アストラエアの丘で   作:クラトス@百合好き

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■あらすじ
 真実を確かめるためにやって来た玉青を出迎える夜々と光莉。なるべく普通に接しようとする二人だったが、キスして欲しいと言い出した玉青によって部屋には不穏な空気が流れ始める。断ろうとする夜々に対し光莉が取った行動とは!?

■目次

<キスのお相手は?>…南都 夜々視点
(きた)るべき日に備えて>…六条 深雪視点



第34章「夜々ちゃんはあっち向いてて」

<キスのお相手は?>…南都 夜々視点

 

 まさかまたこんな日が訪れるなんて思わなかった。私と光莉の部屋に…玉青さんが尋ねてこようとは………。

 

 お願いがあると言ってやって来た彼女に対し、私たちはどう反応していいものか分からず、部屋の前で待たせたまま小声で囁き合った。それもそのはずだ。私たちが面と向かって玉青さんに会うのはあの謝罪の日以来のこと。玉青さんはずっと学校を休んでいたし、いちご舎の中でさえあまり出歩かずに過ごしていたみたいだから、ばったり鉢合わせすることもなかった。実際のところ鉢合わせしたらしたで、おそらくお互いに困惑するだけだっただろうから、それはむしろありがたいことではあったけれど…。

 

「どうする光莉?」

「とりあえず部屋に入れてあげようよ。私はお茶の用意しておくから」

「わかった」

 

 玉青さんが光莉も一緒の方が良いと言ってくれたのは幸いだった。破局寸前に至った経緯からすれば、私と玉青さんが二人きりで会うべきではないし、私としても関係修復の途上にある今、光莉を不安にさせることは可能な限り避けたかったからだ。もちろん玉青さんが強く望めば、申し訳ないという罪の意識から、私たちはその申し出を拒否することは出来なかったとは思うが、三人で会うことになった以上それは最早どうでもいい事だった。

 

「すみません。無理を言って。でもどれだけ考えてみても、今回のお願いはお二人にしか頼めないと思ったので」

 

 棘のない、ごく当たり前に友人と接する時のような笑顔。玉青さんは人格者であるとは思っていたけど、それでも何て言えばいいんだろうか、もっとよそよそしい態度を取られるんじゃないかと予想していた私は自分の浅はかさを恥じた。それと同時に玉青さんが部屋に入ってすぐにそうした態度を示してくれたおかげで、私と光莉も肩の力が抜けて気持ちがだいぶ楽になったのか、顔には自然と笑顔が浮かんだ。

 

「お好きなとこにどうぞ。椅子でもベッドでも」

「それでは失礼して」

 

 さほど迷うこともなく決断すると、玉青さんは私のベッドの縁に足を揃えてお上品に腰掛けた。綺麗に揃えられ、床に向かって伸びる足。その様子はどこからどう見ても淑女そのものではあったが、その見た目に反して私にはやや艶を帯びて感じられた。

 

 これは私がそういった趣味の持ち主であるという事実を抜きにしても、間違いではなかったようだ。現に私だけでなく光莉までもがこちらへ視線を寄越し、賛同するような表情を浮かべていたのだから。

 

 ()()()()()()と言うと語弊があるかもしれないけれど、この丘の住人である女生徒の99パーセントにはいくら時間を掛けて説明しても決して分からないだろう。玉青さんから醸し出される色気を嗅ぎ取れるのは、私たちのような()()()()()()()()()だけだ。

 

 歩く時のバランス。何とも言えないラインを描く腰つき。そして極めつけは、大切なものを守るようにぴったりと閉じられた足。仕草については無意識のうちにしていることだとは思うけど、そういった仕草の一つ一つに、()()がなければ纏えないエロスが密かに滲み出ていた。

 

 分かりやすく言えば、お外の学校の生徒たちが夏休み明けのクラスメイトを見て、「ああ、大人の階段を上ったんだな」と感想を抱くようなそういう話だ。

 

 仮に私が玉青さんと面識がないとして、こんな風に色香を振り撒く子が談話室でくつろいでいたりしたら、まず間違いなくお近付きになりたいと考えるだろうし、下手したら持ち物を落としたフリでもしてスカートの中を覗こうとしたっておかしくない。例えるならありったけの財宝を溜め込んだ海賊たちの隠れ家を前にしたトレジャーハンターの気分だろうか? 夏服のスカートの影に隠された玉青さんの太腿の奥の空間は、それくらい魅力的と言えた。

 

「それでお願いというのはですね」

 

 そう切り出した途端、それまでニコニコと雑談に応じていた玉青さんの表情が一変した。何か深刻な悩みを抱えているような切羽詰まった表情に。

 

「お二人のうちのどちらかに、私と………キスを…して欲しいんです」

 

