アストラエアの丘で   作:クラトス@百合好き

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■あらすじ
 玉青に内緒で温室へと向かった渚砂は、ある答えを求めて再び静馬の前へと現れた。
全てを見透かしたかのように振舞う静馬には言葉は必要のないもので…。
帰り道での静馬との遭遇により、玉青は親友に訪れた小さな変化を感じ取った。
膨れ上がっていく違和感に玉青が取った行動とは!?

■目次

<知りたいこと>…蒼井 渚砂視点
<一緒の帰り道>…涼水 玉青視点
<異変>…涼水 玉青視点
<罠の行方>…涼水 玉青視点




第15章「今日は手を繋いで帰りませんか?」

<知りたいこと>…蒼井 渚砂視点

 

「では行ってきますね渚砂ちゃん」

「うん、生徒会の活動頑張ってね玉青ちゃん」

 

 深雪による戒厳令によって一般生徒はもちろんのこと渚砂でさえも玉青が次期生徒会長であることは知られていない。そんな玉青を昨日に引き続き今日も送り出した渚砂は、心の奥でどこかホッとしている自分がいることに気が付いた。理由は当然あのエトワールに関することだ。昨日の出来事を思い出し思わず胸に手を当てた渚砂は憂いを帯びた表情を浮かべた。おそらく玉青や友人たちが見たら驚くであろう…、普段の渚砂には似つかわしくない大人びた表情を。

 

 どうしちゃったんだろう私ってば。あの人に…、静馬様に会うのが怖い。これ以上会ってはいけない気がする。なのにあのドキドキとフワフワを知りたくて、また味わいたくて、私はもう一度会おうとしている。明らかに矛盾した気持ちの片隅で、胸にもやもやと影を差す玉青に対する後ろめたさも加わり胸が張り裂けそうになった。今日会って終わりにしよう。会ってみて何も感じなければそれでよし。私には元から縁のない人だし、何より私には親友の玉青ちゃんがいる。私はもう一つの可能性から目を背けるようにして、そう心を奮い立たせた。

━━もしまたドキドキやフワフワを感じたら?━━

 

 という問いかけにそっと蓋をして。

 

 今日も仲良く口喧嘩をしている隣室の二人組に別れを告げ教室を出る。目的地に向かって歩き出した足は、速すぎず、かつ遅すぎず。会いたくて浮かれているように見えるのは照れ臭かったし、かといってノロノロ歩いていると決意が鈍っていちご舎に帰ってしまいそうだったから。あの人は今日も美しい銀髪を手で押さえるようにして歩いているんだろうか?温室への道すがら、思いがけず吹いた風にスカートの裾を押さえながらそんなことを思った。

 

 温室に到着した私はすぐには中に入ろうとせず、ガラス戸に顔を近付けてそっと中の様子を覗き込んだ。目を細めてじっと眺めていると、あの人の後ろ姿を…、顔は見えないが煌めく銀髪のせいで見間違えることはないであろうエトワール様の姿を見つけ、私の心は知らず知らずのうちに弾んだ。春の日差しが降り注ぐ温室の中で、手には如雨露(じょうろ)を持ち、エプロンのようなものを身に着けて草木の世話をしている。

 

 大量に並ぶ植木鉢に順番に水をやる姿に渚砂が見惚れいていると、額の汗を拭うような仕草をして静馬が渚砂の方へと振り向いた。互いに引き寄せられるように視線と視線がぶつかると、渚砂は猛烈な勢いでくるりと背を向けカバンを抱き抱えたままその場へとしゃがんだ。

 

 胸に手を当ててみると心臓がドキンッドキンッと跳ねている。なんで私隠れちゃったんだろう?別に悪いことをしていたわけでもないのに…。でもあの目はたしかにこう言っていた。隠れて覗き見するなんて悪い子ね、と。立ち上がって恐る恐る振り返った私を、静馬様は小さく手招きして入ってくるようにと促した。

 

「失礼…します」

「来てくれて嬉しいわ渚砂。あなたとまた温室で話せるなんて」

 

