異世界で質屋の手伝い始めました、な話。

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異世界質屋は付喪憑き

 前略、俺は質屋で働いている。質屋のシステムを簡単に説明すると、価値のある品物をお客から預かることで現金(ゼニー)を渡し、期日までに利息分を足したお金が戻れば品物をお客に返し、期日が破られたら品物は流れ、質屋がその品物を売る権利を得るというシステムだ。

 海外版の某人気お宝鑑定番組と、同じではないが、だいたい似たようなものだと言える。

 お客の相手をするのは雇い主の爺さんの仕事であり、これが中々に食えない爺さんなのだが、さておき。俺の仕事は専ら“鑑定スキル”で品物の価値を見抜き、“修復スキル”で流れた品物の価値を高めるという、結構重要な仕事であったりする。

 

力也(りきや)。お客さんだ」

 

「今行く」

 

 土間続きの暖簾(のれん)をくぐり、お客の男性に会釈する。なめし革の胴衣に腰袋とくれば、冒険者のそれだな。

 

「鑑定士の力也です。早速ですが、品物を見せていただいても?」

 

「ああ、こいつを質に入れたい」

 

 冒険者風の男性が取り出したのは、一見白亜色の小さな石に見えるが、細部まで模様が刻まれている一品だ。俺は“鑑定スキル”を発動する。

 

「これは、飾りボタンですね」

 

 冒険者風の男性は、小さく頷いた。

 

「この品物はシュリンプ・バードの甲羅で出来ています。ありふれた素材ですが、加工は難しい。ましてやここまでの趣向が凝らされた品物は数が少ない。クサガモに世界樹の葉、これは足跡であり、巡る季節であり、再会の約束を意味する模様。この模様が流行したのはひと昔前ですが、縁起物として今もコレクターには人気がある品物です。私の鑑定では600ゼニーですね」

 

 爺さんと目配せをする。俺の仕事は終わり、話は爺さんが引き継いだ。

 

「もちろん、600ゼニーというのはお渡し出来る上限になります。必要な額だけ借りるならその分利子も少なくなりますし、証明書も書きますから、もしも品物が流れた場合には証明書を持ってお越しになっていただければいつでも600ゼニーから受け取っていない分のゼニーをお渡しします」

 

「……なるほど、理解した。600ゼニーで頼むと利子込みでいくらになる?」

 

「利子は一割ですので、660ゼニーになります」

 

「まぁ、そのぐらいか。分かった、600ゼニーで頼む」

 

「ありがとうございます。上限額の場合は、証明書を省略させてもらいます。返金の期日は今日から30日後、それまではこの品物はゴレンさんの所有物としてこちらで保管させてもらいます。また、今日の取り引きはこちらの台帳に残りますのでご安心を。では、こちらが600ゴールドになります。お確かめ下さい」

 

「うむ、確かに受け取った。……この店、気に入ったよ」

 

 冒険者風の男性、ゴレンと言ったか──は、取り引きの内容に満足した様子で店を出ていった。

 

「あのお客、もう来ないだろうね」

 

 思ったことが、ポロリと溢れた。

 

「止しなさい。まぁ……急に惜しくなるやもしれんが。そうだろう」

 

 ここには色んな人が来る。冒険者だったり、庶民だったり、貴族や町の破落戸(ならずもの)だってここのお客だ。共通項として皆お金が欲しいワケなんだが、その理由も千差万別で、これまで厄介事の気配があれば、爺さんの観察眼と俺の“鑑定スキル”で取り引きを避けてきた。

 そんな俺から見て、あの冒険者風の男性は飾りボタンに情があるようには見えなかった。換金出来れば満足するタイプだと、経験則で感じていた。

 

「そろそろ一度店を閉めて、飯にしようか」

 

「じゃあ、俺はさっきの品物を金庫に保管してくるから」

 

 暖簾をくぐり、履き物を脱いで金庫のある爺さんの部屋に行く。400リットル程度の金庫は、ただの金庫ではなく、魔道具だ。手始めに六桁のダイヤルでまだ使っていない座標を決めて、金庫の扉を開く。もちろん金庫の中身は空っぽだ。そこへ先程の品物を置いて扉を閉めると、最後の仕上げに鍵を掛ける必要がある。……合言葉は、よし決めた。

 

