あなたに伝える大事な話。それはずっと前から胸の内に秘めていたもの。首筋に刻まれた赤い痣は、あっちへこっちへ行ったり来たり。誰かを愛するのって戦いです!
第22章では渚砂を巡ってついに二人が大激突!?
■目次
<告白>…蒼井 渚砂視点
<開戦>…蒼井 渚砂視点
<直接対決>…花園 静馬視点
<友人のために>…南都 夜々視点
<告白>…蒼井 渚砂視点
「あ、玉青ちゃんおかえり。どこ行っていたの?」
「ちょっと夜々さんのところにお茶をしに」
「ええ~? 玉青ちゃんだけずるいよ~。声かけてくれてたら私も行ったのに…」
「ふふふ、ごめんなさい渚砂ちゃん。秘密のお茶会だったので」
ぶーぶーと抗議する私をよそに玉青ちゃんはじっと私を見つめて離さずにいる。
「た、玉青ちゃん?」
「渚砂ちゃんの方こそ、もしかして今からお出掛けですか?」
「えっ?」
「時計をチラチラ見ていましたから。待ち合わせの時間があるのではないかと」
思わず「あっ」と声を漏らしつつ、内心ではやっぱり玉青ちゃんにはすぐに分かっちゃうんだなって感心していた。でもそれって良い事ばかりじゃない。「どちらへ?」と尋ねられて、ちょっとした後ろめたさから「えっとね…」と言い淀んだ反応から、玉青ちゃんは私が静馬様のところへ行こうとしていることも気付いてしまって…。
「そう…ですか。静馬様にお呼ばれして…」
「お話して、お茶だけ飲んだら帰ってくるか━━━」
「━━━ねぇ渚砂ちゃん」
空気を入れ替えようと開けてあった窓から不意に吹き込んできた風が、ザァッと音を立てて私と玉青ちゃんの髪を揺らした。私の言葉を遮るようにして呼ばれた私の名前は、ひどく冷たいトーンで奏でられたような気がして…。
「どうしたの玉青ちゃん? ………。 玉青ちゃん?」
呼び掛けにも応じず、じりっ、じりっと無言で近付いてくるのがなんだか怖くて、私は1歩、また1歩と後ずさった。その間にも歩み寄る玉青ちゃんはいつもと違う雰囲気を纏っていて、どこかおどろおどろしさを感じさせる。
知らず知らずのうちに自分のベッドのところまで後退していた私は、身体がベッドにぶつかったことでようやくそれに気付いた。もう後ろには下がれない。にもかかわらず、なおも前進を続ける玉青ちゃんから逃れるようとしてバランスを崩した私の身体は、後ろへと倒れ込み
「こ、怖いよ玉青ちゃん。何か言ってよ」
声に応えるようにスッと差し出された手が顔の方へと迫ってきたものだから、つい反射的にビクッと身体を硬直させ目を瞑ってしまう。
「ごめんなさい。怖がらせてしまいましたね」
頭の上から降り注いだ優しい声色にゆっくりと目を開けると、玉青ちゃんの温かい手が私の頬を撫でていた。気が緩んだのか怖い出来事の後に母親に抱き着いた子供みたくほーっと息が漏れる。その手の甲に自分の手の平を重ね頬ずりすると、強張っていた身体は太陽の光を浴びた石像が動き出すかのごとく、自由を取り戻していく。
(どうしてだろう私、一瞬玉青ちゃんが静馬様に重なって…)
今こうして触れている玉青ちゃんは紛れもなくあの優しい玉青ちゃんなのに、さっきの玉青ちゃんはいつもの玉青ちゃんではなかった気がする。
「私の方こそびっくりしちゃって。ごめんね」
「いいんですよ渚砂ちゃん。それより━━━」
もう片方の手も私の頬に添えられ、私の顔は玉青ちゃんの手でじんわりと包まれた。
「━━渚砂ちゃんに大切なお話があるんです━━」
「大切な…お話?」
「ええ。とても…とても大切なお話です」
