アストラエアの丘で   作:クラトス@百合好き

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■あらすじ
 崩壊しかけたものを、もう一度丁寧に積み上げていく。夜々と光莉が選んだのはそんな困難な道。友人である桃実と籠女の年の差カップルとのお茶会で、二人は小さな一歩を踏み出した。
 そして渚砂と玉青はようやく、扉越しではない、本当の再会を果たすことに…。

■目次

<積み木をもう一度>…南都 夜々視点
<たくさん我慢したから>…蒼井 渚砂視点
<ただいまとおかえり(再)>…涼水 玉青視点
<小さなリベンジ>…蒼井 渚砂視点
<密かな憧れの的>…水島 紀子視点


第31章「おかえりなさい…玉青ちゃん」

<積み木をもう一度>…南都 夜々視点

 

「あなたたちどうかしたの?」

「えっと………」

「誤魔化そうとしたって無駄よ。さすがに分かるわよ。私だって籠女と付き合ってるんだし」

 

 ここはスピカ校舎の屋上。コンクリートの地面や給水設備だのなんだの設備類のある殺風景なこの場所に、可憐な模様の描かれたシートが1枚広げられている。さらにそのうえには本日の集まりの主催者である桃実さんが用意した色とりどりのケーキが、これまた可愛らしい箱の中にちょこんと収まっていて、ここだけがまるで別世界のように華やいでいた。

 

「なによ…喧嘩でもしたの?」

「まぁ、そんなところです」

 

 顔を見合わせる私と光莉を、桃実さんと籠女ちゃんがじぃ~~~っと見つめてくるものだから観念してそう答えるほかない。といっても本当の理由はもっと深刻な事件が関係しているので話せないけど…。

 

「驚いた。あなたたちでもそんなことあるのね。てっきり盤石なのかと思ってたわ」

「お二人は逆にさらに距離が縮まったように見えますね」

「そ、そう? 分かるかしら」

 

 私からの言葉に桃実さんの声にちょっとした恥じらいが見え隠れし、僅かに声が裏返る。照れて頬を染めた二つ年上の先輩に、さすがに「見れば分かりますよ」なんてセリフは言えなかった。

 

 普段は籠女ちゃんのお膝の上が定位置の()()()()()()()()()は、今日はシートの四隅の一角にドーンと鎮座し、その代わり―――というと変かもしれないけれど、籠女ちゃん自身が桃実さんのお膝の上にお行儀良く抱えられている。まだ1年生の薄いスレンダーなボディを軽く抱き締め、頬を赤らめている姿は微妙に危ない感じに見えなくもないが、当の籠女ちゃんはリラックスして身体を預け、まんざらでもない表情を浮かべているのだからこれでいいんだろう。

 

「先に相談してくれれば日にちをずらしたりも出来たのに…」

 

 全身の力を抜いてふにゃっとした籠女ちゃんはどこか猫っぽいうえに、撫でられて目を細める様子がますますそのイメージを強調させた。

 

「ご迷惑かと思って」

「そんなことないわよ。せっかくのケーキなんだから美味しく食べた方が良いに決まってるじゃない。ねぇ、籠女?」

 

 そうしたいのは山々だったんだけど、残念ながら私と光莉の仲はちょっとやそっとじゃ修正出来ないくらいに拗れてしまっていて、少し間を置いたくらいでは………という様相だった。そうなるといつまで経っても開催出来ないという事態にもなりかねないしと、今日の出席を決めた。本当はもっと上手いこと―――バレないにするつもりだったが、桃実さんはそれで騙されてしまうような鈍感な人ではなかったというわけだ。

 

「すみません、逆にお二人に失礼なことをしてしまいました」

「いいわよ。どうせ私たちに気を遣い過ぎたとかそんなとこでしょ。原因も聞かないでおいてあげる」

「助かります…」

 

 拗れた私たちがどうにか破局には至らずに済んだのは玉青さんのおかげだった。

 

 あれは数日前のことだ。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 私と光莉は六条様にお願いし、玉青さんに面会させてもらうことが出来た。目的は学校を休んでいる玉青さんへのお見舞いと、それから―――。

 

「ほら、光莉」

「うん…分かってる」

 

