早朝。ぼんやりと、重いまぶたを持ち上げながらぷかぷか油に浮く唐揚げを見つめる。学ランのズボンと白シャツの上にエプロンを着て、家継は大きな欠伸をした。
午前5時のリビングはまだ薄暗い。空が白み始めた頃の静かな空間が、家継はとても好きだった。
適当な鼻歌を歌いながらきつね色の唐揚げをトレーに移していたとき、リビングの扉が開いた。ちらりと視線を向ける。
「ちゃおっス。ツグは朝はえーんだな」
「ちゃおーっす、弁当はおれ担当だからね。せんせーも朝早いじゃん。朝ごはんはまだだよ」
入ってきたのは昨日、沢田兄弟の家庭教師となったリボーンだった。パジャマ姿の彼に軽く手を振りながら片手で卵を割り、だし巻き卵を作る準備をする。
「鼻歌が聞こえたから様子を見に来たんだ。電気くらい付けろ、暗くねーのか」
「このぐらいが落ち着くからいいの。眩しいのは好きじゃないんだ」
「裏社会で生きていく者としての自覚があるようだな、感心感心」
「いやそんなんじゃないんだけど……」
近づいてきたリボーンは、やっぱりどこからどう見ても赤ん坊だ。
どんな育ち方をしたら赤ん坊が殺し屋やら家庭教師やらになれるんだろう。もしかしたら、『赤ん坊の姿になる』こと自体が彼の特殊能力なのかもしれない。一般人なら確実に騙されるだろうし。
リボーンが隣で勝手にコーヒーを淹れ始めた。イタリア人はコーヒー好きと聞くけれど、彼もそうなのだろうか。
赤ん坊の体には良くない気がするが……突っ込まないでおこう。
「ツグは後悔してることってねーのか?」
「え……突然なんの話?」
「昨日ツナに聞いたら、好きな女子に告白しとけば良かったって言ってたからな。お前はどうなのかと思ったんだ」
綱吉らしい後悔に思わず声を上げて笑った。
諦め癖のある弟のことだ、どうせ告白してもオレなんて……などと考えていそうだ。もっと自信を持てば良い線行きそうなのにな、と考えながら「いないよ」と笑い混じりに返した。
「みんな可愛いとは思うけどね、恋愛は面倒だからいいや。デートの途中で寝てばっかの奴なんて向こうから願い下げだろうし」
「そんなもんお前の魅力でなんとかしろ」
「無茶ぶりにもほどがあるなあ」
苦笑しながら卵焼きをひっくり返し、その間に冷めた唐揚げや昨日の夕飯の残りを慣れた手つきで弁当箱に詰めていく。
「後悔していること、ねえ……」
「やりたいことでもいいぞ」
一応真剣に考えてみるが思いつかない。思えば、意外と後悔とは無縁の生活をしてきていた。昔からやりたいと思ったことは必ず叶えてきたし、家継の中で最優先事項である『家族を守る』こともできている。
「やりたいことは全部やってるから、ないね」
「なんだ、つまんねーな」
「ひどくない?」
そこは教師として褒めるべきところではないだろうか。腑に落ちないまま弁当の具を詰め終わり、一息ついたところでリボーンがコーヒーの入った小さなカップを差し出してきた。
「飲むか? 自慢のエスプレッソだぞ」
家継の分も作っていてくれたらしい。ありがたく受け取って一口飲んでみる。
それは今まで飲んだエスプレッソの中で、確実に一番美味しいと言える味だった。濃さも香りも申し分なく、先ほどまでモヤがかかっているようだった頭もスッキリする。
こんなに美味しいのなら毎日でも飲みたいな、と呟けば、リボーンは「気が向いたらな」とニヒルな笑みを浮かべた。
▽▽▽
朝の服装チェックを終え、気まぐれで自分の教室へと向かう。すぐに寝てしまうため普段教室にはあまり行かないのだが、今日はなんとなく授業を受けたい気分だった。
もしかするとリボーンのエスプレッソが効いているのかもしれない。
「おお沢田、久しぶりだな! 聞いたぞ、お前の弟の活躍!」
「あれ、笹川くん……活躍ってなんの話?」
教室に入ると同時に話しかけてきたのは、同じクラスの笹川了平だった。短い銀髪で絆創膏を鼻にひっつけた、ボクシング部主将の熱血漢である。あまり接点のない彼が話しかけてきた、その内容に首を傾げた。
「む、聞いていないのか。実は昨日、オレの妹を巡って剣道部主将の持田と沢田の弟が勝負をしたようでな」
「……は!?」
一瞬思考が停止し、思わず声を荒げた。そんなこと聞いてない。
「沢田の弟が素晴らしい剣さばきで持田を倒したらしいぞ! 髪を千切っては投げ千切っては投げ、かっこよかったと京子が言っていた!」
「剣さばきなのになんで髪の毛千切ってるんだよ! ええ……人違いじゃ、なく?」
「1-Aの沢田ツナはお前の弟だろう?」
「ツナじゃなくて綱吉だけど……」
A組に沢田姓はひとりしかいないので、間違いなく弟だ。
しかし了平の言う綱吉像が全く想像できない。間違っても剣道部の主将なんかに勝負を挑むような性格ではないのに、なぜ。そこまで考えて脳裏に黒衣の赤ん坊の姿が過ぎった。
