雪は溶けない   作:箱葉

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tgt.4 夏と鍋と、見守る拳

 

 

 真夏の昼は蝉の声が騒がしい。

 陽炎が生まれている通学路をのんびり歩く家継は、夏服の上からいつもの学ランを羽織っていた。

 体温が低いせいか、真夏でも長袖がちょうどいいのだ。むしろ日陰に行くと寒いため上着は外せない。

 

(あったか~。一生夏でもいいのになあ)

 

 容赦なく照りつける日光が気持ちいい。心地よさに目を細めるとそのまま路上で寝そうになり、慌てて頭を振った。

 大きな欠伸をひとつして、ほかほかになった状態で家に着く。

 

 ただいまーと声を掛けたが、母は外出中のようで返事はなかった。買い物だろうか。

 家継は何気なく視線を下に向け、いくつか見慣れない靴があることに気付いた。それと、リビングに知らない気配があることにも。

 誰だろう、とすこし警戒しながらリビングの扉を開く。

 

「あら、おかえりなさい」

「遅かったな、ツグ」

「!?」

 

 見知らぬ女性がダイニングテーブルに肘をついて座り、こちらを見ていた。

 赤みがかったロングヘアに気怠げな表情の美人だ。なぜかリボーンを膝に乗せている。

 

「えっと……どちら様?」

「こいつは毒サソリビアンキ。フリーのヒットマンだ。今日から家庭科と美術を担当する住み込みの家庭教師だぞ」

「うふふ、貴方のためなら何処へでも行くわ」

 

 恍惚とした表情でリボーンを抱きしめる彼女に「はあ」と返すしかなかった。

 リボーンが来てから怒涛の勢いで知らない人が家に来ている気がする。段々突拍子もない事態には慣れてきたが、それにしても2人目の住み込みの家庭教師とは。しかも女性とは。

 

(年上のお姉さんって、全然話したことないんだよな~……)

 

 むさ苦しい男たちの悲鳴ばかり聞いてきた人生だ。

 学校でも基本寝ているせいで、女子なんて風紀指導で声を掛けるくらいしか交流がない。一番会話量が多いのは母、そんな状態の男子中学生にとってビアンキはハードルが高かった。

 頬を掻きつつ、家庭教師というならリボーンと同じような扱いでいいか、と決める。

 

「よろしくね、ビアンキせんせー」

「ビアンキでいいわ。お近づきの印に、どうぞ」

 

 笑顔で挨拶をした家継の前に差し出されたのは、ブショアァァと音を立てる紫色の何かが乗った皿だった。

 

「あ結構です」

 

 握手のために差し出そうとした手を縦にしてお断りする。

 全体的に紫がかった固形物がいくつも入っており、虫やらキノコやらがチラチラ見え隠れするわ紫色の煙が上がっているわ――どう見ても毒物だ。

 こんなに全力で毒物ですと主張している食べ物も珍しい。食べ物かすら怪しい。

 

「これはな……に?」

「見て分からない? クッキーよ」

 

 見て分からないです、と心の中で返した。

 

「ビアンキはポイズンクッキングっていう技を持っているんだぞ。作る料理の全てが毒物になるんだ」

「説明してくれるのはありがたいんだけど、それでおれにどうしろと?」

「……すぴー」

「目開けたまま寝ないで!?」

 

 立派な鼻提灯をぶら下げた教師に見捨てられた。ずいっとクッキー(毒)の皿を突きつけられる。

 

「好意は嬉しいんだけど、さすがに毒は食べられないっていうか――」

「食べられないなら食わせるまでよ!」

「ひえ!」

 

 顔面に向けて勢いよく投げつけられた皿を、慌ててしゃがんで避ける。

 壁にぶつかったポイズンクッキングは、この世のものとは思えない音を立てながら壁を溶かしていった。

 

「壁が溶けてる~~!?」

「チッ、外したわ。命拾いしたわね」

 

 物騒すぎる。助けを求めてリボーンに視線を向けるが、まだ寝たままだった。

 こんなのが家庭教師で大丈夫なのだろうか。しかし、最初はリボーンに対してもそう考えていたことを思い出す。

 これでいて良い教師になってくれるのかもしれない……多分。おそらく。本当にそうだろうか?

