生徒会に入る。そう決意した玉青を待ち受けていたのは生徒会長である深雪による痛烈なだまし討ち!?恨めし気な視線を涼しい顔で受け流す深雪に玉青はがっくりと肩を落とす。一方の渚砂は美しい悪魔に誘い出されて…。生徒会室とエトワールの温室で物語は動き出す。上級生に翻弄される4年生たちの運命やいかに!?
■目次
<だまし討ち>…涼水 玉青視点
<獲物>…花園 静馬視点
<膝の上で>…蒼井 渚砂視点
<だまし討ち>…涼水 玉青視点
ホームルームが終了したばかりのまだ人の多い教室で、私は手早く荷物をまとめると渚砂ちゃんに声を掛けた。昨夜相談した生徒会の件で六条様のところに行くから今日は一緒に帰れないと伝えるためだ。渚砂ちゃんは私が生徒会という単語を出しただけですぐに気付いてくれて、私の手を握るなり頑張ってね!と励ましてくれる。そのうえ教室の外まで付いてきて今も後ろで手を振ってくれているんだから力が漲らないはずがない。私は渚砂ちゃんからパワーを貰い意気揚々と歩き出した…はずなんだけど。
一歩、また一歩と生徒会室が近付くごとに心臓の鼓動が大きくなっていく。せっかく渚砂ちゃんが応援してくれたのに小心者の私はすっかり怖気づいてしまっていて、生徒会室と書かれた札が見えた時なんかはひと際ドキンと心臓が跳ねて思わずその場で倒れてしまいそうになった。
落ち着け、落ち着け。何でもない。今日は生徒会に入ると言いに来ただけだ。六条様だって言っていたじゃないか。様子を見てから決めるって。だからすぐに次期生徒会長だと紹介されるようなことはない。大丈夫。六条様に伝えたらその場で軽く挨拶をして、もし必要なら少し仕事をお手伝いしてそれで今日はおしまい。そしたらいちご舎に戻って渚砂ちゃんに甘えたっていいんだから。
声に出さないように気を付けながら、私は心の中でそう自分に言い聞かせた。そうしていないと今にも口から心臓が飛び出しそうだ。こんなことで一々緊張していてはいけないとは分かっているけど、やっぱり怖いものは怖い。いつも堂々としている六条様を思い浮かべ、次に自分の有様と見比べて私は自分が情けなくなった。すぐに六条様のように振舞えるとは思っていなかったけど…いくらなんでもちょっとカッコ悪い。果たして私に次期生徒会長なんて務まるのだろうか?
いけない、いけない。しっかりしなきゃ。渚砂ちゃんのためにも私は頑張るんだ!そう心を強引に奮い立たせた私は扉の前で深呼吸をすると、手の甲で2、3度扉をノックした。滑らかに開いた扉から顔を覗かせた取り次ぎ役の生徒に六条様に会いたい旨を伝えると、その生徒はくすりと笑いながら私を部屋の中へと招き入れる。あれ?今私を見て笑ったような?ありがとうございますと会釈して中に入りつつも、私はなんでその生徒が笑ったのかが気になり後ろ髪を引かれた。
私より年上…、5年生だと思うけれどなんで笑ったんだろう?もしかして緊張のあまり思い詰めた顔でもしていたのかもしれない。変な顔をしていたら嫌だなと思い慌てて何か鏡に出来そうなものを探したけれど、あいにく代用できそうなものは窓ガラスか書類棚のガラスくらいなもので、私の近くには何もなかった。
ならばせめて制服だけでも整えておこうとあちこち点検してみたけれど、制服には乱れたところはどこもない。となるとやっぱり笑われたのは表情のせいか…。そう思うとなんだか急に恥ずかしさが込み上げてきて、火照り始めた顔が赤く染まっていくのが自分でも分かった。どうしよう。目に映る人みんなに笑われているような気がする。実際にはそれは私の思い違いだったのだけれど、この時の私はたしかに笑われているように感じたのだ。俯きがちに部屋の中を進んで行くと、その様子を見ていた六条様が顔を上げなさい、と声を掛けてくれた。けれどそれが突然のことだったから私は少し裏返った声で返事をしてしまい、今度は本当にくすくすと笑い声が聞こえてきて私はますます顔を赤くした。
