アストラエアの丘で   作:クラトス@百合好き

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■あらすじ
 未だに自主謹慎という名の引きこもりを続ける静馬の元を玉青が訪れる。その弱り果てた姿に玉青は複雑な感情を抱きつつも世話をしようとするのだった。深雪の残したエトワールの証の片割れに、静馬の抱く想いとは…。

■目次

<真紅の首飾りの導き>…涼水 玉青視点
<子守歌>…源 千華留視点
<ドレスと私と>…六条 深雪視点
<お待ちしておりました>…花園 静馬視点


第38章「あれがないと私は眠れないのよ」

<真紅の首飾りの導き>…涼水 玉青視点

 

 六条様がアストラエアの丘を去って数日。謹慎期間が終了し夜々さんたちが晴れて自由の身となった一方で、私を含む3人は今日も奉仕活動という名の雑用を行っていた。

 

「失礼します」

 

 部屋に入るとムッとした熱気が身体に纏わりついてくる。それと同時に、あまり換気も行われないままに人が長く滞在していたことによる独特な匂いも。私は明かりもついておらず、カーテンも閉め切られた薄暗い部屋の中をズンズンと進み、断りを入れることもなく黙ってカーテンを開いた。

 

 差し込んできた夏の日差しに部屋の主が「うっ」と呻き声を漏らしたのを横目で見つつ、カーテンを束ね窓を開ける。気持ちいい風というわけでもないが、この部屋の空気よりはいくらかマシだろう。湿った陰鬱な空気が外へと流れ出していくのを感じながら振り返り、今度こそ向かい合った。

 

「昼食の時間です。静馬様」

 

 私の声にのそりと起き上がった人影は、ぼんやりとした様子でまだ焦点の定まらない目をこちらに向けた。一体誰が予想出来るだろうか? ミアトルの、いやアストラエアの丘を代表するエトワールの()()()姿を。

 

 下着も何も身に着けず裸体にガーゼのケットを纏っただけの姿は、たしかに妖艶で人を惑わす色気を備えてはいたが、梳かされていない銀髪はまとまりを忘れ、不規則な生活によって肌はところどころハリを失っていた。

 

 ああ、なんということだ。あの輝くような銀髪! この御方を象徴する髪さえも、このような有様であるとは!

 

 くたびれた姿とは対照的に、抜群のプロポーションを構成する柔らかな双丘と臀部がやけにその存在を主張するせいか、娼婦のようにも見えるその人は覇気のない声で呟いた。

 

「あなたが来てくれるなんてね…玉青。シスターも気が利くわ」

「とにかく何か着て、それから昼食を。食べないと衰弱してしまいますよ」

「食事は…食べたくないわ」

 

 テーブルに置いたトレーからは目を逸らしつつその視線は私の方へ。舐め回すように下から上へと動き回る。

 

「ねぇ、時間はあるんでしょ? だったら私と遊ばない?」

「帰りが遅くなればシスターが心配して見に来るかと」

「少しなら平気って事じゃない。つまらない雑用なんかじゃなくて…もっとイイコトしましょ。どうせあなただって渚砂とはあの日以来シてないんだろうし、せっかくの身体が勿体ないわ」

 

 海へと引きずり込もうとするマーメイドの手招きよろしく、私を誘惑する銀髪の悪魔。別にその誘いに乗ったというわけではなく、単に着替えさせようと思って近付いた私に、静馬様は抱き着いてくるなり唇を耳へ押し付けた。

 

「分かるでしょ? 寂しいの。寂しくて寂しくて死んでしまいそう」

 

 部屋は蒸し暑いというのに手足はひんやりとしていて、ただ吐息だけが生暖かく、私の耳を炙る。返答も待たずに身体をまさぐり始めたその手を押さえ付け、溜息をつきながら怯むことなく通告した。

 

「おやめください静馬様」

 

 私の声に一瞬ムッとした表情を浮かべたものの、数秒後には笑みを湛え再び甘えてきた。

 

「誘い方が気に食わなかった? そうよね。私はお願いをする立場なんだもの。それらしくしないとね」

「そういうことでは―――」

「玉青。私を抱いて。あなたの好きなようにしていいわ。身体に痕を付けたっていい。噛んだっていいわ。だからお願いよ。慰めて」

 

 覇気のなかった目にギラついた情欲の炎が踊り、それを燃料に身体が熱を帯びたのか全体的に生気が戻りはしたが、果たしてこれを静馬様と言っていいものだろうか。

 

(これが………これがあの静馬様?)

