アストラエアの丘で   作:クラトス@百合好き

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■あらすじ
 廊下で見かけた静馬の姿に目を奪われ、玉青の不在の隙をついて二人きりで会う渚砂。危ないとは知りつつも、初めての感情を抱いた相手に渚砂は引き寄せられていく。空き教室の次は階段の踊り場。そんな二人の逢瀬に割って入ったのは静馬に想いを寄せる深雪だった。アストラエアの丘で唯一の親友に静馬は迫り、そして口付けをする…。

 第17章は静馬様メイン!駆け引きに揺れる上級生たちの恋模様は!?

■目次

<可愛い小鳥>……花園 静馬視点
<どうか雛のままでいて>…花園 静馬視点
<今は羽根を休めて>…源 千華留視点



第17章「あなた『だけは』ダメなの」

<可愛い小鳥>……花園 静馬視点

 

「ふふふ。今日も精が出るわね。お姫様を護衛する騎士様は」

 

 手を繋いで下校する青と赤の少女を校舎の窓から見下ろしながら私は呟いた。あの日以来、玉青さんは渚砂を守ることに注力しほとんどの時間を渚砂の傍で過ごしている。自分が生徒会の活動で一緒に居られない日には渚砂に寄り道しないように厳しく言い含め、さらには友人たちにまで監視させているというのだから過保護な事このうえない。もっとも玉青さんがそうせざるを得ないように追い込んだのは私なのだが…。本当に…可愛い子だと思う。いじらしく…健気で。そんな努力にはまるで意味がないというのに。

 

「でもまぁ知らないのだから仕方ないわよね」

 

 目に見えるものが全てではない。強く結ばれたその繋がれた手…、一見すると固い友情を表現しているそれも心が伴っていなければ見せかけに過ぎない。どれだけ仲良しをアピールしようとも脆い砂の上に築かれた城では、打ち寄せる波に触れただけで簡単に崩れ去ってしまうだろう。彼女がしているのは、欠けた部分をスコップで補強しているようなものだ。けれど崩れた部分に砂を盛り、スコップの背で叩いて固めるうちにまた別の場所が崩れていく。せいぜい頑張ることね、その無意味な行為を。

 

 でも困ったわ。あまりにもせっせと励まれると可愛すぎて嗜虐心がそそられてしまうもの。見ているだけではつまらないし、そろそろ動いてみようかしら?そう考えた私は、二人から目を離し教室へと戻っていった。

 

 その翌日の放課後。静馬はタイミングを見計らって渚砂たちの教室の前を通りながら渚砂にウインクをしてみせた。いつも傍にいる玉青の姿は見当たらず、渚砂は一人教室でその帰りを待っていたのだ。ぼーっとしていたその視線が吸い寄せられるように静馬の姿を捉え瞳に映り込む。

 

 生徒会の活動がある日ではないから玉青さんは…そうね、10分くらいで戻って来るかしら?もちろん教室を出ていくのを見届けたうえで行動に出たわけだが、我ながら小さなチャンスをしっかりとものにしたと思う。その場に留まるという愚かな真似を私がするはずもなく、何事もなかったかのようにそのまま通り過ぎて行くと、視界の端では私を見つめ続ける渚砂が辺りをキョロキョロと見回していた。さぁ追っていらっしゃい渚砂。見えない手招きを繰り返しつつ私は廊下の角で姿を消した。

 

「ごめん、ちょっと職員室に行ってくる。玉青ちゃんが戻ったらそう言っておいてくれる?」

 

 渚砂は周囲にいた隣室の二人組…、玉青から監視役を頼まれている千早と紀子にそう声を掛けて教室をそっと抜け出すと、静馬の消えた方へと向かって小走りで急いだ。ギリギリ走らない程度に抑えるつもりがついつい早くなる足に言い聞かせながら、チラチラと煌めく銀髪を見失わないようにと追いかけてゆく。

 

 温室へ連れ出した時のような小動物的な可愛さを振りまきつつやってくる少女に自然と愛着が沸いていくのを感じた。渚砂が追いかけてきているのを確認しつつ人のいない空き教室へとその身を滑り込ませて少しすると、トトトッと早足で歩く音が聞こえてきて教室の前で止まった。少しだけ驚かせてみようかしら?

