アストラエアの丘で   作:クラトス@百合好き

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■あらすじ
 ゴシップに踊らされる生徒たちの好奇心が今、玉青へと向かう。久しぶりの学校で、想い人以外の人との恋仲の噂に玉青は戸惑いを隠せないでいた。そして否定も出来ないまま運悪く廊下で遭遇した玉青と深雪に純粋無垢な観衆の声が襲い掛かる…。
 第32章は噂に翻弄される少女たち! 3話構成でお届けします。

■目次

<玉青ちゃん親衛隊>…蒼井 渚砂視点
<切り札は伏せたままで>…六条 深雪視点
<刷り込まれた恐怖>…涼水 玉青視点



第32章「ね、玉青ちゃん。目…閉じて」

<玉青ちゃん親衛隊>…蒼井 渚砂視点

 

「あ、見て。玉青さんよ」「本当だ!」「なんかさ、綺麗になってない?」「分かる。雰囲気変わったよね」

 

 こうなるってことは分かってたけど、いざそうなってみると正直うんざりしちゃう。私たちのクラスがある廊下まで来ると、渦中の人物である玉青ちゃんを見た生徒たちが、喜びと好奇心を溢れさせてヒソヒソ話を始めていく。その中には自分のクラスに駆け込んでいって友達を呼んでくる生徒までいて、野次馬たちは次から次へと現れては恋バナに盛り上がっていた。

 

「休んでいたからでしょうか? なんだかとても…注目を浴びているような…」

「た、玉青ちゃんはほら、ダンスが凄かったからみんなそのお話をしてるんだよ」

「だと…いいんですけど」

 

 この様子だと教室に入っても質問攻めだろうなって思いつつドアをくぐると―――。

 

「おはよう玉青さん! 顔色は………良さそうだね」

「元気そうで安心したわ」

 

 声を掛けてきたのは待ち構えていた子たちの横からスルリと抜け出した紀子さんと千早さん。彼女たちはみんなが噂について触れる前に私たちの隣にやって来ると、何でもない日常会話をすらすらと話し出した。

 

「いや~、玉青さんがいないと宿題教えて貰えなくて困っちゃうよ~」

「たまには自分でやんなさいよ」

「千早は全然頼りにならなくてさ~」

「人のを盗み見ておいてよく言うわね?」

「くす、あはははは」

 

 続けて始まったお馴染みの夫婦漫才にすっかり機先を制された生徒たちが、二人の後ろで噂について聞きたかったのに~って顔してむくれている。もちろん紀子さんたちはそれを承知の上で掛け合いをしているので、ますます他の生徒たちは邪魔をしないでよと言いたげに不満げな顔を浮かべていた。

 

(二人ともよくやるんだから、もう)

 

 それが功を奏したのか、元々ホームルームの時刻が迫っていた教室に担任の先生が現れ着席を促した。それを聞いて口々に不満を漏らすクラスメイトたち。

 

「ずるいわよ~二人だけ」「私たちだって玉青さんと話したかったのに~」「横暴よ、横暴!」

「まぁまぁそう言わずに」

「お隣さんなんだし許して頂戴」

 

 紀子さんの調子の良いセリフに千早さんがすかさず下手に出て和らげる。さっすが熟年夫婦! 息ぴったり!

 

 ぶつぶつ言いながらも席に着くみんなに紛れ、私たちも移動しつつ小声でお礼を言っておく。

 

「ありがとね、二人とも」

「どういたしまして」

 

 作戦が上手くいって得意気な紀子さんは、「ほら」と言ってハイタッチまで求める始末。それはちょっとやり過ぎだよと思いながらも、こっそり応じてつい笑みを隠し切れず笑ってしまった。

 

 本当に頼りになるんだから。

 

 二人にはダンスパーティの日の出来事については知らせていない。玉青ちゃんの意志もあるし、私自身巻き込んじゃいけないような、そんな気がしていたから。なのにこんなにも私たちを気遣って助けてくれる名コンビは、まさに友人を通り越して親友と言えた。

 

 

 

 

 

 その後も二人の協力を受けて玉青ちゃんをお手洗いに連れ出したり、職員室に呼ばれたフリをしたりして短い休み時間は逃げ回ったものの、さすがにそんな手段が何度も通じるはずもなく、移動教室の際にとうとう捕まってしまった。

 