 

 失望というよりはもっと別の感情――驚きのようなものが湧き上がった。呆然とする私になおも行為をせがむように、絡みついてくる手足を振りほどく。認めたくはなかった。自分を手籠めにしようとした相手とはいえ、あの凛とした面影の感じられぬ姿を、私は認めたくなかったのである。

 

「いい加減になさってください。こんな姿を()()()()()()()

「――ッ!?」

 

 この名前を出せば、表情が一変することは分かり切っていた。静馬様がこうしてふてくされている原因は六条様がいなくなった事によるものなのだから。花園静馬という人に相応しくない甘えた、媚を売るような顔がみるみるうちに苛立ちを含んだものへと変わっていく。

 

「やめてっ!! あの子の名前は出さないで」

 

 身体を離して距離を取ると、聞きたくないという意志を全身で示すかの如く両手で耳を覆い、頭を振った。

 

「いえ、言わせていただきます。六条様がこの丘を去ったのはあなたの―――」

「うるさいっ!!!」

 

 窓が閉まっていたら今ので粉々に砕け散っていたんじゃないかと思うほどの声。鬼の形相で私を睨みつける静馬様の目は怒りに燃え上がっていた。

 

「私と寝たって六条様のいない寂しさは癒えませんよ。それはあなたが一番お分かりのはず」

「黙りなさいッ!」

 

 叫び声と同時に勢いよく放たれた平手打ち。当たったらさぞかし頬が腫れあがったであろうそれは、しかし当たることなく私の手の平に防がれ、部屋にパァンッと小気味いい音を響かせただけに終わった。

 

「なっ!? このぉっ!」

 

 受け止められるとは思っていなかったのか驚く静馬様。ヒリヒリとする痛みを我慢しつつ、もう一度振り被った手から平手打ちが飛んでくるよりも僅かに早く、その手首を掴んだ。

 

「堕落した生活のせいで身体が鈍っていらっしゃるのでは?」

「生意気な口を…」

「事実は事実ですから」

 

 右手を封じられた静馬様は力任せに私を振り払おうともがくが、私だって好きにさせるつもりはない。手首をギリリと強く掴んだまま綱引きでもするかのように自分に向けて引っ張った。至近距離で睨み合う私たち。けれどその膠着状態も長続きはしなかった。今度は私の方が強引に手を振り回し、ベッドの方へ向かって静馬様を投げ飛ばしたのである。

 

 普段なら体格差もあってこうも簡単にはいかなかっただろうが、衰弱した相手であれば話は別だ。よろめいた静馬様はベッドに倒れ込むようにしてその身を着地させると、上半身を突っ伏した姿勢のまま動かなくなった。私の方も余力こそ多少はあれど体力を使った事には変わりなく、部屋には二人分の荒い呼吸が響き渡る。

 

「らしくないですね。私なんかに投げ飛ばされるなんて」

「ぐっ…、くぅ」

 

 シーツを握りしめこちらを睨みつける目は爛々としていて、以前の静馬様に戻ったみたいで少しだけ安心した。

 

「六条様のいなくなった辛さは分かります。私だって―――」

「あなたに深雪の何が分かるっていうの? たかだか2,3か月仕事を教わったくらいの付き合いで。私は深雪とルームメイトだったのよ? 四六時中一緒にいたわ」

「だったらなんでもっと向き合って差し上げなかったのですか? あなたが真剣に六条様の想いを受け止めていたら」

「受け止めたわよっ! 受け止めた結果がこれだったのよ!」

「いいえ、違います。静馬様は逃げたんです。六条様から」

「知った風な口を利かないでっ!!!」

 