 口の中の紅茶を吹き出しそうになり、慌ててソーサーに置いたカップが擦れてガチャリと嫌な音を立てた。ゆらゆらと揺れる紅茶の水面は大きく上下し、今にもカップの端から零れそうになる。

 

「た、玉青さん? 自分が何を言ってるか―――」

分かってますッ! 分かってます…けど、こうするしか他に方法がないんです」

 

 驚いて動揺する私に、悲鳴にも似た声を上げる玉青さん。一気に騒然とし出した空気を光莉の声がピシャリと断ち切った。

 

「ま、待ってよ夜々ちゃん、落ち着いて! 玉青さんも、ちゃんと順を追って説明してください」

 

 無意識のうちに前のめりになっていた私はその言葉に我に返り、立ち上がりかけていた身体をストンッと椅子へ戻した。

 

「ごめん、つい…」

「いえ、私の方こそ説明不足で」

 

 ヒートアップした私たちは光莉に勧められるがまま、テーブルに置かれている自分のカップに手を伸ばすと静かに紅茶を口にした。しばらくの間お互い無言になり、部屋には紅茶を飲む際に立てる器の音だけが鳴り響く。動転していた気分も何度か紅茶を口にするうちに少しずつ鎮まり、私は黙って玉青さんの説明を待つことにした。

 

「実は渚砂ちゃんとキスをしようとすると…吐き気が…起きるようになってしまって」

「それはやっぱり静馬様との事でそういった行為全般がトラウマになってるんじゃ?」

「私も最初はそう思いました。でも違うんです。静馬様と話す機会があって、その時静馬様の唇が耳元まで近付いたのに、怖いと思うだけで吐き気とかはなくて。それでその後渚砂ちゃんとキスしたら、もう…ダメで。結局我慢出来ずに洗面台に走っていってしまいました。だから推測を立てたんです。渚砂ちゃんとの行為にだけ反応してるんじゃないかって」

 

 あの日の後遺症とも言うべき症状に、玉青さんは両手で顔を覆い頭を左右に振りながら悲観に暮れた。その様子は痛々しくて直視していられなかったが、でもそのおかげで私たちはようやく、キスして欲しいと言い出した理由を知る事が出来た。

 

 玉青さんは私たちで試そうというのだ。渚砂さんにだけ反応してしまうのかどうかを。

 

 言うなれば私と光莉はリトマス試験紙の代わりであり、私たちにも反応するなら、やはりトラウマとしての性質が強く、静馬様については恐怖が勝ったという解釈になるだろう。問題は反応しなかった場合だ。その場合には渚砂さんに対してだけ反応するという疑念にますます拍車が掛かることになる。

 

 どちらであっても良い結果というわけではないが、前者の方が玉青さん的にはまだマシなのかもしれない。

 

「理由は分かりました。分かりましたけどそれを引き受けるのは………ちょっと」

 

 こういった役回りなら基本的に私の役目だ。私は元から女の子同士でキスすることに躊躇いはないから全然構わない。ただし光莉との仲がこんな状態でなければ、という前提でだが。

 

「ご存知の通り私と光莉は関係修復中で、しかも要因となった玉青さんを相手にキスするっていうのは―――」

 

 そこまで言ったところでチラリと光莉を見て、関係がさらに拗れることになりかねない、と目で伝える。

 

「そう…ですよね。私だって渚砂ちゃんと微妙な仲の時にそんなお願いされたら断ると思いますし」

 

 出来ることなら助けになってあげたいけど、事情が事情だ。肩を落とす玉青さんには申し訳なく思いつつも、背に腹は代えられない。

 

「すみません。なので今回は―――」

「私は良いと思うよ」

 

 私と玉青さんだけでやり取りが終わろうとしたその時、黙っていた光莉が声を上げた。

 

「光莉?」

「それくらいの事なら贖罪の意味も含めてアリだと思う」

「いや、えっと…だってさ。キス…するんだよ?」

 

 それって『それくらいの事』なんだろうか?

 

「分かってるよ」

「本当に分かってる?」

 

 あまりにもあっけらかんとした光莉に対し僅かに怒気の籠った声で応じてしまった。私は光莉との関係を考えて玉青さんの切実な頼みを断ろうとしているのに、当の光莉にそんな風に言われては立つ瀬がない。

 

「夜々ちゃんこそ、何か勘違いしてるんじゃないかな?」

「私が…勘違い?」

「夜々ちゃんさ、自分が玉青さんとキスする前提で話してない?」

「だって光莉は―――」

「いいよ、私は。玉青さんとキスしても」

 

 さらりと言ってのけたその横顔を、私は目を見開いて見つめた。多少の感情の乱れはあったとしても、見る限りでは冷静さは保たれているように思える。でも光莉は元々はノーマルだ。私みたいに同性が好きで好きで仕方ないってわけじゃない。自惚れって言われたらアレだけど私としかそういった行為には及べないと………思っていた。

