アストラエアの丘で   作:クラトス@百合好き

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■あらすじ
 温室で抱き締め合う二人の姿を目撃してしまった玉青は、居ても立っても居られずその場へと駆け寄った。静馬と対峙する玉青の胸には鈍い痛みが広がっていって…。どうにか玉青が渚砂を連れ去った後の温室には静馬の笑い声が響き渡るのだった。
 千華留と深雪のお茶会を含む4話でお届けする第16章!

■目次

<温室での攻防>…涼水 玉青視点
<もう一人の獲物>…花園 静馬視点
<成長した雛鳥>…源 千華留視点
<小さな歪>…涼水 玉青視点




第16章「私の渚砂ちゃんです」

<温室での攻防>…涼水 玉青視点

 

 覗き見たガラス戸からかなりの距離があったにもかかわらず、温室の中で抱き締め合う二人の姿が異様にはっきりと見えた。視線を濃密に絡ませ合いながら顔と顔を近付けるその様子は、今にもキスをしてしまうんじゃないかと思うような距離感である。

 

 強い焦燥感に…、一刻も早く渚砂ちゃんの傍に行かなければならないという思いに駆られた私は、地面に置いたままのカバンの存在を頭から放り出し無我夢中で身体を動かした。ガラス戸を勢いよく開け放つと鉢植えの並ぶ狭い通路を矢のように駆け抜け、テーブルの置かれた広い空間へと躍り出る。

 

 すると渚砂ちゃんは驚いた顔をして…、おそらく最初に開けた扉の音で侵入者が来ることには気付いたであろうが、それがまさか私であるとは夢にも思っていなかったという表情を浮かべて目を見開いていた。実際のところ渚砂は隠れればいいのか?そのままでいればいいのか?どうすればいいのか分からずただただ静馬に抱き着いてその瞬間を待っていたのだ。

 

「玉青…ちゃん」

 

 その声には玉青に見られたことに対する後悔が含まれていた。チラリとテーブルの上を見やるとお行儀よく並べられた2人分のティーセットが目に入り、数日前にお茶を勧めた際にいらないと言われた事を思い出した。その瞬間私は全てを悟ったのだ。ああ、そうか。『だから』か。渚砂ちゃんはこの人と一緒にお茶をしていたから喉が渇いていなかったのか、と。

 

 カップから漂う芳醇な香りは、いつぞや生徒会室で頂いた六条様の紅茶と同じ香りをしていた。間違いなく静馬様が選んだに違いない茶葉の香りを吸い込みながら、おそらく何度もこうして温室で会い、お茶を飲み、そして今のように抱き締め合っていたのだろうと想像して、胸は棘が刺さったかのように痛み出した。そう、二人は会っていたのだ。私が気付かない間に、何度も。知らず知らずに唇を噛み締めていたのをどうにかやめると、私は口を開いた。

 

「━━離れてください。渚砂ちゃんから離れて!━━」

 

 口から出た声は自分のものとは思えないほどに低く、怒気を含んだ声だった。その声に渚砂はビクッと身を震わせたものの肝心の静馬は取り乱した様子もなく…、というよりもむしろ楽しそうでさえある笑みを浮かべたままで、全く怯んだ様子は見受けられない。驚いて固まった状態の渚砂とは対照的に、静馬は悪びれる様子もなくその手で渚砂を抱き締め続けたまま玉青に言葉を返した。

 

「ふふふ。怖い顔。あなたのせいで渚砂が驚いてしまったわ。せっかくの逢瀬が台無しよ」

「私の言ったことが聞こえなかったんですか?渚砂ちゃんから離れてください。今…すぐに」

 

 玉青の繰り返しの警告にもまるで怯んだ様子はなく、それどころか挑発するように玉青が来る前よりもさらに腕を…、ドレスを締め付けるコルセットのようにきつく交差させつつ静馬は言い放った。

 

「嫌…だと言ったら?」

 

 豊かな胸で渚砂の頭を包み込みながらのあまりにも分かりやすい挑発に、玉青は自分の中のもやもやを抑えることが出来ないもどかしさを込めながらこれまた分かりやすく…、即座に反応した。

 

「力ずくでもそうさせてみせます」

 

 玉青の宣言にさらに唇の端を吊り上げて静馬は笑った。

 

