玉青の目の前で渚砂の唇は静馬によって奪われた。それはもう変えようのない事実。
学園中の生徒たちの注目の的となる渚砂を心配しつつも、その心は揺れ動く。
エトワールに翻弄される玉青が取った行動とは!?
第20章では主人公の玉青ちゃん視点3話でお届けします。
■目次
<どうか間に合って>…涼水 玉青視点
<悪魔の囁き>…涼水 玉青視点
<月明かりの下で>…涼水 玉青視点
<どうか間に合って>…涼水 玉青視点
「もうすぐ…夕食の時間ですね…」
部屋の時計を見た玉青は小さく呟いた。喧嘩になって部屋を飛び出していったルームメイトはまだ戻ってきていない。誰か友人のところへ行ったのか?それとも談話室あたりで一人で過ごしているのか?はたまた…。
「静馬様のところでしょうか」
渚砂が自分の元を離れ静馬のところへ行くのを想像するのは胸が締め付けられる行為だった。窓の外を見るともう日は落ちていて暗くなっている。門限は過ぎているからいちご舎の外にいるということはないだろうけど、一体どこでどうしているのか確かめる術はない。かといっていちご舎の中をうろつき回って渚砂を探し回る勇気は残念ながら残っていなかった。
手の中にあるキーホルダーが渚砂ちゃんのいる場所を示してくれればいいのに…。でも、会ったとして何を喋ればいいんでしょうか?謝って…その後は…。
結局うだうだと言い訳するように部屋を行ったり来たりするうちに夕食の時間になってしまったものの、玉青はいまだ部屋にいた。いつもの玉青であればとっくの昔に食堂へと到着し席に座っているはずの時間である。
「まずは謝って…。キーホルダーありがとうって言って。それから…それから」
ああ、もうっ!考えがまとまらない。こうしている間にも刻々と時間は過ぎていって、もう少しで本当に夕食が始まってしまうというのに。一人でぼんやりと食事出来ない寮生活が今は恨めしく思える。部屋で食事を取れたらどれほど楽か…。苛立ちからか何か物を投げつけるなりしたい気分だけど、握りしめているものは投げるわけにはいかない代物だった。
渚砂ちゃんから貰ったキーホルダー。渚砂ちゃんの赤茶色のポニーテールを思わせる赤い色。渚砂ちゃんの分身。これを付けて一緒に校舎までの道を歩きたい。笑って、笑って、お腹が痛くなるくらい笑いながら…。
「私…渚砂ちゃんと一緒にいたい。いつまでも一緒がいい。渚砂ちゃんが………
言葉にした瞬間、自然と涙が溢れてきた。本当は気付いていた。自分が誰を好きかくらい。気付いていたのに…。言った途端にこれまでの友情が壊れてしまうんじゃないかって思ったら、怖くて仕方がなくって。だから考えないようにして、親友とか、ルームメイトとか、そんな言葉を隠れ蓑にして逃げていた。目を背けていた。
でも…、でも…。このままじゃ渚砂ちゃんが離れていってしまう。どんどん遠ざかって、私の傍からいなくなってしまう。嫌だ。そんなの嫌。
「渚砂ちゃん…」
伝えよう。夕食が終わったら一緒にここへ戻ってきて、それでちゃんと伝えるんだ。自分の想いを包み隠さず。
「待っていてくださいね、渚砂ちゃん。今、行きますから!」
渚砂ちゃん。渚砂ちゃん。頭の中は渚砂ちゃんの事で溢れそうになった。出会ったばかりの頃のことや、一緒にお茶会をしたこと。走馬灯みたいに渚砂ちゃんとの想い出が頭の中を流れていく。言うんだ! 渚砂ちゃんに、好きだ!って。
気持ちに押されるように勝手に足が前に出る。さっきまでうだうだしてたのが嘘みたいに軽快に動く。あっという間に階段を駆け下りると、無人のフロアを駆け抜ける。流石にこの時間になって食堂に向かう生徒はいないらしい。誰もいないガランとした空間に私の駆ける足音だけが反響した。でも今の私には好都合だ。だってこっちの方がずっと走りやすい。
「食堂が…ハァッ、ハァッ…見えましたわ」
見慣れた食堂の姿を目にして、疲れていた足に再び力が入る。あと少し、あと少しだ。
「「キャーーーーー」」
「えっ!?今のは…?」
突如食堂から聞こえてきた黄色い歓声に私は足を止めた。食事の時間にはあまりにも不釣り合いな声。それは明らかに日常のものではない。一体…中で何が起きたんだろうか? 事件にしてはその声は
