tgt.1 イタリアから来た刺客
ぽかぽかとした陽気に包まれて微睡む。
半分夢の中にいるような、なんとなく意識があるような――そんな心地良い感覚に身を任せていたとき、邪魔をするかのように声が降ってきた。
「――ぐ……ツグ、起きな」
「んん……?」
なぜか頬が痛い。すごく痛い。
強く引っ張られているような気が……と認識した瞬間、一気に目が覚める。
勢いよく開いた目に映ったのは、不機嫌そうな幼馴染の顔と地面に転がる生徒たちだった。
「立ったまま寝ないでくれる? 見回りの途中だよ」
あぁ、と間の抜けた声を出して、ひりひり痛む頬を手でさする。
うっかり眠っていたらしい。欠伸と一緒に「ごめーん」と謝りながら、家継は回らない頭で眠る直前のことを思い出そうとした。
確か、そうだ。見回りの最中にタバコを吸っている生徒たちを発見したのだ。
蜘蛛の子を散らすように逃げていく生徒を恭弥が追い、暇だった家継は待っているあいだに眠ってしまったのだろう。
家継の通う並盛中学校。
そこは『平々凡々、並がいい』という校歌を掲げているにもかかわらず、非凡の権化のような風紀委員長がすべてを支配している学校であった。
並中に入学する三ヶ月ほど前、恭弥が沢田家の窓から「君、風紀委員ね」と言って学ラン一式と風紀委員の腕章を押しつけてきたことは今でも覚えている。
よく分からないままそれらを身につけて入学式へ向かい、リーゼントたちに挟まれて注目を集めた苦い過去。こんな不良集団みたいな風紀委員会があってたまるか、と心の底から叫びたかった。
変な噂が広まると来年入学する弟に影響するので辞めようとしたのだが、この学校のヒエラルキーの頂点が風紀委員会であると知り、家継は即座に手のひらを返した。
権力こそパワーである。
風紀を乱す者をトンファーで咬み殺していく恭弥と、容赦なく蹴飛ばしていく家継のふたりは、史上最悪のコンビとして瞬く間に学校中から恐れられるようになった。
廊下を歩くだけで人が波のように割れていく現象に少々やりすぎでは?と気づいた頃には遅かった。
(本当に、なんでこんなことになったんだろ……)
家継は眠い目を擦り、颯爽と歩き始めた恭弥を追いかける。
見回りの最終地点である校門に近づいたとき、なにやら騒がしい音が聞こえた。トラブルでもあったのだろうか。
足を速めて向かい、そこにいた人物を見て家継は声を上げた。
「ツッくん!?」
「に、兄さん!!」
――弟がパンイチで校門前にいた場合、兄はどうすればいいのだろうか。
予想外の光景に口をぽかんと開けたまま固まる。
重力に逆らった栗色の髪に焦げ茶色の大きな瞳、母親譲りの童顔。どこからどう見ても弟の綱吉だ。
家継たちを見て慌てたように地面に散らばった服をかき集めている。
自分から脱ぐような子ではないし、不良に襲われた様子でもない。本当にどうしてパンイチなんだ。
訳が分からなかったが、とりあえず寒そうなので自分の学ランを差し出した。
「おれの、着る?」
「い、いや、服あるから大丈夫……」
「ねえ、服装が乱れてるんだけど。ツグの弟だからって見逃しはしないよ」
恭弥が淡々とそう言うと綱吉はひいっと小さく悲鳴を上げ、すっ飛んで逃げてしまった。乱れてるなんてレベルではないと思うが、彼にとっては同じことなのかもしれない。
「す、すみませんでしたーー!」
「あああツッくん! せめてズボン穿かないと風邪ひいちゃうよ~!」
学ランを握りしめたまま弟の後ろ姿を見送っていると「ちゃおっス」と背後から声がした。幼い声に何気なく振り向き――わずかに目を見開く。
赤ん坊だ。黒い帽子にカメレオンを乗せ、黒いスーツを着た赤ん坊がいる。
そこまでならまだいい。
問題は、その胸で大きく存在を主張している
(な――……なんで、おれと色違いのおしゃぶりを……!?)
