全校集会のあの日。行動を起こしたメンバーたちに下された学園からの処分。謹慎生活を送る玉青たちの心配は、盟友である六条深雪についてだった。一人だけ別の処分を受けた深雪の行く末は…?
■目次
<ささやかな乾杯>…鬼屋敷 桃実視点
<別れの朝>…涼水 玉青視点
<深雪からの手紙>…花園 静馬視点
<六条家>…六条 深雪視点
■六条家
静馬の生家である花園家よりは歴史が浅いものの、近代に入ってから財力と政治力を武器に、家の格式としては匹敵するほどの成長を遂げた。
六条
六条
六条
第37章「清らかなままで御座います」
<ささやかな乾杯>…鬼屋敷 桃実視点
「はぁ…」
「要ったらまた溜息? あんまり溜息ばっかりついてると幸せが逃げちゃうわよ」
ここはスピカの食堂。そこでしょんぼりと、フォークでケーキを一口サイズに切り分けながら肩を落とす親友は、最近ずっとこんな調子だ。正確にはミアトルで行われた全校集会の日から今日までずっと。授業にも身が入らないようで心配になる。
「そうは言うがな桃実。どうにも心にぽっかりと空いた穴が…埋まらないんだよ」
聞きようによっては恋愛相談みたいに聞こえなくもない。といっても我らが剣城要の場合は、人間相手ではなく
「ミアトルの六条会長はこの丘を去るという噂だし、次期会長候補だった玉青くんも推薦の取り消し。あまりにもゴタゴタの影響が大き過ぎてミアトルは今年はダメだろう。スピカも千華留会長がいなければ何の脅威も感じないしな…。果たしてそんな状態で勝ったとして、意味はあるのだろうか」
もう既に何度目か分からないほど聞かされた、要によるエトワール選の見通し。だがここで「エトワールになりたかったんだからラッキーじゃん」などとは言ってはいけない。要は正々堂々と勝負して、そのうえで勝ち取りたいと望んでいるのだから。死力を尽くしたのであれば負けても悔いはないとまでのたまうのはさすがに言い過ぎではないかとも思うが、それが要の魅力でもある。
「そうだ桃実! 桃実がお嬢ちゃんと組んでエトワール選に出てはどうだろう? 桃実ならミアトルやルリムにも名前が売れているし、お嬢ちゃんだって磨けば光るに違いない。所属はルリムからの出馬ということにすればいいしな。どうだ? やってみないか?」
「えぇ…。いくらなんでも籠女はまだ無理よ。来年なら多少は芽はあるかもしれないけど」
要がお嬢ちゃんと呼ぶ籠女の──私の恋人の姿を思い浮かべ、困惑した。
「それにスピカからも処分者が出てるっちゃあ出てるのよね」
「聖歌隊の二人か。意外だったよ。あんな事をするタイプには見えなかったから。とはいえ彼女たちを責められないしなぁ」
私は夜々さんと光莉さんについて良く知っているけれど、要からすれば単に聖歌隊の生徒…くらいの認識のはずだ。そんな要が責められないと言ったのが興味深くて、私はその訳を尋ねてみた。
「へぇ。それはどうして?」
「ん? 六条会長も玉青くんも、そしてそれに協力した人も譲れない想いのために行動を起こしたんだろう。手段はよくなかったかもしれないが私には責められないよ。彼女たちにとってはエトワール選よりもずっと大事な──そう、愛のためだったのだから。愛ってやつはいつの時代も………尊いものさ」
ニヒルに笑いながら珈琲を口に含んだ要は、これ見よがしに片目をパチリ。そのウインクに、私と籠女のことも含まれているんだな、と今更ながらに気付き、照れた頬が赤く染まった。
「要。あなた良いエトワールになるわよ。私が保証する」
「なんだよ急に」
「人としての器が大きくなったな…って」
