体育祭――それは体育好きな生徒にとっては天国、苦手な生徒にとっては地獄の一大イベントだ。
この時期の校内は、どこもそわそわと落ち着かない空気が漂っている。
家継は戦闘が好きなものの、体育に興味はない。
しかし。作戦会議のためにと集まった講義室にて、ウキウキワクワク!を隠しきれない笑顔で参加していた。
「極限必勝!!!!」
部屋に叫び声が響きわたる。
了平が熱弁を振るうその場所には、全学年のA組が縦割りで集められている。
そう、縦割り。
つまり弟と同じチームなのだ。
「頑張ろうね、ツッくん!」
「なんでそんなやる気なんだよ……去年はしんどいとか言って学校自体休んでたじゃん」
「面倒くさいんだもん。でも今年はツッくんと一緒だから頑張るよ~」
「いーよ頑張らなくて……」
綱吉の真後ろの席から、頬杖をついてちょっかいを掛ける。
学校の中で弟と触れ合える機会は滅多にない。満面の笑みを浮かべていると、綱吉の隣に座っていた獄寺が誇らしげに頷いた。
「さすがはお兄様、分かっていらっしゃる。10代目ならどんな競技もヨユーっすよ!」
「ツナと沢田先輩がいれば安心だよな~!」
「ふたりとも何言ってんだよ! つーか、兄さんも運動嫌いだから居たところで何も変わんないし」
「お兄ちゃんだってやればできるよ~。体育は毎回サボってるけど」
「サボってんのになぜそんな自信が!?」
あははと軽く笑っていると、戸惑ったように山本がこちらを見た。そういえば、彼は家継の教育によろしくない噂を知っているのだったと思い出す。
しーと指を口元に当てると、山本は察したのかコクリと頷いた。うーん、物わかりが良くていい子だ。
家継たちが戯れているあいだに、了平の話は体育祭のメインイベントに差し掛かっていた。
「今年も組の勝敗を握るのは、やはり棒倒しだ」
「ボータオシ?」
不思議そうな顔をする獄寺に、家継が「総大将が棒のてっぺんに登って、相手の総大将を地面に落としたほうが勝ちっていうチーム全員でやる競技だよ」と補足を入れる。
「どーせ1年は腕力のある2・3年の引き立て役だよ」
綱吉は投げやりな様子でふてくされている。弟はお世辞にも運動が得意とは言えないので、まったくやる気がないのだろう。
「例年、組の代表を総大将にする習わしだ。つまりオレがやるべきだ――だがオレは辞退する!! オレは大将であるより兵士として戦いたいんだー!!」
了平の宣言にどよめきが起こった。
(気持ちは分かるけども……!)
正直、了平の言いたいことは理解できる。家継だって総大将なんかやりたくない。
しかしこの空間にいる生徒たちの中で、一番リーダーに向いているのは了平だ。いったいどうするつもりなのだろう。
「心配はいらん。オレより総大将にふさわしい男を用意してある――1のA、沢田ツナだ!!」
一瞬聞き間違えたかと思った。
しかし獄寺たちの「ボクシング野郎、なかなか分かってんじゃねーか!」「おおっ!」という嬉しそうな反応で聞き間違いでなかったことを知る。
いや、確かに、弟には無限の可能性が秘められているけれども。まだやらせるには早いだろう。
総大将は一番狙われやすく、毎年ボロボロになるという噂もあるし、了平の案を通すわけにはいかない。
「異議あり!!」
ガタンと大きな音を立てて家継は立ち上がった。「む、沢田か」という了平の言葉に、再度どよめきが起こる。
「えっ、沢田って風紀委員の?」
「あの沢田先輩もいたのかよ……!」
ざわつく生徒たちに綱吉が不思議そうな顔をしていたが、誤魔化している場合ではない。
「どうした。お前の弟が活躍するというのにどこが不満なんだ!」
「おれだって弟には活躍してほしいよ! でもまだ1年生だ、体が出来上がってないし危険すぎる。総大将にするには早いと思うな」
「先日のオレを吹き飛ばした力強い一撃を見ていなかったのか? 極限ラッシュですら避けてみせた、あの軽やかな身のこなし……沢田ツナは今! 最高に! 熱く燃えている男だ! 兄ならば誰よりも分かっているはずだろう!」
「それは………………その通りだ……」
ゆっくり着席した家継に「もっと抵抗してーー!」と綱吉が悲鳴を上げた。