 悲痛な叫び声と共に開いていた窓から風が吹き込み、カーテンをバサバサと揺らした。さすがに窓を開けたままこのトーンで言い争うのはまずい。そう考えて私が窓を閉めている間に、静馬様の方もいくらか冷静さを取り戻したのかそそくさと衣服を身に着けていた。

 

「深雪のことは親友として大事にしていた。それが事実よ。分かったなら帰りなさい」

「恋愛感情はない…と?」

()()()()()。たしかに素敵な子だったけど、私に必要なのは恋人としての深雪じゃなくて親友としての深雪だったから」

 

 嘘は言っていないように思えた。私はお二人とは同じ時間を生きていなかったから、あくまでそう感じただけなのかもしれない。けれどたしかに静馬様の声、表情、仕草。それらは本心から滲み出たもののようであった。

 

 ただ一つだけ気になるところがあるとすれば『なかった』というセリフ。過去形で発せられたセリフが私はどうにも気になって仕方がなかった。まだ望みはあるかもしれない。六条様をこの丘に舞い戻らせるための微かな望みが…。

 

「今でもですか? あの告白を聞いた今でも………六条様のこと…」

「─―ッ。くどいわね。ないわ!」

 

 問いかけに一層の苛立ちを募らせた静馬様は吐き捨てるように答えた。しかし私は怯まず、なおも畳みかける。

 

「嘘ですね」

「何を根拠に」

 

 会話を続けながら、そろりそろりとベッドに近付いた私は、ある程度の距離まで行くと一気に駆け出した。それを見て大声で「待ちさなさい!」と叫ぶ静馬様。だが私の手は素早く枕の下に隠されていた()()()を探し当てていた。

 

「これがその証拠ですッ!!」

 

 光にかざしたそれは真紅の――深い深い色合いの輝きを誇示するように燦然とその身を燃やした。枕の端からほんの僅かにはみ出していた鎖の一部。それがエトワールの証であるという確証はなかったが、机の上にあったのが蒼い宝石を宿したもう一方であったのを見て、もしやと思ったのである。半分賭けみたいなものではあったが、どうやら私はそのギャンブルに勝ったようだ。

 

「そ、それは…」

 

 言い逃れる隙を与えまいとさながら罪の告白を迫る審問官の如く、私はその煌めきを静馬様に見せつけるべく高く掲げてみせた。首飾りを持った手がフルフルと震えていたのは決して演技ではなく感情の迸りのようなもので、自然とそうなっていた。そんな私に応じてくれたのか、ルビーの宝石はたっぷりと吸い込んだ光を気持ちよさそうに放射し、真紅の輝きをそこら中に乱反射した。

 

「どうしてこんなものがここにあるのですか? これは…この真紅の首飾りは………六条様があなたを愛する証として身に着けていたものではありませんか?」

 

 その眩しさから逃げるように顔を逸らした静馬様は、自らの身体を抱き締めるように手を交差させると、悔しそうに掴んだ部屋着がクシャッと皺を刻んだ。

 

「じ、自分のものと間違えたのよ」

「サファイアとルビーを…ですか?」

 

 机の上に剥き出しのまま置かれたサファイアの首飾り。間違えるはずがないと、口元に微笑を浮かべながら意地悪く視線を巡らせた。

 

「暗い場所でなら見間違えることだってあるわ」

「いいえ嘘です。あなたはわざわざ六条様の首飾りを枕元に忍ばせていたんです。少なからず………想っていらっしゃるから」

「あなたの戯言(ざれごと)はうんざりだわ。この部屋から出て行って―――早くっ!!」

 

 扉を指差しくるりと後ろを向いた静馬様。あれほど無敵に思えていた背中が、今は弱々しく見える。

 

 この御方もまた()()()()()なのだと、私は今更ながらに思い知った。長く連れ添った大切な人を失い、悲観に暮れる一人の人間なのだと。もしかしたら花園静馬という人物像も、彼女が纏っていた鎧の一種と言えるかもしれない。強気な振る舞いの裏に隠された素顔は、この丘の誰もが持つであろう…ありふれたものであった。

