「此処で香取隊長、緊急脱出……っ! 善戦したものの、最後にはワイヤーを逆用されて落とされた……っ!」
「これは、見事だね。香取ちゃんも頑張ったけど、まだ七海くんには及ばなかったか」
今回の試合で一つの流れを作っていた香取隊の隊長である香取が落ちた事で沸き立つ会場の中で、犬飼は静かに香取の健闘を労った。
北添も、同意するように深く頷いた。
「そうだね。でも、しっかり作戦を立てて臨んだだけに、この結果は悔しいだろうねえ」
それにしても、と北添は告げる。
「香取隊の狙いは、最初から熊谷さん…………もしくは日浦さんかな? どちらにせよ、七海くんを追い込んで残る那須隊の隊員を釣り出して仕留める事だったんだね」
通りで攻めっ気が薄いと思った、と北添は呟く。
今回香取隊が持ち込んだワイヤー戦術は、明確に那須隊をターゲッティングしたものだった。
だが、最大の標的であった筈の七海を罠に誘い込んだ後も、七海を落とす為の
ワイヤー地帯に追い込めば勝てると思っていたのかな、と北添は思案していたが、実際の香取隊の目的は北添の想像とは違っていたワケだ。
香取隊はワイヤー地帯に誘い込み、七海を仕留める────────のではなく、ワイヤー地帯に追い込んだ七海を救援に来る那須隊のメンバーを、狙い撃ちにするつもりであったのだから。
中々那須隊のメンバーの介入がなかった事で大分焦れていたようではあるが、それでも作戦目標をブレさせなかった点は評価出来る。
問題があるとすれば、それは─────。
「けど、どうやら那須隊はそんな香取隊の狙いには気付いていたみたいだね。だからこそ、あの場面でメテオラを使ったワケだ」
「それは、つまり……」
「そう。七海くんは
────その狙いを、那須隊に看破されてしまった事に気付けなかった事だろう。
「那須隊の基本戦術は、自分達の戦力を状況を見極めて適時投入する事で戦線を掻き回し、生み出した隙を狙って相手を落とす事だ。これまでも、那須隊は合流よりも隠密を徹底してたでしょ?」
「確かに。今までの試合でも那須隊は必要な時まで隊員を隠れさせて、チャンスを見つけ次第投入する形を取っていたね」
「だからこそ、香取隊は七海くんを追い込む事でその場所に他の隊員を逐次投入する状況を作ろうとしたのさ。最初から、七海くんを落とす事は考えていなかった────いや、チャンスがあれば程度に思っていただろうね」
実際には犬飼がそういう作戦方針で指導したのだが、それは此処では言わないでおく。
北添や宇佐美はなんとなくそのあたりは察しているようだったが、わざわざ実況の場で詮索するべき事でもない。
犬飼も、別段弟子馬鹿をアピールしたいワケではないのだから。
自ら買って出た解説にて無表情のままノリノリで弟子馬鹿っぷりを披露してしまった奈良坂達とは、違うのである。
「七海くんは、那須隊の強さを支える根幹であると言って良い。生存能力が抜群に高くて、機動力やクレバーさも群を抜いている。狙撃手や射手と組めば段違いにその脅威度が上がるし、最後の一人になっても仕事をこなせるだけの地力もある。那須隊の中で誰を真っ先に抑えるべきかと言われれば、彼になるだろうね」
これは、犬飼の偽らざる本音であった。
以前、二宮が七海を引き抜こうと
犬飼は、二宮とは違って人の感情の機微には敏感だ。
故に、七海が
…………まあ、そんな事は
しかし逆に言えば、実現可能かどうかを度外視すれば犬飼は七海が隊に入るような事があれば諸手を上げて歓迎する気ではいたのである。
犬飼の七海への評価は、かなり高い。
個人としての実力も然る事ながら、クレバーに徹する事が出来るその姿勢が何より犬飼と好みが合致していた。
とうの七海本人はコミュニケーションは下手な方だと自任しているが、話題提供力ならともかく
七海は、感情で相手の言葉を否定しない。
相手の発言を客観的に捉え、それを吟味した上で自分の受けたイメージを的確に伝えている。
身内の事となると少々私情が入り混じる事があるが、逆に言えばそうでなければ
その人間関係の緩衝剤としての能力は、犬飼としては是非欲しい所である。