時計の針は休むことなく動き続けていて、静馬様との約束の時刻が近付いてきていたけれど、玉青ちゃんの話は聞かなくちゃいけない、そんな気がして…。だから下から覗き込むように「玉青ちゃんのお話…聞かせて」と答えると、少しだけ寂しそうな顔をして静かに頷いた。
「でもその前に。しなければならない儀式があるんです」
儀式?と頭の中ではてなマークを浮かべていると、頬を包んでいた手が、すーっと顎へと移動していった。そしてその手がクイッと私の顎を持ち上げ、再び玉青ちゃんと目が合ったかと思うと…。
「んっ…」
唇に何かが触れる感触。見開いた目に映る驚くほど近い玉青ちゃんの顔。ずっと一緒だったのに…今までこんな近くで見たことないや。睫毛とか長くて立派で、やっぱり玉青ちゃんは綺麗だな。びっくりするくらい美人さんだ。
一瞬の間だったのか、それとも数秒くらいあったのか、それすら分からない時間の後にゆっくりと離れていった唇は、艶を帯びてとても色っぽく見えた。
「玉青ちゃん…これ…」
キスをされた。あの玉青ちゃんに。私がこの丘に来て最初に出来た友達。ルームメイトで、親友の女の子に。
「ごめんなさい渚砂ちゃん」
「どうして謝るの?」
「実は…」
言い淀んだ玉青ちゃんは一旦を瞑り、それから天井を見上げて静かに息を吐き出してから、再び私と目を合わせた。
「初めてじゃないんです」
初めてってファーストキスの事なのかな? 私の相手は
「私と渚砂ちゃんがキスをしたのは、
「えっ…? 私、覚えてないよ」
「渚砂ちゃんは知らなくて当然です。だってあの時、渚砂ちゃんは寝ていたんですから」
「う…そ…」
「本当です。渚砂ちゃんが眠っているのを良い事に、私は…私は………。渚砂ちゃんの唇を奪ったんです。どうしても、どうしても我慢出来なくて」
そう言うなり両手で顔を覆った玉青ちゃんの指の隙間から、すすり泣く嗚咽が聞こえてきた。
「悔しかったんです。あの日静馬様に渚砂ちゃんの唇を奪われて、私悔しくて仕方がなかったんです。でも…それと同時に羨ましくもありました。渚砂ちゃんにキスしたあの人が! 誰の目も憚らずにそう振舞える静馬様が! 私だってキスしたかった。初めて同士のキスを渚砂ちゃんとしたかった。私の方が最初だって…そう…思っていたのに…」
一息に言い切ると、部屋には再び玉青ちゃんの泣きじゃくる声だけが響いた。青くて綺麗な髪が揺れる度に涙がポロポロッて零れ落ちて、その涙が床に染み込んだかと思うと、また髪を飾る白いリボンがゆらゆらと揺れる。それを何度か繰り返しても、玉青ちゃんはまだ泣き止まなくて。気付いた時には自然と震える身体に手を回して、「大丈夫だよ」って言いながら、背中をさすってあげていた。
私の胸の辺りを、痛いくらいにギュッと握りしめてしがみつく姿は、子供みたいで…。弱い、弱い、どこにでもいる普通の女の子だった。もし違うとすればそれは…。
「好きです。渚砂ちゃんが…好き。あの人よりもずっとずっと…あなたの事が好き。好きなんです。友情とかそんなのじゃなくて、一人の女性として…渚砂ちゃんを…愛しています」
潤んだ瞳で見つめながら、私に━━━女の子である私に、告白をしてくれた事。
『愛してる』。その言葉が頭の中で乱反射して、染み込んでいくよりも前に、再び触れた唇。次に感じたのは玉青ちゃんの体重。ベッドに倒れこんだ私に覆いかぶさるような格好で、玉青ちゃんが上から私を見つめていた。
「私…渚砂ちゃんに告白しちゃいました…。まだ胸がドキドキしてる」
「玉青ちゃんっ! 私━━━」
「━━━待って…待ってください渚砂ちゃん」
言いかけた私の唇は華奢な指で塞がれて。