 

「後を付けていたのは誰!?入っていらっしゃい!」

 

 エトワール様らしい威厳に満ちた演技でそう尋ねると扉を挟んで渚砂の慌てふためく様子が手に取るように分かった。

 

「ご、ごごごごめんなさい。私です。蒼井…渚砂です。失礼します」

「あら?ストーカーは渚砂だったのね。嬉しいわ渚砂。私に会いに来てくれて」

「チラッとお姿が見えたので。それと…ウインク。私に向かって…その…しませんでしたか?」

 

 正解。ちゃんと気付いてくれたみたいね。でも可愛いからもう少しだけイジワルしちゃう。だって我慢できないもの。そんな風に頬を染めながら上目遣いで尋ねられたら、下級生を虐めずにはいられない生き物なのよ上級生って。

 

「ウインク?さぁどうだったかしら」

「えっ?あ、す、すみません。私ってばてっきり…」

「てっきり?」

「あの、なんでも…ないです」

「言ってごらんなさい。笑ったりしないわ」

「あぅ。その…静馬様が…合図してくれたんだと…思って…それで」

 

 頭から蒸気が出そうなほど羞恥心で耳まで赤く染めあげた渚砂はペコペコと頭を下げ始めた。さながらゼンマイ仕掛けの人形のように繰り返すその様子につい笑みを漏らしてしまった。

 

「ひ、ひどいです静馬様。さっき笑わないって」

「ふふふ。ごめんなさいね渚砂。でもこれはあなたの勘違いを笑ったのではなくて、あなたの仕草が可愛らしいから笑ったのよ」

 

 胸の前あたりで両手で軽くグーを作って抗議する渚砂を一通り慰めると、私はその小さな身体を抱き締めて包み込んだ。

 

「本当はね、渚砂に会いたかったの。渚砂の教室の前を通り掛かって、もしかしたら渚砂が出てきてくれないかしら?って考えていたらあなたが追いかけてきた。偶然ね…女神様の思し召しかしら」

「静馬様が…私に」

 

 はにかんだ顔を見せた渚砂はふと思い出したように言葉を紡いだ。

 

「あ、あの。この前のことすみませんでした」

「何のことかしら?」

「玉青ちゃんが…その、色々と…」

 

 顔を上げた渚砂はすぐに玉青さんについて語り始めた。玉青ちゃんは優しいだとか、玉青ちゃんは私を心配してあんなことをしたのだとか。正直私にとってはどうでもいいことで…、それどころかむしろあまり面白くない話ではあったが、頭を撫でながら、時折頷いてあげると渚砂はその度に嬉しそうに反応して見せた。

 

 どうやら私が考えていた以上に二人の結びつきは強かったらしい。止まらない渚砂の『玉青ちゃん』に少々嫌気がさした頃、不意にその顔を曇らせると言いにくそうに私に尋ねた。

 

「あの、静馬様は…、危険な方なんですか?」

「たしかに自分でもそう言ったわね。それがどうかしたの?」

「い、いえ。なんでもな━━━」

「━━━もしかして玉青さんに、そう吹き込まれたのかしら?」

 

 声のトーンから事情を察して少し揺さぶってみると、渚砂の瞳が大きく揺れた。その分かりやすい反応を愛でつつ脳内で考えを巡らせる。

 

「正解でしょ?」

「はい…。玉青ちゃん、なんだか静馬様に…対抗意識を持ってるみたいで。きっとそれでそんなことを言ったんだと思います。普段は誰にでも優しいのに…」

 

 尋ね返すとばつが悪そうに俯きながら渚砂はそう答えた。

 

「いいのよ、別に。それより渚砂が私をどう思っているかを聞きたいわ」

「私…ですか?」

「ええ。あなたよ」

「私は…、危険な方だとは思ってません」

「本当に?ふふふ。渚砂は嘘つきね」

「そんなことっ!」

「いいえ。あなたは嘘つきよ」

 

 抱き締めていた腕を背中に回して身体を密着させると、私は渚砂の耳元で囁いた。

 

「本当は渚砂も思っているのでしょう?━━私が危険人物だって━━」

 

 声にビクッと身体を震わせた渚砂に追い打ちを掛けるように、伸ばした舌を吐息でくすぐった耳へと這わせ、舐め上げた。

 