「今日は…この前のお返事をしに参りました」
ようやく六条様の前に立った私はなんとか声を絞り出しそう告げた。目の前の六条様は以前と変わらず…、いやこの前お会いした時よりもどこか力強さを感じさせる凛とした佇まいをしていた。六条様…少し雰囲気が変わったような…。差し出された手を握り返しながらぼんやりそんな感想を抱いていると六条様はにっこりと微笑み私に尋ねた。
生徒会に入る決心がついたのかしら?と。私に向けられた目には強い自信が漲っていて私の答えを知っているかのような余裕を窺わせた。それは独特な…、芯の強い人だけが纏う雰囲気に見える。幾分顔の火照りも収まった私は今度は声が裏返らないように慎重に、けれど大きく口を開いた。
「六条様、私を生徒会に入れてください!よろしくお願いします」
自分で思っていた以上の声が出ていたみたいで、お辞儀をしながらそう言うとざわざわとした喧騒に包まれていた生徒会室がし~んと静まり返った。みんなの視線が私に集中する。作業の途中だったり、会話をしていたはずの視線がぐるりと向きを変え、私に突き刺さっているのだ。先程取り次ぎの生徒に笑われたことを思い出し再び顔が火照り始めた。頬を朱に染め、それでも足りないと言わんばかりに羞恥心が耳まで染めていく。
でも今回は覚悟の上だ。六条様にはちゃんと伝えたいと思っていたからこれくらい視線を浴びるくらいどうということはない。ここで小さな声でぼそぼそ言う方が、よっぽど心残りになると私は思っていた。やり遂げた達成感に身を包まれながら顔を上げると、六条様は私を優しく抱き締めてこう言った。
「堂々としていて立派だったわよ、玉青さん。とてもカッコよかった。だから自信を持ちなさい」
「あ、ありがとうございます」
「あなたなら決断してくれると信じていたわ。これから一緒に頑張りましょう」
「そう言っていただけると私も嬉しいです。微力ではありますが六条様のお役に立てるよう━━━」
ホッとして緊張が和らいだのも束の間、言いかけた途中で唇に人差し指を宛がわれ言葉を遮られた。白く細長い陶器のような美しい指が私の唇に軽く触れている。もちろん陶器と違いちゃんと血の通った温かさを持ったその指を見つめながら私が戸惑っていると…。
「ちゃんと自己紹介の場を設けてあげるから、決意表明はその時にして頂戴」
私の唇から離した指を今度は自分の唇に当てながら、六条様は私にイタズラっぽくウインクしてみせた。その仕草はとても艶やかで大人の色気に満ちていて私は不覚にも少しドキリとしてしまった。何があったのかは知らないけれど、以前よりもずっと素敵だ。厳しさを持った以前の雰囲気も良かったけれど、今の六条様からはそれに柔らかな女性らしい雰囲気が合わさってとても魅力的に見える。
私はこんな雰囲気を持った人を…、全く同じとは言わないけれど似た雰囲気を持つ人を知っていた。そう、静馬様である。上手くは言えないけれど、どことなく似た雰囲気を六条様が纏っているのだ。もしかするとお二人の間で何かが起きたのかも…。そこまで考えて私はハッと我に返った。今は自分の事を考えないと。
六条様がパンパンと手を叩くと、部屋の中にいた人々がサーっと移動し私と六条様を囲むように扇状に並んだ。笑顔を浮かべて談笑していた人も今はキリリと表情を引き締めてこちらを見つめて六条様の言葉を待っている。やっぱりこの御方は凄い。どれほどみんなから信頼されているのかが分かるそんな一幕だった。並んだ生徒たちをぐるりと見回すと、六条様は前に進み出て口を開いた。
「生徒会に新たなメンバーが加わることになったわ。事前に話してある通りに、みんなでこの子を支えてあげるのよ」
「「「はいっ!!」」」
「それでは紹介するわ。━━次期生徒会長の涼水玉青さんよ!━━」
