【完結】覆水盆に返らず   作:家葉 テイク

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04 完結編

   八

 

 ただ、笑っていてほしかった。

 

 魔術を極める旅路の中で、たまたま出会った同年代の少女。

 少し滞在していただけだったが、よく笑う、笑顔が魅力的な彼女に、多分一目惚れしてしまったのだと思う。

 

 だから、初めて彼女が涙を見せた時、当惑した。

 聞けば、飼い犬のリューが車に轢かれたのだと言う。確かに、見てみると血まみれの小型犬は今にも息を引き取りそうなほど弱弱しい呼吸だった。

 初めての経験だった。

 大粒の涙を零し、リュー、リューとうわ言のように言う彼女を見たとき、己に課した魔法名すら投げ捨てたくなるほどの激情が、彼女の心を押し流した。

 そして、面倒なことになるからと隠していた魔術を、何の躊躇もなく行使した。

 

 

「水よ。万の生命の源たる、慈悲深き聖母の象徴よ」

《WTSOOLOMTSOAL》

 

 

 それは、己の奥義。

 文字を形作り、蒸発した水達を媒介にした簡易儀式魔術。

 広がり散らばった水の粒子をかき集め、包み込んだ負傷の一切を治療する完全自動再生魔術。

 

 

「それは世界に遍く在り、それは世界に偏に在る。ゆえにそれは我が意思を映す鏡であるとともに、光をたたえた器となる。目覚めよ、癒せよ。主を慕い香油を携えた、罪深き女よ!」

《IIUITWAITBITWTIIAMTRMWAACTSLWUAHASWWPTLACB》

 

 

 亜使徒級とも呼ばれるその術式の名は──

 

 

「『罪深き香油の聖女(マリアマグダレーナ)』!!」

 

 

 そしてそれが、彼女──神祓海繰の最大の過ちだった。

 

 何のことはない。

 十数年の時を経て、幼き日の過ちを清算するときが来たのだ。

 

 

   九

 

「────なんでだ!!」

 

 

 蹴り飛ばされ、転がり、起き上がった上条が最初に吐き出した言葉は、それだった。

 激情を隠そうともせず、上条は下手人──神祓海繰のことをにらみつけていた。

 そして、当の神祓は特に悪びれる様子もなく、

 

 

「……だーって。邪魔だったからよ」

 

 

 と、そう言った。

 その表情には、後ろ暗い色はない。完全に覚悟を決めた人間の顔だった。

 

 

「あ、の、海繰……」

 

「愛離は、安心して眠っていてくれ。起きた頃には、()()が元通りだ」

 

 

 神祓の身体から、白い靄のようなものが出たかと思うと、その靄は磯焼の口と鼻を覆う。磯焼が何か言う間もなく、彼女の身体はそのまま執務机の上に倒れ伏した。

 

 

「……これでもう、後には退けない。俺は、愛離に手を上げた。魔術で害した。……その場で腹を切るのが筋ってレベルの大罪だぜ、これは」

 

「……んなことを聞きたいんじゃねぇ。なんで、今更こんなことをした!? お前の親友だって父親の蘇生を諦めて、真っ当な道へ戻ったんだろ!? ならこれ以上盤面を乱すようなことをする意味がねぇじゃねぇか!! 此処から一体、何をしようってんだ!?」

「違うよ、とうま」

 

 

 激情に駆られる上条の横で、インデックスはあくまで冷静だった。

 冷静に、今回の『茶番』の全てを見通していた。そして、言う。

 

 

「……そもそも、みくりの友達は、魔術なんて発動してなかったんだ」

 

 

 全ての前提が覆るような、隠された真実を。

 

 

「……は?」

 

 

 これには上条も、思わず耳を疑った。

 だってそうだろう。そもそも今回の事件は、魔術に詳しくない磯焼が術式を起動させようと計画したことにある。魔術に詳しくないがゆえに磯焼は『死者の蘇生と引き換えに誰かの命が失われる』術式を起動しようとしてしまい、友人を『誰かの命を奪った悪人』にしたくなかった神祓が、術式の発動そのものを阻止しようとしていた──それが事件の全貌だったはずだ。