「あっ…静馬様。やめ…」

「どう?これでもまだ嘘をつくつもり?」

「ごめん…なさい」

 

 顔を赤らめギブアップした渚砂の耳から舌を離すと、唾液に濡れた耳が僅かにテカテカと光った。緊張から解放され、ホッと息をつく渚砂を腕の中に抱いていると、次第に私の気分も昂ってきて、もっと虐めたくなってしまう。

 

「渚砂は意外と大胆なのね」

「え?」

「だってそうでしょう。私が危険人物だと分かっていて、それでも会いに来たんだから」

「そ、それは…」

「もしかしてこういうことをして欲しくて追いかけてきたの?」

 

 ダメ押しとばかりに再び耳元で囁くと、渚砂の顔は羞恥心で朱に染まり、静馬が舐めた耳の先まで紅くなった。

 

「ち、違います。私は…少しだけ…お話…したく…て」

 

 渚砂が反射的に言い返した言葉は、静馬がじっと見つめると、みるみるうちに勢いを失い、最後は消え入りそうな…、か細い声となる。もう少し遊んでいたいが、そろそろ時間だろうか?

 

「また会いに来て頂戴。危険な私に…ね?あなたが来てくれるのを楽しみにしているから」

「静馬様がそう仰るんなら…」

「ありがとう。今日はそろそろ戻りなさい。玉青さんが…待っているんでしょう?心配させると大変よ」

 

 ここらが頃合いであると読んだ私は、さも名残惜しそうにしながら渚砂を解き放つと教室に戻るように促した。これくらいの方がスリルがあって盛り上がるというものだ。あまり長くダラダラと会うと、せっかくの雰囲気が台無しになってしまう。それに押すばかりでなく引くことも肝要であると、私は数多の経験から学んでいた。もちろん、1つアクセントを添えるくらいの洒落っ気は忘れずに…。

 

「またね渚砂」

 

 そう言うなり私は膝を少し折って顔の高さを合わせると、渚砂の柔らかな頬に軽く口付けをした。唇が触れていたのは火照った顔の熱が伝わってくるかどうかの短い一瞬。けれどその効果はなかなかのもので、渚砂は呼吸をするのも忘れたかのように呆然と佇み、触れた部分に手を当てながら私を見つめていた。素直な反応にむくむくと膨れ上がる虐めたい気持ちを包み隠し、努めて冷静に…、お行きなさいと声を掛けると渚砂はパタパタと駆けていった。途中チラリと私の方へと振り返り、手をキュッと小さく握る愛くるしい仕草を見せると渚砂はまた駆けていく。玉青さんとの『お友達ごっこ』に戻るために…。

 

 

 

 

 

 

 

 

<どうか雛のままでいて>…花園 静馬視点

 

 前回の空き教室での邂逅から2日後。この日は教室ではなく階段の踊り場で逢瀬を楽しんでいた私だったが、ふと聞こえてきた足音に驚き慌てて渚砂から身体を離した。不思議そうな顔をして見上げてくる渚砂を優しく諭しつつ、目は彼女のやって来る方向へと釘付けになる。

 

 一体なぜこんなところにいるのだろうか?今日は『生徒会』の活動があるはずなのに…。どうして?彼女が足音だけで私を識別出来るように、私もまた足音だけで彼女だと理解した。コツコツと廊下の床を颯爽と蹴る音が響き、やがて音の主が姿を現した。

 

「あら。奇遇ね静馬。こんな場所で会うなんて」

 

 私を呼び捨てにしながらにっこりと微笑んだのは生徒会長…、六条深雪だった。

 

「そうね。まさかお忙しいご身分のあなたがこんなところをうろついているとは思わなかったわ」

「私だって万能ではないもの。少し書類を取りに来ただけよ」

 

 そう言って手に持った紙の束をわざわざ見せつけた深雪は、静馬のすぐ傍でおどおどしている…、深雪と静馬の雰囲気に押されて二人の顔を交互に見る少女へと話しかけた。

 

「あなたが渚砂さんね。いつも玉青さんが話してくれるから、なんだか古くからの友人のように思えるわ」

「玉青ちゃんが?」

「ええ。玉青さんは『いつも』あなたのことばかり気に掛けているの。親友で、クラスメイトなんですってね」

「他には…、他には何か言っていませんでしたか?」

「渚砂、その辺で━━━」

「━━━玉青さんのこと気に掛かるのね」

 

