「なにあれ……」
家継は石造りの塀に背中を押しつけ、遠い目で呟いた。――この道をあと一歩進み、左に曲がれば自宅がある通りに出る。しかしその一歩が踏み出せないでいた。
自宅の前で黒服の男たちがたむろしていたのだ。放課後、巡回を終えて帰ってきたらこれである。勘弁してほしい。
気配をできるだけ薄め、そっと顔を覗かせて男たちを観察する。ざっと10数名は居るだろう。揃って異国の顔立ちである上に、この町のチンピラより遥かに戦えそうな身のこなしの者ばかりだ。
いつもの
……ということは、またリボーンの知り合いである可能性が高いだろう。
安心したような、うんざりしたような深い溜息を吐いて、家継は男たちのいるほうへ足を向けた。
彼らが家継に気付く。その途端、統率の取れた動きで道の両端に整列した。
「お帰りなさいませ、沢田家継殿」
ずいぶんと恭しい待遇だ。少し驚いた家継は目を丸くした。威圧的な黒服の整列を見ると風紀委員を思い出すなあ、と全く関係のないことを考えつつ、一番近い男に声を掛ける。
「あの。うちに何かご用ですか」
「ボスがお待ちです。さあ、どうぞ」
「……どうも」
男は問いかけには答えず、ただ家のほうへ手を向けて促してきた。
ボスが待っている、ということは彼らは護衛か。こんなに引き連れているなんて、かなり偉い人が待っているのかもしれない。心の底から行きたくないが、すでに綱吉が帰宅しているだろうし、彼に偉い人の相手を丸投げする訳にはいかないので家に向かうしかない。行きたくないが。
相手に軽く会釈して、頭を抱えたい気持ちを抑えながら足を動かす。両端に黒服の男たちが並ぶ中を堂々と突っ切り、門の前に着いた、その時。
「馬鹿ァ!!」
綱吉の叫び声とともに、2階の空いている窓から手榴弾が飛び出してきた。
「ええ!?」
おそらくランボのものだろう、紫色のそれに見覚えがあった。まずい。このままでは黒服の男たちが爆発に巻き込まれる。
弾き返そうと懐の三節棍に手を伸ばしたが、それよりも早く窓から人影が飛び出した。
「てめーら、伏せろ!!」
見知らぬ青年が空中で鞭を振るい、手榴弾を絡め取って上へ放り投げる。
――間一髪、上空で爆発した。
青年が地面に着地するのをぽかんと見つめる。彼は黒服の男たちに囲まれて「ボス」と呼ばれながら笑い合っていた。あれが、マフィアのボスか。
暗殺者は腐るほど見たけれど、ボスと呼ばれる存在をちゃんと見たのは初めてである。立ち居振る舞いは洗練されており、部下からの信望も厚い。マフィア相手に言うことではないが、かっこいいし良い人そうだなあというのが家継から見た印象だった。
しかし、悠長に構えていられたのはそこまでだった。
「ディーノさん、かっこいい……!」
「は?」
2階の窓から顔を覗かせた綱吉の一言。
それに一瞬で青年の好感度が地の底へめり込む。喉の奥から人生で一番低い声が出た気がしたし、こめかみがピキリと音を立てたような気もした。
「お、兄貴のほうも帰ってたのか! へえ……面構えは悪くないな。覇気もあるし、体幹もしっかりしてる。今んとこ、ツナよりボスに向いてんじゃねえか?」
弟には絶対聞かせられないドスの効いた声が聞こえたのか、こちらに気付いた青年が笑みを浮かべながら近付いてくる。
その肩にリボーンが飛び乗った。
「普段はこんなにピリピリしてねーんだけどな。お前を睨んで戦闘態勢に入ってるだけだぞ。良かったな、レアツグだ」
「嘘だろ何でだよ!」
「そんなレアいらねえー!」と叫んだ、いけ好かない相手を目を細めて凝視する。
よく見れば金髪金眼で家継とカラーリングが被っている上に、家継より頭ひとつ分くらい飛び出た身長に女の子受けしそうな顔、つまりイケメンと分類される人間であることに今更ながら気付いて歯を食い縛った。イケメンは滅びろ。
顔を若干引きつらせたディーノがリボーンからこちらに目を向けた。
「驚かせちまった……んだよな? すまん、悪かった。オレはディーノ、キャバッローネファミリーの10代目ボスだ。リボーンの元教え子で、お前たちの兄弟子にあたる。よろしくな」
「あにでし」
兄ポジションまで被りやがった――。
