アストラエアの丘で   作:クラトス@百合好き

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■あらすじ
 ついに開催された音楽祭。玉青が生徒会のメンバーとして裏方仕事をこなす中、静馬の姿は観客席の最前列に。凜として佇む静馬は一体何を考え微笑むのか? 煌びやかな舞台の先で玉青を待ち受ける運命とは!?

■目次

<音楽祭、開幕!>…涼水 玉青視点
<あそこにいるのは>…蒼井 渚砂視点
<魔物の棲み処にて>…涼水 玉青視点



第27章「まるでウェディングドレスみたい」

<音楽祭、開幕!>…涼水 玉青視点

 

 行事が開始される直前特有のなんとも言えない空気を孕んだホール内。近くに座る生徒たち同士のヒソヒソ声も、クラス単位でなら気にならないのだろうが、これだけの数の生徒が集まっているとなれば、お互いの声が響き合いザワザワとした波となってステージ上に押し寄せてくる。

 

 チラリと観客席の方に目をやると、座席の最前列では我らがエトワール様が、お外向けのお澄まし顔で悠然と佇んでいた。本当にこういう時の静馬様は隙がなく、ケチの付けようのない気品に満ちた笑顔は、私といる時とはえらい違いでちょっと憎たらしくなるほどだ。

 

(ずっとあのままでいらっしゃればいいのに)

 

 すっかりお馴染みとなった愚痴のようなものを思い浮かべつつため息をついた。まぁ、それはそれできっと静馬様が静馬様ではなくなってしまうんだろうけど…。

 

 観客席から視線を戻し、今回の実質的な仕切り役━━━つまり全校のリーダー役を任された六条会長の挨拶を待つために、私も舞台袖へと集合していた3校の生徒会メンバーの列に加わった。

 

 特に主導権争いもなく、あっさりとミアトルがリーダー役を任されたのには各校の思惑が働いたのか、はたまた音楽祭ではなくダンスパーティに主眼を置いただけなのか。詳しいことは分からないが、どちらにせよ決まってしまった以上はやり遂げる他ない。整列した生徒会メンバーを前にした六条様の険しい表情からも、複雑に絡んだ事情が透けて見えた。

 

「今回はダンスパーティーの話題が目立っているけど、本来はこっちがメインで、あちらはあくまでオマケよ。部や同好会所属の生徒たちのためにも各自最善を尽くして頂戴。それじゃあ行くわよ」

「「「はい」」」

 

 威勢の良い返事と共にそれぞれの担当場所へと散っていったメンバー同様、私も配置についてその時を待つ。会場内も開始の空気を察したのか、ざわめきは徐々に小さくなり、司会担当の生徒がマイクの前に立つと、打ち寄せていた波がサーッと引いていくように大きなホールは静寂に包まれた。

 

「ただいまより、3校合同の音楽祭を開始いたします」

 

 ゆっくりとしたテンポの、けれど確かな発声のアナウンスがホールの空気を震わせた。いよいよ音楽祭の開幕だ。私にとっては生徒会に入ってから初めての大きな行事になる。六条会長のためにもミスなくやり切るべく私は気合を入れた。

 

 司会進行。機材チェック。舞台への誘導その他諸々。3校の生徒会が担う役割は実に多岐に渡る。今も各校の音楽担当の教師が一言ずつ挨拶しているが、教師を照らすライトも生徒会の仕事だったりする。

 

 じゃあ私の担当は?というと…。観客側から見て舞台の右手の方。そちらの舞台袖で出演する生徒たちを順に並べたり、出番の近付いた部に控え室から出てくるよう連絡係に頼んだりと、地味ながらも重要な任務を仰せつかった。

 

 ここがぐちゃぐちゃになると、演奏終了時の入れ替わりに支障が出たりしてせっかくの登場シーンの見栄えが悪くなってしまう。どうせならカッコよく始めさせてあげたいという願いは、他の2校の生徒に対しても変わることはない。特に小さな同好会にとっては、この音楽祭が一年のなかで最も大きな晴れ舞台というケースも少なくないからこちらも力が入る。背中を押すような心持ちで演奏を見守るのは、親心にも似ているだろうか。

 

 そうこうしているうちに5組目の演奏が終わり続いて6組目。夜々さんたちの所属するスピカ聖歌隊のご登場だ。さすがに行事慣れしているだけあって、新入生らしき生徒であっても気負ってる様子は見えず、夜々さんに至っては既にベテランの風格さえ漂っていた。

 

 声には出さず視線だけで挨拶し誘導係へとバトンタッチ。規律の取れた一団はスムーズに配置へとついていった。

 

「ここは大丈夫そうね」

「六条様。はい、今のところは問題ありません」

 

 まだ序盤なので問題があったらそれはそれで非常にまずいのだが、こういう時は挨拶みたいなものだと思って素直に答えておくに限る。六条様はやはり相当忙しい御様子で、「なにかあったら教えて頂戴」と言い残し足早に去っていってしまった。

 

(私も頑張らないと)

 

 普段と違い、面識のあるミアトルの生徒同士だけでなく、他校の生徒会メンバーとも上手くやる必要がある今日は気が抜けない。特に私は生徒会に入ったばかりというのもあって他校の生徒会メンバーとは初対面のことが多く、事前の予行練習ではかなり負担をかけてしまったことをずっと後悔していた。

 

 なので今日はそのリベンジをすべく、進行表を頭に叩き込んできたというわけだ。一緒に配置されたスピカとルリムの上級生の足を引っ張らぬよう、いや、見返すくらいのつもりで頑張りを見せたいと思っている。