「なら渚砂に聞いてみようかしら?」

「渚砂ちゃんに?」

「ふふふ。ねぇ渚砂。渚砂は私に抱き締められるの嫌かしら?どう?素直に言っていいのよ。嫌なら嫌だと言って頂戴」

 

 万に一つも渚砂がそんなこと言うはずないと確信しているかのような静馬の態度はますます玉青の神経を逆撫でしたが、玉青も負けじと渚砂に視線を送り、嫌だと言うように、その手を振り払うようにと念じた。

 

「どうなの渚砂?あなたは私に抱き締められるのは嫌?」

「それは…」

 

 渚砂はチラリと玉青の顔を窺った。正直に答えていいのか迷っているかのように。答えを聞いて玉青が悲しんでしまわないか推し量るように。僅かな間逡巡した渚砂は、申し訳なさそうに…、答えるのが苦痛だとでも言いたげに玉青から目を逸らしながら口を開いた。

 

「嫌じゃ…ないです」

「渚砂ちゃんッ!?」

「そう。よかったわ。なかなか答えようとしないから渚砂に嫌われてしまったかと思ってヒヤヒヤしたもの」

 

 てっきり嫌だと言ってくれるものだと、静馬様に無理くり抱き寄せられているのだと、そう思っていたのに。その答えはまるで…逆の。視線を合わせようとしても渚砂ちゃんはこちらを見てくれず、むしろ目を合わせたくないと言いたげに反対方向へ顔を向けたまま、静馬様の胸へとより頭を埋めてしまった。

 

 見放されたかのような喪失感が胸を襲い私は言葉を失うと、その隣に見える静馬様の勝ち誇った笑みを直視することが出来ず項垂れた。

 

「どうしてですか渚砂ちゃん。渚砂ちゃんは静馬様に強引に…」

「渚砂本人がちゃんと答えた以上、この話はもう終わりよ」

「私は渚砂ちゃんに話しかけているんです。邪魔をしないで下さい」

「邪魔をしているのはあなたの方なのよ。いい加減気付いて頂戴」

「私が…邪魔?」

 

 そんなわけない。渚砂ちゃんは私の助けを待っているはずだ。今は抱き締められていてそう言えないだけだ。そうであるはずなのに!渚砂ちゃんは言葉を返してはくれなかった。私が一生懸命に目で訴えても、辛そうに顔を背けるだけ。私と渚砂ちゃんが石像のように固まり動かなくなるなかで、自由に動けるのは静馬様だけだった。

 

「ところで玉青さん。そもそもあなたには渚砂を引き離す権利があるのかしら?」

「権利…ですか?」

 

 ええ、と頷いた静馬は再び権利よと繰り返した。依然として渚砂を抱き締めたままで。

 

「そんなのあるに決まってるじゃないですか。私は…私は渚砂ちゃんの親友で、ルームメイトなんですから!」

「なら、なおさらダメよ。親友だと言うのならちゃんと見守ってあげないと。あなたはただ渚砂にちょっかいだされたのが気に入らないだけ。それで駄々を捏ねているだけの部外者なのよ?」

「ぶ、部外者?私がですか?渚砂ちゃんと一番仲の良い私が部外者だなんて」

「だってそうは思わない?渚砂も何か言ってあげなさい。『お友達の』玉青さんに」

 

 殊更に強調されたその言葉を聞いて私はカッとなった。今までこんなに頭に血が上ったことはないんじゃないかってくらいに。バカにされたように…、実際そうなのだろうけど私はそう受け止めた。身体が勝手に動き出し二人の間へと割って入ろうと手を伸ばす。びくっと怯えた表情を浮かべた渚砂ちゃんの手首を掴むと、予想に反して静馬様はスルリと離れていった。最初からそうするつもりだったとでも言いたげに。

 

 背中に隠すように渚砂ちゃんの前に立ち静馬様と対峙する。この時の私はおとぎ話に出てくる騎士に引けを取らないほど勇敢で、そして向こう見ずだった。緊張に心臓が鼓動を早め、怒りの感情を表現するかのようにふーっ、ふーっと息が荒くなった。

 

 自分に出来る限りの怖い顔もしたつもりだったが、あいにく静馬様にはまるで通用せず滑稽そうに笑っている。それどころか私の肩越しに渚砂ちゃんに目線を送り、安心させるように頷いてみせたのだ。それが余計に腹立たしくて私はさらに渚砂ちゃんを隠すように立ちはだかり、その視線を遮った。

 