 だからこそ、全てが解決したこの状態で神祓が動く理由などないというのに──

 

 

「とうま、おかしいとは思わなかったの? プロの魔術師でも難しいような死者蘇生の術式を、リスクがあるとはいえ()()()()()()()()ズブの素人が発動できると思う?」

 

「………………ま、さか」

 

 

 それは。

 その言葉が、意味することは。

 

 上条は知っている。

 

 かつて誰かを癒す魔術を目撃した一般人が、理論なんて分からずに、それでも誰かを救いたくて魔術に縋って、それでも何にもならなかった──そんな光景を。

 

 

「………………術式なんて、欠片も出来上がってなかったんだよ。魔術的記号も何もない。魔力さえ練られていない。ただ見た目の形だけそれっぽく整えたアクセサリを持っていただけ。みくりの友達は、放っておいても誰も傷つけることなんてなかったんだよ」

 

「ま、待てよ!? それじゃあそもそも論が通らない! だってそうだろ!? 誰かを傷つけることがないなら、何も問題ないじゃないか! 神祓がわざわざこうやって学園都市に侵入する必要だって──」

 

「本当に、ないと思うか?」

 

 

 その少女は。

 いや、少女の姿をした魔術師は、両目から静かに血を流しながら、今にも唾を吐き捨てそうなほど忌々しい口調で呟いた。

 

 

「あるだろうが。この、俺が! ガキの頃に見せてしまった偽りの希望に縋って……お父さんを救う為に頑張って、それでも何の意味がなかったなんて! そんな残酷な絶望を愛離に背負わせることが!! 許されるとでも思っているのか!?!?」

 

 

 血の涙を散らしながら、神祓は叫ぶ。

 

 

「俺のせいだ。俺が招いた絶望なんだ。だったら、俺が帳尻を合わせるしかない! これは、俺の問題なんだ!! 俺が拭い去ってやらなきゃならない絶望なんだっっ!!」

 

「……だったら、どうする気だよ」

 

「犠牲は、俺がなればいい」

 

 

 神祓の答えはシンプルだった。

 

 

「お前に話した術式のリスクは本物だよ。何せ、()()()()()()()()()()()()。魔術理論も分からずに真似だけした愛離のそれとは違う。プロの魔術師が考えに考え抜いて、ようやく一人の犠牲と引き換えに誰かを生き返らせることができる、そんな夢の術式だ」

 

「そんなの、意味ねぇだろうが!! 磯焼の親父さんが生き返ったところで、アイツが喜ばねぇことくらい考えなくても分かるだろ!!!!」

 

「意味ならある」

 

 

 上条は叫ぶが、それでも神祓はブレなかった。

 神祓はただ真っ黒な意思を瞳にたたえて、続ける。

 

 

「今回のことで確信した。俺という存在は──愛離の害にしかならない。魔術なんてものを便利に使う存在が身近にいたから、愛離はズレかけた。これ以上は許容範囲外だ。だから俺が死に、愛離の父さんが生きることで、アイツを魔術から完全に切り離す。俺を失ったことで愛離は悲しむだろうが、その悲しみが、彼女の人生をまともな方向へ立て直してくれる。『魔術なんて外道に頼れば幸せを失う』という教訓を与えてくれる」

 

 

 左手に円盤を構えて、神祓は真っ直ぐに上条を見据えてこう言った。

 

 

「俺が死ぬことが、愛離の為になるんだよ」

 

 

 直後。

 

 ドッ!!!! と、転がっていた『マグナムシャーク』が独りでに動き出す。

 おそらく──内部にルーン魔術による水を滞留させているのだろう。水流によって発電するというのなら、内部で水を動かせば水中にいなくても無限に稼働させられるということ。

 さらに運動系も水流で操作することで、挙動すらも掌握できるということなのだろう。

 思えば、神祓は『マグナムシャーク』について、魔術サイドの人間としてはあり得ないくらい詳しい知識を持っていた。こうした操作の為に前以て準備をしていたといったところか。

 

 上条はそれをなんとか回避し、インデックスが強制詠唱(スキルインターセプト)によって動作を掌握する。

 しかし、操作を掌握してもすぐに術式が途切れてしまい、逆用には至らない。お陰でインデックスは『マグナムシャーク』の処置の為にかかりきりになってしまう。

 

