雪は溶けない   作:箱葉

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tgt.22 ひみつのはなし

 

 

 ――頭が痛い。

 

 家継は幼稚園の片隅で、拳を握りしめて痛みに堪えながら座っていた。

 いつもは幼稚園に来たらすぐ寝ているけれど、今日はなぜか朝から落ち着かなくて眠れないのだ。そのせいで、遊んでいる子供たちの声が頭にガンガン響く。

 

「つぐくん、いっしょにあーそーぼ!」

 

 頭上から声がする。

 答える気になれなくて無視すると、どんどん女の子たちが集まってきたうえに喧嘩を始めた。

 

「つぐくんはねむいんだから、じゃましちゃダメ!」

「きょーは起きてるじゃん!」

「わたしと遊ぶの! ね、おままごとしよ!」

 

 無言のまま、膝に顔をうずめる。

 

(うるさい……ねむい……)

 

 家継は幼稚園が苦手だった。

 寝ていると先生に時々起こされるし、起きていたら起きていたで女の子に声を掛けられる。何度か一緒に遊んでみたけれど、途中で寝たら怒られるのが嫌で遊ばなくなった。

 

 家でお昼寝するか、綱吉と遊ぶほうがずっと楽しい。弟なら、家継が寝てしまったとき隣で一緒に寝てくれるし。

 

「つぐくんは誰と遊ぶの? わたしだよね?」

「ぜーーったいわたし!」

 

 普段ならもっと優しく断るけれど、具合が悪くてイライラしていた家継は強めに「だれとも遊ばない。あっちいって」と口を滑らせてしまった。

 あ、と気づいたときにはもう遅く、数人が泣き始める。

 泣きたいのはこっちのほうだ。

 

 先生が近寄ってきた。

 悪いことをしたつもりはない。でも泣かせてしまったから、怒られるかもしれない。

 

 じっと床を見つめながらそう考えていると、何もかも嫌になってきた。

 

(かえりたい)

 

 帰ったら誰にも邪魔されず、好きなだけ眠れるのではないだろうか。

 そう思った家継は、先生の注意が女の子たちに向いている隙に幼稚園から脱走した。

 

 家までの道は分かっているから、頑張って歩けばなんとかなるはずだ。頭の中は『寝たい』という気持ちでいっぱいだった。

 何度もあくびをしながら、住宅街をふらふら歩く。

 早く家に帰らなければいけない。

 

 もっと早く。

 

 早く、

 

 早く!

 

 ――ここから逃げなければいけない。

 

 なぜか、突然そう思った。

 とっさに駆け出そうと足に力を込めたとき、急ブレーキの音がした。

 強い風が吹いて、庇うように上げた腕を誰かに掴まれる。

 

 すべてがスローモーションのようだった。

 

 目の前に黒い車が止まっている。

 開いた扉の向こうで、黒いスーツの男と目が合う。

 彼の手が、自分の腕を掴んでいる。

 

「――え」

 

 瞬間、強い力で引きずり込まれた。

 驚いて硬直しているあいだに後頭部へ衝撃が走る。

 そして、家継は意識を失った。

 

 

 

 

 揺られている。気持ちが悪い。

 ゆっくりと意識が浮上して目を開ける。

 最初に見えたのは、ぶら下がった自分の手足と、草が生い茂る地面だった。それから黒いスーツの足がいくつか。

 

 車に乗っていた男の脇に抱えられて移動しているらしい。

 頭が逆さまだったから胃がムカムカしていたようだ。込み上げる吐き気に顔をしかめる。

 

 濃い植物と土の匂いがする。もしかして、ここは近所にある山だろうか。

 頭上で男たちがよく分からない言葉を話している。

 

(きっと、『ふしんしゃ』ってやつだ……)

 

 母や先生から、知らない人に声を掛けられたら逃げなさいと言われていたのに捕まってしまった。

 捕まったらどうなるんだろう。怖いことが起きるかもとは言われたけれど、何が起こるのかは教えてもらっていない。

 

 恐ろしくなって鼻がツンと痛んだ。

 声を出さないようにしたいのに、ひっく、ひっくと喉が震えて涙が出てくる。

 