そうして了平のゴリ押しや獄寺の脅し、もとい後押しもあり、めでたく綱吉が総大将をすることに決まったのである。
(うっかり笹川くんの勢いにつられちゃったけど、絶対嫌がってるだろうな……)
放課後、見回りで町内を歩きながら家継はちょっと後悔していた。
自分が総大将をすると言えば良かったかもしれない。しかし、もう決まってしまったことだ。当日全力で弟を守ることしか、家継にできることはない。
(まあ、守ればいいんだから大丈夫か)
ただの一般生徒の集まりなら余裕で叩きのめせる。ウンウンと納得して頷いていたとき、塀の上から「ちゃおっス」とリボーンが現れた。
「せんせー、どうしたの?」
「今からツナやほかのメンバーを集めて棒倒しの練習をやるんだ。おまえも来るか?」
「行く!」
即答すると彼はニヤリと笑った。いま絶対チョロい奴だなとか思われた気がする。実際、弟に関してはチョロい自覚があるので否定できないが。
リボーンのメンバー集めに同行するため、歩幅を合わせてゆっくり歩く。
彼は雑談をしながらも、ときどき家継を観察しているように見えた。
なぜ自分を見ているのか、なにを考えているのか。リボーンはポーカーフェイスすぎて感情が読めない。
敵意は感じないのでまあいいか、と気づいていないフリをして、家継はのんびり欠伸をした。
了平、獄寺、山本、綱吉が集まり、全員で向かった先は近くの河原だ。
準備のいい了平が棒倒しに使う棒を持ってきており、それを支えながら「よし、登れ沢田ツナ!」と振り向く。
「あ……あのオレ……木登りできないんですけど……」
「じゃーまずそっからだな」
「練習しましょーっ!」
「がんばれツッくん! 登るときはグッとやってひょいひょいって登るんだよ~」
「なんもわかんねーよ!」
家継は綱吉が落ちたときのために、すこし離れた位置で待機することにした。いつでも駆けつけられるよう、屈伸しながら4人のやり取りを見守る。
「甘ったれるんじゃない! 気合いだ! 気合いで登ってみろ!!」
「てめー無茶言ってるとぶっとばすぞ、芝生メット」
「やってみるがいい、タコヘッド」
「ぶっ殺す!!」
了平と獄寺はどうやら相性が悪いらしい。瞬きのあいだに喧嘩が始まり、了平に飛び掛かろうとした獄寺を山本が抑え、綱吉も「獄寺くんダメだよ!!」と慌てて制止する。
――賑やかな中、リボーンが銃を取り出すのが見えた。
ぎゅっと唇を噛み締める。もう危険性はないと分かってはいるが、いつ見ても緊張してしまう。
「オレは笹川に賛成だぞ」
言葉とともに、綱吉の額へ死ぬ気弾が撃ち込まれる。
炎を灯した弟が「死ぬ気で登る!」と宣言し、勇ましい声を上げながらあっという間に棒の頂点へ飛び乗った。
死ぬ気弾が原因なのか、弟の潜在能力が原因なのかは分からないが、とにかく最近の綱吉は本当にすごい。
家継はパチパチ手を叩きながら「かっこいい~!」と歓声を上げた。棒を支えていた三人も口々に賞賛の言葉を送る。
しかし和やかな空気はすぐに消えてしまった。獄寺が棒を支えながらタバコに火をつけた瞬間、了平の顔色が変わったのだ。「消さんかぁ!」と叫びながら、了平が獄寺のタバコを弾き飛ばす。
「てめー、なにしやがる」
「お前のケムリがオレの健康を損なう恐れがある!!」
獄寺は沸点が低いし、了平は常に全力で好戦的だ。だからすこしのやり取りで火花が散ってしまうのだろう。山本は「ハハハ、面白ぇーなー笹川兄は」と笑いながら呑気に眺めている。
「くっそー……この前の風紀ヤローといい、どいつもこいつも火ぃ消しくさりやがって……」
そのくくりで言うなら家継も風紀ヤローだし、タバコもやめてほしいと思っているのだが。
「あーもーガマンできねー!! やっぱてめーはぶっとばす!!」
「面白い、血が騒ぐぞ」
「ちょっお前ら! ちゃんと支えろよ! 沢田先輩!」
慌てた山本に声を掛けられ、さすがにまずいかとぐらついた棒を支えに行く。
手を貸したことで安定したものの、獄寺のダイナマイトがあちこちで爆発して、反射的に避けようとした家継は手を離して飛び退いてしまった。
「あっやばっ、ツッくん!」
「うわっわりーツナ! 倒れるぞ!」