「返事は…今は言わないで下さい。怖いんです。ふふふっ。私ってばダメですね。やっぱり静馬様のようには出来ないみたい。想いを伝えるだけで精一杯。身体に力が入らなくて、今も腕が…震えちゃって。こうしてるだけで結構必死なんですよ」
その言葉通りに身体を支えている腕はガクガクと震えていて、表情だって頑張って笑ってはいるけれど、その顔は今にも再び泣き出しちゃいそうだった。そんな玉青ちゃんを見ていたら、自然と言葉が出てきて…。
「私、静馬様のところへ行って今日の約束断ってくる。それでね、玉青ちゃんと一緒にいる」
「いいん…ですか?」
「うん。私がそうしたいの。玉青ちゃんを一人になんてしておけないよ」
「ああ、渚砂ちゃん。夢みたい」
嬉しそうに私の胸に頭を埋(うず)めた玉青ちゃんの頭を抱きかかえながら時計に目をやると、静馬様との約束の時間はとっくの昔に過ぎていた…。
<開戦>…蒼井 渚砂視点
「じゃあ行ってくるね。すぐに戻るから」
「渚砂ちゃん…」
「そんな不安そうな顔しなくたって大丈夫だよ。そりゃあ時間はだいぶ過ぎちゃってるから怒られるとは思うけど」
静馬様の怒る顔を思い浮かべ、つい「あはは…」と笑いながら頬をかく。きっと怖いだろうけど玉青ちゃんは勇気を出して告白してくれたんだもん。それくらいどうってことない。
決意を固めていざ出発!とドアノブに手を掛けた瞬間、後ろから玉青ちゃんに抱き留められた。
「た、玉青ちゃんてば…これじゃ出れないよ」
「こっちを…向いて下さい。お守りを…あげますから」
「お守り?」
「きっと渚砂ちゃんを守ってくれます」
くるりと向き直って視線を交わすと、玉青ちゃんは私の首の辺りをツゥーっと撫でた。何をしてるんだろう?不思議に思って尋ねると、玉青ちゃんからは「長さを測っているんです」という返事が返ってきた。長さ? 何のために? 答えのようで答えじゃない。なぞなぞみたいだ。
「こうして測っておかないと、万が一制服の襟からはみ出しでもしたら大変ですから」
ますますなぞなぞみたい。そうしている間にも、玉青ちゃんは熱心に首の付け根から指を伸ばして「襟はここまだから…。この辺りなら…」なんて独り言をブツブツと呟いている。でも、良かった。元気が出てきたみたい。
「いいですか、動かないでくださいね。ズレてしまうと大変ですから」
そう言いながら玉青ちゃんは顔を傾けさせた私の首筋に顔を寄せると、優しくチュッて口付けをした。予想外の出来事に驚いたけど、事前に動かないでって言われていたのが幸いしたのかも。どうにか動かずじっとしていることに成功した。口付けが終わって鏡の前に連れられた私が見たのは、首についた小さな赤い痕。玉青ちゃんが言うには、うっすらと刻まれたそれがお守りらしい。
「力加減が難しくて。でもこれくらいなら、明日には消えると思います。もし消えなくても制服の襟で隠れるから安心して下さいね」
「あっ、だからさっき測ってたんだ」
口に手を当ててはにかんだ玉青ちゃんは「ええ、まぁ」とペロリと舌を出して悪戯っぽく笑ってみせた。やっぱり笑ってる玉青ちゃんは可愛いな。そっちの方がずっといいや。
改めて「行ってきます」と告げて部屋を出た私は静馬様の部屋を目指して一直線にズンズンと進んで行く。
(着いたらまずは遅くなったことを謝って。それから今日はお話しないことを伝えるでしょ。それから~、あっ玉青ちゃんのことはどうしよう?)
あ~失敗したかも。もっとゆっくり歩けばよかった。色々と考えておくはずだったのに…。元々大した距離ではないこともあって、考えが纏まらないうちに静馬様の部屋の前に着いちゃった。こうなれば当たって砕けろだ!