なんだか隣に並んでいたはずの友人が遠いところに行ってしまったみたいな寂しさとは別に、私の胸には誇らしさと嬉しさが込み上げていた。
「選挙が盛り上がらなくても、エトワールになった後でたくさん頑張ればいいのよ。あなたのエトワール姿。少なくとも私と詩遠は、心待ちにしているわ」
「まったく君というやつは。私をその気にさせるのが上手いな」
「親友だもの。当然よ」
理由はただそうしたかったから。要の持つ珈琲カップに自分のカップを近付け、互いのカップが軽く触れ合うと、カチンッと小気味いい音を立てながら、中の珈琲はその艶やかな琥珀色の身体を震わせた…。
<別れの朝>…涼水 玉青視点
いちご舎の掲示板に張られた通達。おそらく3校の各校舎にも貼られているであろうそれには、次のような内容が記載されていた。
以下の者 ミアトルの全校集会における問題行動により下記の処分を課す
涼水玉青…二週間の謹慎処分に加え、次期生徒会長への推薦の取り消し。なお立候補の権利については取り上げないものとする。
蒼井渚砂…二週間の謹慎処分とする。
理由 行事の私物化及び進行の妨害並びに逃亡
南都夜々…一週間の謹慎処分とする。
此花光莉…同上
理由 管理室への侵入及び機器の操作
源千華留…二週間の謹慎処分とする。生徒会長の地位は剥奪しないが、謹慎中は失効しているものとみなす。
理由 管理室の鍵の窃盗及び問題行動の幇助
六条深雪…ご家族との話し合いの末、別途処分を下す。
理由 一連の問題行動の計画及び幇助
やはり私と渚砂ちゃん、それと管理室の鍵を盗み出していた千華留様の処分は重く、一方で指示されたことをしただけとして、夜々さんと光莉さんの処分は私たちに比べればいくらか減刑されていた。静馬様はどう証言なさったのかは不明だが、シスターたちは巻き込まれた側と判断したらしくお咎めなしとのこと。
こうして謹慎処分となった我々にはそれぞれ謹慎用の1人部屋が宛がわれ、そこで謹慎生活を送る傍ら、生活指導のシスターによる厳しい監視の下で清掃活動等の奉仕に励むことになった。お互い顔を合わせるのは食事や清掃といった限られた機会だけ。もちろん楽しいお喋りなんてもってのほかだ。けれど既に結ばれた私と渚砂ちゃんは、監視の目を盗んでテーブルの影や柱に隠れながら手を繋ぐだけで心を通わせることが出来た。
むしろ驚いたのは担当シスターたちの方かもしれない。私たち5人全員が何の文句も言わず淡々と謹慎に耐える姿に、シスターたちは不思議がって何度も理由を尋ねてきた。しかし理由を説明する者はなく、ただ黙ってお辞儀してみせるだけだったのだから。下手をすれば不思議さを通り越して不気味さを感じていてもおかしくはない。
というわけでここまでが謹慎となった私たち5人の近況である。
問題は六条様で、通達には詳細が書かれていないものの、事情を知る私たちは実家である六条家へ引き渡されることを薄々感じ取っていた。
そして全校集会から5日経ったある日のこと。アストラエアの丘と外の世界を隔てる門の前に私たちは集合していた。そう、ついに六条様がこの丘を去る日が訪れてしまったのだ。校舎では授業が行われている時間ということもあり、見送りに参列したのは私たち謹慎組の他は、事情を知らされた極一部の生徒のみ。3校に名を馳せたミアトルの生徒会長の見送りにしてはあまりにも寂しい人数であった。
「静馬様…来ませんでしたね」
「いいのよ。分かっていた事だし。それに………会ったら泣いちゃうと思うから。これで良かったのよ」
