アストラエアの丘で   作:クラトス@百合好き

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■あらすじ
 ドレス作製のための採寸は初っ端から波乱の連続。なぜか同時に採寸を行うことになった玉青は静馬と同じ部屋で脱ぐことに。構わず脱ぎだす静馬に玉青は驚いて…。
 一方の渚砂は隣室ペアの二人に、ある秘密を打ち明けることを決意する。

■目次

<毒を持つ者>…涼水 玉青視点
<渚砂の相談>…竹村 千早視点



第25章「自分で触るのとは全然違うでしょ」

<毒を持つ者>…涼水 玉青視点

 

「あの、別に二人同時にする必要はないんじゃ」

「私は別に気にしないわよ」

 

 そう言うと本当に何の躊躇いもなく制服のタイがしゅるりと外され、手から滑り落ちたそれは微かな音を立てて床へと着地した。細長いタイがうねうねとしている様子は、どこか私を狙う蛇のようにも見えて…。

 

「それじゃあ始めましょうか、玉青さん」

 

 足元に小さな蛇を従えた大蛇は、私を見つめる目をスゥッと細めて微笑んだ。

 

 いくらお仕事とはいえ、この人の前で制服を脱がなきゃいけないなんて…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもの生徒会室ではなく裁縫部の所有する部室に私たちはいた。『私たち』というのは私と静馬様、それと身体の採寸を担当する裁縫部の二人の事を指している。

 

 練習2日目のはずの今日。本来であれば昨日に引き続き猛練習の予定だったはずなのだが、急遽ドレス作成のための採寸を行うことになり練習は中止となった。日頃の運動不足が祟って見事に筋肉痛となっていた私にとっては僥倖━━━砂漠に現れたオアシスとも呼べる代物になる()()()()()()()

 

 ものの見事に当てが外れ、すぐ目の前には脱ぐ気満々の静馬様。それに加えて脱ぐのを待ち構えている裁縫部の二人が脇に控えているという有様だ。ちなみにこれまで面識はなかったが静馬様の担当が部長さんで私の担当が副部長さんらしい。何も採寸くらいでトップの二人が出てこなくても…とは思ったが、六条様によればそれだけ今回の衣装作製に燃えているそうだ。

 

「どうかされました? 脱ぐのを躊躇っているように見受けられますが」

「あ、いえ…」

 

 不思議そうに見上げてくる副部長さんの気遣いとも催促とも取れる声に急かされてとりあえず胸のタイに指を掛ける。もちろんすぐに外したりなんかはしない。タイを触っているだけで脱ぐ意志は伝わるだろうから可能な限りゆっくりと指先を動かして遅延を図る。

 

(引き延ばしても脱ぐことには代わりないんですけどね…)

 

 それでもこうやってのんびりしているうちに少しは気持ちが落ち着くかもしれないと思っての行動だ。しかし━━━。

 

「タイを外すくらいでいつまでもたついているつもりかしら?」

 

 そんな私のささやかな努力は、静馬様の声に驚き、つい反応してしまった指先が勢い余ってタイをほどいてしまったことであっさりと終わりを告げた。ほどけてしまったタイを恨めしそうに見つめる先では静馬様が笑っている。たぶん…ではなく絶対に邪魔するつもりで声を掛けたに違いない。

 

 私の邪魔ばかりして一体何が楽しいんだろう?

 

 仕方なくタイを足元に置きつつ、一言ぐらい言ってやろうかと思って視線を上げた私は、目に映った光景に…吸い寄せられた。

 

 制服の前面のボタンが全て外され、胸部が露わになった状態の静馬様の肩からゆっくりとミアトルの制服が滑り落ちると、控えていた部長さんの手の中にバサリと音を立てて乗っかったのである。

 

「同性が制服を脱ぐところってそんなに面白い?」

「あっ…。その、す…すみませんっ」

 

 じっと見ていたことをからかわれて私は赤面しながら急いで後ろを向いた。見ちゃいけないものを見てしまったような、そんな感じだ。

 

「って、なんで私の方を向いて脱いでるんですかっ!? 壁の方を向いて脱げばいいのに」

「だってそんなに見つめられるとは思っていなかったもの。まぁ、私は気にしないからいいけど。体育の着替えとかでは気を付けなさいよ」

「ですから私は━━━」

 

 反論しようと思わず振り返ろうとして視界の端に大量の肌色が見えたものだから、私は再び大慌てで顔を逸らした。

 

「あ~~~~~もうっ!! と、とにかく! 違う方を向くか、何かで身体を隠してください。でないと…その」

 