「やめてください。渚砂ちゃんを…誘惑しないで」

「なかなか素敵な友情ね。渚砂を守ろうというわけ?」

 

 友情?と言われて私は心の中で首を傾げた。今私の胸の中で滾るこの熱は果たして友情によるものなのだろうか?と。

 

「理由なんてどうだって構いません。とにかく私は渚砂ちゃんを守りたいだけなんです」

「こっちへいらっしゃい渚砂」

 

 まただ。また私を無視するように渚砂ちゃんに話し掛けて。悔しい…。渚砂ちゃんは…、渚砂ちゃんは。その瞬間、私の中で何かが弾けた。

 

「無視しないで下さい。私の…、『私の』…です」

「私の?私の何なのかしら?」

「━━『私の渚砂ちゃんです』━━」

 

 気付けば大声で叫んでいた。温室に響き渡るほどの声量で解き放たれた言葉が空気を切り裂くようにして静寂をもたらす。私の渚砂ちゃん。ハアッ、ハアッと短く息をつきながら、頭の中で同じ言葉が再生される。私の、私の、私の。伝わる手の感触から渚砂ちゃんが驚いたのが伝わってきたけれど、それ以上に自分自身が一番驚いていた。

 

 自分でもどうしてそんなことを言ったのかは分からないが、そう言ったことだけはやけにはっきりと記憶に残っていた。頭の中ではいまだに聖堂で大きな音を立てた時みたいに…、壁に反響した音のように、『私の』が木霊し続けている。そして幾度も響いた音同士がぶつかり合って溶け合うと、そこには『私の渚砂ちゃん』という言葉がくっきりとした輪郭を持って佇んでいた。なんて…甘美な響きなんだろうか。高鳴る胸の鼓動を感じつつ辺りを見回すと外に立っている木々のように、温室の中にある草木たちまでもが風に吹かれたみたいにざわざわと揺れた気がした。

 

 もちろんそれは気のせいだったけれど、そう感じるくらいに私が口にした言葉は意味を持っていたらしい。唯一静馬様だけが、納得したという表情を浮かべながら一人頷いていた。

 

「そう、そうなの。ならあなたにも口出しする権利は…あると言えるわね」

「私には最初から━━━」

「━━━いいえ、ないわ。ないのよ玉青さん。その言葉を口に出すまで、あなたには髪の毛一筋ほどの権利もなかったの」

 

 なぜ急に静馬様が態度を変えたのか不思議だったけれど、私はこれをチャンスとばかりに渚砂ちゃんを抱き寄せ言い放った。

 

「━━━渚砂ちゃんは…私が守りますから━━━」

 

 言い終わると同時に掴んだままの手を引っ張り、私は渚砂ちゃんを連れて温室を飛び出した。置き去りにしてあったカバンを手に取りとにかく走る。あの場に留まることなんて考えられなかった。

 

「た、玉青ちゃん。待って!待ってよ」

「ダメです渚砂ちゃん。もっと…もっと遠くへ行かないと」

 

 渚砂が止まるように促しても玉青は足を止めなかった。玉青を動かしていたのは一刻も早く温室から遠ざかりたいという思い。温室から?違う。あの人からだ。花園静馬という悪魔から逃げるために…。そう、あの人は悪魔だ。色目を使って渚砂ちゃんを誘惑した。周囲から閉ざされ鬱屈とした温室を巧みに利用して、私の目を欺くように渚砂ちゃんを…。『私の』ものなのに。

 

 疑うことを知らない初心な渚砂ちゃんに甘く囁いて騙すだなんて許せない。けど、私にも落ち度はあった。それは認めざるを得ない。知らせておくべきだったのだ。花園静馬に近付いてはならないと。もし近寄る場合には必ず私を傍に置くようにと。そこまで考えて苦笑いを浮かべた。悔しいけれどあの人の言ったことはどうやら当たっていたらしいことに。私は騎士だ。渚砂ちゃんを守る騎士。悪魔からお姫様を守る役割を担うための。そう思うと身体に力が漲り、どこまでも走っていけそうな気がしてきた。渚砂ちゃんの声を聞くまでは。

 

「痛い、痛いよ玉青ちゃん。お願いだから、少し手を緩めてよ。ねぇ玉青ちゃん」

 