 横に立った光莉に促し、90度近く身体を曲げて頭を下げた光莉に合わせて私も同じように頭を下げる。

 

「玉青さん。ごめんなさい。私…静馬様に玉青さんから聞いた話とかを伝えてました。渚砂さんがサプライズを用意してるとか、そういうの…全部。夜々ちゃんを玉青さんに盗られちゃうんじゃないかって不安になって…それで」

「謝っても謝り切れることじゃないけど、本当にごめんなさい。光莉が静馬様を頼ったのは私が悪かったからなの。私が…もっと光莉を気遣っていれば…こんなことには。だから私たち二人で玉青さんに償いをするわ。パシリにでも何でも便利に―――」

 

 光莉だけのせいじゃない。これは私たち二人が巻き起こした事態。それが謝罪に来る前に二人で何度も話し合って確認した結論だった。

 

「顔を上げてください、お二人とも」

「でも…」

「いいんです。私は光莉さんのしたことを責めるつもりはありませんし、夜々さんにしたってそう。誰かに自分の好きな人を奪われたくない気持ちは渚砂ちゃんの事で、嫌ってほど学びましたから」

 

 目を瞑って穏やかに話す玉青さんからは、以前と少し違った印象を受けた。儚さとかが増したのもあるけど、それ以上にどこか達観したというか、同じ場所にいるはずなのに別のところから喋っている、そんな感じだった。

 

「それに………。静馬様は光莉さんがどうしようと関係なく、私を襲ったでしょうから。あの方はそういう性分なんです。だからもうあの日の事は忘れて下さい」

「玉青さん…」

「出来る事ならお二人が元通りになって、笑顔を見せてくれた方が、今の私にはよっぽど良い薬になります。夜々さんと光莉さんなら乗り越えられると、そう…信じていますから」

 

 自分たちのためにも、そして玉青さんのためにも、私と光莉は別れないことを誓ったのである。

 

 

―――…

 

――――――

 

―――――――――

 

 

「ま、そうね。申し訳ないと思うなら、このケーキを仲直りのきっかけにでもして頂戴」

 

 そう言うなり桃実さんは、お皿に取り分けたケーキをフォークで籠女ちゃんの口元へと運んだ。

 

「はい、あ~ん」

「あ~~~」

 

 その小さな口にケーキが綺麗に吸い込まれ、顎が何度かモグモグと動く。「どう?」と感想を聞かれた少女は、言葉ではなく満面の笑みでそれに答えた。

 

「お気に召したみたいね。有名店のお取り寄せにして正解だったわ。ルリムのカフェのも美味しいけど、たまには贅沢もいいわよね」

 

 自分も一口頬張りながら、次の一口は籠女ちゃんへ。私たちの見てる前でケーキは少しずつ小さくなっていく。仲睦まじい姿は恋人同士というよりも姉妹みたいだなって思っていたら、籠女ちゃんは自らフォークを手に取ると―――。

 

「桃実………。あ~~~ん」

「あら、ありがと」

 

 少々覚束ない手の動きで危なっかしいところもご愛嬌か。とにかくフォークの上に乗せられたケーキは桃実さんの口の中へと消えていった。私がへぇ~って顔してその光景を見ていたら、「別にいつもやってるわけじゃないわよ」とまたも照れた表情で桃実さんが言い訳した。どうやら年下の彼女にメロメロらしい。

 

「うちはほら、籠女が年下だし、1年生ってのを考慮に入れても少し幼いでしょ。そのせいかあんまり恋愛にがっついてないというか、自分で言うのもなんだけど穏やかなのよね。私は籠女が成長をするのを待つつもり。それがあと数ヶ月なのか来年の終わりごろなのかはわからないけど…、あなたたちみたいに喧嘩する機会は…ないかもしれないわね」

 

 たしかにこうして見ていても桃実さんと籠女ちゃんが喧嘩する姿はまるで想像がつかない。桃実さんからすると、喧嘩が出来るというのはそれはそれで少し羨ましいのかもしれなかった。年の差があるゆえの愛し方。母性の混じるその愛情が桃実さんには似合っている気がした。

 

「私たちも食べようか、光莉」

「うん」

「あなたたちも食べさせっこしたら?」

「えっ? 私たちがですか?」

「他にいないでしょうが」

 

 たしかにそうだけど…。

 

「………。なによ? どうかしたの?」

「いえ、お二人なら似合いますけど私たちはちょっと…その…」

「あ、もしかして恥ずかしいの?」

 

 図星だった。二人が目の前で「あ~ん」してる姿はとても…こう、なんというか微笑ましい感じで良かったのだが、いざ自分たちとなると困ってしまう。あまりにも『おままごと』ちっくなのがいけないんだろうか?