 

「……ふざけんじゃねぇ」

 

 

 上条は、怒っていた。

 

 

「なんでだ。なんでテメェは、そこで自分を投げ出しちまうんだ!!!!」

 

 

 親友の心を傷つけない為に、徹底してきた神祓。

 その手管について、上条は本気で尊敬していたのだ。大切なもののためにここまで完璧に動けるそのプロ意識は、それほどまでに誰かを大切に想う気持ちは、ただの高校生である上条当麻にはまだないものだから。

 その美意識は、白いシスターの為ならあらゆる苦痛を背負う覚悟を持つ、あの赤髪の魔術師のようですらあったというのに。

 だから上条は、一人の人間として目の前のヒーローを尊敬していた、のに。

 

 最後の最後で、神祓は踏み外した。

 最高のハッピーエンドを掴もうとしていたはずなのに、自分が死ぬことで解決なんて最低のバッドエンドに流れた。

 上条は、それが許せなかった。

 

 

「水よ」

《W》

 

 

 言葉と共に。

 神祓の周囲に、少しずつ白い靄のようなものが集まっていく。

 それは、魔術によって生み出されたものではない。彼女が今までこの街で使用して、『脱色』として蒸発していった、普通の水。それが徐々に、彼女のもとに集まっているのだった。

 

 

「万の生命の源たる、慈悲深き聖母の象徴よ」

《TSOOLOMTSOAL》

 

 

 魔術の中でも、治療というのはかなりの高等技術にあたる。

 攻撃魔術にも炎や氷など様々な種類があるのと同じように、治療魔術にも『火傷に対する治療術式』や『凍傷に対する治療術式』のように、治療分野が限定されている。

 だからこそ、全てを治療できる術式というのはそれこそ一〇万三〇〇〇冊の叡智がなければ、専門の分野の魔術師以外には実現できない。

 

 

「それは世界に遍く在り、それは世界に偏に在る。ゆえにそれは我が意思を映す鏡であるとともに、光をたたえた器となる。目覚めよ、癒せよ。主を慕い香油を携えた、罪深き女よ!」

《IIUITWAITBITWTIIAMTRMWAACTSLWUAHASWWPTLACB》

 

 

 そう、専門の分野の魔術師以外には。

 

 

「出でよ、罪深き香油の聖女(マリアマグダレーナ)!!」

 

 

 神祓の背後に、霧で形作られた聖女の像が浮かび上がる。

 聖女の像がまるで羽衣のように神祓の身体の上に覆いかぶさると、神祓の両眼から流れていた血の涙は嘘のように消えていった。

 

 

「これは……!」

 

「さーって。ここからは止まらねーぞ、上条当麻」

 

 

 羽衣を纏った神祓は、そう言って拳を構える。

 先ほどは上条が反応もできなかった身体能力。それを、本気で構えながら、彼女は叫ぶ。

 迷いを振り切るように──己の真の名を。

 

 

「『癒しの雨は万人に降り注ぐ(pluvia410)』!!!!」

 

 

   一〇

 

 

 上条は、異能を殺せる右手以外は何の変哲もない平凡な高校生だ。

 だから、何らかの魔術で人外の力を得た神祓をどうにかする術はない。頼みの綱となるインデックスも──

 

 

「くっ! とうま、こっちはこっちで手いっぱいかも! 何とか持ちこたえて!」

 

 

 『マグナムシャーク』の包囲網をなんとか上条の方へ行かせないよう押しとどめるのが精いっぱいで、神祓の妨害までは手が回らない状態だった。

 そんな状況で、上条がどうなるか。

 

 

「お、らッッッ!!!!」

 

「ご、がァァああああああッ!?!?」

 

 

 神祓の蹴りが上条の腹に突き刺さり、ノーバウンドで理事長室の壁に叩きつけられる。

 上条がまだ意識を保っていられるのが、奇跡なほどだった。それほどに、両者の間には身体能力の差がある。

 

 

(く、そ……。身体強化の魔術でも使ってるのか? でも、触ったところで魔術が解除される様子もねぇし……、いったい、どうすればいいってんだ……!?)