(大丈夫ですよね…渚砂ちゃん)
足を止めたせいで一気に襲ってきた疲労と不可解な声に対する警戒とで、胸をバクバクとさせながらそろりそろりと扉へと近付いていく。そうしてゆっくりと歩くうちに、外まではっきりと届いていた声は段々と小さくなり、やがて全く聞こえなくなった。演奏の始まったコンサートホールのごとく、物音がまるでしない。おかしな現象に今度は不安を募らせつつ、ドアノブに指を掛けた。
ゆっくりと開いていくのと同時に中の景色を映していくドアの隙間から、私は赤茶色のポニーテールを見つけた。見間違えるはずない。即座に渚砂ちゃんであると判断し、その姿にホッと胸を撫で下ろす。よかった。何事もなくて。
「渚砂ちゃん」
思わず小さな呟きを漏らしながら扉を一気に押し開いた私の目に飛び込んできたのは…。
━━キスを交わす静馬様と渚砂ちゃんの姿でした━━
「え………?」
なんで二人がキスをしているの? それも…こんな大勢の前で。理解できない…、ううん、理解したくない光景を前に呆然と立ち尽くす私を置き去りにするように、遅れて響いた黄色い悲鳴が食堂を埋め尽くし、キスをする二人と私を…包み込んだ。
どうしていいのか分からない。ただ口から零れるのは嘘、嘘と繰り返されるうわごとばかりで、力の抜けた両手がだらりと下がり、手からは握りしめていたはずのキーホルダーがするりと落ちていった。私の耳にはやけに大きな音がしたような気がしたけれど、他の生徒たちの耳には誰一人として届かないらしい。生徒たちの喧騒が鳴りやむことなく、私は世界から切り離されたままだった。
音も色も、何もかもが失われていく中で渚砂ちゃんと目が合う。口の動きから何かを呟いたらしいことは分かったのに、その音さえも届いてこない。静かにして。渚砂ちゃんの声が聞こえない。お願いだから静かにして!
そんなささやかな願いを打ち消すように、渚砂ちゃんの姿を隠し私の前に立ちはだかった壁は…、冷たい微笑を浮かべたエトワールは絶望的なまでに巨大で、私はただみっともなく震えることしか出来なかった。
「これは一体なんの騒ぎですかっ!?」
「大変!」「生活指導のシスターよ」「すごい剣幕」「ねぇ、どうなるのかしら?」
騒ぎに気付いて飛び込んできたシスターの大声が喧騒を切り裂き、生徒たちの声が徐々に小さくなっていくのに合わせて、ようやく私の手もピクリと動き、止まった時間を取り戻すことが出来た。だけど何をしていいか頭が回らず、結局は慌てふためく他の生徒同様に私もおろおろとするだけで床のキーホルダーを拾うことさえ叶わなかった。
「
「ええシスター。ごきげんよう。
「騒ぎの原因はあなた一人?」
「いえ、違います。隣にいるこの…渚砂もそうです」
質問するシスターに静馬様はそうお答えになった。腰に手を回し、抱きかかえるようにして。まるで周囲に知らしめるかのように。
「そうなの?渚砂さん?」
「わ、私は………」
渚砂ちゃんが騒ぎの中心にいたことは、飛び込んできたシスターの目にも明らかで、とてもじゃないけど言い逃れできるような雰囲気ではなかった。シスターに厳しい視線を注がれ、渚砂ちゃんは観念したかのように、はい、とだけ呟いた。
「分かりました。二人には事情を聞かせてもらいます。いますぐ私と一緒に指導室に来るように」
「ええ、もちろんです。シスター」
「他の皆さんは食事をとりなさい。悪いけれど各校の生徒会長はしっかりと場を落ち着かせて頂戴。お願いしますよ」
「じゃあ行きましょうか…渚砂」
まるで敬う気配のない態度にいら立ちを募らせるシスターの後ろで、静馬様は優雅に渚砂ちゃんの手を取ると、エスコートでもするかのように歩き出した。さながら舞踏会の踊りに姫を連れ出す紳士にも似た振る舞いで、中には感嘆の声を漏らす生徒も…。
「あっ…」
しまった。こっちに来る。食堂の入り口は当然私が立っている方なわけで、シスターを先頭にして3人がこちらへと向かっていた。足が竦んだように震え、どちらかへ避けようにも動けない。そうやってかかしのように突っ立っている私のすぐ傍を通り過ぎようとしたその時…。
「あら? これ…何かしら?」
「そ、それは…」