 

「別に平気だよ。本気でするわけじゃないし。気持ちが籠ってないなら、ただ唇を擦り合わせるだけだもん。それに普通の子だって罰ゲームとかで軽くチュッてするくらいは…してたりするんじゃないかな?」

 

 私の心配を悟ったのか、スラスラと大丈夫な理由を述べる光莉。だけど私はその手が、ほんの少しだけ震えてることに気付いてしまった。

 

「光莉…」

「そんな顔しないで、夜々ちゃん。私は自分から立候補してそうするんだから。玉青さん、私が相手でも問題ないですよね?」

「ええ。確かめられれば私は何も言う事はありません」

「ほら? 玉青さんもこう言ってるし。それとも…夜々ちゃんは()()()()()()()()()()()()()()?」

「それ、どういう意味?」

「別に。なんとなく言ってみただけ。特に意味なんてないよ」

 

 そっけない口調とは裏腹に、光莉から漂う圧は一瞬で大きくなって私に押し寄せた。

 

 光莉が私以外の人とキスするのが嫌という意味なのか。それとも私が玉青さんとキス出来なくて嫌という意味なのか。光莉の態度からはどちらかと言えば後者の―――私を責めるようなオーラが滲み出ていた。こうなってしまっては『嫌』だなんて口が裂けても言えはしない。私は重圧から逃げるように視線を逸らし、平気だと言うしかなかった。

 

 それでもしばらくの間、表情から思考を読み取ろうとするかのような視線が私の周りに纏わりついていたが、やがて諦めたのかフッと離れていくのを感じて、肺の中の空気を大きく吐き出して息をついた。

 

(玉青さんの前でそんな言い方しなくたっていいじゃない。雰囲気が悪くなるに決まってるのに…光莉のやつ)

 

 私に向かってならまだしも、玉青さんにまで刺々しい態度を見せるのは問題ではないだろうか。

 

「夜々ちゃんの同意も得られましたし、そろそろしましょうか。私は心の準備出来ましたから」

「私も大丈夫です。よろしくお願いしますね、光莉さん」

 

 ベッドに並んで座る二人。こうして見ていると本当にどちらも綺麗で溜息が出そうになる。ミアトルきっての美人である玉青さんに、スピカ随一の美少女である光莉。この取り合わせは私からすると、ダイヤだのルビーだのを詰め込んだ宝石箱みたいなもので、そのうえ二人のキスシーンともなれば垂涎ものだ。

 

(うっ…、どうしよう。私の方がドキドキしてきちゃった)

 

 光莉へのちょっとした苛立ちはどこへやら。ダメだと言い聞かせても興奮してしまう自らの節操のなさに後ろめたさを覚えながらも、胸の高鳴りは留まるところを知らない。とは言え玉青さんは切実な問題の解決のためだし、光莉は私たちの関係のために決断してくれたのである。

 

(見るわけにはいかないよね)

 

 それが誠実さというものだろうと考え、二人が視界に入らないようにと視線を落とし明後日の方向を向いた。けれどその程度では足りなかったらしく―――。

 

「夜々ちゃん」

「えっ? なに?」

「なに…じゃなくて。もうっ、デリカシーないんだから。夜々ちゃんはあっち向いてて

 

 私は光莉から起立を命じられ、次は回れ右。壁の方を向いて待つように言われたので待っていると、なんとタオルでぐるりと頭を巻かれた。いくら何でもやり過ぎだと抗議したものの、これくらいしないとダメだと強く言い返され、不本意ながらも従う羽目に。(よこしま)な目で見ていたのは事実なので、さすがにさらなる反論をしようとは思わなかった。

 

 視界は閉ざされ、耳もタオルが被さってるせいで多少聞こえにくい。そのためか光莉と玉青さんの話す声はノイズが掛かったみたいにところどころ欠けていた。

 

「――じゃ、――ますね」

「あの、すみ――、やっぱり――の準備が」

(うわっ、なんだかこれって…)

 

 余計にエッチかもしれない。

 

 声のトーンを一段落とし、囁き声で会話する二人の声が切れ切れに耳へと入ってくる。頼るものが聴力しかない私は、耳をヒクヒクと動かしてそれを聞き取ろうとするのだが、その感覚はまるで()()()()()()()()()()で刺激的だった。これからキスする二人の会話を盗み聞きしてる。そんなイケナイ事をしているような気持ちが余計に私を昂らせていく。

 

「――も、――砂さんの――めにも」

 

 光莉の声と共に僅かにギシリとベッドの軋む音が。今のは光莉が強く出て、ベッドに手を置くか何かしたんだろうか?