動揺して急激に心拍数が上がる。しかし、この緊張を相手に悟らせてはいけないと慌てて体の力を抜いた。
困ったような笑みを浮かべて、なんでもないように首を傾げる。
「どうしたの? 迷子かな、お母さんかお父さんはどこにいるか分かる?」
「お前が沢田家継だな?」
「うん、そうだけど……」
「オレは家庭教師ヒットマンリボーン。はるばるイタリアから、ツナとお前を教育するために来たんだぞ」
赤ん坊とは思えない発言だったが、妙に納得させられたのは彼の持つ雰囲気のせいだろう。
恭弥や不審者、町中のヤクザなどと数え切れないほど戦ってきたから分かるのだ。
この赤ん坊は、強い。
加えて家継と同じおしゃぶりを持っているということは、特殊な能力がある可能性も高い。
殺した不審者たちの報復に来たのか、別の思惑があるのかは知らないが……ただの赤ん坊ではないことだけは分かる。
しかし相手の能力が分からない以上、迂闊に動くことはできなかった。恭弥も出方を決めかねているのだろう、家継たちの様子をただ眺めている。
「ツッくんとおれの……家庭教師?」
家庭教師とは、家庭に訪問して勉強を教えるアレのことで合っているだろうか。
警戒すべきなのだが、あまりにも妙な設定のせいでいまいち警戒しきれない。ヒットマンと並べる単語では絶対ないと思う。
「そうだぞ。詳しいことはお前が家に帰ってから説明するが、今日から住み込みで世話になるからな。先に挨拶しておこうと思ったんだ」
「住み込みって、それ、母さんは知ってるの?」
「ああ。『食事付きの住み込みなら二十四時間タダで教えます』っていう謳い文句が売りの、イケメンでチャーミングな家庭教師を呼んだのは他でもない奈々だからな」
インチキくさいにもほどがある。よくそんな怪しいものを呼んだなと一周回って感心したが、その天然っぷりが母のいいところなのだ。
なんだか力が抜けて「あー……そう……」と天を仰ぐ。
住み込みということは、すぐに事を構える気はなさそうだ。しかしこれからずっと謎の赤ん坊と一緒に暮らすかもしれないと考えると、常に気を張らなくてはいけないわけで、家継の能力も迂闊に出せないわけで。……面倒なことになった。
黙っていた恭弥が口を挟む。
「そろそろ授業が始まる。さっさと行くよ」
「あ、ほんとだ……まあおれは寝るんだけど。じゃ、せんせーまた後でね」
「ちゃおちゃお」
見た目だけなら天使のような自称家庭教師に手を振って、その場を後にする。
黙々と歩き、応接室へ入った直後。家継は半目で恭弥を見た。
「楽しそうだね……」
「とってもね。君は不機嫌そうだ」
鼻歌でも歌いそうな調子の彼に「とってもね……」と弱々しく返す。
恭弥が楽しそうなのは、赤ん坊の強さを感じ取ったからだろう。それにおしゃぶりの力も知っている。彼は三度の飯よりも戦いが好きなのだ、そりゃウキウキもするだろう。
家継はこれから赤ん坊と腹の探り合いをしなければいけないと考えるだけで胃が痛かった。もう帰りたい。いや、帰ると赤ん坊が待っているのか。
「帰りたくないよ~……一生ここに住む……」
めそめそ泣きごとを言いながらロッカーから毛布を取り出し、靴を脱いでソファに上がる。そして暖かい毛布にくるまり「でも母さんとツッくんが心配だから……学校終わったら起こして……」とモゴモゴ呟いた。
「知らないよ、自分で起きな。明日赤ん坊のこと教えてよ」
「赤ん坊なんか知らないよ~……」
こういうときは現実逃避するに限る。
外部の音をすべて追い出すように毛布を頭まで被り、家継はぎゅっと目をつむった。
そして三秒で寝た。
▽
「ただいまー……」
起きたら全部夢でした~なんて淡い期待は、帰宅して早々砕け散った。
綱吉の部屋から「ひええー!」と元気な悲鳴が聞こえてくる。本当に胃が痛い。
パタパタとスリッパの音がして母が顔を出す。
「いーくんおかえりなさい! ツッくんからリボーンくんのお話は聞いた?」
「校門でせんせーと会ったよ。今から詳しく話を聞いてくる」
「あら、そうなの。いーくんは体質のこともあるし、リボーンくんにやりやすい勉強方法とか教えてもらえるといいわね!」
「うん、家庭教師呼んでくれてありがとね~」
ひらひらと手を振って二階へ上がる。
顔は笑みを作っているが、足取りは重かった。なんならおしゃぶりの箱が入っているズボンのポケットも、地にめり込みそうなほど重く感じる。
急にオレたちの仲間を殺しやがってーと襲い掛かられたらどうしよう。襲われるのはいいが弟に悪行を知られたくない。
物心ついた頃からちょっと病弱で優しいお兄ちゃんとして接してきたのだ。コイツ人殺しでーすなんてバラされたらショック死してしまう。
最悪の事態を想像しつつ、けれど深呼吸をして普段通りの表情を浮かべてから部屋の扉をノックした。
「ツッくーん入るよー」