 移動教室というと普通は仲の良い友達と数人とか、多くてもグループ単位くらいに分かれて移動先の教室へ行くものだけど、今日は違う。玉青ちゃんを中心にクラス丸ごとが一つの塊となって廊下をズンズンと進んでいく。それを見た他のクラスの子たちも、どうしたのかと気になって出てきて、玉青ちゃんの姿を見つけると「あ、なるほど」といった感じで納得した表情を浮かべる。

 

 ゾロゾロ歩く集団にそれを見守る見物客たち。それはさながら大名行列か、はたまた戦に向かう軍勢かといった様子で、玉青ちゃんを守る親衛隊のはずの私たちは、歩くうちに外へ外へとはじき出されいつの間にか最後尾へと追いやれられてしまった。

 

 話したくてウズウズしてたのが手に取るように分かるくらい興奮しきった顔をしたクラスメイトたちは、ついに本丸である玉青ちゃんへと王手を掛けたのだ。止めようにも集団の外側でピョンピョン跳ねるだけの私には何も出来ず、そして―――。

 

「ねぇ玉青さん。単刀直入に聞くわ」「六条様とお付き合いしてるって本当なの?」

「私が…六条様と?」

「誰かから聞いてないの? 今や学園中の噂よ」「そうそう、お似合いのカップルだって」

 

 ああ、ついに言われちゃった…。

 

 噂から守り切れなかった無力感に打ちひしがれてがっくしと肩を落とす。取り囲まれた玉青ちゃんが無数の肩越しに送ってきた「本当なんですか?」という視線に、私はただ頷くしかなかった。

 

 せっかく元気になって戻ってこれたのに、今度はこんな噂が玉青ちゃんを苦しめるなんて。

 

「それでどうなの?」「休んでいる間は六条様が世話をしてくださったんでしょう?」「二人きりのときは六条様ってどんな感じなのかしら?」

「ま、待ってください。そんな…矢継ぎ早に質問されても…」

 

 詰め寄る生徒たちで狭い廊下はおしくらまんじゅう状態。右へふらふら。左へふらふら。そんな中で数人の生徒たちが廊下の向こうからやって来る人物に気付き、「あっ!」と声を上げた。その声に釣られてみんなの視線がそちらへと向けられる。

 

「六条様よ」「ほんとだわ」「こっちに来るみたい」

 

 なんで、こんな時に…。

 

(お願い、そのまま引き返して。今は玉青ちゃんが…)

 

 

 

 

 

 

<切り札は伏せたままで>…六条 深雪視点

 

(とんだ失敗だったわね)

 

 廊下を埋め尽くす生徒たちの群れに、何事かと近寄ったのがそもそもの間違いだった。しまった、と思った時には既に手遅れで、集団の真ん中にいる玉青さんとの遭遇に黄色い歓声が廊下に木霊する。

 

「やだ、なんか運命的じゃない?」「玉青さんの日頃の行いが良いせいかしら」「ほら玉青さん、六条様よ」

 

 私と玉青さんを交互に見ては、次から次へと様々な感想が飛び交っていく。進路を変えようにも横に逸れる道は存在せず、避けるためにはくるりと向きを変えて来た道を引き返す以外にはない。しかし荷物を片手に足を止めてしまった私がそうすれば、文字通り背を見せて逃げる私にみんな不思議がるだろう。なぜ六条深雪は逃げたのか、と。

 

 なぜ?という疑問符が浮かぶと、余計に想像を掻き立てられるのが人間というものだ。照れくさかったからじゃないかとか、二人の間で何かしらルールがあるとか、どんな風に思われるか予想もつかない。

 

(このまま真っすぐ進むしかないわね。様子を見て、必要であれば事務的な声掛けでもして………)

 

 それでやり過ごせるかは分からないが今はそれしか道がない。

 

「あっ、こっち来た」「何か声掛けるのかな?」「楽しみ~」

(悪いけどそんなキラキラした目をされても困るのよ。本当に、私と玉青さんの間には何もないのだから)

 

 徐々に近付いていく距離を慎重に見定めながら頭を巡らせる。あと10m。互いにしっかりと相手を認識しつつも、私と玉青さんは視線を僅かに逸らし続け、決して見つめ合わないように努力を重ねた。

 

 こんな事態になってしまった申し訳なさと、好きな相手がすぐ傍にいるのを知っている身としての気まずさで、どうにかなってしまいそう。

 