え?今なんて?次期…生徒…会長って聞こえたような。いや、だってそんな…まさか。私の聞き間違えに決まって…。みんなの視線が一斉に降り注ぐ中、呆然と突っ立っている私に向かって六条様はニヤリと笑みを浮かべた。その表情はやっぱりどこか静馬様を思わせる少しイジワルな感じで、とても…嫌な予感がして私の背筋は凍り付いた。お願いだから声に出さないで、という私の願いも虚しく、案の定というかその口から出た言葉は、ある部分が…思いっきり強調されていて。
「何をしているの?『次期生徒会長の』涼水玉青さん?」
「え、えええええええ!?」
思わず叫んでしまったけどこればっかりはどうしようもない。みんなからの視線が突き刺さったって全然問題じゃない。だって…だってだって!!や、約束が…。約束が違います。様子を見てから決めるって、そう仰ったじゃないですか?それなのになんでいきなり。慌てて必死で目で合図を送るもののそれをそよ風のように受け流し微動だにしない六条様。
その涼し気な表情を見て私は遅ればせながら悟ってしまった。最初から…騙す気だったんだ。事前に話してあるってたしかに言ってた。そうか、だから取り次ぎの生徒はあの時笑ってたんだ。騙されているとも知らずにのこのことやって来た私を見て…。あ、あっ、あっ、あああああああ。本来であればとても失礼なことで怒られても仕方のないことを…、口をパクパクさせながら六条様を指差すという暴挙に出た私のことを何人かの生徒たちが気の毒そうな表情を浮かべて見つめていた。
だ、騙された。ようやく一言だけボソッと呟いた私が辺りを見回すと、私と目が合った生徒たちは悉く目を逸らしていく。きっとみんな思っているはずだ。六条様に勝てるわけがない…と。
周囲をぐるりと一周して改めて見た六条様は約束?そんなものあったかしら?と言わんばかりの表情を浮かべ悠然と佇んでいた。そんな六条様はがっくりと肩を落とした私に追い打ちを掛けるように背中を押し、みんなの前へと進ませる。
「わ、わわわ。待ってください六条様。まだ…まだ心の準備が」
「何を言っているの。自己紹介の場を設けてあると言ったでしょう。みんなあなたの言葉を待っているわ、次期生徒会長さん」
とても重大な事項なはずなのに次期生徒会長という単語はやけに軽やかに聞こえた。まるで自分のことを言ってるんじゃなくて別の誰かのことを言っているような。なんて現実逃避が許されるはずもなくみんなの前に立たされた私は、声を出そうとして一旦飲み込んだ。背中に触れている六条様の手が落ち着けと言ってくれている。まずは胸に手を当て深呼吸。ああもう、こうなったらやるしかない。少々やけっぱちになりながらも覚悟を決めた私は…決意表明を述べた。
「六条様から次期生徒会長にと推挙されました、涼水玉青です。精一杯努力しますので、みなさまどうかよろしくお願いします」
言い終えて深くお辞儀すると、私の頭に拍手が降り注いだ。それも一人や二人ではなく全員から。どうやら六条様による説得は全員分完了しているらしい。私がここで会ってからそう大した時間も経っていないというのに。そのあまりの手際の良さに私は降参する他なかった。ここまで用意されていてはどうやったって逃げれっこない。ああ、今日は簡単な挨拶をするだけのはずだったのに~~~。
帰ったら渚砂ちゃんにたくさん慰めて貰わないと。これだけの出来事があったんだから、禁断の膝枕をお願いしたって罰は当たらないじゃなかろうか?せめてもの慰めにとあの柔らかな感触を思い出しつつ、私は次期生徒会長として生徒会入りを果たしたのだった。もちろん、後で他の生徒会メンバーから聞いた六条様の周到な根回し工作に今日一番背筋がゾッとしたのは渚砂ちゃんにも内緒である。
<獲物>…花園 静馬視点