 エプロンを外し終えた静馬はテーブルの上の容器を…、渚砂が来ることを確信し予め用意したティーポットを手に取った。健気にも自分がやりますと申し出た渚砂をやんわりと制しながら2つのカップへと紅い液体を注いでいく。さぁどうぞと、差し出されたカップを受け取った私は、慎重にそれを受け取ると、なるべくお上品に口を付けた。

 

 これ、美味しい…。いつも飲んでいる親友の淹れた紅茶に勝るとも劣らない味が舌の上で広がり私を驚かせる。反応を窺っていた静馬はその表情に満足したように笑みを浮かべると自らもカップを傾けて紅茶を楽しんだ。優雅にティータイムを楽しむ姿は英国の貴族を思わせる華麗さだったけれど、親友の専売特許を奪われた気になって私の口の中には少しだけ悔しさも広がっていた。だって玉青ちゃんの紅茶がこの丘で一番だと思っていたから…。自分のためにと試行錯誤を凝らして頑張る姿を思い出すと余計にそう感じられた。

 

「昨日の続きを…しましょうか」

「は、はい」

 

 昨日とは違い何事もなく進んだティータイムにホッとしつつも、同時にどこか物足りなさ感じていたのを見透かしたかのように静馬様はそう切り出した。この人は知っているんだ。私がここに来た理由を…。舞踏会に姫君を誘うように差し出された手を取ると、グイッと強く引き寄せられた。顔を少し上げると静馬様の整った顔が間近に見える。自信に溢れ挑発するような目とその上に行儀よく並ぶ長い睫毛。そして吸い込まれそうな瞳。目を離そうとしても何人たりとも抗うことの出来ない魔力を帯びたそれに魅入られ、渚砂は静馬と見つめ合った。

 

「あの…、質問は」

「いるかしら?そんな無粋なもの」

「いえ…」

 

 やっぱり質問というのは嘘だったんだ。私を誘い込むための…。でもそんな事はもうどうでもよかった。静馬様に正面から抱き締められ私は心地よい幸福に包まれる。あいにくフワフワは感じられなかった。身体を撫で回すように這いずる手も、耳に掛かる吐息も、今日はなかったから。けれど代わりに聞こえてくる胸の高鳴りは…昨日以上に大きくて。私は知りたかったドキドキに会えて嬉しくなり、だらんと下げていた手をいつの間にか、静馬様の身体へと回していた。

 

 女の人を相手にこんな気持ちになるなんて、この丘に来るまでは夢にも思わなかった。周囲から切り離されたこの温室で抱き締め合う私たちを咎める者は誰もいない。濡れた草木から雫が落ちるまで、私は静馬様に抱き着いていた。

 

 

 

 

<一緒の帰り道>…涼水 玉青視点

 

「━━今日は手を繋いで帰りませんか?━━」

 

 生徒会の仕事がなかったその日、私は少しだけ勇気を出して渚砂ちゃんを誘った。はしゃいだりする中で手を繋ぐことはあったけれど、こうして最初から手を繋いで帰るということはしたことがなかったのだ。さて、どんな反応が返ってくるだろうか?私は顔を赤らめて恥じらう渚砂ちゃんの姿を想像し手の平で顔を覆った。もしこんな風だったら可愛すぎる。

 

 けれど世の中そう甘くはなく、期待に胸を膨らませつつ広げた指の隙間から覗き見て、私は少し固まってしまった。楽しみにしていた反応とは違い、躊躇いなく差し出された手がそこにあったからだ。渚砂ちゃん…意外と大胆。にこにこと明るい表情を浮かべ、手…繋がないの?と尋ねるようにその手をさらに伸ばしてくる。これはこれで可愛いけれど、ちょっぴり残念。恥じらう姿を見てみたかったな。

 

「あれ~?手繋いで帰るんだ。仲良いね~お二人さん」

「ちょっと紀子。茶化すんじゃないの」

 

 早速お隣さんの二人が話しかけてきた。そういえばこの二人が手を繋いでいるところはあまり見たことがない。なんでだろう?仲の良さで言えば間違いなくトップクラスなのに。込み上げてきた疑問を素直にぶつけると二人は手をパタパタと振って笑い飛ばした。いわく、そんなのはもうとっくの昔に飽きるほどしたからもうやらない、だそうだ。流石はミアトルの誇る熟年夫婦。恐るべし。

