛情報についちゃー情報を察知した後に俺が独自に調べたモンだがな。多分、アイツ自身はまだ俺のことを友達だと思ってくれているんじゃないか。…………いや、侵入のことがバレた時点で、だな」
「……神祓……」
上条は思わず『辛いようなら代わりに俺が』と言いそうになったが、先ほどのやりとりを思い出して呑み込んだ。
辛い想いも受け入れて、それでも友人の幻想を殺そうとしているのだ。その意思を蔑ろにするようなことは、上条には言えなかった。
「…………上条、気をつけろ。来てるぞ」
と。
そんなふうに上条がなんとも言えない気分になっていると、神祓がそんなことを呼びかけた。
その瞬間だった。
ドッッッ!!!! と、複数の水路から小さな機械の魚が飛び出してきたのは。
「水よ!!」
その一撃自体は、神祓が生み出した水の一撃によって無事に防がれたのだが──サメにとっては、神祓の生み出した水すらも移動手段の一つらしい。
破壊することは叶わず、むしろ神祓の生み出した水を経由して元の水路へと戻っていってしまう。
しかし神祓はその結果すら想定済みなのか、間髪入れずに上条へ忠告する。
「そいつらの名前はHsMS-12──『マグナムシャーク』! たとえどんなに細い水路でも問題なく移動できる機動性だけじゃねー……体内の水車型発電機構に対応して動く『回転鋸刃』も厄介だ! 上条、お前の右手くらいなら手首から永遠にオサラバだぞ!」
「っっっ、クソったれ!!」
悪態を吐きながら飛びのいた次の瞬間、上条が先ほどまでいた場所を機械の鮫が高速で通過していく。
間一髪だったが、上条の勘の良さが功を奏した。一緒にいる神祓の方も、先ほどと同じように水を使ってガードできている。
しかし──それはそれとして、さらなる問題が表出していた。
「くそっ、アイツどこ行った!?」
それがこれだった。
すばしっこい上に、周辺には無数の水路。そのせいで『マグナムシャーク』がどこに行ったのかが掴みづらく、延々と奇襲に対応しなくてはならない環境が出来上がってしまっているのだ。
そしておそらく、この学園を作った者はそうやって襲撃者を削り殺す設計をしている。
「チッ……面倒な設計してくれやがってあの歴オタ!! これがヴェネツィアを分解再構築した『最適化された水上都市の構造』だってのかよ!?」
『マグナムシャーク』の攻撃は既に神祓の方にも及んでおり、彼女は水を操って『マグナムシャーク』の通り道を作り出し、なんとか攻撃を逃がしているような状態だった。
それも、いつまでも続く均衡ではないだろう。このまま新たな『マグナムシャーク』が投入されれば、いかに神祓でもじり貧だ。
つまりその前に、今いる『マグナムシャーク』を無力化させて此処から離脱しなくてはならない。
(チッ……面倒なことになったな。俺の魔術じゃあ早晩じり貧だ。一応
とはいえ、現状、神祓の手持ちの術式に『マグナムシャーク』をどうにかできるものはない。
神祓の魔術は手に持った円盤にルーン文字を作ることでいつでもどこでも均一の術式を発動することを目的としたものだが、反面、既に用意した手札以上のものは作りづらいという欠点がある。
霧の壁や空気中の水分を利用した透明化もあるが、これは上条の右手の干渉を受ける為使いづらい。他のものも、調査した『マグナムシャーク』のスペックを上回るようなことはできない。
そもそも、神祓の本領は誰かの治療であって、攻撃的な用法は向いていないのである。
(……いっそ上条を此処で捨てて、俺だけ先に行くか? それもアリだが……しかし…………)
そんなことをすれば、おそらく上条はここで『マグナムシャーク』にすり潰される。
確かに、
と。
そんな風に考え事をしていたからだろうか。
突如飛び出してきた『マグナムシャーク』に対し、神祓は咄嗟の対処が遅れてしまう。
「……!! 馬鹿か! 俺は!! 水よ!」
寸でのところで水の発現には間に合ったものの──先ほどまでのように『マグナムシャーク』を
そしてそれはつまり、旋回ができるということだ。
(まず……ッ!!)