 目に毒だと言うつもりはないが、精神衛生上よろしくない。別に変な目で見てるとかそういうわけではなく、そう、ツッコミにくいのである。だから早く何かで身体を覆って欲しい。

 

 だいたい、見せつけるように服を脱ぐなんて痴女じゃあるまいし…。

 

「ふふふっ、玉青さんは同性の身体に興味があるお年頃なのね」

「ち、違いますッ!! 誤解を招くような発言は━━━」

「━━━恥ずかしがる必要はないわ。一見真面目な優等生が…実はむっつりスケベだったなんて、よくある話だもの。あなたたちもそう思わない?」

 

 無関係の二人に同意を求めるようなセリフまで飛び出し、私は反論も碌に出来ないままに顔を真っ赤にして俯いた。頭の中では必死に色々と言葉を考えるものの、恥ずかしさのせいか上手く纏まらない。

 

「それより…早く脱がないの? いつまで経っても採寸が終わらないわよ」

「こ、こんな状況で脱げるわけないじゃないですかっ!?」

 

 なるべく肌を見ないように気を付けながら背後の様子を窺うと、ニヤついた笑みを浮かべて仁王立ちする静馬様に裁縫部の二人。合計三人が私の一挙手一投足に注目している。その中でも特に静馬様の視線が気になって、私は自分の身体を隠すように腕で覆いながら必死で言い放ったのだ。

 

「せめて後ろを向いていてください」

「女同士なのだから気にしなくていいでしょ。むしろ意識し過ぎる方が変なんじゃない?」

「ッ~~~~~~」

 

 その同性と堂々と関係を持ってる人がよくもまぁぬけぬけと。一体どの口で言うんだろう。そんな人に身体を見られて平然としていろという方がどうかしている。

 

「一人じゃ脱げないって言い張るなら、私が脱がせてあげてもいいけど」

「絶対にお断りします」

「仕方ないわね」

 

 力強い拒絶にやれやれと溜息をついた静馬様がパチンッと指を打ち鳴らすと、部長さんと副部長さんがササッと近寄りなにやら作戦会議を始めてしまった。微妙に聞こえるような、聞こえないような、そんなじれったいボリュームに耳がぴくぴくと動いてしまう。

 

 そして作戦が決まったのか神妙な顔で頷くなり私を包囲するべくじりじりと左右からにじり寄ってきた。

 

「えっ…、あ、あの…ちょっと」

「採寸のためですから」「ごめんなさいね玉青さん」

 

 二人掛かりで押さえつけられ━━━といってもそれほど強くではないが、ともかく動きを封じられた私の背後から静馬様が一歩、また一歩と迫ってきているのを肌で感じる。全力で振り払おうかとも一瞬考えたけど、その拍子に二人が怪我でもしようものならと思うと申し訳なくて出来なかった。

 

 そうこうしている間にすぐ後ろに立った静馬様は私を抱き締めるように手を回すと、そのまま後ろからボタンに触れ一つずつ外していく。すっかり観念した私はされるに任せて胸元が開いていくのを眺めていたが、その手が下着にまで伸びたのを見てさすがに声を上げた。

 

「し、静馬様ッ!?」

「あら? あなた、もしかして学校指定のものを身に着けているの?」

「なっ!?」

 

 どうして分かったんだろう? この体勢じゃ見えても僅かのはずなのに…。信じたくはないけど、まさか…手触り…とか?

 

「あなたのサイズなら可愛いものも充分選べるはずだけど」

「余計なお世話です」

「こんな野暮ったいもの着けてたら興ざめじゃない。せっかくの魅力が台無しよ」

「きょ、今日は採寸があるっていうから急遽購買で買ってきたんです。私だって普段はもっと可愛いのを…」

 

 いかにもセンスがないみたいな言い方をされてついムキになって反論してしまった。最近は夜々さんからも情報を仕入れて素敵なデザインのやつを選んでいるので、センスがないと言われるのはちょっと悔しかったりもする。

 

「ふぅん、ならいいけど。少し心配してしまったわ。ところで━━━ねぇ知ってる?みんなが着けてるものだとこういう危険があるってこと

「━━━えっ?」

 

 最初は何をされたのか理解出来なかった。静馬様がした事と言えば私の背中に軽く何か所か触れただけだったから。だけど次の瞬間、ずり落ちる()()の感触が伝わってきて私は「きゃあああ」と甲高い悲鳴を上げながらうずくまった。

 

(うそ…なんで…)

 