 

 部活があるという二人と別れ教室を出た私たちは人の行き交う廊下を歩いていく。知った人しかいないクラスの中だとそうでもなかったけれど、顔も知らない子たちの前で手を繋ぐのは少し照れる。渚砂ちゃんはどうなんだろうと横を向くと、思った通り。渚砂ちゃんもちょっと恥ずかしかったらしく、頬が薄く桜色に染まっている。僅かに俯いたまま口数少なく歩いていくうちに、繋いだ手が緩み、時折離れそうになった。その度に私はそっと手を握り直すのだが、不意にクラスメイトから話しかけられた瞬間、私たちは二人揃ってビクンと背筋を伸ばした拍子にパッと手を離し、身体の後ろへと隠すように手を回した。

 

 何でもない会話の間、相手を失った手が虚しく宙を彷徨う。じゃあね、と駆けていったクラスメイトを見送ったものの、すぐに手を繋ぐ勇気はなく、気恥ずかしくなって顔を見合わせては照れた笑みを浮かべるばかりだ。校舎を出たあたりで改めてチャレンジしようとそろりと手を伸ばすと、それを見た渚砂ちゃんは、私の手ではなくキュッと袖を掴んだ。正確には摘まんだと言ったほうが正しいかもしれない。親指と人差し指で躊躇いがちに、優しく袖を挟んでいる。

 

「あはは…ごめん。なんだか恥ずかしくって…」

 

 照れた様子で上目遣いに見つめられ、私は愛おしさでたまらなくなる。こういう表情が見たかったのだ。予想通りの、ううん、予想よりもずっと可愛らしい顔が見れてパァッと花が咲いたみたいに心が躍った。もっと、もっと見たい。渚砂ちゃんの可愛い顔を。そんな衝動に駆られやや強引に手を繋ぎなおすと、渚砂ちゃんは戸惑う表情を見せたものの、少しすると弛緩していた指に力が籠められ、私の手をやわやわと握り返してきた。引っ張られたらすぐに手が離れてしまいそうな緩さだったけれど、私は幸せを噛み締めながら歩いていった。

 

「手を繋いで帰るだなんて本当に仲が良いのね、玉青さんと」

 

 偶然通りかかった校舎の窓辺から目ざとく二人を見つけた静馬は、そう小さく呟くと唇の端を吊り上げて笑った。その初々しい仕草と温室での渚砂の表情を比べてもう一度笑うと、くるりとその身を翻し校舎の奥へと消えていく。くすくすと廊下に響く笑い声を置き去りにして…。

 

 

 

 

 

 この出来事に味を占めた私は次の日も渚砂ちゃんに手を繋いで帰ることを提案した。またぁ?と少しぷぅーとむくれた…、こういう表情もまた神懸って可愛らしい渚砂ちゃんを宥めすかしどうにか了承を得ると、嬉々として手を繋ぎ教室を出る。

 

 昨日帰ってみた経験からすると一番恥ずかしいのは校舎の中にいる間ではないだろうか?廊下で数人のグループとすれ違う時など、どうしても相手のことを見る場面というのが存在するからだ。その際に注がれる視線が最も羞恥心を掻き立てる。教室は見知った顔しかいないし、校舎の外に出てしまえばさほど他人の視線が集中する機会はない。部活動でランニングしてる集団にでも遭遇すれば別かもしれないけど。

 

 そんなわけで少しだけ早足で校舎の中を歩いた私たちは外へと飛び出した。今日も天気に恵まれ、なかなかの散歩日和だ。晴れた日はこうやって手を繋いで帰るのが当たり前になるといいな。あ、でも…。もし雨が降ったらそれはそれで相合傘をするチャンスかもしれない。こうして手を繋ぐことが出来たんだからそれも可能ではないかと思い付き、今度試してみようと心の奥で誓っておいた。

 

 渚砂ちゃんが手を振る度に私の手にも振動が伝わってくきて、それで機嫌がいいんだなってことも分かってしまう。楽しそうな横顔を見て少しだけ遠回りをして帰ろうか?と考えていたところで、私は前方から近づく人影に気付いた。その人物は誰もが知る銀髪をなびかせてこちらへと向かってくる。どちらかが避けないとぶつかってしまうかもしれない。右か左か。どちらに避けよう?

