「お兄ちゃんはね、体温がとーっても低くて、すぐ眠くなっちゃうみたいなの。だからお兄ちゃんが困ってたら、ツッくんが助けてあげてね」
むかし母にそう言われて、子供ながら真剣に「わかった」と頷いたことを覚えている。
しかし我が兄はなんとも逞しく、綱吉の助けなんていらないほど強かった。
いや、強いという表現はすこし違うかもしれない。
人とは違う体質に平気な顔をして、弱音ひとつ吐かない。その上いつも鼻歌を歌うように軽々と綱吉を助けてくれる。兄にできないことなんてないような、そんな気にさせるのが上手い人だった。
お兄ちゃんを守るぞ!なんて幼い決意とは裏腹に、自分はいつも――現在に至るまで、ずっと助けられてばかりだ。
『……ごめん、ツッくんももう中学生だもんね。もうちょっと……頑張って、見守ってみる』
『そ、そうじゃなくて! ……いや、いい』
綱吉は数日前の会話を思い出し、布団に包まったまま嘆息した。
もう太陽は高く昇っているが起きる気力が湧かない。
昨晩遅くまでゲームをしすぎたのと、兄のことで悩んでいるせいだ。
別にマフィアになりたい訳じゃない。というか絶対なりたくない。戦闘力という意味での強さがほしい訳でもない。
(でも、兄さんに助けられなくて済む程度には強くなりたい……。見守られるんじゃなくて、隣に立てるようになれたら――)
なんて、そんなことを言えるほどの能力がないことは自分が一番分かっている。
寝返りを打ってぎゅっと目をつむった。
――小学生のころ、学校に行きたくない、と駄々を捏ねたことがある。
それは登校中のことで、一緒に歩いていた兄は首を傾げたあと、綱吉に理由を聞くこともなく「じゃあサボっちゃおうか」と悪戯っぽく笑った。
そしてどこかへ行ったと思ったら、お小遣いで買ったジュースとおやつを掲げて戻ってきたのだ。
公園の遊具の中でこっそりと開かれたパーティーはドキドキして、すごく楽しかった。
もちろん母と教師には後でたっぷりと怒られたが、兄は平然と「ごめんなさい! でもたのしかった~!」と笑っていた。
その頃にはもう兄の身長を追い越していたけれど、綱吉を庇うように前へ出た小さな背中は頼もしく、かっこよくて。
……だからずっと、何度もオレなんてと逃げながら、同時に彼の背中へ手を伸ばしているのだ。
空中で兄を受け止めたとき、やっとすこし届いたと思ったのに、兄は笑っていた。助けなんていらなかったのかもと感じたほど余裕な様子だった。
嫉妬しているのではない。ただ悔しいだけだ。悔しいだけ、なのだが。
(なんでオレはこんなにモヤモヤしてんだよー!!)
くうう、と布団の中で頭を抱える。
「ツッくーん、ツナー? もうお昼よ、起きなさーい!」
階下から母の声が聞こえ、しばらくして玄関の扉が開く音がした。買い物に行ったのかもしれない。
腹の虫が情けなく鳴る。ずっと引きこもっていたい気分だったが、空腹には勝てない。
綱吉は渋々、毛布を押しのけて起き上がった。
眠い目を擦りながら階段を降りる。
リビングの扉を開けると、いつもの面子がコタツに入っていた。リボーンとランボ、イーピンが天板の上に本を広げ、家継は突っ伏して溶けている。
こちらに気づいた兄が頬を天板にくっつけたまま「あ~おはよ~~」と普段の2倍くらい間延びした声を上げた。冬の時期はいつも眠そうだ。
「ツナ~、起きるの遅いぞ! ランボさんのほうが早起きだもんね!」
「いーだろ、休みの日くらい寝かせてくれよ」
「〇□□! △×~」
騒がしいランボと、相変わらず中国語で挨拶しながら手を振ってきたイーピン。いつも通りの光景……だったのだが。
「△×、お、は、よー」
兄がぐったりと溶けたまま、イーピンに向けて聞き慣れない言葉を話した。
(――え!?)