「ちょっと! 押さないでよ」「そっちこそ」「やめてよ、今いいところなんだから~」

 

 高まり続けた圧が不意に行き場を求め、集団をうねうねと波打たせる。足をつんのめるようにして必死で踏みとどまろうとする生徒。誰かの身体に掴まろうとする生徒。一斉にドミノ倒しでも起きそうな様子に見ているこちらの背筋がヒヤリとする。

 

「気を付けなさい。怪我するわよ」

「は、はい…」「すみません」

(こんな時でも、自分より誰かが怪我しないかって方が心配になるんだから、つくづく生徒会長が身体に染み込んでるわね。もはや職業病かしら?)

 

 だけど不思議と心には余裕が戻っていた。生徒会長の仮面を被ることで少なからず冷静になれたようだ。

 

 あと5m。

 

 4m。

 

 3m。

 

 これなら大丈夫そうだと思った瞬間、聞こえてきたのは「あっ」という少々気の抜けた声。中列にいた生徒がバランスを崩すと、それは前へ前へと波及して大きなうねりを起こしていく。突然の後ろからの衝撃に為す術もなく前のめりになる生徒たち。

 

 そしてその最前列にいたのは―――。

 

(玉青さん、気付いてない!? いけない…このままじゃ)

 

 他の生徒たちから場所を譲られるようにして一番前に立っていた玉青さんの背中が押され、その身体がトンッと跳ねた。ぐらりとバランスを崩す身体。無防備になったその身を守るべく私は咄嗟に前へと踏み出した。

 

「大丈夫ッ!?」

 

 小さな悲鳴。ドサリと腕に掛かる重み。

 

「ろ、六条様」

 

 危うく転びそうになる直前で抱き留めることには成功した。けれどハッとした彼女はその瞳を戸惑いに揺らしながら、

 

「いけません六条様。こんなことをしたら…」

 

 と後ろを見た。玉青さんの言葉と同時に、その背後から沸き起こる無数の歓声。

 

「「「キャ~~~」」」

「見て、見て! 六条様と玉青さんが」「廊下で抱き合うなんて」「凄い場面を見ちゃった」

 

 廊下の真ん中で抱擁する私たちに観衆たちは色めき立った。

 

「六条様…」

「いいのよ。それより怪我はない?」

「ええ。でも…私のせいで」

「性分なのよ。だから気にしないで」

 

 辺りは玉青さんのクラスメイトたちに加え、騒ぎを聞きつけた周辺の生徒たちでごった返し、もはや収拾のつけようがないほどに混沌としていた。ぐるりと取り囲まれた状況はこの前千華留さんに助けられた時よりも、数段悪い。ほとんど360度、全方位から飛んでくる多種多様な言い草に、思考がまるで追い付かず、私は玉青さんを抱き留めたままの状態で動きを封じられていた。

 

(出来れば玉青さんだけでも渚砂さんに引き渡せればいいのだけど…)

 

 赤茶色の髪が一瞬だけ見えたような気がしたものの、さらに苛烈さを増すおしくらまんじゅうから抜け出せないないのか、今やすっかり影も形もなくなっていた。となれば自分が玉青さんを守らなければならない。まずは興奮した観客たちを冷静にさせるのが先決か。

 

(といっても嫌な予感しかしないのだけど…)

 

 以前の廊下での言い争いを思い出しつつ私は声を張り上げた。

 

「あなたたちいい加減にしなさい! 私は気を付けるようにと言ったはずよ。それが何? この有様は!」

 

 冷や水を浴びせられたように、私の大声に口を閉ざす生徒たち。辺りは途端にシンと静まり返った―――かに見えた。

 

(ちゃんと伝わったのかしら?)

 

 疑問に思いながらも様子を窺っていると、最初に聞こえてきたのは誰かの零した小さな囁き声。それが少しずつ周りに広がって、ザワザワ、ザワザワと波が重なって大きくなっていくように、次第に声量も大きくなり、初めのうちは聞き取れなかったセリフが、ついに私の耳にもはっきりと聞こえるまでになった。

 

「ねぇ見て! 六条様のあの怒りよう」

(ッ!?)