 

「この首飾りは預からせていただきます」

「………。好きになさい」

 

 がっくりと項垂れる静馬様を残し私は部屋を後にした。一口も食べられることなく終わった憐れな昼食のトレーを手にして…。

 

 

 

 

 

<子守歌>…源 千華留視点

 

「こんばんわ静馬♪」

「そう…次はあなたなの」

「あら? せっかく来てあげたんだからもっと嬉しそうな顔をして頂戴。お昼食べてないんでしょ。そろそろ倒れちゃうわよ」

 

 テーブルの上にトレーを置き、紙で包んだ箸などをセットすれば、ほら…美味しそうなディナーの出来上がり♪ ぼんやりと外を眺めていた静馬の手を引っ張り半ば強引に椅子へと座らせる。

 

「食べたくない」

「ふふふ♪ 玉青さんにもそうやって駄々を捏ねたんでしょ。いいえ、違うわね。甘えたかったのかしら? 優しくされたいのね」

「あなたは甘えさせてくれるの? 元カノさん」

「スプーンで食べさせてあげてもいいわよ」

「そんな事に興味ないわ。私が望むのは…」

 

 立ち上がり私の腰に手を回した静馬は、胸の辺りに顔を埋めると何も言わなくなってしまった。目を瞑り、吐息だけを繰り返すその姿は、疲れ果てた旅人のようにも、また、生まれたばかりの赤子のようにも見えた。どちらにせよ今の静馬には、害を為すだけの体力も気力も残ってはいなさそうだった。

 

 そんな静馬をベッドまで連れていき膝枕をしてあげる。髪を手櫛で梳くと静馬は気持ちよさそうに身体を弛緩させ私を見上げた。

 

「玉青さんみたいに身体を求められたらどうしようかと思ったわ」

「求めたら…応じてくれたの?」

 

 その問いには首を振って答えた。

 

「応じるわけないでしょ。深雪さんにあんなカッコいいところを見せられて、それでもあなたに身体を許すほど私はプライドの低い女じゃないもの。もしあなたと契りを交わしたら、私は一生、惨めさを引き摺って生きることになるでしょうね」

「どうせそう答えると思ったわ」

 

 この丘を去る決意。深雪さんはそれを胸に静馬への告白を行った。深雪さんの計画に乗ったわけだけど、実際にその告白の様子を見せられて、私は少なからず悔しさというか、羨ましさというか。女として負けた気がしてジェラシーを感じずにはいられなかった。自分がもし同じ立場だったとして、彼女のように振舞えただろうか? たぶん振舞えなかったからこそのジェラシーなのだろうけど。

 

「後でご飯食べさせてあげる。あなたに倒れられたら深雪さんに会わせる顔がないもの。頼まれてるのよ…あなたのこと。友達いない子だから、お願いって。だから無理にでも食べて貰うわよ。覚悟しなさい、し・ず・ま♪」

「ええ、分かったわ。だからもう少しだけ…このままでいさせて」

 

 甘える静馬のために子守歌代わりに口ずさんだ聖歌。遠く彼方の深雪さんにも届きますようにと祈りを込めて…。

 

 

 

 

 

<ドレスと私と>…六条 深雪視点

 

「深雪()()。ちょっといいかしら」

 

 部屋を訪れたのは淑やかで、それでいて艶のある女性。やんわりとした声で私に向かってそう尋ねたのは、私の母…六条深登里であった。実の娘に対して『深雪さん』だなんて『さん付け』で呼ぶ母親は、日本中を探したってそう大した人数はいないだろう。とはいえ別に他人行儀というわけではなく、むしろ親しみと愛情の込められた声であることは紛れもない事実だ。

 

 ならばなぜそんな呼び方なのかと言えば、私と母の場合は単純に接した時間の短さが原因と思われる。私が幼い頃は母が体調を崩し気味だったし、母が元気になったかと思えば、私はアストラエアの丘で寄宿生活を送ることになってしまった。その結果私と母は血の繋がる関係でありながら、微妙な距離を保った不思議な関係なのである。

 