「……――?」

「――――」

 

 突然、地面に放り投げられた。

 うっ、と呻きながら見上げる。黒いスーツを着た背の高い男たちが4人、家継を囲んでいた。誰もが冷たい目をしている。

 そのうちのひとりがしゃがんで、写真を鼻先に突きつけてきた。

 

「あ……!」

 

 家族の写真だ。両親と、家継と、綱吉が写っている。

 

「□□□? 〇〇□?」

 

 男が綱吉を指差しながら話しているが、何を言っているのかまったく分からない。

 しかし、絶対に楽しい内容ではないことは分かった。

 

「な、なに……ツッくんに、なにするの……」

 

 男たちは顔を見合わせ、首を横に振った。しゃがんでいた男が立ち上がり、写真をポケットにしまう。

 そして、同じところから黒いものを取り出した。

 

 ――銃だ。

 

 映画で見たことがあるから知っている。

 撃たれた人は、倒れて死んでしまうのだ。

 なぜ、それを家継に向けている?

 

「い……いやだ……」

 

 震える手足を動かして逃げようとしたのに、怖くて動けない。ただ目を見開いて、真っ暗な銃口を見つめることしかできなかった。

 

「おかあさん、」

 

 軽い音が2度、響いた。全身に衝撃が走る。

 体が跳ねて息が詰まった。撃たれたところが焼けるように熱い。

 叫ぼうとした喉から出てきたのは血の塊だった。

 

「げほっ、うえっ……!」

 

 急激に手足が冷えていく。遠のく意識のなか、男がこちらへ手を伸ばすのが見えた。

 

(いやだ、こないで)

 

 もう、怖いことは嫌だ。撃たれたくない。

 死んでしまう。

 

 ――死にたくない!

 

 ぎゅっと目をつむり、振り絞るように悲鳴を上げた。

 

「あっちいって!!!!」

 

 刹那、強い風が巻き起こった。

 刺すように冷たい空気が体を通り抜けていく。

 吸い込んだ空気までもが氷のようで、驚いた家継は目を開き――さらに驚いた。

 

 男の手が真っ白に凍っている。

 それだけではない。彼の全身も、周囲にいた男たちも、森の木々でさえ凍りついて静かに息を止めていた。

 辺り一面が真っ白だ。

 

 一瞬、体の痛みも忘れて呆然とする。

 けれどすぐ、目の前で固まっている手が怖くてぱしんと払いのけた。

 その途端、手だけでなく、男の全身が粉々に砕け散ってしまった。

 

「な……え……!?」

 

 何が起きているのか分からない。

 困惑しながらも逃げようと立ち上がったが、なぜか体はぐらりと横に倒れた。

 

(あれ? 歩こうとしたのに、なんで)

 

 ぽかんと口を開けた家継の目の前に、じわじわと血が広がってくる。

 

(……あ、おれの、血だ)

 

 理解したとき、すとんと意識が落ちた。

 

 

 

 

 もう一度目を覚ましたとき、状況はまったく変わっていなかった。

 視界は白いままで、地面に広がっていた血はいつの間にか凍りついている。

 

(生きてる……しんで、ない……)

 

 血がいっぱい出たら、死んでしまうと思ったのに。

 ゆっくり体を起こすと激痛が走り、じわりと涙が滲んだ。

 赤く染まった服をおそるおそる持ち上げる。胸と腹にふたつ、穴が開いているのが見えた。

 

「ひっ……う、う……」

 

 さっと服を下ろし、傷口を隠しながら嗚咽を漏らす。

 どうすればいいのだろう。こんな傷で帰ったら、母や弟がびっくりしてしまう。

 でも、何が起きたのか聞かれたら答えられる気がしない。家継にも分からないのだ。

 

 しばらくさめざめと泣いていたとき、ふとズボンのポケットが冷たいことに気がついた。ポケットにはずっと持っていた箱を入れている。

 取り出してみて驚いた。なんと、初めて箱の蓋が開いていたのだ。

 首を傾げながら覗き込む。中には真っ白なおしゃぶりが入っていた。

 

「きれ~……」

 