 

 声に反応して振り向くと、すぐさま別の方向から飛んできた声が私に突き刺さる。

 

「玉青さんが危ない目に遭って、それであんなにお怒りなのね」「想いの強さが感じられて素敵だわ」

 

 そちらに視線をやれば、また別の方向から。

 

「ふふふ、六条様ったら取り乱して」「よっぽど玉青さんのことが大事なのかしら」

(なに? なんなの?)

 

 理解出来ない反応に苦しみながらも耳だけは敏感に声をキャッチし、視線と生徒たちとのいたちごっこが繰り返される。あちらこちらから投げ掛けられる集中砲火から玉青さんを守ろうと、背中に隠すようにして自らを盾に庇ったものの、どこを向いても声は聞こえてきて、私たちはその場でぐるぐると独楽のように回るしかなかった。

 

「見てよ玉青さんてば、六条様にしっかりしがみついちゃって」「健気で可愛らしい~」「二人とも美人よね」

 

 得体の知れない何か。そうとしか言いようがない。だって私にはどうして彼女たちがこんな反応を見せるのかがまるで分からなかったのだから。

 

「六条様…私、どうすれば…?」

「いいから隠れてなさい」

 

 そうは言ったものの私にはどうする術もなく、むしろそんな私たちのやり取りさえもが盛り上がる燃料となってしまう状況に、私たちはいつしか互いを抱き締め合うようにして身を震わせていた。

 

「六条様」

「大丈夫よ、大丈夫だから…」

 

 不安そうに見上げてくる玉青さんに言葉を掛けている最中にも、容赦なく言葉の雨が降り注ぐ。

 

「あの二人お似合いよね」「ね、相性ぴったりって感じ」「優等生同士ですもの。きっと波長が合うのよ」

 

 彼女たちに私と玉青さんを傷付けようという意志はない。本来であれば悪意のない―――言わば先の丸くなった剣のようなセリフが、今この瞬間においては易々と皮膚を突き破り私たちに突き刺さっていく。

 

 そして運の悪いことに―――。

 

「いや~、さすがは六条会長。人気者ですね」「廊下で抱擁するのは、校則違反にはならないのかしら?」

 

 今度は本当に悪意の込められた声が廊下に響き渡った。

 

 この騒ぎは出会いたくない人物たちまで引き寄せてしまったらしい。身体を強引に割り込ませて最前列までやって来たのは、千華留さんが追い払った()()生徒たちである。歯をギリッと噛み締めて「あなたたち…」と睨みつけたが、何をどう考えても有利な状況に、彼女たちは自信満々だった。

 

「それが六条様ご自慢の()()ってわけですね」「婚約者よりも優先するなんて相当愛していらっしゃるのかしら」

 

 取り囲んだ円からズイッと前に出ると、口々に『彼女』だの『愛してる』だのとそんな言葉を並べ立てる。それが最も有効であることを理解しているのだ。関心を煽るキャッチーな言葉こそが自分たちの最大の武器であると。その証拠に口車に乗せられた観衆たちは、山彦のようにそれらの言葉を繰り返し、ざわめきたてた。

 

 悔しいことに彼女たちの思惑通りだ。噂の中で各々が考える理想の展開。望む言葉。その最大公約数的なものが与えられた今、観衆を止められるのはそれ以上に興味をそそられる何かしかない。

 

「やめなさい! こんな追い立てるような真似は。ミアトルの生徒として恥ずかしくは―――」

「会長こそ恥ずかしくないんですか?」「お気に入りの生徒を次期会長にしておいて」「部屋を移した理由とかだって、みんな納得出来てませんよ~」

「ッ!? だから…それは前に…説明した通り…」

 

 策もなくただ叫ぶだけでは、結果がこうなることは見え見えだった。廊下を埋め尽くす生徒たちのほとんどは、既に私の言葉を信じてはおらず、一方で彼女たちの言葉ばかりが、乾燥した地面に染み込む水のように、その心に染み渡るのだから…。

 

(いっそのこと降参したら玉青さんは見逃してもらえるかしら? だったらその方がいいかもしれないわね)

 

 やるべきことが決まると、意外にも肩の力がフッと抜けて気が楽になった。

 

 あくまで可能性だが、静馬への想いを切々と語ることでピンチを切り抜けることを出来たかもしれない。だけど私はそうはしなかった。100パーセントじゃないという理由からではなく、この()()()()()()()()()()()()自分の意志で場に出したかったからだ。

 

 私の作り出した最高の盤面で静馬に叩きつけるために、今この場は惨めに白旗を上げるのである。

 

(あんな事があっても、まだ静馬を諦めないでいる。私ってこんなに馬鹿な女だったかしら)

 

 静馬の顔が浮かぶと自嘲する笑みさえ零れた。

 

 なるべくみっともなく…か。上手く出来るだろうか? 