 

「部屋でもっと恥ずかしいことしてるでしょ」

「だから余計に…って場合も…。ね、光莉? ………。光莉?」

「いいよ。やろう、夜々ちゃん」

 

 既にフォークを手にした光莉が決意の込められた目で私を見つめていた。光莉なりに、桃実さんが言うように『きっかけ』にしたいとそういうことみたいだ。

 

 光莉の手によってフォークが苺の乗ったショートケーキに食い込み、柔らかなスポンジがさほど形を変えることなくスッと切れた。私は小さく切り取られたそれを前に、アイコンタクトをして頷き口を開ける。「あ~ん」という定番のやり取りを終えた後、たっぷりのクリームが付いた欠片は私の口の中へと静かに消えていった。

 

「どう? 美味しい?」

「うん、ここのケーキ…凄く美味しいよ。今度は光莉にしてあげる」

 

 お皿を受け取り、次は私が光莉の口の中へとケーキを含ませた。

 

「あっ…」

 

 私の切ったサイズが大きかったのか、それともクリームたっぷりなせいなのか。光莉の唇の端にクリームが残っていた。それに気付いた光莉が紙ナプキンで拭おうとするのを、「そのまま動かないで」と制止しそっと肩を掴む。

 

「夜々ちゃん?」

「いいから」

 

 私は顔を寄せると、そのクリームを優しく舌で舐め取った。甘く、サッと溶けていく感触に思わず「美味しい」と溜息が零れた。キスではないけど―――それに近い行為。あの日から遠ざかっていた光莉との触れ合いに懐かしさのようなものさえ感じてしまう。

 

「光莉…」

「夜々ちゃん」

 

 名前を呼び合い、もう一度。今度はしっかりと唇同士を触れ合わせる。

 

「ちょっとお二人さん。そこまでしろとは言ってないわよ」

「す、すみません」

 

 もう少しで二人だけの世界に入りかけようとした私たちを桃実さんの声が呼び戻した。その声には「籠女も見てるのよ」といった感じの窘める気配もあって、そういえば桃実さんだけじゃなくて籠女ちゃんもいたんだったと軽率な行いを反省する。けれどよくよく見てみると籠女ちゃんは私たちの口付けを目にしても動揺してなくて、むしろ桃実さんの方をボーっと見上げて迷っているみたいだった。

 

 数秒の間を置いた後、ゆら~っと伸びた手が桃実さんの頬を撫で、それから―――チュッと可愛らしいベーゼを頬に一つ。

 

「ふふ、よかったですね。お返し………してあげないんですか?」

「あんまり先輩をからかうもんじゃないの。まったくもう!」

 

 顔を真っ赤にしながらも髪をかき上げ、桃実さんも同じようにフニフニほっぺに口付けをした。くすぐったそうな、けどその意味をしっかりと理解した少女のパッと咲いた笑顔に全員の頬が緩む。

 

「さて、残りもケーキも美味しくいただくとしましょうか」

「………。チュー……もう一回……」

 

 籠女ちゃんの意外にも大胆なおねだりに吹き出した桃実さんに釣られて、私と光莉の笑い声が一緒になって風に乗りスピカの上空を舞い上がった。

 

 

 

 

 崩れかけた積木を元通りにするのは、全部取っ払って最初から積むのよりも大変かもしれない。だけど私と光莉はゼロからじゃなくて、今の状態から再スタートすることを決めた。たとえそれが困難であったとしても光莉となら出来ると―――そう信じたから。

 

 

 

 

 

 

<たくさん我慢したから>…蒼井 渚砂視点

 