「我は宝を秘する為に飲み込んだ。宝は我だけの物。合言葉は……“小海老は水面を滑空する鴨を夢みて跳ねた”。秘密は竜の胃袋の中で眠る。──これで完了っと」

 

 店の外で待っている爺さんと合流すると、馴染みの宿屋兼食堂の“せっかちキルシェ亭”へと向かった。

 

「いらっしゃい!そろそろ二人が来ると思っていたところだよ」

 

 店に入ると、人好きのする笑顔でヤネットさんがブイヤベースとパンを持ってきた。カラクリを知ってはいるものの、早すぎて笑ってしまった。初めては誰だって面食らうだろう。

 

「あれ、キルシェさんは?」

 

「窓辺で昼寝してるよ」

 

 席につき、ぽつりと溢した俺の一人言を、漏らさず拾ったヤネットさんに言われて窓をみれば、キルシェさん──ふんわりとした毛並みの黒猫が日なたでのんびりと眠っていた。

 俺はここの空気が好きだ。風味のいいブイヤベースにパンを浸して食べていると、幸せな気持ちになれる。

 

「魔導書の修復はどうだ」

 

 こんなときに爺さんが仕事の話をするので、俺は眉をひそめた。が、頭の片隅にずっとあったことなので、明瞭に答えることが出来た。

 

「壮丁は新しくした方が良いと思ったから問題なくバラした。染み抜きは全体の六割が終わってて、後は上質な紐が欲しいかな。あれば明日には終わる」

 

「分かった。紐は翌朝までに用意する。それと、お前がいない間に竜の(すずり)が流れたと話していたお得意様の従者が店に来て、ぜひ買いたい、との話があった。だから今日はそっちを優先してくれないか」

 

「ええ?段取りが狂うのに……」

 

「頼むよ。大事なお得意様だ」

 

「……やるけど。あれは付喪憑きだから集中させてくれ。午後から鑑定の仕事は無理だからな」

 

「そうさな、仕方ない。鑑定はわしがやる。昔はそうしていたしなぁ」

 

 スキルは無いが、この爺さん、流動的に移ろう物の価値を、正しく目利きするから侮れない。俺の“鑑定スキル”は絶対で、説得力があるから重宝されてはいるが、本当は無くてもやっていける人だと俺は知っている。“修復スキル”も、利益を増やすのに直結していて大事なことだが、無ければ無いで、諦めもつく範囲と言えるだろう。

 

 付喪憑き。

 質屋に道具を売りに来るのに、千差万別の理由がある。食うに困った芸人が、商売道具を売りに出す時の苦渋の顔と、ゼニーを受け取った時の安堵の顔。どちらも同じ、人間の顔である。

 九十九の時を経た道具には、神が宿るとされている。それを付喪神という。多くの人には見えない付喪神。そんな付喪神が宿っていようとも、道具は道具であるからして、気持ちを込めて使う人がいれば付喪神だって持ち主に愛着が湧くし、性格も似る。

 そんな道具が質屋に売られる時、持ち主の百面相の気持ちに触れた付喪神は何を思うのか。──そのほとんどが、負の感情だ。

 付喪憑きとは、曰くつきの道具であり、道具に憑いた付喪神に新しい買い手が呪われないよう、話をするのもまた俺の仕事である。

 

 ◆

 

「我は宝を秘する為に飲み込んだ。宝は我だけの物。合言葉は……“雷鳴遥けき、龍は神を黒く染めた”。竜の(アギト)は再び開かれん」

 

 昼飯を済ませてから、俺は爺さんの部屋にUターンしていた。魔法の金庫の扉が開き、俺は大量の紙と筆を持って金庫の中へと入っていく。金庫の中は竜の飾りが一体となった硯が一つあるだけだ。そして硯には、既にたっぷりの墨が小さな海を作っている。

 

「さて、対話を始めようか……」

 

 筆にたっぷりの墨を含み、毛先を整えて、いざ紙に黒点を落とす。予め濡らしていた紙でもないのに、墨が滲んで波紋のように広がり、紙全体が黒に染まってしまう。何度試しても、同じ結果になってしまう異常事態。これでは、硯は使い物にならないだろう。

 

「墨が滲んでしまうのは、お前が泣いているからなんだろう?」

 