 やられた!深雪め!素直にそう思った。私の言葉を遮って力強く口にした深雪の声に渚砂の心が大きく揺さぶられたのが手に取るように分かる。いつ誰が来るとも知らない階段の踊り場でのスリリングな逢瀬。私の事しか考えられないように巧みにコントロールしていたのに…。深雪はいとも容易く渚砂の中から私を追い出して、代わりに玉青さんを詰め込んだ。

 

 つい先程まで私と渚砂の間に漂っていた気だるい熱っぽい空気は薄れ、今はその熱を冷ますかのように隙間風が流れている。もし仮にもう一度抱き寄せたとしても、失ってしまった空気を取り戻すことは出来ないだろう。それどころか目の前の深雪という異物をどうにかしない限りは、抱き締めることさえままならないように思えた。

 

 私は口惜しさを悟られないように巧妙に隠しつつ渚砂の耳元に口を寄せると、深雪には聞こえないようにと小さい声で囁いた。

 

「今日はもう行きなさい。せっかく渚砂が私のために時間をくれたのにごめんなさいね。次は邪魔の入らない場所で会いましょう」

 

 前回同様に渚砂の頬に唇で軽く触れると、渚砂は頷き振り返ることなく去っていった。その背中に向けて深雪はなおも…。

 

「今日の活動は早めに終えるつもりなの。せっかくだから玉青さんと一緒に帰ると良いわ。………。手を繋いでね」

 

 遠ざかっていく渚砂の足音が聞こえなくなると後に残されたのは私と…、 目を閉じ腕を組みながら笑みを浮かべ挑戦的な態度を取る深雪だ。正直言って私は少し臆病になっていた。まさか深雪とこんな会話をする日が来るとは思ってもみなかったから。彼女の声に、言葉に、態度に、笑みは自然と消えていた。

 

「なんだか邪魔をしてしまったみたいね。そんなつもりではなかったのだけれど」

「いいのよ、別に。それよりあなたはいつまでこんなところで油を売るつもりなのかしら?生徒会長さん」

 

 言外に、随分とお暇なのね?そろそろ仕事に戻ったらどう?と嘲笑を込めつつ言い返しても深雪が揺らぐことはない。それどころか胸の辺りを撫でるような仕草を見せつけ私を挑発した。ああ、あの忌まわしい首飾り!!思い返すだけでゾッとする。私の気を逸らし、私の唇を奪うための小道具として充分な!充分過ぎるほどの役割を果たした首飾り。

 

 対となる紅い宝石がはめ込まれたエトワールの証。あれさえなければキスなど許しはしなかったのに。そしてあの一度がなければ深雪が自信を持つことも…。奥歯を僅かにギリッと噛み締め言い放った。

 

「随分とお気に入りみたいね、その首飾り。そんなに大切なものなら箱に入れて鍵でもしておくといいわ」

「言ったでしょう。これを付けていることはあなたへの━━━」

「━━━私の唇を奪えたのがそれほどまでに嬉しかったの?ただの一度だけ。それも唇を触れ合わせるだけの子供じみたキスが」

「ッ!?」

 

 揺らいだ。僅かにだけど…、でも確実に深雪は揺らいだ。そのことに心のどこかでホッとしている自分がいる。なんだ、意外に脆いのね。仕方ないか。所詮は付け焼刃。どれだけ虚勢を張ろうと、深雪は深雪だもの。それに気付いた私はここぞとばかりに言葉で責め立てた。予想以上に頑強に言い返してはきたものの…、声に震えが混じっているのを感じ取って私は嬉しくなってしまった。

 

 嬉しい?どうして?深雪を言い負かすことが…楽しいから?自分でもよく分からない感情が押し寄せてきたことが怖くなり、それを追い払うかのように深雪を侮辱していく。やがて深雪の目尻にはキラキラと光る涙の粒が見え始め、目を閉じるとダムが決壊するようにツゥーッと零れた雫が頬に筋を描いた。そして…そして私は理解してしまった。理解するべきではなかったことを…、理解してはいけないことを。

 