「なんでしょう? お母様」

「たった今ドレスが届いたの。それで…深雪さんが着ている姿を見たいと思ったのだけど…どうかしら?」

 

 母は少々茶目っ気の混ざった表情でクスクスと笑いつつ、嬉しそうに私に尋ねた。

 

 ドレスは急遽御爺様が注文なさったものだ。婚約者と会食するという話にはなったものの、いちご舎暮らしの長い私は制服の他には限られた数の私服しか持っておらず、会食などという小洒落た場所に着ていく服は持ち合わせていなかったので。

 

 私にドレスを買うことになった祖父はそれはもう大はしゃぎだった。見ているこちらまで楽しくなるような無邪気な顔をして有名ブランドの担当者を片っ端から屋敷に呼び付けると、デザイン案を提出するよう求めたのである。何かしらの希望はあるのかと聞かれた私は返答に困った。ドレスのデザインに口出し出来るほどの知識はないし、そもそも集められたのは超一流のブランドの人間たちだ。私なんかが口を挟むのは少々気が引けた。

 

 なので私は色についてだけ希望を述べることにした。白だけはやめて欲しいと。祖父たちには汚したら目立つから恥ずかしいと説明したが、ウェディングドレスみたいで着たくないというのが本心だった。

 

(それにしても…もう出来上がるなんて。どこも数か月待ちは当たり前のブランドなのに)

 

 おそらく徹夜続きだったであろう職人さんたちには申し訳なく思う。それと同時に私に割り込まれる形となった他のお客さんにも…。

 

「着させて頂きます。どちらにせよフィッティングは必要でしょうし」

「まぁ! 嬉しいわ。深雪さんが乗り気になってくれて」

 

 母が手を打ち鳴らすと、大きく開かれた扉から色彩豊かなドレスの数々が入場してきた。事前の希望通り白をメインにしたものはなく、咲き乱れる花のような鮮やかさである。黒に…ベージュに…青に。これが全て私のために(しつら)えられたものかと思うと眩暈がしてしまう。

 

(私の身体は1つしかないのだけど…)

 

 これだけ数があっても会食に着ていくのはたったの一着のみ。後々使う機会はあるだろうが勿体ないような気もする。

 

「深雪さんはどれがお好みかしら?」

「私は…」

 

 悩むフリをしながらも、私はドレスの行列を眺めた瞬間から、()()ドレスに心を奪われていた。

 

「これが…気になるわ」

 

 それは今日届けられたドレスの中で唯一赤を基調とした真紅のドレスだった。

 

「深雪さん、赤がお好きだったかしら?」

「そういうわけではないのですが」

「とにかく着てみましょう。深雪さんならどの色だって似あうはずだわ」

 

 視線を投げ掛けられただけで音もなく前へ進み出た侍女たちが、手際よくマネキンからドレスを脱がし私に着せる準備に入る。私はというと黙ってされるがままにするだけで、時折一言二言やり取りをしていたら、あっという間にドレスが装着されていた。

 

「ああ、素敵! これならどんな殿方だって目を奪われるわ。ねぇ、あなたたちもそうは思わない?」

 

 周りの侍女に同意を求めつつ、鏡に映る私の肩を抱く母の目が僅かに潤んでいた。指摘すると母は、「ごめんなさい」と言ってハンカチで拭ってから、溜め込んでいたものを吐き出すように静かに呟いた。

 

「深雪さんからの電話で女性を好きになったと聞いてから、ずっと不安だったの。だからこうして会食のためのドレス姿を見たら…なんだかホッとしてしまって」

「お母様…」

 

 そう言った傍から再び潤む瞳に、私は何も言うことが出来なかった。母だけではないだろう。父も、祖父も。私の静馬への想いがみんなをどれだけ不安にさせていたことか。家族として私に幸ある未来を授けたいと願う気持ちが痛いほど分かってしまった。

 

(いっそのこと私を政略結婚の道具としてしか見ないような人達だったら、この後ろめたさも少しは消えたのかしら…)

 