 

(それにしても…美しい声ですわ)

 

 頬に手を当て、思わずうっとりと聞き入ってしまう讃美歌の合唱。壇上からは聖歌隊の━━━天使とも称される少女たちの歌声が、お御堂でのミサさながらにホール中に響き渡っていた…。

 

 

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 

 

「玉青さん。ここはもういいから、控え室で着替えてきてもらえるかしら。静馬は既に準備を始めてるから」

(そういえば、静馬様いつの間に…)

 

 あと数組で終了というタイミング。本音を言えば任された仕事を最後までやり遂げたかったが六条様の指示とあっては仕方がない。他の生徒に会釈してその場を後にしようとすると、事情を知る生徒たちから口々に「頑張ってね」と応援のコールが掛けられた。

 

 舞台から遠ざかると共に徐々に小さくなっていく演奏に、どこか寂しさのようなものを感じたのは、きっと私が今日の仕事に楽しさを見出していたからだろう。同時に、今までの音楽祭で最も演奏を集中して聞いていたような気がするんだから、普段いかに受け身の姿勢だったかが分かるというものだ。

 

 それで抱いた感想が『寂しい』というのはなんだか変な感じもするけれど…。

 

 通路は出番を終えた部や同好会の生徒たちで混雑しており、中には床に座り込む人までいたが、みな一様にやり遂げた顔をしているのを見て、やはり生徒会に入ったのは間違いではなかったと確信出来た。今もし鏡を見て、私も彼女たちと同様に『良い顔』をしていたら、それはとても素敵なことだと思う。

 

<エトワール 花園静馬様 ミアトル生徒会 涼水玉青様>

 

「これは…」

 

 用意された控え室の扉の横には、大きな字で私と静馬様の名が書かれた紙が貼りつけられていた。静馬様はともかく、私にまでご丁寧に『様』付けなんてされちゃってる。

 

(なんだか芸能人になったみたいですわ…)

 

 普段見慣れない光景に思わず脳内の興奮度メーターの針がグググッと動いていく。

 

「コホン、失礼します」

 

 本物の芸能人が楽屋に入る時にどんな感じなのかは知らないが、なんとなく咳払いしてみたり…。でも芸能人気分に浸って浮かれるにはまだまだ早すぎた事を、私はドアを開けて思い知るのだった。

 

「どうぞ」

「あ………」

 

 口から漏れたのが驚きだったのか感嘆だったのか、自分でもよく分からないままに自然と声が出ていた。ただ確かなことは、魂を抜かれたかのように入り口で棒立ちになった私の目に飛び込んできたのが、美しいドレスを身に纏った静馬様の姿であることだけ。

 

「早かったわね。深雪が気を利かせたのかしら」

 

 綺麗。ただその一言しか思い浮かばなかった。

 

 ミアトルの制服に似た黒を基調とした色遣いのドレスに、代名詞とも言える銀髪が良く映える。邪魔にならないようにアップにした髪の上にはティアラを模した光り輝く髪飾りが。良くも悪くも普通の控え室にはとても似つかわしくない、映画の世界から抜け出してきたかのような貴婦人がそこにいた。

 

 衣装合わせの時には「裁縫部の人たち気合入れ過ぎなのでは?」と思ったが、こうして見ているとそれで正解だったことがよく分かる。この人には安っぽいコスプレのようなドレスは相応しくない。むしろこれほどの力作であってもまだ足りないとさえ感じてしまうほどだ。

 

「見惚れてくれるのは嬉しいけど、あなたも準備しなさい。多少の余裕があるとはいえ、ぐずぐずしてたらあっという間に本番よ」

 

 姿が違うと声まで違って聞こえるのか、思わず「はいっ!」と答えたくなってしまう凛々しい声は、まるで本物の女王様のような威厳に満ちていた。これもいくつも持っている外面のうちの一つなんだろうか? それともこれが本当の静馬様? どちらであってもおかしくはない。そう思わせるだけの気品をこの人は備えているのだから。

 

(エトワールの中のエトワール。噂に偽りなし…ですわ。これからこの人と踊るだなんて…)

 

 胸の内に到来した、私はこの人と釣り合うのだろうか、という不安が小さく顔を覗かせた。渚砂ちゃんのことで必死だったとはいえ、よくこんな人と張り合おうと思ったものだ。裁縫部のお二人、部長さんと副部長さんにドレスを着せられながら、私は改めて静馬様の凄さを認識した。

 

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 

「いい? 堂々としてなさい。少しくらいのミスなら私がなんとかしてあげるから」

 

 私の緊張を見抜いたのか、柄にもなく掛けられた優しい言葉。普段なら威勢よく反発していたかもしれないが今日は別。パートナーからの助言をありがたく頂戴し、「お願いします」と神妙に返事をした。

 

「観客はみなお待ちかねよ。いってらっしゃい、二人とも」

 

 舞台袖で六条会長や他のメンバーに見守られながら、差し出された手を取る。さっきとは打って変わって明るく華やかな照明に照らされた舞台はとても眩しく見えた。

 

「それじゃあ行きましょうか」

「はい、静馬様」

 

 舞台袖から出た途端、3校の生徒たちの視線が私たちをぐるりと取り囲み、暴風雨のように渦巻いたそれは、熱気に満ちて、荒々しさを伴いながら私へと纏わり付いた。ドレスに合わせて履き替えた靴がステージの床に擦れて甲高い音を立てる。

 

 舞台の中央まではたいした距離じゃない。たいした距離じゃないはずなのに、なかなか辿り着かない。頭のてっぺんからつま先まで、一挙手一投足に注目されて、私の呼吸はみるみるうちに浅くなっていった。

 

 酸素が薄い。もっと息を吸わないと。なんでここはこんなにも、身体が重く感じるんだろう?