コンコンッと軽いノックをすると扉はすぐさま勢いよく開き、中からは険しい顔をした静馬様が現れた。
「どういうつもり? 約束の時間はとっくに過ぎているわよ」
「ご、ごめんなさい」
分かってはいたけど、いざ静馬様を前にするとどうしたって気後れしてしまう。遅れたのは事実だし、申し訳ないので素直に頭を下げて謝った。
「どんな事情があったのかは知らないけれど、遅れるなら遅れるで何かしらの連絡はあってしかるべきよ」
「あ、あの…実はちょっと体調を崩してしまって。それでこの後もすぐに部屋に帰って休もうかと…」
「体調が? ああ、そうだったの。なら仕方ないわね。強く言ってしまってごめんなさいね━━━あら?」
不意に言葉が途切れたので、どうしたんだろう?と顔を見上げてみたものの、どこかを見つめる静馬様と私の視線は交わることがなかった。やがてその視線が私のある一点へと注がれていることに気付いた私は思わず「あっ!」と声を上げた。そこには玉青ちゃんの
「ふ~ん。そう…そうだったの。だから遅くなってしまったのね」
ガバッと私の肩を掴んだ静馬様は首筋に顔を近付けると、じっくりと観察しながら楽し気にそう言った。
「クス。クスクスクス。さぞかし甘い時間だったのかしら? 渚砂、あなた玉青さんとキスしたのね。それで…、告白はどんなセリフだったのかしら? 素敵な口説き文句だった? 歯の浮くような甘~い囁き?」
「な、なんで…」
どうして分かるの? キスしたことも、告白されたことも。私は何も言ってないのに!
「なんで? そんなの決まってるじゃない。ああ…もしかして渚砂は分かっていないのね。この首の痣がどんな意味を持つか」
意味? お守りじゃないの? 玉青ちゃんは間違いなくそう言って…。
「あの子はどんな風にあなたを騙したのかしら?」
「た、玉青ちゃんは騙したりなんか。ただ…お守りだって」
「ふふ、ふふふふ。あははははははははははは。お守り? お守りですって? 笑わせないで頂戴。いい? 教えてあげる。これはあの子から私への宣戦布告よ! 私のものに手を出すなって、そういう意味でつけたキスマークなの」
そんなこと玉青ちゃんは一言も…。
「嘘…嘘です!」
「嘘じゃないわ。だってそうでしょう? お守りならもっと見えない部分にしたっていいじゃない。それをわざわざ…こんな、ギリギリ制服で隠れるような場所にするかしら? ねぇ渚砂、渚砂はどうしてだと思う?」
「知らない、知らない知らない。そんなの知らない!」
「私に見せるためよ。そのためだけに玉青さんはここにキスをしたの。ふふふ、案外小賢しい手を使うのね。それとも負けん気が強いのかしら? 先を越されたのがよっぽど堪えたようね」
依然として肩を掴まれたまま、今度は壁に押し付けるようにされて逃げ場を失った私に静馬様は諭すように言った。
「渚砂。私だって渚砂を愛しているわ。でもだからこそ許せないの。あなたを騙すような真似をした玉青さんが」
すっかりと落ち着いて、聖女のような顔を浮かべた静馬様の言葉が頭の上から降ってくる。いつだって静馬様は言葉巧みで、私なんかじゃ騙されてるのかすらも分からないんだろうけど、こうやって優しく話しかけられると、つい心が解きほぐされて何もかも信じてしまいそうになって…。
どうして玉青ちゃんは『お守り』だなんて嘘をついたんだろうか?なんて考えに押し流されそうになる。
「可哀想な渚砂。私が慰めてあげる。ううん、それじゃダメね」
温室の時みたいに私の耳にかぶりついた静馬様は吐息を吹きかけながら囁いた。
「━━
あっ…ダメだ。逃げなくちゃ。お守りかどうかなんて別に本当はどうでもよくて…、大事なのは玉青ちゃんが私に告白してくれたことで。部屋では玉青ちゃんが待っていて。なのに…なのに。
背中にゾクゾクしたものが這いずるのを必死に我慢しながら、抵抗しようとはしたものの、どうしたって静馬様に勝てるわけもなく、壁に釘付けにされたままキスを浴びせられてしまう。それは玉青ちゃんのみたく唇が触れるだけのキスじゃなくて、全然違う、大人びたキス。いつの間にか腰にツツーッと添えられた手で抱き寄せられて、何度も…何度も。
「んっ…、はぁっ…、んっ…」
合間に息をするのがやっと。息を吸ったと思えばまた塞がれての繰り返し。ついばまれた部分がジンジンッて熱くなって溶かされていく。最初は力を込めて静馬様の洋服を掴んでいた手も今はもうダランと垂れ下がって宙に揺れていた。
「はぁっ…はぁっはぁっ。もう…許してください」
「まだダ~メ。大事な大事な首の痕が残っているもの」
「そこは…玉青ちゃんが。玉青ちゃんのお守りが」