 あまりの嬉しさに何度も「ほんと?」と聞き返す私に、扉の向こうから聞こえる玉青ちゃんの声に苦笑いらしきものが混じる。それでも私は喜びを抑えきれなくて、もう一度だけその質問を繰り返した。

 

「ほんと? ほんとにいいの玉青ちゃん?」

「ええ。さすがにこれ以上休むのは、シスターの目が厳しいからまずいと六条様が仰ってましたので」

「わぁ………じゃあ今日から一緒に学校行けるんだね。やった、やったやったぁ!!」

 

 感情を爆発させて両手で万歳しながらピョンピョン跳ねる私の姿に通り掛かった生徒たちたちが何事かと首を傾げていく。そりゃあ変に思う気持ちも分かるけど、そうでもしないと今この瞬間の嬉しさは表現出来ないんだから仕方がない。玉青ちゃんに見えていなかろうがお構いなしに私は何度もその場で飛び跳ねてみせた。

 

 通学靴がジャンプする度にペタンペタンと音を立てて、祝福の太鼓を打ち鳴らしてるみたい。

 

「ダメですよ渚砂ちゃん。あんまりはしゃぐと他の人の迷惑になりますから」

「はぁい」

 

 本当はもっとも~~っとそうしていたかったけど、玉青ちゃんにそう言われて明るく返事しながら飛ぶのをやめる。ソワソワする気持ちは身体を揺らすことで誤魔化し、その間に玉青ちゃんの夏服姿はどんなかなって想像してみた。

 

(きっと素敵なんだろうな~。早く見てみたいな、玉青ちゃんの夏服姿)

 

 落ち着いた色合いの緑に、肩や襟元の白。そこに胸元にちょっと入った黒が印象をぐっと引き締めてくれていて、私はこの夏服を気に入っていた。みんなは去年とかそれ以前に見たことがあっても、今年からミアトルに来た私は当然見たことがない。だから期待値もぐんぐん急上昇して、上がり過ぎたあまり天井にぶつかっちゃいそうな勢いだった。

 

「すぐに着替えちゃいますから、呼んだら中に入ってきてくださいね」

「う、うん…」

 

 中に入っていいんだ。てっきり部屋から出てくるのを待つのかと思っていた私は、その一言にさらに胸をときめかせてしまう。ほんの数分の時間が待てず、深呼吸したりウロウロしたり。そんな風に落ち着かなく過ごす私を見たら玉青ちゃんはどんな顔をするのかな?

 

「いいですよ、渚砂ちゃん」

「うん、分かった」

 

 どうしよう。ちょっと緊張してるかも。だって玉青ちゃんと会うの…久しぶりなんだもん。

 

 軽く震える指先でドアを開けると、部屋の真ん中では玉青ちゃんが静かに佇んでいて―――その姿を見た瞬間に私は居ても立っても居られなくなって玉青ちゃんの胸に思い切りダイブした。

 

「玉青ちゃんだ…。本当に…玉青ちゃんだ。玉青ちゃん! 玉青ちゃん、玉青ちゃんッ!」

「な、渚砂ちゃんッ!?」

 

 夏服が似合うねとか、元気そうで良かったとか、色々と言おうと思ってたことはたくさんあったのに…。気付いたらそういうのを全部すっぽかして身体が勝手に動いてた。ただただ玉青ちゃんが目の前にいるのが嬉しくて嬉しくて、抱き着いたまま何度も何度も名前を呼んだ。

 

「会いたかった。ずっと玉青ちゃんに会いたかったよ…」

「な…ぎさ…ちゃん」

 

 初めは恐る恐る躊躇いがちに、でもそのうちに私をギュッって抱き締めてくれた腕の温もりが、ああこれは夢じゃなくて現実なんだって…。

 

「うっ…、ぐす…ごめん…ね。我慢…しようと…思っ…思ったの。うっ…。だけど…だけど、だけど………無理みたい」

 

 込み上げてくるものを抑えきれなくて。もう視界は涙で滲んじゃっていて。せっかく玉青ちゃんの顔が傍にあるのに、あっという間にぐしゃぐしゃに歪んで見えなくなって。でも…それでも、手を伸ばした先にほっぺがあって、玉青ちゃんはたしかにそこにいて。

 

「わ゛た…し、だま゛おち゛ゃんが…いないと…ダメ…だよ。ひっ…ぐ。だま゛…お…ちゃん」

 