 

 リハーサルは何度もこなした。けれどやはり本番とは比べものにならない。これだけの視線を身に浴びるのは初めての経験だった。

 

(どうしよう。私、踊れないかもしれない)

 

 考えてはいけないことを考えてしまい、足取りが乱れた。「あっ」と思った瞬間には鉛のように重たい足が半歩ずれ、グラリと身体が傾きかける。スローモーションで動く周りの景色とは対照的に、早送りされた脳内の映像では私が転ぶイメージがリアルに再生されていた。

 

 このままだと転んじゃう…。

 

 そう意識して目を瞑りかけた次の瞬間━━━。

 

「私にビンタした度胸はどこへ行ったの? それに比べればなんてことないでしょう?」

 

 叱咤の声と共に握った手が軽く引かれ、私はギリギリのところでバランスを取り戻した。こんなことを思うのは失礼ではあるが、今日の静馬様はどこまでも()()()()()()として振舞うらしい。心の平静を取り戻すと、軽く周囲を見渡す余裕が生まれた私は、ぐるりと観客席の方を一望した。

 

 いかにも音楽祭といった感じの整然とした配置だった大ホールがすっかりダンスの会場へと様変わりしている。静馬様に向かって熱心に発せられる黄色い歓声は、もしかして静馬様とお付き合いしていた人たちによるものだろうか? おそらくこの後の自由時間は彼女たちにとって大切な想い出になるに違いない。列をなす女生徒の姿が容易に想像出来てしまうあたりさすがエトワール様と言うべきか…。

 

(えっと、渚砂ちゃんは…)

 

 トレードマークが目立つから見つけられるかもと思ったけど、さすがにこの数の生徒がいては、一瞬見渡しただけでは無理があった。

 

(仕方ありませんね。でもこれが終わればその後は渚砂ちゃんと…ふふふ。楽しみですわ)

 

 さて、そろそろ集中しないと! 舞台中央がスポットライトの光にパッと照らされ、私と静馬様を包み込む。大丈夫。あれからいっぱい練習した。だから大丈夫、大丈夫、大丈夫。それになんといっても、今日の静馬様は頼りになるのだから…。

 