 腕で抱えるようにしたおかげでどうにかカップで胸が覆われた状態は死守出来たものの、ホックのあるバックベルトと肩紐(ストラップ)は制服の中でだらんと垂れ下がってしまっていた。こうなってしまうと制服を一旦脱がないことには着け直すのは難しい。

 

 そもそも今までの経験上こんな簡単にホックが外れたことはなかったし、もし仮に外されたのだとしても肩紐があるのだからこんな簡単に落ちてきたりはしないはず。それがどういうわけかこんな有様になっているのだから魔法でも掛けられた気分である。

 

「ふふっ、()()なら手癖で外せるわ。たとえ真っ暗な部屋の中でだって…ね。なにせ両手じゃ数え切れないほど外した経験があるんだもの」

 

そう言うと長くしなやかな指を自慢気に動かして見せた。魔法ではなく手品の類だったというわけだ。ピアノが上手なのはセクハラで指先を鍛えたからなんじゃないかと言いたくなる。

 

「いくらなんでも悪ふざけが…」

 

 素性を知っている私はともかく、裁縫部の二人から変な風に思われてしまうのではないだろうか? 静馬様の評判は別にどうなろうと構わないが私まで巻き込まれては困る。

 

「裁縫部のお二人だって驚かれて…」

「この子たちは()()()()だから大丈夫よ」

「えっ? それって…」

 

 ()()()()()()()と聞こうとして口をつぐんだ。もし過去に『関係があった』だなんて言われたらどう反応していいか分からないし、なによりこの空間が自分の思っている以上にずっと危険地帯ということになってしまう。三人掛かりで襲われでもしたら━━━。

 

 背筋に冷たいものが流れ、私はブルッと身を震わせた。下手に藪をつつかないに越したことはない。それよりも今はこの状態をどうすべきかの方が大事だ。

 

 ブラを直すには制服を脱ぐしかない。けどバストが零れないようにカップを押さえておくには片手をそちらに割かなければならないわけで…。予め脳内でシミュレーションしておかないと大変なことになりかねない。スカートの裾に足を引っ掛けて転ぼうものなら三人の前で自分から半裸で横たわることになる。狼の群れに生肉を放るようなそんな恐怖体験は願い下げだ。

 

(立ち上がった瞬間に制服を脱いで、急いでブラを着け直す? ボタンは外れているから制服は片手でもなんとかなる…かな)

「心配しなくていいのよ。言ったでしょ? 脱がせてあげるって」

 

 まだ考えが纏まらないうちに、にゅっと腕が伸びてきたかと思うと制服を掴みそのまま容赦なく引きずり下ろそうとし始めた。

 

「ま、待って。待ってください。ちょっ…しず━━━あっ」

 

 うずくまった姿勢のうえに片手では碌な抵抗も出来ず、慌てふためく私を嘲笑うかのように制服はあっけなく肩からズルリと抜け落ちた。

 

「いやぁああああああ」

 

 この世の終わりの如く声を上げながら私は両手で胸を覆った。制服に引きずられてブラが外れなかったのは不幸中の幸いだったが、それこそ亀みたく丸まくなるしか身を守る術がない私の身体は、静馬様の視線を一身に浴びる羽目に。

 

「ふふふ、白くて綺麗な肌ね。羨ましいわ」

「み、見ないでっ。お願いですから…見ないでください。あっち向いてッ!!」

「いいじゃない。別に貧相な身体をしているというわけでもないんだし。むしろ魅力的よ。下着が少し勿体ないけれど」

 

 ジロジロと観察され、値踏みするようなことまで言われて視界が急速に潤んでいく。

 

「いっそのこと下着も脱がしちゃおうかしら」

「ひっ…」

 

 この人なら本気でやりかねない。そんな全く冗談に聞こえないセリフと共にツツーッと背中を撫でられて私は声を漏らした。ホラー映画で悲鳴を堪えようとして思わず漏れてしまったといった感じの声だ。

 

 ちょっとでも気を抜くと今にも泣いてしまいそうで、グッと奥歯を噛み締めようとしたものの、上手く噛み合わない。

 

 そんな中でふと視線が合った裁縫部の二人に私は助けを求めた。静馬様の仲間である可能性はあったが他に誰もいなかった。

 

「お願いします。この人から助けてっ!!」

 

 二人からすれば大袈裟過ぎるSOSだったのかもしれない。けど私は必死だった。

 

 初めはあらあらといった様子の二人だったが、何度も呼びかけるうちに私が本当に怖がっていた事に気付いたようで、傍に寄ってくるなり優しい言葉を掛けてくれた。

 