渚砂ちゃんから離れた静馬様が私の足元に落ちていたそれを拾い上げ、光に透かすようにして高く掲げた。取り返そうと手を伸ばしたものの、躊躇いがちな手は中途半端に伸びた状態で止まり、宙を彷徨う。みんなの前へと晒されてたそれは、自然と集中した視線に応えるかのようにキラリとその身を煌めかせる。
「素敵なキーホルダーね。ふふふ。綺麗な赤い色。
その言葉にビクッと身体を震わせたのは私ではなく渚砂ちゃんだった。輝きに吸い寄せられた瞳がそれを見て、次いで私を見る。
「な、渚砂ちゃんっ!あの…」
「これ、玉青さんのでしょう?大切そうなものだし返しておくわ」
「━━━ッ!?」
身体を割り込ませ視線だけでなく言葉さえも遮った静馬様は、丁寧な口調とは裏腹に突き付けるようにしてキーホルダーを差し出した。けれど、意志に反して身体は動かない。指が触れそうな距離まで近づいたものの、なんだか触れるのが怖ろしくなって…。
つい先程まではそれを握りしめ、渚砂ちゃんに想いを伝えよう…そう決意していたはずなのに。全てが壊されてしまった。目の前でその唇は奪われ、興奮していた熱はあやふやになって行き場を失ってしまっている。
「どうしたの?受け取らないの?」
唇の端を吊り上げ冷酷な笑みを浮かべた悪魔は、なかなか受け取ろうとしない私の手に強引にそれを握らせると、押し付けるようにしてその手を離した。
「━━
言われた瞬間。すぐに意味が分かった。まやかしではなく…本当の意味が。
「渚砂は私の所へ来たわ。泣きそうになりながら、あなたと喧嘩したって」
他の人には聞こえないように、私の耳元に口を寄せて放たれた言葉が身体を貫いた。冷たい鉄の刃が食い込んでいくように私の心にヒビを入れる。
静馬様と会っているというのは予想はしていたけれど、実際に相手の口からそう言われると惨めで仕方がなかった。
頭の中に湧き上がってくる後悔と自責の念。私が…私が手を離したから。それも…自分から。でも…今更どうしたら?二人は…二人はもうキスまで交わしているというのに。耳障りなチャリチャリという音の出所に目を向けると、渡されたキーホルダーが手の中で振動していた。そうか、身体が震えているんだ。
「部屋で渚砂の帰りを待つことね。それがあなたのお仕事よ
惨めに、未練がましくキーホルダーを握りしめ続ける私の横を通り抜けシスターたちは食堂を出て行った。上級生たちによって仮初の静寂を与えられた部屋の中にキーホルダーの音だけが嫌に煩く響いていた。
<悪魔の囁き>…涼水 玉青視点
渚砂ちゃんが戻ってきたのは結局、就寝時間ギリギリとなった頃だった。
「………。ただいま…」
「おかえりなさい…」
力なく約束の挨拶を交わす。聞きたいことはあったけれど、疲れてやつれた顔を見て言葉は喉の奥へと引っ込んでしまった。
「食事は…食べましたか?もしお腹が空いているならクッキーか何かでも…」
「ううん。大丈夫。それよりごめんね、心配させちゃって」
「いえ、あの…私…」
「今日は遅いからもう寝よっ?明日も学校あるし」
「そう…ですね。明日も早いですから」
場違いに明るい声。渚砂ちゃん…無理してる。以前なら迷うことなく何かしら行動することが出来たのに、あのキスを見た後では自信がなくて、何一つ出来やしなかった。
翌日になり登校した先の教室は…最悪の一言ではとても言い表せなくて。
「あ、来たよ」「静馬様とみんなの前でキスしたのってあの子なの?」「なんだか思ってたのとイメージと違~う」「ねぇねぇ今来たんだけど、渚砂ってどの子?」「あ、ほらあれよ。赤毛でポニーテールの」
教室の外にはいちご舎の生徒から事件を聞いた生徒たちが学年を問わず押し寄せていた。中には何度も声高に解説する
渚砂ちゃんは身を縮こまらせて俯くしかなく、ただただホームルームの時間が来るまで耐えるつもりのようだ。なんで、なんで渚砂ちゃんがこんな目に…。あの人が…、あの人があんなことさえしなければ!そう、そうだ!あの人が悪いんだ。なにもあんな大勢の目の前で…しなくたって。
(だけど…渚砂ちゃんは拒まなかった。それどころか受け入れているようにも見えた。もし渚砂ちゃんと静馬様がほんとうにもうそういう関係なのだとしたら私は…私は一体何のために戦えばいいの?)
