雪は溶けない   作:箱葉

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tgt.2 目に入れても痛くない

 

 早朝。ぼんやりと、重いまぶたを持ち上げながらぷかぷか油に浮く唐揚げを見つめる。学ランのズボンと白シャツの上にエプロンを着て、家継は大きな欠伸をした。

 午前5時のリビングはまだ薄暗い。空が白み始めた頃の、人の気配がしない静かな空間が家継は好きだった。

 適当な鼻歌を歌いながらきつね色の唐揚げをトレーに移していたとき、ふいにリビングの扉が開いたのでちらりと視線を向ける。

 

「ちゃおっス。ツグは朝はえーんだな」

「ちゃおーっす、弁当はおれ担当だからね。せんせーも朝早いじゃん。朝ごはんはまだだよ」

 

 リビングへ入ってきたのは、昨日、沢田兄弟の家庭教師となったリボーンだった。パジャマ姿の彼に軽く手を振りながら片手で卵を割り、だし巻き卵を作る準備をする。

 

「お前が起きる音がしたからな、様子を見に来たんだぞ」

 

 なるほどぉ、と欠伸混じりに返す。

 近付いてきたリボーンはやっぱりどこからどう見ても赤ん坊だ。どんな育ち方をしたら赤ん坊が殺し屋やら家庭教師やらになれるんだろう。

 リボーンが隣で勝手にコーヒーを淹れ始める。イタリア人はコーヒー好きと聞くけれど、彼もそうなのかもしれない。赤ん坊が飲んでいることにはもう突っ込まないことにした。

 

「ツグは後悔してることってねーのか?」

「え……突然なんの話?」

「昨日ツナに聞いたら、好きな女子に告白しとけば良かったって言ってたからな。お前はどうなのかと思ったんだ」

 

 綱吉らしい後悔に思わず声を上げて笑った。諦め癖のある弟のことだ、どうせ告白してもオレなんて……などと考えていそうである。もっと自信を持てば良い線行きそうなのにな、と考えながら「いないよ」と笑い混じりに返した。

 

「みんな可愛いとは思うけどね、恋愛は面倒だからいいや。デートの途中で寝てばっかの奴なんて向こうから願い下げだろうし」

「そんなもんお前の魅力でなんとかしろ」

「無茶ぶりにもほどがあるなあ」

 

 苦笑しながら卵焼きをひっくり返し、その間に冷めた唐揚げや昨日の夕飯の残りを慣れた手つきで弁当箱に詰めていく。

 

「後悔していること、ねえ……」

「やりたいことでもいいぞ」

 

 一応真剣に考えてみるが思いつかない。思えば、意外と後悔とは無縁の生活をしてきていた。昔からやりたいと思ったことは必ず叶えてきたし、家継の中で最優先事項である『家族を守る』こともできている。

 

「やりたいことは全部やってるから、ないね」

「なんだ、つまんねーな」

「ひどくない?」

 

 そこは教師として褒めるべきところではないだろうか。腑に落ちないまま弁当の具を詰め終わり、一息ついたところでリボーンがコーヒーの入った小さなカップを差し出してきた。

 

「飲むか? 自慢のエスプレッソだぞ」

 

 家継の分も作っていてくれたらしい。ありがたく受け取って一口飲んでみる。

 それは今まで飲んだエスプレッソの中で、確実に一番美味しいと言える味だった。濃さも香りも申し分なく、先ほどまでモヤがかかっているようだった頭もスッキリする。こんなに美味しいのだったら毎日でも飲みたいな、と呟くと「気が向いたらな」と言って、リボーンはニヒルな笑みを浮かべた。

 

 

 

▽▽▽

 

 

 

 朝の服装チェックを終え、気まぐれで自分の教室へと向かう。すぐに寝てしまうため教室には普段あまり寄り付かないのだが、今日はなんとなく授業を受けたい気分だった。

 もしかしたらリボーンのエスプレッソが効いているのかもしれない。

 

「おお沢田! 聞いたぞ、お前の弟の活躍!」

「あれ、笹川くん……活躍ってなんの話?」

 

 教室に入ると同時に話しかけてきたのは、同じクラスの笹川了平だった。短い銀髪で絆創膏を鼻にひっつけた、ボクシング部主将の熱血漢である。あまり接点のない彼が話しかけてきた、その内容に首を傾げた。

 

「む、聞いていないのか。実は昨日、オレの妹を巡って剣道部主将の持田と沢田の弟が勝負をしたようでな」

 

 は!? と思わず声を荒げた。そんなこと聞いていない。

 