 

「……なぁ上条。いい加減に諦めたらどうだ?」

 

 

 考えあぐねている上条に、神祓の声が突き刺さった。

 一旦攻撃の手を止めた神祓は、辛そうな表情を浮かべながら続ける。

 

 

「今回は、元々お前には関係ないじゃねーか。一人の馬鹿な魔術師が、テメーの過ちの償いをする。ただそれだけだ。それなのにボカスカ殴られて、そのくせ得られるものはない。そんなの割に合わないんじゃないか。お前が、此処まで身体張る理由なんてないだろ」

 

「…………あるだろ」

 

 

 しかし、その言葉を聞いて、むしろ上条は力を取り戻したように、しっかりとした足取りで立ち上がる。

 

 

「やっと誰もが笑えるハッピーエンドが目の前にあるってのに、そこから勝手に離脱しようとしている馬鹿を、黙って見過ごせるわけがねぇだろうが!!」

 

 

 上条は知っている。

 大切な誰かの為に、己を犠牲にできる男を。

 そいつは、ある少女のことが大好きなくせに、本当に大切で大切で仕方がないくせに、それでも少女の幸せの為に、己の幸せを殺せる男だった。

 そんな男の在り方を、上条も歯がゆく思ったことがある。どうにかできないかと思ったことがある。

 だが、男はそんなありきたりな救いを許さなかった。そんな救いより、少女の幸せだけをただ願った。

 もしもそんな信念を神祓が持っていたなら、きっと上条は立ち上がれなかった。迷いのないプロの拳に対して、ただの高校生が太刀打ちできるわけがないのだから。

 

 だが、神祓の『これ』は違う。

 

 確かに、彼女は磯焼の幸せを本気で願っているのかもしれない。その為に最適解を選んでいるつもりなのかもしれない。

 だが、違う。本当に幸せを願うなら、もっとやるべきことがあった。

 

 

「…………テメェが守ればよかったんだろうが」

 

 

 上条の拳に、力が宿る。

 足の震えが止まる。全身全霊で、大地を踏みしめることができるようになる。

 

 

「絶望? 道を踏み外す? だったらテメェが癒せばいいだろ! テメェが止めればいいだろ!」

 

「何も知らねぇくせに吼えてんじゃねぇぞ、クソガキが!!」

 

 

 上条の激情に被せるように、神祓が吼えた。

 

 

「失敗は取り返せない……覆水は盆に返らない!! この先同じことが起きたらどうする? 今回はなんとかなった。でも、次もなんとかなるとは限らないだろ! だったら! 一番あの子の為になる選択は、これしか、」

 

「くっだらねぇ!!」

 

「…………!」

 

「さっきから聞いてりゃ、失敗したときのことばかり考えて逃げやがって……。確かに、先のこと考えるのは大事かもしれない。起きた事実は覆らないのかもしれない。でも、頑張っていればなんとかなるかもしれないのに、都合の悪い可能性にばかり目を向けるのは絶対に間違ってる!!」

 

 

 だから、上条は拳を握る。

 いつだって、上条当麻が本領を発揮するのは、こういう瞬間だ。

 

 

「間違ってると思うなら…………止めてみろ、小僧!!」

 

 

 直後、神祓の身体が()()()

 

 否、それはブレたのではない。あまりに高速すぎる動きの為に、上条の瞳の中で残像ができたのだ。

 だが、それは今までの攻防の中で腐るほど見てきた。だから上条も大して驚愕はせず、行動を開始する。

 

 具体的には、右に飛び跳ねた。

 

 

「…………何故躱せた?」

 

 

 上条がつい一瞬前までいた場所から、神祓の声が聞こえる。

 飛び跳ねた勢いのまま転がって起き上がった上条は、得意そうに笑う。

 

 

「水だよ」

 

 

 見ると、神祓のあまりに素早い動きの為に、理事長室に張り巡らされた水路の水は僅かに波立っていた。

 

 

「確かに俺は、お前の動きに追いつけない。でも、何も聖人レベルってわけじゃないんだ。だから、拳が飛んでくる段階から動けば間に合わなくても──その前段階、移動中に発生する水面の波を見れば、どっちから攻撃が来るかくらいは予測できる」