昨日の夜。何度も何度も考えたことだ。眠れなくて、チラリと隣のベッドを覗いては同じ思考の繰り返し。寝不足と感情のもやもやとで苛立ちが募り、つい教室の外の野次馬たちに向かってどなろうとしたその時。
「あなたたち何をしているのっ!もうすぐホームルームの時間よ。教室に戻りなさい」
聞こえてきたのは生徒たちを叱る六条様の声だった。さしもの生徒たちも相手が悪いと思ったのか口をへの字に曲げて不満を表しつつも既に立ち去る気配さえ見せている。
(来てくださったんですね六条様。本当に気の利く御方ですわ…)
けれどそんな安心も束の間。次に聞こえてきたのは私の心をざわつかせるあの人の声で…。
「少しくらいは良いじゃない。学園生活に刺激は必要だわ」
「静馬…」
騒ぎの張本人でもあるエトワールの登場に、撤退しようとしていた生徒たちの目に好奇の色が浮かぶ。もしかしたらまた何か起きるかもしれない。そうでなくても、おもしろいものが見れそうだと。深雪と静馬を囲むように一定の距離を置いてぐるりと立ち並び二人を見守り始める。
「顔色が悪いわよ深雪。もしかして眠れなかった?」
「ッ!?あなたがそれを言うの?」
悪びれる様子もなく笑った静馬は深雪をこれみよがしに挑発してみせた。なおも零れる微笑は余裕の表れかそれとも…。
「随分と機嫌が良さそうね」
「あなたは機嫌が悪そうね深雪」
「当たり前でしょう!私がどんな気持ちで…」
夜を過ごしたと思っているの、という言葉を飲み込みつつも深雪は静馬を睨みつけた。ギャラリーの手前、迂闊なことは言えない深雪と何でも言葉に出来る静馬とではどう考えても深雪の方が不利に違いなかった。せめて1対1なら打つ手はあるのに、と奥歯を噛み締める。
「睨んだって駄目よ。そんな顔をするくらいなら可愛らしい顔をしなさい。その方がよっぽど効果的よ」
「それが出来たら…苦労はしないわよ」
「そんなことないわ。そうね、たとえば…もっと媚びた表情を見せる…とか? 瞳を潤ませて上目遣いで私を見るの。何でも言うことを聞きますって顔をして。どう? 素敵でしょ」」
深雪の傍に近付いた静馬が耳元でそう囁くと、深雪は思わず「ふざけないでッ!」と叫び振り払うように手を大きく動かした。
「誰がそんなこと…」
「あらあら。赤くなっちゃって」
普段は仕事の鬼として畏れられる深雪をいとも容易く手玉に取る静馬に、固唾を飲んで見守っていた生徒たちも驚きを隠せない。ヒートアップする二人の会話に野次馬たちの囲む円がじりじりと狭まり、ギャラリーとの距離がだいぶ近くなっていたものの、幸運にもホームルームの時間を告げるチャイムが鳴り響くと、「あ~あ」といった顔を浮かべ自分たちの教室へと戻っていった。
「良かったわね深雪。恥をかかずに済んで」
そんなセリフを残し、静馬様は六条様を置いて先に戻っていく。後を追うように六条様も歩き出すと大勢いた生徒たちが一人残らず立ち去りどうにかこうにか静寂を取り戻した廊下を担任の先生が歩いてくるのが見えた。
「なんとか今朝は乗り切りましたね、渚砂ちゃん」
「うん…」
振り返り、頷いたその顔を見て私は言葉を失ってしまった。暗い表情の中に僅かに…、ほんの僅かにだけど頬に朱が差したように見えて…。
喜んでいるんですか? あの人の姿が見えたから? それとも自分を心配して様子を見に来てくれたと、そう考えて?なんで? どうして? 私が傍にいるときはそんな表情浮かべなかったのに…。静馬様の姿が、声が、
悔しかった。悔しくて仕方がなかった。燃え上がった嫉妬の炎で、心が焼けつくされるようだった。知らず知らずのうちに握りしめた拳は、爪が食い込んで血が滲むくらい、きつく握りしめていた。
放課後なんか待っていられない。昼休みが始まると同時に席を立った私は6年生の教室へと向かった。手にはあのキーホルダーを持って。お互いカバンに付けられるはずもなく、でも部屋に置いてくるのは嫌でひっそりとポケットに入れてきたのだ。これがせめて心の拠り所としてお守りにでもなってくれれば…。
私の姿を見るなり察したのか、手身近な空き教室へと連れられる。余裕綽々といった様子で、きっと昨夜のシスターの説教の時だってこんな感じだったに違いない。きっとそうだ。自分は平然としたまま、シスターに説教されてシュンとする渚砂ちゃんのすぐ傍で支えるフリをして。シスターの神経を逆撫でしてたのもそれを1秒でも長くするために…。
「それで…何の御用かしら、涼水玉青さん」
目を合わせることもなく、敵だと分かっていてもそれでもなおドキッとしてしまいそうな流し目で廊下を見つめる静馬様。嫌いだ。私はこの人が嫌いだ。
「なんで…なんでキスなんかしたんですか。渚砂ちゃんのこと、本気なんですか?」
「本気だと言ったら、あなたは大人しく引き下がるの?」
「どっちなんですかッ!?もし、もし本気でもないのにキスしたんだとしたら私は…あなたを」
「その握りしめたキーホルダー。渚砂から貰ったんでしょう? もしかして一緒に付けて登校するつもりだったのかしら?」
「ッ!? バカにするのも…いい加減にッ!!」
挑発だと分かっていてもカッとなって熱くなってしまう。拳を握りしめ、身体全体がワナワナと震えて止まらなかった。もしまた挑発されたら、平手打ちの一つでもかましてやろう、それくらいの意気込みで私は対峙している。
「あなたのことだからどうせ遊びで━━━」
「━━━愛してる」
「え…?」
「愛しているわ渚砂のこと。だからキスしたの。これでご満足?」
愛…してる? そんなことをどうしてこうもサラッと言えるのだろうか、この人は。
「信じられませんそんなの。愛しているっていうならなおさら…渚砂ちゃんのためにも…あんな大勢の前でキスすることなかったじゃないですか!