 そう、私は喜んでいたのだ。深雪が泣いていることに。昔の…、5年前のような『あの泣き虫だった頃の深雪』に出会えたことに。歪んでいる。私の友情というものはこうも歪んでいるのか。ああ、そう、そうなのだ。私の友情は歪んでいる。怖ろしいほどに。私が欲しかったのは、私が深雪に求めていたのは『これ』だったのか。この丘で唯一と呼べる親友に望んでいたのは…。

━━従順であり私の思い通りであること━━

 

 幼いころの泣き虫で、私に依存する深雪。私が予想した通りの場面で泣き、私を頼って甘えてくる深雪。そんな深雪を私は傍に置いておきたかった。だけど、そう、これでは…。とてもじゃないが親友と呼べる代物ではない。これではただの『お人形』だ。お人形遊びで使うための、絶対に自分の思い通りになるオモチャ。私はその役目を深雪に知らず知らずのうちに求め、押し付けていた。そうであることを望んでいたのだ。目を上げると頬に描かれた筋が今まさに増えようとする瞬間で、深雪の頬を伝う雫がはっきりと見えた。

 

「ごめんなさい深雪。少し言い過ぎたわ。ついカッとなってしまって。あなたを…傷付けるつもりではなかったの」

 

 嘘だ。楽しんでいたくせに。自分のあまりにも滑稽な姿に笑いが零れそうになる。だってそうでしょう?渚砂と玉青さんの関係を『お友達ごっこ』と嘲笑った私がその『お友達ごっこ』に興じているのだから。ううん、もっとひどい。私が深雪に求めていたのはごっこ遊びですらなく、自由に動かせる『お人形遊び』だったんだもの。

 

 次から次へと出てくる心にもないセリフを口にしながら、頭の中を一つの考えがよぎった。いっその事このまま襲ってしまおうか?何を畏れる必要がある。今までだってそうしてきた。気に入らない上級生だって言いなりにしてきたではないか。そう思うと体は自然と動いた。自らを守るように身体の前で交差させていた腕を強引に掴んで引っ張ると、深雪はふわりと私の腕の中へと舞い降りた。

 

「静馬!?一体何を」

「この口を塞いでしまえば、少しは大人しくなるのかしら?その生意気な口の利き方も…」

 

 あの日とは…、深雪が私にキスをした日とは違い主導権は全て私にある。胸に掛けられた忌々しい首飾りも今はチャリッと音を立てたっきりで私の邪魔をすることはない。左手を細い腰に回して抱き寄せた後、右手で顎を掴んで無理矢理こちらへと顔を向けさせると、私は躊躇うことなく口付けをした。

 

 深雪の口からくぐもった声が漏れ、手は私を引き剥がそうと動き回ったが、閉じた唇をこじ開けて舌を滑り込ませると、その手は次第に力を失い弱々しく宙を彷徨った。互いの唾液で潤った唇を押し付け、動かすこともままならないぎこちない舌に触れる。

 

 ああ、知らないのね深雪。あなたはまだ何も知らないのね。気持ちばかりが先に動いてしまって。キスのやり方1つ知らないままなのね。可哀想な籠の鳥。動かぬ舌に絡ませるのを諦め、代わりに口内を縦横無尽に…、柔らかい頬の裏側やあちこちを舐(ねぶ)ると深雪からは湿った吐息が漏れた。息が苦しくなったのか制服の胸の辺りをギュウッと握ってくる深雪のために一度唇を離したものの、すぐさまその唇を奪い、覆った。

 

 許してあげない。そう、これは深雪に対する罰なのだ。お人形でいてくれなかったことへの罰。口の端から唾液が零れ始めた頃になってようやく私の舌に応じることを覚えると、キスはだいぶそれらしく…、恋人同士がするようなものへと変わっていった。私はそれに満足し、少しの間だけ休憩時間を与えることにした。今度はご褒美だ。私の思い通りの反応を示してくれたことへの。

 

「箱入り娘の深雪お嬢様には刺激が強すぎたかしら?キスっていうならこれくらいは出来なきゃダメよ?」

「ありがとう静馬。とても参考になったわ。おかげで次に活かせるわね」

 