 自分にそう言い聞かせ、基本姿勢で曲が流れるのを待つ。

 

~~~♪♪♪~~~

 

 流れ始めたワルツに合わせ、舞踏会の最初の一歩を私は力強く踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

<あそこにいるのは>…蒼井 渚砂視点

 

 

「うわぁ~! 玉青ちゃんすっご~~~い」

 

 踊り出したその瞬間から、二人は観客のハートを鷲掴みにしてしまった。素早いステップに華麗なターン。静馬様の黒いドレスと、それとは対照的な玉青ちゃんの純白のドレスが、くるくると回る度に白と黒のコントラストを生み出しながら舞台の上に螺旋を描いていく。

 

 登場した時は少し自信なさげに見えたけど…、うん、玉青ちゃん、静馬様に全然負けてない。

 

「玉青さん素敵ね」

「まさかこれほどとはね~」

 

 隣にいた千早さんと紀子さんの声に思わず耳がピクリと動く。よくよく聞いていると、感嘆の声を漏らしたのは二人だけじゃなくて、あちらこちらから聞こえていた。もちろん静馬様に対するものの方が多いけど、注意深く耳を澄ませていると、結構玉青ちゃんへの声もある。

 

(えへへ。玉青ちゃん人気者だぁ~)

 

 玉青ちゃんのことを褒められたのが自分のことのように嬉しくて、ついつい持ち上がった唇の端が笑みを作り出す。

 

 みんなに知って欲しい。玉青ちゃんは凄いんだって。エトワール様にだって負けない素敵な女の子なんだって。それと………私の恋人なんだよって、本当はそうやって自慢したい。隣室の二人だけじゃなくて、この丘のすべての人に。

 

(言っちゃいけない…のかな。やましいことなんか、何もないのに)

 

 私が勇気を出していれば、玉青ちゃんを不安にさせることもなかったと思う。

 

 ステージから僅かに逸らしていた視線を戻すと、二人は見せ場らしき大胆なステップを刻んでいた。その二人に向かって、ワァーとか、キャーといった歓声が次々と飛んでいく。負けじと私も、と思ったのだけれど、あまりにも自分のレベルからはかけ離れた踊りに玉青ちゃんが失敗しないかとハラハラしてしまって、いつの間にか祈るように両手を握っていた。

 

 アストラエアの女神様。どうか失敗しませんように。どうか玉青ちゃんが最後まで踊り切れますように。

 

「好きだよ…玉青ちゃん。だから、がんばれ」

 

 歓声に掻き消されることを期待して、一方で少しだけ掻き消されない可能性に胸をときめかせて、口から零れた小さな呟きは、たしかに声に出ていた。

 

 

 

 

 

 

<魔物の棲み処にて>…涼水 玉青視点

 

 音楽が鳴り終わると共に、ホールに木霊する拍手と歓声。私はそれを精一杯に身体を反らせた決めポーズのまま、静馬様の腕の中で聞いていた。汗の滲んだ顔に掛かるのは照明を背負った静馬様の影。視界は美しき女王様によって支配され、互いの息を感じるほどに間近に迫った顔は、今にも唇が触れそうな距離だった。

 

 息をする度に胸が弾む。それはダンスを終えたばかりというだけじゃなく、冷めやらぬ興奮の余韻に身体が痺れていたのもあるだろう。

 

 そしてそれは静馬様も…。未だに降り注ぐ拍手と歓声の中、私を抱き締めたままでいるのがその証拠だ。随分と長いことそうしていたから観客は演出か何かだと思ったかもしれない。

 

 至近距離で見つめ合うことに抵抗はなかった。むしろもう少しこのままで、とさえ思ってしまうのはダンスの高揚感が生み出した幻なのだろうか。

 

「よく頑張ったわね」

「はいっ」

 

 観客の方へと向き直り、お辞儀をしてもなお、胸の高鳴りは収まる様子がない。間違いなく私にとって今まで一番の晴れ舞台。きっとアドレナリンがドバドバ出ているんだろう。もちろん試したりはしないが、今なら転んだって痛みを感じないかもしれない。

 

 感覚も鋭敏になっていたのか、さっきは見つけられなかった渚砂ちゃんの姿を遠くに見つけ、そちらへ向かって手を振った。渚砂ちゃん気付くかな? 気付いてくれると嬉しいんだけど…。

 

 諦めずに何度か振っていると、赤いポニーテールがぴょこぴょこと跳ねるのが見えたのと同時に、渚砂ちゃん以外の人が私の方へと手を振っていることに気付いた。

 

 これって私に振ってるんだろうか? もし違ったら盛大に勘違いしてることになって、えらく恥ずかしい人になってしまう。

 

(どうしたらいいんでしょう…)

 

 迷って手を止める私の隣で、お手本を見せるかのように大きく手を振る静馬様がぼそりと呟いた。

 

「彼女たちはあなたに振っているのよ。振り返してあげなさい」

 

 本当にそうなのかちょっと不安になる。静馬様に向かって手を振ったのに何よあの子、とな~んて思われたら結構怖い。それでも勇気を出して躊躇いがちに手を振ると、その生徒たちは「キャー」っと黄色い歓声を上げた。どうやら静馬様の言ってることは本当だったらしい。芸能人を飛び越してスターにでもなった気分だ。

 

「ね? 言った通りでしょう」

「は、はい」

「こういう時は、エトワールも悪くないなって思うのよ」

 

 手慣れた様子で声援に応えながらポツリと漏れた言葉が私の胸に響く。

 

(静馬様はこんな光景を見ていたんだ。これがエトワールの見る景色…)

「あなたならなれるかもしれないわね。エトワールに」

「えっ!?」

「それだけの素養はあると思うわ。さっ、そろそろ戻りましょう。深雪が舞台袖で待ってるから」

 

 聞き返そうと思ったのに、静馬様がそそくさと引っ込んでいってしまったせいでその真意を聞くことは出来なかった。

 

「二人ともお疲れ様。とても素敵な舞台だったわ」

「そうね、良い出来だったわ」

「ありがとうございます」