ふ~ん、これは好都合ね。深雪の様子を見に生徒会室へ行こうかと考えていた矢先に青い髪をした少女…、涼水玉青がそちらへ向かっていくのを目撃した私は、これ幸いとばかりに進路を変え4年生の教室が並ぶフロアへと足を踏み入れた。理由は当然、蒼井渚砂という少女に会うためである。
4年生か…、高校生になったばかりでさぞ楽しいでしょうね、という予想を裏切ることなく、憧れるようなキラキラとした眼差しを私に向けてくる少女たちはとても純粋そうに見え、ついお茶でもしたくなるような瑞々しさに溢れていた。
自分も4年生の時はこうだっただろうか?なんて考えが一瞬浮かび私は思わず失笑してしまう。可愛げなんてものは何一つ持ち合わせていなかったことを思い出したからだ。4年生の頃には私に歯向かってくるような存在はもうこの丘にはなく、普段は威張り散らす6年生でさえもベッドの上では借りてきた猫同然に私の思うがままだった。でも私が悪いんじゃない。大した経験もない癖に喧嘩を売ってきた相手が悪いのだ。意気揚々と挑んできたものの、開始10分と経たないうちに私に組み伏せられる自称テクニシャンの多かったこと。目尻に涙を浮かべ、許してと懇願しながらも、その瞳に灯った情欲の炎を隠すことも出来ず餌食になっていった上級生の姿は滑稽でさえあった。
ふふふっ。自然と零れた笑みを顔に張り付かせ目的の教室を覗き込む。すると教室内で鬼ごっこに興じるやや幼さを感じさせる少女が目に留まった。ああ、あの子ね。帰ってなくてよかった。動くたびに揺れる赤茶色のポニーテールが事前の情報通りに活発そうな気配を感じさせる。一瞬入り口近くの生徒に取り次ぎを頼もうかとも思ったが、別に遠慮する必要もないかと私は教室の中へと足を踏み入れお目当ての少女に歩み寄った。鬼に追いかけられ、逃げることに夢中で私に気付かないままの少女はそのまま私の方へ…。
「渚砂さん。前!前っ!」
「えっ?うわっ、わわわ~~~」
ぶつかろうかという寸前、私はその少女を優しく抱き留めた。
「ダメよ?ちゃんと前を見てなきゃ」
「は、はい。ありがとう…ございます」
私を見上げる目がくりくりと大きく可愛らしい。身長は涼水玉青よりやや低いだろうか?小柄といっていい。身体つきも華奢で少々物足りなさはあるがそれを補って余りある愛嬌がこの子にはあった。なかなか良い素材をしている。玉青さんが夢中になるのも分かる気がした。既に美しい宝石も良いが、こうした原石を磨くのもそれはそれで悪くない。
胸がクッションの役割をしたから痛くはないはずだけど、私は少女になるべく優しく語り掛けた。腕の中の渚砂がどうしていいか分からないといった顔で顔を赤らめながら身じろぎしていたからだ。
「あなたが蒼井渚砂さんね。今日はエトワールとして話があってここに来たの」
「は、はいッ!すみませんでした、えっと、エトワール様」
もう少し抱き締めていてもよかったのだけど、流石に人の多い教室でそれは不自然かと思い渋々解放すると、身体を離した渚砂がお辞儀をしながら返事をした。その様子に求めていた初々しさを見つけて私は密かに喜んだ。1年生や2年生ほど幼くはない。けれどそれらと同じくらいの初々しさを持った4年生。とても貴重な存在だ。
「あなたの学校での生活の相談や悩みを聞いて欲しいと深雪に…、生徒会長の六条深雪に頼まれたの。それで予定がないのだったらこれから私と一緒に来て欲しいんだけど、どうかしら?」
「だ、大丈夫です。予定はありません!」
敬礼でもしそうな勢いでキビキビと話す様子がおかしくてつい笑みが零れそうになってしまう。
「畏まらなくていいわ。呼び方も…、そうねエトワール様じゃなくて名前で呼んで頂戴」
「分かりました、し…静馬…、様」
「ぎこちないけどひとまずそれで良しとしましょうか。じゃあさっそく移動するから付いてきなさい…、渚砂」
「ここじゃダメなんですか?」
「あなた一人じゃないと困るのよ。そういう決まりになっているから」