目をギラギラと輝かせた静馬様の顔が迫ったかと思うと、首筋に吸血鬼が牙を突き立てるようにひと際強く吸われ、私は「あうっ…」と甲高い悲鳴にも似た声を上げた。驚くほど力強く抱き締められたままその行為は続けられて、熱に浮かされた子供が助けを求めるみたいに「静馬様…静馬様…」と名前を呼ぶ。なのに静馬様は許してくれず、お仕置きするみたいに私の首へときつく吸い付く音だけが部屋に響いて、唇が離れて解放された頃にはヘナヘナと床に崩れ落ちそうになるのを堪えるのがやっとの状態だった。
「少しやり過ぎてしまったかしら。ふふふ、玉青さんによろしくね…渚砂」
静馬様はそう言って私に帰るように命じた。よろしくっていうのはどういう意味なんだろう? 頭がボーっとして分からないや。
そこからどうやって部屋まで戻ったのか、あんまり覚えてない。フラフラと廊下を彷徨うように歩き、気付いた時には部屋の前に立っていた。鏡を見たわけじゃないけど、首にはきっと赤い痣が玉青ちゃんのと同じように、ううん、もっと強く刻まれてるんだろうなってことだけはぼんやりと分かった。
「ただいま…玉青ちゃん」
「おかえりなさい渚砂ちゃ━━━渚砂ちゃんっ!? どうしたんですか?」
私がフラフラなことに気付いて駆け寄ってきた玉青ちゃんに支えられて、なんとかベッドに腰を下ろす。
「どこか調子が悪いんですか? それとも怪我をしたとか? とにかく横になった方が」
「ううん、大丈夫」
「とても平気なようには…」
心配そうに私の顔を覗き込む玉青ちゃんの顔が、首筋へと視線を移した瞬間にサァッと青ざめた。「渚砂ちゃん…これ…」と手を震わせ、怯えるようにその部分へと触れると玉青ちゃんは叫んだ。
「あの人が…静馬様がやったんですね!? そうなんでしょう渚砂ちゃん?」
「うん…」
「こんな…こんな場所にしたら制服の襟でも隠れなくなっちゃう。それに…こんなに強く。ああ、どうしましょう。そうだ! 渚砂ちゃん、ちょっと待っていて下さいね」
玉青ちゃんはテキパキとポットのお湯を洗面器に入れると、今度はコップで水を加え、時折温度を確かめてはまた水を足していく。
「とりあえずお湯で温めたタオルを当ててみましょう。効果があるかはわりりませんけど、やらないよりかは…」
「うん…ありがと」
「ちょっと熱めですけど我慢して下さいね」
部屋にパシャパシャとタオルをお湯に浸す音が響いて、ギュッと絞られたそれが首筋に宛がわれる。玉青ちゃんは熱めって言っていたけれど、タオルはほどよくあったかくて普段だったらきっと気持ちいいに違いなかった。タオルが冷めると洗面器に浸されて、またほかほかになって私の首に優しく添えてくれる。
「ごめんね…玉青ちゃん」
「何を言っているんですか渚砂ちゃん。悪いのは私です。だから謝るのは私の方です。ごめんなさい渚砂ちゃん」
「だけど━━━」
「━━━ちょっとタオルを外して見てみましょうか。あっ…少しだけ薄くなりましたよ。でも明日明後日は目立つかもしれませんね。試しに明日の朝ファンデーションを塗ってみて、それでも隠れそうになかったら絆創膏を貼りましょう。一応お風呂でも温めてみて下さいね」
玉青ちゃんはただひたすらに私に優しくしてくれて、心配してくれた。
翌朝起きて鏡を確認するとやっぱり痣は残っていた。薄れて消えそうな玉青ちゃんのお守りの上に、くっきりと残った静馬様のキスマーク。
「よっぽど強くされたんでしょうね…」
鏡を通して目が合った時には笑っていたけど、その前には暗い表情を浮かべていたのを私は知っていた。制服の襟からはみ出たそれはどうしたって目立っちゃって、ファンデーションも効果なし。仕方なく絆創膏をペタリと貼ってもらって学校に行くことに決めた。
「私、渚砂ちゃんの傍を離れませんから。登下校も、休み時間も、生徒会の活動がある日だって…」
「生徒会やめちゃうの?」
「いいえ。六条様の期待には応えるつもりです。それにここでやめたら静馬様に負けを認めたみたいで癪に障りますから」
「玉青ちゃん…」
「さぁ行きましょう渚砂ちゃん。まずはしっかりと朝ご飯を食べないと、ね?」
「うんっ!」
<直接対決>…花園 静馬視点
朝食の時間。食堂へと向かう生徒たちの中にあの二人の姿を見つけ自然と唇の端を吊り上げる。軽い足取りで「おはよう渚砂」と明るく声を掛けると、案の定玉青さんは私をキッと睨んで威嚇した。人見知りで臆病な猫が近寄らせまいとするあんな感じ。少しでもテリトリーに入ろうものなら飛び掛かってきそう。だけどせっかくの機会だもの。ちょっとくらいは会話を楽しんでいかなきゃ損だと思わない?