「安心してください。静馬様もちょっと悪ふざけが過ぎただけですよ」「採寸は下着を着けた状態で行いますから、今のうちに直してしまいましょう」

(よかった…。常識的な人たちで)

 

 安堵と共に緊張から解放される。二人がやり過ぎですと咎める視線を送ってくれたおかげで、静馬様もようやく諦めたらしい。「あなたがぐずぐずしてるから悪いのよ」などと言ってそっぽを向いてしまった。

 

 その後は申し訳なさからなのかテキパキと採寸は終わり、めでたく解散となるはずだったのだが…。

 

「ねぇ、ちょっといい?」

 

 元凶である静馬様が悪びれる様子もなく私に話しかけてきた。出来れば話したくないし無視しようかとも思ったけど、裁縫部の二人が資料を持って席を外している中で機嫌を損ねるのは状況的にまずいと判断し、一応返事をしておく。

 

 というかあんな出来事の後で私を一人にしないで欲しかったのだけど…。

 

「なんでしょう」

「二人きりのうちに聞いておきたいんだけど、あなた…同性の身体にどれくらい興味あるの?

 

 あまりにもデリケートな質問。それをストレートにぶつけられ私は面食らった。普通なら当たり障りのない話をしそうなものなのにこの人はなんてこと口にするんだろう?

 

「私は…まだ…そういうのは」

「渚砂とキスしたでしょ。それってそういうことじゃない?」

 

 私の視線の動きとか、答えになりそうな僅かな反応も逃すまいと、先程とはまた異なる顔つきを浮かべた静馬様の目が私を射抜く。さっきまでのはこの人にとって戯れでしかなく、からかっていたに過ぎないのだと、そう思わせるミステリアスな雰囲気が漂っていた。

 

 むろん私も『興味がない』わけではない。けど、ルームメイトでほとんどの時間を一緒に過ごす関係上、あまり考えないようにしていた。朝の支度だって手伝うし、時にはじゃれて身体がくっ付くことも…。それ以外にも同室である以上は毎日色々とある。

 

 そもそも私自身、自分の嗜好に気付いてから日が浅いのもあってよく理解してない部分も多く、どうして良いか分からないというのもブレーキの一つであった。キスのやり方だって本当はあれで正解なのか不安だったりする。何もかもが手探りなのだ。

 

 その結果、性欲的なものはあまり沸き起こらず、したがってそれが渚砂ちゃんに向くこともないわけで、お友達の延長線上にあるような関係が今の私と渚砂ちゃんだったりする。

 

「その様子じゃまだキス止まりみたいね。あなたはもっと色んな経験をした方が良いわ」

「静馬様?」

 

 つかつかと歩み寄ってきたかと思うと目の前で停止するなり「手を出しなさい」と言われたものの、さすがに先程の事もあり「はい分かりました」とはならない。

 

「安心して頂戴。酷いことはしないわ。むしろとっても良いことよ」

「良い…こと?」

「そうよ。これから先、あなたにとって必要不可欠なこと。さぁ手を出して」

 

 信用は出来ない。けれど静馬様の言葉は私の好奇心を強く刺激した。

 

 躊躇いがちにふらふらと伸びた右手が綺麗な蝶でも捕まえるようにそっと握られる。そしてその手は━━━あろうことか静馬様の胸へと導かれた。

 

「静馬様ッ!?」

「怖がらなくていいわ。私が触れるんじゃなくて、あなたが私に触れているのだから平気でしょ」

「で、でも…」

「こういった事は頭で考えるよりも、経験しちゃった方が手っ取り早いわ。ほら、柔らかいでしょう? 女の子の身体って触れてて気持ちいいものなのよ」

 

 あっけにとられていたのは最初の数秒だけで、私は手の平に伝わってくる双丘の感触に戸惑いながらも、たどたどしく指を動かしていた。たしかに…柔らかくて、あったかくて…気持ちいい。でも…いくら胸が大きいからといって、制服越しに触ってこれほどフニフニなものだろうか?

 

(もしかして…着けてないんじゃ?)