 

「聞いて頂戴」

「なんですか?」「もしかして交際を認めるとか?」

「違うわ。これからするのは、皆さんへのお願いよ」

「「………?」」

「私には何を言っても構わないから、玉青さんに言うのはやめてあげて欲しいの。まだ病み上がりだし、負担を掛けたくないの。どうか…お願い………します」

 

 そう言うなり頭を下げた。彼女たちも観衆たちも、まさか私が頭を下げるとは思っていなかったのか、叫んだ時とは違い、みんながキョトンとした顔を浮かべそのまま固まってしまう。気まずそうに顔を見合わせ、やり過ぎたかもしれないといった表情で、声を詰まらせた。

 

 そんな中でただ一人声を上げたのは―――。

 

「どうして…ですか? どうして六条様が頭を下げるんですか?」

「玉青さん」

「やめてください六条様。六条様がこんなことする必要なんて」

「それが私の役目だからよ。別になんてことないわ。………………。玉青さん?」

 

 答えながらも、玉青さんの覚束ない足取りに動揺を隠せなかった。頭が痛いのか片手で押さえるようにしてフラフラと歩く姿はとても頼りなさげで、どう見ても正常ではない。

 

「ダメですよ。だって…だって六条様は――――――あっ…、ッ、六条…様…は…」

「玉青さん? 玉青さんッ!? どうしたの? しっかりしなさい。玉青さんッ!?」

 

 フラリと倒れ込んだ玉青さんをどうにか受け止め必死に呼び掛ける。気を失っているのかぐったりとした身体は重く、熱を帯びていた。

 

「保健室へ連れていくわ。誰か手を!」

「玉青ちゃんッ!? 玉青ちゃんッ!!」

 

 突然の事態に騒然とする群衆の隙間を縫って飛び出してきた渚砂さんが、心配そうに駆け寄り顔を寄せる。けれど渚砂さんの呼び掛けにも玉青さんは反応しないままだった。

 

 演技ではない。そのことに誰もが気付き一気に殺伐としだした廊下に、バタバタとした足音が響き渡った…。

 

 

 

 

 

 

<刷り込まれた恐怖>…涼水 玉青視点

 

「んっ…ここ…は?」

 

 目を開けると真っ白な天井と薄緑色のカーテンが見えた。

 

「よかったぁ。急に倒れたから心配しちゃったよ」

 

 すぐ傍には渚砂ちゃんの顔。

 

「そういえば私…気を失って…」

「あっ、まだ起きちゃダメだよ。安静にしてなきゃ」

 

 身体を起こそうとした私を慌てて渚砂ちゃんが制止した。やっぱりまだクラッとするみたいで、頭が枕の上に乗っかると安心する。渚砂ちゃんの話によれば、あの騒ぎの中、廊下で倒れた私を渚砂ちゃんや紀子さんたちが運んでくれたそうだ。

 

「それで六条様は? 大丈夫だったんでしょうか?」

「今は先生とお話してる」

「そう…ですか」

「玉青ちゃん…。六条様のことを心配するのもいいけど、私は………その」

「渚砂ちゃん?」

「自分の事を大切にして欲しいな。玉青ちゃんは自分を(ないがし)ろにしすぎだよ。それじゃ、いつか玉青ちゃんが壊れちゃうよ」

 

 両手で握った私の手を、そっと自分の頬にくっ付けながら渚砂ちゃんはそう言った。

 

「ごめんね。六条様との噂の事…やっぱり話しておくべきだったね」

 

 渚砂ちゃんや紀子さんたちがどうして朝から私を教室の外へ連れ出したりしたのか、これで合点がいった。渚砂ちゃんたちは私を噂から遠ざけようとしてそうしてくれていたのだ。

 

「私のために…頑張ってくれていたんですね」

「でも―――」

「嬉しいです。とっても」

 

 渚砂ちゃんの「でも」を遮り感謝を述べる。だって結果はどうあれ、私を想って行動してくれたことなのだから。

 

「優しいんですね、渚砂ちゃんは」

 