「沢田の弟が素晴らしい剣さばきで持田を倒したらしいぞ! 髪を千切っては投げ千切っては投げ、かっこよかったと京子が言っていた!」

「剣さばきなのになんで髪の毛千切ってるのさ! ええ、人違いじゃなく?」

「1-Aの沢田ツナというのがお前の弟なら間違いではないな!」

「ツナじゃなくて綱吉だけど……」

 

 1年A組に沢田という姓は1人しかいないので、間違いなく弟である。

 しかし了平の言う綱吉像が全く想像できない。間違っても剣道部の主将なんかに勝負を挑むような性格ではないのに、なぜ。そこまで考えて脳裏に黒衣の赤ん坊の姿が過ぎった。

 まさか――リボーンが、綱吉に何かしたのだろうか。それが一番可能性が高い。

 

「なかなか見込みのある奴だな、ボクシング部に勧誘するのもいいかもしれん」

「やめたげて、多分ボクシングは苦手だと思うよ」

「そうなのか?」

 

 残念だ、と惜しそうな顔をする了平に苦笑する。彼は熱い男を見るとすぐボクシング部に勧誘したがるのだが、家でゲームばかりしているインドア派の綱吉には酷だろう。

 他にもボクシング部に入れそうな人はきっといるさ、と了平に言って席に座る。チャイムが鳴り、HRが始まってからも家継の頭の中は先ほどの話でいっぱいだった。

 

 

 午後になって応接室へ移動した。恭弥は外出しているようで、部屋には家継しかいない。ソファに座り残っている仕事の確認をしながら思考を巡らせていた。

 リボーンはどんな方法で、あの綱吉を勝負事に引っ張り出したのだろう。そればかりが気になって何も手につかない。計算ミスを連発してしまったので、ホッチキスで書類をまとめるだけの作業に変えた。

 帰ったらリボーンに聞こう、と考えながら書類を手に取ると、ふいに気になる単語が目に入る。

 

「集団食中毒……?」

 

 今日、1年A組の生徒が複数、食中毒で欠席するという内容の書類だ。綱吉もA組である。何だか嫌な予感がしたが、それが何なのかまでは分からなかった。

 

「……寝るかあ」

 

 あまりにも気が散るので、寝てしまうことにする。あくびを連発しつつよっこらせと立ち上がり、毛布を取り出すためにロッカーに手を掛けて。

 

 ――その瞬間、外で爆発音がした。

 

 南校舎裏、と即座に音の発生源を判断して応接室を飛び出した。恭弥が学校にいない今、一番早く対応できるのは家継だ。

 普段ならもっとゆっくり向かうのだが、マフィアという存在がはっきりと身近になった今、綱吉の身に何が起きてもおかしくない。いつも以上に警戒していた家継は全速力で音のする方へ走った。

 弟に、何もなければいいのだけれど。

 

 ドォン! ドォン! と連続で爆発音が続く。

 突き当たりの窓を勢いよく開け、爆発音に負けない大声で叫んだ。

 

「そこ! 何やってる!」

 

 視界を覆っていた煙が晴れ、そこにいた人物が姿を見せる。あれは――確か今日転入してきた1年生の獄寺隼人、だっただろうか。イタリアからの帰国子女で……イタリア?

 あ、と声を漏らしながら気付く。リボーンもイタリア人である。イタリアといえばマフィアである。

 どうして今まで気付かなかったんだ、と頭を抱えたくなったが、そもそも家継が彼の転入届を見たのは1ヶ月前のことだ。仕方がない。

 

「あ、危ないよ、この人ダイナマイト投げてくるんだ!」

 

 嫌な予感は当たって欲しくなかったのだが、獄寺から少し離れた位置に綱吉がいた。走ってきて良かった、と考えながら不安そうにこちらを見上げる弟へニッと笑いかける。

 窓枠に手を置いて、2階から飛び降りた。

 

「兄さん!?」

 

 難なく着地して「大丈夫だよー」と綱吉に手を振る。いつも眠りこけている姿ばかり見せている上に体質のせいか、弟には病弱だと思われている節があった。残念ながら大抵の大人をボコボコにできる程度に健康優良児なのだが、綱吉には優しいお兄ちゃんとして見られたいので黙っているのである。

 こちらにガンを飛ばしてくる獄寺を無視して綱吉に駆け寄った。

 

「ツッくんは怪我してない?」

「だ、大丈夫……なんとか」

「早かったな、ツグ。一応人払いはしてあったんだが」

「うわ、出た」

 

 にゅっとどこからともなくリボーンが現れて一歩下がる。

 