 

 静馬様がいた方に視線を巡らせると、疑問の答えが用意されていた。無造作に備品が詰め込まれた段ボールの角。そこにレース柄のブラが引っ掛けられている。少々殺風景な部屋にはあまりにも似つかわしくない調度品だった。

 

 もう少し力を込めるように促され、自分でも不思議なくらい素直にその言葉に従うと、指はふかふかのパン生地に触れた時みたいに、そのバストにぐにゅっと沈み込んでいった。

 

 今までこんな風に()()()()他人の胸に触れたことはない。それはそうだ。だってそんな経験…普通はないはずだ。

 

 自分が触られているわけでもないのに身体が熱い。その熱に浮かされるように、私は自分でもわけのわからないままに指を繰り返し動かして未知の感触に酔いしれた。

 

「自分で触るのとは全然違うでしょ」

「あっ…、こ、これは…」

「別に恥ずかしがることはないわ。今まで何も知らなかったのなら仕方ないもの」

 

 最初は咎められたのかと思い、私は夢中で触っていたのが恥ずかしくなって顔を背けた。けれど飛んできたのは叱責ではなく優しい声。それも大人が子供を諭すようなトーンに、余計恥ずかしさが増した私の顔は真っ赤に染まった。

 

 もしこの人が天使だったなら、このまま私を導いてくれただろう。足りない知識を授け背中を押してくれたはずだ。だけどこの人は天使なんかなどではなく、どちらかといえば堕天使で、もっといえば大蛇の皮を被った悪魔の化身であった。

 

これが渚砂の胸だったら、あなたはどんな顔をするんでしょうね

「ッ!?」

 

 しまった!と思った時には既に遅く、両方の手首を掴まれた私は一気に壁まで押されて磔にされていた。

 

(この人の言葉を聞いちゃダメだ。この人の言葉は…)

 

 脳裏に蘇る苦々しい記憶。唇は甘いなんていう戯言に惑わされ寝ている渚砂ちゃんの唇を奪ったあの夜。後悔したってしきれない。私のファーストキスの思い出は罪悪感に満ちていた。

 

 そして今再び、私を惑わそうとする囁きが聞こえてくる。耳を塞ごうにも両手は壁に縫い付けられていて、振りほどくことは夢のまた夢だ。

 

「少しだけあなたが羨ましいわ玉青さん。部屋に戻れば、そこに渚砂がいるんですもの。だってそうでしょう━━━」

「━━━言わないでッ!! これ以上私に変な事を吹き込まないで!!」

 

 ああ、この人の言葉は毒気に満ち溢れている。それも、一緒にいるだけで容易く私の身体を蝕む()()()()()()()

 

「いつでも渚砂の身体に触れられるんだから」

「あ、あああああ…」

 

 知らなければこんな言葉、どうとでもやり過ごせたのに。だけど私は知ってしまった。自分の意志で他人の身体に触れる心地良さを。柔らかくて、あったかくて、()()()()()()()()()こうに違いない。

 

(ダメ。渚砂ちゃんでそんなこと考えちゃ…)

 

 想いとは裏腹に脳裏に浮かび上がったのは、下着姿のあられもない格好をした渚砂ちゃんだった。掻き消しても次から次へと現れる映像に、言いようのない喉の渇きを覚え、唾液を飲み込もうとした喉が勝手に鳴ってゴクリと音を立てる。

 

「ふふふふっ。喉なんて鳴らしちゃって。その様子じゃ渚砂の方がよっぽど大人かもしれないわね」

 

 渚砂ちゃんの方が大人? それって…。静馬様の言葉に血の気がサァーッと引いていく。

 

「まさか…渚砂ちゃんに何かしたんですかッ!?」

「あら、ごめんなさい。今のは失言だったわ」

 

 ハッタリだ。ハッタリに決まってる。だけど…だけど、前回のキスの時だって静馬様は既に渚砂ちゃんの唇の味を知っていた。それじゃあ…今回も? 違う、違う違う違う。渚砂ちゃんがそんなことまで許すわけがない。

 

「あなたは…渚砂ちゃんと…どこまで…」

 

 呟きが漏れたその時━━━。

 

━コンッコンッ━

 

 扉をノックする音と共に、裁縫部の二人が入ってもいいかと尋ねる声が聞こえてきた。

 

「時間切れみたいね」

「待って…待ってください、質問に━━━」

 

 入ってきた二人の横をすり抜け、部屋を出て行くその背中にぶつけた声に、静馬様は少しだけ振り返って言った。

 

渚砂に聞いてみたら?

 

 毒が身体を駆け巡り世界は音や色を失いながら静かに歪んでいく。どうすることも出来ないのは私が抗体を持っていないから。なら…解毒剤はどこにあるんだろう?