 ポツリポツリと始まって、黒い雨が降ってきた。

 黒い雨が落ちた紙は同じように黒く染まり、持ってきた紙が全滅してしまった。……悲しみが深いな。

 息をするのも苦しいぐらいの豪雨になっていた。それはまるで、土足で踏み込もうとする俺を拒んでいるかのようだ。

 今回も、一筋縄ではいかなそうだ。俺は一度諦めて、金庫の外へ出た。

 

「我は宝を秘する為に飲み込んだ。宝は我だけの物。合言葉は……“雷鳴はるけき、龍は神を黒く染めた”。秘密は竜の胃袋の中で眠る。──寒いなぁ」

 

 濡れ鼠になっていた俺は、ただ濡れているだけの着物を見てやっぱりなと納得した。あの硯の海は墨ではなく、おそらく涙で出来ている。紙だけを、黒く汚すのだ。だからか少し、しょっぱい匂いがする。

 

「どうだった」

 

 爺さんは聞くが、俺の様子をみて結果を悟ったようだった。

 

「駄目。……前の持ち主のことをもっと知りたいかな。売りに来たのはどんな人だっけ」

 

「若い女性だよ。だがあれは、昼前の客と同じ、品物に何も感じていない風だったから、本当の持ち主とは別だろう」

 

「若い女性、か。……爺さんのことだから、本当の持ち主の方はおおよそ見当がついてるでしょ」

 

 爺さんの蓄えた髭がグニャリと動く。見えにくいが、口の端が上がっているのだ。まったく、いやらしい爺さんだよ。

 

「わしらは憶測で話をしてはいかん。信用を失ってしまうからな」

 

 どの口が、と茶化したくなるが、TPOの三文字が頭を掠め、グッと飲み込んだ。

 

「それじゃあ、確かな話を聞くよ。その若い女性はどこの誰?」

 

「うむ。本来なら秘するところだが、今回はお得意様の件もある。話そう。あれは商業区にある反物屋の一人娘で、チヨという。最近、結婚したばかりだよ」

 

「じゃあ、ちょっと出掛けてくる」

 

「引き際を誤るな」

 

「分かってるつもり」

 

 一路自宅に戻った俺は、濡れた着物を別なのに着替えて商業区へ向かう。……今日はこんなに天気がいいから、家に着くまでの好奇の目が痛かった。

 昼の盛りに街の往来はとても賑やかで、情報が煩雑としている。まるで鬱屈としている俺の心への、当てつけのようだった。錯覚だけど。

 反物屋の中へは入らず、遠巻きに様子をみていると、確かに若夫婦が店番をして働いていた。……机には羽ペンとインク壺か。

 俺はそのまま反物屋には入らず、二つ店を挟んだ薬屋に入る。ここのやさメガネの店には、爺さんの生薬を貰いに何度か来たことがあって面識がある。

 

「いらっしゃい。今日は何だい?」

 

「薬膳団子とお茶が欲しいな」

 

「茶屋にでも行け。こっちは忙しいんだ」

 

「ちゃんとお金は出すよ。話をしたいってのが本命」

 

「……まったく、仕方無いな」

 

 やっぱり暇じゃないか、とは言わないでおくのは俺の優しさだ。薬膳団子とお茶を出してくれるあたり、このやさメガネはちょろメガネだ。

 

「美味いな。いっそ茶屋を開けばいいのに」

 

「あのな、家は代々続く薬屋だし、それなりに矜持だってあるつもりだ。……冷やかしに商業区まで来たんじゃ無いんだろう?」

 

「悪かった、世間話をしに来たんだよ。……二つ隣の反物屋の一人娘が結婚したんだってな。相手の方は知っているか?」

 

「なんだ、狙っていたのか──冗談。露骨に不機嫌な顔をするなよ。たしか、職人だったって聞いたな。それを機に店を譲ったとか。店の評判も良くなったと聞く」

 

「へぇ、そうか。にしても、反物屋の一人娘と職人がか。よく親が許したな」

 

「……これは噂で聞いた話だが、他言無用だぞ?」

 

 薬屋のやさメガネは声を一段と低めてそう言った。噂好きのネットワークを構築しているあたり、何というか……。

 

「分かった。続けてくれ」

 