 

「分か――ます」

「――ら、目を瞑っ――さい」

 

 玉青さんの肩を掴んで迫る光莉。瞳を潤ませながら観念したように目を瞑る玉青さん。その目尻からは一粒の涙が零れ落ちそうになって…。

 

(―――ッ)

 

 ゴクンッと自分でもびっくりするくらい喉が鳴った。もちろん私には見えてない。見えてないけれど一部分しか聞き取れない声が妄想を掻き立て、私の脳内へと勝手に二人の姿を描き出していく。衣服同士が擦れる衣擦れの音に、躊躇う玉青さんと揉み合いになっているのか先程よりも大きく奏でられるベッドの音。

 

 そんなわけないと分かっていても、光莉に襲われる玉青さんの姿が頭にチラついた。

 

(何よこれ。まるで罰ゲームみたいじゃない。光莉のやつ、私への当てつけのつもり?)

 

 やっぱりタオルを取っ払ってしまおうかと考えたその時、一際大きな音がして身体がビクンと跳ね上がった。

 

「ちょ、ちょっと光莉? 何よ今の音?」

「何でもないよ。玉青さんが少し暴れたから押さえつけただけ」

 

 押さえつけたって…まさか本当に襲ってる? うそでしょ? 光莉が?

 

「手が邪――す。力抜い――さい」

「あっ…」

 

 弱々しく零れた声に私の身体は最大限に硬直した。これでもかと言わんばかりにギュウッと手を握りしめ、肩を震わせて気配を窺う。ドキドキと脈打つ心臓の鼓動が全身を駆け巡っていくのが自分でも分かった。

 

 そして「んっ…」と吐息が漏れたのを最後に、私には何の音も聞こえなくなった。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

「もうタオル外していいよ。夜々ちゃん」

 

 まだ胸が早鐘のように鳴っている。あれからどれくらい経ったんだろう? 3分? それとも5分とか? でも私がそう思うだけで本当はもっと短いのかも。1秒が10秒にも20秒にも感じられることなんて滅多にない。

 

 とにかく許しも出たのだからとタオルを外し振り返ると、そこには未だに玉青さんに覆いかぶさったままの光莉の姿があり、キスを終えた直後なのか、髪を耳に引っ掛ける仕草のままで私を見据えていた。一方の玉青さんは私からは見えない方へと顔を向けているうえに、光莉の髪がベールのように垂れ下がっていて表情は窺えない。けれどベッドに投げ出された身体はだらんと弛緩してるみたいで、そこだけを抜き出すと事後のようにも見える有様だ。

 

「ひ、光莉…あんた………何して」

「心配しないで。玉青さんに頼まれた通りにキスした以外は、何もしていないよ」

 

 気怠いのか寝起きの時のような緩慢な動きで身体を起こした光莉が離れても、玉青さんはその場を動かずに寝そべったままの姿勢で静かに嗚咽を漏らし始めた。

 

「私…平気でした。吐き気も…何も。静馬様の幻影…渚砂ちゃんの時はあんなに鮮明…だったのに。なんで、なんで渚砂ちゃんとだけ」

 

 ()()()()()()()キスさえ出来ない。その事実に打ちひしがれる玉青さんに掛けてあげられる言葉はなく、私はベッドの横で立ち尽くすほかなかった。室内に充満していく重々しい空気。こんな中で軽はずみな発言なんて出来るわけないと()()()()思うはずだ。

 

 けれど聞こえてきたのは―――。

 

「ふ~ん? 玉青さんの唇ってこういう味がするんだぁ」

 

 場違いなほどにに明るい、人を小馬鹿にしたような声。こんな声が偶然出るはずない。人を不快にさせる嫌な感じのざらつきを伴った声を、光莉が意図的に出しているのは明白だった。

 

「ねぇ夜々ちゃん。玉青さんの唇、とぉっても柔らかくてぇ…気持ちいいよ?」

「ひか…り?」

 

 ピンと立てた小指で唇をなぞる妖艶な仕草は、クスクスと漏らす笑い声も相まって別人のような印象を受ける。

 

「何て言えばいいのかな? あっ、そうだ! クリームブリュレ! クリームは甘くてトロトロなのに、上のパリパリに焦げたキャラメルの部分が最後にほんのちょっぴり苦みを舌に残していくの………うん、ぴったり」

「ちょっと光莉! いい加減にしないと―――」

「怒っちゃう? いいよ、怒っても。こんな事を言うと余計に怒らせちゃうと思うけど…やっぱり夜々ちゃんにキスさせなくてよかった。もしキスしてたら、夜々ちゃん絶対虜になっちゃうもん。玉青さんずるいよ」

 

 小悪魔的な口調で喋っていたかと思えば、急に声を詰まらせて切なそうに喋る光莉。そのあまりの豹変ぶりに付いていけず、ベッドの上で驚きの表情を浮かべる玉青さんに見つめられながら、光莉はもう一度小さく「ずるい」と繰り返した。