空気を読んだりさりげなく場の雰囲気を整えるのは得意な犬飼だが、少しでも負担を軽減出来るものならしたいというのが本音である。
七海が隊に入ってくれれば、二宮のフォローという
それに加えて戦場でも使い勝手が抜群に良く、状況判断能力も悪くないとなれば欲しがらない方がおかしい。
メンタル面で弱点を抱えていたものの、あのROUND3での敗戦を契機にそちらもある程度は克服出来たらしい。
単純な人材として見るならば、犬飼としても喉から手が出る程欲しい相手なのは確かだったのである。
つまりそういった評価を下せる程、
七海を放置すれば、何処で戦闘に介入されて彼が得意な乱戦に持ち込まれるか分からない。
全体を俯瞰する能力も高い為その場その場の勝利には欠片も執着せず、形勢不利となれば迷わず撤退する判断能力の高さも厄介だ。
そんな七海を抑える事が出来るならば、隊員の一人二人を彼の
問題は、素の機動力が高い上に狙撃や不意打ちが効かず、グラスホッパーまで使う七海を一か所に留めておくのは並大抵の労力では不可能な事である。
今回、香取隊はそれをワイヤー地帯を用いる事で克服した。
確かに七海を仕留めるまではいけなかったが、あれだけの時間彼を足止め出来たのは充分に誇れる成果と言える。
「けど、少し攻めっ気を見せなさ過ぎたね。焦れていたのに無理をしなかったのは褒めるべきだろうけど、もう少し工夫があっても良かったかな」
…………だが、それは逆に香取隊の狙いが七海の
香取は、前回の敗戦が軽くトラウマになっている。
もう二度とあんな失敗はしない、という想いが、彼女の独断専行を控えさせ慎重な姿勢を取らせる原因となっていた。
それ自体は、評価するべき事柄だ。
しかし逆に言えば、今回の香取は少々慎重に
作戦方針に拘るあまり、その方針を隠す努力にまで頭が回っていなかった。
故にこそ、七海は香取隊の狙いに気付いて手を打ったのだ。
「七海くんは香取隊の狙いに気付いた時点で、即座に盤面をひっくり返す方法を思いついた。それが、メテオラによって意図的に自分の位置を喧伝し生駒さんに介入の余地を与える事だった」
「そっか。あのまま膠着状態が続くよりは、生駒旋空で地形を破壊して貰った方が七海くんとしては動き易かったってワケだね」
そういう事だね、と犬飼は北添の意見を肯定する。
「香取隊の狙いは、那須隊の面々を釣り出す事だった。多分、あそこで日浦さんを介入させても上手くは行かなかっただろうね。だからこそ、那須隊は熊谷さんを囮にして香取ちゃんを七海くんから引き離して、彼がメテオラを使う隙を作りだしたのさ」
そう、熊谷があの時ハウンドを使ったのは、香取の注意を惹き付ける為。
即ち、七海がメテオラによって生駒を
「土壇場の判断力というものは、どれだけ苦境に身を置いて感覚を研ぎ澄ます事が出来たかで決まる。確かに香取ちゃんもあの敗戦から成長したけど、経験という点ではまだ未熟と言わざるを得ない」
「つまり、咄嗟の機転がものを言う状況に持ち込んで、競り勝ったってワケか」
「そういう事。ま、七海くんはスパイダーを逆用する事についてはあの時点では既に目星は付けてただろうけどね」
二人がかりで追い込まれてる時もワイヤーの位置とかは確認してたみたいだし、と犬飼は補足する。
香取は、確かに強くなった。
自分を見詰め直し、足りない部分をどうにかしようと足掻いてきた。
だが、まだ負債を払い切るには時間が足りなかったのだ。
それを埋める為の作戦が看破された以上、後は地力勝負になる。
これまで格上の相手と戦い続けて鍛え上げられた七海と、格上相手の戦いを避け続けてきた香取。
その差は、一週間かそこらで埋まるものでは決してない。
地力勝負に持ち込まれた時点で、香取の負けは決まっていたと言って良いだろう。
「ま、香取ちゃんに関してはこんな所かな。さて、状況を整理しようか」
「そーだね。現時点でのポイントは、こうだね」
宇佐美は機器を操作し、現在の獲得ポイントを表示する。
那須隊:2Pt(水上・香取)
生駒隊:2Pt(三浦・那須)
香取隊:1Pt(隠岐)
「ポイントは那須隊と生駒隊が同率2点、香取隊が1点。残っているのは、那須隊が三人、生駒隊が二人、香取隊が一人だね」