「風紀委員だからね……これ、何の騒ぎ?」

「ボスの座を賭けて対決してるんだぞ」

「してないよ! けしかけたのお前だろ……ぶっ!?」

「今回はツナの戦いだからな。ツグ、お前は手を出すなよ」

 

 反論しようとした綱吉にビンタを食らわせながら、リボーンが下がれとジェスチャーをしてきた。

 ダイナマイトを持った男相手に何をさせようとしているのか非常に心配だが、リボーンの家庭教師としての腕前も気になるので渋々綱吉から離れる。

 

「わかった……でも、1つだけ言わせて」

 

 これだけは風紀委員として先に言っておかねばならない。

 

「獄寺隼人、校内は禁煙だし爆発物の持ち込みも禁止だよ!」

「それ今言うー!?」

「うるせえチビ! 誰だか知らねえが偉そうに指図すんな……まとめて果てろ!」

 

 火に油を注いでしまったようだ。獄寺が大量のダイナマイトにタバコで火をつけ、こちらへと投げてきた。

 ごめんツッくん、と心の中で謝る。家継も綱吉も走れば避けれる位置にいたのだが、運の悪いことにダイナマイトが転がった方から1人の生徒が歩いてきた。

 

「おーツナ、何してんだ?」

「山本!」

 

 綱吉と同じクラスの山本武だ。野球部のエースだったはず。短い黒髪で爽やかな好青年、といった風貌の彼がニコニコと近付き、爆発間近のダイナマイトを拾ってしまった。

 流石にまずいかと家継が動くよりも早く、綱吉が駆け出す。

 

「け、消さなきゃ……!」

「ツッくん!」

 

 綱吉が手を伸ばし、山本の持つダイナマイトの火を握りつぶした。あちち! と叫んだ綱吉の手のひらは確実に火傷しているだろう。足元にもまだまだ火のついたダイナマイトはある。

 このままでは2人とも爆発に巻き込まれてしまう。

 駆け寄ろうとしたが、ズボンの裾を小さな手に掴まれていて危うく転びかけた。「リボーン!」咎めるように振り返り、絶句する。

 リボーンが綱吉に銃口を向けていた。

 

「何を……ッ!!」

「まあ、黙って見てろ」

 

 止める間もなく発砲音が響く。

 銃弾が綱吉の脳天に直撃して、ゆっくり倒れていくのを呆然と見つめる。嘘だろ、と思う間もなく――次の瞬間ぶわりと綱吉の額に炎が灯り、服が弾け飛んだ。

 

 服が、弾け飛んだ(2回目)。

 

「な……なに?」

 

「リ・ボーン! 死ぬ気で消化活動ー!!」

 

 ものすごく既視感がある。昨日も見たあの姿。

 パンツ一丁の姿で、人が変わったように次々と手でダイナマイトの火を握り潰していく弟の姿を呆然と見た。

 

「さっきツナに撃ったのは死ぬ気弾だ」

「……死ぬ気弾?」

「ボンゴレファミリーに伝わる銃弾でな。後悔している人間の脳天を撃ち抜けば、後悔していることに対して死ぬ気で頑張らせることができるんだ。ただし、何も後悔していない人間に撃つと本当に死んじまうから注意が必要だけどな」

「ああ……それで今朝、おれに後悔してることがないか聞いたのか」

 

 説明を聞いて納得し、ばくばくと跳ねていた心臓が落ち着いてくる。本当にびっくりした。危うくリボーンを殺しにかかるところだった。

 

 今の綱吉の状態は、死ぬ気で火を消せばよかったと後悔したから発現したのだろう。

 

「ん? 待てよ、昨日ツッくんがパンイチだったのって……」

 

 今朝リボーンから聞いた、綱吉の後悔していることを思い出して微妙な顔になる。

 

「笹川京子に死ぬ気で告白してたぞ。振られたけどな」

「何させてんの!?」

 

 パンイチで勢いよく告白されたら誰だって断るに決まっている。

 鬼だ……と呟きながら綱吉に視線を戻すと、消火活動は終わったようだった。なぜか獄寺が土下座している。

 目的を果たせば『死ぬ気』の状態は解除されるのか、綱吉の額の炎は消えていた。

 

「お、お見それしましたー! 貴方こそが10代目にふさわしい! この獄寺、地獄の果てまで貴方について行きます!」

「え、えええっ?」

「変わり身早っ」

 

 思わず家継が突っ込む。目を輝かせて綱吉を見上げる獄寺は、尻尾があればぶんぶん振っていそうな勢いだ。さっきまでの不良然とした態度はどこへいった。

 「あはは、これって何のゲームなんだ?」と笑いながら近付いた山本が綱吉に話しかける。

 