 

「スタイルも良くて、頭も良くて、おまけに性格も良くって。私にないもの全部持ってる。正直言って私は…玉青さんが羨ましいです。私が玉青さんだったら、夜々ちゃんの視線をず~っと独り占め出来るのに…。ねぇ、教えてください。どうしたらそんなに魅力的になれるんですか? 努力ですか? それとも生まれつき?」

「そう言われても…困ります。私は別に…そんな」

「だけどみ~んな玉青さんの虜じゃないですか? 玉青さんは分かってないんですよ。自分がどれだけ魅力的か。ちょっとした仕草とか言葉一つで、誰彼構わず魅了しちゃって。今日だって何なんですか? いきなり部屋に来てキスしてくださいだなんて言って。そのせいで夜々ちゃん、みっともないくらい興奮しちゃって…バカみたい」

 

 吐き捨てるように光莉はそう言った。

 

「だって…私…渚砂ちゃんと」

「夜々ちゃんを誘惑しないで。私から夜々ちゃんを取らないでよっ!!」

「だから…私は…そんなつもり………」

「そういうところが―――無意識のうちにみんなを惹きつけるところが原因だってどうして分からないんですか? どうせ静馬様の事だって」

「――ッ!?」

 

 いくらなんでもやり過ぎだ。静馬様の名前を出すだけでもまずいのに、光莉は言外に()()()()()()()()()()()と言ってしまったのである。恐る恐るベッドの方を見ると、シーツをギュッと握りしめた玉青さんは、行き場のない怒りをどこへもやれず、プルプルと身体を震わせていた。

 

「どうしちゃったのよ光莉? こんな真似、光莉らしくないわよ」

「夜々ちゃんは黙っててよ! ほら玉青さん。言い返さないんですか? それとも認めるんですか?」

 

 なおも煽るように玉青さんへとヒステリックな声を投げつける光莉に、私は違和感を覚え始めていた。たしかに光莉は嫉妬深いところはあるけど、落ち込んでいる相手に追い打ちを掛けるような子ではなかったはずだ。

 

(何かあるのね? 何かしたいことがあるのね、光莉? だからあなたはこうして玉青さんを焚きつけて…)

 

 光莉がどんな意図を持ってそうしているのかは分からない。けれど私は光莉を信じてあげようと思った。それは恋人である私なりの覚悟でもあった。

 

「――きで――たんじゃ…――です」

「なんですか? 反論があるならはっきり言ってください」

好きで…こうなったんじゃ………。私は好きでこうなったんじゃありませんッ!!

 

 おそらく相当珍しい光景であろう玉青さんの怒鳴る姿に、光莉は待っていましたとでも言うように顔を輝かせた。

 

「なんですか魅力的、魅力的って。私が悪いって言うんですか? 魅力的だと()()()()()遭わなきゃいけないんですか? 私はそんな事望んでない。ただ渚砂ちゃんと平穏に…暮らしたかっただけなのに。光莉さんに分かりますか? 無理矢理()()()気持ちが。何も…何も知らないくせにっ!

 

 たぶん玉青さんは、今まで誰かに当たったりすることなく感情を抑えていたんだと思う。いつも誰かを気遣って、自分が我慢すればいいとそう考えて。だけど光莉の発言をきっかけにそれが溢れ出してしまった。一度コップから溢れてしまった水が元に戻らないように、抑圧していた感情も戻ることはない。

 

「私には渚砂ちゃんさえいればいい。なのに…なのにその渚砂ちゃんとはキスさえも出来なくなって…。私が何をしたって言うんですか? 返してください。返してッ!! 私の…私の初めて………かえ…して」

 

 光莉に向かって手を伸ばしていた玉青さんは、そう言い終えるとベッドに泣き崩れた。

 

(もう、いいのよね?)

 

 アイコンタクトで送った合図に光莉が頷くと、私は玉青さんの傍へと駆け寄りそっと抱き締めた。

 

「ようやく言ってくれましたね」

「光莉…」

「玉青さん、ちゃんと叱ってくれないから。私は悪い事をしてしまったのに、なんだかあやふやなまま、許されたのか、そうでないのかどっちつかずで…。ずっと思っていたんです。思い切り言って欲しいって。罵声でも何でもいいから、気持ちをぶつけて貰いたかった。私は許されない事をしたんです。友人を売るという大罪を。だから罰を与えて欲しかった。そして玉青さんにも知って欲しかったんです。誰かのせいにしていいんだと、糾弾していいんだと。そのためのサンドバッグになれるなら私は喜んでこの身を差し出すつもりでした」

 