「予定通り二人はミアトルの生徒会室の方で着替えて頂戴。制服とか諸々はもう運んであるから。本当はこっちで着替えさせてあげたかったのだけど、ごめんなさいね」

 

 私たちが着替えた部屋は、ダンス会場にするために色々と運び出したものを仕舞うための倉庫になってしまっていてもう使えなかった。もし来年も開催するなら、そこは改善が必要な部分かもしれない。

 

(急がないと渚砂ちゃんと踊る時間がなくなっちゃう)

 

 逸る気持ちに急かされて、大ホールから少し早足でミアトルへ向かう。歩き慣れた道もドレス姿で歩くと、ちょっぴりシュールで新鮮味があった。それでも場所によってはドレスでいても変ではないというか、映画の撮影のようにも見えるのは、よく手入れされたこの丘ならではと言える。

 

 並木道をバックに笑顔のワンショット。静馬様ならそれだけで雑誌の1ページに載ってしまいそうだ。

 

「そのドレス。似合ってたわよ」

「そ、そうですか? ありがとうございます。実は自分でもちょっと綺麗かな………って。あっ、いえ、いつもに比べて、という意味で決してナルシスト的なわけじゃなくて」

 

 自分でもよく分からない言い訳をしてしまい、むしろ恥ずかしさが際立ってほんのりと頬が赤く染まる。

 

「謙遜しなくていいわ。綺麗よ、()()()()()()()()。真っ白で、まるでウェディングドレスみたい

 

 本当に今日はどうしたというんだろう。投げ掛けられた言葉がスゥーッと染み込んできて、ますます頬を紅潮させた私は、その場の空気に耐え切れず顔を逸らしてやり過ごした。

 

 

 

 

 私たちがミアトルの生徒会室に着くと、六条様の言った通りハンガーに掛けられた制服などが用意されていた。けど━━━。

 

「裁縫部のお二人は手伝ってくださらないのですね」

 

 部屋には誰もおらずガランとしていた。それは生徒会室だけに留まらず、みんなが大ホールにいるのもあってミアトル全体がシンと静まり返っている。明かりはついていたけど、ちょっぴり不気味。誰もいない学校って、お化け屋敷とか肝試しみたいな雰囲気に似てる気がする。これで突然首筋に息でも吹きかけられたら飛び上がってしまいそうだ。

 

 正直言うとホラーなどが得意でない私としては、会話するか何かして気を紛らわせたかったが、先程の気恥ずかしいやり取りもあって、少し尻込みしてしまう。

 

 どうしようかと思ったその時、急に突風でも吹いたのか窓がガタガタと揺れたのにビックリして、私は思わず静馬様の傍に近寄った。

 

(なんだか本当に不気味ですわ)

 

 背筋に冷たいものが流れるのが分かる。窓はもうピタリと停止していたが、冗談でもなんでもなく生徒会室は嫌な気配を漂わせていた。

 

「なんだか静か過ぎて怖いですね」

「そうね。今この校舎には私とあなたの二人だけ。もし仮に何かが起きて助けを呼んだとしても、誰にも聞こえないでしょうね」

「お、脅かさないでください。私、あまりそういうのが得意じゃな━━━━━━あの、静馬…様?」

 

 冗談交じりに笑う私を置き去りにして、なぜか生徒会室の扉の前に移動した静馬様は、ドレスの裾を翻しながらこちらを振り返った。

 

「さっきも言ったけれど、そのドレスよく似合っていて素敵よ」

「ありがとう…ござい…ます」

 

 その不可解な行動に、頭の中で疑問符を浮かべながらした返事には戸惑いが混じる。

 

「花嫁衣装。まさに今日という日にうってつけの最高の装いね」

「えっと…」

 

 さらに困惑する私の見てる前で、扉のツマミへと伸びた手が、カチャリと鍵を掛けた。

 

「あの…どうして扉のカギを?」

「さぁ、どうしてかしらね? あなたは何故だと思う?」

 

 表面上はさきほどまでと変わらないエトワールに相応しい慈愛に満ちた笑み。けれど、底知れぬ恐怖を抱いた私はよろけるように後ろへと下がっていた。

 

「き、着替えを…覗かれないように…とか」

 

 じり…じり…と一歩ずつ下がると、静馬様もそれに合わせて静かに前へと踏み出した。一定の距離を保ったまま小刻みに動く様子は、皮肉にも踊ったばかりのワルツのステップを彷彿とさせた。

 

「不正解よ。残念だったわね玉青さん。正解は━━━」

「あ、ああ。ああぁああああ」

 

 静馬様が言葉を言い終えるより前に、私は背を向けて駆け出していた。理由なんてない。とにかく逃げなけばまずいと思っただけだ。静馬様の瞳に映った自分の姿を見て、これから起きるであろう出来事を悟ってしまっていた。

 

(逃げなきゃ…でもどこへ?)

 

 廊下へと続く唯一の出入り口は静馬様によって封鎖されている。かと言ってこの生徒会室の中でグルグルと逃げられるほどの体力と脚力は、私には備わっていない。

 

 逃げ道があるとすればそれは…。

 

(準備室! あそこに立て籠れば)

 

 中に入って鍵さえ掛けてしまえばどうとでもなる。連絡はとれなくとも、いずれ異変に気付いた誰かがここの様子を見に来るだろうから、それまでジッと我慢すればいい。

 

 けどそんな考えを静馬様が読めないはずもなく、床を蹴り疾駆した猛獣は、のそのそと走る獲物━━━私の背後から飛び掛かると、あっという間に床に引きずり倒した。倒れ込んだ衝撃に「うっ」と呻き声をあげたのも束の間、背中に感じた他人の重みに恐る恐る振り返ると、目をギラつかせた静馬様が私にのし掛かっていた。

 

「離れてぇ! 離れてくださいッ!!」

 

 頭で考えるよりも先に身体をバタつかせ暴れてみたものの、体勢による圧倒的不利は覆らない。ならばと、準備室に向かって必死に手を使って身体を這わせようにも、悲しいことに非力な私の力ではうんともすんともいかなかった。

 

「ひっ!?」

 