さて、挨拶もせず不愛想に「行きましょう渚砂ちゃん」なんて言って素通りしようとした勇敢な騎士様をどうやって呼び止めたものかしら…。
「待ちなさい玉青さん。襟が乱れているわ」
「そんなはずありません。部屋で確認しましたから」
「つれないのね。まぁいいからこっちにいらっしゃい。みっともないわよ」
失敗だったかと思ったけど、玉青さんは渋々と歩み寄ってきて襟を直すフリに付き合いながら「何か御用ですか?」と周囲に聞こえない程度の小声で尋ねてきた。どうやら私の意図を察したらしい。利口な子って可愛いわね。素振りを見せただけでしっかりと反応してくれるんだもの。
昨日あんなことがあったのに、澄ました顔を浮かべて大人しく襟を直されている玉青さん。けれどよくよく観察すると、目の辺りが赤くなっていることに気付いてしまった。気付かない方が良かったわね。だって虐めたくなっちゃうもの。
「目…腫れてるわね。もしかして一晩中泣いてたのかしら?」
「あなたには関係のないことです」
表情は変わらず。お澄まし顔も素敵だけど…崩したいわね。
「ファンデーションで誤魔化してるみたいだけど渚砂は気付いてくれなかったの?」
「いいんです。渚砂ちゃんは他のことで大変ですから」
「ふふふ、そうね。
肩越しに渚砂を見れば、その首には遠くからでも目立つ大きな絆創膏が貼られていて、刻んだキスマークがすっぽりと覆い隠されている。いつもの元気さは鳴りを潜め、おどおどと私と玉青さんを交互に見てはどうしようかと迷っているようだ。
「でもあれじゃ大袈裟過ぎないかしら? 何か
「あれでいいんです。誰の目にも触れさせたくありませんから」
「一番見たくないのは…あなたなんじゃない?」
そう言ってクスリと笑ってみせると今日初めてその表情が揺らいだ。ああ!良い顔ね。泣きはらした目元と強気な表情のコントラストがより一層美しさを際立たせてる。
「目を背けたくなるほどくっきり残っていた?」
「さあ? どうでしょう」
ふふふ。もう澄ました表情を取り繕うのも限界ってとこね。
「そう。なら自分で確かめることにするわ」
「えっ…?」
横をスルリとすり抜け渚砂の元に駆け寄る。完全に虚を突かれた格好となった玉青さんが慌てて手を伸ばしたけどもう遅い。悠々と渚砂の後ろに回り込んで身体を抱き締めつつ、指はその首筋へ。よくドラマで人質に銃を突きつける犯人がいるけどそんな感じ。もっとも今回は銃ではなく絆創膏がその象徴だけど。
「なんの…おつもりですか」
「あら? 言った通りよ。ここがどんな風になっているのか見てみたくなったの。大事な証だもの。ああ、動いてはダメよ渚砂。これは命令。良い子にしてなさい。そしたら後でご褒美をあげる」
絆創膏の端をなぞると浮いた部分が僅かにペロンッと捲れて爪に引っ掛かった。丁寧に摘まんだところを玉青さんに見せつけていると、腕の中で弱々しい抵抗をしてみせた渚砂の鳴き声も相まってますます犯人のような気分がしてくる。いつでも剥がせるこの状態はさしずめ興奮した犯人が引き金に指を掛けたシーンといったところだろうか?
