青年が体勢を立て直し、余裕のある笑みを浮かべる。
「クフフ……先ほどまでの弱々しい態度は演技だったということですか。それで本気を出したつもりなら、無駄ですよ」
彼が持っている槍の先端には見覚えがあった。
フゥ太が持っていた剣と同じ形だ。剣だと思っていたものは槍先だったらしい。
相手を観察しながら静かに答える。
「あいにく、本気は出せないんだ。君を殺さず捕まえなくちゃいけないからね」
マフィア関係者とはいえ、彼は黒曜中に通っている生徒であり並中生襲撃事件の主犯だ。存在が世に知れ渡っている以上、ここで殺してしまうと面倒なことになる。
「ほう? その余裕がどこまで続くか見ものですねぇ」
言うなり、青年の右目から藍色の炎が噴き出す。
気づいたときには槍が目前に迫っていた。
咄嗟に三節棍で受け止める。矢継ぎ早に繰り出される攻撃を弾き、隙を見て一撃を返す。
コロネロの打撃より重くはない——が、とにかく速い。
数々の死線をくぐり抜けて来たのであろう殺気が襲いかかり、三節棍を握る手に力を込める。
すこしでも油断すればこっちがやられそうだ。
武器がぶつかり合い、金属音が部屋に響く。
互いに決定打を与えられないまま応酬を繰り返していると、ふいに青年が大きく後退して距離を取った。
「ただの一般生徒かと思いましたが……その戦闘能力に風紀の腕章。もしや、君が沢田家継くんですか?」
「よく喋るね。きみに名乗る名前はないよ」
一気に間合いを詰めて三節棍を振り下ろす。しかし三叉の槍に阻まれた。
名前を知られていることには大して驚かなかった。どうせ、喧嘩の強さランキングとやらに書いてあったのだろう。
「クハハ! 殺気も気迫も、微塵も感じられない。それなのにこの僕と渡り合うとは……せっかく、はるばる海を越えて君に会いに来たんです。もっと話しましょうよ」
「話すことなんて何も……っ!?」
彼が槍でカンッと床を叩く。
その瞬間、床全体に亀裂が走ってバラバラに砕けた。
「なっ――!」
足元が崩れて宙に投げ出される。視界の端で、フゥ太と恭弥の体まで落ちていくのが見えた。
「フゥ太、恭弥!」
点在する瓦礫を蹴ってふたりの元へ飛ぶ。意識のない体を両脇に抱え、広めの足場に着地した。
(どうなってるんだ、これ……!)
家継たちはなおも落ち続けている。いい加減2階に叩きつけられてもおかしくないのに、下には真っ暗な奈落が口を開けていた。
(マインドコントロールとか言ってたし、超能力でも持ってんの!?)
「クフフ、気になりますか?」
背後から声が聞こえ、咄嗟に別の足場へ飛び移る。しかし避けきれず、槍の切っ先が足を掠めた。
振り返って青年を睨む。
「これは、なに?」
「幻覚ですよ。君は最初から、落ちてなんかいないんです。ほら」
その瞬間、周囲の瓦礫が霧のように掻き消え、元いた空間へと景色が戻った。
浮遊感が途切れた途端、両腕に抱えていたふたりの重みがどっとのしかかる。家継はよろめきそうになるのを踏ん張って堪えた。
「六道輪廻、という言葉をご存じですか?」
「……知らない」
「人は死ぬと生まれ変わり、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天界道のいずれかへ行く、というものです」
「宗教なら、お断りなんだけど」
「まだ軽口を叩く余裕が残っているとは、愉快な人だ」
真剣に言ったのだが。
宗教の勧誘ではないらしい。確かに、こんな戦闘中にするものでもないか。
青年は口元に笑みを浮かべたまま手を広げた。
「僕の体には、六道すべての冥界を廻った記憶が刻まれていましてね。6つの冥界から6つの戦闘能力を授かった。この幻覚は第一の道、地獄道で身につけた、永遠の悪夢により精神を破壊する能力によるものです」
「……」
正直理解しがたいが、赤ん坊が銃をぶっ放したり、人を凍らせる炎なんかが存在するのだ。六道輪廻とやらも存在していたっておかしくはない。
しかし、彼の言葉が本当だとしたら――厄介だ。
青年の能力、そのすべてが綱吉に向けられる可能性を考えたら、ここで殺しておくのが一番安全だ。