 残り少ない体力を浪費する私を嘲笑うように、静馬様の手が私の身体に触れると、手が込んでいるが故に、薄く、肌触りの良いドレスの生地は、感触をそのままに生々しく伝えてきて、私は小さく悲鳴を上げた。

 

 装飾の付いた腰の部分、大きく開いたデザインの背中、そしてお尻はひらひらとした生地の上から。ただ撫で回すだけでなく明確な意図を持って動き回る手があちこちへ乱舞する。その度にぞわぞわとした悪寒が身体に走り、嫌で嫌で堪らなくて、なんとか振り払おうとした手は後ろの静馬様に当たることなく虚しく空を切った。

 

「助けてっ! 誰か…誰かっ!!」

 

 準備室に向かって伸ばした手が届くことはなく、それでも足掻こうとする意志によって爪が床を引っ掻いた。カリカリと音を立てて爪は床に傷跡を残し、不規則な模様が現れる。

 

「言ったでしょ、二人きりだって。ホールにまで声が届くなら話は別だけど、ふふふ、頑張ってみる? いいわよ。あなたの声、嫌いじゃないもの」

 

 希望を打ち砕くようなセリフに少なからず気力が削がれ、身体の力が一瞬緩む。「いけない」と思った次の瞬間、フワリと身体の浮くような感覚がして私は仰向けに転がされていた。

 

 下から見上げる私と、馬乗りになって見下ろす静馬様の視線が交錯し、その凄みを帯びた眼差しが私の心臓を鷲掴みにする。

 

 もし本物の猛獣━━━たとえばライオンか何かなら、今頃私の身体には我慢しきれずに垂れた涎がべっとりと掛かっていただろう。けれど美しき獣は、優雅に、味を確かめるように首筋に唇を宛てがうと、愛撫とも言うべき口付けを浴びせ、艶やかに微笑んだ。

 

「泣きそうな顔も素敵ね。光源氏はこんな気分だったのかしら。大切に育てあげた娘を味わうカタルシス。たまらないわ」

「なんでこんなことをッ!? 今日のあなたはとても尊敬出来て、私…」

 

 信じていたのに

 

 優しい言葉も、エトワールとしての振る舞いも、全て嘘だったんだろうか? ダンスが終わって見つめ合った時、何かが通じたと思ったのに…。

 

「た、助け…、渚砂ちゃ━━━」

「あなたはもう私のものよ」

 

 腕をキリキリと押さえつけられる痛み。身体を捩ってもがく苦しさ。

それらを押し除けるようにして唇に刻まれた柔らかな感触に、涙が頬をツゥーッと伝っていくのが分かった。

 

 無理矢理のキス。こんなことって…。

 

 涙でぼんやりとした視界に静馬様を映しながら、堪えていたものがとめどなく溢れていく。

 

「そんなに嫌だった?」

「………」

 

 無言で顔を逸らすのがせめてもの抵抗のつもりだった。

 

「それとも、渚砂よりも良くて感動した?」

「ッ!? ふざけないで。渚砂ちゃんとのキスは、あなたのなんかよりずっとずっと素敵でした。誰がこんなキスで━━━」

 

 分かりきった挑発は私に口を開かせるための罠だと気付いていたが、言い返さずにはいられなかった。その結果、さらなるキスで言葉を遮られようとも…。

 

 しっとりと濡れた唇が触れ合い、一見すると優しげな、だけど侵略にも似たキスが私を蹂躙していく。易々と門を潜り抜けた舌が、稚拙な動きしか出来ない私の舌を絡めとると、強引にねじ伏せ互いを擦り合わせた。

 

「ん…、はっ、ん、ちゅ。も、嫌っ、んふ…、はっ」

 

 部屋に響く舌と舌が奏でるジュルジュルと粘着質な水音。1分? 2分? 一体どれだけ続くんだろうと思うほど長い口付けに溺れそうになる。それは比喩でもなんでもなく、口内に溢れかえった二人分の唾液の洪水によって私はたしかに溺れかけていた。

 

 そしてそれらを決して外へ零させまいとする静馬様によって私に許された選択肢は━━━。

 

「んふっ、ん…、んっ、んっ。はっ、はっ、はぁ…はぁ。んくっ、んくっ、んくっ。ぷはっ…はぁ…はぁ…はぁ」

「ふふふ。強情な子ね。最初から飲んでいたら苦しい思いをせずに済んだのに」

 

 混ざり合った唾液を飲み干した私を見て、満足気な笑みを浮かべた静馬様の口元が、何かでキラキラと光っている。その正体である細長い透明の糸の先は、私の唇へと繋がっていて、キスを終えた私たち二人を未だに繋いでいた。

 

「もう離してください。気は済んだはずです」

「あら、そうかしら? そうでないことは、あなたが一番良く分かっていると思うけど」

 

 静馬様はそう言うなり再び私にキスを浴びせると、胸に手を伸ばし私の二つの膨らみを揉みしだいた。ドレスの上からでもお構いなしにグニグニと弄ばれ、私の胸は下着の中で窮屈そうに形を変える。

 

 女同士の行為を知り尽くした手によって、フワフワとした快楽が電流のように身体を駆け抜けていった。

 

(んっ、でも…拘束が緩んだ。夢中になってる今なら…)

 

 力が抜けそうになるのを必死で耐えながら、密かに逆転の機会を窺っていた私は、ここぞとばかりに力を込めると静馬様を思い切り突き飛ばした。

 

「ぐっ!?」

 

 ドンッという音と共に、勢いよく跳ね飛ばされた静馬様の身体は()()()()()()()()()()()。準備室か廊下。2択の中から私は迷わず廊下の方を選ぶと、痛みに顔を歪める静馬様を尻目にドアに駆け寄った。

 

「可哀想に。そっちは破滅の道よ」

 

 私に遅れてようやく身体を起こした静馬様が呟いた。

 

 負け惜しみだ。破滅の道? それは()()()()()()()だろう。だって私が逃げ出してしまえば、断罪されるのは静馬様なのだから。

 

 内側からはツマミを捻るだけでカギは開く。さっきは静馬様が守っていたから反対に逃げたけれど、ガードする者のいなくなったこの扉はなんの障壁にもなりはしない。

 

 逃れる。逃れるんだ。カチリと音を立てて回ったカギに安堵が浮かぶ。外に出たら一目散にホールまで走って六条様に助けを請おう。それでチェックメイト。私の勝ちだ。

 