リボーンが、何かしたのだろうか。その可能性が一番高い。
「なかなか見込みのある奴だな。ボクシング部に勧誘するのも良いかもしれん」
「やめたげて、あの子ボクシングは苦手だと思うよ」
「そうなのか?」
残念だ、と惜しそうな表情の了平に苦笑する。彼は熱い男を見るとすぐボクシング部に勧誘したがるのだが、家でゲームばかりしているインドア派の綱吉には酷だろう。
ボクシング部に合いそうな人は他にもきっといるよ、と了平に言って席に座る。HRが始まってからも、家継の頭の中は先ほどの話でいっぱいだった。
午後になり、眠くなってきたため応接室へ移動する。
恭弥は外出しているようで、部屋には誰もいなかった。ソファに座り、仕事の確認をしながら思考を巡らせる。
剣道部主将との対決……リボーンはどんな方法で、あの綱吉を勝負事に引っ張り出したのだろう。
家継が甘やかしすぎたせいか、最近の弟は逃げ癖がひどくなっている。並大抵のことじゃ立ち向かおうとしないはずだ。家継自身ちょっとまずいな、と懸念していたことではあったため、今回の出来事は素直に嬉しいと思う。
(あのツッくんがなあ……見たかったな~……!)
くうう、と拳を握りしめる。こういうとき学年が違うと不便だ。気軽に弟を見に行けない。いや、どの学年でも家継が歩くと目立ってしまうので行けないが。風紀委員会に入ったことが運の尽きだ。
溜息を吐いて、書類を机に置く。そろそろ寝ようと立ち上がった、その瞬間。
――外で爆発音がした。
南校舎裏、と即座に音の発生源を判断して部屋から飛び出す。
普段ならもっとのんびり向かうが、マフィアという存在が身近になった今、綱吉の身に何が起きてもおかしくない。いつも以上に警戒していた家継は全速力で音のする方へ走った。
弟に、何もなければいいのだけれど。
ドォン! ドォン! と連続で爆発音が続く。
突き当たりの窓を勢いよく開け、爆発音に負けない大声で叫んだ。
「そこ! 何やってる!」
視界を覆っていた煙が晴れ、そこにいた人物が姿を見せた。
あれは――確か今日転入してきた1年生の獄寺隼人、だったか。イタリアからの帰国子女で……イタリア?
(……あ)
リボーンもイタリア人であり、イタリアといえばマフィアである。そんな簡単なことにどうして気づかなかったんだ。
頭を抱えたくなったが、そもそも家継が彼の転入届を見たのは1ヶ月前のことだ。忘れていても仕方がない。
「に、兄さん! 近づかないで、この人ダイナマイト投げてくるんだ!」
嫌な予感は当たり、綱吉が獄寺から少し離れた位置にいた。見たところ怪我はなさそうだ。
走ってきて良かったと考えながら、不安そうにこちらを見上げる弟へニッと笑いかける。
そして窓枠に手を置き、2階から飛び降りた。
「兄さん!?」
難なく着地して「大丈夫だよ~」と両手をひらひら振った。
いつも眠りこけている姿ばかり見せているうえに体質のせいか、弟にはかなりの病弱だと思われている節がある。残念ながらだいたいの大人をボコボコにできる程度には健康優良児だ。
こちらにガンを飛ばしてくる獄寺を無視して綱吉に駆け寄った。
「ツッくんは怪我してない?」
「だ、大丈夫……なんとか」
「早かったな、ツグ」
「うわ、出た」
どこからともなくリボーンが現れ、驚いて一歩下がる。
「風紀委員だからね……これ、何の騒ぎ?」
「ボスの座を賭けて対決してるんだぞ」
「してないよ! けしかけたのお前だろ……ぶっ!?」
「今回はツナの戦いだからな。ツグ、お前は手を出すなよ」
反論しようとした綱吉にビンタを食らわせながら、リボーンが下がれとジェスチャーしてくる。
弟を殴るなとか、ダイナマイトを持つ相手に何をさせようとしているんだとか、言いたいことは色々あった。
しかし、剣道部主将の件もある。リボーンは本当に家庭教師としてここに居るのかもしれない。
とりあえず様子を見てみようと、家継は渋々距離を取った。
「わかった……でも、ひとつだけ言わせて。獄寺隼人! 校内は禁煙だし爆発物の持ち込みも禁止だよ!」
「それ今言うー!?」
「うるせえチビ! 誰だか知らねえが偉そうに指図すんな……まとめて果てろ!」
火に油を注いでしまったようだ。獄寺が大量のダイナマイトにタバコで火をつけ、こちらへと投げてきた。再び爆発音が響きわたる。
家継は余裕で避けたが、綱吉がちょっと焦げた。
「あーっ! ツッくん!」
「手ぇ出すなっつっただろうが」
綱吉に手を伸ばそうとした瞬間、軽快な音がして反射的に腕を引っ込める。先ほど家継の腕があった位置を弾丸が通り抜けていった。
「……な、」
息を呑み、リボーンを見下ろす。モミジのような小さい手には、立派なハンドガンが握られていた。
(銃を……撃ったのか? リボーンが?)