「二人は大恋愛の末にその熱意を親にぶつけ、とうとう説得して結婚した、と表向きでは言われているが、娘の方は身重の体だろう?めでたいことなんだが、結婚が決まった時期と妊娠の時期を数えたヤツがいてな。子供が出来てしまったから、親が認めざるをえなかったんじゃないか。そういう噂が流れているんだよ」

 

「ふーん、お前好きだよな。そういう話」

 

「バっ!?断じて違うッ、たまたま、疑問に思った……いや、コホン、ただの噂話だよ」

 

 慌ててズレたメガネをくいっと直す仕草が、実に古典的で何故か憎めない。噂話が好きだったりと、やっぱり茶屋の方が向いていると思わずにはいられないのだった。

 

「話を戻すが、若夫婦に店を譲ったって言ってたよな。親は隠居か?」

 

「いや、旦那が元職人だからな。仕事が早く身につくよう、裏で熱心に指導しているそうだ」

 

「なんだ。経緯はどうあれ、仲が良さそうじゃないか」

 

「初孫が、可愛くない親はいないさ」

 

「間違いない」

 

「そういえば、隠居で思い出したが」

 

「ん?」

 

「隠居していた反物屋の爺さんの葬式が、ちょうど一月前にあったなぁ」

 

「───」

 

 ◆

 

 孫娘が染物職人の男の子供をお腹に授かったと、深刻そうに言う息子からの相談に、私は何と答えればいいのか戸惑った。

「それはめでたいことだ」と最初に自分の口から出てきたとき、私は深く安堵した。「しかし、二人の結婚の先は容易ではないだろう」若い二人がどう子供を授かったのか、そこに愛があるのか。それが肝要だった。

「私はチヨさんとお腹の子を愛しています」決意を持った男の言葉だった。それが聞ければ、何も問題はないだろう。私は息子に、二人の助けになるようにと言い含めた。今の私が願うのは、家が長く続くことであり、人の心を動かしたいのなら、まずは自分が相手を信用することだ。

 私は、昔から息子が欲しがっていた龍の硯を譲ることにした。親から子へ代々受け継いだこの硯には、龍が棲んでいると私の父から聞いる。この龍が私達の水の流れを良くし、災難から護ってくれるだろう。……これが私がしてやれる、最後の仕事だろうな。

 ──どうか、助けてやってくれ。

 

 

 反物の品質が落ちていると、悪い評判を聞くようになっていた。どうにかしたいが、どうにも出来ない。私は苛立っていた。

 娘が直接職人の元へ行き、原因を探しているのは知っていた。ある日、水に問題があると娘が言った。確かに、昔は井戸水を汲んで染め物に使っていたが、最近は利益を上げようと、効率化の為に魔法で生成した純水を使用していた。

 

「綺麗な色に染めるには、魔法で作った純水だと駄目なんです」

 

「私に意見するとはどういうつもりだ!」

 

「私は、職人の方の言葉を代弁したまでです。彼らはずっと、物をよく知っていますよ」

 

「ーーッ、つまりお前は、私を汚ならしい職人以下の、馬鹿だと言うのだな」

 

「そうですね。藍よりも青く染まった手を、私は信じています」

 

「よく分かった。お前は病気だ。今日より一切の外出を禁じる!」

 

 

 もっと上等な染料を。もっと上等な糸を。

 まずいまずいまずい、どうしてうまくいかない。

 なんだ、私は今忙しいんだ!……何、娘が身重だと?

 

 

 ……悪夢をみていたようだ。

 チヨの、職人の言っていたことは正しかったのだ。

 やり直すには遅すぎた……金がいる。

 チヨ、これを質屋に入れてきなさい。

 

 ◆

 

 俺は再び、金庫の中にいた。

 

「反物屋のご隠居の爺さんは、一月前に亡くなったよ」

 

 その一言で、付喪神の反応は劇的だった。黒い雨で出来た水溜まりは逆巻き、巨大な積乱雲が高く高く、膨らんでいく……。

 

『ドウシテ今ッ!彼ラノ側ニイナイッ!』

 

 黒い稲妻が走り、龍が吼える。

 彼の側に、ではなく彼らの側に、か。ご隠居が亡くなったのは、硯が売られた後であり、先ではなかった。つまり、生前の内に硯は娘に譲渡されていた。おそらくは結婚祝いの品として。そして硯の価値を理解出来ない娘に、質屋に売られてしまった……。その悲しみが正体だと思っていたが、愛憎相半ばするようには見えない。もっと別なところに、何かがあるように思えてならない。