 

 

 つまり、動き出しのタイミングが早いから躱せた、ということ。

 もちろん並大抵では不可能だ。向かってくる攻撃を無視し、その余波のみに注意深く観察できる胆力と観察眼、その双方がなければ成立しない荒業だ。

 

 

「だーっが! 躱すだけじゃ意味ないことくらい、分かってるだろ!!」

 

 ダッ!! と、神祓が急襲を繰り返す。

 上条は先ほどと同じように回避するが──今度の上条の回避は、先ほどとは異なっていた。

 まるで反復横跳びをするように、回避した方とは反対の脚を軸足にして、攻撃直後の神祓に突貫したのである。

 

 

「んなっ!?」

 

「俺が……気付いていないとでも思ったか!!」

 

 

 ゴッ!! と、上条のタックルが、神祓の腹に突き刺さる。

 軽い体躯はその一撃で宙を舞い、そして執務机のすぐ傍に軟着陸した。

 

 

「な、んで……ごはっ!」

 

「考えてみりゃ、最初からおかしかったんだ」

 

 

 倒れ伏した神祓に歩み寄りながら、上条は言う。

 

 

「そもそもなんで俺は立っていられるんだ? 確かに聖人レベルには及ばないかもしれない。それでも、お前の膂力はただの高校生が太刀打ちできるようなモンじゃなかった。間髪入れずに攻撃を続けていれば、今頃俺はじり貧だっただろ。今の攻撃だって、簡単にガードされてた」

 

 

 でも、と上条は続けて、

 

 

「そうはならなかった。それはなぜか。…………それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………、」

 

「長続きしないって言い方は少し違うかもしれないけどな。……お前、身体強化の術式が苦手なんだろ。体内の水分を操って無理やり強化してるからか……お前の肉体強化は、破壊を伴ってしまう。最初にお前の眼から血が流れていたのはそのためだ」

 

 

 では、そんなリスクの塊でしかない術式を使ってここまで戦闘できるのはなぜか。

 答えは一つ──彼女が先ほどから纏っている、霧の聖女だ。

 

 

「その術式は、身体強化を完成させるような効果を持ったものじゃない。不完全な身体強化によって発生する肉体のダメージを癒すための安全装置だったんだ!!」

 

「…………だったら、どうした。それは俺の弱みを潰す情報でしかない! お前の勝機には繋がらない!!」

 

「その治療が完璧じゃなくて、その為に継続行動ができないとしてもか?」

 

 

 そう。

 破壊をいくら治療できるとしても、痛みが消えるわけではないのだ。むしろ、直される分、彼女は身体強化を続けている限り新鮮な痛みを常に受け続けることになるはず。

 そんな状態で継続行動なんてできるわけがない。いや、むしろ此処まで動けていることが、彼女の強靭な精神力を物語っているようなものだ。

 

 

「…………!!」

 

「だからお前は、行動のたびに一旦インターバルを入れる。こうやって俺が長話できるのも、そのインターバルがあるお陰だ」

 

「……ハッ! 馬鹿が、分かっているならもっと早くに決着をつけるべきだったな! もう、俺は十分動け、」

 

 

 ガクン、と。

 

 立ち上がろうとした神祓の身体が、崩れ落ちる。

 まるで糸が切れた人形のように、その場から動けなくなる。

 

 

「な、んだと……? 馬鹿な、罪深き香油の聖女(マリアマグダレーナ)の治療術式は生半可じゃない! この程度のダメージ、簡単に……!」

 

「まだ気づかないのか?」

 

 

 そう言って、上条は神祓を──というより、彼女が持っていた円盤を指さす。

 それにつられて見ると、神祓の円盤は、いつの間にか粉々に砕けていた。

 

 

「な……!?」

 

 

 先ほどのタックルの時。

 アレは、上条にしては不自然な攻撃だった。

 上条当麻という人間は、物事の決着には己の右拳を使う傾向にある。ようやく訪れたタイミングで拳以外の攻撃手段を選ぶということは、相応の理由があるとみるべきだったのだ。

 

 

「そういえば、お前の使う魔術はルーン魔術だったんだな。忘れてたよ」

 