 光莉は光莉で悩んでいたんだ。私にも話さず、苦しみを抱え込んで。そして考え抜いた末に思いついたのがこの贖罪の方法なのだろう。

 

 普通に言ったって玉青さんは感情を露わにしたりしない。かと言って理由を説明すれば、逆に申し訳なさそうな顔をして大丈夫ですと答えてしまう。そんな玉青さんに溜め込んだ感情を発散してもらうには、怒らせるしかなかったというわけだ。

 

 光莉のやつ…相談してくれればよかったのに。でも知ってたらハラハラドキドキして、すぐに顔に出てバレちゃってたかも。そう考えるとそこは光莉のファインプレーかな…。

 

「あまりに溜め込んでいると身体にも精神にもよくないですから。少しは解消されているといいんですけど…」

「ふふっ、ふふふふ。光莉さんに…騙されちゃいました。自分でも分かってはいたんです。どこかで思い切り吐き出さないともやもやした気持ちは消えないって。けど、出来なくて…。私下手なんです。誰かのためならそうでもないんですけど、自分のことでは火が付かなくて」

 

 涙を拭った玉青さんはベッドの上でグググッと身体を伸ばしながら、

 

「あ~あ、なんだかすっきりしちゃいました。大声出すのって良いですね」

 

 と晴れやかに言った。

 

「聖歌隊おすすめですよ。叫ぶのは………怒られちゃいますけど」

「ふふ、考えておきます。それと───」

「?」

「光莉さん。あなたが友達で…よかった。これからも仲良くしてくださいね」

「い、いいんですか? 私、玉青さんを裏切って───」

「何を言ってるんですか。光莉さんは私の…親友ですよ」

「あっ…、そんな。私…私………」

 

 玉青さんからそう言われた途端、光莉の目尻には涙が浮かんで、重力に逆らえずポロポロと零れ出していった。

 

「ああ、もう光莉ったら。ほら、ハンカチ」

「だって夜々ちゃん、玉青さんが私の事…」

「分かったから涙を拭いて。ねっ? せっかくの綺麗な顔が台無しになっちゃうよ」

 

 私と玉青さん、それから少し遅れて光莉の上擦った笑い声がいちご舎の部屋に響き渡った…。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

「ねぇ夜々ちゃん」

 

 その日の夜、同じベッドで一つのブランケットに(くる)まっていると、光莉が突然話し掛けてきた。ぬくぬくと気持ちよくてもう少しで眠ってしまいそうだった私は、目を擦りながら尋ね返す。

 

「どうしたの?」

「うん…。あんまり言いたくないんだけど夜々ちゃんさ、玉青さんのこと凄くいやらしい目で見てたよね?」

「そ、それは───っていひゃい(いたい)。なにすうのさ(するのさ)

 

 何事かと思えば、口ごもる私の頬を光莉がムニュッと摘まんでいた。そのままムニムニと弄びジーッと顔を覗き込んでくる。

 

「ちゃんと答えて」

 

 解放された頬をいたわるようにさすりながら私は光莉の顔を覗き返した。

 

 うん、正直に言おう。その方が良いに決まってる。

 

「ごめん、見てた。怒られても仕方ないと思う」

「そっか。ちゃんと言ってくれてありがとう。だからもういいよ。許してあげる」

「えっ?」

「なんだかね、前みたいにそこまでピリピリしないんだ。夜々ちゃんは美人に弱い。そのことを受け入れられた気がするの。私が好きな人は―――夜々ちゃんはそういう人なんだって。それにそういう部分も含めて私は夜々ちゃんが好きなんだって…。もちろん浮気はダメだよ? でも美人を前に少しくらいヘラヘラしてても、今度からは大目に見てあげられると思う。あっ、だけど籠女ちゃんみたいな小っちゃい子ばかりが好きっていうのはさすがに………困るかも…」

「光莉…」

 

 あの日の出来事で色んなものを失ってばかりだと思っていたけれど、知らない間に手にしていたものもあったらしい。自分を見つめ返した光莉は、いつの間にか随分と大人びていて、こうして私たちはまた一つ積み木を重ねることが出来た。今度こそは頑丈に、倒れないように。なんなら前よりも高く積むくらいの意気込みで私は光莉と一緒に歩んでいきたいと、再びそう心に誓った一日だった…。

 

 

 

 

 

 

(きた)るべき日に備えて>…六条 深雪視点

 

「そう、そんなことを言われたの」

「はい。その場で拒否出来たら良かったんですけど、返事は保留に」

 

 いちご舎の自室。そこで玉青さんから静馬がしたという提案について聞きながら私は「なるほど」と相槌を打った。

 