 お餅みたいに柔らかいほっぺを撫でながらそう言うと、渚砂ちゃんは照れて恥ずかしかったのか、はにかんだ笑顔を浮かべた。それから少し経って、渚砂ちゃんが「先生を呼んでくるね」と出て行ってしまうと、一人ベッドに取り残された私に束の間の静寂が訪れた。

 

(さすがに…ちょっと疲れましたね。まさか復帰一日目からこんなことになるなんて…)

 

 悪い霊にでも取り憑かれているのだろうか? 横になったままボーッと窓から外を眺めていると、快晴の空を何羽かの鳥たちが気持ちよさそうに飛んでいた。何気なくスッと手をかざし、その鳥を追いかけるように手を動かしてみる。こうしていると自分が羽根を怪我して飛べなくなった籠の鳥に思えて仕方がない。羽根が治って、早く自分も列に加わりたいと願うそんな鳥の気分に…。

 

「目が覚めたみたいね」

 

 シャーッとカーテンの動く音がして、保健の先生が入ってきた。

 

「倒れたというから心配したわ。軽度の貧血ね。病み上がりだったのに加えて朝食もあまり口にしてなかったみたいだから。他には………()()はどう? 最近周期が乱れていたりするかしら?」

「あ…、少し遅れています」

 

 肉体的なショックも、精神的なショックも大きかったからなのか、本来は訪れていておかしくない()()の日が止まってしまっていた。私の答えに「なるほど」と呟きながら問診票に何かを記入した先生がパッと顔を上げた。

 

「思春期だと精神的な事とかで結構簡単に乱れてしまうのよね。もしあまりにも遅いようであれば相談して頂戴。とにかく頭を床に打たずに済んで何よりだったわ。六条さんに感謝ね」

「はい。先生も…ありがとうございます」

「六条さん、入ってきていいわよ」

 

 傍で待機していた六条様もやって来てベッドの横に並ぶと、あまり広くはないスペースは少々手狭な感じがした。

 

「先生から説明を受けて安心したわ。重篤な病気かもしれないと思って心臓が縮み上がりそうだったもの」

「すみません…またご迷惑を」

「今回のは私が悪いのよ。だから謝るのは私。本当にごめんなさい。それと渚砂さんにも謝らせて頂戴。玉青さんのこと、ごめんなさいね」

 

 その後、他の先生方と早退や明日以降の出席について話し合うからと、保健室には私と渚砂ちゃんを残し二人は出て行ってしまった。他にベッドで休んでいる生徒もなく、部屋には私と渚砂ちゃんの二人きり。手伝ってもらって身体を起こし、互いに手を握り合う。

 

「渚砂ちゃんの手、あったかい…」

「ね、玉青ちゃん。目…閉じて」

 

 僅かに握った手に力を込めながら渚砂ちゃんが呟いた。

 

「目を…ですか?」

「うん。早く治るように、()()()()()してあげる。だから…ね?」

 

 おまじないって()()『おまじない』なんだろうか? かつて私が渚砂ちゃんにした…。その時の事を思い出して思わず頬が熱くなる。それは渚砂ちゃんから…私にしてくれるということだ。

 

「それってもしかして…」

「ダメかな?」

 

 尋ねてくる渚砂ちゃんの顔は既に間近で、ちょっと顔を動かしただけで触れてしまいそうなほどだった。

 

「ここ、学校の…保健室………ですよ?」

「でも私たちしかいないよ? なんならもう一回確認してくるね」

「あっ、渚砂ちゃん」

 

 手を伸ばしたときにはもうスルリと潜り抜け、部屋のあちこちから可愛らしい足音が聞こえてきた。小さな「よしっ」という声と共に私の元へと戻ってきた渚砂ちゃんの顔は、どことなく桜色に染まっていて…。

 

 私が察するに勢いで言い出したはいいものの、間を置いてしまったせいで急に恥ずかしくなったとか、そんなところだろうか。

 

(渚砂ちゃんたら本当に可愛いですわ)

「あ~、今笑ったでしょ?」

「えっと………さぁ、どうでしょう」

「も~。せっかく私からって…あっ、ううん、何でもない」

 

 言っていてさらに恥ずかしくなったのか、みるみるうちに桜色というよりか真っ赤に染まっていく渚砂ちゃんの顔。

 

「急に誰かが入ってきたりしたら…どうしましょうか?」

「平気だよ! カーテンもあるし」

「ふふっ」

 