 肩で息をしながら不敵に笑った深雪を見ても、今はイライラはしなかった。あくまで予想の範囲内の抵抗だったから。上気した頬をキャンバスに、そこへ落とされた温かみのある桜色が白い肌とのコントラストを奏でていてとても艶めいている。制服には私のものか深雪のものか、いずれかのものか分からない唾液が染み込んでキスの痕跡をはっきりと記録していた。額に張り付いた髪によって強調された美しさは未亡人のような、陰のある深雪の色気をより一層強調していて思わず背筋が凍りそうになるほどだ。

 

 足に力が入らないのか、腰に当てた手で支えていなければ崩れ落ちてしまいそうな深雪を見て私は口の端を吊り上げた。後はもう、私の望む反応を繰り返すだけだろう。大した抵抗も出来ず、思い通りに動く『お人形さん』。そう思うと途端に愛しさが込み上げてきて、渚砂と接していた時のような優しい気持ちで胸が満たされた。

 

「そろそろ離して頂戴。あなたと違って私は多忙なのよエトワール様」

「キスして欲しいなら素直にそう言った方が良いわよ。何度もしてあげるほど私は優しくないの」

 

 可愛らしい減らず口を黙らせようと再びキスをしながら私は考えを巡らせた。カバンなんていつでも取りに来れる。このまま手を引いていちご舎の私の部屋に…、いや、保健室でも利用させてもらうとしようか?とにかくベッドさえあればそれでいい。押し倒して何度か抱いてやるだけで深雪は私のオモチャに戻る。ヒビの入った仮面を引き剥がしてやればその下にいるのはあの泣き虫の深雪だ。私に出来た最初で最後の…、この丘で唯一の親友。

 

 その瞬間、私はある出来事を思い出した。ホームシックにかかり、べそをかく深雪の手を引いて部屋へと戻るあの夜を。繋いだ手の温かさを。一緒のベッドで眠り目の前には幼い深雪が…、一瞬その夜に意識がトリップし幻影に手を伸ばそうとしている自分がいた。けれど伸ばした手は届かず、代わりに声が聞こえた。私を呼ぶ声が。深雪の声が。

━━静馬━━

 

 幼い深雪に呼びかけられて私は我に返った。目の前には深雪がいた。成長し、美しくなった深雪が。そんな深雪と舌を絡ませているのは紛れもなく自分だ。花園静馬だ。深雪を抱く?抱いて言いなりにする?『あの』深雪を?そんなことをしてなんになる?自分の飽きっぽい性質は理解しているつもりだ。なら言いなりにした後で私は深雪を捨てるのか…。

━━今まで付き合ってきた少女たちと同じように━━

 

 駄目だ。そんなことは許されない。そもそも深雪を穢すこと自体間違っている。

 

(深雪…)

 

 涙で潤む瞳を見た途端、冷たい電流が身体を駆け巡った。キスによって深雪だけでなく私にも打ち寄せていた身体の昂りが波のように引いていく。下腹部をじんわりと覆っていた熱は冷め、絡めていた舌はザラザラとした感触に変わってしまった。先程まであんなにも唾液で濡れていたというのに…。今ではすっかりと乾燥し、温室でつい手に付いた土が口の中に入ってしまった時のような不快さに包まれている。

 

 必死に舌を絡めてもその乾きが癒されることはなく、むしろ一層乾きが募るばかり。腰に回した手を動かしても虚しいだけで悲しくなって仕方なく唇を離すと、味わっていた感触とは裏腹に、粘度の高い液体の橋が二人の間を繋いでいた。それは幸福の象徴ではなく苦痛の象徴で、穢れた遺物のように私の目には映った。

 

 興奮ではなく苦痛によって吐き出されるハッ、ハッと浅い呼吸を繰り返しながら、たまらくなって深雪を突き飛ばすと、深雪は小さな悲鳴と共にヨロヨロと後方へ弾かれやがて尻もちをついた。

 

「近寄らないでッ!離れていなさい。ダメよ。ダメなのよ。あなたではダメ。分かってしまったの。私はあなたを選ばないわ。どんなことがあっても。だから私を求めるのはやめなさい」

「静馬ッ!私は平気よ。いくら傷付けられたってあなたを諦めない。あなたの傍にいるわ」

「違う、違うのよ。そういうことではないの!分かって!お願いだから…、分かって頂戴。あなた『だけは』ダメなの。この丘の生徒で唯一、あなた『だけは』!!」

「静馬…」

 