「楽しそうじゃん、オレも入れてくれよ! 10代目……ってことはツナがボスか?」

「山本まで!? い、いや、オレボスになるつもりは全然……」

 

 隣にいたリボーンが「ファミリー、2人ゲットだぜ」と呟く。なるほど、これは仲間を集めるための作戦だったのか。確かに綱吉を守る者がいればそれだけ安全になる。

 結果的に綱吉にとっていい方向へ進んだことに、家継は少しだけリボーンを尊敬した。綱吉自身はボスになることを嫌がっているようだが、切っても切れない血の繋がりがあるというのなら、一般人よりいっそボスになってしまった方が堂々と守れて安全だと家継は考えている。幼い頃から敵の存在を知っていたために、綱吉がボスになることに関しては肯定的に捉えていた。

 

「それにしても……」

 

 ダイナマイトを素手で消すという思い切った行動や、この短時間で2人も仲間にしたのは綱吉自身の力だ。弟の秘められた力に思わず家継はほろりと泣いた。

 

「ツッくん、立派になって……」

「兄さ……な、泣いてるー!? なんで!?」

「油跳ねるのが熱いからって揚げ物すらできなかったツッくんが、こんな……こんな……」

「やめて、さらっと恥ずかしいこと暴露しないで!」

「あはは、ツナって面白いな!」

「山本に笑われてるし!」

 

 ぐすぐすと鼻を啜っていたが、背後から掛けられた声に家継はぴたりと止まった。

 

「なんだぁ、アイツ」

「だっせー! あのパンツ男!」

 

 ギャハハハ、と笑う声にゆっくりと振り返る。3年の不良たちが綱吉を指差して笑っていた。

 彼らの顔にどうにも見覚えがあると思ったら、昨日タバコを吸って恭弥にボコボコにされていた奴らだ。ダイナマイトを取り出そうとした獄寺を制止し、声をかける。

 

「随分と元気そうだねえ! 咬み殺されるだけじゃ足りなかったのかな?」

「はあ? 誰だテメ……げっ!?」

「風紀委員の沢田!?」

 

 一気に顔が青ざめる不良たちを尻目に、家継は優しく綱吉の肩に手を置いた。

 

「ツッくん、ちょーっと後ろ向いててくれる? 10秒だけでいいから」

「え? う、うん。分かった」

 

 素直に後ろを向いた弟にニッコリと笑い――次の瞬間、地面を蹴り飛ばして不良たちに一瞬で間合いを詰めた。

 勢いを保ったまま真ん中にいた男の鳩尾を飛び蹴りで抉る。体を捻って方向転換し、左側の男のこめかみを蹴り飛ばした。地面に着地して右側の男の胸倉を掴み、勢いよく頭突きを食らわす。この間わずか3秒である。

 意識を失った不良たちが地面に崩れ落ちた。

 

「あ、あの鮮やかな手並み、一般人じゃねえ!」

「あれはツナの兄の家継だぞ」

「リボーンさん……ってええ!? 10代目のお兄様!?」

「諸事情でボス候補の補欠なんだ、後継者争いには基本参加しねーから安心していいぞ。現時点では最強のファミリー……だな。オレも、あんなに動けることは今初めて知った」

 

 ただいまー、とのほほんと帰ってきた家継を獄寺と山本が引きつった顔で迎える。

 

「え、なに? 何が起きてるの?」

「もういいよ、ツッくん。ちょっと注意したらみんなびっくりして倒れちゃったみたい。風紀委員って怖いイメージで広まってるからなあ、悲しいなー。あー動いたら眠くなってきた……」

 

 振り向いた綱吉が倒れる不良を見て「風紀委員ってこえー!」と叫ぶ姿を満足げに見つめる。素直な弟が今日もかわいい。

 ひと仕事終えた家継は片手を挙げた。

 

「じゃー、対決も終わったみたいだしおれは寝てくるよ。備品の破損がないから今回は見逃すけど、次からタバコとダイナマイトは学校で出さないようにしてね、獄寺くん」

「……う、うっす……」

 

 引きつった顔のまま獄寺が小さく頷く。「風邪ひいちゃうから早く服着なよ」と綱吉に言って、家継は校舎の方へと向かった。

 爆発音に関してはさっきの不良3人に擦りつけておけばいいだろう。本来なら生徒の校則違反はきっちり恭弥に報告するのだが、綱吉のファミリーになった以上ある程度は見逃すことにした。

 綱吉に仲間が出来たということは、家継も彼らを守らなければいけない。仲間が傷付けば綱吉が悲しむことは間違いないのだから。

 基本的な思考が弟を中心に回っている家継は、まあまあにブラコンであった。

 


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