 そっとつまんで手のひらに乗せる。

 なぜか、これの使い方を知っているような気がした。

 力を込めたら炎が出ることも、炎を使って蓋を開け閉めできることも分かる。

 これは家継のものだ。つまり周囲を凍らせたのも家継の力なのだと、やっと気がついた。

 

 さっきから周囲の空気が白く揺れているように見えていたけれど、これは家継が無意識に炎を出し続けていたからだったらしい。

 ……これなら、傷口を凍らせて血を止めることもできるのではないだろうか。

 

 服をまくっておしゃぶりを近づけてみる。

 すると瞬く間に傷が凍りついていった。引きつるような痛みはあるものの、さっきよりは全然マシだ。

 

「や、やった!」

 

 これなら服で隠してさえいれば、バレることもないはずだ。

 

(……壊したら治ってたり、しないかな?)

 

 ちょんとつついてみると氷が砕け散り、また血が滲んできたので「うわあ!」と悲鳴を上げながらもう一度凍らせた。怪我を治してくれることはないらしい。

 

 傷口以外についた血を凍らせて払い、ゆっくりと立ち上がる。

 大丈夫だ。歩ける。

 震える拳を握りしめ、家継は男たちの元へ近づいた。

 ひとり、ふたり、拳を振り下ろして壊していく。

 あれだけ恐ろしかった男たちは、あっさりと粉々になって消えていった。

 

「やった……!」

 

 これでもう、二度と怖いことはできないだろう。

 達成感に頬を紅潮させながら、家継はおしゃぶりを見下ろした。まだ手が震えている。

 

 自分が恐ろしいことをしていることは、なんとなく分かっている。

 けれどそれよりも、怖い人間がいなくなったことと、綱吉が怖い目に遭わずに済んだことが、何よりも嬉しかった。

 

 強くおしゃぶりを握りしめ、目をつむる。

 炎を体の中に収めるようなイメージをすると、体内に冷たい空気が流れ込んでくる。

 

 目を開けると、周囲はなんの変哲もない山に戻っていた。

 静まり返っていた空間にさわさわと葉擦れの音が響く。

 男たちはいなくなり、血もすべて消えた。まるで何事もなかったかのようだ。

 

「かえら、なくちゃ」

 

 ぽつりと呟き、来た道を戻るように覚束ない足取りで歩き始める。

 血に染まって穴が開いた服だけはどうにもならなかったが、幸いなことに男たちが乗っていた車を見つけた。

 中にあったスーツを体に巻きつけ、車は凍らせて破壊する。

 そしてまた、よろよろと山を下り始めた。

 

 

 人目につかないよう移動し、家に着いたころには夕方になっていた。

 門の前へ来たところでようやく、黒いスーツで隠しているのも充分怪しいのではということに思い至る。

 

 ……庭の洗濯物を取るのはどうだろうか。

 ぐるりと回って庭に行ってみたけれど、洗濯物は残っていなかった。

 

「あ! おにーちゃん!」

 

 ふいに弟の小さな声が聞こえる。

 顔を向けると、窓越しに綱吉と目が合った。

 嬉しそうに表情を輝かせる弟に、慌てて「しー!」と指を口に当てる。窓の鍵を開けてもらい、家継は小声で尋ねた。

 

「おかあさんはどこ?」

「おにーちゃんを探しに行くって、おそと行っちゃった」

「よかった……!」

 

 きっと幼稚園から抜け出したことがバレたのだろう。

 母が帰ってくる前にと、慌てて靴を脱いで縁側から家の中に入った。

 

「その服なにー? かっこいい!」

「ひろったの、おかあさんにはひみつだよ。ちょっと待っててね」

 

 タンスへ向かい、新しい服を持ってトイレに駆け込む。

 急いで着替えたあと、スーツと汚れてしまった服は凍らせて砕いた。

 これで証拠は残らない。あとは体の傷を見られないようにすれば完璧なはずだ。

 

 深呼吸をして、トイレから出る。

 リビングに戻って綱吉の隣に座った途端、どっと疲れが襲いかかってきた。じっとしていると傷口が余計に痛むような気がしてくる。

 我慢して、できるだけ顔に出さないように唇を引き結んでいると、綱吉が不思議そうに首を傾げた。

 