 目の前のカップからは湯気と共に立ち昇る紅茶の良い香りが。茶葉は生徒会室で使っているものと同じく静馬がチョイスしたものだが、ティーカップとソーサーは最近実家から送られてきた私物である。白地に金と青の装飾が施されたその品は、生徒会室の備品よりも遥かに上質な逸品だが、学生である私が使うには少々似つかわしくない値段のものだった。良家の出身が多いミアトルとはいえ、ここまで高価なものを送り付けてくる実家はそうそうないだろう。

 

 滑らかな手触りがこの上なく心地よい陶磁器のカップで頂く紅茶は、さぞや味わい深いのかと思いきや、落として割ってしまわないか心配で正直そっちの方が気になる代物だった。ついついソーサーに置く際も慎重に、音を立てないようにと気を遣うせいか肩が凝ってしまう。今も丁寧にカップを乗せると、器はカチリと気品溢れる極上の音色を奏でて私を疲れさせた。

 

 ふと前を見ると、同じようにカップの取り扱いに苦労する姿が見えたものだから苦笑いを浮かべながら話し掛けた。

 

「ごめんなさいね。気を遣わずに普通のカップと同じように扱ってくれて結構よ、って言えたら良かったのだけど。そうもいかないわよね」

「ええ。さすがに…ちょっと」

「普段使い出来る品をと頼んだのにこんな高いものを寄越してきたんだから、向こうの落ち度ではあるのよ。学生なんだから安くて丈夫なものを送ってくれればいいのにね。こんなことなら自分で調達すればよかったわ」

 

 口ではあまり芳しくない評価を下しつつも、意外と私はこのカップの事を気に入っていた。たしかに開封して2,3回ほど使った時は、なんて使いにくいものを、と思ったのだが、使う間にどことなく親近感のようなものを抱いてしまったのである。

 

「なんだかこのカップと私って似てると思わない?」

「六条様と…ですか?」

「ええ。似てると思うの。()()()()()()()()()()()()()()()が…特に」

 

 自分としては上手い事を言ったものだと思ってフフッと微笑んだものの、どうやら玉青さんにはウケなかったようだ。そもそも冗談を言っていると認識すらされてなかったのかもしれない。もう少し普段からユーモアを取り入れておけば反応も違ったのだろうか?

 

「今のは笑うところよ、玉青さん」

「す、すみません」

 

 謝られてしまうとますます困ってしまのだけど、まぁいいか。

 

「本題に戻るけれど、返事を保留したのは(かえ)ってよかったかもしれないわね。僥倖…とでも言うべきかしら」

「六条様としては幸運だったと?」

「ええ。それに静馬は大勢の前で宣言するように言ったのよね? だったら逆に利用できるわ」

 

 玉青さんから提案について聞いてすぐに、私は全校集会に結び付けることを思い付き考えを練っていたのである。

 

「今度ミアトルの全生徒が出席する全校集会があるでしょ。そこで静馬に一泡吹かせてやろうかと思っていたの。あなたは興味ない?」

「私はその…復讐とかは」

「復讐って言われてしまうとなんだか大袈裟な感じがするわね。別にそんな大それたことをするわけじゃないの。痛めつけたりとか、傷付けるつもりなんてさらさらない。ただちょっと…何でもかんでも静馬の思い通りにさせたくないなって…それだけよ」

 

 復讐は考えてない…か。私だったら…どうだっただろうな。たぶんやり返す事しか頭になくて夜も眠れなかったかもしれない。他人を思いやる事も大切だとは思うけど、時にはそういった生々しい感情だって必要なはずだと私は思う。

 

 予想以上にずっと穏やかな玉青さんにどうにかして参加してもらうべく、さらなる一手を放つ。

 

「こうは考えられないかしら? 渚砂さんと前へと進むための、その最初の一歩を踏み出すためのケジメであると。あなた自身、そして渚砂さんにとっても、静馬の幻影を振り払うことは必要なのではなくて?」

「前へと進むための…」

「どう? 少しは乗り気になった?」

「はい。私は…渚砂ちゃんと前に進みたいですから」

 

 そうは言っても気持ちはまだ半々ってとこかしら。仕方ないわよね。全校集会で何をするかという肝心な事を、まだ話していないんだから。ああ、でも…勇気がいるわね、やっぱり。ちゃんと打ち明けるのは千華留さん以来だもの。薄々感づかれていたとしても、面と向かって話すのとじゃ大違い。本当は宝箱にでも入れて仕舞っておきたかったんだけど…。

 

「玉青さん。あなたは信頼に足る相手だと思っているわ。成績やそういった面だけじゃなくて、女性に恋する一人の少女として。だから私が全校集会で何をしようとしているのかを、今この場で打ち明けるわ」

 

 顔を寄せるように手招きし、美しい青髪の間に見える肌色の耳に唇を寄せる。普通に喋るよりかはその方が相応しいと…そう思ったから。

 

「私、――馬に――白――するわ。そし――、――そらくだ――ど、――の丘を」

「ろ、六条…様」

 