 しゃがんだままうーんと頭を抱えていたとき、ピンポーンとチャイムが鳴った。

 

「お、おれ、行ってくるね」

 

 逃げるようにリビングを後にし、玄関の扉を開ける。

 そこには新たな殺し屋が――ということはなく、見知らぬ少女がいた。パッと見、普通にかわいらしい女の子だ。黒髪を後ろで結び、名門校である緑中の制服を着ている。

 

「はひ!? どなたですか!?」

「沢田ですが……もしかしてツッくんのお客さん?」

 

 そう尋ねると、彼女はみるみるうちに瞳を輝かせる。

 

「はい! もしかしてツナさんの弟さんですか!? そっくりでプリティーですう~!」

「プリ……あはは、弟じゃなくてお兄ちゃんです」

「おおお兄様!? ということはハルにとっても先輩ということですね!? 大変失礼いたしました!」

 

 少女が勢いよく上半身を直角に曲げる。苦笑しながら「大丈夫、よく間違われるから」と頭を上げてもらう。

 見た目通り快活な彼女は、頬を上気させながら楽しそうに話し始めた。

 

「自己紹介がまだでしたね。私は将来ツナさんのお嫁さんになる予定の三浦ハルと申します! 末永くよろしくお願いいたします、お義兄様♡」

「お、お嫁さん!?」

 

 綱吉は同じクラスの笹川京子が好きだったはずだが、好きな相手が変わったのだろうか。それともハルと名乗った少女が勝手に言っているだけか。

 「キャー言っちゃいました! 恥ずかしい~!」と両手を頬に当てて盛り上がっている様子を見るに、ハルの片思いの可能性が高い。

 

 しかし、思いを寄せてくれる子というのは貴重だ。いつか綱吉が心変わりするかもしれないし、ハルから危険人物の香りはしない。

 それなら未来の義妹候補に優しくしておかなければ、と家継は微笑んだ。

 

「こちらこそ、よろしくね」

「私、ツナさんたちが宿題頑張ってるって聞いて、気分転換のために鍋を作りに来たんです!」

「鍋……? そうなんだ、ありがとう。じゃあどうぞ、上がって」

 

 真夏に鍋とは。しかし彼女の手にはもう材料の入った袋がある。

 まあいいかと通すことにしたが、家継はハルのお嫁さん発言に地味に動揺していたため、リビングに危険人物がいることをすっかり忘れていた。

 

「あ゙っハルちゃんちょっと待っ――」

「あら、ハルじゃない」

「ビアンキさん! わぁ~っこんなところで会えるなんて!」

「……あれ、知り合い?」

「はい! この前一緒におでん食べたんです~!」

 

 意外な繋がりに「そ、そうなんだ……」と呟くことしかできなかった。さらにハルはリボーンとも知り合いのようで、彼の姿を見た途端、嬉しそうに「リボーンちゃん!」と話しかけている。

 世界は意外と狭い。いや、もしかするとリボーンの計画のうちに入っていたのかもしれないが。

 

 ビアンキが鍋作りを手伝おうと立ち上がり、家継は慌てて止めた。

 

「いや~~ビアンキは! 座ってて! おれが手伝うから!」

「どうして? 私は家庭科の教師でもあるのよ」

 

 人の家の壁を溶かしておいて何を言っているんだ。

 

「ほら、先生は生徒を見守ってほしいというか、自主性を重んじてほしいというか。リボーンだってそこで寝てるし。あ、美味しい羊羹があるからそれ食べててよ、日本のお菓子は珍しいんじゃない?」

「桜餅は作れるわよ。……まあいいわ、見ていてあげる」

 

 綱吉にポイズンクッキングを食べさせるわけにはいかない。必死で止めたおかげか、ビアンキは大人しく座ってくれることになった。

 どうか二度と立ち上がらないでほしいという願いを込めて、多めに切り分けた羊羹を彼女の前に置いた。

 

 ――野菜を切って、スープを入れて。

 手際よく作業したおかげで、鍋はすぐに完成した。

 カセットコンロの上で鎮座するキムチ鍋を前に、ハルと『いえ~い!』とハイタッチする。

 

「ありがとうございます、ツグさん! ふふふ、これできっとツナさんたちも大喜び……!」

「よかったねえ。これ結構重いけど大丈夫? おれが運ぼうか?」

 

 そう尋ねたとき、ちょうどよくリボーンの鼻提灯がぱちんと割れた。

 

「オレが行くぞ。女には優しくしなくちゃいけねーからな」

「リボーンちゃん! ありがとうございます!」

「せんせー……」

 

 ビアンキから逃げたいだけでは?という言葉は、近くに本人がいるので飲み込んだ。

 しかし「さすがね、リボーン」とビアンキも立ち上がる。

 

「隼人の様子を見たいし私も行くわ」

「え、獄寺くんとも知り合いなの?」

「あの子は私の弟よ」

「そうなの!?」

 

 ……そう言われてみれば。どことなく雰囲気や顔が似ている気がする。

 まさか家継と同じで上のきょうだいだったとは思わなかった。すこしビアンキに親近感が湧く。

 ハルに一緒に行こうと誘われたが、家継は笑って手を振った。

 