 我慢してた分だけ、その分だけ、一度溢れ出した感情がマグマみたいに噴き出すと、もう手の付けようなんかなくって。背中をポンポンって優しく落ち着かせようとしてもらっても、次から次へと零れていく涙は止まる気配がなかった。あとはもう言葉とも呼べない、感情が形になったみたいな嗚咽の他にはひたすらに玉青ちゃんの名を叫ぶばかりで、玉青ちゃんはそんな私の背中をずっと撫でてくれていた。

 

 

 

 

 

 

<ただいまとおかえり(再)>…涼水 玉青視点

 

 こんなことがあっていいのだろうか? 渚砂ちゃんが、私のためにこんなにも泣いてくれるなんて…。

 

 渚砂ちゃんのことを考えない日はなかった。朝起きれば渚砂ちゃんのことを想って、夜眠る時も渚砂ちゃんのために祈った。静馬様に犯されたあの日から、私は生ける屍も同然で…ただ渚砂ちゃんを想うことしか出来ないでいた。

 

 こんな穢れた自分が渚砂ちゃんの傍にいていいのか。頭から振り払おうとしても、その恐怖はいつも私に付き纏って、走って、走って、どこまで走っても追いかけてくる影のように私を苦しめた。

 

 いくら受け入れてくれると言っても、私が無理矢理純潔を奪われた事実はもう消せなくて、そんな十字架を渚砂ちゃんにまで背負わせるなんて、あまりにも罪深い事だと信じて疑わなかった。

 

(でも…でも渚砂ちゃんは、私のことをこんなにも好きでいてくれる)

 

 今私の心の中に浮かんだのは、それよりもずっと罪深い事。もしアストラエアの女神に知られたら、ただでは済まないんじゃないかとさえ思ってしまう。

 

(だから…口にはしない。絶対に。これは私の胸の内だけに留めておきます。渚砂ちゃん、渚砂ちゃん…。私は嬉しいんです。あなたが私のためにこうして泣いてくれることが。私の存在が、あなたを苦しめてしまうほどに大きくなっていたことが。私の事でたくさんあなたを傷付けているのに、泣いてくれて嬉しいだなんて、こんなの…おかしいのに…)

 

 無意識のうちに強く…強く抱き締めてしまっていた手をどうにか緩め、渚砂ちゃんの背中に触れる。泣くのに一生懸命で顔を見られていないことをいいことに、唇の端をきつく噛み締めて声を我慢した。でも流れる涙は止まらなくて、ポタポタと渚砂ちゃんの肩に落ちて染み込んでいった。

 

「渚砂ちゃん。私も…渚砂ちゃんがいないと…ダメみたいです。あなたがいないと寂しくて………苦しくて…死んでしまいそう」

 

 もう渚砂ちゃんは何を言っているのか分からないくらい泣いて、泣いて、泣いてたけど、私を想ってくれていることは伝わってきた。腕の中で震える度に赤茶色のポニーテールが揺れて、差し込む陽の光にキラキラするそれを、ああ…なんて綺麗なんだろう、なんて思いながら見つめていた。

 

「おか…えり」

「えっ?」

 

 突然、顔を上げた渚砂ちゃんが何かを呟いた。その声は小さくてよく聞き取れなかったけど、懐かしい響きを含んでいることだけはなぜか分かった。

 

おかえり…だよ。おかえりだよ玉青ちゃん。忘れちゃったの?」

 

 私を見上げる瞳に反射して、渚砂ちゃんの中に私が映っていた。

 

「あ…それって。約束…覚えて…」

「おかえり。おかえりなさい…玉青ちゃん

「あ、ああ…あ。ぁああ…。渚砂ちゃん、渚砂ちゃんッ!! ただいま…。ただいま…私の渚砂ちゃん

 

 それを言ってしまったらもう我慢出来なくて、今度は私が泣く番で…。

 

「う…う゛ぅ。ありがとう。好きになったのが渚砂ちゃんで………本当によかった」

 

 それはずっと前に交わした―――二人だけの約束。

 