「そうですか…」
もちろん嘘だ。そもそも深雪から頼まれたということ自体が作り話なのだから当たり前ではあるが。そう、全て私の嘘っぱちである。二人きりで会話するための方便として利用させてもらっているだけだ。そんなことにはまるで気付かないまま、友人と思しき二人組に挨拶をした渚砂が私の後ろに付いてくるのを確認し私も歩き出した。
「どちらへ行くんですか?」
「温室よ」
「おん…しつ?」
「植物を育てる温室よ。玄関や行事で使う花を育てたりするのに使われているの。その温室の管理もエトワールの仕事なのだけど…、玉青さんから聞いてない?」
「玉青ちゃんからは特には」
「私のことについては?何か言ってなかった?」
「えっと本来2人でエントリーするはずのエトワール選にお一人で出場して勝たれた、とか」
「他には?例えば…、━━私が危険人物だとか?━━」
「ええっ!?滅相もないです。そんな失礼なことは…」
「そう、じゃあきっとわざと伝えなかったのね」
首を傾げる渚砂をよそに私は好都合だわ、と心の中でほくそ笑んだ。本日2度目の好都合を感謝しながらミアトルの校舎を出ると、心地よい風が吹いていて私は銀髪を押さえるようにして渚砂の前を歩いた。時折振り返って確認すると渚砂が落ち着かなそうな顔をして見上げてくる。なんというか小動物的な可愛さだろうか?柴犬の子犬か何かが後ろを歩いているようなそんな気持ちになる可愛さだ。カバンを抱き締めるようして歩きつつ、私との距離が開くと、すかさずトトトッと小走りで追いついては私を見上げてくる。
温室まであと少しだが私はこの時点でもう渚砂にイタズラをしたくてうずうずしてきていた。私のような上級生に目を付けられたら真っ先にオモチャにされてしまいそうなタイプ。きっと玉青さんは雛鳥を見守る親鳥のように、気の休まらない日々を過ごしてきたことだろう。だけど運悪く見つかってしまったというわけだ。それもとびっきりタチの悪い…、私という上級生に。ご愁傷様、玉青さん。心の中で謝罪を…、本当はそんなこと欠片も思っていないがポーズだけは一応それらしくしつつ謝った私は、見えてきた温室を前にしてさらに心を躍らせた。
エトワールの温室。3校の校舎、それにいちご舎からも絶妙に離れた場所に位置するこの場所は、エトワールとその関係者くらいしか訪れないのを良いことにこれまでも様々な出来事の舞台となってきた歴史の生き証人でもある。エトワールがその相方との秘密の愛に溺れたり、相方には内緒で下級生を呼び出して不倫とも呼べる逢瀬を楽しんだり…と。いくつかは一般の生徒にも知れ渡っているがその大半は秘密にされ、その出来事に近しい人物しか知らない。私も知っているのはある程度最近のものだけだが、それでもこの温室は歴代エトワールの負の部分を担ってきたと言っても過言ではない。結局のところみんなお戯れが大好きだというのは今も昔も変わらないというわけだ。その中には当然私も含まれていてこの場所では数々の密事を行ってきた。千華留と肌を重ねたこともあったし、他の子を呼び出したこともあった。
ここはエトワールにとって…、私にとっての狩場なのだ。欲望を満たすための整備された狩場。それがエトワールの温室。糸が張り巡らされたクモの巣のように、招かれた者を絡めとってしまう恐ろしい場所。そんなところだとはまるで知らない可哀想な…、憐れな少女が私のすぐ後ろにいる。そのあまりの不憫さが余計に少女を愛しく思わせ、私の笑顔を歪ませた。
「うわぁ~。外からでも大きく見えたけど、中に入るとほんとに広~い。ちょっとした別荘みたい」
扉を開けて中に入ると渚砂は目を輝かせてあちこちを見渡した。草木に手を触れてみたり、生い茂る葉の影から奥を覗こうとしたりとせわしなく歩き回る。私にとっては見飽きた、はっきりいってつまらない景色であるが渚砂には目新しく映ったようだ。といっても渚砂の反応も概ね予想の範囲内ではあったが…。そう、ここに来た子の多くがこうやって物珍しそうに色々と観察するのを私は見てきた。