「ああ、そうなの。そういうこと。妬いてるのね、あなた。先に渚砂にキスしたかったのに、出来なかったから」
私が渚砂ちゃんにキス? そんなこと…考えたこともなかった。好きって伝えようとは思ったけれど、考えていたのはそこまでだけで、その先の事なんて。そもそもキスしようだなんて普通は思わない。言われた今だって渚砂ちゃんとキスしたい気持ちなんてこれっぽっちも…。
「私は、
「同じよ、きっとね」
「違うっ!私はただ渚砂ちゃんと一緒にいたいだけで、あなたみたいに穢れた感情なんて持っていませんッ!」
「とんだお子様ね。キーホルダーを付けて仲良く一緒に登校? 子供騙しも大概にしなさい。それと、自分の想いはピュアでプラトニックなものだとでも?」
「どうぞ笑いたければ笑ってくださって結構です。それでも私は………」
「じゃあそんな玉青さんに良いこと教えてあげる」
「良いこと?」
「ええそうよ。とっても良いこと」
相変わらずもったいぶって。自分は何でも知ってるって顔。自分だけは知っていて、相手は何も知らないと見下している。傲慢で、厭味ったらしくて、なんでこんな人がエトワールに…。
「渚砂の唇はね…甘いのよ」
「は…?何を言って…」
ようやく言ったと思えば、こんなくだらないことを。
「柔らかくて…甘くて。触れているだけで蕩けてしまいそう」
「ああそうですか。それは良かったですね。エトワール様らしい色欲に満ちたお言葉ですこと」
込められるだけの皮肉を込めた言葉にも静馬様はどこ吹く風で。それどころか瞳の中にポッと炎を灯したみたいに妖しい輝きを放ちながら私を見つめていた。得体のしれない怖ろしさに身体が竦みそうになる。その視線が渚砂ちゃんにも向けられるのだと思うと気味が悪くて、どうにかなってしまいそうだった。
「私の言った言葉の意味。すぐに分かるわ」
「ッ!分からなくていいですし、分かりたくもありません。不愉快です、失礼します」
かみ合わない会話にイライラし、さらには同じ部屋にいるのが怖くなって外へと飛び出した。心臓が跳ねてる。あの目、苦手だ。
「あら、せっかちさんね?」
手を繋いでハイお終い、だなんてそんなことあるわけないじゃない。そんなんで済むなら、それは好きってことじゃないわよ玉青さん。
「まぁいいわ。とりあえず今日はこんなところかしら」
<月明かりの下で>…涼水 玉青視点
「帰りましょう渚砂ちゃん」
「うん…ってそのカバンの…」
「さっき付けたんです。大切なものですから」
驚く渚砂ちゃんの指差した先には、赤いキーホルダーが煌めきながらゆらゆらとその身を揺らしていた。私はそれを見やすいように手の平に乗せると、慈しむようにそっと撫でる。
「玉青ちゃん
「何を言っているんですか。一緒に付けようって言ったの渚砂ちゃんですよ。今日は持ってないでしょうけど、明日からは━━」
「━━ある!あるよ…。私もちゃんと持ってきてるよ、ほら」