「もう…離れちゃやだよ、玉青ちゃん。今度こそは…毎日言い合おうね」

「はい………、はい。渚砂ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

<小さなリベンジ>…蒼井 渚砂視点

 

 時間にはかなり余裕があったはずなのにすっかり遅刻ギリギリになっちゃった私たちは急いでいちご舎を飛び出した。ちょうどそこへクラスメイトの子が、これまた慌ただしく横を駆け抜けようとして―――玉青ちゃんの顔を見るなり急ブレーキ。キキーッと音がしそうな勢いで立ち止まった。

 

「もしかして玉青さん、今日から復帰?」

「ええ。復帰早々遅刻しちゃいそうですけど」

「大丈夫よ。病み上がりだもの。先生だって多めに見てくれるわ。それじゃ私は先に行くから二人はゆっくりね。教室でね~~~」

 

 私たちを追い抜こうとした時よりもずっと速いスピードで駆けていくクラスメイトの背中はあっという間に小さくなっていった。その様子に凄い勢いだったねと言いながら、私たちも早足でミアトルを目指す。

 

「そういえばお部屋はまだ六条様のところのままにするの?」

「少しの間はそうしようかと。急に移動して、また急に戻ると怪しまれますから」

「そっか…」

 

 これを機に部屋にも、と思って聞いたみたものの、玉青ちゃんの答えはノーだった。お部屋についても戻ってきて欲しいのは山々だけど、たしかに玉青ちゃんの言うことには一理あるし、あの事件のことが広まるのは私も嫌だから、残念だけど仕方ないのかもしれない。

 

 でもこれからは玉青ちゃんと一緒に学校に行けて、行き来だって自由になったんだもん。今までの辛さに比べればそれくらい全然へっちゃらだ。

 

(うん、へっちゃらへっちゃら。………。でもない…かな。ううん、弱気になっちゃダメ! 私が玉青ちゃんを元気づけてあげないと)

 

 たぶんこういうのは友達じゃなくて、恋人の役目なんだと思う。だからまずは私が明るく元気に振舞わなくちゃ。

 

「あっ、そうだ! さっきは言い忘れちゃったけど玉青ちゃんの夏服姿、すっごく素敵だよ」

「私は…冬服の方が好きですけど、渚砂ちゃんがそう言ってくれるなら夏服も同じくらい好きになれるかもしれませんね」

 

 久しぶりにした、肩の力の抜けたゆる~い会話に身体まで軽くなったみたいで、私はトンッ、トーンッと一歩ごとに跳ねるようにして玉青ちゃんの前を歩いていく。何回かするうちにそれが楽しくなっちゃって、私は玉青ちゃんの目の前で、カバンを手にしたままクルリクルリと回転を始めた。

 

「渚砂ちゃんっ。危ないですよ」

「いいの! だって楽しいんだもん」

「もう…」

「えへへ」

 

 忠告も聞かずにグルグル回ってから前方に走り出すと、それを見た玉青ちゃんが、仕方ないですねって顔して後ろを追っかけてくる。そのまま追っかけっこみたいにして私たちはミアトルの道を駆けていった。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 もう少しで校舎に着くというところで、私は小さく「あっ」と声を漏らしつつ足を止めた。視線の先には、少し前に私の事を散々からかった()()上級生たちの姿。

 

「どうかしたんですか?」

 

 追いついた玉青ちゃんが不思議そうに私の横で立ち止まり、私の視線の先を捉えようとキョロキョロと辺りを見回した。慌てて「なんでもないっ」と答えたものの、上級生たちの歩くスピードは遅く、のそのそしてるものだから、普通に歩き始めた私と玉青ちゃんがその横を通り過ぎるのは時間の問題に思えた。

 

(どうしよう。あんまり近付きたくないな。でも一本道だから避けようがないし…)

 

 だいたい遅刻ギリギリの時間なのにそんなにゆっくりしてていいんだろうか?