「……おにーちゃん、いたいの? だいじょうぶ?」

 

 大丈夫。そう答えようとした。

 それなのに言葉が詰まって、勝手に涙がぼろぼろと零れてきた。

 

「ふえっ……うう、うわーん」

「ど、どーしたの!?」

「うええええん」

 

 怖かった。熱くて、痛くて、冷たくて、恐ろしかった。

 けれどどれも口に出せなくて、ひたすらわんわん泣き続ける。家継につられたのか、綱吉まで泣き始めてしまった。

 

 弟がぎゅっとしがみついてくる。一瞬、閉じた瞼の裏にオレンジ色の光が見えたような気がした。

 綱吉の体温がじんわりと移って、冷えきった体が初めて温まっていくような心地がする。

 

 良かった。あの場所に綱吉がいなくて、本当に良かった。

 弟にあんな怖い思いは絶対にさせたくない。それだけは嫌だ。

 

(おれが……おれが、まもってあげないと)

 

 家継にはおしゃぶりの力がある。

 また不審者が来たって、この力があれば一瞬で消してしまえる。

 

(まもらなきゃ)

 

 しゃくり上げながら、弟を抱きしめた。

 

(ヒーローみたいに……敵を、たおさなきゃ)

 

 涙をぬぐって唇を噛みしめる。

 ゆっくりと開いた家継の瞳は、鈍く輝いていた。

 

 

 その日から、家継は着替えや風呂をひとりで済ませるようになった。

 

 

 

 

 それから数ヶ月が経ち。

 また黒い服の不審者たちを見つけた家継は、自分からついて行って撃たれる前に凍らせた。

 絶対に倒してやると思っていたせいか、今度はあまり怖くなかった。

 まさかその場面を知らない子に見られるとは思わなかったけれど、おかげで秘密を共有できる初めての友達ができた。

 

 不審者たちを倒すためには、おしゃぶりの力だけでは足りないかもしれない。

 だから戦い方を教えてくれる恭弥に頑張ってついて行こうと思っていたものの――。

 

 凍らせたままの怪我が、家継の足をずっと引っ張っていた。

 

 

 近所の空き地で、恭弥と何度目かの手合わせをする。

 背負い投げで地面に叩きつけられたとき、傷口に激痛が走った。

 

「う……っ」

 

 思わず体を丸めてうずくまる。

 いけない。早く立ち上がらないと。そう思っているのに、手が震えて体を起こすことができない。

 恭弥がしゃがんで家継を覗き込んだ。

 

「ねえ、おなか痛いの? 前からずっと、かばってるよね」

「……い、いたく、ない……」

 

 青い顔をしながらもそう言い張ると、彼がむっと口をへの字に曲げる。

 そして、止める間もなく家継の服をまくり上げた。

 

「うわーーーー!?」

 

 反射的に拳を振るうと、初めて顔面に攻撃が当たった。

 恭弥が赤くなった鼻を手で押さえながら「……なにそれ」と傷を見下ろす。慌てて服を引っ張ったけれど、もう一度「なに」と聞かれて家継は項垂れた。

 はっきりと見られてしまったら誤魔化しようがない。体を丸めたまま、ぼそぼそと呟く。

 

「ずっと前、銃でうたれて……血が止まらないから、こおらせたの」

「びょういんは?」

 

 無言で首を横に振る。

 

「なんでおかあさんに言わないの」

「だって、びっくりしちゃうし、おしゃぶりのこともバレちゃうかも……」

「でも、びょういんに行かないとそのままだよ」

「いい」

「よくない」

「いーの!」

 

 目をつむって声を荒げた。

 すると、恭弥もわずかに声を大きくして「じゃあ、もうきみとは遊ばない」と言った。

 ぽかんと口を開けて見上げる。

 

「……え?」

「ケガしてる子と戦ったって、つまらない。帰る」

「え」

 

 眉間に皺を寄せた恭弥は、本当に空き地から離れるように歩き出してしまった。

 もう、戦い方を教えてくれないのだろうか。遊んでくれないのだろうか。

 慌てて起き上がり、待ってと声を掛けようとしたけれど声が出ない。じわじわと涙が滲んできた。

 