━━本当は観察されているのは自分であるとも知らずに━━
何度繰り返しても笑わずにはいられない。ここはもう既にクモの巣なのだ。そしてクモは私。絡めとられた獲物の価値を調べるように、どんな笑顔を見せるのか、身体つきは、とじっくりと観察させてもらう。大半の子は笑顔で眺める私の視線に、恥じらうような照れた笑みを返すが渚砂はどうだろうか?じぃっと無邪気に跳ね回る渚砂を見つめていると私が見ているのに気付いたのか、ばつが悪そうに植物に伸ばしていた手を引っ込めた。
ちょうどいい反応だ。むしろ千華留のようにそういった場所だと見抜いたうえでなお色っぽく挑発的な流し目でもされたら追い返していたかもしれない。もっとも渚砂はそんなことが出来るタイプにはまるで見えなかったけれど。
「ここにカバンを置くと良いわ」
温室の開けた部分に置かれたテーブルセットから手招きすると渚砂は軽い足取りで…、それこそ踊りのステップでも踏むかのように楽しそうにこちらへやって来た。私は渚砂がイスにカバンを置こうとするのを見計らい…後ろへと回り込む。そして何ら疑うことを知らないこの無垢な少女を後ろから思い切り抱き締めた。
「し、静馬様ッ!?」
「ふふふ、つ~かまえた♪」
<膝の上で>…蒼井 渚砂視点
今日はなんというか、本当に不思議な日だ。教室でエトワール様…、静馬様にぶつかったと思ったら抱き締められていて、トントン拍子に温室に来たと思ったら、思ったら~~~。もう、どうすればいいんだろう?
私は再び後ろから抱き締められていた。静馬…様に…。まず最初に綺麗な銀髪がふわりと舞ってキラキラと輝いたのが視界に入った。抱き締める際になびいたサラサラの髪が前へと流れて私の頬をくすぐるように撫でていく。次いで制服の上からでも分かるおっきな…、私なんかとは比べものにならないくらい柔らかい膨らみを背中に感じた。そのうえ身体からはなんだか良い匂いがしてきて頭がクラクラする。
大人の…、たぶん色気と呼ばれるものを大量に含んだ匂いだ。腰に回された腕は私の腰の前で交差するようにして私を包み込んでいて、とても逃げられそうにない。ううん、その瞬間の私は逃げようだなんて思ってさえなかった。けれど流石に恥ずかしくなって私は小さく身じろぎをしながら尋ねた。
「し、静馬様?これは一体…」
「動かないで。あなたを感じている最中だから」
「えっ?あの、それはどういう意味で…わぁっ!?」
私が抜け出そうと身体を動かすと、交差した腕は私を離さないとでもいうかのようにさらにきつく巻きつけられ、さらには耳元に吐息を吹きかけられた。くすぐったいような、よく分からないけどゾクゾクとしたものが背中を這いずりまわって力がへなへなと抜けていってしまう。なに?なんなの?この人なんでこんなにスキンシップ過剰なのぉ!?唯一動く頭をフル回転させながら私は心の中で叫んだ。
「顔を真っ赤にしちゃって…。可愛いわね、渚砂は」
「んっ…。み、耳」
「なあに?よく聞こえないわ」
「んんん~。だ、だからそれ。耳の傍でしゃ、喋るの。やめて…ください」
喋られるとさっきよりもずっと大きなゾクゾクが背中を電流のように駆け巡っていって立っていられなくなりそう。というか既に足がカクカクしちゃって立ってるのがつらい…。玉青ちゃんもスキンシップ好きだけど、この人のは異常だよ~~~。っていうかなんか雰囲気が違う!玉青ちゃんのはあくまで友達同士って感じだけど、静馬様のはなんかこう…ドキドキするような…。ハッ!?だめダメ駄目。流されちゃダメ。早く振りほどいて離れないと。よく分からないけど相談とかいうのをすぐ終わらせていちご舎に戻ろう。うん!