 

 迷っているうちに、上級生たちの一人が私の姿を見つけ、同じように「あっ」と声を漏らした。それに釣られて他の上級生も一斉に振り返って私をこれでもかと見つめ始める。

 

 嫌だな。こういうの。

 

 今にも肩を寄せ合って、からかっただけで泣き出した子供っぽい下級生とかなんとかヒソヒソ話をしそうな雰囲気に、直感的にそう思ってしまう。隣の玉青ちゃんは当然事情を知らないわけで、キョトンとしているわけだけど、私が嫌だなって感じたことを薄々察したのか、怪訝な顔をして上級生たちを見つめ返した。

 

「玉青ちゃん、手…いいかな?」

「ええ、いいですけど…」

 

 そう言っただけでスッと迷いなく差し出された手。手を繋ぐという考えが当たり前のように二人の間で共有されていることに嬉しくなるけど、私は()()()その手を取らなかった。

 

「渚砂ちゃん?」

 

 疑問に思った玉青ちゃんが首を傾げる。そりゃあそうだ。手を出してって言ったのに、その手を掴まなかったんだから。

 

「玉青ちゃん、ちょっと横ごめんね」

 

 その代わりに私は玉青ちゃんの肘の辺りに手を伸ばすと、自分の腕をそこに引っ掛けるようにして横に並んだ。

 

「えっ!? あの…、これは…」

「私がこうしたいの。ダメ………かな?」

 

 ちょっぴり甘えた声に、上手く出来てるか分からないけど上目遣いもプラスして…。

 

「急に…そんな顔して。ズルイですよ。渚砂ちゃん」

「えへへ、もうちょっとくっ付いてもいい?」

 

 腕を組むだけじゃ物足りなくて、身体を寄せて、ついでに頭まで玉青ちゃんの肩にそっと預けてみた。上級生たちに「どうだ!」と言わんばかりに幸せオーラ全開で追い越しつつ、心の中でリベンジを果たしたことに小さくガッツポーズ。出来る事なら『あっかんべー』ってしたかったけど、さすがにそれは品がないのでやめておいた。

 

「行こっ、玉青ちゃん」

 

 あっけにとられる上級生たちの顔がとても小気味よくて、私は玉青ちゃんの肩に顔を押し付けながら悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

<密かな憧れの的>…水島 紀子視点

 

「みんな~、ビッグニュースよ~」

 

 駆け足で教室に飛び込んできた生徒は大きな声でそうアナウンスすると、乱れた呼吸を整えようと肩で息をした。みんなが「どうしたの?」とその生徒を取り囲み、あっという間に人だかりが出来る。私と千早も何事かと近寄り、そのビッグニュースとやらに耳を傾けた。

 

「さっきいちご舎でね。すれ違ったのよ」

 

 落ち着いているようで落ち着いていないのか、肝心な情報が抜け落ちている。おそらく周りに集まった生徒のほとんどが、「誰と?」と疑問を抱いたことだろう。案の定人だかりの中からその疑問を口にする声が上がり、みんながそれに、うんうんと頷いた。

 

「ごめん、ごめん。慌てちゃって」

「いいから早く教えなさいよ」

「ふっふ~ん。聞いて驚くなかれ。なんと玉青さんよ。玉青さんが今日から学校来るって」

「えっ? ほんと?」「体調はいいのかしら?」「一週間以上休んでたよね」

 

 大事なクラスメイトのことだ。誰だって心配してたとは思う。玉青さんは元から人気者だったから特にその傾向はあったはず…。

 

 だけど今は―――六条様との噂が未だに絶えない現状では、気遣う思いも当然あるにはあると思うけど、渦中の人物に直接話を聞けるという野次馬的な嬉しさが、少なからず浮ついた声に含まれているような気がした。

 

「ねぇ千早。渚砂さん、噂の事を玉青さんに話してるかな?」

 

 周囲に聞こえないようにこっそりと耳打ちしてみると、どうやら千早も私と同意見らしく、その答えは「してない」だった。

 

 渚砂さんと玉青さんの仲を知る我々からすれば六条様との噂というのは滑稽でしかなかったが、事情を知らない生徒たちには興味深いゴシップに違いなかった。

 

「それじゃあ玉青さんに噂の事聞けるのね」「ねぇねぇ、誰が聞く?」

 

 教室内では早くも誰がインタビューするのかという議題に盛り上がり、軽いお祭り騒ぎとなっている。

 

「先が思いやられるわね。言っておくけど紀子。カッとなって大声とか出しちゃダメだからね」

「分かってるよ。も~千早はうるさいなぁ」

 