「うっ……ふえっ、うええええ……」

 

 目を何度擦っても涙は止まってくれない。

 こんなことで友達を失うことになるとは思わなかった。

 

 段々大きくなる嗚咽が止められず、しばらく泣いていると、突然誰かに手首を掴まれた。

 驚いて目を開ける。帰ったはずの恭弥が、しかめっ面のままこちらを見下ろしていた。

 

「……立って」

 

 訳が分からなくてぼんやりしていると、もう一度「立って」と言われてよろよろと立ち上がる。そのまま腕を引っ張られ、歩き出した。

 しばらくして恭弥はこちらを見ずに呟いた。

 

「僕のおかあさんなら、なにも言わなくてもケガを治してくれるかもしれない。だから、行くよ」

「い、いやだ……」

「うるさい」

「いやだ~……」

 

 これ以上誰かに傷を見られるのも嫌だし、だからといって恭弥に置いて行かれるのも嫌だ。

 どうすればいいのか分からなくなってしまった家継は、半べそで駄々を捏ねながら友達の家まで引きずられていった。

 

 

 びっくりするほど大きな家に連れていかれ、家継の涙は引っ込んだ。

 奥の和室で初めて会った恭弥の母は、とても綺麗な人だった。家継を見て驚いたように目を丸めている。

 

「まあ、恭弥さんがお友達を連れてくるなんて。どうしたの?」

「この子、銃でうたれてケガしてるのに、家族に知られたくないからってそのままにしてるんだ。治して」

「い、言わないでって言ったのに!」

「……銃で、撃たれたの?」

 

 口元に手を当てた恭弥の母に尋ねられ、家継は恭弥の後ろに隠れた。

 

「春からずっと、傷をそのままにしてるって。おかあさんなら、ツグの家族に知られないように治せるでしょ」

「そうねえ、治せるけれど……」

 

 彼女はすこし考え込むように目を伏せたあと、しゃがんで家継を見て微笑んだ。

 

「ご家族には言わないと約束するわ。だから、怪我をしたところを見せて貰ってもいいかしら? 傷の状態によってどうすればいいかが変わるから、ね?」

 

 優しそうな人だ。彼女なら、家族に言わないでくれるかもしれない。

 すこし安心したものの、凍らせた傷を見せる訳にはいかず、困って恭弥を見上げる。すると彼はぐいぐいと自分の母を部屋の外に押しやり始めた。

 

「ちょっと外でまってて」

「恭弥さん、どうしたの?」

「すぐによぶから、出て」

 

 襖を閉めた恭弥が、小声で「壊せる?」と尋ねてくる。

 端的な問いだったが、家継はすぐに理解した。

 

 凍った部分を見せられないなら、壊してから見せればいいのだ。

 それならすでにやったことがある。

 

 小さく頷き、すぐに服をまくって2ヶ所の氷を壊した。途端に激痛が走ったが、息を詰めて泣くのを堪える。

 流れてきた血が畳に落ちないよう押さえると、恭弥が母親を呼んだ。

 

 襖を開けた彼女は、家継の体を見た瞬間駆け寄ってきた。

 

「病院に行きましょう。もう大丈夫よ、よくここまで頑張ったわね」

 

 抱きしめて頭を撫でられる。それからの展開は早かった。

 すぐさま救急車がやって来て、手術をすると言われ、麻酔で眠らされ。

 

 

 ――目が覚めたときには、知らない部屋にいた。

 

(……波のおと?)

 

 ざざーんと聞いたことのある音が耳に入る。

 状況を理解できずぼんやりしていた家継は、目だけを動かして周囲を見た。点滴が腕に繋がれている。

 病院かと思ったけれど、それにしては豪華な部屋だ。まるでお城の中のように見える。

 首を動かして右側を見た家継は息を飲んだ。

 大きな窓の外に、海が広がっていた。

 

「…………どこ?」

 

 尋ねても、周りに人はいない。

 しばらく困惑していると部屋の扉が開き、看護師らしき女性が入ってきた。目が合うと、彼女は驚いたように飛び上がり駆け寄ってきた。

 

「目が覚めたのね! 良かった、痛いところはない?」

 