「ええ!? え!?」
この爆発のなか支え続けるのは自殺行為だ。しかし死ぬ気モードが切れて棒の先端にしがみついた綱吉が、倒れゆく棒ごと川に突っ込もうとしている。
焦った家継は一瞬で傾いた棒を駆けあがり、綱吉を掴んで「山本くんパス!」と河原に投げ飛ばした。
「兄さああああああん!?」
山本がなんとか綱吉を受け止めたところを視認し、ほっと息を吐いた瞬間――。
家継は、冷たい川の中に盛大な音を立てて落ちた。
▽▽▽
翌朝、体育祭当日。
(最悪だ…………)
起きた瞬間から家継は絶望した。
体が熱い。頭はぐらぐらするし、目もうまく焦点を合わせられない。
原因は分かりきっている。昨日川に落ちたせいで風邪をひいてしまったのだろう。幸い咳や鼻水は出ていないようだが、普段の10倍くらい倦怠感がある。
家継は軟体生物のようにぐにゃぐにゃしながらベッドを転がり落ちた。
「うぅ……」
床を這いながらクローゼットに向かう。休みたいが、休んでしまったら弟と棒倒しに出られない。守ってやれない。
よって、風邪を申告するという選択肢は存在しなかった。元々平熱が低すぎるので、熱が出ていてもあまり顔に出ることがない。これなら誤魔化せるだろうと、着替えて平然とした顔でリビングに降りる。
「あら。いーくん、まだ眠いの?」
体育祭のために張り切って弁当を作っていた母が首を傾げる。だるさが隠しきれていなかったかもしれない。誤魔化すように「うん、今日めっちゃ眠い~……」と笑みを浮かべてみせた。
「応援してるわよ~! ほら、ちゃんと朝ごはん食べて!」
「棒倒しだけはがんばるよ……」
「コラ! 他の競技もちゃんとしなさい。体育全然やりたがらないって、担任の先生から聞いてるんですからね」
「うーん……」
体育というか、授業自体あまり出ていないのだが。どうせ寝るなら机につっ伏すより毛布にくるまりたいため、遠慮なく応接室でサボっている。
素行の悪さを母に言わないよう担任に圧力をかけておいてよかった、と内心ほっとしながら、もそもそ朝食を食べた。
早めに家を出て、ぼやける視界の中なんとか学校に着く。
グラウンドではすでに風紀委員と体育祭実行委員が設営を始めていた。離れた場所に恭弥もいる。
彼と目が合った瞬間、こちらに向かってずんずんと歩いてきた。「おはよ――」と言いかけた挨拶を遮るように手が伸びてきて、頭を鷲掴みにされる。
「な、なに……?」
「36度4分。馬鹿なの?」
「ば……いやなんでそんな体温分かるの、こわいよ」
「きみ、今日見学ね」
言われたことが一瞬理解できず、頭が真っ白になった。
見学……見学!?
「え…………うそでしょ!?」
叫んだ自分の声で頭が痛くなる。頭を押さえながら、しかしはい分かりましたと頷くわけにはいかなかった。
たとえ平熱より4度高かろうが気合いでいける。絶対弟と体育祭に出たい。そのためだけにここへ来たというのに。
「いやだ! ツッくんと棒倒し出るって言ったし……!」
「そもそも風紀委員は体育祭の設営と警備担当で競技には出ないよ」
「えっ嘘、いやちょっとだけ、棒倒しだけでいいから!」
「見学。草壁、ツグをテントの下に。悪化しそうなら保健室に連れてって」
「分かりました!」
「いやだいやだお願い出して~~~~!」
人生でこんなに駄々をこねたことはない。地面に転がってでも駄々をこねるつもりでいたが、まったく力の出ない体では草壁にひょいと持ち上げられるしかなかった。
「う、うう……最悪だ……人生の終わり……うう……」
ぐすぐすと泣きながら本部のテントまで運ばれる。熱のせいか、感情のブレーキが利いてくれない。勝手に出てきた涙が止まらなかった。
靴を脱いでパイプ椅子に体育座りしていると、家継が風邪をひいたと知った風紀委員たちがわらわら集まってきた。
「ツグさん、毛布はいりますか!」
「水分補給もしてくださいね!」
「ぬいぐるみもありますよ!」
いったい何歳だと思われているんだ。
暑苦しいリーゼントたちに囲まれながら、家継はさらにおいおい泣いた。
(来年こそは、来年こそは……! また縦割りで同じ組になるようクラス替えのときに先生に言っとかないと……!)