しかし……家継が彼と接触したということはリボーンたちの耳にいずれ入る。そんな中、不自然に彼の存在が消えたら怪しいことこの上ない。
(それに、殺すんじゃなくて、捕まえなきゃ。戦い方を変えるって決めたんだから)
今後出会うマフィアたちもこんな化け物揃いなのだとしたら、いま練習しておかなくてはいけない。
抱えていたフゥ太と恭弥を床に降ろし、ゆっくりと立ち上がる。
「どんな能力を持っていようと、おれのやることは変わらないよ。きみを倒す、それだけだ」
「クフフ……もう、どうにもできませんよ。君は傷をつけられましたから」
先ほど、足を引っ掻かれたときのことを言っているのだろうか。
思い出したかのように足がぴりぴりと痛みを訴え始めたが、無視して「だからなに?」と眉をひそめる。
「僕はね、この槍で傷つけた相手を支配できるんです。つまり、君の体はもう僕のものだ、ボンゴレ」
「……は?」
他人を支配するなんて、ありえない。
だが、確かにフゥ太は操られているようだった。あれも槍で傷つけられた結果なのだとしたら――。
「クフフ、手始めにマインドコントロールからやってみましょうか?」
「待っ――」
「沢田家継、そこのふたりを殺しなさい」
一瞬、ぐにゃりと視界が歪んだような気がした。
全身を強張らせて身構える。
……しかし、それだけだった。なにも起こらない。
「……効いてない、みたいだけど?」
「……おや?」
青年が考え込むように目を細める。
何かしようとしたのか、また奇妙な感覚が走るものの、やはり勝手に体が動いたりするようなことはない。
家継は咄嗟に駆け出し、三節棍を回して青年に叩きつけた。ギリギリで受け止めた彼が、わずかに動揺したように表情を歪ませる。
「君は随分と、特殊な体質のようだ。マインドコントロールが効かないということは……憑依もできない可能性がありますね」
「憑依? へえ、そんなに怖いことができるんだ。良かったよ、数分前に傷つけられた自分を殴り飛ばすところだった」
「僕は困りました。君は野放しにしておくには危険すぎる」
青年の声がふいに低くなる。
「惜しいですが、殺したほうが良さそうですね」
足元から熱気を感じ、嫌な予感がした家継は勢いよく飛びのいた。
間一髪で床からマグマの柱が噴き上がる。
着地する場所に次々と灼熱の柱が立っていく。顔に吹きつける熱気も、飛び散る火の粉も本物のように熱い。避けるのが一瞬でも遅かったら焼け焦げていただろう。
目を離した隙に青年は別の場所へ移っていて、家継は苛立たしげに声を上げた。
「これも幻覚なの? 熱いから、やめてくれないかな!」
「ええ、幻覚です。目を閉じたって無駄ですよ。一度本物だと認識してしまえば、もう逃れることはできません」
ちょうど目を閉じようとしていた家継は、むっと口をへの字に曲げた。これではまともに近づくことすら難しい。
(……どうしよう。闇雲に突っ込んで勝てる相手じゃない)
的確に青年を無力化するためには、どうするべきか。
交戦を始めたときからずっと考えてはいたが、いい案が浮かばない。
マグマを突破する方法だけはすぐ思いついたものの、家継は実行を躊躇っていた。
――マグマに突っ込むときだけ、白い炎を全身にまとわせれば突破できるかもしれない。
箱からおしゃぶりを出していない状態では炎の威力が弱まるとはいえ、そのくらいならいける気がする。
しかし、彼に炎を出しているところを見られた場合のリスクが未知数だ。こんなところで出してしまっていいのだろうか。
(でも、早くふたりを病院に連れていかないといけないし、ツッくんの安全のためにも確実に仕留めなきゃ……)
もっと良い案はないだろうか。それともやってしまうか。
考えろ、考えなければ、早く。
焦りばかりが募るなか、青年が顎に手を添えて「おや?」と呟いた。
「新たなお客様が来たようですね」
その視線は壁を越え、どこか遠くへ向けられている。まさか黒曜ランドに新たな侵入者が来たというのだろうか。
どうして分かるのか、なんてことも考えている余裕がない。ここへ来たのが誰にしろ、目撃者が増えれば増えるほど炎を使いづらくなる。
(あああでも、これでおれが雪のアルコバレーノだってバレたらどうしよう……!)