白いブラウスに黒のタイトスカート。制服ではなく私服に身を包んだ六条様は、冗談めかしてそう言ってから諦めの混じった寂しい笑みを浮かべた。まだやりたい事があったはず。誰よりも静馬様の傍にいたかったはず。それが分かるだけに余計に辛く、私はいたたまれなくなって地面に目を伏せた。
丘へと続く長い坂道。くねくねと折れ曲がったその道を走ってきた3台の高級車は、門の前でそれはそれは静かに動きを止め、その中の1台からスーツを着こなした初老の男性と侍女らしき女性が姿を現した。男性はシスターに一礼をし、物腰穏やかに──間違っても横柄だなどとは口が裂けても言えないような気品溢れる態度で話し始める。ミアトル出身のシスターもまた、優雅にこれに応じつつさりげなく私たちの方へ視線を送ることで、別れの挨拶を済ませるよう促すのだった。
もうすっかり夏の日差しと言ってもいいような、じりじりとした熱線に焦がされる中で、参列した生徒一人一人が六条様と言葉を交わしていく。お世話になりましたとか、ありがとうございましたという声に、こちらこそといった返答がされると、感極まって泣き出す生徒たち。その光景はあまりにも美しくて、見ているだけで泣いてしまいそうだった。
それでも直接言葉を交わすまでは泣くものかとグッと涙を堪えていた私の前に、とうとう六条様がやってきた。
「最後まで面倒を見てあげられなくてごめんなさい」
「いえ、私の方こそ助けていただいてばかりで。私、生徒会長を目指そうと思います。立候補の権利は…まだ残っていますから」
「そう、
「は、はいっ! ──ッ。すみ…ません。我慢しよ…うと…思っ………思ってたのに…」
人の浸かった湯舟から一気にお湯が溢れていくように、私の目からも涙が溢れ出した。そんな私を六条様は優しく抱き締め、落ち着かせるように背中を撫でてくれる。
正直なところ、こんな大それたことをしでかしてしまった私が生徒会長になれるかと言えば、それは難しいだろう。だから半分くらいは意地で言ったような部分もある。立候補もしないで負けるのは、仕事を教えてくれた六条様に申し訳なくてしたくなかった。恩返しというわけではないが精一杯戦うつもりだ。
「渚砂さんと幸せにね」
「六条様っ! 六条………様」
「ふふっ。意外と甘えんぼさんだったのね」
子供みたいに泣き出した私の背中をポンポンッと軽く叩いてくれる感触が心地よくて、いつまでもそうしていたいくらいだった。現に私は渚砂ちゃんに肩を抱かれて六条様から離されるまで、子供みたいに泣きじゃくっていて手を放そうとしなかった。
そして最後に六条様が向かったのは千華留様の前。
二人はせっかくのチャンスだというのに言葉も交わさず、しばらく互いを見つめ合っていた。視線だけでの会話。私には分からない二人なりの何かが、そこにはあったのだろう。
「静馬の事、お願いね。あの子…恋人はいても友達はいないタイプだから」
「ええ、分かったわ♪」
たったそれだけの実に簡潔なやり取りを終えた二人は、抱擁を交わすと笑いながら頷き合った。
「それじゃあみんな。これでお別れよ。どうか…元気で」
そう告げた六条様は、吸い込まれるように車の中へと姿を消した。決して振り返らず、堂々と歩くその姿は、六条深雪の名に相応しい貫禄ある最後だった…。
<深雪からの手紙>…花園 静馬視点
(待って! お願いだから待ってよ! 深雪。ねぇ深雪!)
夢だということに気付いていながらも私は懸命に手を伸ばした。鬱蒼と生い茂る森へと踏み込もうとする親友に向かって。その先にあるのは霧に包まれた洋館。深雪を閉じ込める鳥籠だ。あんなところに深雪を行かせてたまるものか!