これまでの神祓の防御は、水を使って『マグナムシャーク』の攻撃に逃げ道を作ることを旨としていた。
しかし、『マグナムシャーク』が悠々と泳げる──即ち方向転換ができるような水塊を出してしまえば、どうなるか。
水路から飛び出して攻撃するのと同じように、『マグナムシャーク』は水塊から飛び出して神祓を攻撃できる。そして至近距離の為、今度はそれを防御することはできない。
水を解除しようにも、『脱色』が解除シークエンスに必須となるルーン魔術では、咄嗟に水を消すことができない。
神祓が覚悟を決めた、その瞬間。
「これだ!!」
上条の右手が、水塊に触れた。
バギン!! と何かが割れるような音と同時に、水塊が嘘のように消え去る。
そしてその中を泳いでいた『マグナムシャーク』も、そのまま地面に落ちた。陸に上がった機械魚が動く様子は、ない。
「やっぱりだ……。軽量化の為にバッテリーを殆ど積んでいないから、一度でも陸に揚げれば止まるってわけだな」
「……その右手か」
『マグナムシャーク』は、どんなに細い水路でも通り抜けられるよう小型化された機械だ。
それゆえバッテリー類を積んでおらず、その問題を解決する為に移動の際に発生する水流で発電を行っていた。
ということは、水流を消してしまえば発電はできず、バッテリーのない『マグナムシャーク』は一度でも発電が途切れれば一瞬で動作停止に陥るわけだ。
もちろん神祓も水流消失による無力化は狙っていたものの、根本的に彼女は魔術師である。
魔術というのは決められた手順を踏んで終了させないと術者にしっぺ返しが来るというのが大半であり、そういったものもまとめて殺すとはいえ、上条の右手に解決策を求めるという発想はないのであった。
「追手は……まだ来てないみたいだな」
神祓は周囲の様子を注意深く確認したあと、そう言って胸を撫で下ろす。
さらに上条に向かって神妙な面持ちで、
「今のは助かった。ありがとう」
「礼なんてやめろよ。一緒に戦ってるんだし」
「いーっや。今回は厳しかったからな。これは俺の問題だ。だから付き合わせてるお前なしに解決できなくなってる時点で俺としちゃー片手落ちなんだよ」
「バーカ」
真面目腐った調子で言う神祓に、上条は軽い口調で返した。
「んなもん、気にしてんじゃねぇよ。俺だって無条件になんでもかんでも手助けする聖人なんかじゃない。俺が助けたいって思ったのは、お前の目的をちゃんと聞けたからだ。……俺の協力を勝ち取ったのはお前なんだ。そこに引け目を感じる必要なんかないだろ」
言って、上条は右拳を握りしめる。
あらゆる幻想を殺す右手だが、今回は彼女の幻想を守りたいと思ったからこそ、この拳を握った。
そういう戦いだってあると、上条は思うのだ。
「…………そーかい」
きっと、今の上条の言葉は神祓の懸念を晴らすのに最適な言葉だっただろう。
にも拘らず、神祓はどこか沈んだ調子だった。
七
学園都市の科学兵器の最大の弱点は、理の外からの防備が皆無に等しい点にある。
たとえば、核ミサイルの直撃にも耐える超巨大兵器があったとして、『前進したら弱くなる』というルールを強制されればただ進むだけで自重に耐え切れず崩壊してしまう。
それと同じように、学園都市製の兵器はまともに強みを発揮できれば魔術師さえ当たり前に倒せる反面、強みを発揮できなければ呆気なく機能不全に追い込まれる。
たとえば──
「来たぞ上条! 水を消すのは頼む!」
「おう! 任せとけ!!」
『マグナムシャーク』の欠点。
水がなくなれば迅速に機能停止するという部分を突かれれば、こうも簡単にセキュリティは無力となってしまう。
「随分進んだな……。そろそろ理事長室なんじゃないか?」