 体は重くて動かせないけれど、痛くはない。

 小さい声で「だいじょうぶ……」と答えると彼女は安心したように微笑み、ベッドの横にある機械を確認して頷いた。

 

「大丈夫そうね。すぐに奥様を呼んでくるから、動かないで待っていてくれる?」

「うん……」

 

 看護師はすぐに部屋から出ていった。奥様って誰だろう、と不思議に思っていると、また扉が開く。

 入ってきたのは恭弥の母だった。

 

「おはよう、家継さん。気分は悪くないかしら?」

 

 看護師と似たことを聞かれ、同じように「だいじょうぶ」と頷く。

 ベッドの端に腰掛けた彼女は、ほっとしたように表情を和らげた。

 

「良かったわ。手術は無事に終わって、あとはゆっくり治るのを待つだけよ」

「え……しゅじゅつ、もう終わったの?」

「ええ。3週間あればほとんど治るって、お医者様がおっしゃっていたわ。奇跡的に致命傷ではなかったけれど、銃弾が体の中に残っていたから放置していたら危なかったみたい。……私に教えてくれて、本当にありがとう」

 

 頭を優しく撫でられて、うろうろと視線を彷徨わせた。

 

「きょ、恭弥が引っ張ってくれたから……おれはいやだって言っちゃった」

「でも、ちゃんと傷を見せてくれたでしょう?」

「……」

 

 黙り込んだ家継に、恭弥の母は目を細めて微笑む。

 

「貴方のお母様には、私たちと一緒に3週間ハワイ旅行へ行くと伝えてあるわ。秘密はバレていないから、安心してちょうだいね」

「はわいりょこう……?」

「ええ。アリバイを――秘密がバレないようにするために、本当にハワイに向かっているのだけれど。ほら、海が見えるでしょう? ここは船の上なの」

「ふね……ええ……!?」

 

 あんぐりと口を開ける。

 つまり、家継が寝ているあいだに治療が終わり、船に乗せられて、遠い国に向かっているということだろうか。

 いつの間にか大変なことになっていたようだ。

 

(でも、おかあさんに秘密にしてくれた……)

 

 一番不安だった、家族に対する言い訳をちゃんと作ってくれたことに心の底から安心する。やっぱりいい人だったのだ。恭弥の言ったことは間違っていなかった。

 ありがとう、と言おうとしたとき、彼女がふいに扉のほうを向く。

 

「いらっしゃい、恭弥さん」

 

 つられて視線を向けると、扉が小さく開いて恭弥が入ってきた。

 枕元に歩いてきた恭弥は、家継を覗き込んで無表情のまま「なおった?」と尋ねる。

 

「わ、わかんない……」

「もう、治すにはしばらく掛かるって言ったでしょう。まだよ、遊ばないでちょうだいね」

 

 そう母に言われ、不満げな表情をした恭弥は部屋から出ていこうとした。

 焦って「まって!」と声を掛けると、足が止まる。

 

「あの、恭弥のおかあさんと、恭弥も、ありがと……」

 

 おそるおそる声を掛ける。

 たくさんわがままを言ってしまったから、まだ怒っているかもしれない。

 不安げに見つめると、彼は振り返って「いいよ」とすこしだけ笑い、今度こそ部屋から出ていった。

 

 

 それから、船に乗りながらの治療が始まった。

 ときどき医者が来て検査を受けたり、苦い薬を飲まされるのは嫌だったけれど、恭弥とその母が毎日様子を見に来てくれるので退屈はしなかった。

 

 1週間が経ち、体を起こせるようになったころ。恭弥が折り紙を持ってきた。

 

「なおった?」

「まだ~」

 

 毎日「なおった?」と聞かれるので返事もだんだん適当になってきた。彼には時間の感覚がないのだろうか。

 雑な返答も気にせず、ベッド横の椅子に座った恭弥は紙を差し出した。

 

「折り紙、する?」

「うん……なおってないけど、遊んでいいの?」

 

 彼が口をへの字に曲げながら手を引っ込めようとする。

 

「いやなら遊ばない」

「や、やる! 遊ぼ! 遊びたい!」

 