けれど伸ばした手は
「深雪ッ!!!」
ガバリと飛び起きた自分の部屋に荒い呼吸が響き渡る。叫びながら目を覚ますのはもう何度目だろうか。全校集会のあの夜から毎晩のようにこの悪夢にうなされている。ひとまず私はベッド脇のテーブルに置かれた水差しからコップに水を汲み、一気に
「ハァッ……、ハァッ……」
まだ跳ねている心臓を押さえつけるように、胸に手を当て深呼吸を行う。下着は寝汗でびっしょりと濡れていて、気持ちが悪かった。
「──ッ。もうこんな時間。たしか今日は……う゛っ…」
急に動こうとして思わず頭に手を宛がった。頭が痛い。理由は簡単、寝過ぎによるものだ。あの日以来、自主謹慎という名目で学校を休んでいる私は、一日のうちのほとんどをベッドの上で過ごしていた。それも何かをするでもなく、ひたすらガーゼのケットを被って惰眠を貪るような日々である。
何もかもが嫌だった。私のせいで深雪がこの丘を去ることになったという事実が、私を
ヨロヨロと立ち上がり机の上のカレンダーを確認する。間違いない。今日が深雪の連れ去られる日だ。時間も今まさに迎えの車が来ている頃だろう。
「深雪…」
私も門まで見送りに行こうかと思ったが、あいにく身体は動かなかった。机の上に置かれた
「今更…今更会ってどうするっていうのよ。止められもしないのに」
封筒が届いたのはたしか2日前の夜。不規則な生活の影響で時間の感覚が狂っているが、たぶん合っていると思う。あの夜は最近にしてはやけに涼しい夜だった。
―――――――――
――――――
―――…
就寝時間の前にもかかわらず既にベッドでまどろんでいた私を邪魔したのは、扉を叩く少し強めのノック音。一体誰がと思いつつも、応対する気にもなれずゴロリと向きを変えてやり過ごそうとした。しかし次に聞こえてきた声に、私は渋々起きざるを得なくなり扉を開けた。
「こんばんわシスター。シスターソラナ」
部屋を訪れたのは生活指導の担当者の中でも最も規則に厳しいと評判のシスター。小言でも言いに来たのかとやや不機嫌に用件を尋ねた私に、彼女は黙って封筒を差し出し、それから少し遅れてポツリと呟いた。
「本来は許されないのだけど、最後のお願いだと言われてね」
普段は僅かな遅刻も許さないことから鬼とも形容される彼女。よく叱るせいか年のわりに、といっても60歳を超えているが、しゃがれた声が今日は慈愛に満ちていた。明日は槍の雨でも降るかしらと苦笑いを浮かべながら受け取った封筒を裏返すと、差出人は───。
「深雪…」
なるほど。彼女がこんな表情をするわけだ。さしもの鬼も不憫に思い、願いを聞き入れたといったところか。おかげで眠気が一瞬で吹き飛んだ私は、配達をしてくれたシスターソラナに礼を述べた。
「ありがとうシスター。恩に着るわ」
「ふんっ。自主謹慎だのと理由をこじつけて学校をサボッてるやつに言われても嬉しくないね。言っておくけど他のシスターや生徒には内緒にしておくんだよ。いいかい? あんたのためじゃなくて六条さんのためだ。今回は特別だよ」
憎まれ口と共に知らなかった優しい一面を垣間見てしまい、何とも複雑な気分になる。
「数十年前にも…あんたたちみたいに無茶やったのがいたっけね。なんだか懐かしくなっちまった。それでこんな事をしてんだから私も焼きが回ったもんだ。それじゃあね」
「おやすみなさい。シスター」
見回りへと戻っていくシスターの背中に、今度はしっかりとお辞儀をする。こちらを見ないままに手を振る姿がえらく印象的で、廊下の曲がり角に消えるまでぼんやりとその背を見つめていた。
シスターを見送った私は、さっそく部屋に戻るなり手渡された手紙の封を切り中身を取り出した。罫線の引かれていないシンプルなデザインの紙に深雪の綺麗な字が書かれている。お手本をそっくりそのままコピーしたようなそれは、相変わらず惚れ惚れするような美しさだった。