 

「こんにちは。良い天気ね」

 

 衝突を避けようとうろうろする二人に向かって静馬は声を掛けた。そして手を繋いだ二人の前で立ち止まると、その行く手を阻むかのように腕を組んで立ちふさがる。どうやら最初から私たちに話しかけるつもりだったようだ。真っすぐこちらへ進んできたのはそのためらしい。

 

「お久しぶりです。エトワール様」

「元気そうで何よりだわ、玉青さん」

 

 静馬は玉青に対してにこやかに返事をすると、じっと渚砂を見つめた。

 

「こ、こんにちは。静馬…様」

「あなたも元気そうね、渚砂」

「はい。今日も元気いっぱいです」

 

 短く挨拶を交わした渚砂の横で玉青は驚きを隠せずにいた。なぎ…さ?エトワール様が渚砂ちゃんのことを呼び捨てにした?渚砂ちゃんの方も、敬称であるエトワールではなく名前の方を呼んだ。一体どうして…。私が知る限りでは二人に面識はないはずなのに。胸の奥でチリッと燻ぶる火を抑えながら私は冷静を装った。

 

「渚砂ちゃんとお知り合いなんですか?」

「そうね。この前少しだけ喋る機会があったの」

「そう…ですか」

 

 納得はしなかったけど、とりあえず私はそれ以上の追及はしないことにした。というよりも出来なかった。静馬様一人ならともかく隣に渚砂ちゃんがいる状態で根掘り葉掘り聞くのはなんとなく嫌だったからだ。

 

「仲が良くて羨ましいわ」

「当然です。私と渚砂ちゃんは大の仲良しですから」

 

 その言葉を聞いた静馬の目がスッと細まり、次にその目は渚砂へと向けられた。

 

「あら?そうなの…渚砂」

「は、はい」

「へぇ。それじゃあこの丘で渚砂と一番仲が良いのは玉青さんということになるのね」

 

 静馬様は観察するような目で私たちを…、特に繋がれた手を眺めるとくすくすと笑った。そうしてひとしきり笑い終わると、その目は途端に温度を失い冬を思わせる厳しい目つきへと変化していく。

 

 凍り付くような視線が繋いだ手に注がれ、渚砂は手を繋いでいることを咎められているような気になってそっとその手を離した。慌てて繋ぎなおそうとした玉青の手は、渚砂の手が身体の後ろに回されたことで目的を果たすことなく宙を舞った。

 

「別にいいのよ。仲が良いのだから堂々と手を繋いでいたって誰も怒ったりなんかしないわ」

 

 私はてっきりそれを静馬様からの肯定…、応援だと勘違いして再び渚砂ちゃんに手を伸ばしたけれど、やっぱり手を握ってはくれなかった。静馬は手を伸ばしたままの姿で固まる玉青の方へと向き直り口を開く。

 

「いつも渚砂の傍にいるのね」

「それは…その、親友ですから」

「━━まるでお姫様を守る騎士のよう━━」

「え…?」

「いいのよ。気にしないで頂戴。あなたを見て私がそう思ったというだけのことよ」

 

 会話の意図が掴めない玉青を気にするような素振りも見せないまま静馬はごきげんよう、とだけ呟いて去っていった。なんだったんだろう。でも騎士…か。渚砂ちゃんを守るという意味でならそれはしっくりくるような気もする。首を傾げる自分の横で、渚砂がその後ろ姿を視界の端で追っていることに玉青は気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

<異変>…涼水 玉青視点

 

 静馬様と会った数日後。予定されていた生徒会の打ち合わせが急遽キャンセルとなり、時間の出来た私は急いで教室へと引き返していた。生徒会室に着いてすぐに知らされたから、渚砂ちゃんはまだ教室で紀子さんや千早さんあたりとのんびり会話でもしてるかもしれない。そうしたら一緒に帰ることができる。この数日はご無沙汰だったからそれが嬉しくてたまらなかった。今日も手を繋いで帰ろう。そんな期待に胸を膨らませながら扉を開いた私を待っていたのは、渚砂ちゃんのいない寂しい教室だった。