「随分と大所帯ですねぇ。『兄さん』……『10代目』?」
その単語を聞いた瞬間、家継は考える間もなく駆け出していた。
目を軽く開いた彼が床を叩き、隠すようにマグマの柱が立ち塞がる。
走るスピードを落とすことなく腕を前に構え、全身を包み込むように白い炎を放出する。そしてマグマに勢いよく飛び込んだ。
「なに――!?」
体は燃えることなく柱を突っ切り、反対側へ出た。
すぐさま炎を引っ込めながら、驚愕に目を見開いた青年の腹へ渾身の蹴りを叩き込む。彼の体が吹き飛び、壁へ激突した。
立ち上がる前に気絶させようと駆け寄ったが、姿がふっと掻き消えて見失う。無意識に舌打ちが零れた。
ここに、綱吉たちが来ている。それはまずい。あの子たちがここへ来る前に始末をつけなければいけない。
さっきの蹴りで骨は何本か折ったが、それで降参してくれるような人間ではないだろう。
どこかから声が響く。
「クフフ……君は嘘を吐くのが上手ですねぇ。か弱い生徒の姿も嘘なら――10代目というのも嘘」
「姿を隠すのは卑怯じゃない!? さっさと出てきなよ!」
そう語気を強めると「ここですよ」と後ろから声がした。
駆け寄ろうとした途端、またマグマの柱が何本も噴き出てくる。
「それ、もういいから……さっさと倒されて、」
もう炎が見られたらなんて言っている場合ではない。躊躇いなく白い炎をまとい、マグマの中を突っ切る。
視界が開けた瞬間、気配を頼りに三節棍を振りかぶった。
「くれないかな――」
「――兄さん」
目を見開く。
振り下ろそうとしていた先にいたのは、青年ではない。
不安げな表情でこちらを見つめる綱吉だった。
「な……っ」
絶句し、反射的に手を引っ込める。
どんっ、と胸に衝撃が走った。視線を落とす。
綱吉が三叉の槍を握りしめ、家継の胸に突き立てている。
(さい、あく……)
幻覚だ。
分かっている。
分かっているのに、突き飛ばせない。
息を吸うと肺に激痛が走り、喉から勝手に血があふれ出た。目の前がどんどん暗くなる。
綱吉であって綱吉でない者の声が、耳元で響いた。
「クフフ……君には、交渉材料になってもらいましょう」
「ツ……」
ツッくん、来ちゃダメだ。
そう言おうとした家継の意識は、急速に遠ざかっていった。
▽
「――兄さんッ!!」
弟の、聞いたこともないような叫び声が耳を貫く。
また自分は眠ってしまっていたのだろうか。
(どうしたの、何かあったの)
そう声を掛けようと、息を吸って「ごふっ、げほっ」となにかを吐いた。
口の中が鉄臭い。血だ。なぜ血を吐いている?