 真紅のドレスを選んだ理由。それは静馬への消えぬ想い。美しく着飾るのが静馬のためではなく、初めて会う婚約者のためだということが私は嫌だった。ならせめてもの抵抗として、この赤を――愛する証としたエトワールの首飾りと同じ真紅を纏いたいと思ったのである。

 

 しかしながら母の涙を見て、また、その想いに触れて、その反抗心は大きく揺らいでしまっていたのだった。

 

(私一人のせいでこの六条家を途絶えさせるなんてそんな事…できっこない。それに両親たちだって………。所詮は運命。最初から…決まっていた事だったんだわ)

「深雪…さん? どうして泣いていらっしゃるの?」

「えっ?」

 

 母に言われて鏡を見ると、たしかに頬にうっすらと涙の伝った痕があった。私はそれを慌ててゴシゴシと消し取り、代わりに笑顔を浮かべて見せた。

 

「ごめんなさい。私もドレスを着たら嬉しくなってしまったみたい。私…これを着て会食に行くわ。御爺様にお礼を言わなくちゃ。素敵なドレスを…ありがとうって」

「深雪さん…あなた」

「いやだわお母様ったら。私は平気よ。今から会食が楽しみ。婚約者はどんな方かしらね」

 

 精一杯の笑顔は母を安心させられただろうか? 今はただ…母たちを安心させたい。その一心で、私は笑顔を振りまき続けた。

 

(これでいいのよ。これで。私は六条家の娘だもの…。そうでしょ? 静馬)

 

 

 

 

 

<お待ちしておりました>…花園 静馬視点

 

 カツーン、カツーンと廊下に足音が鳴り響く。時刻は消灯時間をとうに過ぎた深夜。本当ならば見回りのシスターに出くわさないよう静かに歩きたいのだが、不摂生が祟ってか足音を消すことは出来ないでいた。それに加えてこの暗さ。非常灯の類は所々に備え付けられているものの、歩きづらいことに変わりはない。

 

「まったく…なんてザマなの」

 

 明かりを手に、重たい身体を引きずりながら壁伝いに歩いていく。目指すは謹慎処分を受けた者のための部屋が並ぶエリア。

 

「待ってなさい、玉青」

 

 頭で考えるよりも遥かに遅い歩みに焦れつつも、私は辛抱強く足を動かし続けた。そして幸いにもシスターに見つかることなく目的地にたどり着くことに成功したのである。とは言ってもここからどう動くべきか。もう既に寝ているだろうから、強めにノックしないとダメかもしれない。しかしそれほど遠くない場所にシスターの部屋がある。出来ることならそちらは起こしたくない。

 

 玉青の眠りが浅い事を祈り、物は試しと控えめなノックをしようと手を扉に宛がおうとしたその時だ。小さなカチャリという音と共に扉が開かれ、中へと招き入れられた。

 

「お待ちしておりました。静馬様」

「あなた…私が来るのを分かって…」

「ええ。()()()()()()()()()()()()

 

 手にした首飾りを掲げながら、玉青はそう言った。

 

「そんな皮肉も言えるようになったのね。なんだか昔の自分を見ているようで、あまり良い気分はしないわ」

「よく眠れるようにハーブティーを用意してあります。それとビスケットも。夕食は召し上がったと千華留様から聞きましたが不要でしたか?」

「いえ、いただくわ」

 

 私の返答に微笑んだ彼女の後ろには、既に用意されていたティーセットがお披露目を待つように佇んでいた。

 

 明かりが漏れないようにタオルを被せ、暗がりの中でカップを傾ける。紅茶ではなくハーブティーというのは彼女らしい気遣いの仕方だと思う。安眠効果を謳う心地よい香りが鼻孔を駆け抜け、安らぎをもたらしてくれた。あっという間に小皿に盛られたビスケットを食べきり、ハーブティーを飲み干すと、私はふーっと息をついた。

 

「ごちそうさま。やはりあなたの心を射止められなかったのは…惜しかったわね」

「おかわり…淹れておきます」

「ねぇ玉青。()()…返して頂戴」

「理由を話していただけるなら。そうでないなら承服しかねます」

 