 

「渚砂…ちゃん?」

 

 思わず漏れた呟きは放課後の喧騒にかき消され、ぐるりと見回してみても赤茶色のポニーテールの姿は確認できない。教室の壁に掛けられた時計に目をやると、自分の予想通り、ホームルームが終了してからまだ大した時間は経過していなかった。いつもなら少しの間お喋りをしてから帰っていたはずなのに…どうして。何か用事でもあったんだろうか?

 

 机を見てもそこにカバンはなく、お手洗いに行ったという可能性はなさそうだ。近くにいた数人のクラスメイトに聞いてみたものの、渚砂ちゃんの行き先を知っている人は誰もいなかった。もう帰ってしまったのかな。せっかく間に合ったと思ったのだけど。

 

 はぁ…、と小さくため息をつき、渋々いちご舎に戻ることにした私だったが、前に渚砂ちゃんが図書館で探し物をしていたという話を思い出し、小さな望みを込めて、そちらへ向かうことにした。でもなんとなく自分でも分かっていた気がする。そこに渚砂ちゃんがいないということに。図書館特有の匂いが満ちた通路を歩き、棚から棚へと巡り歩いてみても私の求める姿は見当たらず、床を鳴らす私の足音だけが広い建物の中を木霊した。読書スペースにも、専門書が並ぶエリアにもいない。

 

 歩き疲れたというほどではないけど少し足を休めたくなった私は、適当な本を手に取りイスに腰掛けた。別に読もうとしていたわけでもないが、心を落ち着かせようとページに目を落としてみても自分で思う以上に文字を認識することが出来ず、ただただ埋め尽くされた文字の上を滑るばかりだった。これだけ探したのだから、少なくとも図書館にいたということはないだろう。つまり、ここにいない以上いちご舎に帰ったと考えのが当然といえる。

 

「いちご舎に帰ったら、ちゃんと部屋にいてくれますよね?渚砂ちゃん…」

 

 心に抱いた一抹の不安を振り払うように本を棚に戻すと図書館を出た。走っていきたいような、いつまでも辿り着きたくないような。相反する気持ちに板挟みになりながらも自室の前に立った私が意を決して扉に手を掛けると、扉は私の心臓の鼓動が乗り移ったかのように大きな音を立てた。一瞬渚砂ちゃんの影が見えたような気がして私は思わず名前を叫んだけれど、それはただの影でしかなく、部屋には誰もいなかった。

 

 どこに行ってしまったんだろう。部屋にも戻っていないなんて。もしかして途中で具合が悪くなって保健室に運ばれたとか?ありもしない想像をして私は自嘲した。そんなことになっていたら連絡が来そうなものだし、誰かが部屋の前で待ち構えていてもおかしくない。戻らぬルームメイトに想いを馳せながら、私はカバンも床に投げ捨てたままぼんやりとベッドに腰掛け渚砂ちゃんの帰りを待った。

 

 渚砂ちゃんが戻ってきたのはそれからしばらくしてからのことだった。私はその間中なにかをするでもなくベッドに座っていたことになる。

 

「おかえりなさい、渚砂ちゃん」

「た、玉青ちゃん…。明かりも点けないでどうしたの?」

「あ、ちょっとぼんやりとしてしまっていて」

「大丈夫?どこか具合悪いの?」

「いえ、そういうわけではないんですけど」

 

 心配してくれるのは嬉しかったけれど私には尋ねたいことがあった。でも聞かない方がいいんじゃないかとも思って、口は言いかけては閉じるという行為を繰り返した。なかなか言い出すことが出来ない。だけど渚砂ちゃんが遅くなったのを詫びたのがきっかけとなり、ようやく聞くことが出来た。

 

「そういえば渚砂ちゃんはどこへ行っていたんですか?」

 

 私の声に渚砂ちゃんは少しだけ…、じっと観察していなければ気付かないような短い時間考える素振りをして、そしてこう返事をした。

 