『マグナムシャーク』をあらかた無力化させた神祓達は、そのまま学園を進み、校舎を分け入り──そして理事長室近くまでやって来ていた。
校舎内奥まで進んでも、やはり防衛網の要である水路はある。その為何度も襲撃はあったが、そのたびに二人は襲撃を切り抜けられていた。
結局、騒動のあとにすぐ襲撃が発生してしまったため、インデックスとの合流は敵わなかったが──
「……時間がない。ヤツが術式の起動を始める前に、全部終わらせるぞ」
言って、神祓は理事長室の扉を開ける。
その中にいたのは──
「…………海繰」
一人の女性だった。
艶やかな黒髪をサイドテールにした、『バリバリ仕事ができます』という感じのキャリアウーマン然とした女性だ。
手には海繰と同じような円盤を持って、理事長室の執務机に腰かけていた。
「よく来たじゃない。こんなに大騒ぎされるのは想定外だったけど……」
「俺としても、ここまで大事にするつもりじゃあなかったんだがな。ちょーっとイレギュラーがあって」
「そっちのコ?」
「そんなとこだ」
言いながらも、二人は油断なく互いの間合いを測っていた。
眼光も鋭く、久方ぶりの邂逅で旧交を温めるような姿はない。その様子を見て、上条は我慢の限界を迎えた。
「なんでだ!!」
魔術サイドと科学サイド。
いがみ合いを続ける二つの勢力にそれぞれ身を浸していながら、磯焼も神祓も根本的に互いのことを敵視などしていない。むしろ、つい最近まで連絡のやり取りをしていたくらいだ。
今まで二つの勢力のいがみ合いを見てきた上条は、そんな二人の関係がどれほど尊いものなのか知っている。にも拘らず……、
「なんでだ……なんで魔術なんかに手を出した!? 確かに、テメェの親父さんの件は残念だ!! それを受け止める心構えなんか、俺には口出しできないモンなのかもしれない。…………でもな、」
「上条」
上条がそこまで言ったところで、神祓がそれ以上の言葉を制止する。
そこで、上条も気づいた。────目の前の女性が、何故だかとても当惑していることに。
「……貴方も、そう言うのね。海繰も言っていたわ。死者蘇生なんて、そんなものはこの世の摂理に反するって。終わった命を再び始まらせるのは、間違ったことだって」
その当惑の別名は、怒り。
「だったらなんであの時、リューを助けたのよ!? 車に轢かれて、事故で死ぬしかなかったあのコは、自然の摂理に従うなら死ぬべきだったっ!!!! それを助けて、そんな奇跡を見せておいて…………なんでお父さんは助けてくれないのっ!?!?!?」
「………………、」
磯焼の激情に、神祓は何も言わなかった。
その一連のやり取りを聞いて、上条は悟った。この女性は……全てを知っているわけではない。
魔術を使って父を生き返らせようとしているのは、確かにそうだ。だが、この女性は自らの術式のリスクを分かっていない。誰かを生き返らせる代わりに誰かが死ぬなんて想像もしていない。
だから、危険な術式をそれでも使おうとしているのだ。
「死ぬからだよ」
神祓は、刃を突き立てるように静かに言った。
磯焼の呼吸が、死ぬ。
「死者蘇生。異界へ旅立った魂を現世に引きずり戻し、傷をいやし、生命力を補充し、生命のスイッチを入れ直す。……そんなの、並の魔術でできるモンじゃない。そんな大魔術を個人の力で成し遂げるには、相応のリスクが要る。兵器を買うのにだって相応の金が要るだろ? そういうことだよ」
「そ、んな、それって……」
「ああ。お前のお父さんを生き返らせるには、代わりに誰かの命が必要になる。……お前を人殺しにはできない。だから、止めに来た」
「…………、」
神祓にそう言われても尚、磯焼は手に持った円盤を手放すことはできていないようだった。