 渚砂ちゃんの声にハッとして思わず振り返ると、今にも泣き出しそうな顔をした渚砂ちゃんの顔が目に入ってきた。どうやら力を入れ過ぎていたらしい。息をついて立ち止まると渚砂ちゃんは繋いでいた手をさすった。一体私は何をしていたんだろう。守るべきはずの渚砂ちゃんを不安にさせてしまうなんて。これでは騎士失格だ。けれど、ここはまだ人の少ない木立の並ぶ薄暗い道の途中で、温室からはそう遠くは離れていなかった。

 

 笑い声が聞こえる気がする。私を嘲笑うあの人の声が。追っかけてきている。木々の間を縫うようにして。ほら、すぐ後ろ。今もすぐ背中へと迫っている。走らなきゃ。渚砂ちゃんを連れて。走らなきゃ。私はこんなにも不安そうな顔をさせてしまったことを恥じながらも、それでも歩みを止めたくなくて促した。

 

「気付かなくてごめんなさい。つい、力が入ってしまって。だけどもう少しだけ頑張ってください。いちご舎に…、あそこなら渚砂ちゃんを守れますから。部屋に入って、扉を閉めさえすればもう安心ですよ」

「守るって一体何から?」

「静馬様に決まっているじゃないですか。他に何があるんですか」

「どうして?」

「どうしてだなんて…。渚砂ちゃんだって分かってるはずです。あの人は危険な人なんですよ」

 

 玉青の言葉を聞いて渚砂は静馬が自分のことを危険人物だと言ったことを思い出した。会話の中でポロリと零したあれは、そういう意味だったんだろうか?と。けれど渚砂はどうしても、静馬が危険人物であるとは思えなかった。むしろ優しく包み込んでくれる、聖母のような存在だとすら思えた。

 

「あのね玉青ちゃん、静馬様は━━━」

「━━━渚砂ちゃんの事は私が守ります。私があなたの騎士になってみせますから。だからどうかわたしの傍を離れないでくださいね渚砂ちゃん」

 

 素直な静馬への感想を言いかけた渚砂の言葉を遮るように、玉青はそう口にした。汗で滑る手を強く握り、誓う。今握りしめている手はもう離したりしない。絶対に。星乙女。

 

 私の、『私の』アストラエア。ううん、違う。私のじゃない。『私だけの』ものだ。そう、そうだ!渚砂ちゃん。大切な、大切な人。

━━『私だけのアストラエア』━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<もう一人の獲物>…花園 静馬視点

 

「ふふ、ふふふふ。あははははははははははは」

 

 玉青が渚砂を連れて立ち去った後の…、本来であれば静寂が支配するはずの温室で静馬は込み上げる笑いを抑えることが出来ず、一人大声で笑っていた。余程面白かったのか、目尻には僅かに涙が見受けられ、両手はお腹の辺りに位置したまま感情に身を任せている。

 

「『私の』。『私の渚砂ちゃん』。あははははははははははは」

 

 一度収まりかけた笑いも、再び声に出して確認すると初めて聞いたかのように笑いが込み上げてくる。何度も、何度も。言った。あの子は…、玉青さんは確かに言ったのだ。私に向かって宣言するように。戦いを挑むかのように。渚砂を背中に庇いながら確かに言った。『私の』渚砂ちゃんと。

 

 これが笑わずにいられるだろうか?本人がどんなつもりで言ったのかは知らないが、私にはそれが『好き』だと言っているようにしか聞こえなかった。あの子は渚砂に言っていたのだ。好き、好き、好き、と。渚砂はきちんと気付いただろうか?親友から向けられた感情が…、友人に対するそれとは違うことを。

 

「私の思った通りだったわ。やはりそうなのよ。あなたは私と同じ…」

 

 親友?ルームメイト?そんなものは所詮言い訳に過ぎないのだ。私に対して怒りの感情を抱くのは渚砂にちょっかいを出されたのが悔しくてたまらないという嫉妬心からに他ならない。この前生徒会室で深雪と話したときから目を付けていた。私と同じ側の人間ではないだろうかと。同性愛者ではないだろうかと。渚砂に近付くついでにあわよくばと思っていたが、結果として私の思い通りに事が進んだ。いや、思っていた以上に。私はこれを待っていたのだ。涼水玉青が本性を現す瞬間を。

 