 力強い断言につい笑いが零れてしまう。

 

 念のためにと改めてしっかりと閉じられたカーテンの裏で、私たちは手を握り合いながら互いの名を囁いた。

 

「渚砂ちゃん」

「うん、玉青ちゃん」

 

 自然と近付いていく二人の顔。吐息が掛かるよりも前に私は目を瞑り、それから私の予想した通りのタイミングで―――唇が重なった。

 

「「んっ…」」

 

 柔らかくて、甘~い唇の感触。懐かしいその味は私に安らぎを与えてくれるはずだった

 

「うっ」

 

 感じた息苦しさに反射的に渚砂ちゃんを突き飛ばし、手で口を覆う。

 

 なに…今の?

 

「た、玉青ちゃん?」

 

 驚きに目を見開いた渚砂ちゃんが呆然と私を見つめている。

 

「ご、ごめんなさい。体調が…まだ…戻ってなかったみたいで…その」

 

 キスを拒絶したことへの言い訳を口にしながら、私は胸の動悸と込み上げてくる吐き気を悟られないように、作り笑いを浮かべた。そしてポケットから財布を取り出し、渚砂ちゃんの手に渡す。

 

「自動販売機で何か飲み物を買ってきてもらえませんか? 渚砂ちゃんの分も買っていいですから」

「う、うん…分かった。急いで行ってくるね」

 

 パタパタと駆けていく足音の後に、扉が閉まる音がした途端、私は再び口を覆ってうずくまった。

 

「う、ケホッ…、うっ、うぅ…」

 

 なんで? なんでこんなに気持ち悪いの?

 

 空いた手でシーツをこれでもかと握りしめ吐き気に耐える。たしか近くに自販機があったはずだから、こうしている間にも渚砂ちゃんが戻ってきてしまうかもしれない。

 

「それに…さっきのって?」

 

 唇が触れた瞬間に脳裏に浮かんだイメージ。あれは…まぎれもなく…()()()の―――。

 

「嫌…、嫌っ! 嫌ぁあ!? どうしてっ? もうあれから…1週間以上………経ってるのに」

 

 ベッドの上で頭を抱えて丸くなりながら、必死に悪夢を振り払うべく楽しいことを思い浮かべて打ち消そうとする。渚砂ちゃんは今どの辺だろう? もう戻ってきてしまうのだろうか? こんな姿、渚砂ちゃんに見せたくない。

 

「ただいまー! 玉青ちゃ~ん、買ってきたよ~」

(渚砂ちゃん、もう…戻って)

 

 保健室の扉の開く音と共に元気な声が響く。本当に急いで行ってきたのだろう。息を弾ませた渚砂ちゃんが2種類の飲み物を手に現れた。

 

「こういう時だしと思ってスポーツドリンクとお茶と両方買ってき―――た、玉青ちゃん大丈夫? 先生呼んでこようかッ!?」

「えっ?」

「凄い汗だよ。それに手も…ちょっと震えてる」

 

 言われるまで気付かなかった。私はびっしょりと脂汗をかき、身体も僅かに震えていたのである。

 

「だ、大丈夫です。あっ、わ…私はスポーツドリンクの方を頂きますね」

 

 独特な、こういった飲料特有の味。普段はあまり好まない味だが、今の身体には合っていたようだ。少しずつ口に含み、何度かに分けてゆっくりと飲み込むと、吐き気は緩やかに治まっていった。

 

「美味しいです。ありがとう渚砂ちゃん」

「本当に…大丈夫なの?」

「ええ。渚砂ちゃんのおかげで良くなりました」

「なら…いいけど」

 

 半信半疑な様子ではあるけれど、一応誤魔化すことには成功したみたい。このまま渚砂ちゃんの気を逸らそうと、私は努めて笑顔で話し掛けた。

 

「初めてですね、渚砂ちゃんから…キスしてくれたの」

「えへへ。いつも玉青ちゃんにしてもらってばっかりだったから。私も…頑張らなくちゃって思って。やっぱりドキドキするね」

「とても素敵でしたわ。今までで一番かもしれません」

「ほんと? そう言ってくれると…嬉しいな。玉青ちゃんの体調が万全だったらもっとよかったのになぁ~」

 

 せっかくの渚砂ちゃんからのキスなのに、私はその感触のほとんどを覚えていなかった。残ったのは嘘をついてしまったという後味の悪さと、未だ心に刻まれた深い傷跡の痛みばかり。花園静馬という人間は私をどこまでも苦しめる存在らしい。

 

(今日…たまたま…ですよね? 体調が悪かったから…それで。たまたま色んなことが重なってあんな風になっただけ。大丈夫。私は渚砂ちゃんが好き。渚砂ちゃんからのキスで気分が悪くなるわけ…)

 

 本当だろうか? 本当にもう一度キスした時、私は普通でいられるのだろうか?