一瞬信じられなかった。渚砂ちゃんがそれを隠し持っていただなんて。でもカバンから取り出されたのは紛れもなく青いキーホルダーで、対となる青い煌めきが赤の隣に並び、一瞬で華やかになった。それがカバンに取り付けられるとようやく定位置を得た二つの姉妹たちは、嬉しそうに一層の輝きを放ち辺りを照らす。
「似合ってますよ渚砂ちゃん」
「ありがと、玉青ちゃん」
今度こそ教室を出た私たちは隣り合って歩く。時折チャリッと音を立てるキーホルダーたちが奏でる合唱を聞きながらゆっくり、ゆっくりと。
「ねぇ玉青ちゃん。
ポツリと呟いた渚砂ちゃんの言葉に、息を呑む。そんなの聞きたいに決まってる。静馬様とは正式にお付き合いしているの?とか、そうでないならなんでキスを拒まなかったの?って…。だけどそうした気持ちを抑え込み、私は平静を保ちながら答えた。
「いいんです。いいんですよ渚砂ちゃん」
「でも…」
「そんなことより手を繋ぎませんか? 今なら人も少ないですし気にせず歩けますよ」
戸惑うようにおずおずと差し出された手を取り柔らかく包み込むと、手は渚砂ちゃんの体温と私の体温とで熱くなった。今はただ、渚砂ちゃんに寄り添っておこう。余計なことはせずに、渚砂ちゃんの隣に…。
「渚砂ちゃん、明かり消しますね。………。渚砂ちゃん?」
呼び掛ける声に返事はなく、見れば寝息を立てて既に眠っている。
(今日は疲れましたね。ずっとみんなの注目の的でしたから)
明かりを消して渚砂ちゃんのベッドに腰掛けると、心の中で語り掛けながら子供をあやす母親の如く…、起こさぬよう細心の注意を払いながら頭を撫でる。無防備な寝顔は朝までだって見ていられそうなほど可愛いけれど、今日は流石に私も寝不足で、起きてはいられなそうだ。その証拠にさっきから欠伸が止まらず、目を擦ってばかりいる。私もそろそろ寝ないと…。
そう思い腰掛けていたベッドから降りようと身体の向きを変えようとしたその時。
━━私の指が渚砂ちゃんの唇に触れた━━
最初は何に触れたのか分からなくって、あっ、と小さく呟きを漏らしながら手を引っ込めたものの、それが唇だと分かったら自分でもなぜそうしたのか思い出せないけれど、気付けば恐る恐る指を伸ばしていた。
指に伝わってきたのはしっとりとした感触。軽く押し込むとプルッとした弾力を持ったそれは私の指に纏わりつくように吸い付いた。
(私ってば一体…何を…。どうしてこんなことを)
早く指を離さなければ。頭では分かっているのに指は唇を弄ぶように数回唇の上を跳ねまわり、それが終わると、今度はなぞるようにその上を指の腹が往復した。
(違う、違う…。私はあの人とは違う。キスなんて、キスなんて興味ない。ないはずなのに…)
思考をかき乱すノイズのように、昼間に言われた静馬様の言葉が頭の中を蹂躙する。『先にキスしたかったんでしょう?』知らない。あなたに言われるまで考えもしなかった。『渚砂の唇はね…甘いのよ』やめて、やめて!そんなのどうでもいい、私には関係ない!