 慌ててそう言うと、何枚か渡してくれた。

 また遊んでくれることにワクワクしながら折り紙を掲げる。

 

「折り方はわかる?」

「足のはえたツルならできるよ!」

「足……?」

 

 作ってみせたツルは、かわいくないと不評だった。

 

 それからは座ったままで出来るおもちゃを持ってきてくれて、あっという間に時が過ぎていき、2週間目には船の中を歩き回れるほどに回復した。

 

 ハワイにはとっくに着いているらしく、医者から許可をもらった家継は2日だけ外に出られることになった。

 写真を撮るときだけ立って、あとは車椅子での移動だ。

 それでも知らない土地は物珍しく、移動するだけで楽しかった。

 美味しいものを食べ、いくつかお土産を買ってもらい、綺麗な海を眺める。

 

 恭弥がカニを探しに行ってしまい、恭弥の母とふたりきりになった家継は改めて彼女を見上げた。

 ずっと世話をしてくれて、たくさん物をくれるけれど、どうしてここまでしてくれるのだろう。不思議だったけれど聞くタイミングがなくて、今だと口を開く。

 

「あの、おかあさん、なんで秘密にしてくれたの?」

 

 白いワンピースを着た彼女はきょとんとして、それからやんわりと目を細めた。

 

「私が家継さんのお母様にこのことを話したら、家継さんがまた怪我をしたとき、絶対に相談してくれなくなってしまうと思ったの」

「……え」

 

 確かに、言わなくなるかもしれない。

 突然心の中を覗かれたような気持ちになって、家継は驚いた。

 彼女は微笑みながら続ける。

 

「どうして隠していられたのかは聞かないけれど……家継さんは、あの怪我を半年くらい我慢していたのでしょう?」

「……うん」

「それだけで、とても我慢強い子だって分かるわ。だから心配だったの。私は信用を一番大切にしているから、秘密は絶対に守るわ。だから、また怪我をしたり困ったことがあったらいつでも相談してくださいな」

「ありがとー、ございます……」

 

 ぽかんとしながら呟いた家継に、彼女は穏やかに「どういたしまして」と答えた。

 

 

 

 

 短いバカンスはすぐに終わり、残り1週間の船旅で帰路につく。

 日本へ到着するころには傷もほとんど塞がり、あとはガーゼを交換して様子を見ればいいという状態にまで回復した。

 

 雲雀家には返しきれないほどの恩を作ってしまった。

 彼らのおかげで、傷を隠し続ける苦しい記憶は楽しい船旅に塗り変わったのだ。

 いつか必ず、この恩を返そうと家継はこっそり思った。

 

 

 帰国後、恭弥の母に家まで送ってもらった。

 出迎えてくれた母の顔を見た瞬間、なんだかとても長いあいだ離れていたように思えて泣きそうになる。

 けれど、後からやってきた綱吉が大泣きしながら飛びついてきたので思わず笑ってしまった。

 

「おかえりなさい、いーくん! 旅行は楽しかった?」

「うん、たのしかった!」

「うわああああん! お゙に゙ーぢゃー!!」

「ごめんね、ただいま、ツッくん」

「うえええん!!」

 

 大音量で泣く綱吉に、母と恭弥の母が顔を見合わせて笑う。

 

「突然3週間も旅行に連れ出してしまってごめんなさいね。弟さんにも寂しい思いをさせてしまったわ」

「いえいえ! 家継もなんだか元気そうですし、よっぽど楽しかったんでしょう。こちらこそ、こんなに良くしていただいてありがとうございます~!」

 

 綱吉の背中をぽんぽん叩いて宥めているあいだ、大人たちは楽しそうに話をしていた。

 やがて「じゃあ家継さん、またね」と優雅に手を振り、恭弥の母は帰っていった。

 母が家継の頭を撫で、ぱっと明るい笑みを浮かべる。

 

「さ、家に入りましょ! お土産話をたくさん教えてちょうだい」

「――うん!」

 

 言えないことは、たくさんある。

 それでも本当に楽しい旅だった。つらいことも、嬉しいこともひっくるめて大切な思い出になった。

 誰にも言えない、秘密の話だけれど。

 

 

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