「あの、相談とかいうやつ早くやりましょう…」
「そうね。じゃあ始めましょうか」
「えっ!?ちょ、ちょっと待って…。ええええ!?」
私は座っていた。イスではなく…静馬様の膝の上に。そう、静馬様はそのまま空いたイスに座ったのだ…私を抱き締めたままで。
「ほら?これでいいでしょう」
「良くない。良くないです。下ろしてください」
「あら?何が不満なの?言って頂戴」
「こ、こここんなの恥ずかしいです。私4年生なんですよ。それなのに膝の上だなんて」
ちょこんと膝の上に乗せられた私は、静馬様とのスタイルの差もあってまるで子供みたいだ。いや、まぁお子様ボディなのは自覚してるけど…ってそうじゃなくて!とにかく下ろして欲しいのに動くと、む…胸とか!太腿とか!自分と全然違う大人の女性特有の柔らかい感触があちこちに当たって全然落ち着かない。
別に女の子同士でどうこうってわけじゃないけど、それでもこんなに妖艶な雰囲気の人に抱きしめられてたら誰だってこうなると思う。かといってあんまり動いてもし肘が当たりでもしたらって思うとじたばたするわけにもいかなくて…。あ~でもでも。なんか手が動いてるよ~。うう、なんで私がこんな目に、
「じゃあ最初の質問。一番仲が良いのは誰?」
「それなら玉青ちゃんです」
「涼水玉青さんね。たしかルームメイトでもあるはずだけどいちご舎ではどんな風に過ごしているのかしら?」
「どんな風って言われても…。仲良く、普通にとしか…」
「こんな感じで抱き締められたりはするの?」
「な、ないです。玉青ちゃんもスキンシップは好きだけどこんなことは…」
「あらそうなの。これくらいこの丘では普通のことよ?み~んな隠れてやってるわ」
ぜ、絶対に嘘だ。いくら私が編入生って言ってもそれくらいは分かる。静馬様には日常茶飯事でも普通の生徒にはきっと縁のない話だ。
「次の質問は…。そうね、玉青さんのことどう思ってるの?」
「玉青ちゃんは親友で、ルームメイトで…」
「それだけなの?他には?」
「ええっ?他って言われても…」
「たとえば近くにいるとドキドキするとか」
「た、玉青ちゃんとは仲良いけどそういうのは」
「なら今はどう?渚砂はドキドキしているかしら?」
う~~~~。なんだか質問がおかしいような…。普通こんな事聞くかな?そもそもこれってホントに生徒会長さんから頼まれたのかな?だんだん怪しい気がしてきた。けどエトワール様だし、疑ったら…よく…ないよね?後ろにいるから顔は見えないけど、なんとなく笑ってるような気がする。私が子供っぽいから、からかわれているのかな?私がなかなか答えずにいると静馬様は答えを急かすかのように手を動かして私の身体を撫で回した。相変わらず吐息だって耳に掛かりっぱなしで、なんだか耳がジンジンと熱くなってきちゃった。
「す、少しだけ」
「少し?そうは見えないけれど」
「じゃ、じゃあそこそこ」
「ふふふ、優しいのね渚砂は」
後ろで静馬様がどんな顔してるか、今度はすごくはっきりと思い浮かぶ。間違いなくニヤニヤしてる。私の方はというと長いこと膝の上にいたせいか身体だけじゃなくて頭の方までフワフワしてきちゃってのぼせる寸前みたいな状態だ。今鏡を見たら私はどんな風に映るんだろう?茹でたタコのように真っ赤なんだろうか。
結局その後の質問もこんな感じで静馬様の思うがままに進んでいった。他愛のない質問が続いたかと思えば急に変な質問が飛んできて、思考能力の鈍った頭でそれに返事するのは大変な作業である。静馬様の為すがままとなった私は、質問が終わるころにはぐったりと疲れ果てて静馬様に寄り掛かるようにして座っていた。ある程度くっ付いていると恥ずかしさみたいなものも薄れてきて、そうしているのがとても心地よくなり、私は少しの間静馬様の腕の中にいた。
「そろそろ…帰らないと」
「そうね。初日にしては上出来かしら」