 あの熱っぽい目!潤んだ瞳!そして何よりも渚砂に使った『私の』という言葉が教えてくれる。涼水玉青が間違いなく同性愛者であると。たまたま好きになった相手が女の子だったというわけではなく、女の子であるからこそ渚砂を好きになったのだ。そうでなければ同性に対して『私の』などと声高に所有権を主張したりするだろうか?普通ならば有り得ない。そう、普通ならば…。私が渚砂を手に挑発しなければもしかしたら一生気付かないまま過ごしていたかもしれない。愛情と友情を履き違えたまま無邪気にお友達ごっこに興じていた可能性もある。

 

 そういった点では1年前に私のところへ怒鳴り込んで来た南都夜々とはだいぶ事情が異なってはいるが、どちらにしろ今日この場所で玉青さんの運命は変わってしまった。無自覚でいた期間が長い分、そのうち自分の抱いた感情を理解できずに混乱するに違いない。そうなればますますこちらの思うつぼである。

 

「本当に、本当に良かったわ玉青さん」

 

 昔の交際の申し出が成功していなくて良かったと心の底から思う。だって成功していたら、今こうして喜ぶことが出来なかったのだから。収穫しようか迷っていた青い果実が時を経て立派に成熟し、その甘い果肉を見せびらかすように。あの子は私の興味をそそってくれた。はっきり言って感謝以外の言葉が浮かばないくらいだ。いくら渚砂が編入生で初々しくて私を楽しませてくれる存在とはいえ、一人だけでは少々物足りない部分もあった。

 

 それがどうだろう?その渚砂を奪い合う相手として、参戦する意志を見せたではないか。実に素晴らしい。これで退屈せずにすむ。もしからした今まで一番楽しく過ごせるかもしれない。だって私と女の子を巡って争う子など、一人としていなかったのだから。ああ、想像しただけでも身震いしてしまう。同性愛者である私と玉青さんが、そうでない渚砂をいかにして奪い合い、堕とすのか。楽しい余興になりそうだ。

 

 だが私はそこまで考えて、ふとある事を思いついた。本当にそれでいいのだろうか?甘い果肉を眺めるだけで満足してしまうのか?と。渚砂というメインディッシュの皿に添えられた飾りの花のように、ただ置いておくだけで…。そんなこと…もったいないに決まっている。その身に口を付けることなく誰かに味見させるなど。あれだけの獲物はそうそういない。食べたい。食べてしまいたい。渚砂だけでなく、あの子も従えてみたい。

 

 人望があって、顔も身体も私好みで、深雪から次期生徒会長に推挙されるような存在であるあの子を、屈服させて隷属させたい。私の中で邪な血が…、千華留に悪魔と囁かれた血が、ごぼごぼと音を立てて血管の中を駆け巡っていくのを感じる。一人だけじゃ足りない。二人とも…私のものに。

 

 ああ、そうだ。それがいい。おそらくあの子は私から渚砂を守ることしか考えられないはずだ。ボロボロに傷付いて、傷口から血を滴らせながらそれでもなおあの子が私を睨みつける様子を想像してみる。険しい表情を浮かべ美しい青髪は汗で顔に張り付いていた。背中に渚砂を庇うその姿はまさに騎士と呼ぶに相応しい凛々しいものだ。でも可哀想なことに騎士は…、少女は何も知らないのである。

 

 傷口から溢れるのは血ではなく実は甘い果汁で、それがかえって私を喜ばせるだけだということを。まさかその身を挺して守る自分そのものが私に狙われているなどときっとあの子は夢にも思わないだろう。渚砂を守っているはずが、本当はその身を私に差し出していることに…。

 

 そしてなによりも可哀想なことは…。知っているかしら玉青さん。騎士はお姫様に恋してはいけないのよ。騎士はただ守り、仕え、傍にいるだけ。だからお姫様が他の誰かに惹かれていても、それを指をくわえて見ることしか出来ないの。あなたは本当に理解している?

 

「騎士のままではダメよ。騎士のままでは私に渚砂を奪われてしまう。でも安心して頂戴。

 ━━あなたも美味しく食べてあげるから━━」

 

 ここはエトワールの温室。私の城。私の国。全ての決定権は私にある。さあいらっしゃいお二人さん。宴の準備は整えておくから。二人仲良く…堕ちていくといいわ。ここなら誰の目にも触れることはないのだから…。

 

 

 

 

 

 

 

<成長した雛鳥>…源 千華留視点

 

「こんにちわ『深雪さん』。ようこそルリムへ」

 