 本当は床に手を付いたまま呆然とする深雪を助け起こしたかった。手を差し伸べて抱き締めたかったけれど…。

 

「ろ、六条様ッ!?」

 

 姿を現した青い髪の少女の声に私は動くことが出来なかった。代わりにギョロギョロと動く目だけがその姿を捉え睨みつける。

 

「これは一体…」

「なんでもないの。足を滑らせて転んでしまっただけよ」

 

 立ち上がって制服に付いた埃を落とした深雪は涙の痕を拭うと何事もなかったかのように気丈に振舞った。それは私の予想よりもずっと、ずっと力強い姿で。行きましょう玉青さん、と声を掛け二人が私の横を通り過ぎようとした瞬間、深雪は私にだけ聞こえるように呟いた。

 

「嬉しかったわ静馬。僅かでも………求めてくれて」

 

 頬に冷たい何かが当たった気がした。雨が降っているわけでもあるまい。ここは校内で、ましてや外は晴れているのだから。だとするとそれは、深雪の…涙か。地面に落ちることなく渇いていた頬にそれが染み込んでいくのを感じて私は走り出した。

 

 階段を駆け下り校舎を飛び出すと、足は自然と…ルリムへと向かっていて。私の口からはあの子の名前が零れては、誰にも聞こえることなく消えていった。

 

「千華留…千華留っ!」

 

 会わなくてはならない。今…すぐに。ルリムの校舎にいないのならいちご舎の部屋に押し掛けてでも。

 

「深雪…、ごめんなさい深雪」

 

 次に口から溢れた違う名も、同じように虚空へと消えていった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

<今は羽根を休めて>…源 千華留視点

 

 彼女の足音は珍しくバタバタと耳障りな喧騒を引き連れていた。秘密部の部室に飛び込んできたエトワールの…、静馬らしからぬ様子にさすがの私も驚きを隠せなかった。ここまでずっと走って来たのか息は乱れ、豪奢な銀髪の幾本かが額に張り付いている。色っぽさよりもどこか怖さを感じさせるその姿に、なかなか掛ける言葉が見つからない。でも私が口を開くよりも前に静馬がその口を開いていた。

 

「千華留。あなたのせい、あなたのせいよ。こんなことになったのは。私は深雪を…」

 

 そう言うなり静馬が右手を振りかぶり、私に向けて思いっきり放とうとしてしているのが見えた。深雪…。そう、深雪さんと何かあったのね。私に残された時間ではそこまで考えるのが精一杯で、風を切って迫る平手打ちに、思わず目を瞑りスカートの端を握りしめながらその時を待った…。

 

「どうして防ごうとしないの?理由が分かっていて、甘んじて受けようってわけ?」

 

 手の纏う風で僅かに髪が揺れたものの、頬に当たる寸前で手は止められていた。恐る恐る目を開け、ふぅっと息を吐く。

 

「全部じゃないわ。エスパーじゃないもの。でも、そうね…深雪さんの名前が聞こえたから。私がやったことはおせっかい以外の何物でもなくて、深雪さんだけじゃなくて、当然あなたにもビンタされる可能性はあったなって…、気付いただけよ」

「あの子にキスをしたの。抱き寄せて、唇をこじ開けて、そして舌を絡めたの。途中までは良かったわ。私も興奮した。けれど…抱こうかと思ったところで邪魔をされた。幼いころの深雪が頭の中で私を呼んだの。『静馬』って。それを聞いてしまったら、とてもじゃないけど出来なかった」

 

 両の手の平をじっと見つめ、静馬は苦しそうに言葉を絞り出した。

 

「きっとこの先も無理だって分かったわ。深雪を抱くことは出来ないって。

 ━━私には深雪を穢すことは出来ない━━

 どれだけあの子が一生懸命私にアプローチしたとしても、私の中に幼い深雪がいる限り」

「そう、そうね。あなたにとって深雪さんは唯一の………親友だものね」

「あの子はたぶん誤解しているでしょうね。私が深雪を大切にしていないと…、道端に転がる小石のように思っているのだと。でもそれは逆、逆なのよ。私は深雪をかけがえのない宝物だと思っている。恋人関係とは別の種類のものだけど」