 ドアノブに手を掛けた瞬間の私は、たしかにそんな希望に満ちていた。

 

「えっ!?」

 

 予想外の感触に戸惑いの声が上がる。グイッと力を込めたはずなのに、ドアノブは動かなかった。

 

「そんな、どうして?」

 

 カギは間違いなく開いてるのに…。

 

「だから言ったでしょ。破滅の道だって」

 

 すっかり立ち上がってドレスの裾に付いた埃を払いながら静馬様が余裕の表情で笑っていた。

 

 ウソだ。何かの間違いに決まってる。きっと…きっと力が足りてなかったんだ。ゆっくりと近付いてくる静馬様に焦りつつ、グイグイと力を込める。

 

「なんで…、嫌っ、嫌ぁ」

「無駄よ。魔法が掛けてあるの。とっておきの魔法がね」

 

 後ろを振り返れば、静馬様はすぐそこまで来ている。その事実に半狂乱し、力任せに押し込んだドアノブは、ギィッと耳障りな音を立てながらも、僅かに下へと動いた。

 

 違う! 魔法なんかじゃない。

 

 ようやくそのことに気付いた私はドアを叩きながら声を張り上げた。

 

「誰かそこにいるんですね!? お願いします。開けて下さい。静馬様に襲われているんです。お願い。ここを開けて!!」

 

 ドンドンと扉を叩いていると、うっすらとだけど扉の向こうに人の気配を感じた。やっぱり誰かいる。誰かがドアノブを押さえているんだ。

 

「助けてッ! 助けて下さい!!」

 

 その人が開けてくれることに一縷の望みを託し、私は助けを求め続けた。しかし━━━。

 

 どれだけ叩こうが声を掛けようが、ドアの向こうからは一向に何の反応もなかった。疲れてドアを叩く手が止まると、ミアトルの校舎はたちまち静けさを取り戻し、ただひたすらに動きの鈍いドアノブが不気味に佇んでいるばかりとなる。

 

 そのあまりの不気味さは、本当に魔法か何かの不思議な力によってドアが守られているんじゃないかと思ってしまうほどで、私はゾッとしてドアノブから手を離し、得体の知れない物を見るような目でドアを見つめていた。

 

「ほら? 言った通りでしょ」

 

 背中からスルリと伸びてきた手が肩に触れ、ついで、細く長い指が顎のラインをツツーッと滑っていく。最後には身体に巻き付いた腕が私を捕らえると、静馬様は上機嫌で囁いた。

 

「この扉は私の思い通りに動くの。私が開けと言えば開くし、開けるなと言えばどれだけ頑張っても開かないわ。面白い魔法でしょう」

 

 扉の向こうに誰かがいるだけの、既にトリックの明かされた手品を、この人はなおも魔法と呼んだ。

 

「何が…魔法なものですか。最初から誰かいたんですね? 私を陥れるために」

「あら? 玉青さんには不評だったみたいね。せっかくあなたのために用意したのに」

 

 二人きりだと思っていた校舎は、実はそうではなかったというだけの話だ。

 

「きっと扉の向こうにいる子も、悲しんでると思うわ。ねぇ、渚砂

 

 扉の向こうへと行われた呼び掛けに思考が停止する。なぎ…さ? 渚砂ちゃん? どうしてその名が?

 

「その手には乗りません。渚砂ちゃんがいるはずない。だって渚砂ちゃんは━━━」

「━━━ホールで私の帰りを待ってます、とあなたは言いたいのかしら?」

「………。そうです。約束したんです。だからっ!」

 

 言い終わらないうちにクスクスと嘲笑する笑い声に遮られ、私は激高して尋ね返した。

 

「何が可笑しいんですかっ!?」

「他にも何か渚砂から言われたんじゃない? そう、たとえば…サプライズとか」

 

 ドキリと心臓が跳ねる。なおも途切れない歌うような笑い声に交じって聞こえてきた一言。それは私にとって、とても意味のある一言だった。

 

「何を…仰ってるのか…分かりません」

 

 声が震える。動揺を隠そうとしたものの、それはたしかに声に乗せられ静馬様へと伝わってしまった。

 

「図星だったみたいね。だったら私がどうこう言う必要はないわ」

 

  あの日、渚砂ちゃんは私に何と言っただろう? 静馬様に抱き締められながら、心だけがあの日へと立ち返る。

 

<とっておきのサプライズがあるから楽しみにしててね!>

 

 千早さんと紀子さんのところから帰宅した渚砂ちゃんは、たしかにそう言った。

 

 サプライズ。サプライズ。私はあの時、特に深読みするでもなく、ぼんやりと楽しそうな()()を思い浮かべ呑気に笑っていた。

 

 まさかこれが…? これが渚砂ちゃんの言っていたサプライズ? そんなはずない。そんなはずあるわけ…。

 

 頭をよぎった考えは瞬く間に私の脳内を侵食し、悪い方へ悪い方へと思考を促していった。

 

(でも…、だって。そうでないと、静馬様と渚砂ちゃんがグルじゃないと、説明が…)

 

 心も身体も疲れ果て、ギリギリの状態。そんな中で生まれた疑念は抑えようがなく、心の隙間に忍び寄った悪魔が、私の口を借りて声を発した。

 

「渚砂ちゃん…なんですか?」

 

 コンッとノックして尋ねる。返事はない。

 

「そこにいるの渚砂ちゃんなんですかっ!? もしそうなら返事してください」

 

 コンコンッと乾いた音に残念ながら返ってくるものはなかった。

 

「玉青さんが可哀想よ。少しくらい返事してあげなさい」

 

 その言葉に即座に返ってきた向こうからのノック音に、私は血の気が引いていくのを感じた。

 

「渚砂ちゃん…どうして? どうして静馬様の言うことを聞くんですか? なんでここを開けてくれないんですか? 渚砂ちゃん! 渚砂ちゃんッ!! お願いだから返事をしてッ!!」

 

 焦燥感に駆られ、ノックではなくドンドンッと扉を殴打し様子を窺う。けれど返事はない。

 