 

 あの人の言葉が本当ならば、この身体に回った毒を消し去るための方法は、世界で唯一…渚砂ちゃんだけが持っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「玉青ちゃん、おかえりっ」

「ただいま…渚砂ちゃん」

「今日は採寸だけって言ってたのに遅いから心配しちゃった。あっ、カバン持ってってあげる」

 

 甲斐甲斐しい出迎えにも心が落ち着かない。きっと毒のせいだ。聞きたい。今すぐにでも。『渚砂ちゃんは…やっぱり静馬様のことが好きなんですか』って。

 

(嘘だ。聞きたいのはそんなことじゃない。本当に聞きたいのは…)

 

 『静馬様と…どこまでしたんですか?』だ。

 

(私、渚砂ちゃんのこと疑ってばっかりですね…)

 

 こんな私に愛する資格はあるんだろうか? もし仮に静馬様と関係があったとして、それでも私は今まで通りに、渚砂ちゃんを愛していられるんだろうか? 分からない。自分の気持ちには自信があったはずなのに。

 

 愛されてる自信がないのに、愛している自信まで失ってしまったら、きっと私と渚砂ちゃんは…。

 

「━━━おちゃん? ねぇってば玉青ちゃん」

「は、はいっ。なんでしょう渚砂ちゃん」

「お部屋…入らないの?」

「あっごめんなさい。ボーっとしてて」

「変な玉青ちゃん」

 

 カバンを私の机に置きにいく渚砂ちゃんの背にたまらず呼びかけてしまった。聞く勇気なんて持ち合わせていないのに…。

 

「あのっ渚砂ちゃん」

「なあに?」

「えっと…その」

「どうしたの玉青ちゃん」

「渚砂ちゃん…最近…し、静馬様と…会ったり…しました…か」

 

 その名を出す時、僅かに声が上擦った。期待と不安と、色んな感情が混ざり合って。

 

「う、うん。そりゃあ同じ学校だもん。廊下とか、食堂とか。玉青ちゃんと一緒に生徒会室で会ったり…」

「そう…ですよね。ごめんなさい変な事を聞いてしまって。今のは忘れてください」

 

 中途半端な問いかけに返ってきたのは毒にも薬にもならないありきたりな回答で、解毒剤の手掛かりは何一つ含まれていなかった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<渚砂の相談>…竹村 千早視点

 

「どうしたの渚砂さん? 今日は元気ないみたいだけど」

「え? そう…かな」

「うん。ボーっとしてる」

 

 私たちの部屋を訪れた渚砂さんは、珍しくお菓子にも手を付けず俯いた。その向かい側では小皿に盛られたチップスに手を伸ばしながら心配する紀子の姿が。

 

 私もお茶の入ったティーポットを片手にそちらへ合流し席に着く。

 

「はい、どうぞ二人とも。でも紀子の言う通り珍しいわね。何か悩み事?」

「だ、大丈夫。なんでもないよ。お茶…頂きます」

 

 取って付けたような笑顔。普段元気な子がこういう表情をしていると余計心配になってしまう。

 

「なんでもないって顔じゃないわよ。聞いてほしそうな顔してる。私たちでよければ相談に乗るわよ」

「ほんと? で、でも…」

「やっぱり何かあるんじゃない。せっかくお隣さんなんだし、もっと頼って頂戴よ。ね、紀子?」

「そうそう。話すだけでスッキリすることもあるしさ」

 

 紀子にしては気が利くセリフも飛び出し、後押しされたのか渚砂さんも話す気になったようだ。カップを置き、しばらく俯いたり顔を上げたりを繰り返していたが、突然顔を上げると会話の始まりにはやや大き目なボリュームで話し出した。

 

「あ、あのねっ。二人に聞いてみたいことがあってね。私と静馬様って…その…付き合ってるように見えたりするのかなって。クラスとかいちご舎でそういう噂があったりしたら教えて欲しくって」

 

 予想外の相談に私と紀子は顔を見合わせて固まった。まさか元気印の渚砂さんからこんな話が飛び出してくるとはお互い思ってもみなかったというわけだ。

 

「ま、まぁ渚砂さんは食堂で静馬様にキスされたことあったし━━━」

「━━━あの直後は結構色んな噂あったよ」

 

 とりあえず事実としてあったものを話すべく紡いだ言葉を紀子が繋ぐ。実際問題、クラスの中だけでも根も葉もない噂というのはそれなりに流れていた。もちろん友人である私たちはマナーとしてそういった会話には加わらないでいたし、下世話なものについては否定する意見を述べていたりもしたが…。

 

「や、やっぱりそうなんだ…。 それって今でも流れてたりするのかな?」

「最近は~聞かないわね。紀子は?」

「あたしも耳にしないな」

「そっか、よかったぁ」

「逆に私からも質問していい? 渚砂さんは…そういう噂があって欲しいと思ってるの? それともあったら嫌だなって思ってるの?」

 

 最初に話し出した時は前者なのかなって思ったけど、今の反応を見るとそうでもない気がする。かといって後者って感じでもないけど…。

 