「誰も信じてはくれないでしょうね。あなたが…、この丘で一番自由に振舞っているように見えるエトワール様が、『お友達ごっこ』に浸っているだなんて」

「バレたらみんなに笑われるでしょうね。どの口で自信満々に説教垂れていたんだって」

「それでもあなたは花園静馬であり、エトワール様なのよ」

 

 静馬はありがとう、と言って笑みを浮かべると部屋の入り口の方へと向かっていった。

 

「もう落ち着いたの?」

「いいえ、まだよ。鍵を掛けるだけ。誰も入ってこれないようにね」

 

 その言葉の意味を理解して私は頬を染めた。そういうことですか。まぁ仕方ないわね。原因は自分だし。

 

「じゃあカーテンを閉めておくわ。あと何か床に敷くものを用意しておくから。静馬は明かりも消しておいて頂戴。作業用のライトスタンドがあるからそれを点ければ真っ暗ということはないはずよ」

「意外ね。嫌がると思った」

「だから先に入り口を封じ込めようとしたってわけ?ふふふ、今回だけよ。ビンタの代わり♪」

 

 衣装を作成するときに使う手元用のライトを取り出すと、使えるものはないかと散らばっていた生地だの段ボールを前にしばし思案する。うんっ!段ボールを敷いてその上に裁断前の大きな生地を広げればいいわね。

 

「あまり寝心地は期待しないでね。といっても床に直に横になるよりはずっとマシだとは思うけど…」

「懐かしいわね。付き合っていた時は場所を選ばずに…、それこそこんな風にどこでだって」

「その話はだ~め。ほら、手伝って。一人じゃ上手く広げられないわ」

 

 二人掛かりで簡易的な寝床を作り終えると、私は胸のリボンを外しボタンに指を伸ばした。

 

「制服はそのままでいいわ」

「シワになると困るわ」

「私が脱がせたいの。そういう気分なのよ。いいでしょう?」

「あなたがそう望むなら。これは私への罰でもあるんだし、なんなら少しくらい乱暴にされたって構わないわ」

「バカね。そんなことするわけないじゃない」

「そういう気分だって言ったら、あなたはどんな顔するのかしら?」

 

 再びバカね、と呟いた静馬は制服に手を掛けると勢いよく脱がせた。その拍子に2つほど弾け飛んだボタンのうちの1つが床の上を転がって車輪のように動き回り、二人して行方を見守る前でコロンと倒れていった。

 

 制服がはだけて露わになった鎖骨の辺りに熱烈なキスを受け喘ぎ声を漏らす。そのまま静馬が覆いかぶさってくると、私たちは一緒になって作ったばかりのベッドへと倒れこんでいった…。

 

 どれくらいそうしていだろうか?じっとりと湿気を帯びた生暖かい空気に包まれながら抱き合っていた私たちだったが、おもむろに起き上がった静馬が制服を身に着けて部屋を出て行くと、無駄に広い部屋には私一人が残された。

 

「ありがとう…か」

 

 静馬の残した短いお礼を復唱しながら隣へと手を伸ばすと…、そこにはまだ静馬の体温が残されていた。私はゴロンと身体を転がしてその場所に移動すると、そのぬくもりを味わうように頬を触れさせる。

 

「ふふ。まったく…。静馬ったら冷たいんだから。もう少しくらい一緒にいてくれればいいのに。私は本気だったのよ。あなたのこと。私との交際さえも『恋人ごっこ』の1つでしかないなんて言ったら許さないんだから。あ~あ、未練がましいわね、私も。いつまでも都合の良い女でいるなんて…。深雪さんの背中を押したくせに」

 

 私は脱ぎ棄てられた下着に手を伸ばすと、気だるい欠伸を零しながら服を身に着けていった。閉ざされたカーテンの僅かな隙間から伸びる夕暮れの紅い陽射しがベッドの上に影を落としていた…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 2020年最初の更新となりましたがいかがでしたでしょうか?皆様、明けましておめでとうございます。新年らしく明るい内容にしたいなって思っていたんですが…、まぁいつものごとく暗くじめじめとした感じ満載となっております。一応次章はスピカをメインにしたちょっと明るめなお話にしたいなぁって思っているところです。


 本年が百合を愛する方にとってよい年となることを切に願っております。良い作品との出会いがありますように。ついでに心の片隅に「アストラエアの丘で」を留めておいてくださると嬉しいです。それでは~♪
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