背後では爆発音と綱吉の叫び声がなお響いていたが、家継はリボーンが持つ銃から目を逸らすことができない。
心臓がばくばく音を立てている。一瞬でも遅ければ銃弾に当たっていた。
「なんだ、ビビったのか? こんなことで動揺するなんて、お前もまだまだお子ちゃまだな」
「銃で撃たれたら、普通はビビるって……」
口元に乾いた笑みを浮かべながら目を逸らす。
(さ、最悪だ……)
確かに、ヒットマンといえば銃使いのイメージがある。だからリボーンが撃ってきたって何もおかしいことではない。ない、のだが。
(おれ、この世で一番銃が苦手なんだけど!)
家継ともう本当に、ものすごく相性が悪かった。
だって銃なんて見た目も厳ついし、一瞬で殺傷力のある弾を当てられるチートみたいな武器なのだ。銃口がこちらを向いただけで心臓が口から出そうになる。
しかも常識外れの家庭教師は威嚇程度で軽率に撃ってくることが、いま判明した。最悪だ。リボーンがせめてナイフの使い手とかなら良かったのに。
未だに跳ねる心臓を落ち着かせようと胸に手を当てながら「あの、リボーン先生……」と声を掛けようとする。
しかしその瞬間、銃口が綱吉のほうを向いている光景が視界に入った。
――それは、だめだ。
反射的にリボーンの手を蹴り上げようと身体を捻る。ぶわりと膨れ上がった殺気にリボーンは後方へ飛び退り、足は空振りした。
武装解除させなければ、また撃たれる。
そう確信していた家継は、間髪をいれず袖に隠していた三節棍を投げた。また避けられ、二撃、三撃目の横振りがやっとリボーンの体に触れた――そう思った瞬間、彼は三節棍を足場に高く飛び上がった。
「動きは悪くねえが、簡単に上を取れちまうぞ」
手の届かない位置で構えられた銃。銃さえ壊せれば、と武器をまっすぐ投げつける。しかしリボーンが引き金を引くほうが早かった。
破裂音が響く。
息を呑んで振り向くと、綱吉がダイナマイトまみれの地面に倒れこむところがスローモーションのように見えた。
「つっくん……?」
呆然としたまま目を見開く。思考が追いつかない。
なんで自分は戦っていたんだっけ。リボーンが銃を持っていて、綱吉が狙われて。撃たれた? 誰が? 弟が?