親愛なる静馬へ
やはり六条家へ連れ戻されることになりました。2日後の朝、迎えの車が来ます。
自分で選んだ道だから後悔はしていません。今までありがとう。さようなら。
六条深雪より
手紙を読み終えた私は身体を震わせ、何度も何度も最初から読み直した。しかし何度読み直しても、手紙には別れを告げるあっさりとした文言が並んでいるだけで、未練のようなものは欠片ほども見つからなかった。
「何よ…これ…。他にもっと書くことがあるでしょうが。ほんと…最後まで…不器用なんだから」
覆らない運命を悟り、知らず知らずのうちに呟いた「馬鹿…」という声と共に、部屋には嗚咽が木霊した…。
―――…
――――――
―――――――――
「ふふっ、ふふふふふふ。どうせ私は他人を不幸にしか出来ない女。分かっていたじゃない。あはは、あははははははは」
ひとしきり笑うと、ベッド脇に落ちていたケットを拾い直し私はベッドに逆戻りした。今はひたすら目を瞑ってまどろんでいたい。何もかも───深雪のことさえも忘れて…。
机の上のエトワールの証。すっかり曇って輝きを失ったサファイアの宝石とは対照的に、ルビーの宝石が未だに光り輝いていた事に私は気付いていなかった。
<六条家>…六条 深雪視点
(やっぱり来てはくれなかったか…)
チラリと見た窓の外。遠ざかっていく景色にはアストラエアの丘の門と見送りの面々。だがやはりその中にあの絢爛豪華な銀髪の乙女の姿がないことに、残念なような、静馬らしいような、そんな相反する想いが混在していた。
シスターソラナに託した手紙。静馬は読んでくれただろうか?
(手紙…もう少し書けばよかったかな)
愛してるとか、私を忘れないで…とか。何度か試し書きしたものの中にはそういった文言を織り込んだパターンもあるにはあったが、どうせこの丘を去る身。覚えていて欲しいだなんておこがましいと、結局書くことは出来なかった。みんなに自分の気持ちを知ってもらえただけで充分だと、そう心に言い聞かせて。
(最後だってカッコつけちゃって。泣き喚いたっていいのに…。馬鹿だな…私)
「お嬢様。お屋敷に戻られてからのことですが」
「ええ。言う通りにするわ」
数人いる秘書のうちの一人である男性にそう返答しながらも、私はどこか上の空のまま、この丘での思い出に浸っていた。
(そっか。静馬にはもう…会えないのか)
「まずは旦那様にお会いして頂きます。それから───」
「──ッ。うっ…、うぅ…」
「お嬢様…」
「静馬。静馬………」
「………。失礼致しました。お話は後ほどにいたしましょう」
もうあの丘には戻れない。そのことをようやく身に染みて理解し、我慢していた涙が零れ出す。会話の途中だというのに両手で顔を覆った私を責める者は誰もいなかった。そんな私を乗せて、車は無言で丘を下る坂道を走り続ける。既に窓からは立派な門も、友人たちの姿も見えなくなっていて、それがより一層私の哀しみを誘った。
さようならアストラエアの丘。さようならみんな。そしてさようなら………静馬。
丘の麓に降り立った車を、外の世界の喧騒が包み込んだ…。
「お嬢様。お帰りなさいませ」
門をくぐり抜けた後もさらに車を走らせてやっと辿り着くような広大な敷地に立つ洋館。いくつも並ぶ大きな窓に、繊細な細工の施された外壁。かつては外国の要人を接待するために建てられたこの館は、度々改修を受けながら、現在もこの場所に威風堂々とその姿を披露している。
その正面に停車した車から降りた私を出迎えたのは、六条家に仕える使用人たち。道を作るかのように2列に分かれて並んだ彼ら、もしくは彼女たちは、分度器でも体内に備わっているのかと思うほど、みな一様に同じ角度でお辞儀をしていた。