綱吉の兄はひとりで充分である。お呼びでないのでお帰り願いたいが、わざわざイタリアから来たマフィアのボス(周囲に部下付き)にそんなことを言えるはずもなく。
「………………沢田家継です。よろしくお願いします」
渋々、本当に渋々挨拶を返した。
詳しくは家の中で、という流れをぶった切るようにリボーンが声を上げた。
「――丁度いいな。ツグがやる気みてーだし、夕飯前の運動にいっちょ手合わせしてこい」
「え!? オレはこれから色々話すことが……」
「拳で語り合え。ツグもそれでいいだろ?」
「おれは大歓迎だよ。近くに空き地があるので、そこでどうですか? 『兄弟子殿』」
「あー……お前が良いんなら、良いけどよ」
ディーノが苦笑する。
今までで一番リボーンに感謝したかもしれない。合法的に気に入らない相手と戦えるって最高。満面の笑みで家継は頷いた。
しかし弟に見られる訳にはいかないので、まだ2階からこちらを見下ろしていた綱吉へ向けて朗らかに手を振る。
「ツッくーん! 悪いけど今からディーノさんと話してくるから、家で待っててくんない?」
「うん? 分かったー!」
「……なあリボーン、オレすげー嫌われてないか」
「あいつ筋金入りのブラコンだからな。お前にポジション取られたような気がしてんだろ」
「マジか……」
目の前でひそひそと交わされる会話は、リボーンの言う通りだったので否定するところがない。かと言って認めるのも癪なので無視をした。
「お前たちは帰ってろ」
部下を返そうとしたディーノに、リボーンがかぶりを振る。
「いや、ロマーリオは連れて行け」
「何でだよ、手合わせするだけだろ? 大丈夫だって!」
「大丈夫じゃねーから言ってんだ、いいから連れてけ」
確かに、マフィアのボスが一人きりというのも危険だろう。
ディーノ、リボーン、家継、そしてロマーリオと呼ばれた黒服の部下だけが残り、後の部下たちは黒い車に乗り帰っていった。残った4人で空地へと向かう。
あまり会話もなく、すぐに目的地へ着いた。
人通りの少ない場所にある、利便性の少なさから長年買い取る者がいない空き地だ。障害物もなく適度に広いので、小学生の頃は恭弥と一緒に遊び場として使っていた場所である。
夕方の6時を過ぎた頃。空が茜色から深い藍色へ変わる狭間で、家継とディーノは距離を取って向かい合った。お互いに無言だ。ディーノは家継を観察しているようで、視線が煩わしい。家継は早く戦いたいもどかしさを抑えるために口数が少なくなっていた。
「お前、武器は持ってるか?」
「はい。いつでもどうぞ」
ディーノの問いに頷く。ディーノが鞭を取り出して構えるが、家継はその場に突っ立ったまま動かない。
ロマーリオと呼ばれていた男が手を上げる。
「──始め!」
合図と同時に鞭が家継の目の前まで迫っていた。即座に取り出した三節棍で上空に弾く。
「へえ! それがお前の武器か!」
楽しそうに口角を上げたディーノの顔面目掛け、横薙ぎに武器を振る。軽く避けられて家継は眉間に皺を寄せた。
片端の棒に鞭を絡めて囮にし、反対側の棒でぶん殴ろうとしたら蹴りが飛んでくる。ギリギリで避けたものの、三節棍に絡んでいた鞭に引っ張られて体勢が崩れた。
辛うじて脇腹に蹴りを入れ、その反動でディーノから距離を取る。
「……っ、やるじゃねーか!」
紙一重で鞭が頬を掠めた。
家継が入れた蹴りは軽かったのだろう。ディーノの顔が歪められたのは一瞬だけだった。すぐに口元に笑みが浮かべられ、鞭の猛攻が始まる。
どこから攻撃が来るか分からない、自在にうねるせいで掴みどころもない。初めての感覚だ。
「ックソ!」
思わず舌打ちが漏れる。
いつもならすぐに倒せるのに、倒せない苛立ち。恭弥以外でここまで苦戦する相手は初めてだった。下っ端より断然強い。これがマフィアのボスかと痛感する。
おしゃぶりの力を使えないことも痛かった。力を使えれば一瞬で――いや。そもそも今の状態では、力の効果範囲である1メートル以内にまず近寄れないか。
中距離武器である鞭は、接近しなければ使えないおしゃぶりの力と相性が悪い。逆に三節棍であれば短距離から中距離まで自在に使える武器なのでそこそこ有利なはずなのだが、これは単純に家継の力量不足で負けている。
負ける――――負けて、たまるか!