まとまらない思考で硬直していた、そのとき。
――ぶわりと綱吉の額に炎が灯り、服が弾け飛んだ。
服が、弾け飛んだ(2回目)。
「…………は?」
「リ・ボーン! 死ぬ気で消化活動ー!!」
家継の脳みそは大混乱に陥っていた。ああでも、ものすごく既視感がある。昨日も見たあの姿。
パンツ一丁で、人が変わったように次々と手でダイナマイトの火を握り潰していく弟を呆然と眺める。
隣に降り立ったリボーンが家継を見上げ、ニヤリと笑った。
「さっきツナに撃ったのは死ぬ気弾だ」
「……しぬきだん」
「ボンゴレファミリーに伝わる銃弾でな。後悔している人間の脳天を撃ち抜けば、後悔していることに対して死ぬ気で頑張らせることができるんだ。ただし、何も後悔していない人間に撃つと本当に死んじまうから注意が必要だけどな」
「あー……」
つまり、綱吉が何かしら後悔しているところを見計らって撃ったと。だからあんなに余裕そうな表情だったのか。
それで今朝、家継に後悔していることがないか聞いてきたのか。
すべてを理解し、へなへなとその場に崩れ落ちる。
「あーもう、びっくりした……危うくせんせーのこと本気で殺しにかかるところだった」
「オレもびっくりしたぞ。不良をボコしてるって情報は知ってたが予想以上だ。おまえ、かなり戦闘慣れしてるな」
銃が壊れちまったと残骸を手にアピールされるが、そんなもの壊れてしまえとしか思わなかったし、謝る気もなかった。人のかわいい弟に銃を向けたのだ、リボーンが悪い。
「それ、ツッくんに言わないでね。か弱くて優しいお兄ちゃんで通してるから」
「カヨワクテヤサシイオニイチャン」
「棒読みやめてよ」
む、と唇を尖らせながら綱吉に視線を戻すと、消火活動は無事に終わったようだった。なぜか獄寺が土下座している。
目的を果たせば『死ぬ気』の状態は解除されるのか、綱吉の額の炎は消えていた。
「御見逸れしました! あなたこそボスにふさわしい! 10代目についていきます! なんなりと申しつけてください!!」
「え、えええっ?」
「変わり身はや」
思わず突っ込む。目を輝かせて綱吉を見上げる獄寺は、尻尾があればぶんぶん振っていそうな勢いだ。まあ、弟の味方になってくれるというのなら止めるつもりはない。
「負けた奴が勝った奴の下につくのがファミリーの掟だ。獄寺が部下になったのはおまえの力だぞ。よくやったなツナ」
地面にぺたんと座り込んだまま、弟たちのやり取りを眺める。綱吉は自分の力で獄寺を助け、味方につけた。それを実現できたのはリボーンの介入があってこそだ。
(ちゃんと、先生なんだ、リボーンって)
同じおしゃぶりを持つ怪しい赤ん坊という印象を持っていたが、今さらやっと『家庭教師』なのだという実感が湧いてきた。
この人なら、信用していいのかもしれない。銃をぶっ放すのは勘弁してほしいが。
「ていうか兄さん、その棒みたいなものなに!? いつの間に持ってたの!?」
「ああこれ? 商店街のガラガラで手に入れたおもちゃだよ、綺麗でしょ」
「武器に見えるんだけどー!?」
手元に引き寄せていた三節棍を見せ、にっこり微笑む。武器である。
三節棍――3本の棒を鎖で繋いだ、中国武術で使われる打撃武器だ。幼馴染の伝手で入手した、真っ白な金属でできたそれは、家継の体に合わせて1つの棒が30センチと短めになっている。
元々は恭弥が「君が素手だと殴り甲斐がない。何か武器持って」と無茶振りしてきたので適当に選んだものだ。しかし、リーチは長いし、刃物も弾き返せるほど頑丈なので今では愛用している。
「ほら、風紀委員やってると不良によく会うからさ。おもちゃでぽかんとやればイチコロってわけ」
「殴るって言ってるよね!? やっぱ武器じゃない!?」
「いやいや、そんなまさか。お兄ちゃんが嘘つく訳ないじゃん」
「それもそっか……」
なんとか納得してくれたようだ。これも日頃の行いというやつだろう。
会話を聞いていた獄寺が訝しげな顔をする。
「10代目のお兄様……ん? ということは10代目を継ぐのはお兄様のほう……?」
「ツグは諸事情で補欠なんだ。基本的に後継者争いには参加しねーから安心していいぞ」
「どうも、補欠のお兄ちゃんです」
いえーいと両手でピースしてみせると、獄寺は一瞬安堵したような表情になり、その後すぐさま家継に向かっても土下座した。
「そうだったんすね! さ、先ほどは大変失礼しました! 10代目の右腕、獄寺隼人です! よろしくお願いします!」
「いつの間にか右腕になってるー!?」
「いえいえお構いなく、弟をどうぞよろしくお願いします」
弟をしっかり守ってほしい、という気持ちを込めてこちらも深々とお辞儀をした。獄寺とお互いにペコペコ頭を下げていると、突然「ありゃりゃ、サボッちゃってるよこいつら」なんて声が聞こえてきた。
視線を向けると、3年の不良たちがニヤニヤ笑いながら近づいてくる。
綱吉たちの陰になって家継が見えていないらしい。見えていたら尻尾を巻いて逃げ出すだろうに。
ゆっくり立ち上がろうとしたとき、獄寺が前に出た。
「オレに任せてください。消してやらぁ」
「ちょっ待ってよ獄寺くん! ダイナマイトはだめだって!」
綱吉の悲鳴とともに爆発音が響きわたる。
いやあ、頼もしい。中々の火力を持った仲間が増えて嬉しいかぎりだが、同時に――。
(風紀委員的には処理がすっごいめんどくさいな……!)
と、家継は内心頭を抱えた。