重たい瞼を無理やりこじ開ける。ぼんやりとした視界に、薄暗い部屋が映った。
部屋の中心に綱吉とリボーンが、そして彼らの足元にフゥ太とビアンキが倒れている。
――そうだ。
家継は並中生襲撃事件の犯人と戦い、負けたのだ。
(しくじった……)
「目が覚めましたか?」
憎たらしい声がして、視線だけを右に動かす。
どうやら家継はソファに座らされているらしい。隣に座っていた青年が、目を細めて笑いかけてきた。
「動かないほうがいいですよ。心臓は避けてあげましたが、すこしでも動かせば触れる位置にある。――僕がこの槍を引き抜けば、君は死にます」
言われなくても、微塵も動けそうにない。血を減らしすぎたせいか手足の先端の感覚もないのだ。
「血、血が、どうしよう、リボーン……!」
「……やべーな」
真っ青な顔で狼狽える綱吉に、リボーンも険しい表情をしている。
大丈夫だよ、と言おうとしたが、また血が込み上げてきたのでごくりと飲み込んだ。
「正直、君のお兄さんには手を焼かされましてね。もう無駄な戦闘は避けたいんです」
「何をするつもりだ、六道骸」
リボーンの言葉で、ようやく青年の名前を知る。
名は体を表すというが、表しすぎではないだろうか。いや、そんなことを考えている場合ではない。
六道がふいに手を伸ばし、家継の胸に刺さっている槍を掴んだ。すこしの振動でも傷に響き、出そうになった呻き声を必死に嚙み殺す。
「や、やめろ!」
「クフフ……それは君次第です、ボンゴレ。君が大人しく、足元に落ちている槍で自分に傷をつけてくれるならお兄さんは無事に返します。ですが……嫌だというなら、これを引き抜きます。心臓が傷つかなくても、出血多量ですぐに死ぬでしょうね」
「そんな……!」
穏やかに告げられたその言葉で、状況を正しく理解した。
家継は人質にされているのだ。
六道は綱吉の体を支配しようとしている。家継にはなぜか効かなかったようだが、綱吉もそうだとは限らないのだ。絶対に傷つけさせてはいけない。
だというのに、家継を人質に取られたせいで、綱吉は槍を手に取ろうとしている。
(おれが完全に足を引っ張ってる状態だ――それなら)
さっさと戦線離脱したほうがいい。
交渉の駒として使えなくすればいいのだ。
リボーンが傍についているなら、きっと綱吉は勝てるだろう。
(大丈夫……どんな怪我を負っても、おれなら絶対に死ぬことはない)
口元に笑みを浮かべながら、感覚のない手を無理やりポケットに突っ込む。
「おや、抵抗するつもりですか?」
「……いや……」
「に、兄さん! 動かないで! 分かったから、ちょっと傷つければいいだけだろ!?」
「だめ、だよ……」
ひょっとしたら、これで家継が雪のアルコバレーノであることがバレるかもしれないが……弟の無事より重要なものはない。
泣きながら槍に手を伸ばす綱吉を諫めるように、両腕に力を込めた。
――リリリリリリ!
突如、耳をつんざくような音が響きわたる。
「なんの音ですか……ッ!?」
ポケットから取り出した防犯ブザーを、六道の背後に向かって投げつけた。
盛大な音を鳴らし続ける塊を避けようと、彼が反射的に手を離す。
瞬間、家継は自分で躊躇いなく槍を引き抜いた。くるりと矛先を変え、全身の体重をかけて六道の肩に突き刺す。
「ぐッ……貴様、この!!」
苦痛に顔を歪めた六道が、家継をソファから蹴り落とした。
床に叩きつけられ、耐えきれずに血を吐く。
「うぐっ――げほっ、うえ……っ」
「兄さん!! なんで、自分で……!!」
「しっかりしろ、バカツグ」
綱吉とリボーンが駆け寄ってくる音がする。
できるかぎり傷を見せないよう、うつ伏せに転がるものの、体の下に血が広がっていくのは止められない。
六道が苦しげに息をしながらも笑った。
「最後の最後まで、油断ならない男だ……! やはり殺しておくべきでしたね。いや、もう死にますか」
「兄さん、兄さん、しっかりしてよ!」
「だい……じょう、ぶ」
綱吉が震える手を伸ばしてくる。ここに来るまでにも戦ってきたのだろうか。手がボロボロだ。
家継が掴んだせいで、さらに血が付いてしまった。
謝るように指でとんとん叩いて、霞む視界のなか微笑む。
「おれは、しなないから……がんばって、たたかって……」
家継という足枷は外した。六道も、あの怪我なら右腕は使えなくなっただろう。
不覚を取ったが、最低限出来ることはした。あとは綱吉に任せるしかない。
「大丈夫なわけないだろ!? 待って、待ってよ!!」
綱吉の声が遠ざかる。
そんなに心配しなくてもいいのだ。自分に構わず、戦ってほしい。
家継はきっと、あの時のように――。
全身が寒い。
意識を失う寸前、遠い昔のことを思い出した。