「嫌ってわけじゃなくて…あっもちろん変な風に噂されるのは嫌だよ。そ、そうじゃなくてね、噂になってないってのがわかってよかったというか、ホッとしたなぁって感じ」

「ん~」

 

 今一つ渚砂さんの考えが読み取れず、自然と紀子と視線が合う。紀子もしっくりきてないというのは目の動きですぐに分かった。

 

 けれどそれっきり渚砂さんが俯いてしまったのもあって、私も紀子も上手く言葉を掛けられず部屋は静寂で満たされた。途切れた会話の間を埋めるためにぼちぼちとお菓子に手を伸ばしはするものの、やはりシィンとした空気が場を支配してしまいどうにもならない。

 

 仕方なく私が「渚砂さんの悩みはそれだけ? もう解決したの?」と先を促すように尋ねると、渚砂さんは俯いたまま視線だけをチラッ、チラッと私たちに何度も寄越し、おずおずと切り出した。

 

「あの…二人って、口は…堅い方? ご、ごめんね。友達にこんな事聞くのは良くないと思ったんだけど、どうしても確認しておきたくて」

「秘密にして欲しい話があるってこと?」

「うん…。相手の子に迷惑掛かっちゃうと嫌だから。私だけなら陰口とか言われてもいいんだけど、その子にはそういう目に遭って欲しくなくて。一生懸命頑張ってるから、足…引っ張りたくないんだ。だから絶対に秘密にして欲しいの」

「私も紀子も軽口叩くせいであんまりそういうイメージないかもしれないけど、友達って言ってくれる人に頼まれた秘密をバラしたりはしないわ。だから安心して」

「千早がぼろ出しそうになったらあたしが止めるし、その逆もあるからさ。安心してくれていいと思うよ」

 

 こういう時の紀子は信用出来る。バカなようでいて案外頭の回転は良いし私より冷静なところもある。なにより今までずっと一緒にいた中での実績がそれを証明していた。

 

「よかったぁ。誰かに打ち明けようって思った時、真っ先に二人の顔が浮かんだんだ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃない。友達冥利に尽きるってもんね」

 

 そう答えつつも頭にはある疑問がよぎっていた。それは至極当然のこと。だって渚砂さんにとって一番の理解者は…。

 

(玉青さんには相談しづらかったのかしら?)

 

 同室だし、仲が良いからこそ、という場合もある。

 

(きっと心配させたくなかったのね)

 

 勝手にそう解釈した私は続く渚砂さんの言葉をすぐには理解出来なかった。

 

「少し前のことなんだけどね、私、玉青ちゃんに告白されたの」

「へ~そうなんだ。………。………」

「「ええぇっ!?」」

 

 見事にシンクロした紀子と私。驚きの声が重なって叫び声が木霊する。恥ずかしそうに顔を赤らめ、太腿の辺りで指をもじもじとさせている渚砂さんの姿が、いつものイメージとは違ってとても可愛らしい。普段も可愛い系といえばそうだけど、今回のはベクトルが違うというか別人みたいだ。

 

「好きだって言われて…それで…キス…されて。私も…玉青ちゃんのこと素敵だなって思ってたから、嬉しいって答えたの」

「じゃあ…二人は付き合ってるんだ」

「それが…」

「違うの?」

「ううん、分かんないの」

「分からない?」

「どうしてその流れで分からないのよ」

「私がもっとはっきりすれば良かったんだろうけど、なんとなくで一緒にいる感じで。そういう関係だって明確な言葉にしたことはなくって。だからよく分からないんだ」

 

 仲が良いとは思ってたけどそんな事になってたなんて全然知らなかった。玉青さんは隠すのも上手そうだけど、渚砂さんはそういうの苦手そうだったのに…。

 

「まさか玉青さんが静馬様にビンタしたのって…」

 

 紀子の言葉に私もハッとした。例の一件のことはもちろん私たちだって知っている。直接見たわけじゃなくて人から聞いただけでしかないけど、静馬様が渚砂さんにキスした件と、今渚砂さんから聞いた話が合わされば、当時は不思議なことだらけだった出来事にも納得がいく。

 

 ますます顔を赤くし、茹でタコみたいに真っ赤になった渚砂さんがしどろもどろになりながら答えてくれた。

 

「あ、あの時は…えっと…玉青ちゃんが…私のことで怒って、それで…」

「へ~、やるじゃない玉青さん。さすがミアトル4年生の星ね」

「聞いた範囲だとラブラブなように思えるけど、なら…どうして渚砂さんは悩んでいたの?」

 