「━━ちょっと図書館で探しものをしてて━━」

 

 今の私が、一番聞きたくない言葉を渚砂ちゃんは口にした。心臓は鷲掴みにされたみたいにキュッと締め付けられ、手足が震えそうになる。いや、微かに震えていた。それは声にも伝染し、言葉は途切れ途切れとなった。

 

「ずっと…、ずっと図書館に…いたんですか?ホームルームが終わってから…ずぅっと?」

「う、うん。ほら、課題が出てたでしょ?フランス語の授業で。歴史について調べてそれをフランス語で書きなさいってやつ。だからそれをやっちゃおうと思って」

「そう…ですか」

 

 私の胸中は全くもって穏やかではなかった。なんで嘘をつくんだろう?どうして本当のことを言ってくれないんだろう?私の心の中は渚砂ちゃんへの様々な感情で瞬く間に溢れかえった。図書館にいた?ホームルームが終わってからずっと?あれだけ探したというのに。

 

 棚から棚へと視線を移す間に奇跡的なまでにすれ違いをしていた?そんなバカなこと…あるわけない。私がショックを受けたのは、別に隠し事をされたからじゃない。いくら仲が良くたって秘密にしておきたいことくらいあるものだ。私にしたって次期生徒会長という話は渚砂ちゃんにはしていない。だからそれだけが理由ではない。

 

 私が怖かったのは渚砂ちゃんが隠し事をした理由に、とても…とてつもなく嫌な予感がしたからだ。私に嘘をついて一体何をしていたんだろうか。一人だった?それとも誰かに会っていたの?だとしたら相手は誰!?知りたいという気持ちに頭が支配されていくと、自然と身体の震えが収まり冷静さを取り戻していった。

 

「良さそうな資料は見つかりましたか?」

「え?えっと…、結局良いのが見つからなくて。だから何も借りてないんだ~」

「そうですか。━━今日はたしか閉館日のはずでしたけど━━」

「え…」

「嘘ですよ。何をそんなに驚いているんですか?変な渚砂ちゃん」

 

 本当に図書館にいたのかを確かめようと、私はとても分かりやすい釣り針を仕掛けた。足を運んだのなら、すぐにバレてしまう嘘を。渚砂ちゃんの反応は予想以上のものだった。明らかに驚いた表情を浮かべ、信じられないといった呟きが喉から零れた。すかさずフォローを入れてくすくすと笑う演技をした私に合わせるように、渚砂ちゃんは愛想笑いをして誤魔化した。

 

 正直、図書館へは一切行っていないことが明らかとなって私は余計落ち込んだ。もし図書館に少しでも行っていたのなら、さっきのバカげた話を心の拠り所にすることも出来たというのに…。

 

「喉が渇いたんじゃないですか、渚砂ちゃん?もしよければ今からお茶を淹れますけど」

「お茶は…いい…かな。あんまり喉乾いてないから」

「渚砂ちゃんがそう…言うなら」

 

 気まずい雰囲気に包まれ、今日はそれ以上の詮索をしないことに決めた。

自分の気持ちを整理したいというのもあったし、なにより渚砂ちゃんを泳がせた方が得策だと気付いたからだ。私は心に決めた。もう一度罠を仕掛けよう。すぐにじゃない。数日ほど間を置いて。どうか何事もありませんように。私の思い過ごしでありますように。予想が外れることを願いながら、私は渚砂ちゃんに微笑んだ…。

 

 

 

 

 

 

<罠の行方>…涼水 玉青視点

 

 ああ、今日と言う日が来なければ良かったのに。前日の雨模様と打って変わり澄み渡る快晴の空が広がるお日様の下で私はため息をついた。今日は仕掛けた罠を確認する日なのだ。渚砂ちゃんが私に嘘をついてまで、何をしていたかを知るための罠を…。計画通りに数日ほど普段通りに過ごしつつ、渚砂ちゃんに対してはある事項を繰り返し伝えておいた。

 

「金曜日は重要な会議があるからどうしても一緒に帰れないんです。ごめんなさい渚砂ちゃん」

 