熱いお風呂に長く入った後みたいにぽやーっとした頭でそう切り出した私は身体の方もふにゃふにゃになっていて、ようやく膝の上から解放されたにもかかわらず静馬様に寄り掛からないと立っていられないような状態だった。どれくらい経ったんだろう?もう玉青ちゃんはいちご舎に戻ってるのかな?なぜだか急に顔が浮かんできて会いたくなってしまった。
「も、もう大丈夫です。一人で…歩けますから」
「名残惜しいけれど、じゃあまた明日ね、渚砂」
「え…、明日?」
「まだ全ての質問が終わってないもの。だから明日もここへいらっしゃい。場所は覚えたでしょう?」
「そんな…。明日もだなんて」
「必ず一人で来るのよ。誰かに一緒に来てもらってはダメ。いいわね?」
温室から出た私はカバンを抱きかかえて覚束ない足取りでいちご舎へと帰っていった。今日のこと、玉青ちゃんに相談した方がいいのかな?って考えながら。部屋に戻ると既に玉青ちゃんは帰ってきていて驚いた様子で私を迎え入れた。
「渚砂ちゃん…、どこへ行っていたんですか、こんな時間まで。部屋に戻ってもいないからとっても心配したんですよ」
「う、うん。ちょっと図書館で探しものをしてて。ごめんね遅くなっちゃって」
「それは…別に構わないですけど。って渚砂ちゃん!?顔が赤いですよ。もしかして熱でもあるんじゃ?」
「大丈夫だよ。走ってきたから息が上がってるだけ」
なぜか私は玉青ちゃんに今日のことを話さずに嘘をついた。自分でも何でなのかは分からない。まだフワフワしたのが残っていたからかもしれない。玉青ちゃんが淹れてくれたお砂糖たっぷりの紅茶を飲んで話すうちに、ようやく気分が落ち着いてきて再び話そうかな?って気持ちが湧いてきた。けれど…生徒会での出来事をとっても楽しそうに話す玉青ちゃんの邪魔をしたくなくて、私は話す代わりにあるお願いをしてみることに…。
「ねぇ玉青ちゃん。後ろから、こうギュッてしてみてくれない?」
「えええッ!?いいんですか…渚砂ちゃん?」
「な、なんでそんなに驚いてるの?」
「だって渚砂ちゃんってばいつも私が抱きつくとすぐに嫌がってたじゃないですか。だから嫌…なのかなって、最近は自重していたんですよ」
こういう時の玉青ちゃんの気遣いの仕方はズレてる気がする。いつもは何事にも的確なのに…。まぁいいや。とにかくやってみてもらおっと。
「じゃあお言葉に甘えて。ああ、この感触…久しぶりですわ~」
後ろからそっと抱き着いてきた玉青ちゃんの手が腰の前で交差されると、ふわりと玉青ちゃんの良い匂いが鼻をくすぐった。この丘に来てからずっと一緒だった匂いのせいか近くで嗅ぐと落ち着くような気がする。友達っていうよりは姉妹みたい。背中には静馬様ほどではないにしろ…、私のよりも豊かな膨らみが2つ感じられ、触れ合った部分から玉青ちゃんの体温がじんわりと伝わって来た。どうですか。渚砂ちゃん?と感想を尋ねられて私はとりあえずだけどあったかくて気持ちいいよとだけ答えた。
けれどなんでだろう?静馬様の時に感じたドキドキは一向にやって来ない。お母さんに抱擁されてるような安心感みたいなものはあるんだけど。玉青ちゃんに抱き締めて貰って私はようやく、自分がもう一度あのフワフワしたのを味わいたかったということに気付いた。相談するよりもそっちの方が重要な事だったみたい。それでこんなお願いを玉青ちゃんにしたんだ。この丘で一番仲の良い玉青ちゃんに抱きしめてもらえたらもっとフワフワ出来るんじゃないかと思って…。けど結果はそうはならなかった。あれには仲の良さは関係ないのかな?
後ろで嬉しそうにはしゃぐ玉青ちゃんにどこか後ろめたい気持ちを抱きつつ、本当はあまり行きたくはないけれど、それを確かめたくて私はもう一度だけ静馬様に会おうと思ったのだった…。
いかがでしたでしょうか。ようやく静馬が渚砂にちょっかいを出し始めましたね。14章になって今更ながらに本編スタートという感じもします。それでは~。