 見せつけるように揺らされる首飾り。すぐにでも取り返したいのだけれど、飛びつくような真似はせずにじっくりと構える。夕食と今のビスケットで多少の栄養補給が出来たのもあって、昼よりかは頭が冴えていた。あくまで昼よりかは…だが。

 

「返しなさい」

「嫌です」

 

 こんな感じの問答を何度か繰り返しながら、私は注意深く玉青の隙を窺っていた。しかし今回に限ってはあちらの方が数枚上手で、残念な事に勝機は見つけられない。それどころか玉青は、私の思いもしない行動を取って脅してきた。こちらを牽制しつつ窓へと近付くと、突然窓を開け放ち首飾りを外へと突き出したのだ。

 

「あなた正気?」

「投げ捨てたって構わないのですよ?」

「はったりだわ」

「どう受け取るかはご自由にどうぞ。第一、これは静馬様にとって重要ではないのでは? お昼には好きにするよう私に仰いましたし」

「謹慎期間が延びるわよ?」

 

 私が逆に脅そうとすると、彼女は腕を外へ向かって振る仕草をしてみせた。いちご舎の外は真っ暗闇。懐中電灯を持っていたとしても、探すのは困難だ。それに地面に落ちてくれればいいが、万が一どこかの木にでも引っ掛かろうものなら、より一層大変なことになる。

 

 私は玉青の手の行方を気にして、これ見よがしに腕が動くたび身体をピクンと反応させる羽目になってしまった。

 

「さあ! どうなさいますか、静馬様?」

「………」

「お返事がないのでしたら………こうするまでですッ!!」

「なッ!?」

 

 どこかで高を括っていた。投げるはずないと。いくら何でもありえないと。けれどそんな私の予想を遥かに超えて、玉青は腕を振りかぶり夜空に向かって思い切り投げ捨てた。咄嗟に動くことも出来ず、飛んでいく物体の行方を確認することも出来ないまま、遠くでガサッと音がしてようやく私は我を取り戻した。弾かれるように窓際まで駆け寄ると、傍にいた少女を突き飛ばし音がしたと思われる方に目を凝らす。

 

「どきなさいっ!! どこ? どこなの? 首飾りはどこ?」

 

 しかしこの暗闇で見えるはずもなく、手掛かりは見つからなかった。窓から探すのは無理だと判断して、身体を反転。玉青に詰め寄り部屋着の襟元を掴み、ガクガクと揺さぶりながら詰問する。

 

「ッ~~~。あなたは見ていたでしょう? どこへ落ちたの? 答えなさい。さもなくば…」

「さもなくば?」

 

 澄ました顔で答えたのを見て問い詰めるのは無駄だと悟った。この子は決して答えはしまいと。私は「チッ」と舌打ちをして手を放すと部屋の扉へと向かった。

 

「どちらへ?」

「探しに行くに決まってるでしょう。あれが…あれがないと私は眠れないのよ。あれは深雪の代わりなの!

 

 ヒステリックな金切り声が部屋に響く。シスターが起きようと関係ない。それくらい私は必死だった。

 

「もう一度聞きます。六条様に…親友以上の感情は…お持ちでないのですか?」

「分からない。自分でも分からないの。これだけ恋愛をしてきたというのに、今の私が深雪に抱いている感情がなんなのか。ただ…」

「ただ?」

「会いたいわ。もう一度深雪に会いたい。そう…思っているわ」

「それが聞けたのなら、私は充分です。これはお返しします」

 

 ポケットから取り出されたそれは深雪の――真紅の首飾りだった。

 

「どうしてこれが?」

「投げたのは別の物です。どうかご安心を」

「よかった。無事で本当に…よかった…」

 

 受け取ったエトワールの証を手に抱き、私はしばらくの間それを握りしめていた…。

 

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




■後書き
 今回の更新分で累計50万文字を突破致しました。ついでに初投稿から1年も経過です!結構節目な感じですが物語は思いっきり中途半端なところという…。

 何はともあれこうして続けられているのは読んで下さる皆様のおかげです。ありがとうございます。次章からも何卒宜しくお願い致します。それでは~♪

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