 最後までは怖ろしくて言えなかった。けれど起こり得る結末を悟った玉青さんがその瞳を潤ませながら両手を握ってくれていた。

 

「これで私に賭けてくれる気になったかしら?」

「本気…なんですね」

「ええ。本気よ」

「なら私も、ご一緒します」

「ありがとう玉青さん」

 

 最初から私の我儘に巻き込むつもりだったとはいえ、健気に付いていくと言われて不覚にもしんみりしてしまった。思えば生徒会の仕事もまだ全てを伝えきれてはいない。玉青さんなら大丈夫だとは思うけど、そこが少し心残りか…。

 

「とりあえずだけど、あなたには静馬にこう答えて欲しいの。次の全校集会であなたの望むようにいたしますってね。全校集会なら静馬の言った『大勢の前で』という条件にも合致するし、何よりまだ日数があるからこちらも準備出来るわ。時間稼ぎも出来て一石二鳥よ」

 

 もしこうなる運命が分かっていたのだとしたら、私と玉青さんの関係についての噂も必然だった、なんてのは考えすぎだとしても耐えた甲斐があるというものだわ。

 

「あと噂についてなんだけど、これも利用しようと考えているの。だから玉青さんには申し訳ないけど、その日までなるべく現状維持、ということでお願いできないかしら?」

「それでは否定とかそういった行動もしないということでしょうか?」

「ええ、注目を浴びている方が都合が良いというか、カウンターになるんじゃないかと思って。現状維持どころかあなたの教室の前を意味もなくウロウロしたっていいくらいだわ。精神的な負担は大きくなってしまうけど目標と期限があれば耐えられると思うの」

 

 いつ終わるのかと思いながらひたすら耐えるのと、この日まで我慢すればいいと分かっているのとでは、かなり話が変わってくるはずだ。何よりその先に逆転の一手が待っているのだとしたら、その耐える日々さえも喜びに変えられるかもしれない。

 

「六条様のお話は分かりました。ただ…」

「ただ?」

「私と渚砂ちゃんの間に問題がありまして―――」

 

 辛そうに話し出した玉青さんの話の内容は信じ難いもので、そのうえ私の計画にとって重大な障害となるものだった。

 

「本当なの? 疑うわけではないけど、渚砂さんとだけキスも出来ないだなんて」

「夜々さんと光莉さんに手伝ってもらって確認しました」

「待って! 今、光莉さんと言ったわよね。もしかして光莉さんにも教えたの? 彼女はあなたの情報を静馬に流していた子よ?」

 

 私が懸念したのは情報の漏洩だ。玉青さんが渚砂さんとキス出来ないのを静馬に知られるのはまずい。知れば間違いなく玉青さんの元を訪れて場を搔き乱していくだろう。それもあって私は声に「信用できるの?」というニュアンスを込めながら玉青さんに確認したが、返ってきたのは力強い答えだった。

 

「あの二人ならもう大丈夫です。光莉さんが静馬様に情報を流すようなことはありません。私は信じています」

 

 私よりもずっと付き合いの長い玉青さんにそう言われては信じるしかない。もっとも、玉青さんの晴れ晴れした顔を見るに、心配する必要がないのは明白だったけれど…。

 

「そう。それじゃあ後はあなたと渚砂さんの問題だけね。全校集会までに………なんとかしなさい」

 

 間に合うかどうかを尋ねるのではなく()()()そう言った。突き放すみたいに聞こえるかもしれないが、玉青さんが夜々さんたちを信じるように、私も玉青さんを信じて託すことにしたのである。だったらグダグダ言うのは野暮というものだ。

 

 返ってくると分かっていた「はい!」という声に、私は静かに頷いてみせたのだった…。

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 

 




■後書き

 途中まで読んで、まさかここの関係もギスギスするのか、とうんざりした方も多いかもしれませんが友情復活となりました。そんなわけで今回は光莉ちゃんにスポットを当てた回となっております。今まで何度も玉青に嫉妬していた光莉が、その呪縛を完全にではないしろ断ち切る、そんなお話です。

 光莉はアニメ視聴の時から(とても個人的にですが)一見さっぱりに見えて、恋愛に本気になると湿度が高そうな子だなって思ってたんですけど、それが影響して本作では思いっきり湿度高めのしっとり女子に…。特に嫉妬が絡んで静馬に告げ口をする(第26章)話あたりにそれが強く表れています。生々しい行動ではあるけれど、逆にそれは愛の強さの裏返し。そういう意味では象徴的なイベントだったかも。

 好きな人を取られまいと嫉妬し、あまつさえ密告までした光莉が大きな成長を見せた今回は、そんな光莉の集大成ともいえるお話でした。


 次章もどうかよろしくお願いします。それでは~♪
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