聞き逃しかけ、二度見する。
イーピンがハッとした表情になり、家継を見上げて「お、は、よー?」と繰り返す。家継は「はおあ~~」とまたよく分からない言葉を使って、にっこり笑った。
「に、兄さん、それ……もしかして中国語? なんで!?」
「イーピンって基本的に中国語でしょ? 伝わらないと困ることもあるかなと思って、せんせーにおすすめの教科書もらったんだ~」
ほら、と兄が天板に広げられていた本をつまむ。
表紙には『ミジンコでも分かる中国語』と書いてあった。どこから出版されているんだ。
大きな指示棒を持ったリボーンが「ツナもやるか? オレのスパルタ講義を受ければ1週間でペラペラだぞ」と無茶ぶりしてきたので慌てて首を振る。
「む、ムリムリ! 英語すら覚えられないってのに!」
「それもそーだな」
「うっ……肯定されるとそれはそれで腹立つ」
「だが、いずれイタリア語は覚えてもらうぞ。ボンゴレの本部はイタリアにあるからな」
「だからマフィアにはならねーって言ってるだろ!」
リボーンは「ちぇ」と唇を尖らせたが全然かわいくない。
いつの間にか寝ていた家継が指示棒で頭を叩かれているのを尻目に、綱吉はダイニングテーブルのほうへと向かった。
椅子に腰かけて、オムライスを包んでいるラップを剝がしながら肩を落とす。
(そういやあの人、頭も良かったんだった……)
家では寝ているか、綱吉の遊びに付き合うか、家事の手伝いをしているところしか見たことがない。なのにテストは毎回ほぼ満点を取ってくるのだ。
同じ両親から生まれているはずなのに、いったい何が違うというのだろう。優秀さを全部兄に吸われた気がする。
(兄さんに弱点とか、ないのかな)
弱いところがあってほしい……と思うのは申し訳ないというか、自分が情けないが、何か弱点がないと納得いかない。しかしどれだけ考えても、寒さに弱いという体質由来のものしか思いつかなかった。
綱吉はオムライスをつつきながら溜息を吐いた。
▽▽▽
あれからしばらく経った日のこと。
住宅街の真ん中で、綱吉は目を輝かせた茶髪の少年に手を握られていた。
「すごいよツナ兄! 僕のランキングをくつがえすなんて初めてだ!」
突然現れた謎の少年、ランキングフゥ太。
匿ってくれと頼んできたその子は、作るランキングの的中率が100%という能力を持っている情報屋だった。そのせいでマフィアに追われていたのだ。
ピンチになり死ぬ気モードでマフィアを撃退したところ、なぜか懐かれてしまった――というのが今の状況である。
「僕、もっとツナ兄のそばで感動したい! こっちにいてもいい?」
「ええーっ!?」
「ツナ兄~っ」
子犬のような目で見てくるのはやめてほしい。
頼まれたら断れないランキング1位と言われただけあり、綱吉はうっと言葉に詰まった。
ここで突き放したら、フゥ太はまたマフィアに狙われるかもしれない。
家にはランボやイーピン、ビアンキなどの居候が既にいる。正直ひとりくらい増えても変わらないだろう。
それにフゥ太は綱吉を頼るため、イタリアからはるばる並盛町まで来るほど行動力があるのだ。
断っても無駄な気がした綱吉は、肩を落としながら「ま……まあ、好きにしろよ……」と弱々しく言った。
「やったー! ありがとうツナ兄!」
嬉しそうに飛び跳ねるフゥ太に苦笑する。また家の中が騒がしくなりそうだ。
ふたりで綱吉の部屋まで戻ると、いつの間にか帰宅していたリボーンが窓の近くでくつろいでいた。
床に座ったフゥ太がほっとしたように息を吐く。
「それにしても、さっきはヒヤヒヤしたよ」
「安心するのはまだはえーぞ」
外を眺めていたリボーンの言葉に、綱吉とフゥ太はえっ、と顔を見合わせる。
「残党が来てるな」
「うそーー!?」
「ど、どーしよーツナ兄! 助けて!」
慌てて窓のそばへ行くと、先ほど倒した奴らに似た男たちが5人ほど家の周りをうろうろしている。まだ残っていたのか。
「増えてるー!? む、ムリムリ……!」
「マフィアはひとり倒したら100人来ると思え」
「黒いアイツじゃねーんだから! リボーン、なんとかしてよ!」
また死ぬ気モードになって戦うのは嫌だ。
縋るようにリボーンを見ると、彼は「おっ」と楽しそうに口の端を上げた。