なんて仰々しく、そして時代錯誤な出迎えなのだろうと思ってしまう。この時代にあって、まだこんな儀式に縛られているとは…。もちろん使用人たちを責めているわけではない。こんな事をさせているであろう張本人──つまり自分の祖父に対して、私はひどく落胆した。
「旦那様が書斎にてお待ちです。お荷物はこちらで運んでおきますので」
玄関に控えていた別の秘書の男性が先導するように私の前を歩く。絨毯の敷かれた床に磨き上げられた調度品の数々。それらを見て「ああ、ここはずっと昔のままだ」と少し安心してしまう自分がいることに気付いた。祖父に落胆しておきながら、一方で安心するだなんて、些か身勝手と言える。
やがて祖父の書斎の前に到着すると、秘書は部屋の中へは入らずに外で待つと言うので私だけが入っていった。
「お久しぶりです。御爺様。六条深雪…ただいま戻りました」
「おおっ、待っておったぞ」
皮張りの豪奢な椅子に腰掛ける小柄な老紳士。祖父の房継は頬を緩め、人懐っこそうな笑みを浮かべて私を手招きした。この姿を見て、一体誰が政財界に太いパイプを持つ傑物であると思うだろうか? 傍で屈んだ私の頭を撫でる祖父は、どこの誰が見たとしても優しい『おじいちゃん』にしか見えない。
事実…祖父は私や親族、それから使用人に対しても思いやりのある人ではあった。ただ先程の出迎えのように、一度決めたルールはなかなか変えない頑固さも併せ持っているのが勿体ない部分でもある。
「すまんな。学園から呼び戻したりして」
「いえ。こうなる事は分かっていましたから…」
「そう悲壮な顔はしないでくれ。別に叱ったり説教をするつもりはない。私はただ孫娘のお前が心配でな。それで居ても立っても居られず、こうして迎えを寄越したのだ。それは分かってくれ」
「はい…」
視線を落とす私に祖父は溜息をつくと、机の上のベルをならし外で待つ秘書を呼んだ。秘書はすぐに事情を了解して一旦部屋を出て行き、次に入れ替わりで入ってきたのは使用人の中でも古参の――祖父の信頼厚い数名の侍女たちだった。
「御爺様? これは…?」
「深雪。悪いがお前の身体を調べさせてもらう」
「しら…べる?」
「身体に傷でも付いていたら大変だからな」
「──なっ!? 御爺様ッ!?」
祖父の言葉に耳を疑った。オブラートに包んではいたが、祖父が言及したのは紛れもなく私の純潔についてであることを即座に悟ったからだ。
「私とてこんな事はしたくないのだ。だが婚姻というのは相手方があってのもの。そしてそこには信頼が必要不可欠だ。お前にもしものことがあれば、六条家全体の信用を損ねることになりかねん。利口なお前なら分かるはずだ」
「そんな………私は…」
「すまんが深雪を頼む。さあ、早く」
愕然とする私を、侍女たちは予め用意されていた別の部屋へと連れ出した。信頼出来る者だけを呼んだのは何があろうと決して口外しないという安心を得るためだったのだろう。
「お嬢様。お召し物はこちらに」
震える手で着ていたブラウス、それとタイトスカートを籠の中に入れる。しかし侍女たちは首を振り私に告げた。
「申し訳ありませんが下着もお願い致します。旦那様のご命令ですので」
「分かり…ました」
ブラを外し、片足を上げてショーツを脱ぎ去る。頭の中を駆け巡る悔しさ、屈辱、羞恥心。部屋には侍女しかいないとはいえ一糸纏わぬ姿となった私は、隠すことも許されず両手を水平にした状態で彼女たちのチェックを受けた。それが終わると今度はベッドに寝かされ、女性として大切な部分を調べられた。