 

「人が質屋に物を売る理由はシンプルだ。お金が必要だったんだよ。だから売られて、側にはいられなかった。本当は、ずっと側にいたかったんだね?」

 

『託サレタノダ……淀ミハ消エテ、清キ水ガ流レ始メ、好転ノ兆シガアッタ。富ノ流レモ今頃ハ解決シタハズ』

 

「……側で守り続けたかったんだな。確かに、反物屋の評判が最近良くなったそうだ。若夫婦と親が協力して、上手くやっているらしい」

 

『ナラバ、ナゼソコニイナイ……』

 

「君にはとても価値がある。俺は君に36000ゼニーの値段をつけた。君は彼らをそのお金で助けることが出来たけれど、今の彼らの価値観では、硯に利子込みで39600ゼニーは高すぎた。インク壺の方が何千倍も安く済むのが、現実だよ」

 

『インク壺、インク壺か……嫉妬するなぁ』

 

 龍の姿は幻のように消えて、硯に腰かける少年──硯の付喪神が羨ましそうに呟いた。

 

「使われたいと願うのは、道具なら当然のことだと思うよ。ただし、君を本当に欲しがっている人は他にいる」

 

『そうか……寂しいけれど』

 

 龍の飾りが一体となった硯から、墨の海は蒸発したように消え去っていた。

 

「我は宝を秘する為に飲み込んだ。宝は我だけの物。合言葉は……“雷鳴はるけき、龍は神を黒く染めた”。秘密は竜の胃袋の中で眠る」

 

 ◆

 

「終わったよ」

 

「そうか、よくやってくれた。今日はもう、帰っていいよ」

 

「分かりました。お疲れ様です」

 

「お疲れ様。気をつけてお帰り」

 

 店の外に出ると、空は飴色に染まり始めていた。ここからは駆け足で夜が訪れるだろう。

 一路家に帰ると、布団を敷いて直ぐ様横になった。今日は予定外に、疲れてしまった。何もしたくない気分だ。

 

『ちょっと、夕ご飯食べなさいよ!が、餓死するわ!?』

 

「へーき」

 

『びしょ濡れの服は、どうするのよ!か、カビが生えるわ!?』

 

「たぶんへーき」

 

『たぶんじゃ駄目!今やるべきだからはやくはやく!』

 

「……」

 

『無視しないでっ!?ねぇ、ねえったら!ねぇ!』

 

「あーーーっ!分かった、ちゃんとやるから」

 

 これではとても眠れないと、俺は柄杓に対してお手上げのポーズをする。──ワケあって、俺の家には商品にもならない付喪憑きの道具がいくつかあるのだ。この柄杓は、その内の一つだ。

 

『……お茶でも飲む?』

 

「うん。……美味い」

 

『良かったー』

 

 これは湯飲みの付喪憑き。

 

『落ち着いてる場合じゃないわ!?』

 

「冷たっ!?水掛けんなっ」

 

『やれやれ、まとめて暖めてあげるから、さっさと脱ぎなよハァハァ……』

 

「おおっ、助かる」

 

『ハァハァ……もっと、んっ、近づいたらどう?ハァハァ……』

 

「それは焦げるからパス」

 

 こっちは火鉢の付喪憑き。

 

「そろそろ乾いたし、もういい?」

 

 俺は柄杓を持ち上げて聞いておく。

 

『夕ご飯は食べなさいよ。……あ!外から帰ったのに手と口をまだ洗ってないわ!?』

 

 お前は俺の母親かっ!と心の中だけでツッコミを入れる。実際に言葉にすると面倒になるのは分かりきっていた。

 

「……わかったわかった。今やろう。飯も食べる」

 

 中略、異世界での生活にもだいぶ慣れてきた。すぐ近くには、危険と隣り合わせの剣や魔法での派手な戦いが広がっていたりして、それに一ミリも憧れないワケでは無いが、質屋での仕事も案外悪くないと、最近はそんな風に思うのだ。

 

『それじゃあ、夜の打ち水に行くわよ!』

 

「行かねーよ!はよ寝ろ」

 

『と ゛う ゛し ゛て ゛よ ゛ーーっ!?』

 

 この柄杓、なんとかして売れねーかな……。



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