何事かとざわつき始めたギャラリーの視線が集まる中、私は躊躇うことなく指を引いた。ベリッという音と共にあっけなく剥がれた絆創膏。咄嗟に隠そうとした渚砂の手を押さえ付けると、そこには私の刻んだキスマークがありありと残っていた。
「綺麗よ渚砂。とても綺麗。だから隠したら勿体ないわ」
思わず渚砂の赤い痣に気を取られたその瞬間だった━━━。
「上級生ですし、なによりエトワール様ですから、一応は加減したつもりです。でも覚えておいて下さい。次、渚砂ちゃんに手を出したら…こんなものじゃ済みませんから」
怒りを多分に含んではいたけれど、その声は驚くほど静かなトーンだった。美しい旋律に彩られたセリフの数々。凜として私を見つめる目。
「平手打ちされたのが自分じゃなかったら、きっと拍手していたわね」
皮肉でもなんでもなく本心のつもりだ。玉青さんの姿はそれくらい魅力的だった。今すぐにでも部屋へと連れ帰って滅茶苦茶にしてあげたいほどに。自分の目に狂いがなかったことを確信し、私は
「なにが…おかしいんですか?」
「おかしいんじゃなくて嬉しいのよ。あなたが成長したことが」
「そうですか。ならこれからは存分に相手をして差し上げ━━━静馬様?」
「うふふふ、あははははははははは。そう、そうね。
ご自慢の長い青髪も、知性溢れる真っすぐな瞳も、整った顔も、美味しそうな媚肉も。全部私のものにしてあげる。その時あなたがどんな顔をするか、今から楽しみだわ。
<友人のために>…南都 夜々視点
私の見てる前で、玉青さんは静馬様に平手打ちをしてみせた。この丘に君臨する…あの女王様に。その姿は凛々しくて、姫を守る騎士のようにカッコよかった。
「夜々ちゃん、夜々ちゃん。早く玉青さんのところに行こ?」
「えっ? うん、そうだね」
一緒に見ていた光莉は興奮が冷めないみたいでまだはしゃいでいる。それは私も同様で、玉青さんの事情を知っているのもあって、私たち二人はもちろん玉青さんを応援していたわけなんだけど…。
(なんだろう…。凄く怖い。嫌な予感がする)
あの静馬様がこのままで終わらせるとはとても思えない。でもどんな手段を?
「夜々さん、光莉さん」
「玉青さん凄いです。ビンタした時なんか私、夜々ちゃんと手を握り合ってはしゃいじゃって。ね? 夜々ちゃん」
「私はあの味を良く知ってますからちょっとビクッとしちゃいましたけどね」
「もう、夜々さんったら。あれは…」
「ふふ。冗談ですよ、冗談」
勇者様を囲んで和やかに喋りながらも私は静馬様のことが気になってどうしようもなくて、視界の端でずっとその姿を追いかけていた。そして場を離れ一人で去っていくのを確認し、こっそりと後をつけることにした。
「それで夜々ちゃんったらね━━━あれ? 夜々ちゃん? どこ行ったんだろう」
(たしかこっちの方に………いた)
静馬様の向かった先は化粧室だった。たぶんハンカチか何かで頬を冷やすためだろう。中へと入っていったその背中を追って私も続く。
「久しぶりね。二人きりで会うのはあの時以来かしら?」
「お久しぶりです静馬様。その節はどうも」
手際よく湿らせた高級そうな四角い布を頬へと宛がいながら振り返る静馬様。この口ぶりからすると私が来るのは分かっていたみたいだ。「何か用?」と尋ねつつ私の全身をくまなく観察するその目は、妖しい輝きを帯びている。
「でも丁度良かったわ。追いかけてきたのがあなたで」
「それはまたどうして?」
「実はね…
(これはちょっとまずいことになったな。一人で来たのは失敗だったかも?)