 

 心に生まれた新たな疑念が、私を蝕み始めた…。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 結局私は早退をすることになり、先生に付き添われていちご舎に帰ることに。付き添いなら自分が、と申し出てくれた渚砂ちゃんには申し訳ないけれど、先生と一緒の方が気が楽だった。部屋まで送ってくれた先生にお礼をし、手早く制服を脱いで着替えを終えたらベッドに向かって一直線。まだお昼過ぎだというのに疲労は最高潮に達していた。

 

「渚砂ちゃん…」

 

 小指で唇をなぞり、その先端に軽く口付けをする。うん、なんともない。胸の動悸も、吐き気も、襲ってくる気配はまるでなかった。

 

(どうして…あの時)

 

 六条様との噂の事でもショックを受けはしたが、それ以上に渚砂ちゃんとキスした時に感じた様々なものの方が余程嫌だった。キスの相手は紛れもなく渚砂ちゃんで、()()()ではなかったのに…。

 

 トラウマのこと、先生にそれとなく相談するべきだっただろうか? ううん、きっと違う。だって私の傷は薬や包帯では癒せないのだから。克服するには時間か、それか精神的なきっかけが必要なんだと思う。

 

「せっかく勇気を出してくれたのに、ごめんなさい渚砂ちゃん」

 

 愛する人への懺悔と共に、私の意識はまどろみの中へと落ちていったのだった。

 

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 人の動く微かな気配。続いてカタンという窓を開ける音に目が覚めた。余程深い眠りに落ちていたらしく、視界はまだぼやけたままだ。薄っすらと見えるシルエットの人物は一体誰なんだろうか?

 

「んっ…、渚砂ちゃん…ですか?」

 

 開け放たれた窓から吹き込んだ風がその人物の髪を揺らす。ふわりと広がった髪が壁に描き出した影は渚砂ちゃんのものではなかった。

 

「誰…?」

 

 目を擦り、ようやくはっきりしてきた私の目に映ったのは…沈みかけた夕日を浴びてキラキラと煌めく()()だった。

 

「うそ………、どうして? 鍵だってちゃんと閉めていたのに…」

「あなたに会いたくて魔法を使ったの。久しぶりね、玉青さん」

 

 

 

 

 

~~~次章に続く~~~

 

 

 

 

 

 




■後書き

 一度噂になってしまうと否定してもダメだったりすることありますよね。別に恋愛に限ったことではありませんが…。玉青ちゃんや六条様も素直に全てを打ち明けられたら少しは楽になれるんでしょうが、そうもいかないアストラエアの丘の恋愛事情。

 一般の生徒からすると、キャッキャッ騒いでるのはあくまで噂に乗っかれて嬉しいとか、恋愛に対する憧れみたいなものがほとんどで、真剣に同性愛がどうのこうのって子たちは、おそらく話題に入らず片隅でひっそりと隠れているんでしょう。だからいざ打ち明けると、「そういうのはちょっと…」といった具合に距離置かれちゃう可能性が99パーセントな感じ。

 なんで以前の渚砂と静馬の時は噂(第20章あたり)が長引かなかったの?ってとこですけど、静馬様みたいに普段から話題になっている御方だと、やっぱりどこかで「静馬様、またお戯れ遊ばしていらっしゃるのね、ウフフ」くらいで終わっちゃうというか新鮮味に欠ける部分があるのではないかと。相手の渚砂ちゃんは編入生なので、目新しい相手に飛びついたな、とか思われてる可能性も。

 それに対して六条様だと「えっ? あの真面目な生徒会長が?」という驚きと、相手の玉青ちゃんが生え抜きのミアトル生ということもあり、本気度が高い様に映るのではないでしょうか?



 というわけで補足みたいなお話でした。よかったら次章もよろしくお願いします。それでは~♪


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