 

 上条は思い出すように、

 

 

「俺の知り合いにも、ルーンの魔術師がいるんだ。そしてそいつの魔術は、触れただけじゃ俺にも殺せなかった。大元のルーンを破壊しない限り、ずっとエネルギーを供給し続けるからな」

 

 

 今回もそれと同じ。

 何度か上条が神祓を触っても魔術が解除されなかったのは、手元のルーンが生きていたから。

 それを破壊しない限り『消した傍から再生する』という魔女狩りの王(イノケンティウス)と同じ状況になっていただけだ。

 

 全ての手札は失われた。

 

 しかしそれでも、神祓は立ち上がった。

 おそらく円盤の上で水を走らせるのに使っていたであろう、手品レベルの小さな水を生み出す魔術を携えて。

 そんな無惨な有様になっても、なお諦めることなく。

 

 

「…………お前だって、本当は分かってるんだろ。これが最善の結末じゃないってことくらい」

 

 

 それを見て、上条は拳を握る。

 これまでで一番の力を、右拳に込める。

 

 

「でも、怖いんだろ。これ以上そいつを傷つけることが。自分のせいで傷つけてしまうことが」

 

「…………!! うるさい」

 

「そいつは許してくれると思うよ。だからきっと、本当の正解は、悲しむそいつを支えて、癒してやることなんだ。それが、一番磯焼の為にもなる」

 

「うるさい、うるさいうるさいうるさいっ!!!!」

 

「…………それでも、お前が自分の存在が磯焼の害になると思ってるんなら。覆水が、盆に返らないって思ってるんなら」

 

「うるせェェええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!!!!!!」

 

 

 水が、爆発的な増加を見せる。

 ただの手品レベルだったはずの破壊力が、一気に莫大な水の流れとなり、上条に襲い掛かる。──傍らにいる女性には、飛沫の一つもかけずに。

 

 その不器用さに、上条は少しだけ笑い──

 

 

「────まずはその幻想を、ぶち殺す!!!!」

 

 

 その右手を、ただ振るった。

 

 

   一一

 

「……結局、騒ぎのせいでオープンキャンパスには最後まで参加できなかったね」

 

「他の学生とか教員にバレないように逃げて脱出したしなー……。体中痛いし、はぁ、やっぱり結局不幸だ……」

 

 

 それから一時間後。

 上条とインデックスは、『水随方円学園』から脱出し、第七学区をうろちょろしていた。

 ルーン魔術を制御していた円盤が破壊されたことで磯焼の眠りもすぐに覚めた。

 そして上条の予想通り、磯焼はあっさりと神祓のことを許した。もとより神祓の懸念は加害妄想もいいところだったので当然だが。

 

 

「あの後のことは、びっくりしたけどね」

 

「ああ……まぁな」

 

 

 思い返すようにして、上条とインデックスは互いに苦笑する。

 というのも、目を覚ました磯焼は事の次第を上条から聞くなり、神祓に対して愛のビンタをするとか、言葉をかけるとか、そういう分かりやすいことはせず──ただ無言で唇を奪ったのだった。

 

 曰く、『最初からこうしておけばよかった』とのこと。

 

 なんというか……友情にしてはかなり行き過ぎてるな、と上条もなんとなく思っていたのだが、二人はお互いにそういう感情を持っていたということらしかった。

 なんとも居た堪れなくなった上条は、そのままさっさと立ち去ってしまったのだが……。

 

 

「…………」

 

 

 何故だか、それきりインデックスはこの調子なのだった。

 不機嫌……というわけでもないのだが、何か不満げなように、上条には見えた。だが、それが何を意味するのか上条には分からない。

 ただ、この機微を見逃すことは、何か不幸につながる。上条の直感がそう言っている気がする。

 

 なので。

 

 

「あー、アイスでも食う?」

 

「…………大ハズレ!!!!」

 

 

 見事に地雷を踏み倒したミスター鈍感こと上条は、そのまま暴食シスターのガブガブ攻撃を受けることになるのだった。

 

 でも大丈夫。

 意外と、覆水は盆に返るものだ。具体的には豪勢な夕食とかで。


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