考えてる間にも静馬様はじりじりとその距離を詰めていて、結局どうすることも出来ないままにすぐ傍へと近寄られてしまった。遊ぶように肩やら腰やらを撫でる手が跳ね、次いで首筋やら顎のラインにツゥーッと指が這っていく感触に思わず身震いする。
「いいんですか? 思いっきり噛みつくかもしれませんよ?」
「脅したって無駄よ。あなたは私と同類。それに口ではどうのこうの言っても、本当は私のこと結構タイプなんでしょう?」
あ~あ。やりにくいなぁ。悔しいけど美人に弱いのは図星だし、つい1年前の事を思い出しちゃう。あの時は私の完敗だったな。
「おかげさまで光莉と結ばれましたから、あの時と同じだと思って油断してると痛い目見ますよ」
「ぜひ見せて欲しいものね。その痛い目とやらを」
後で光莉に謝っておかないと。そう思いつつ目を瞑り受け入れる姿勢を取ると、何の躊躇いもなく伸びた手が顎に掛かり、唇を奪われた。昂っているという言葉通りに少々乱暴な口付け。相手が私だから加減の必要がないってことだろうか? 最初からトップギアのキスにあっという間に酸素が足りなくなっていく。
啖呵を切っておいてされるがままというのもカッコ悪いので、うっすらと開けた視界に映る静馬様の長い睫毛に見惚れながら、自分からも舌を動かした。食前の祈りの時間が近付く中、化粧室に女二人。
まったく、私は一体何をしに来たんだか。これじゃ飢えた猛獣の餌になりにきただけじゃない。そうは思いつつも楽しんでいる自分も確かに存在していて、少しだけ自分が嫌になる。
「確かに…少しはマシになったみたいね」
多少は気が済んだのか、唇を離しハンカチで口を拭った静馬様は大して息を切らせた様子もなくそう言った。こっちもご期待に沿えたようでなによりです、なんて強がりの一つでも言いたいところではあったけど、そんな余裕はない。
(なるべく身体を触られないようにしたつもりだったんだけどな…)
触って確かめるまでもない。しっかり
「それで…何か収穫はあった?」
何か目的があって追いかけてきたんでしょう?とその目が言っている。相変わらず隙のない人だ。それに酔狂なことこの上ない。状況を楽しんでる。だけど私だってわざわざ答えるほどお人好しではない。
「ええ、素敵なキスでしたよ。思い出に残るくらい」
生意気な返答だと思ったんだろうか? 静馬様の目がスッと細くなり、意図を探るように視線が身体を貫いていく。強がりとか動揺を全部見抜いてやるぞって脅すようにその瞳が煌めく度に、目を背けたくなる。けれどもそんな恐怖を跳ね除けて私は堂々と対峙した。
「………。本当にマシになったわね。まぁいいわ。私は先に戻るから。寂しくなったらいつでも部屋にいらっしゃい。友達思いの良い子ちゃん」
「お気遣いなく。私には光莉がいますから。なにせ相部屋なんで…食べ終わったらすぐに誘いますよ」
「食後の運動もほどほどにね。それじゃあ」
背中越しにひらひらと手を振りつつ去っていくのを確認した途端、どっと疲れが押し寄せてきて壁に寄り掛かりたくなった。とはいえあくまで精神的なもので、身体はむしろ元気というかあれだけど…。
「今日は聖歌隊の朝練があったっけ…。時間…足りるかな?」
呟いた声は、誰一人いない寮舎の廊下に吸い込まれていった。
■後書き
久々の更新となりました。いかがでしたでしょうか?
内容に触れる前に、少しこの場を借りまして御礼申し上げます。更新が滞っているにも関わらず読んで下さった方。お気に入りや評価をしてくださった方。言葉遣いについてメッセージを下さった方もおられました。嬉しかったです。ありがとうございました。
それでは内容です。
泣きついて告白したと思いきや、「ええ、まぁ」なんて言いながらキスマーク付けて恋敵の元に送った玉青ちゃん。「ええ、まぁ」のところは渚砂ちゃん視点で見た玉青ちゃん、ということで可愛げな描写ですが実際はどんな表情だったのやら。相手が静馬様だったのでやり返されちゃいましたけど策士ってイメージを持つと、がらりと印象が変わるのではないでしょうか?
もしよろしければ次回もよろしくお願いします。それでは~♪