 私たちの密談をよそに、()()情報通とやらを中心にして噂話に花が咲く。身近な恋バナに興奮する気持ちはちょっと分からないでもない。私だって知り合いがネタになってなければ一緒に盛り上がってたかもしれないんだから。でもあくまで恋バナに限ればの話だ。友人を貶めるような内容まで許すつもりはない。そう思ってると案の定―――。

 

「やっぱり六条様の()()()ってあったのかしら?」「そりゃあ………あったんじゃない?」「誰だって自分のお気に入りの子に後を継いで欲しいものね」「でも六条様は高潔な御方でしょ?」「バカね~。だからこそ面白いんでしょ」「そうそう。信念さえ歪ませるほどの愛情ってやつ?」「やだ~ロマンチック」「「「キャ~~~」」」

 

 玉青さんが次期生徒会長に推挙された件だ。関係を疑わせる原因として早くから噂とセットで話題になっていた話が、今や周知の事実のようにあちこちで語られている。仲間内というか4年生の間では優秀と評判だったし、上級生や先生方からの覚えも良いとあってそれほど不思議がられてはいなかったが、あと一歩…推挙されるには物足りないかなってところにこの噂が来たものだから、それを補強する絶好の裏事情として一気に火が付いてしまった。

 

 正直私としては面白くない話題だ。それは千早も同じだったみたいで。

 

「あんたたち何よ。それじゃ玉青さんが選ばれたのは実力じゃなかったってこと?」

(あ~あ、千早のやつ)

 

 私にカッとするなとか言っておきながらこれだ。意外に熱血タイプなところがあるんだから…。

 

「そうは言ってないわよ」「玉青さんがちゃんと努力してるのは知ってるって。クラスメイトだもの」

 

 やっかいなのは彼女たちは玉青さんの頑張りとかちゃんと知ってて、しかもそれを認めてるって点だ。単にやっかみとか嫉妬して言ってるわけじゃなくて、自分よりも優れてることを受け入れたうえで、憧れとか羨望を織り交ぜながら、自分たちのクラスから噂になるような生徒が輩出されたってのが嬉しくて一時的に浮ついてしまってるってわけ。だから彼女たちにしたって、玉青さんが六条様に取り入って次期会長の地位をおねだりしたとか、そういった類のことは言わない。

 

「それにしてもうちのクラスって何かあるのかしら?」「何かって?」「ほら、この前は渚砂さんが静馬様に食堂でキスされたでしょ? それで今度は玉青さんが六条様に」「あ~なるほど」「じゃあ私もスピカの天音さんに…」「それはないって」「「「あはははは」」」

 

 再び盛り上がり始めたクラスメイトを横目に、私はなんとなく千早の頭を撫でながら「ナイスファイト」と言ってクシャクシャにしてやった。急いで手を振り払わないあたり、千早も本気では怒ってなかったっぽい。

 

 だってそうじゃない? 普段は口に出来ないけど、学園中の子がやっぱりあの子は凄い子なんだって噂してたら、なんだか自分の事みたいに誇らしくなることってあると思うのよ。千早もそれをちゃんと分かってるから、ムッとするだけで済ませてる。

 

「ねぇ! 玉青さん来たってよ~」

 

 偵察に行っていた生徒の声に私たちは顔を見合わせ、どちらともなく頷き合う。

 

「さて、我々も行きましょうか紀子さんや?」

「ええ、ええ。分かっていますとも千早さん」

 

 時代劇じみた言い回しで冗談っぽく呼び合いつつも、友人として助けになれることがあればしてあげよう、と誓う私たちの心はしっかりと通じ合っていた…。

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 

 




■後書き

 「ただいまとおかえり(再)」は一番最初のお話のやつですね。章のタイトルになっていたとはいえ、そこから40万文字ほど離れてるので忘却の彼方という方もおられるかもしれませんが、一週間以上顔を見ることさえ叶わなかった渚砂からするとやはり「おかえり」かな…と。そしたら返事は当然「ただいま」じゃないと…ね?

 次期会長への推挙云々とかも最初の方のですね。第2章でのお話でした。う~ん、どっちも遠い…。

 よかったら次章もよろしくお願いします。それでは~♪

 

 
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