「ツナ、おもしれーモンが見れるぞ」
「はぁ!? なにが……って兄さん!?」
間違いない。怪しい5人組に声を掛けている小さな影は家継だ。家に帰ってきたらしい。すると先ほどまで焦っていたフゥ太が、急に「えっ、ツグ兄が来てるの? じゃあ大丈夫だね」と落ち着いた。
「なに言ってるんだよ!? 兄さんが危ないって!」
「うるせーぞ、黙って見てろ」
なぜか平然としているリボーンとフゥ太にハラハラしながら窓の外を見る。兄は黒服に囲まれていてもいつも通りで、穏やかに微笑んでいた。
しかし男のひとりが銃を取り出し、綱吉は「あっ!」と声を上げた。なんでもできる兄とはいえ、流石にまずい状況なのではないか?
自分に何ができるかは分からない。けれど、窓を開けて「逃げて」と叫び、注意を逸らすことならできるかもしれない。
葛藤しながら窓枠に手をかけたときだった。
それは一瞬のうちに始まり、終わった。
あまりにも短すぎて何が起こったのか理解できない。
ただ家継が素早く白い何かを振り回し、マフィアたちが全員倒れ、兄の手に銃が渡っていたのである。
「は……え?」
よく見ると兄が振り回していたのは商店街の景品だった。明らかに武器だろうとは思っていたが本当に武器だ。いや、そうじゃない。
そうではなく、重要なのは、兄が一瞬でマフィアを倒してしまったということで。
家継は見たこともないような冷たい表情のまま、慣れた手つきで銃からマガジンを抜き、カチャカチャと弄って弾を落としている。そして携帯を取り出し、どこかへ連絡を取り始めた。
「う、嘘だろ……」
リボーンが「頭を下げろ」と言いながら、呆然とする綱吉を蹴った。
「な、なにすんだよリボーン!」
「戦えることを弟に言うなってツグに言われてんだ。もう窓から顔出すなよ。バレたらどうなるか分かってんだろーな」
「おまえが見ろって言ったんだろ!? つーか言うなって止められてんのになんで見せたんだよ!」
「だってそっちのほうが面白いもん」
「最低だー!!」
秘密にしたいことは絶対リボーンに言わないようにしよう、といま決めた。
言い争っている隣で、フゥ太がしゃがみながら嬉しそうに笑う。
「やっぱりツグ兄は強いなあ! さすが、並盛中喧嘩の強さランキングで雲雀恭弥さんと同率1位!」
「え――えええ!? ヒバリさんと!? 同率1位!?」
「うるせえ」
リボーンの蹴りが頭にヒットし、悲鳴を上げて床に転がる。
脳裏に笑顔でピースする兄の顔が浮かんだ。あれが、恐ろしい風紀委員長と――喧嘩の強さが、同率。
なぜ兄が、あの雲雀と友人なのかずっと疑問だった。カツアゲされているのではないかと密かに心配までしていたのだ。
しかし家継に戦闘力まで備わっているとなれば話が変わってくる。あのふたりは本当に友人だったのだ。
さらに兄の背中が遠くなった気がする。
東京タワーくらい遠いと思っていたら月まで遠かったレベルの衝撃だ。綱吉は床に転がったまま呆然と呟いた。
「に、兄さんに届こうとしたオレがバカだった……」
「え? ツナ兄はツグ兄みたいになりたいの?」
「いやいやいやムリムリ違う!」
両手を振り回しながら否定する。
兄は綱吉のことが大好きだ。だから傷つけまいと、自分の優秀さを無駄にひけらかすようなことはしなかったのだろう。
なぜ戦えることを隠していたのかは理解できるものの、それはそれとしてショックだ。
綱吉は震える声でフゥ太に尋ねた。
「に、兄さんのほかのランキングって、どんな感じ……? じゃ、弱点とかあったりしない……かな……」
「ツグ兄の弱点? うーんと……」
首を傾げたフゥ太はなぜかランキングブックを胸の前に立て、中身を隠すように覗き込みながら確認し始めた。
さっきまで床に置いていたのに、という小さな違和感は「あった!」という声にかき消される。
「あるの!?」
「ツグ兄の弱点ランキング、1位は家族が好きすぎることだね。2位は銃が怖いことで、3位はホラーが苦手!」
「めっちゃ普通ーー!!」
銃やホラーなんて誰でも怖いに決まっている。しかもなんだ1位は。確かに鬱陶しいくらい構ってくるが、家族が好きなことは弱点にならないだろう。
当たり前すぎる結果に膝から崩れ落ちた。
(や、やっぱりダメだー!!)