悔しさに涙を流しているあいだに準備は整い、体育祭が華やかに始まる。
なにか色々トラブルもあったようだが、毛布にくるまれてスポーツドリンクをストローでちびちび飲んでいる家継にとってはもう関係のないことだ。
弟と体育祭に出られないというショックが強すぎて、心ここに在らずの状態だった。
ついに棒倒しの準備を告げるアナウンスが響く。なぜかA組対B&C組という構図になっていたが、それもどうだっていいことだ。
(死ぬ気モードのツッくんならボコボコにできるでしょ……)
ちょっぴり投げやりな気持ちで、しかし弟のことはちゃんと応援したいので、ようやくグラウンドに視線を向ける。
――そして見てしまった。
恭弥が、B&C組の総大将として棒の上に乗るところを。
「ちょっと!! ねえ! 恭弥出てるんだけど!?」
幼馴染を指さしながら、隣にいた草壁に大声で抗議する。
「い、委員長の決断なので、どうすることも……」
「ずるいずるいずるい! おれも出る!」
「落ち着いてくださいツグさん! あなたは熱が出てるんですから!」
「いやだ~~!」
飛び出そうとしたところを草壁に羽交い絞めにされ、じたばたともがく。
ただの一般生徒なら敵ではないが、綱吉に恭弥はやっぱり早すぎる。しかもあの楽しそうな顔。絶対に咬み殺す気満々だ。
さすがに止めないと――と思ったものの、興奮しすぎたせいかくらりと目眩がし、胃から朝食が込み上げてきた。
「う……きもちわるい……」
「大丈夫ですか!? 保健室に行きましょう、ちょいと失礼します!」
「うう~……」
(ツッくんごめん……ほんとごめん……!)
吐かないよう両手で口を押さえると、草壁が家継を横抱きにして走り出した。揺れて吐き気がさらにひどくなるので勘弁してほしい。もうめちゃくちゃだ。
たったの数秒だった気もするし、数十分経った気もする。ようやく保健室に到着し、草壁が「失礼する!」と勢いよく扉を開ける。
「ん~、なんだ? うるせえな……」
出迎えたのは、無精ひげを生やした白衣の男だった。保健医ってこんな人だっけ、と朦朧としながら思う。
「風邪をこじらせて吐き気が出ているようです。処置を頼みたいのですが」
「おいおい、オレは野郎は診ねえ――って、なんだ女の子か~! オジサンがす~ぐ治してあげるからね~!」
家継の顔を見た瞬間態度をころっと変えた保健医は、デレデレとしながら何気ない動作で、止める間もなく――家継の胸を触った。
予想外の出来事に草壁も家継もぽかんとする。一方保健医は訝しげな表情になり「ん……男……? いやまさか……」と呟く。
遅れて状況を理解した家継は、反射的に三節棍を振りかぶった。たとえ力が出なくても、端を持って振り下ろせば遠心力でそこそこの威力が出る。
「ぶべっ!?」
見事に保健医の頭へクリーンヒットし、男は床に倒れ込んだ。さらに遅れて状況を把握した草壁が「貴様、ツグさんになんてことを!」と鋭い蹴りを決める。
こんな人間が保健医なんて、風紀が乱れに乱れまくってしまう。我が校の女子生徒のためにもここで排除しておかなければ。
家継は腕から降り、草壁に対して「こいつ、クビ……おれ、寝る……」と真っ青な表情で絞り出した。
「わかりました。病院からちゃんとした医者を呼んできますから、ツグさんは安静にしていてください」
「いや……そこまで……」
そこまでしなくてもいい、と言いきる前に、草壁は保健医を引きずりながら出ていってしまった。
そっと扉が閉められ、ひとりになる。
もう限界に近づいていた家継は、よろよろとベッドに倒れ込んだ。
保健医の行動に驚きすぎて吐き気は引っ込んだが、目眩がひどい。体を丸めてちいさく唸る。
風邪は引くわ、棒倒しには出られないわ、体調は最悪だわ、セクハラに遭うわ――本当に、最低で最悪な一日だ。
(ごめんね、ツッくん……母さんも、せっかく弁当作ってくれたのに)
今ごろどうしているだろうか。風邪だと素直に言えば良かっただろうか。でもそうしたら、綱吉が自分を責めてしまうかもしれない。
やっぱり言わなくてよかった、と思う。あとで家族には眠すぎて爆睡しちゃったとでも言っておこう。
そして今後、二度と川には落ちない。家継は鼻をすすりながら、そう心に決めた。