だからこそ、神祓はこうして学園に侵入したのだろう。
手紙や電話この事実を伝えても、磯焼の決意を覆すことはできない。だから、学園に侵入して磯焼の選択肢を狭めた上で、『諦めるしかない』土壌を作りたかったのだ。
だって、今なら退けるから。
磯焼が今まで魔術を使おうとしていたのは、リスクを正しく認識できなかったから。たとえこれから発動する魔術が誰かのことを犠牲にしてしまうものだったとしても、知らなかったのだから仕方がない。
そしてこうして戦力を奪われた上で事実を突きつけられれば、諦めるしかない。磯焼は危うく誰かを犠牲にしてしまうところだったが、友人のお陰で全てを知り思いとどまった『ただの善人』で済むことができる。
すべてはその為。
磯焼に、『誰かを犠牲にしてでも父を蘇らせる』という決心すらもさせない為に。
大切な友人の心に、少しでも傷を残さない為に、神祓は動いていたのだった。
「私、は…………」
観念したのだろう。
磯焼の手から、円盤が滑り落ちる。カラン、と乾いた音を立てて、魔はその手から零れ落ちた。
上条の口元にも、笑みが少しだけ滲んでいた。
安堵もあるが──それ以上に、神祓に対する尊敬の念が大きい。
友人を止めるどころか、悪人にしない為に、ここまで本気で戦える。それは、その用意周到さは、ただの高校生である上条にはどう足掻いてもできない領域だ。
大切なものを守る為ならなんでもするその姿勢は、彼のよく知る赤毛の魔術師にも通ずるものがあった。
その力が、上条の力なんかろくに借りずとも、事件を終結に導いた。
──導いた、はずだった。
ゴアッッッ!!!! と。
理事長室にも張り巡らされた水路から、一匹の機械魚が飛び出す。
上条がそれを回避することができたのは、殆ど偶然だっただろう。たまたま機械魚が飛び出した場所が遠く、上条が反応できるだけの余地があっただけ。
一歩間違えば、確実にわき腹をえぐられて戦闘不能になっていたことだろう。
「なっ……!? どういうこと!? 防衛機能はもう動いていないはず……! 暴走したとでもいうの!?」
「チッ……! 上条無事か!?」
「なんとか! クソったれ……せっかく丸く収まったってのに今更こんなのでゲームオーバーなんて認められるかよ!!」
音からして理事長室にいる『マグナムシャーク』は五機。一体ずつ襲ってきてくれるならいくらでも対処できるが、暴走状態とはいえそう甘くはないだろう。
どうにか同時攻撃を防ぐ必要があるのだが──
「……くそっ!!」
策なし。とにかく攻撃を躱そうと、上条が身を低くした、次の瞬間だった。
「──
声と共に、一気に全ての機体の動きが停止する。
まるで死んだ魚がそうなるように、全ての『マグナムシャーク』が腹を上にして浮かび上がる。
「……はぁ、はぁ。やっと追いついた。とうま達、さっさと先に行きすぎなんだよ!」
振り返ると──そこには、白の修道女インデックスがいた。
思わぬ援軍に、上条はつい顔を綻ばせる。
「助かったよインデックス! 危ないところだった。お前がいなきゃどうなってたか……」
「それより、とうま」
インデックスは。
全ての脅威を取り払ったはずの少女は、にも関わらず全く警戒を解かずに上条に呼び掛けていた。
その言葉を聞いて、上条は疑問に思う。何故彼女はこうまで慌てているのだろうか? 今まさに、『マグナムシャーク』はインデックスの
「……ん?」
『
科学サイドの技術によってつくられた兵器が、魔術の操作を奪う技術によって、無力化された?
「今すぐ、みくりの傍から離れて────!!!!」
極大の違和感に気付いたその瞬間。
上条の身体は、くの字に折れ曲がってノーバウンドで数メートル吹っ飛んだ。
完結編につづく。(後編とは)