ギリ、と歯軋りをして牙を剥く。
兄弟子云々のことはいつの間にか頭の中から消えていた。ただ目の前にいる獲物を狩りたい、それだけしか考えられない。
鞭を避けて、三節棍で防いで、それが面倒で。
隙のない攻撃の中へ勢いよく足を踏み入れた。
「おい!?」
ビリッと何かが裂ける音がする。音として認識はした。それが何かまでは考えず、ただ一直線に踏み込む。間合いに入ってしまえば一瞬の隙ができる。
狙うはその首――棍の先端を向けて、抉るような勢いで突き出す。
捉えた、そう、確信したのに。
がくんと膝が崩れ、視界が回転した。
「ぐ……っ!」
肺の酸素が一気に押し出され、鈍い衝撃が背中に走る。地面に叩きつけられたのだと遅れて気が付いた。膝が崩れたのは鞭で足首を引っ張られたせいだったらしい。絡んでいた紐が解ける感触がする。
「はー……流石にひやっとしたぜ。首を狙ってくるとは容赦ねーな」
苦笑いで家継を見下ろすディーノに、一気に脱力した。目を閉じて深い溜息を吐く。
――負けた。恭弥に負けても何とも思わないけれど、ディーノに負けると不快極まりない。心のどこかで素直にすごいと思ってしまうのも嫌だ。
「すっっっっごい……むかつく……」
両手で顔を覆いながら声を絞り出す。こんなに悔しいのは人生で初めてかもしれない。
「まあそう言うなって。さっきはマジで命の危機を感じたんだぜ? すげえよ、その歳でそんだけ動けりゃ上等だ」
「慰めとかいらないんであっち行ってください」
誰とも話したくないんで。そう言ったのにディーノは家継の頭をわしわしかき混ぜてきた。やけに楽しそうな顔で腹が立つ。
離れて見ていたリボーンとロマーリオも近付いてきた。
「ようボス、間一髪だったな」
「ほんっとにな! リボーンに手合わせしろって言われたときは軽い気持ちで頷いたが、これは予想外だったぜ」
「お前、修行が足りねーんじゃねえか? 8歳も年下相手に情けねえ」
「ちゃんと勝っただろ!?」
頭の上でわいわいと騒がしい。仰向けに寝転がったままでいたら段々と眠くなってきた。早くどこかへ行ってくれないかな、と思いながら目を閉じる。
「おいツグ、こんなとこで寝るな。家に帰ってママンに手当てしてもらえ」
「そうだ、怪我! 結構ざっくりいってたよな……ってすげえ血が出てる!?」
左の二の腕が地味に熱いと思ったら、無理やり突っ込んでいったときに裂けていたようだ。自覚した途端に気分が悪くなってきた。
血を流すなんて何年ぶりだろう。
「おえ……もうやだここで寝る……」
「寝るな寝るな、もうちょい耐えてくれ。抱えていってやるか――」
「起きます」
即答して無理やり身を起こした。ディーノに抱えられるくらいなら意地でも起きる。「ボスが嫌ならオレが抱えてやろうか」とロマーリオに笑いながら言われたが、丁重にお断りした。
すでに血は止まっていたものの、おそらく学ランの下のカッターシャツは赤く染まっているだろう。捨てるしかなさそうだ。予備の制服を持っていて良かった。
腕を押さえながら、覚束ない足取りで帰路につく。家が見えてきた頃に、隣を歩くディーノを見上げた。
「あの……手当ては自分でするので、母さんと弟には怪我したこと言わないでもらえますか」
「――いいぜ。つっても、その見た目じゃ一発でバレそうだな……ほら」
少し目を丸くしたディーノが、にかりと笑って頷いた。ふいに彼が着ていた緑色の上着を脱ぎだして家継の肩に掛ける。
「寒そうだったから貸した、って言えば誤魔化せるだろ」
「………………ありがとうございます」
「そんな嫌そうな顔するなって! ツナの兄弟子ってのが気に入らねーのかもしれねえが、お前の兄弟子でもあるんだからな? もっと尊敬して頼ってくれて良いんだぜ」
その兄弟子っぽく構われるのが、生暖かい目で見られるのが一番嫌なのだとは、世話を焼かれている手前言える訳がなかったので「善処します……」と家継は小さく呟いた。
帰宅してすぐに自室へ向かったため、家族に姿を見られることは免れた。
クローゼットの奥にある救急箱を取り出す。消毒液を傷口に勢いよく掛け、思いっきり顔を顰めた。痛いのは嫌いだ。打撲や骨折なら慣れているが、切り傷を作る機会はほとんどなかったせいで余計に痛みを感じる。
苦々しい表情で家継は血を拭う。ずっと、次こそは絶対に勝つという意地と、今のままでは勝てないだろうという理性が頭の中でせめぎ合っていた。
こんなに苛立たしいのは人生で初めてかもしれない。人を嫌う、という行為はひどく疲れる。それが嫌で、気に入らない相手は即座に潰してきたのに。
どうにも言葉にならないもどかしさを抱えて溜息を吐いた。
ガーゼを貼り、上から包帯を巻いてシャツを羽織る。これで見た目は問題ないだろう。リビングへ向かおうとドアノブに手をかけて、顔を顰め続けていたことを思い出した。深呼吸をして穏やかな表情を意識する。
そうして、部屋を出た。
遅くなってすみません! 中途半端に長くなりそうだったので上下に分けました。全部書けている訳ではないので下は多分また1週間後くらいです……。
一時期急にUAが増えてびっくりしたのですが、ランキングにお邪魔していたみたいで心臓が口から出るかと思いました。
お気に入りに入れてくださったり、評価や感想をくださる方々、読んでくださる方々、いつもありがとうございます~! とても力をいただいています、これからも頑張って書きますね!