「まだ、どうとでも転がる点差だね。一見、三人残ってる那須隊が有利に思えるけど……」
「那須さんが落ちたから、生駒さんをどう攻略するかが鍵となるね」
そう、現在の生存人数こそ那須隊が最も多いが、生駒はそう簡単に落とせる相手ではない。
生駒旋空の射程や威力も勿論だが、本人も割と機転が利き居合いを含めた剣技の腕も並外れている。
東や二宮ほどではないが、生駒の生存率も割と高い方に位置するのだ。
言動や行動こそ色々シュールな男ではあるが、その実力は冗談でもなんでもない。
彼をどう攻略するかが、この試合の行く末を決める事になるだろう。
「さあて、此処からどうなるか。楽しみだね」
「お? 香取ちゃん落ちたか。俺の旋空が当たったんか?」
『ちゃいますよ。なんや、那須隊にやられたみたいですわ』
『漁夫の利掻っ攫われてますねー』
生駒は脱落した仲間からの通信を聞き、むぅ、と小さく唸る。
取り合えず
生駒の旋空の射程は、40メートル。
この尋常ではない射程距離があるからこそ、生駒は銃手や射手相手でも強気に出れる。
射手は射程や威力をチューニング出来るが、それが出来ない銃手相手ならば場合によっては相手の射程の外から斬り払う事すら可能なのだ。
故に、大事なのは相手が視認できるか否か。
先程のようにチームメイトを疑似的な観測手にする形でもない限り、レーダー頼りの遠距離攻撃など早々命中するものではない。
だが、実際に視認出来れば話は別だ。
生駒の剣速は、尋常なものではない。
そして、旋空を使用する以上ガードも不可能。
更に、相手の移動経路を予測してその先に刃を
故に、相手の視認の邪魔になる障害物があれば斬り払うのが生駒の常套手段だ。
問題はその場合狙撃の為の射線が通ってしまう事だが、那須隊の狙撃手の茜が使用するのはライトニング。
射程はイーグレット程ではなく、威力は狙撃銃の中では最も低い。
片手を常に空けていつでもシールドを張れるようにしておけば、狙撃された瞬間にカウンタースナイプならぬカウンター旋空で迎撃出来る。
だからこそ、障害物の両断に踏み切ったのだが────────今回は、それを逆用されてしまったようである。
「どないするん? 俺はこのまま七海んトコ向かうけど、海も連れてくか?」
『海には、ちょっと隠れてて貰いましょ。何処に日浦さんがいるかわからんさかい、用心の為や。迂闊に出てくんやないで』
日浦ちゃんの位置が分かったらイコさんに教えるんやで、と通信で水上が告げる。
それを受けた南沢は、にかっと笑みを浮かべる。
「おっけーですっ! 俺に任せて下さいっ!」
『出てったらあかんからな? わかっとるか?』
「大丈夫ですっ! やってやりますってっ!」
『あかんでっ!?』
分かっているのか分かっていないのか微妙な南沢の返答に、真織の怒声が飛ぶ。
まあこのやり取りはいつも通りなので、特に誰も気にしてはいない。
「じゃ、俺向こう行ってますねっ!」
「おう」
南沢はバッグワームを起動し、路地の奥へと消えていく。
生駒はそれを見届けると弧月の柄に手をかけたまま、ゆっくりと先へ進んでいく。
向かうは、戦いの場。
相手にとって、不足はなし。
生駒は柄にもなく、熱くなっている己を自覚していた。
急ぐ必要は、ない。
何処から
一歩一歩、着実に七海のいるであろう場所へ歩を進めていく。
七海が撤退するとは、生駒は考えてはいなかった。
この状況なら、間違いなく待ち構えている。
影から不意打ちくらいなら普通にするだろうが、戦いを避ける事はしない筈だ。
誇張抜きで、今残っている戦力で生駒と正面から戦り合えるとすれば、それは七海だけなのだから。
個人戦では、勝ち越せていた相手。
だが、だからと言って七海を侮るつもりは一切ない。
集団戦で実際に戦り合うのは、これが初めてなのだから。
「勝たせて貰うで。七海」
一人、呟く。
風に溶けた呟きは、紛れもない闘志の色で染め上げられていた。
犬飼に色々語らせたら結構な分量になっちまったZE。
香取ちゃんは負けちゃったけど、残念ながらこれワートリなのよね。
努力が報われるとは限らないし、気合いでどうこうなりもあんまりしない。
何処かリアルで、でも熱い。
それがワートリなのです。