「おれはちょっと眠くなってきたからここで寝てるよ。早く鍋を持って行ってあげて」

 

 リボーンがいるなら、ポイズンクッキングもなんとか……悪いようにはならないだろう。

 3人を見送って、リビングのソファにとさりと倒れ込む。目を閉じれば2階から賑やかな声が聞こえてきた。

 なぜか獄寺の絶命寸前のような悲鳴と、山本の笑い声もする。

 

(ああ、山本くん、元気そうで良かった)

 

 心配事がひとつ減って、ほっと息を吐く。

 きっと山本の心を救ったのは綱吉なのだろう。当たり前だ。弟は優しくて、全てを包み込んでしまうような温もりを持っているのだから。

 それに一番救われているのは、家継だ。

 

 ――おにーちゃん、いたいの? だいじょうぶ?

 

 幼いあの子の声が脳裏で響く。そのたびに、胸の中心が温かい炎に包まれるような気がする。

 

(……大丈夫だよ。ツッくんがいるかぎり、ずっと)

 

 心の中でそう答えた家継は、微笑みながら穏やかな眠りに落ちていった。

 

 

 

▽▽▽

 

 

 

 とある日の放課後。

 家継はなぜか、ボクシング部の部室へと呼び出されていた。誘ったのはリボーンだ。

 暇だったので素直に了承し、普段立ち寄ることのないプレハブへと向かう。「失礼しまーす」と声を掛けながら、引き戸をスライドさせて部室へ入った。

 

「お、沢田先輩!」

「10代目のお兄様!」

「こんにちは~!」

「山本くんに獄寺くん、それに京子ちゃんまで。こんにちは」

 

 聞けば、全員リボーンに誘われたらしい。いったい何をするつもりなのだろう。

 了平繋がりで何度か話したことのある京子が、にこにこと笑顔で話しかけてくる。

 

「ツナくんのお兄さん! あのね、ツナくんがボクシング部に入るんだって」

「え? ツッくんが? ……なんか嫌な予感するな」

 

 具体的に言えば、ボクシングに情熱を注いでいるクラスメイトとか、極限が口癖のクラスメイトとか。というか、その妹が目の前にいるのでほぼ確定で彼なのだが。

 扉の開く音がして振り向く。

 

「極限に集まっているな!」

「おお……」

 

 予感は当然のように的中し、太陽のように晴れやかな笑顔で了平が入ってきた。肩には、ゾウの被り物をした見慣れない老人を乗せている。

 

(なんでゾウ……?)

 

 ふわっと違和感を覚えたものの、それが何故なのかは分からなかった。

 

「沢田も来てくれたのか! お前もボクシング部に入らないか? 中々いい蹴りをすると噂で聞いているぞ!」

「ごめんね、風紀委員会が忙しいから部活には入れないんだ。……ていうか、ツッくんがボクシング部に入ったって聞いたけど、どういうこと?」

「今朝勧誘して入ってもらったのだ!」

「いやいやいや」

 

 ない、絶対ない。

 綱吉がボクシング部に入るなんて99.9パーセントの確率でない。喜んでいる了平には悪いが、そう上手く事が運ぶことはないだろうなと思った。

 噂をすれば、扉の外で弱々しい声がする。それに気付いた了平が扉を引き、かわいい弟がおそるおそるといった様子で入ってきた。

 

「待ってたぞ、ツナ!」

「うわっ、みんないる!?」

 

 山本の声でこちらに気付いた綱吉が驚く。家継も「やっほ~」と笑顔で手を振っておいた。

 綱吉が何をさせられるかは分からない。

 しかし、リボーンがわざわざギャラリーを集めたのだから悪いことにはならないだろう。そう考えて、家継は静観することに決めた。

 

 思ったとおり綱吉は入部を断ろうとしていた。しかし了平も粘り強く勧誘しており、両者とも引く気配がない。

 

「沢田弟の、いや、兄弟を分けるのは面倒だな。ツナの評判を聞きつけて、タイからムエタイの長老まで来ているぞ! パオパオ老師だ!」

「パオーン!」

「リ、リボーン!!」

「え、先生なの!?」

 

 ゾウの被り物をした老人を二度見する。全くリボーンには見えないが――綱吉は昔から妙に鋭いところがある。彼が言うのなら、きっとそうなのだろう。

 家庭教師の変装技術に驚き、弟の観察眼に驚いているあいだに、リボーンがそそのかして綱吉と了平が勝負をすることになっていた。

 ヘッドギアを被せられた綱吉がリングに上がる。

 

「ツッくーん、がんばれー!」

「頑張れじゃないよ、助けてよ〜!!」

「兄に頼ってんじゃねえ」

「いてっ!」

 

 パオパオ老師……でなく、リボーンが綱吉に蹴りを入れつつ、ゴングが鳴らされる。

 

 了平がいきいきとジャブを繰り出した。綱吉は避けられないようで、見事に全ての攻撃を受けてしまっている。

 

 ……本当は、今すぐ飛び出して助けたい。

 けれどぐっと我慢して、こぶしを握りしめた。

 家継は教師ではない。人を育てるということに関して何も知らないのだ。だからきっと、リボーンのしていることのほうが正しい。口も手も、出すべきではない。

 

(それはそれとして、かわいい弟が殴られてるところなんて見てらんないよ~!)