 ある一件以来下の名で呼ぶようになったミアトルの生徒会長を迎え入れ、千華留は嬉しそうに頬を緩めた。場所は秘密部の部室。無駄に…、という言葉が似つかわしい広い部屋はいつもは数名の生徒がいるものの、今は千華留と客人の姿しかない。今日のためにわざわざ貸し切りにしてあるのだ。丁重に礼を述べた深雪に席を勧めながら自らはテキパキとお茶の支度に勤しむ千華留はほどよく沸いたお湯をティーポットに注ぎ入れそっと蓋を閉じた。その手際の良さに深雪は感嘆しつつ、そういえば千華留さんは静馬から手ほどきを受けていたわね、と思い返す。

 

 少しの間沈黙が…、以前とは違い重苦しくないそれは、最早沈黙とは呼べないような温かさを持って二人の間をゆるゆると流れていく。私はそのことをとても嬉しく感じていた。やがてカップが色鮮やかな液体に満たされ千華留が着席すると、深雪は口を開いた。

 

「あなたには感謝しているわ千華留さん。おかげでようやくすっきり出来た。なんだか別人になったみたいに身体が軽いわ」

 

 紅茶に口を付けながら千華留も微笑を浮かべてそれに応じる。

 

「それはよかった。頑張った甲斐があるというものよ」

「ふふふ。演劇部は立ち上げたのかしら」

「いいえ。よく考えたら結構手一杯で、そんな余裕はなかったから」

「そう、それは残念ね。あなたなら素敵な舞台を演じられたでしょうに」

「本当に?」

「ええ。ものの見事に騙された本人が言うのだから、説得力があるでしょう?」

 

 深雪さんが自嘲気味にそう言いながらくすくすと笑い声を漏らすのを見て私は素直に驚いた。そんな笑い方が出来るようになったのね、と。深雪さん。素敵、とても素敵よ。今のあなたは。以前のピリピリした空気を持つあなたも悪くはなかったけれど、今の方がずっといいわ。もっとも私だけじゃなく誰に聞いてもそう答えるでしょうけど。

 

 紅茶を口に流し込みながら私は柔らかい雰囲気を纏った深雪さんの姿を額縁に入れて飾ろうとするかのように、目に焼き付けて切り取ろうとした。なんでかって?当然でしょ。私の…、源千華留の踏み出した第一歩が、しっかりと足跡を残すことが出来たのだから。私がやろうとしていることは間違いなくおせっかいで、もしかしたら人から非難されることになるやもしれない。結果によってはビンタされてもおかしくはない。だけどこうして笑顔を見せてくれた深雪さんのおかげで、私はまた次の一歩を踏み出すための勇気を得たのだ。

 

「静馬は何か言っていた?」

「何も聞いてないわ。けれど凄く機嫌が悪い日があったの。何かにとてもイライラしていて、八つ当たりをしたくてたまらないといった様子だったわ。私が考えるに、それは深雪さんが行動を起こした日の翌日だったんでしょうね」

「そう、静馬が…」

「気になる?」

「そうね、少しだけ。苛立つ姿はなんとなくだけど想像つくわ」

「深雪さんはなんでだと思う?」

「さあ。きっと気に入らなかったんでしょ。自分の予想とかけ離れた反応をされたから」

 

 へぇ。嬉しさで吊り上がる唇の端をカップで隠しながら私は心の中で深雪さんを賞賛した。相手に何かしらの反応を期待することは私にだってある。予想通りだと嬉しいし、自分の予想を超えて反応された時もやはり嬉しいものだ。けれどあまりにも予想を超えた反応をされるとなんだか途端に面白くなくなってしまうという経験をしたこと…誰しもあるのではないだろうか?深雪さんの予想は十中八九当たっている。

 

 静馬は面白くなかったのだ。自分の思い通りになる人物だと思っていた親友が、そうではなかったことが。恋愛に疎いはずだった深雪さんがいつの間にかそういった駆け引きの出来る女性に成長していたことが。

 

「でもまだ何も果たせていないわ。スタート地点に立ったというだけ。それも公平ではない、とても後ろの方に用意された脱落ギリギリのスタート地点にね。といっても負けるつもりはないけれど」

「ふふっ♪」

「楽しそうね。あなたの順位予想では私は一体何着なのかしら?」

「負けるつもりはないんでしょう?だったら1着以外には考えられないわ」

「そうね…。でも私は正直言って1着でなくても構わないと思ってる」

 