ハァッ、ハァッと微かに乱れた呼吸を整えようと、もう片方の手を胸に当てつつ数回に渡って唾を飲み込んだ。だけど胸はキリリと痛み、私を楽にはしてくれない。苦しくなってパジャマをギュウッと掴んだ拍子に、つい
指の腹が柔らかな唇を押しのけ、あっけないほど簡単に口内へと入り込むと、指の先に渚砂ちゃんの…舌が触れた。僅かに身じろぎしたものの、再び寝息を立て始めたその口から慎重に指を引き抜いてみると、唾液に濡れた指先がテラテラと光っていた。
「あ、ああああ。渚砂ちゃん…渚砂ちゃん」
どうにかこうにか手で口を抑えることに成功し、静まり返った部屋にくぐもった声が漏れる。心臓が煩いくらいに音を立て、寝ている渚砂ちゃんを起こしてしまうんじゃないかって心配になるほど、早く、そして強く鼓動した。改めて指先を眺めると、確かに指先は渚砂ちゃんの唾液でコーティングされ、妖しく煌めいている。そしてふと、
今度は言葉だけなく靄のような幻影となって現れた静馬様が再び囁く。『渚砂の唇はね…甘いのよ』。甘いの?渚砂ちゃんの唇は…本当に…甘いの?
勝ち誇ったような笑みを浮かべた悪魔はなおも囁いた。『すぐに分かるわ』。悪魔の指差す先には渚砂ちゃんの寝顔があって、もっと言えば、今も無防備になったままの唇があった。したい。してみたい。どんな味なのか、私も…。この指先ではなく、その唇に…。
(私…私。渚砂ちゃんと…キス…したい)
『だから言ったでしょ、同じだって』嘲笑する悪魔は肩をすくめてみせた。そうだ。その通りだ。私の好きは…そういう好きだ。今まで気付かなかっただけ。そういう世界を理解しようとしなかっただけ。分かってしまった以上は、もう否定することなんて出来やしない。
「好き、好きです。渚砂ちゃんが…好き」
だから、だから…。
「━━ごめんなさい渚砂ちゃん━━」
カーテンの隙間から差したほんの小さな月明かりに照らされて、二つの影が…そっと重なった。
いかがでしたでしょうか? 大変個人的な趣味なんですが、廊下での深雪と静馬の会話が好きです。自分で書いてて言うのもアレですけどこういう会話ぞくぞくしちゃいますね。短いシーンなんですけどバチバチ火花飛び散ってそうでお気に入りです。
それにしても静馬様の厭味ったらしいこと…。罪作りな御方です。意識してそう振舞っているケースもあれば、意図せず相手にそう受け取られちゃうケースも少なからずありそうな静馬様。相変わらず敵が多そう…。
そして何よりも健気な玉青ちゃん。ぞくぞくしちゃいますね(2回目)。というわけで今回はこのへんで。次章では夜々と光莉も絡んできますのでどうかよろしくお願いします。それでは~♪