唯一救いだったのは侍女たちが感情を一切見せなかったこと。私の苦痛が少しでも減るようにと淡々と職務をこなす彼女たちはさすがの風格であった。全ての確認が終了し、着ていたものとは別の衣服を身に纏い再び祖父の部屋へ。
「戻ったか。それで…どうだった?」
早速そう尋ねられた侍女たちのうちの一人が、胸を張って答えた。
「はい。ご安心くださいませ旦那様。深雪お嬢様の身体は、清らかなままで御座います」
「そうか………。ふぅ。ようやっと安心出来た。お前たちはもう下がってよいぞ」
報告を聞いた祖父は強張っていた肩の力を抜き、椅子の背もたれに寄り掛かりながら侍女たちに退室を命じた。頭を軽く下げ、音も少なめに彼女らが退室すると、部屋は私と祖父の二人きりとなる。
「ひとまず先方にはお前の身体に何もなかったと伝えておこう。それにしても…女学校に送った孫娘にこんな事をする羽目になるとはな。花園の小娘め。深雪を誑かしおって。花園家の者でなければ退学にでもしてやりたい気分だ」
「そんな言い方はなさらないで御爺様。私が勝手に…静馬を慕っていただけですから」
「私とてお前の祖父だ。叶うならば好きな相手と結ばせてやりたい。だが………女を好きだと言い出されてはどうしようもない。花園家自体は申し分のない家柄だ。その静馬とやらが男なら…考えてもよかったのだがな。まぁいい。今日は疲れだろう。話はまた今度にして部屋で休むといい」
「………。失礼します。御爺様」
怒るつもりはないという先の言葉通り、祖父は私をあっさりと解放した。誰の目から見ても間違いなく恩情だったと思う。六条家という巨大組織を運営する立場からすれば、私のしでかした行いは到底許されるものではなく、折檻を受けても致し方ないと私自身さえ考えていたからだ。
付かず離れず、絶妙な距離を保って移動する侍女と共に歩きながら、私はホッと胸を撫で下ろしていた。
「広いわね…」
部屋に入った瞬間思わず呟いてしまうほどに、私のためにと新たに用意された部屋は広々として開放的だった。いちご舎の部屋を5つほど合体させてもなお及ばないであろう豪奢な間取り。天蓋付きのベッドに、馬鹿みたいに大きなクローゼット。寮生活のこじんまりとした暮らしにすっかり慣れた私には、むしろクラクラしてしまいそうな眩さである。
どこにいればいいものか、そわそわと落ち着きなく部屋をうろうろした結果ベッドに腰掛けることにした私は、そこでぼんやりとこれからの生活について想像してみた。着替えも、お風呂も、何だって侍女が手助けしてくれる楽な生活。案外最初のうちは楽しいかもしれない。
(最初の何日かくらいは………ね)
自嘲気味に笑う私を侍女が不思議そうな顔をして見つめるなか、ノックして部屋に入ってきたのは最初に迎えに来た秘書の男性だった。
「おくつろぎ中のところ申し訳ありません。旦那様より伝言を賜りましたので」
「ありがとう。それで祖父はなんて?」
「はい…。それなんですが…」
何か言いにくい事なのだろうか? 躊躇う彼に続けるよう促した私は、聞いたことを後悔する羽目になった。
「詳細な日時はまだ決まっておりませんが、深雪お嬢様には来週、婚約者の方と会食をしていただく…と」
「そう…分かったわ」
「それでは私はこれで」
握りしめようとしたシーツはどこまでも滑らかで、私の指からスルリと踊るように逃れてしまう。行き場を失くした想いのぶつけどころはなく、ただ項垂れることしか出来なかった。
現実味を帯びてきた『婚約』の2文字に、私という存在はあまりにも無力だった…。
■後書き
予告通り深雪さんのお話です。ついにアストラエアの丘を飛び出して外でのお話となりました。ついでに男性がちゃんと登場した回でもあったり。
もしよかったら次章もよろしくお願いします。それでは~♪