 もちろんこれは嘘っぱちである。こんな会議は存在しないし、ましてや今日は生徒会の活動そのものすらない。私がいなくなった後、果たして渚砂ちゃんはどう動くだろうか?図書館ではなくどこか別の場所へ行くのか?それとも単に誰かと遊んでいたのか?渚砂ちゃんを尾行すれば自ずと真実が明らかになる。

 

 もし引っ掛からずにいちご舎に直帰するようであれば、また罠を仕掛けなおすだけだ。一週間だって、二週間だって待ってみせる。ううん、もっと時間が掛かったって根気強くやればいい。

 

「それじゃあ行ってきますね渚砂ちゃん。あんまり寄り道して遅くなってはダメですからね」

「うんっ!玉青ちゃんもお仕事頑張ってね!」

 

 サラリーマンの夫を送り出す朝の光景にも似た会話を交えながら渚砂は玉青を見送った。わざわざ教室から顔を出し、姿が見えなくなるまで手を振ってみせる。周囲には仲睦まじい友人同士に見えるであろう、健気で甲斐甲斐しい仕草だった。そんな見送りを受けた私はひとまず生徒会室へと向かい、その前を素通りしてから駆け足で教室を見張れる位置へと戻る。前から目星をつけていた場所に身を隠すと、渚砂ちゃんはクラスメイトとの会話を早々に切り上げ教室を飛び出した。その足取りは軽く、浮かれているように見える。

 

 校舎を出ていちご舎とは違う方…、あまり人の行かない方へと足を向けた渚砂の後を遠く離れて玉青は見守った。こっちに何かあっただろうか?ぐるりと遠回りして、散歩でもして帰るつもりだというなら今日は空振りということになる。そう、何もなければ…の話だが。私はこの方角にある建物に覚えがあった。幼稚園からこの丘にいるのだから知らないはずがない。エトワールの温室。過去にも様々な噂の舞台となったミステリアスな場所だ。

 

 今は…、ある人のテリトリーとしてその名を知らしめている。私に交際を迫ったことのある人物…、麗しきエトワール、花園静馬の根城として。渚砂ちゃんが温室に何か用があるとはとても思えない。温室に出入りしているのは、エトワールを除けば六条様に、付き人として認識されている二人の6年生くらいものだ。それだってエトワール抜きで勝手に出入りするようなことは有り得ない。だとすれば渚砂ちゃんは静馬様に認められて温室に出入りしている可能性がある。でもどんな理由で?単に植物の管理の手伝いということはないだろう。そうなってくると考えられるのは…。

 

「まさか、渚砂ちゃんが…?」

 

 花園静馬が同性愛者であることは当然知っている。そしてその相手が必ずしも…同性愛者でないということも。不思議な事に静馬様はそういう相手でさえも容易く魅了する術を知っていた。もしかしたら渚砂ちゃんも静馬様に魅了されているのかもしれない。一歩、また一歩と近付くごとに温室が不気味さを増していくように玉青には感じられた。まるで囚人を閉じ込めておく監獄のように、陰湿な空気がその周りを漂っている。何かに取り憑かれたかのように、頼りなくふらふらと歩を進めると、次第に中の様子がガラス越しに見えてきた。けれど離れたままでは温室の奥までは見通すことが出来ない。仕方なく傍にカバンを置くとガラス戸に顔を押し付けた。

 

「なぎさ…ちゃん?渚砂ちゃんッ!!」

 

 目を凝らした玉青の目に飛び込んできたのは

━━温室の中で静かに抱き締め合う渚砂と静馬の姿だった━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか?ようやく主人公である玉青ちゃん視点がどどーんとやってまいりました。タマリマセンワーとかキマシタワーでお馴染みの涼水玉青ちゃんですが、何度か後書きで触れたとおり、私のストパニお気に入りキャラの中でもかなり上位にランクインしております。これまではサイドストーリー的なものも多かったので視点が少なかったですが、これからは徐々に増えていくのではないかと…。章タイトルのセリフは玉青ちゃんのものですが玉青ちゃんにとってはややビターな章となりましたね。
 良かったら次章もよろしくお願いします。それでは~。



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