 

「うう……!」

「ど、どうしたんすか沢田先輩、顔がシワシワになってますよ」

「つ、つらくて……!」

 

 顔をくしゃくしゃに歪めながら唸り、ひたすら耐えた。

 獅子は我が子を千尋の谷に落とすと言うが、家継には一生できそうにない教育方法だ。

 けれど、マフィアのボスなんてものを目指すには、それが必要なのだろうとも頭では理解している。

 

 もどかしすぎて爪が手のひらに食い込み始めたとき、一発の銃声が響く。

 死ぬ気弾を綱吉に撃ったのだろうか。薄く目を開けると、倒れていたのは了平のほうだった。

 

「そっち!?」

 

 思わず目を見開く。このままでは綱吉が、さらにボコボコにされるだけではないだろうか。

 戦々恐々としながら起き上がる了平を見る。しかし、彼に変化が訪れることはなかった。額に炎が灯ってはいる。でも、それだけだ。

 綱吉が呆然と呟く。

 

「もしかして、常に死ぬ気だから死ぬ気弾が効いてないってこと……?」

 

 いつも全力である了平なら、あり得るかもしれない。こちらが溶けそうなくらい熱血すぎるとは思っていたけれど、まさか常時死ぬ気モードだったとは。恐ろしい男だ。

 続いてもう一発銃声が響き、今度こそ綱吉が撃たれた。心臓に悪いので綱吉を撃つときは撃つと言ってほしい。

 

「リ・ボーン! 死ぬ気で入部を断るー!!」

 

 綱吉が額に炎を灯し、荒々しく起き上がる。毎回服が破れるのはなんとかならないのだろうか。リボーンに改善を要求してみよう、と思いながら「ツッくんがんばれ~!」と応援した。

 「入れ!」と了平が繰り出す拳を「やだ!」と綱吉が避ける。動きが先ほどとは大違いだ。飛んでくる激しい攻撃のすべてを避けている弟に感激した。

 

「かわすツナもすげーが、あのラッシュも素人のもんじゃねーな……」

「ありゃあ殺し屋のそれだ……」

 

 山本と獄寺の呟きに、内心同意する。

 了平のボクシングを今まで見たことがなかったが、予想以上に強い。綱吉が傷つくという心配がなくなった今、家継は顎に手を当てながら真剣に試合を見つめていた。

 

(手合わせしてみたいな……)

 

 一応勝てる……とは思うが、すべて死ぬ気で繰り出されるラッシュが当たれば、家継でもきっと無事では済まないだろう。

 別の意味で落ち着かなくなってきたが、弟の前で拳を振るうわけにはいかない。それもぐっと我慢して、ひたすら静かに見つめ続けた。

 

 そして、ついに綱吉の拳が届く。

 その一撃は重く、了平をリングの外まで吹っ飛ばした。窓ガラスに激突して血が流れるも構わず、了平は死ぬ気が解けて真っ青になっている綱吉に「ますます気に入ったぞツナ!」と笑った。

 

「お前のボクシングセンスはプラチナムだ! 必ず迎えに行くからな!」

「も~~、お兄ちゃん嬉しそうな顔してー!」

 

 京子が困ったように笑いながら了平の元へ駆けていくのを見て、家継も綱吉の元へ行く。

 

「ツッくんかっこよかったよ~! 怪我は大丈夫?」

「オ、オレより京子ちゃんのお兄さんのほうがやばいかも! 大丈夫かな!?」

「大丈夫じゃない?」

 

 改めて了平のほうを見ると、ちょうどリボーンが話しかけているところだった。

 

「オレも気に入ったぞ、笹川了平。おまえファミリーに入らねえか」

「ん?」

「コ、コラー! 逆スカウトすんなよー!」

「いいんじゃない、きっと頼もしい仲間になってくれるよ」

「兄さんまで何言ってんだよ!」

 

 弟のツッコミに笑いながら、本当に仲間になってくれたらいいのにと思った。

 戦闘力は申し分ないし、性格も明るい。何より彼は妹を愛している。

 きょうだいを愛する人間に悪い奴はいない――というのが、家継の持論であった。

 

 

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