 私の言葉に幸せそうな表情から一転、渚砂さんは見ているこっちが心臓をキュッと掴まれたような気になる表情を浮かべた。

 

「うん…。昨日ね、玉青ちゃんに聞かれたんだ。最近静馬様と会っているかって。それで私ちょっと動揺しちゃって。静馬様の名前もそうだけど、私…玉青ちゃんにどう思われてるのかなって。さっき二人も言ってたけど、静馬様との事があったでしょ。だから玉青ちゃんに信用されてないんじゃないかって不安になっちゃって。たぶん玉青ちゃんは、私が静馬様のことを好きなんじゃないかって考えてると思う」

「だから静馬様との噂が気になったんだ。なるほどね」

「渚砂さんの気持ちはどうなの? ちゃんと()()()()()()()?」

 

 我ながら意地の悪い質問だと思った。でも大事なことだ。玉青さんと静馬様。揺れ動いているとまでは言わないが、まだ静馬様にも想いはあるようにも感じ取れる。同性での恋愛。些細な事で致命的な結末を引き起こすかもしれない。

 

「私は…」

 

 両手を胸の前で合わせ、制服をギュゥッと握りしめた渚砂さんは静かに語り出した。

 

「私は玉青ちゃんが好き。最初は玉青ちゃんと一緒にいると幸せだし、すっごくあったかい気持ちになるから、ただただ一緒にいたかったって部分もあったと思う。女の子同士で恋愛とかよく分からなかったし、玉青ちゃんの言ってくれる『好き』とは違うような気がしてた。でも一緒にいるうちに少しずつ変わってきたの。まだ上手く応えてあげられないけど…」

「渚砂さんの気持ちがはっきりしてるなら、玉青さんにありのままを伝えればいいじゃない」

「そうしたいけど…自信が無くて。だ、だからね…ダンスパーティで踊った後に気持ちを伝えようかなって考えてたんだ。

 きっかけがあれば堂々と言えるかもって」

「おっ、ロマンティックだね~」

「えへへ。私から玉青ちゃんへの告白のつもり」

「じゃあ、ダンスの練習も頑張らないとね。想いを伝える前に気分を盛り上げなくちゃ」

「うんっ、玉青ちゃんに褒めてもらえるように私がんばるっ!」

 

 そうしていつもの元気を取り戻した渚砂さんは、お茶だけでなくお菓子までおかわりした後、何度もお礼を述べてから自分の部屋━━━隣室へと戻っていった。もちろん口止めのお願いもしっかりと忘れずに。

 

 

 

 

 

 

 

「いや~びっくりしたね。まさかお隣さんがカップルになるなんて」

「そうね」

「ねぇ千早」

「なによ」

 

 これも腐れ縁かなぁ。呼び掛け方だけで、ああ碌な事言わないなってのが分かっちゃって、ついぶっきらぼうな返事になってしまった。ついでに補足すると失笑が漏れそうになるのを我慢したくらいだ。

 

「私たちも…くっついちゃおっか?」

「無理に決まってるでしょ。あんたのこと恋愛対象に見れないもの。むしろ全然知らない子の方が確率高そうなくらいよ」

「ええ~。ずっと一緒にいるのに?」

「ずっと一緒にいるからよ」

 

 こんなんだから『ミアトルのおしどり夫婦』とか言われちゃうのよ。まるっきり夫婦漫才じゃない。あ~嫌だ嫌だ。でもこれが一番安心しちゃうのよね。実家にいるみたいってやつ?

 

「第一あんたも私も、あ~んな乙女チックな顔、似合わないでしょ」

「ぶっ、あはははははははっ。千早で想像したら笑っちゃった」

「呆れた。紀子のバ~カッ」

「ごめんごめん。でもさ…上手くいくといいね、あの二人」

「ええ、そうね。それには心の底から同意するわ」

 

 玉青さんも渚砂さんも、どっちもかけがえのない友人だもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか? 2話目が会話メインとなってしまいちょっと見づらいかもしれません。一応ボーイッシュ目な喋り方が紀子で、そうでない方が千早のつもりで書いてますので、見分ける目安にどうぞ。

 ちなみにこの後書きの少し上にある「ええ~。ずっと一緒にいるのに?」「ずっと一緒にいるからよ」という二人のやり取りは、短いセリフの中に今現時点における二人の全てをギュッと詰め込んだ()()()です。二人なりの関係が表現できてたらいいな~と思っております。


 もしよかったら次章もよろしくお願いします。それと5月の最初の方に頂いた誤字報告、ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。それでは~♪

 
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