「サプライズってこの事だったんですか? ねぇ渚砂ちゃん!?」

 

 続けての問い。少し間を置くようにして、ドンッと反応があった。それは…肯定とも取れる、初めての私に対する返事で…。

 

「あ…、そんな。渚砂ちゃん…。うそ…ですよね? 渚砂ちゃんが静馬様を選ぶわけ」

 

 即座に響くドンッという殴打音。

 

「いや、渚砂ちゃん。渚砂ちゃんが…」

 

 扉から後ずさり、静馬様の身体にぶつかってもなお私は呆然と扉を見つめ、ワナワナと身体を震わせていた。

 

「もうこれで分かったでしょう。諦めなさい。でないと、あなたが傷付くだけよ」

 

 静馬様の言葉が心の中に張り込んできてしまう。跳ね除けないといけないのに。力ずくでも扉をこじ開けて渚砂ちゃんの真意を確かめないといけないのに。力なく垂れ下がった私の両手は、鉛でも付いてるみたいに重くて、持ち上がらなかった。

 

「さっ、こっちへいらっしゃい。慰めてあげる」

 

 腕を掴まれ、ズルズルと引きずられていく私の視界には、遠ざかっていく扉が遥か彼方にあるように見えた。

 

「きゃあっ!?」

 

 部屋の中央まで連れ戻された私は、そこで静馬様に押し倒された。いとも簡単にベシャリと床に這いつくばる格好となった私の目の前に立つのはもちろん━━━。

 

「あ、ああ、あああああああ」

 

 言葉とも悲鳴ともつかぬ声を発しつつ、防衛本能が身体を後ろへと運んでいく。ドタドタとみっともなく手で床を踏みしめ、敵を近付けぬようにと足をバタつかせた。それでもお構いなしに近付いてくる静馬様は、あまりにも巨大で怖ろしく見えて…。

 

「た、たすけ…。助けて。助けて…渚砂ちゃん。私このままじゃ、静馬様に」

 

 ピトッと触れられた頬から、サァッと血の気が引き、冷や汗が吹き出す。

 

 命は奪われないだろう。だけど、()()()()()を奪われる未来がすぐそこまで来ていた。

 

 照明を背にした静馬様の影が私の影を覆い尽くし飲み込むと、視界は静馬様で埋め尽くされた。私はほんの僅かに残った隙間から手を伸ばし、力の限り叫んだ。

 

「助けてぇ! 助けて下さい渚砂ちゃん! お願いです。お願いですから…助けて。渚砂ちゃんッ! 渚砂ちゃん渚砂ちゃん渚砂ちゃんッ!!」

 

 信じていた。渚砂ちゃんなら私を助けてくれると。ドアを開けて駆け寄り、悪魔から救い出してくれると。けれど10秒、20秒経っても返事はなく、扉は頑なに閉ざされたままだった。

 

「そんな………渚砂ちゃん」

 

 渚砂ちゃんは私を助けてはくれない。その絶望は私の心の支えをぽっきりとへし折るには充分な、いや充分過ぎるもので、身体中から力が抜け、糸の切れた人形のように床に横たわった身体には、もう抵抗する気力は残されていなかった。

 

 愚鈍な獲物から、餌へとなり下がった私に突き立てられた美獣の牙。頑丈で鋭いそれは、皮膚を食い破り、肉を味わうためのものだ。皮膚とは衣服。そして肉は私の身体。

 

 引き裂くような勢いでドレスがずり下ろされ、そこから零れ落ちた双丘があられもなく外気に晒されると、静馬様は遠慮なく二つの膨らみにむしゃぶりついた。器用に動く舌と手が這いずり回る度に、私の口からは吐息が漏れて、柔らかさをアピールするように揺れる胸と合わさってさらなる劣情を煽り、美獣を悦ばせる。

 

 私の口は壊れたスピーカーのように、相変わらず渚砂ちゃんを呼ぶ声を再生し続けていたが、それも唇を貪られるうちにくぐもって徐々に聞こえなくなっていった。

 

 的確で執拗な愛撫の前では、本来なら恐怖と緊張で強張っているはずの肉体も、雪解けを待ちわびる氷のように溶けてしまうのだと私は知った。

 

 身体のあちこちに浮かんだ赤い痣。静馬様の唇の形をしたそれらが物語るのは淫らな行為の過程。そしていよいよ最後のとどめを刺すべく、魔の手は()()へと狙いを定めた。

 

「嫌、()()()()()許して。そこは渚砂ちゃんの。渚砂ちゃんに━━━」

 

 捧げるためにとってあるのに!

 

 脱げ掛かったドレスは防壁としてはあまりに頼りなく、ずれた隙間は相手を誘うように開いてしまっていて…。後に残るのはショーツだけ。ドレスに合わせて選んだ清楚な白のそれだけが、静馬様の侵入を阻む最後の砦だった。

 

「嫌っ! 嫌ぁ!! 初めては渚砂ちゃんがいいんです。渚砂ちゃん以外の人なんて嫌ぁ」

 

 キスは初めて同士じゃ出来なかったから、せめて()()()()()はと願っていた。静馬様の言葉で渚砂ちゃんが既にそういった経験があるかもしれないと分かった後は、どれだけ時間が掛かってもいいから、お互いがきちんと同意したうえで、仲睦まじく経験したいと心に決めていた。

 

 それなのに━━━。

 

「痛っ!? う、うそ…? これって。あ、あ…あ…あ…。嫌ぁあああああああああああああああああああ!?」

 

 皆がダンスに興じる大ホール。笑い声が響く夢のような場所から遠く離れたミアトルで、私の絶叫が校舎に木霊した…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 百合乱暴の文字に釣られてこの章から見始めちゃった人は初めまして。そうでない方はいつも読んで下さりありがとうございます。一応いくつかの章でしっかりと前振りをしたつもりなのですが………。

 唐突に思った方や、このような展開に戸惑う方がいらっしゃったら申し訳ありません。私の力不足です。前々からの予定の通りと言いますか、絶対に書くぞ、と決めていたシーンの一つですのでどうかご容赦ください。

 次章も読んでいただけたら嬉しいです。それでは。

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