「待ってたぞ、ツグ」
扉を開けると、正座した綱吉とリボーンがこちらを見ていた。困惑した表情の弟に、分かるよその気持ち、と内心頷きながら隣へ座る。
「兄さん聞いてよ! こいつ赤ん坊のくせに家庭教師とか言ってるんだ!」
「おれも今朝ちょろっと話は聞いたよ。で、詳しい説明ってなあに、先生」
リボーンが不審者に関する話をしそうだったらいっそのこと窓から蹴り出そうかな、とまで考えながら家継はのんびり尋ねた。
「単刀直入に言うが、オレがここへ来た理由は、ツナをボンゴレファミリーっつーマフィアの十代目ボスにするためだ」
「…………」
「マフィアのボス!? ……え、オレが!?」
思わぬ爆弾を投げてきた。自己紹介の時点でヒットマンなんて単語が混ざっていたから、今更ではあるものの。
黙ったまま、というより言葉を失ったまま続きを聞く。
「ツナを立派なマフィアのボスに教育してくれ、という九代目ボスからの依頼でな」
そう言ってリボーンは紙を取り出した。家系図の書かれたそれと共に説明が進められる。
要するにボンゴレファミリーの初代ボスが引退して日本に渡り、初代の孫の孫の孫……と続いて家継と綱吉に繋がるらしい。
血を受け継ぐれっきとしたボス候補と聞いた瞬間、頭の中ですべてのピースが嵌まった。
(ああ――なるほど。家の周りにいた不審者って、マフィアだったんだ)
幼少期から周囲にいた不審者たち。こちらを害そうとする者は消していったが、様子を見るように近づいてこない者もいた。
彼らがそれぞれ、家継たちを狙う者とボンゴレ側の護衛だったとするなら辻褄が合う。ひっそりと守られていたのだろう。家継がかなり仕事を奪ってしまったが。
長年の謎がようやく解け、家継は本題とは別のところでいたく感動した。
(いや、感動してる場合かな!? おれマフィアめっちゃ殺してるってことじゃん……!)
余計にまずいかもしれない。背中に冷や汗が伝うなか、隣で綱吉がアレッと首を傾げた。
「ちょっと待てよ、血を受け継ぐっていうなら兄さんもだろ。十代目ボスは兄さんじゃないのか?」
「そういえば……そうだね?」
「ちゃんとツグも候補に入ってるぞ。ただ、ツグの体質だとボスには向かないだろうってことで補欠扱いだ」
「ほ、補欠かあ。なるほど……」
家継の体質。
それは、おしゃぶりを受け取った日から、もうひとつ起きていた変化だった。
異様に体温が低くなったのだ。
平熱が三十二度ほどしかなく、それより下がることも多い。
いくら体温を上げる薬を飲んでも、暖かい部屋で服を着込んでも変わらなかった。普通であれば体に異常が出るうえ、凍死の危険もある。
しかし、家継に健康上の異常はほぼなかった。
発育が遅く十四歳の時点で身長が百五十二センチしかないという弊害と、低体温由来の眠気に悩まされてはいるものの、それ以外はまったくの健康体という医者も匙を投げる特異体質だった。
健康状態が悪くないなら良いじゃないか……と言いたいところなのだが、低体温由来の眠気というのが非常にまずい。
何をしていても、日中ずっと微睡むような眠気がついてくるのだ。今朝のように立ったまま寝てしまうこともしばしばあり、日常生活に大きな支障が出ていた。
その厄介な体質についてもボンゴレファミリーとやらに把握されていたらしい。確かにマフィアのボスには向いていない症状だ。綱吉も苦い顔で「ああ……」と頷く。
「ま、補欠と言っても将来ツナの補佐になるかもしれねーんだ。遠慮なくツグも教育してやるぞ」
「丁重に、お断りしたいかな……」
「見捨てないでよ!? オレこんな訳分かんないのとふたりっきりはイヤだって!」
うわあああと泣きついてくる弟の頭を撫でながら考える。
リボーンの話に違和感はなかった。おそらく、ボンゴレの跡継ぎや家庭教師の話は本当のことなのだろう。家継に対して敵意も一切感じられないし、悪行がバレた訳でもなさそうだ。
綱吉たちに危害を加えない、ということなら安心である。
ただ、刺客を葬っていたことを弟にバラされたくないので、おしゃぶりのことは一生黙っていようと心に決めた。
おしゃぶりの謎について気になりはするが、それよりも弟からの信頼のほうが大事だ。永遠に立派なお兄ちゃんでいたい。
家継が考え込んでいるあいだにパジャマへ着替え、ナイトキャップまで被ったリボーンはいそいそと綱吉のベッドへ潜り込んだ。
「ああっ、オレのベッドで勝手に寝るな!」
「んじゃ寝るな。オレの眠りをさまたげると死ぬぞ。気をつけろよ」
「!?」
いつの間にか、ベッドの周囲に手榴弾のトラップが張り巡らされている。
思わず頬が引きつった。どうやらとんでもない人物と暮らす羽目になったらしい。
ゆっくりとこちらを見た綱吉に、視線を合わせて頷いた。
「今日は、おれの部屋で寝よっか……」
「うん……」