どう足掻いても兄には届かない。守りたいと思っていたのに――そう考えて、内心(あれ?)と首を傾げた。
……守りたい?
なぜ、昔思っていたことが浮かんできたのだろう。最近は守りたいなんておこがましくて、せめて隣に立てるようになれればとしか考えていなかったのに。
(そういや……ちっちゃい頃、すげー兄さんが泣いてたことあったな)
兄の弱点を探そうと躍起になっていたからだろうか。ふと思い出した記憶に、なんとなく懐かしい気持ちになる。
つられて綱吉も泣いたせいであまり記憶がないが……あのときの兄が一番、なにかに怯えていたような気がする。それで、守ってあげなくてはと思ったのだ。
(……なんで、泣いてたんだっけ)
その疑問は、フゥ太の慌てたような声でふっと消えてしまった。
「あっ、もしかしてツグ兄、自分のこと知られたくなかったのかな!? 僕、ランキング言っちゃった! 頼むよツナ兄、秘密にしてくれる? バレたらやばいよ~!」
「わ、分かった分かった、言わないから……」
あまりにも必死な表情に気圧されながら頷く。
綱吉も、面と向かって兄に問いただす気はない。
それが兄の思いやりであろうことは分かっていたし、なにより――訊ねることで兄との関係に変化が起きるかもしれないことが、怖かった。
▽▽▽
「よかったあ、ありがとう、ツナ兄!」
そう言って、フゥ太は満面の笑みを浮かべる。
やはり綱吉は優しい人だった。兄の新しい一面を知って未だにショックを受けている様子を見ながら、ランキングブックをぎゅっと抱きしめる。
言ってはいけないことと、良いことの区別ははっきりつけなければならない。
ランキング能力を得たそのときから、
この様子では、きっと『彼』はそのことを誰にも知られたくないと思っているはずだ。
ならば、誰にも言ってはいけない。
危ない橋を渡るつもりはなかった。けれど、フゥ太を助けてくれそうな人は綱吉しかいなくて、その兄が家継だったのだ。避けようがなかった。
家族愛に溢れた人物なら、おそらく危険はないだろうと踏んでここまで来たが――吉と出るか凶と出るか、まだ分からない。
(アルコバレーノの戦闘力ランキング、4位――ツグ兄、あなたは……)
7人のアルコバレーノ、その全員をフゥ太は知っている。
唯一知らないのは――幻と呼ばれる8人目。
雪のアルコバレーノ、ただひとりだ。
フゥ太としては、自分に危害が及ばないならなんだっていいのだ。
綱吉の身辺調査のために占っていたら偶然見てしまっただけで、何かをしてほしいとか、そんなことは考えたことがない。
ただ、マフィア界の誰も知らないような存在が、どうしてこんな場所で穏やかに『お兄ちゃん』として過ごしているのか。それにはすこしだけ興味があった。
(あなたは、何を考えているんだろう)