 ふうん?どういう意味かしら。負けるつもりはないと言いつつも1着でなくてもいいだなんて。カップの底の方の…、砂糖が溶け切っていなくて特別に甘い部分を口に含みながら私は思案した。表情を見たところ、弱気になっているようには見えない。かといって強がっているようにも見えない。確固たる芯を得た深雪さんは揺るがぬ大木のように落ち着いていた。

 

「それってどういう意味なのか教えてくださらない?」

「別に大した意味じゃないわ。たとえ何着だったとしても私は静馬から離れないってことよ。相手が誰であろうと、ずっとくっ付いて走り続けて見せるわ。最後の最後に静馬の横に立っていればいいの。そうしたら私の勝ちだと思わない?」

「なにそれ。それじゃまるでストーカーみたいじゃない」

「知らなかったの?私って意外と執念深いのよ」

 

 なるほど。そういう闘い方もあるのね。はっきり言って傍目にはあまり成功率が高くないようにも思える作戦だったが、なぜか私は妙に納得したというか、深雪さんにはしっくりくるような気がして感心してしまった。彼女にはそれが出来るだけの気概があると思えたし、なにより彼女の生徒会長という立場が有利に働くのではないかと私の勘が囁いていた。彼女の補佐なしではいかに静馬といえどエトワールの仕事をこなすのは厳しいだろう。そうなれば必然的に静馬は深雪さんを必要とする。無理やりにでも傍に居続けることが可能となるのだ。もちろん卒業までというタイムリミットは存在するが、5年間遠回りをしてきたようで案外悪くない道のりだったのかもしれない。

 

「ねぇ深雪さん」

 

 私は少しだけ纏う空気を変えて深雪さんを挑発してみた。

 

「私とキスしてみない?今のあなたなら、きっと楽しめるんじゃないかと思ったんだけど」

「どうしたの急に?」

「深雪さんが魅力的で可愛らしいから、なんとなくそんな気分になっただけよ」

 

 深雪は突然の提案に驚いた表情を浮かべたものの、すぐに首を振って答えた。

 

「ごめんなさい。それは出来ないわ」

「あら?遠慮しなくていいのよ。今は誰ともお付き合いしていないし、きっと気に入ってもらえるわ」

「そうではなくて…。千華留さん全然本気に見えないんだもの。あなたが本気でそう思ったなら、たぶん突然唇を奪われていたと思うわ。私の不意をついてあっさりとね。申し訳ないけれど本気じゃないキスは…お断りさせていただくわ」

「これは失礼いたしました。ふふ、でも前言撤回が必要ね♪深雪さんたら可愛くないわ」

「ふふふ。誉め言葉として受け取っておくわ。いつまでも鳥籠の中にいる雛ではないってことね」

 

 深雪さんてば本当に可愛いのに、可愛くないんだから♪静馬もこんな気分だったのかしら?昔の深雪さんならキスしようだなんて言ったら顔を赤らめておどおどした様子が見れたんだけどな~。今ではしっかりと言い返してくるんだもの。

 

 でもまぁいいわ。今の深雪さんの方が一緒に居て楽しいから、これでよしとしましょうかしら?私としてはどうせなら深雪さんに1着フィニッシュして欲しいわね。だってあなたは私の…第一歩なんだから♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<小さな歪>…涼水 玉青視点

 

 朝目が覚めるとほんの少しだけ、目に映る景色の色が違っているような気がした。窓から差し込む光に、細く伸びた影。青空もそうだし、もちろん渚砂ちゃんの寝顔も。昨日は疲れてしまったのか二人ともあっという間に眠りに落ちてしまった。でもそれで正解だったんだと思う。ベッドに腰掛けていてもきっと上手く会話出来なかっただろうから…。

 

「起きてください渚砂ちゃん。もう朝ですよ」

 

 目を擦りながら起きた渚砂ちゃんが顔を洗いに行っているうちに自分の支度を始めておく。そうしておかないと、渚砂ちゃんの支度を手伝ってあげられないから。洗面台の方から聞こえてくるパシャパシャという水音を聞きながら着替えを済ませ髪を整える。普段と変わらない日常が過ぎていく。昨日の出来事なんて存在しなかったかのように。

 

 椅子に座らせて髪をセットしてあげると今日もとっても可愛らしい渚砂ちゃんの出来上がりだ。うん、なんともない。手も震えなかったし実にいつも通りだ。本当のことを言うと渚砂ちゃんを意識してしまい、手が動かなくなるんじゃないかって心配をしていた。けれど思い過ごしでなによりである。私は渚砂ちゃんを守るだけだ。親友として、ルームメイトとして。だから特別な感情を抱いているわけじゃない…。私は渚砂ちゃんの騎士なのだから。

 

 食堂に行く途中で合流したスピカの夜々はそんな玉青の様子に違和感を覚えていた。さりげなく繋がれた二人の手が以前とはどこか違うことを…、親友というよりかは恋人に近いような、けれど決して恋人ではないと思わせる壁がありながら、なおも仲睦まじく繋がれた手が異様な雰囲気を漂わせていると。

 

 隣を歩く光莉も一瞬だけその手に目を落とすと夜々をチラリと見た。恋人関係にある二人ならではの意思の疎通を行い夜々は確信を深めた。自分たちの知らないところで二人に何かがあったのだと。そして気付いてあげられるのは、何か手助け出来るのは、自分たちのようなこの丘の…、アストラエアの丘のはぐれ者くらいであると。他に気付くとすれば…やはり。そう考えた夜々の目線の先に、思い浮かべた人物のうちの一人が姿を現した。

 

「おはよう渚砂。昨日はよく眠れたかしら?」

「おはようございますエトワール様。もちろん昨夜はよく眠れました。ねぇ渚砂ちゃん」

「う、うん」

 

 渚砂ちゃんに向けられた言葉に割り込むようにして答えると私と静馬様の間には緊張した空気が漂った。昨日と同様に背中に渚砂ちゃんを庇っていると、静馬様の視線が動き、繋がれた私たちの手へと注がれる。それに気付いて手に力を込めなおすと私は静馬様が少しでも悔しそうな顔を浮かべはしないかとその表情を探った。

 

 もし渚砂ちゃんを狙っているのだとすれば悔しくて仕方がないはずだ。なのに静馬様はにやりと笑うと、渚砂ちゃんではなく私を…、なぜかターゲットではない私を一瞥して食堂へと入っていった。今のは一体どういう意味なのだろうか?出来れば足を止めて考えたかったものの、食堂へと向かう人の流れに飲み込まれるように私たちは食堂へと吸い込まれた。

 

 その意味ありげな一瞥に不信を抱いたのは夜々だけで、光莉でさえも気付かぬほどの僅かな…、早くから静馬と同じ側の人間であると自覚を持っていた夜々だからこそどうにかこうにか感じ取れた出来事だった。具体的にどう、とまでは分からずとも、注意しなければ危険であると本能が警告を発していた。

 

「ねぇ玉青ちゃん。昨日言ってたことってどういう意味なの?」

 

 纏っていた空気とは裏腹に拍子抜けするほど静かに、何事もなく朝食が終わって部屋に戻ると渚砂ちゃんが不安そうに私に尋ねてきた。それは本来であれば昨夜に話すべき内容のもので、先送りしていた難題が改めて巡ってきたに過ぎなかった。

 

「ごめんね。でも…聞かなきゃいけない気がしたんだ。自分のためにも、玉青ちゃんのためにも。玉青ちゃん確かに言ったよ。『私の』って…」

「ごめんなさい。自分でも咄嗟に出た言葉だったので…よく分からないんです。でも、渚砂ちゃんのことを大切に想っているのは本当ですから。………親友として」

「そ、そう…なんだ。そっか。じゃあ私の思い過ごしかな。私はてっきり…」

「渚砂ちゃん?」

「ううん、何でもない。あっ!支度しないと遅れちゃう」

 

 最後に取って付けたように加えた親友という言葉は、自分でもなんだか空虚なものに…、意味のないもののように感じられた。けれど付けずにはいられなかったのだ。付けないと…何かが壊れてしまう気がして。私の返答に明らかに一瞬だけシュンとして元気をなくした渚砂ちゃんも同じ気持ちだったのかもしれない。空元気と分かる渚砂ちゃんの声を合図に会話は途切れカバンに教科書を詰め込む音だけが部屋の中を満たしていった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 前回の更新からだいぶ時間が経ってしまいました。申し訳ありません。12月の忙しさを侮っていたわけではないのですが、ちょっとアクシデント等が重なりまして全く作業できない日が多々ありこのように遅くなってしまった次第です。
 もしよかったら次章もよろしくお願いいたします。それでは~。
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